閃の軌跡Ⅲ ―偽りの仮面―   作:アルカンシェル

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84話 黒兎

 

 

「ん……」

 

 アルティナ・オライオンの朝は心地のいい揺さぶりから始まる。

 

「クラウ=ソラス…………わかってます……わかってますから……」

 

 《クラウ=ソラス》に揺り起こされたアルティナは緩慢な動きで体を起こして寝ぼけ眼を擦る。

 そのままの態勢で数分、ぼうっと覚醒するのを待ち、意識がはっきりしてきたところで《クラウ=ソラス》が準備してくれている制服を受け取る。

 パジャマを脱ぎ、それを《クラウ=ソラス》に渡しながらアルティナは淡々と着替えを済ませていく。

 

「…………今日は自由行動日……」

 

 《ARCUS》を開き、試験中に送られてきた導力メールを読みながらアルティナは今日の予定を確認する。

 

「オズボーン宰相との面会……朝一番に予定を開けてくれたそうですが……」

 

 多忙なオズボーンの立場を考えるなら数日、もしくは一週間以上は待つだろうと思っていたが早く約束を取り付けられた事にアルティナは複雑な気持ちになる。

 

「…………」

 

「――――」

 

 気遣い様に声を掛けて来る戦術殻にアルティナは言葉を返す。

 

「大丈夫です。クラウ=ソラス」

 

 アルティナはそう返して、同室のユウナを起こさないように静かに部屋を出る。

 

「……朝食はこれで良いですね」

 

 アルティナは買い置きのレーションをポケットに入れ、列車の中で済ませようと考える。

 まだ学生たちが活動を始めている気配はない。

 そのままアルティナは寮の中を進んで外に出ると――

 

「おはようアルティナ」

 

「よっ! アルきち」

 

 出迎えたのはリィンとランディだった。

 

「む……」

 

 リィンと顔を合わせるのは帰ってきてから、と考えていたアルティナは朝一番で顔を合せることに顔をしかめる。

 

「何故お二人が? まさかわたしを待ち伏せしていたんですか? 不埒ですね」

 

「待ち伏せって……いや確かにアルティナを待っていたけど……」

 

「まあまあ、そう警戒するなよアルきち」

 

 肩を竦めるリィンに対してランディがおどけて笑いかける。

 彼の傍らには導力車が控えてあった。

 

「その呼び方はやめてくださいと言ったはずです」

 

 ランディの妙な渾名にアルティナは文句を言いながら訝しむ。

 

「まさかリィン……ランディ教官にわたしの送迎をさせるつもりですか?」

 

 傍らの導力車の意味を考え、アルティナの頭に過保護という言葉が浮かぶ。

 

「違うから」

 

「ははは、期待させて悪いな……

 実は俺もオズボーン宰相に呼ばれてな。学院から導力車を借りたからついでだから一緒にどうだ?」

 

「…………そうでしたか……ランディ教官の理由は分かりましたが、それならリィンは?」

 

「俺の方は博士たちに呼ばれているだけだよ……それとこれをアルティナに、と思って」

 

 そう言ってリィンが差し出したのは袋をアルティナは反射的に受け取る。

 

「これは?」

 

「サンドイッチを作っておいたから、ランディ教官と導力車の中で食べると良い……

 どうせアルティナの事だから、レーションで済ませるつもりだったんだろ?」

 

「…………そんなことはありません」

 

 アルティナはリィンから目を逸らして否定する。

 

「はは……」

 

 そんなアルティナにリィンは苦笑して、帽子越しに彼女の頭を撫でながらランディに向き直る。

 

「それじゃあランディ教官、アルティナの事をよろしくお願いします」

 

「おう、任せておけ」

 

 

 

 

 

「…………しかし何故ランディ教官がオズボーン宰相に呼ばれたんですか?」

 

 帝都へ向かう車中。

 アルティナはリィンが作ったサンドイッチを食べながら運転をしているランディに話題を振った。

 

「ああ、ちょうど昨日の夕方に導力メールで呼び出されてな……理由は書かれていなかったが無視するわけにはいかないだろ?」

 

「…………それはやはりユミルで不埒な行為に及ぼうとした責任ではないでしょうか?」

 

「うぐ……いやあれは結局未遂に終わったし、肝心の狙撃スポットには誰も辿り着けなかったからノーカンだ」

 

「アルフィン皇女とクローディア王女の入浴を覗こうと計画した時点で重罪ではないでしょうか?」

 

「いやいや、あの場で全員お説教されて手打ちになったんだから今更……」

 

 否定しながらもランディはまさかと冷や汗を掻く。

 

「……教官の解任……クロスベルに罪状の公開……社会的抹殺……」

 

「怖い事言うなよアルきち」

 

「その呼び方はやめてください」

 

「そ、そういうお前さんはどうしてオズボーン宰相に呼ばれたんだ?」

 

 自分の話題はまずいと今度はランディからアルティナに尋ねる。

 

「…………いえ、わたしはランディ教官と違って…………呼ばれたのではなく、面会の希望をテスト前に出していました」

 

「お、そうだったのか? するとやっぱり情報局がらみ……《ゾア・ギルスティン》関係の報告を直接しようって事か?」

 

「…………ランディ教官も……真っ先にそう考えるんですね」

 

 アルティナは手を止めて、項垂れる。

 彼の言葉に非難の色はない。

 ただの事実確認。

 アルティナが情報局からの内偵だという前提で話しているが、その前提は正しく、そう思われてもアルティナは否定できない。

 

「ま、それに関しては俺も人の事は言えねえからな……

 帝国の内情はそれとなくクロスベルに送ったりしていることはお前さんたちも把握しているんだろ?」

 

「ええ……」

 

 ランディの言葉にアルティナは素直に頷く。

 

「…………ランディ教官は元赤い正座の猟兵でしたね」

 

「…………」

 

 不意に告げられた言葉にランディは目を細め、車内に剣呑な空気が流れる。

 

「わざわざそれを聞いてどうする?」

 

「…………ランディ教官は猟兵団を退団する時、どのようにその意志を伝えたのでしょうか?

 それとクロスベルには最初どのようにして信用を得たんですか?」

 

「…………んん?」

 

 思わず身構えたが、続く質問にランディは首を傾げる。

 それを答え辛い質問だったとアルティナは撤回するように言う。

 

「…………答えたくないなら別に良いですが」

 

「いや……答えられねえわけじゃねえが…………本気か?」

 

 ランディは思わず聞き返す。

 このタイミングで退団した時の状況を尋ねるアルティナの意図を読み取ってランディは聞き返す。

 

「今のリィンに信用を得るためなら……与えられた任務を果たすために必要なのは……

 いえ……わたしがリィンのために“そうしたい”と思ったからです」

 

「…………そうか……そういうところはそっくりなんだな」

 

「…………え?」

 

 ランディの呟きの意味が分からずアルティナは首を傾げる。

 

「大したことじゃねえよ。昔、お前さんと同じ名前の女の子とリベールで会った事が……会った事が……ん……?」

 

 ランディは言いかけて、記憶に違和感を覚える。

 

「ランディ教官?」

 

「いや何でもない……それより俺が団を抜けた時の話だったか?

 とは言え俺の話はあまり参考にはならねえだろうな」

 

「そうなんですか?」

 

「ああ、ほとんど家出同然で飛び出しただけだったからなあ……

 クロスベルにも警備隊の人手不足で拾ってもらったようなもんだったからなあ」

 

「…………そうですか」

 

「ま、教官として応援するぜ。何かあったら遠慮なく頼ってくれよ」

 

「…………考えておきます」

 

 そう言ってアルティナはサンドイッチの最後の一切れを食べ終える。

 

「しかしそうか……人形っぽい子だと思っていたが、しっかり恋する乙女をやっていたんだな」

 

「……そういう関係ではありません」

 

「照れるな照るなって……わざわざ弁当まで作ってもらって幸せそう顔で食っておいて説得力ないぞ」

 

「…………そんな顔していません」

 

「くくく……ならそんなにリィンが作ったサンドイッチがうまかったってことか、そいつは楽しみだな」

 

「む……」

 

 茶化すランディにアルティナは眉を顰めて、もう一つあるランチボックスに目を向ける。

 それは普段リィンが自分で使っている見慣れた物。

 おそらくリィンの事だから、自分の分をランディに渡したのだろう。

 

「そんなことを言う人にはこれは没収です」

 

「おおいっ! そりゃねえぜ!」

 

 からかい過ぎたとランディが気付いた時にはもう遅かった。

 アルティナは残ったランチボックスを抱えて無言の抗議の目をランディに向ける。

 

「…………はあ……」

 

 バックミラーでその顔にランディはため息を吐き、二人が乗った導力車は帝都へと辿り着いた。

 

 

 

 

 

 

「お待ちしていました」

 

 バルフレイム宮に到着すると、二人を出迎えたのはクレアだった。

 

「アルティナちゃんはこちらに……

 ランディさんは部屋を用意していますのでそちらでお待ちください」

 

「お? 呼び出したって言うのに俺は後回しか?」

 

 クレアの言葉にランディは聞き返す。

 

「ランディさんへの呼び出しはどちらかと言えば保護者として同席のためなので、本人の到着を待たないと……

 レクターさんから聞いていませんか?」

 

「ちっ……あの野郎」

 

 意図的に情報を伏せた導力メールを送った男を思い浮かべてランディは悪態を吐く。

 しかし、すぐに思考を切り替える。

 

「俺が保護者って事はもしかしてキーアの事か?」

 

「はい。ランディさんの他にロイドさんとアネラスさん、そしてキーアちゃん本人が招集しています……

 全員が揃うまでランディさんは待合室でお待ちください」

 

「そうか……それじゃあそうさせてもらうとするか」

 

「ではアルティナちゃんはこちらに」

 

「はい」

 

 クレアに促されてアルティナは歩き出し――

 

「あの……アルティナちゃん、それは?」

 

 クレアがアルティナが抱える袋に対して尋ねる。

 

「賄賂です」

 

「賄賂ですか……」

 

 アルティナらしくない言葉が出てきたことにクレアは首を傾げつつ、質問を続ける。

 

「中身は何でしょう? いくらアルティナちゃんでも検閲なしに怪しいものを持ち込まれるのは困るんですが」

 

「ランディ教官の朝食になる予定だったリィンのお弁当です」

 

「…………そうですか……」

 

 クレアは確かめるようにランディに視線を送る。

 当のランディは肩を竦めて肯定するように頷く。

 何故それがアルティナに没収された経緯は気になるが、クレアはどうしたものかと悩む。

 

「やはり食べ物の賄賂はいろいろとまずいのでしょうか?」

 

「いえ……それは……まあ……」

 

「それでしたらクレア少佐、どうぞ」

 

 すっとアルティナは抱えた袋を差し出した。

 

「えっと……」

 

 差し出された袋にクレアは困る。

 ミリアムもそうだが、方向性の違いはあるもののアルティナも独特な押しの強さは彼女たちが姉妹なのだと思い出させる。

 何より、その姿にクレアは昔リベールで会った女の子を思い出させる。

 

「そういうところはリベールで会った時と変わりませんね」

 

「…………わたしはリベールでクレア少佐と出会った事はありません」

 

「え……あ……そうでしたね……あれ……? どうして……?」

 

 困惑するクレアにアルティナは袋を押し付けて、歩き出す。

 

「ア、アルティナちゃん?」

 

「オズボーン宰相は執務室ですね? 案内はいりません。それでは」

 

 クレアを置き去りにしてアルティナは勝手知ったる皇宮を歩き出す。

 

「ちがう……ちがう……」

 

 脇目も振らずに歩くアルティナはランディやクレアの言葉を振り払うようにうわ言を繰り返す。

 

「それはわたしじゃない……それは……わたしが……した……」

 

 アルティナは足を止めて、大きな扉の前に立つ。

 ギリアス・オズボーンの執務室。

 アルティナは頭を振って一度思考を振り払って、ドアをノックする。

 

「入ってきたまえ」

 

 入室の許可にアルティナは部屋に入る。

 広い室内。

 その執務机にはギリアス・オズボーンが座っている。

 

「ようこそアルティナ・オライオン君。歓迎するよ」

 

「っ……」

 

 定型的な口上の挨拶なのにアルティナは思わず息を呑んだ。

 何度も任務の報告で顔を合わせた事があるのだが、今感じる威圧感はとても重く強い。

 

 ――これが鉄血宰相ですか……

 

 どんな戦場でも怯むことなく駆け抜けてきたアルティナはその圧力に身を震わせる。

 

「レクターから話は聞いている」

 

 オズボーンは一度アルティナから視線を外して、執務室の傍らに設置されている応接スペースにいるレクターを一瞥する。

 レクターは気安く手を振って自己主張をするが、オズボーンは構わずアルティナに話しかけた。

 

「何やら私たちに話したいことがあるようだな。とりあえず話を聞こうか《黒兎》」

 

 余計な挨拶はいらないとオズボーンはアルティナに本題を促す。

 

「現在、表向きにはわたしの所属は情報局を外れたことになっています……

 ですが実際はそんな事はなく、わたしは情報局員としてトールズ第Ⅱに潜入しています」

 

「そうだな。それで……」

 

「わたしの任務は貴族連合の敗残の将であるオーレリア・ルグィンとカイエン家の縁類であるミルディーヌの監視……

 そして……第一任務はリィン・シュバルツァーの相棒となり、彼の正体を探る事……」

 

「そうだ。それが君の任務だったはず。何か進展があったのかな?」

 

「…………いえ……」

 

 アルティナは嘘を吐く。

 本当は“リィン”の正体は分かっている。

 しかしそれを正直に話すことをアルティナは躊躇してしまい、用意した言葉を続ける。

 

「ですがこれ以上の任務を続けるのは困難だと判断しました」

 

「ほう……理由は?」

 

 オズボーンは面白がるような口調で聞き返す。

 

「今回のリィンの件により、彼の警戒心は高まっています……

 第一任務であるリィンの相棒であることを続けるには現状困難です……

 なので……建前ではなく正式に情報局をやめさせて……いただきたいと考えました」

 

「ふう……情報局をやめると……

 君は普通の情報局員ではない事は分かっているはずだ」

 

「…………はい」

 

 情報局の暗部とも言える工作員であるアルティナは所属を一時的に離れていた事を差し引いても多くの帝国の内情や機密を知っている。

 建前で所属が外れたと主張しても信じてもらえなかった一因がそれであり、オズボーンが便利な駒である自分を手放す理由はない。

 

「リィン・シュバルツァーの信頼など関係ない……

 君はこれまで通り、彼の傍にいてその正体を探ればいい。邪魔をする必要もなければ、手助けをする必要もない……

 仮に君が本当に情報局をやめたとしても、それをどうやって証明するつもりかね?」

 

「それは……」

 

 オズボーンの追及にアルティナは口ごもる。

 用意していた言い訳はいくつもあったはずなのに、オズボーンを前にするとそれらの言葉は忘れてしまったかのように口にできない。

 

「わ……わたしは……わたしは……」

 

 オズボーンはじっとアルティナの言葉を待つ。

 その力強い眼差しにアルティナは何度も唾を飲み、そして絞り出すように――言った。

 

「わたしはもう…………リィンの善意を裏切りたくない…………です……」

 

「…………そうか……ならば許可しよう」

 

 アルティナの訴えにオズボーンはあっさりと頷いた。

 

「え…………?」

 

「しかし情報局をやめるとしてもこのまま第Ⅱを卒業するまでは支援しよう……

 だが、それでは彼の信用を損なうだろうから、私が情報局を君がやめたと一筆書こうではないか」

 

 戸惑い茫然と立ち尽くすアルティナに対して、オズボーンは机の中から白紙の書状を取り出すと淀みなくペンを走らせる。

 

「おめでとうアルティナ・オライオン君。君はもう《帝国》から自由の身だ」

 

 そしてオズボーンは立ち上がってアルティナに書いたばかりの書状を差し出した。

 

『アルティナ・オライオンを帝国情報局から解任する』

 

 そう書かれ、ギリアス・オズボーンのサインがされた書状を受け取ったアルティナはやはり茫然としたままだった。

 

「こんなに……あっさりと……」

 

「詳しい退職の条件は後で詰めるとして……ティルフィングの解析任務も御苦労だった」

 

「………………え……?」

 

 覚えのない任務の労いにアルティナは顔を上げてオズボーンを見上げた。

 

「君が提出してくれたデータのおかげでティルフィングは解析され、《黒のティルフィング》は完成した。本当に御苦労だった」

 

「ティルフィングの解析……? わたしは……わたしはそんな任務知りません……データだって送信したことはありません」

 

「ああ、君には知らせていなかった任務だ……

 これはむしろ《クラウ=ソラス》に課せられていた任務と言えるだろうな」

 

「《クラウ=ソラス》!?」

 

 オズボーンの口から出てきた名前にアルティナが振り返るとともに、《黒の戦術殻》がその場に現れる。

 だが、《クラウ=ソラス》もまた心当たりはないと言わんばかりに体を横に振って否定の意思を示す。

 

「《クラウ=ソラス》――戦術殻が見聞きした情報は全て工房へと送信されている……

 例外はシオンとイソラの二名の戦術殻。彼女たちのそれは地精と魔女がそれぞれに対処しているが、それは今は良いとしよう……

 そして、君の本当の第一任務はリィン・シュバルツァーの監視などではなかったのだよ」

 

「リィンの監視が任務じゃない……?」

 

「君の本当の任務は《ティルフィング》の剣となり戦術リンクを結ぶことで、そのブラックボックスを解析し……

 その情報を《工房》に伝えることだ」

 

「…………《クラウ=ソラス》が……わたしが……ティルフィングの情報を……漏洩させていた……?」

 

 足元が揺れる。

 体が震える。

 アルティナは受け取ったばかりの書状を落としたことにも気付かず、立ち尽くし――気付く。

 

「《クラウ=ソラス》が見聞きしたもの全て……それではまさかあの“リィン”の正体も――!?」

 

「ああ、既に私たちはそれを把握している」

 

 事も無げにあっさりと肯定されてアルティナは言葉を失う。

 

「俺はクレアに教えてもらったが、オッサンはいつから“リィン”の正体に気付いていたんだよ?」

 

 今にも倒れそうなアルティナを見かねて静観していたレクターが口を挟む。

 

「無論、最初からだ。黒騎士がトールズ第Ⅱに彼が入学した時点でその正体は見極めていたのだよ」

 

「…………っ」

 

 オズボーンの言葉にアルティナはその場にへたり込む。

 

「では…………わたしの任務は……わたしがすべきことは……」

 

「君が気にする必要ない……

 むしろ君の解任で“リィン”の警戒心が薄れるのなら僥倖とも言えるだろう……

 是非とも《ゾア・ギルスティン》に《クラウ=ソラス》を振らせてやると良い。さすればティルフィングと同様に《ゾア・ギルスティン》の解析もこれで進むだろう」

 

「あ……」

 

 《クラウ=ソラス》を見上げてアルティナは言葉を失う。

 自分が生まれた時から共にいて、手足同然の半身だったはずであり、大切な相棒だったはずなのに。

 今は何よりも深い絆で繋がっているはずの戦術殻が得体の知れない“何か”に見えてならない。

 

「《クラウ=ソラス》が……わたしが……ティルフィングの情報を横流ししていた……

 わたしが……これから《ゾア・ギルスティン》の情報を横流しする……?

 わたしが……わたしはリィンを裏切っていた……これからもリィンを裏切る?」

 

 打ちひしがれるアルティナはゆっくりと立ち上がる。

 ふらつく体を《クラウ=ソラス》が支えようとして――

 

「触らないでっ!」

 

 初めて、アルティナは《クラウ=ソラス》の手を振り払って拒絶した。

 そのまま覚束ない足取りでアルティナは歩き出す。

 解任の書状は拾うことなく、踏みつけて、呆然としたまま宰相の執務室を一言も発さずに出て行ってしまうのだった。

 

「…………おっさん……」

 

「…………」

 

 レクターの呼びかけを聞き流し、オズボーンはアルティナが残していった書状を拾う。

 

「次の面会に移るとしよう……レクター、キーア君とその保護者達を呼びたまえ」

 

 いつもの調子で指示を出すオズボーンにレクターは肩を竦めて、その命に従うのだった。

 

 

 

 

 

「わたしが……」

 

 アルティナはバルフレイム宮の中を当てもなくさまよい歩く。

 その足取りはおぼつかず、今にも倒れそうだった。

 

「わたしは……」

 

 《クラウ=ソラス》は付かず離れずの距離を保ちながら、アルティナの後に続く。

 

「わたしのせいで……」

 

 すれ違う者たちの忌避の視線など、アルティナは一切意識せず、知らされた真実がアルティナの中で何度も繰り返される。

 

 ――ティルフィングの解析任務、御苦労――

 

 ――君のおかげで《黒のティルフィング》は完成した――

 

 ――《ゾア・ギルスティン》の解析もこれで進むだろう――

 

 ――アルティナの“太刀”もあるならこれほど心強いものはない……

 

「一番リィンを裏切っていたのは…………わたしだった……」

 

 その事実がアルティナの胸を締め付ける。

 

「わたしなんて……」

 

 ふと視線を横にずらせば、アルティナの視界には帝都を一望できる絶景が広がっていた。

 オズボーン宰相の執務室はバルフレイム宮の高い階層に位置している。

 だからこそ、そこから見渡せる景色は壮観だったが、今のアルティナの心の澱みを晴らすことはなかった。

 むしろその光景に“魔”が差した。

 

「わたしなんて……いなくなった方が良かったんだ」

 

 柵によじ登ってアルティナは帝都を改めて見下ろす。

 背後で《クラウ=ソラス》が狼狽えるような音を立てるがアルティナは無視する。

 そして、虚空に向かって足を踏み出して――

 

「つーかーまーえーたーっ!」

 

 堕ちようとしたアルティナを抱きかかえるように――アネラスが引き戻して、そのまま抱きしめた。

 

「ああっ! ついにアルティナちゃんをこの手に抱きしめる事に成功したよ!」

 

「…………」

 

 アネラスはアルティナを抱きしめたまま躍るようにくるくる回る。

 

「このちいさいからだ……さらさらの髪……ぷにぷにの頬……うーん、やっぱりかわいいは正義っ!」

 

 抱きしめ、髪を撫で、頬ずりしてアルティナを堪能するアネラスは力強く言い切る。

 

「…………アネラス・エルフィードさん……どうしてあなたがここに?」

 

 されるがままにされながらアルティナは無表情に尋ねる。

 

「ふふふ……簡単なことだよアルティナちゃん」

 

 得意げに笑ってアネラスは答える。

 

「それは私が遊撃士だから!」

 

「…………そうですか……」

 

 答えになってない答えにアルティナは興味なさげに頷いて、それ以上の追及はやめる。

 

 ――そういえばランディ教官の招集に合わせてキーアも呼ばれていたらしいですね……

 

 キーアの監視役としてアネラスがここにいてもおかしくはない。

 そう納得してアルティナは一つため息を吐く。

 

「それではわたしは失礼します」

 

 衝動的な自虐はアネラスのおかげでだいぶ薄れはしたものの、アルティナの中には大きすぎる罪悪感が蠢いている。

 

「ちょっと待ってね。アルティナちゃん」

 

 しかし踵を返したアルティナの右手をアネラスが掴んだ。

 

「…………放してください」

 

「うーん、今のアルティナちゃんを放置することはできないなあ……そうだな……」

 

「アーちゃんが泣いてる気配がしたっ!」

 

 アネラスが言葉に迷っていると、その場に皇宮の廊下だということも構わず全力疾走してきたミリアムが現れる。

 

「泣いていません」

 

 ミリアムの言葉にアルティナは反射的に反論する。

 

「ミリアムちゃん、ナイスタイミングだよ……

 あのねオリビエさん……オリヴァルト皇子の執務室に案内してくれないかな?」

 

「オリヴァルト皇子の? うん、分かったっ!」

 

 ミリアムはアルティナのもう一方の手を掴んで歩き出す。

 

「ちょっと待ってください二人とも……わたしは……わたしは……」

 

「ボクらの前には、楽園が、待っている~♪」

 

 アルティナの拒絶を無視してミリアムは楽し気に歌いながら歩く。 

 

「さぁ、手をとって波打ち際に走り出そう~♪」

 

 アネラスもまたミリアムに続いて歌い始める。

 

「二人とも……ここは皇宮なのですが……」

 

 抵抗は空しく、オリヴァルトの執務室へとアルティナは連行されるのだった。

 

 

 

 

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