閃の軌跡Ⅲ ―偽りの仮面―   作:アルカンシェル

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88話 魔女のかくれんぼ

 

「はあ……」

 

 エマ・ミルスティンはトールズ第Ⅱ士官学院の職員室で宛がわれた机の上で重いため息を吐いた。

 本校と同じように養護教諭として在籍することとなったエマに今の所、大きな仕事はない。

 セドリックに任された短期留学の生徒たちのリストの作成や機甲兵の搬入の手続きの書類など、雑事も終わってしまいすっかり手持ち無沙汰になってしまった。

 気付けばエマは仕切りに時計へと目を泳がせて、午前のカリキュラムが終わりが近付いていることに戦々恐々していた。

 

「大丈夫? エマちゃん?」

 

「トワ会長……いえトワ教官……」

 

 声を掛け、差し出されたコーヒーをエマは受け取る。

 

「やっぱりイソラちゃんはエマちゃん……ううん、エマ先生の関係者なんだね」

 

「ええ……はい……」

 

 トワの言葉にエマは複雑な気持ちで頷く。

 朝礼の時、以前の交流会ではいなかったはずのイソラの姿を見掛けて、トワに確認を取ったところでエマは彼女がかつてすれ違ったイソラであることを確信した。

 顔を見たのはエマが一年生の頃のラマール州での特別実習の時。

 内戦の時にはバルフレイム宮にいた事は認知していたが、そこでエマが会う事はなかった。

 詳しい説明などなく、ヴィータに一方的に始末を付けたとだけ知らされた彼女の顛末。

 それが実際は生きていたと事実にエマはヴィータを改めて問いただすと決意する。

 しかし、今の問題はどんな顔をしてイソラと対面するかエマは悩んでいた。

 

「聞いていい? エマ先生とイソラちゃんはどういう関係なの」

 

「私とかあ――イソラさんの関係は………親子……なのかもしれません」

 

「親子っ!?」

 

 エマの答えにトワは驚き、指を折って何かを数え始める。

 

「とは言え、もう随分前に生き別れたので……

 あの子が本当に私の知っているイソラ・ミルスティンかどうかは分かりませんが」

 

 だからこそ、それを確かめることに二の足を踏んでしまう。

 

「イソラちゃんの年齢は12歳くらいだから……エマちゃんが……

 ううん……ロ、ローゼリアさんみたいな事もあるし……エマちゃ――エマさんってもしかして……」

 

 トワはある可能性に思い至り戦慄する。

 

「はあ……どうしよう……」

 

 しかしエマは目の前のトワの目に気付く余裕はなく、頭を抱える。

 そんな光景にセリーヌはため息を吐いた。

 

「いつまでそうしてるのよ」

 

「セリーヌ……」

 

「あの子がヴィータと繋がっている事もそうだけど、地精とも繋がっているかもしれないのよ……

 授業が終わったら、さっさと――」

 

 セリーヌの言葉の途中で、校舎に鐘が鳴り響く。

 それは授業が終わった合図。

 普段ならばそこから昼休みを挟み午後の授業になるのだが、特別日程となっているため生徒たちは半自由行動となる。

 イソラに会いに行くには絶好の機会。

 

「ほら、さっさと行きなさい」

 

「セリーヌ……でも……」

 

 泣き言を言うエマにセリーヌはため息を吐く。

 

「一人が嫌ならキリシャと一緒に行きなさいよ」

 

「にゃあ!」

 

 セリーヌに促されて白い猫が机に突っ伏すエマの顔にすり寄って来る。

 

「セリーヌは一緒に来てくれないんですか?」

 

「あたしが行ったら、あたしに話を任せるでしょ? それで良いの?」

 

「う……」

 

 セリーヌの指摘にエマは呻く。

 決して口が上手くない自覚があるだけに、セリーヌの指摘を否定することはできない。

 

「ロゼへの報告だってしないといけないんだから腹をくくりなさい」

 

「うう……分かりました」

 

 エマはキリシャを抱きかかえて席を立つ。

 

「たしか最後の授業はみっしぃ教官が大教室だったはず……」

 

 エマは時間割を思い出しながら廊下に出ると、出遅れてしまったのか既に生徒たちは溢れていた。

 

「あーもう、マジかよ~!?」

 

 連絡事項を張り出す掲示板の前で誰かが嘆く声をエマの耳に届く。

 

「ふむ、いいじゃないか!」

 

「ま、こんなモンかね」

 

「やっぱ文系がネックやなぁ……」

 

 嘆く者もいれば、納得している者、悔しがる者もいる。

 

「ああ……テストの返却があったんですね」

 

 養護教諭とはいえ、エマも試験監督という名目で学生たちのテストに関わった。

 二年前は生徒たちと同じようにテストの結果に一喜一憂していた頃を懐かしみながら、生徒たちの中に目的の少女の姿をエマは探す。

 

「う、うん、頑張った、あたし!」

 

「くっ、ちょうど平均とは……」

 

「よかったぁ~……」

 

「ユウナに……負けた……俺がⅦ組最下位……?」

 

「ちょっとそれはどういう意味よ!」

 

 エマは生徒たちの中で嘆くリィンとそれに文句を言っているユウナを見つける。

 

「リィンさんはテスト前にいろいろありましたから仕方ない結果ではないでしょうか?」

 

 アルティナが項垂れるリィンのフォローをする。

 

「ククク、それよりもお前ら、俺に言う事があるんじゃねえか?」

 

「まさかクロウがアッシュを押さえて19位とはな」

 

「ちっ……」

 

「クロウ先輩がここまでできるとは予想外でした」

 

「はははっ! 言ったはずだぜ。俺はお前たちよりも三年先にいるってな!」

 

 気持ちが良さそうにテスト結果を自慢するクロウにエマは少し呆れながら、声を掛ける。

 

「クロウさん、ちょっとよろしいですか?」

 

「お? 委員長……じゃねえ、エマ先生じゃねえか、どうした?」

 

「実はイソラ……さんとお話がしたいんですけど……」

 

 エマは周囲を見回してもそこにはイソラはいなかった。

 

「イソラか……授業が終わった後にこいつを残してフラっとどこかに行っちまったぜ」

 

 クロウはポケットから小さなカードを取り出して、エマに差し出す。

 

「これは……?」

 

「エマ先生が来たら渡してくれだってよ」

 

「む……」

 

 行動を先読みされていたことにエマは顔をしかめながら、カードを見るがそこには何も書かれていない。

 

「…………“焔よ”」

 

 エマは指を立てて、指先に焔を灯してカードを炙る。

 

「お、おい!?」

 

 エマの突然の行動にクロウが驚く。

 しかしエマはそれを無視して炙ったカードをじっと凝視して、浮き上がった文字を読み上げる。

 

「お人形がたくさんのおもちゃ箱で待ってます。 ――イソラ・ミルスティン――」

 

 サブクエスト、「エマとイソラのかくれんぼ」が始まった。

 

 

 

 

 

「それでは《ドラッケン》三機、確かに納品しました」

 

「ありがとうございます。クレア少佐」

 

 書類にサインを書いてセドリックはクレアに差し出す。

 

「これで博士たち分の機体の準備は良しっと……

 でもシュミット博士、本当にドラッケンで良かったんですか?

 博士たちになら、《シュピーゲル》を用意したんですが」

 

「構わん」

 

 セドリックの申し出をシュミットは一蹴する。

 

「《シュピーゲル》は上位機種だが、その分遊びが少ない……

 徹底的にいじるなら癖のない《ドラッケン》に限る」

 

「ふん、偉そうに……

 しかし汎用機の方が実力の差が良く分かるというのは同意見じゃな」

 

「二人とも、エレボニアの皇子の前で喧嘩はやめてください」

 

「はは、大丈夫ですよ。ハミルトン博士」

 

 常識的に口を挟むハミルトンにセドリックは慣れた光景だと笑う。

 

「そうは言ってもですね……」

 

「それより先程相談させて頂いた件ですが……」

 

「ああ、帝都の導力ジェネレーターの不調のことか」

 

「はい……

 先の前カイエン公が起こした反乱の際に使用された導力停止現象のせいなのか、出力が以前よりも落ちているそうなんです……

 市井の生活に影響が出るほどではないですが、レースで使用するレールハイロゥを使う場合には予定していたコースを縮小させる事になるかもしれません」

 

「導力停止現象ならばラッセルが適任だな」

 

「何を言うか! 帝都は貴様の縄張りじゃろうが。お前が行くのが筋じゃろうに」

 

「……ハミルトン。帝国のジェネレーターに興味があるだろ?」

 

「それはもちろんありますけど、流石に重要施設に私が入るのはまずいでしょう? ハーキュリーズの件もありますし」

 

「くっ……」

 

 面倒だとシュミットは顔をしかめる。

 

「まあいい。それは明日行くとして、貴様ら今日の深夜時間はあるな?」

 

「む? 何じゃ藪から棒に」

 

「深夜と言われても、貴方達と違って徹夜が厳しい年齢なのだけど、それにカトルもいるし」

 

「良いから来い……

 セドリック皇子に来てもらう」

 

「僕は構いませんが、重要な話ですか?」

 

「ああ、私の独断で信用できる者たちだけに話しておくことがある」

 

「シュミットの独断とはな……いったいワシらの他に誰を呼ぶつもりじゃ?」

 

「シュバルツァー、オライオン、バニングス、アームブラスト」

 

 まず上がった四つの名前。

 そこにセドリックは驚かない。

 四つの名前は騎神に関わる者、自分が呼ばれたなら当然彼らも呼ばれるだろう。

 

「それからラッセル……いやティータ・ラッセル……

 あとはそちらの方でシュバルツとハーリングの二人にも声を掛けておけ」

 

「あれ? ジョルジュ先輩は良いんですか?」

 

「ああ、奴は必要ない」

 

 セドリックの問いにシュミットはあっさりとした答えを返す。

 

「…………はあ……分かったわ」

 

 それ以上の説明をしようとしないシュミットにハミルトンがため息を吐いて折れた。

 

「貴方は本当に昔から変わらないわね。秘密の会合については分かったわ……

 詳しい場所と時間はあとで導力メールで送って――」

 

「その必要はない」

 

 シュミットがそう言うと白衣のポケットから封がされた手紙をセドリック達に差し出した。

 

「用意が良いではないか」

 

「これは余程、重要な案件と言う事なんですね」

 

 セドリックは手紙を受け取りながら、まだその場に控えていたクレアに視線を向ける。

 

「私は何も聞いていません。それでは職務に戻りますので、失礼します」

 

「お疲れさまでしたクレア少佐」

 

 聞かなかった事にしてくれたクレアを見送り、入れ替わるように白い猫を抱えたエマが機甲兵格納庫に入って来た。

 

「おや、どうしたんですかエマ先生?」

 

「セドリック皇子……あの、こちらでイソラ……さんを見掛けませんでしたか?」

 

「イソラ……ええ、さっきまでいましたよ……

 エマ先生が来たらこれを渡してくれと頼まれたけど……え……エマ先生、なんだか怖いんですけど?」

 

 セドリックがイソラから受け取ったカードを取り出すと、エマは形容しがたい目でセドリックを――カードを凝視するのだった。

 

 

 

 

「うーん……とりあえず暴発する原因は武装デバイスから逆流する霊力の問題だから……

 供給される霊力を導力に変換した上で消費するために、リアクティブアーマーの出力を限界まで上げて……」

 

「お……おお……」

 

 ユウナの《ドラッケン》の操縦席に座るキーアは調整用のキーボードを取り出して、淀みなくプログラムを組んでいく。

 外の画面からキーアのタイピングを見ていたユウナは流れるように打ち込まれていくキーに感嘆する。

 

「あ、あたしより全然早い」

 

「流石だなキーア」

 

 キーアの能力の高さにクルトは我が事のように喜ぶ。

 

「キーアなら当然だな……

 何と言っても、帝国の士官学院で一位を取るくらいなんだから」

 

 クルトの言葉にロイドも強く頷く。

 

「ロイドさん……」

 

「それは言わないでください」

 

 ロイドの一言にユウナとクルトは項垂れる。

 もっともそれを聞けば、本校と分校の生徒たちはみんな同じような顔をしていただろう。

 

「えっと……何か気に障ることを言ったか?」

 

「いえ……ロイドさんが悪いわけじゃないんですが……」

 

「キーアちゃんが頑張っているのはあたしたちも分かっているんですけど…………小さな女の子にテストで負けたって言うのがちょっとくると言いますか」

 

「はは、何たってキーアは満点で一位だからな……

 士官学院で満点を出せる奴は相当珍しいみたいだぜ。現状に満足していたら、次のテストでも同じ気持ちを味わうことになるから頑張るんだな」

 

 自信を揺るがせているクルトとユウナをランディが笑う。

 

「気楽に言ってくれますね」

 

「やっぱりもっと頑張らないとダメか……

 あたしなんてアルティナにも負けてたし、次のテストでリィンに勝てる気がしないし」

 

 まだ上位一桁に入ったクルトは余裕があるが、平均ラインに近いユウナはため息を吐く。

 もっともトールズはエレボニアの士官学院の中でも上澄みなのだから、ユウナの成績も十分に誇っていいものではある。

 

「ユウナの《ドラッケン》はとりあえずこれで良いかな?

 それじゃあ次はクルトの《シュピーゲル》の調整をするね」

 

 プログラムの入力を終えたキーアはドラッケンの中から降りる。

 

「ああ、頼む。でも急いでいるわけじゃないから少し休憩をしても良いんだぞ」

 

「キーアは全然平気だよ……

 でもこれくらい、リィンに頼めばやってくれたと思うけど?」

 

「それは……そうなんだけど、リィンに頼ったら負けみたいな……ねえ、クルト君?」

 

「まあ、ラマール州から戻って来たばかりのリィンに頼めるような空気ではなかったからな」

 

「リィンが大変だったのは聞いてるけど……」

 

 リィンに纏わる顛末はキーアも聞いている。

 

「俺は機甲兵の操縦のアドバイスはできても流石に中身をいじるのは無理だからなあ」

 

「この場にティオがいてくれたらと思わずにいられないな」

 

 ランディとロイドは機甲兵を話題に肩身を狭くする。

 

「俺もこの機会に機甲兵に乗れるようになっておくべきなのか?」

 

 そう呟くロイドの視線の先にはグラウンドの中央で四機の機甲兵が歩行していた。

 

「お……意外と簡単だな」

 

「ふむ……以前シミュレーションで乗った《ティルフィング》とはだいぶ感覚が違うが、これなら不器用な私でも何とかなりそうだな」

 

「筋が良いですよ。エミリアさん、ユリアさんも」

 

「ええ、これならすぐにでも走行訓練に移行しても良いかもしれませんね」

 

 初めて機甲兵に乗るエミリアとユリアが乗る二機に、リィンとクリスが付き添い教導している。

 博士たちの機体は素体が届いたばかりだが、最低限の操縦感覚を掴むために二人のゲストの訓練は既に始まっている。

 

「…………なあキーア、エミリア中尉に何を言われたんだ?」

 

「ん~どうしたのロイド?」

 

 《シュピーゲル》の上からキーアは振り返ってロイドに聞き返す。

 

「いや、さっきエミリア中尉に何か言われていただろ? その……大丈夫かと思って」

 

「大丈夫だよロイド、エミリアは良い人だから」

 

 ロイドの懸念をキーアは笑い飛ばす。

 

「…………そうか……」

 

 その笑顔に陰りはないのだが、ロイドは気にせずにはいられない。

 ルネやエレインからエミリアの来歴や人柄は聞いたロイドは、エミリアがかつてクロスベル独立戦争の時、キーアに撃墜された過去を持っていることに気が気ではいられなかった。

 

「いや……こういう風に人を疑うのは悪いことなんだが……」

 

 ロイドは思わず唸って自己嫌悪する。

 キーアの保護者を自負しているだけに、キーアへの悪意に敏感になり過ぎてしまう。

 

「ふ……何だったらいっそう今夜飲みに誘ってみるか?」

 

「ランディ!?」

 

「俺もエミリア中尉やユリア准佐については気になってるからな……

 人となりを知るにはメシを食って酒を飲むのが一番だぜ、ロイド」

 

「ランディ、一応俺たちは仕事で来ているんだが」

 

「親交を育むのも仕事の一環だぜ。お前たちもそう思うよな?」

 

 ランディは生徒たちに話を振り――

 

「どう思う? ミレイユさんに報告する?」

 

「いや、まだその時じゃない」

 

「決定的な証拠を掴んでから、捜査の基本だよね」

 

 ユウナ達は顔を突き合わせてランディの提案を吟味していた。

 

「おいおい、一応真面目な提案をしているつもりなんだがな」

 

 ランディは頭を掻いて、生徒たちの自分の評価に嘆く。

 

「あの……すいません」

 

 不意に声が掛けられた。

 一同が声に振り返るとそこには白い猫を頭に乗せたエマがいた。

 

「こちらにイソラさんが来ませんでしたか?」

 

「イソラか……そう言えばさっき来て、ロイドが何か受け取っていたよな?」

 

「ああ、これか……だけどこのカードには何も書かれていないんだけど」

 

 ロイドの言葉にエマは深いため息を吐いた。

 

 

 

 

 

 図書室。

 ミュゼは人気のない奥まった行き止まりで《ARCUS》で通話をしていた。

 

「はい……そうですか……帝都の地下道で《ハーキュリーズ》が……それと各地で確認できた緋黒いプレロマ草も……」

 

 通信先の話し手から提供された情報はその日の朝礼で聞かされた内容を裏付けるものだった。

 

「何と言いますか……叔父様の影響がここに来るとは頭が痛い話ですね」

 

 この一ヶ月の間、帝国入りした《ハーキュリーズ》が帝都に潜入出来ているのはクロワール・ド・カイエンが起こした決起の後始末の穴によるものが大きい。

 帝都全域の導力が一時的に止められた事。

 暗黒竜擬きによる分子停止現象による凍結。

 貴族連合の残党や猟兵崩れも大量に捕縛された事。

 とにかく人手が足りず、そして帝国は健在であることを国内外に示すために夏至祭を中断しないことも共和国に付け入る隙を作っている。

 

「私が干渉できることではないので、オズボーン宰相やオリヴァルト殿下に頑張って頂くしかないでしょう」

 

 ため息を吐いてミュゼは割り切る。

 

「え……? イソラさんの事ですか? ええ、特に問題なく学院に馴染んでいますね……

 今は本校から来たエマ先生とかくれんぼをしていると思います」

 

 通話口の向こうで笑っている気配をミュゼは感じる。

 その気配に釣られるようにミュゼは微笑を浮かべながら毅然とした言葉を作る。

 

「とりあえずリーヴス周辺の警備は鉄道憲兵に任せて問題はないでしょう……

 《ハーキュリーズ》も計画は夏至祭での第Ⅱの特別演習に合わせて動くつもりのようですから」

 

 彼女からもたらされた情報からミュゼはそう結論付ける。

 

「それでは――」

 

『ねえ、ミルディーヌ』

 

 通話を切ろうとした隙に滑り込むように彼女の声がミュゼの耳朶を叩く。

 

『今もまだ、未来は見えているのかしら?』

 

「それでは……失礼します」

 

 聞こえなかった振りをしてミュゼは通話を一方的に切った。

 

「…………」

 

 モノを言わなくなった《ARCUS》をミュゼはじっと見つめて、彼女の問いを頭の中で何度も反芻する。

 

「わたしは…………」

 

「ねえさんの……においがする……」

 

 苦悶に顔を歪めるミュゼに、音もなく忍び寄り耳元で囁かれた呟きがミュゼを震え上がらせた。

 

「きゃあああああああっ!」

 

 悲鳴を上げてミュゼはその場から飛び退いた。

 

「だだだ、誰ですか!?」

 

 《ARCUS》を突き出すように構えてミュゼは叫ぶ。

 幸い図書室の利用者はおらず、彼女の奇行を咎める者はいなかった。

 対峙した誰かはじっと乱れた前髪の奥からミュゼを見つめ――

 

「ああ、ミュゼさんでしたか、驚かせてしまって申し訳ありません」

 

 何事もなかったように、エマはにっこりと笑う。

 

「こちらにイソラさんが来ませんでしたか?」

 

「い……いいえ、知りません」

 

 朗らかな友好的な笑みを向けられているにも関わらずミュゼは《ARCUS》を下ろせなかった。

 

「うーん、おかしいですね。そうなると次のカードはいったい誰が……」

 

 ミュゼに警戒心を向けられながらもエマは独り言を呟き、辺りを見回す。

 

「よく……分かりませんが、まだイソラさんを見つけられていないみたいですね」

 

「…………」

 

 呼吸を整えて、ゆっくりと《ARCUS》を構えた手を下ろしながらミュゼはエマに尋ねる。

 

「ええ……ミュゼさん、図書室でこんなカードを見ませんでしたか?」

 

 疲れた様子でエマは十数枚のカードを見せる。

 

「いえ、見てはいませんが……あら?」

 

 ミュゼは尋ねられるがまま、周囲を見回して……首を傾げた。

 

「どうかしましたか?」

 

「これ……」

 

 エマの疑問に答えるようにミュゼは傍らの本棚を指差した。

 専門書の間に挟まった場違いな丸みを帯びた文字とカラフルな色の文字。

 

「……どうして士官学院の図書室にこんな本が?」

 

 本棚から取り出した幼児向けの絵本にミュゼは首を傾げる。

 ミュゼも図書室の本を全て把握しているわけではないが、それでも成人に近い生徒たちが集う学院でこんな本があるのばおかしく感じる。

 

「ちょっと良いですか……?」

 

 首を傾げるミュゼの手からエマは絵本を取り、中身を改める。

 

「この絵本は…………ありました……」

 

 本の中から今までと同じ無地のカードを見つけ……エマは図書室だということもあり、その場で焔を使う事は見送る。

 

「ありがとうございます、ミュゼさん」

 

「あ……いえ、わたしがした事なんて大したことは……」

 

「それから姉さんによろしくと伝えておいてください」

 

「ひっ――」

 

 エマの短い捨て台詞にミュゼはもう一度か細い悲鳴を上げた。

 

 

 

 

 夕暮れに染まる空の下、エマは校舎の屋上へと出る。

 リーヴスを一望できる景色は、トリスタのトールズとはまた違った風情を感じる。

 しかしエマは景色に見入る余裕などなく、屋上の奥でその景色を眺めている小さな背中に意識の全てが集中していた。

 

「にゃあ……」

 

「うん……大丈夫」

 

 キリシャに促されて、止まっていた歩みを再開する。

 そして背を向けたままの女の子に声が届くところまで近づく。

 

「ここに辿り着いたという事は、すっかり立派な魔女になったみたいね」

 

「あ……」

 

 記憶にある声とは全く違う。

 大人と子供の明確な差。しかしそれでもその声に含まれる何かがエマの郷愁を掻き立てる。

 

「ちょっと意地悪だったかなとも思うけど、ここまでよく頑張ったわね」

 

「…………本当に……お母さんなの……?」

 

 エマの問いかけに女の子――イソラは振り返る。

 

「どう……なのかしら? わたしは魔女としてのイソラ・ミルスティンの頃の記憶はちゃんとあるつもりなんだけど……」

 

 少し自信なさげにイソラは苦笑いを浮かべる。

 

「その絵本は昔、あなたが好きだったものだと思うのだけど」

 

「うん……そうだよ……」

 

 図書室からそのまま持ってきた絵本を抱きしめるようにしながらエマは頷く。

 

「こんな未来はなかったはずなのに……わたしは……ちゃんと覚悟をして“地精”に挑んだのに……」

 

 イソラの言葉が途切れていく。

 本当に会って良いのかと言う迷いは、今この場で全て吹き飛んだ。

 胸に込み上げる衝動のまま、イソラはエマの腰に体当たりするように抱き着いた。

 

「もう一度あなたに会えて、わたしは…………わたしは……」

 

「お……かあ……さん……」

 

 釣られるように言葉を詰まらせながらエマはイソラの小さな体を抱きしめ返す。

 

「エマ、こんなに大きくなって……」

 

「お母さんは……小さくなり過ぎだよ……おばあちゃんじゃあるまいし」

 

「婆様にもちゃんと謝らないといけないわね」

 

「そうだよ……おばあちゃん、お母さんが帰ってこなくてずっと寂しそうにしていたんだから……

 姉さんも里を出て行った時は、お母さんみたいに二度と会えなくなるんじゃないかって……」

 

「ごめんね……エマ……」

 

「お母さんの馬鹿っ! 私はお母さんといられるだけで幸せだったのに!」

 

「ごめんなさい……」

 

「姉さんもこんな大事な事、何で話してくれなかったの!」

 

「ヴィータをあまり責めないで上げて、この二年わたしに科せられた“地精の楔”を解くのにすっごく頑張ってくれていたんだから」

 

「それでも……私はちゃんと相談して欲しかったの……」

 

「うん、そうだね……」

 

 いつの間にかエマはその場に膝を着き、小さなイソラの胸に顔をうずめていた。

 イソラはそんなエマの髪を優しく撫で、その感触に二人は泣きそうになる。

 

「お母さん……」

 

「なあにエマ?」

 

「今日はお母さんの料理が食べたい」

 

「あらあら……」

 

 甘えたエマのお願いにイソラは顔をほころばせる。

 

「良いわね……でもまだこの体に慣れ切ってないから、エマも手伝ってくれないかしら?」

 

「うん……」

 

 エマはイソラの体から顔を放し、名残惜しさを感じながらもイソラにその言葉を送る。

 

「お母さん、おかえりなさい」

 

「…………ただいま、エマ」

 

 






余談ではありますが、この後誤解が解かれるまでエマ(母)、イソラ(娘)だと学院の認識されることとなります



今回のように次の特別演習の週末までは少し細かくイベントを起こそうと考えています。
さっさとメインシナリオを進めて欲しいという意見があれば、そちらを優先してもいいですけど。

予定イベント
1シュミット教室
2セドリックと帝都でレース会場の試運転
3ユウナ企画の親睦会
4七と一の晩餐会+超帝国人の秘密
5前哨戦サラ&クレアVSハーキュリーズ

漠然と考えているだけなので、必ず行うイベントではありませんがこんな話を予定しています

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