閃の軌跡Ⅲ ―偽りの仮面―   作:アルカンシェル

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92話 試走

 

 

 

 7月11日、午後――

 

 帝都ヘイムダルのドライケルス広場には人だかりができていた。

 

「随分と人が集まっていますね」

 

 周囲を見回しながらリィンは呟く。

 それにセドリックは頷く。

 

「今日、夏至祭レースの試走をすると告知はしていますからね」

 

 用意された組み立て式の椅子に座り、周囲で忙しなく動くスタッフを横目にくつろいだ様子のセドリックにリィンは居たたまれなくなる。

 

「俺も何か手伝った方が良いんじゃないですか?」

 

「その必要はないですよ」

 

 席を立とうとするリィンにセドリックは必要ないと告げる。

 

「作業はスタッフに全部伝えています……

 僕たちが今する仕事は彼らの仕事ぶりを高みの見物することと帝都市民のご機嫌取りです……

 むしろ彼らの仕事を取らないで上げてください」

 

「そう……言われても……」

 

 街側から感じる膨大な量の視線。

 セドリック達の姿、それに傍らに佇む《緋の騎神》を一目見ようと集まった群衆たちが憲兵隊が張った規制線の向こうで数えきれない程に集まっている。

 根が庶民に近い、リィンはその光景に慣れない。

 

「そんな緊張しなくても大丈夫ですよ……

 何だったら手を振って上げたら、喜んでもらえるかもしれないですよ?」

 

「勘弁してください」

 

 肩を竦めるリィンをセドリックは笑う。

 

「殿下、リィンを連れて来た理由は分かりますが、どうして僕まで?」

 

「その説明が必要かいクルト?」

 

 用意された席に座らず、立ったままでいたクルトにセドリックは首を傾げる。

 

「僕は……ヴァンダールは皇族の守護役を解任された立場です……

 なのに公式の場に僕を連れて来られると……」

 

「僕は君をヴァンダールとして指名して連れて来たわけじゃないよ……

 第Ⅱの生徒として、機甲兵を操る生徒代表として君を連れてきているんだ」

 

「それは別に僕でなくても……」

 

「そんな事を言わなくても……二人とも、僕が声を掛けてないのについてきたアルティナを見習ったらどうだい?」

 

「…………何か?」

 

 周囲の視線を気にも留めず、セドリックと同じように寛いでさえいたアルティナはリィンとクルトを振り返る。

 

「……何でもない」

 

「ああ、これからの予定でも確認しよう」

 

 リィンとクルトは開き直れず、導力端末で予定を確認する。

 

「バルフレイム宮の前のアノール運河に全長60セルジュ(6㎞)のレールハイロゥの道を作るんだったな?」

 

「そもそもレールハイロゥっていったい何なんだ?」

 

 聞き慣れない言葉にクルトが疑問を上げる。

 

「レールハイロゥはリベル……リベールの浮遊都市に使われていた古代技術の一つだ」

 

「浮遊都市の残骸をリベールが回収して帝国と一緒に解析していたんだよ……

 再現できた一部は《カレイジャス》の騎神用カタパルトシステムとして運用しているけど、もっと普及できないかってテストするのもレースの目的の一つだよ」

 

「簡単に考えれば、足元に《アースガード》のような障壁を作って、その上に乗せたものを別の導力魔法で移動させる技術だと考えればいい」

 

「なるほど……」

 

 リィンとセドリックの説明にクルトは趣旨は理解できたと頷く。

 

「僕は《シュピーゲル》でそのレールハイロゥの上を走れば良いのか?」

 

「そんなところだね……ああ、別にクルトだけに走れとは言わないよ」

 

「セドリック殿下、それは……」

 

「実はユーシス達にも声を掛けていてね……

 カイエン公の内乱もあって、帝都市民の地方都市への印象はあまり良くないものになっている」

 

 セドリックは困ったようにため息を吐き、続ける。

 

「その印象改善のために、ユーシス、アンゼリカ、パトリックの三人に今回の試走に参加して帝都市民と交流をしないかと打診して……」

 

 そこまで説明したところで唐突にセドリックの《ARCUS》が着信を知らせる音を上げた。

 

「帝都に着いたのかな?」

 

 セドリックは《ARCUS》の通信を開く。すると――

 

『やっほー! 久しぶりセドリック』

 

 ユーシスでもアンゼリカでも、パトリックでもない女の声が《ARCUS》から発せられた。

 

「この声は……」

 

「まさか……」

 

 聞こえて来た声に覚えのあるリィンとクルトは顔をしかめ、セドリックは苦笑しながら応える。

 

「久しぶりだね、シャーリィ。何の用だい?」

 

『それなんだけどさ、近くにいるから直接話さない?』

 

 その言葉に三人が周囲を――人だかりに目を凝らせば紅い髪に女がそこにいた。

 

「やれやれ……そこの君、悪いけど彼女を連れてきてもらえるかな?」

 

 警備の憲兵にセドリックは指示を出す。

 

「殿下、彼女は《結社》の執行者……」

 

「分かってるよ。でも話したいと言うなら、彼女がここで暴れたりはしないよ」

 

 クルトが苦言を呈するが、セドリックは心配ないと彼と、躊躇する憲兵たちに笑いかける。

 程なくして、憲兵の身体検査を大人しく受けたシャーリィ・オルランドはセドリック達の下にやってくる。

 

「あれ? リィンとアルティナも一緒にいたんだ」

 

 二人の姿にシャーリィは当てが外れたように小さく驚く。

 

「それが何か?」

 

「いや、別に……こっちの話……で、セドリック」

 

 睨んでくるアルティナにシャーリィは意味深な笑みを返して、セドリックに向き直る。

 

「はい、何ですか?」

 

「ちょっとトールズ士官学院に復学させてよ」

 

「は……?」

 

「はあ……」

 

 突然のシャーリィのお願いにリィンは驚き、アルティナはため息を吐く。

 

「君はサザーランド州とラマール州で何をしたのか忘れたのか!?」

 

「あはは、ちょっと先輩として後輩をかわいがっただけじゃん」

 

 激昂するクルトをシャーリィは笑って受け流す。

 

「全く君は相変わらずだね……」

 

 そんな姿にセドリックは呆れる。

 

「もちろん、タダで復学したいなんて言わないないし……

 皇子とシュミット博士に言伝を預かって来てるよ」

 

 シャーリィは手紙を取り出すと、セドリックに差し出す。

 

「二枚目は博士がいろいろ書きまくってたから読まなくて良いよ。一枚目で《教授》がだいたい翻訳してくれたから」

 

「ふむ……」

 

 セドリックは手紙を開き、中を改める。

 

「これはつまり……《結社》からの挑戦状かな?」

 

「…………殿下、何と書かれているんですか?」

 

 クルトが訝しみ、セドリックは彼に手紙を渡す。

 

「…………『《結社》の技術力はゼムリア一』……なんだこれは?」

 

「要するに、レース大会のエクストラステージに《結社》も参加したいってことで良いのかな?」

 

「うん、だいたいそんな感じ」

 

 セドリックの翻訳にシャーリィは笑って肯定する。

 

「なっ……」

 

「《身喰らう蛇》……世界的犯罪組織がこんなお祭りに参加したいと……理解不能です」

 

「うちの《博士》がエプスタイン博士の三高弟をこき下ろすチャンスだ―って感じで盛り上がっててさ……

 あの調子だと、当日に乱入しそうだから事前に話を通した方が良いんじゃないか感じ?」

 

「それはまた……執行者も自由だけど、《使徒》も大概自由というか……」

 

 《博士》とやらにセドリックは直接の面識はないものの、これまで遭遇してきた《身喰らう蛇》のメンバーを考えるとあり得ないと言い切れなかった。

 

「それに……《結社》もここで外から余計な茶々を入れて欲しくないみたいだよ」

 

 シャーリィはセドリックにだけ聞こえるように耳打ちをする。

 

「それは……《結社》も“あの話”を把握しているという事かな?」

 

「そう言う事……

 あと《結社》とは関係ないけどリィンとアルティナに会いたいって子がいるんだよね」

 

「《結社》とは別に……?」

 

 シャーリィの言葉にセドリックは首を傾げる。

 シャーリィのコネを考えれば“猟兵”がまず思いつくが、わざわざ手間を掛けて二人に会おうとする人物が思いつかない。

 

「それはいったい誰の事だい?」

 

「それは会ってからのお楽しみ……で、どう?」

 

 セドリックから体を離してシャーリィは答えを求める。

 

「………………はあ……分かりました。セドリック皇子としてシャーリィ・オルランド、君のトールズ本校への復学を許可します」

 

「殿下っ!?」

 

「さっすが、話が分かる」

 

「殿下、考え直してください! 彼女は《結社》の執行者、良からぬことを考えているに決まってます」

 

「そうだとしても、背後から撃つような面白くも、美しくもない事をするような人じゃないよ……

 《人喰い虎》が自分から檻の中に入って来たんだ、ならば様子見をしても良いんじゃないかな?」

 

「だ、だからって――」

 

「随分と懐かしい顔がいるな」

 

「なっ……シャーリィ・オルランドッ!?」

 

「おやおや、オルディスではすれ違ってしまったが久しぶりだね」

 

 食い下がろうとするクルトの言葉は、新たな声たちによって遮られた。

 

「ユーシス、パトリック先輩、それにアンゼリカさん。よく来てくれました」

 

 セドリックは振り返り、三人の到着を歓迎する。

 

「あ、あのク……セドリック殿下……パトリック先輩と呼ぶのは……」

 

「はは、何を言っているんですかパトリック先輩?

 先輩は今年度末まで僕の先輩としトールズ士官学院にいた、れっきとした僕の先輩じゃないですか」

 

「……そうですけど……そうだけど……くっ……」

 

 パトリックは頭を抱えてため息を吐く。

 

「セドリック殿下、準備ができました」

 

 そこで運営スタッフの一人が作業の完了を知らせにやってくる。

 

「ちょうどいいタイミングだったね」

 

「待ってください殿下、シャーリィ・オルランドについてまだ――!」

 

「その話は後で聞くけど、もう決定は覆すつもりはないよ」

 

 クルトの言葉にそう返すとセドリックはスタッフに先導されて行ってしまう。

 

「…………あはは、よろしくねリィン。それとアルティナ」

 

 サザーランドやラマールで戦ったことなど忘れたように気安く話し掛けて来るシャーリィにリィンはため息を吐く。

 

「まさか、復学って第Ⅱの方に来るつもりなのか?」

 

「皆さんが何を言うか……特にミハイル教官とランディ教官が……」

 

「そうだな……」

 

 リィンは帰った時の事を考えると、頭が痛くなってくる。

 そうしている内にセドリックがドライケルス広場の設置された壇上に一人上がる。

 

「御集りの皆さん、御機嫌よう……セドリック・ライゼ・アルノールです」

 

 まずは集まった民衆へと挨拶の口上を述べる。

 

「本日は僕の我儘で始めた夏至祭の催し、その試験でお騒がせしてしまっている事をお詫びします」

 

 まずは謝罪から始まり、セドリックはそのまま演説する。

 時世の挨拶から始まり、夏至祭への意気込みを語る。

 堂々とした振る舞いに市民たちはセドリックの言葉に聞き入る。

 とはいえ、今回はあくまでも夏至祭まえの試験。

 長々とした演説は切り上げてセドリックは本題に入る。

 

「それではご覧ください……

 これがリベールとエレボニアが共同で研究している技術の一端になります」

 

 セドリックが壇上に用意されたスイッチを押せば、傍らのオーブメントが駆動を始める。

 それと連動して運河の各所に配置されたオーブメントも連動し、設置された導力モニターは上空から映された運河に金の線が描かれていく。

 

「おお……」

 

 金色の線はドライケルス広場の上空に至り、セドリックの背後で繋がる。

 空中にできた空間の足場。

 導力魔法について詳しくなくても、見せつけられる目新しい技術に市民たちは感嘆の声をもらす。

 

「テスタ=ロッサ」

 

 セドリックが傍らに控えていた《緋》を呼び、民衆が見守る中で騎神に乗り込む。

 《緋》は静かに飛び立ち、生み出された金の足場に立つ。

 

「おおおっ!」

 

 物理的な固定のない足場に《緋》が立つ。

 明確な効果に民衆が良い反応を示す。

 その結果にセドリックは満足しながら――

 

「グラティカ」

 

 《緋》の手に巨大な大槌が顕現する。

 

「少し、大きな音を出します」

 

 警告を伝えて、《緋》は大槌を振り被り――足元の金の足場に叩きつけた。

 大きな打撃音と衝撃がドライケルス広場に響き渡り、展開された金の《レールハイロゥ》に亀裂が走る。

 

「――とまあ、まだ完全な実用性には至っていません」

 

 《緋》は亀裂が走った足場の上で肩を竦めて見せる。

 セドリックのその言葉をどう受け止めれば良いのか、民衆たちの中に困惑の空気が流れる。

 それを読み取りながら、セドリックは声を掛けた。

 

「リィン君……」

 

 その声に民衆たちの視線がリィンに集まる。

 リィンはため息を吐きたくなるのを堪えてスタッフに目配せをすると、広場の一角にあった導力トラックのコンテナが開く。

 

「あれは……」

 

「《零の騎神》……」

 

 現れた《白》の機体に民衆が色めき立つ。

 その姿は帝都の民衆にとってはまだ記憶に新しく、前カイエン公を打倒した騎神の登場に沸き立つ。

 

「リィン……」

 

「大丈夫だ」

 

 アルティナに短い言葉を返して、リィンは《零》に乗り込む。

 

「機嫌が良いといいんだけどな……」

 

 一抹の不安を抱えながら、リィンは湖岸に設置されたオーブメントに《零》の手で触れる。

 

「レールハイロゥと《零》を接続……

 各地の中継地点を把握、リンクネットワーク再構築……レールハイロゥの術式を修正……」

 

 オーブメントに《零》を同調させながら、リィンは調節を加えていく。

 更に《零》とオーブメントを同調させて機能を底上げする。

 

「ほう……なるほど……」

 

 外部から書き換えられていくプログラムに観察していたシュミットに感嘆をもらす。

 

「まあ……こんなところか……」

 

 やり過ぎないように注意をしながら、リィンは《零》の霊力を導力に変換して――

 

「ん……? …………まあいいか」

 

 外部からの戦術リンクの申請を感じ取ったリィンはそのまま許可を出す。

 

「戦術リンク、《オーリ・オール》……レールハイロゥ完全駆動」

 

 金色の道は《緋》が傷付けた亀裂を修復しながら、色を濃く金色の道へと変貌していく。

 

「わあ……」

 

「綺麗……」

 

 純粋な金耀の輝きに民衆たちの目を奪われ、黄金の道は造り直される。

 

「…………グラティカ」

 

 《緋》はもう一度、巨槌を振り被り――黄金の道を打撃する。

 

「っ――」

 

 打ち込んだはずの巨槌が砕け散る。

 

「見事です。リィン君」

 

 道の強度の証明を果たしてセドリックが褒める。

 しかしリィンは見下ろす《緋》から顔を逸らすように俯いて一言呟いた。

 

「やり過ぎだ」

 

 

 

 

 

「それじゃあ、まずはクルトとユーシスで一周してきてもらおうかな」

 

「了解しました。完璧な走りをお見せしましょう」

 

「そう肩肘を張るなヴァンダール」

 

 セドリックの指示に意気込むクルトをユーシスが窘めながら、それぞれ《シュピーゲル》と《紅のティルフィング》に乗り込む。

 二機はドライケルス広場から黄金の道に乗ると、用意した旗を掲げて走り出す。

 

「うん……映像も良好だな」

 

 二機の《目》とリンクした導力モニターが映し出す映像にセドリックは満足する。

 

「これで……あとは待つだけか……」

 

 《零》の中で一仕事終わったとリィンは息を吐く。

 

「お疲れ様ですリィン君。レールハイロゥの展開はあとどれくらい持ちますか?」

 

「戦闘行動をしなければ五時間程度でしょうか?」

 

 セドリックの疑問にリィンは消費霊力から計算して答える。

 

「五時間……分かりました。降りても大丈夫なら、リィン君は自由にして良いですよ……

 僕たちと一緒に民衆との交流会でもやりますか?」

 

「俺は遠慮しておきます」

 

 リィンは集まった帝都民に笑顔を振りまいているアンゼリカとパトリックを一瞥してセドリックの提案を断る。

 

「そうですか……無理だけはしないでくださいね」

 

 そう言ってセドリックもアンゼリカたちと同様に帝都民への交流を始める。

 

「…………皇族も貴族も大変だな」

 

 リィンはそんな彼らの姿にため息を吐く。

 

「…………あれ……?」

 

 ぞくりとリィンは何かを感じる。

 

「……どうしたんだ、ギルスティン?」

 

 呼び掛けても明確な答えはない。

 代わりに同調して感じるギルスティンの感情が伝わってくる。

 

「これは怯えている……ギルスティンが?」

 

 《零》ほどの存在が怯える何か。

 リィンは気になり、《零》の感覚の感度を上げる。

 帝都の霊脈を解析し、帝都地下道から戦闘反応を感知する。

 

「戦闘? 帝都の地下で? いったい誰が……」

 

 リィンは更に集中して《零》が怯える何かを探して――

 

「リィン」

 

 その声にリィンは震え上がった。

 

「こ、この声は……」

 

 《零》のすぐ傍から聞こえて来た声にリィンと《零》は震える。

 

「リィン……そこにいるんでしょ?」

 

 呼び声に《零》はゆっくりと振り返る。

 そこには――

 

「エリゼ……姉さん……」

 

 真っ直ぐな黒くて美しい髪の少女、リィンの義姉のエリゼ・シュバルツァーが綺麗な笑顔で佇んでいた。

 

 

 

 

「さて……」

 

 リィンは石畳みの上でエリゼの前に正座する。

 ラマール州の特別演習が終わってから、アルフィン殿下やミュゼとの婚約話以降、何度か導力メールや導力通信でやり取りはしていた。

 その都度、自分は大丈夫、と言い続けて直接顔を合わせることは避けてきたのだが、ついにエリゼの方が強引にリィンに会いに来た。

 

「…………あの……その……」

 

 改めて顔を合わせてリィンはエリゼに何を言うべきか迷う。

 アルフィンもミュゼもエリゼにとっては身分を超えた親友ではあるが、自分が彼女たちの仲に亀裂を入れてしまったようでひたすらに気まずい。

 そうして言葉に迷い、狼狽えているリィンに――笑顔で威圧感を掛けていたエリゼは苦笑して息を吐く。

 

「そんなに怖がらなくて良いのに……」

 

「エリゼ姉さん……その怒ってないの?」

 

「怒っていますよ。でもそれは姫様やミュゼに対してです……

 今回の話にリィン、貴方に落ち度はあるの?」

 

「それは……」

 

 エリゼの言葉にリィンは答えに窮する。

 

「なら貴方は堂々としていれば良いんです。姫様やミュゼが無茶を言うなら私に言いなさい」

 

「エリゼ姉さん……」

 

 許されてリィンはほっと息を吐いて、そこでようやく気付く。

 

「姉さん、その子は?」

 

 エリゼと手を繋いで寄り添っているのは小さな女の子。

 まだ初等部の一年生か二年生くらいの幼いアストレイア女学院の女の子にリィンは首を傾げる。

 

「この子はアストレイア女学院に通っているリアンヌちゃんです」

 

「リアンヌ……」

 

 その名前にリィンはある人物を連想する。

 しかし、その子はとても彼女とは似ても似つかない。

 そもそも“リアンヌ”と言う名は《槍の聖女》にあやかる帝国では特別に珍しい名前でもない。

 

「えっと……」

 

「ほら、リアンヌちゃん。リィンに言いたいことがあるんですよね?」

 

 エリゼは緊張して躊躇するリアンヌちゃんを優しく促す。

 

「あ、あの……リィンさま!」

 

 意を決してリアンヌちゃんは声を上げ、手に持った“大きな造花の花束”を差し出しながら言う。

 

「ていとをまもってくれて、カイエン公をやっつけてくれて、ありがとうございますっ!」

 

 元気な声でそう言ったリアンヌちゃんにリィンは面食らうように呆けた。

 

「…………え……?」

 

「これ、学院のみんなでつくりました……

 よかったら、うけとってくださいっ!」

 

「…………え……?」

 

 差し出された花束にリィンは戸惑い、リアンヌちゃんの言葉を消化しきれずに困惑する。

 

「学院の生徒一人一人がリィンへの感謝のために何かしたいと、生徒会長の私のところに全校生徒が押しかけてきて大変だったのよ」

 

 説明を付け加えながら、エリゼはどこか誇らしげにかわいらしい後輩と弟を見守り――

 

「エリゼ姉さん……俺はこの子に何をすれば良いんですか?」

 

「リィン……?」

 

 リィンの言葉の意味が分からず、エリゼとリアンヌちゃんは首を傾げる。

 ありがとう、どういたしましてと、“アストレイアの花束”を受け取るだけの子供でも知っている行為なのに、それに困惑しているリィンにエリゼたちも困惑する。

 

「君は俺に何かして欲しいんじゃないのか?」

 

「ふえ……?」

 

 リアンヌちゃんはリィンに聞き返されて首を傾げる。

 

「エレボニアが……人がリィンに――“俺”に何かを差し出すなんてありえない……

 君には俺に叶えて欲しい“願い”があるのか、それとも君はカイエン公の次の“敵”を倒せって言うのか?」

 

 ユウナやクルトのように、内心の敵意を押し殺し、後ろ手にナイフを握っているのかもしれない。

 アッシュのように、内心では見下して嘲笑っているのかもしれない。

 ミュゼのように、内心では掌の上で自分の意のままに利用しようとしているのかもしれない。

 オズボーンやアルノールのように、断れない状況を作り出して“願い”を強要するのかもしれない。

 リィンは“帝国人”を前に自然と警戒する。

 

「えっと……あの……」

 

 リアンヌちゃんは向けられたリィンの言葉の意味が分からず狼狽える。

 

「リィン、ちょっと」

 

「だってエリゼ姉さん。この子は帝国人なんだ……

 帝国人が“あの人”のように無償の施しをしてくれるなんて……ありえないっ」

 

 リィンの言葉は決して大きくはなかったが、ドライケルス広場に大きく響く。

 セドリックやアンゼリカたちに群がっていた人たちも、遠巻きにリィンへ御礼を言う機会を伺って人たちも、《緋》や《零》の姿に見入っていた人たちも。

 そしていつの間にかその場にいたオズボーンやオリヴァルトも、同じようにリィンに注目する。

 

「リィン、貴方は褒められることをした……

 この子はただ貴方に“ありがとう”と伝えたいだけなのよ」

 

「帝国人はそんなこと言わない」

 

 エリゼの言葉をリィンは否定する。

 

「願いを叶えれば、次の願いを……

 目の前の“敵”を倒せば、次の“敵”を倒せ……

 そうやって際限なく願い続けてきたのが“焔”と“大地”の血を継いできたエレボニア人の本質だ」

 

「リィンッ!」

 

 咎めるようにエリゼが叫ぶ。

 彼の言葉を聞いたものは、その傲慢な決めつけに不快そうに顔をしかめる。

 

 ――これが今、最も持て囃されている“英雄”の姿なのか……

 

 小さな女の子の感謝も受け取らないリィンに失望を感じ、その認識が広がって――

 

「フフ、これは意外だな……帝国の英雄殿はあの少女よりも幼いとは」

 

 しかし、一方で誰かの呟きが群衆の中で呟かれた。

 

「幼い……」

 

 その言葉を“認識”を改め、リィンを見れば、群衆はたしかにと納得する。

 背格好こそ成人に近い少年だが、姉に窘められる姿はまさに子供のそれ。

 大人げないと思っていた拒絶は、感謝の受け取り方を知らない戸惑い。

 

「そう言えば……リィン・シュバルツァーはユミルの男爵に拾われた捨て子だったんだよな」

 

 誰かの呟きが、更に群衆に響く。

 

「…………私、実はこの機会にリィン様とお近づきになれたらなって思ってたけど……」

 

「俺は……」

 

 後ろめたさに呟く者が現れれば、帝国人たちはリィンの言葉について考え始める。

 “次の願い”を“次の敵”を、言われてみれば、すんなりと心に落ちるその言葉を自覚した者たちはリィンから思わず目を逸らしてしまう。

 

「あ、あのっ!」

 

 嫌悪、虚栄心、拒絶、敵意、様々な負の感情が渦巻く中でリアンヌちゃんが声を上げた。

 

「それならこれをうけとってください! それがわたしたちの“おねがい”ですっ!」

 

 リィンの拒絶にめげることなくリアンヌちゃんは踏み込んだ。

 

「え……?」

 

 リィンは真っ直ぐ自分を見上げるリアンヌちゃんに怯む。

 

「ていとをまもってくれてありがとう、リィンさま」

 

 もう一度告げられた言葉。

 差し出された色とりどりの造花の花束。

 リィンは何と言葉を返して良いのか迷う。

「ダーナさんにはちゃんと御礼を言えたのに、困った子ね」

 

「ダーナさんは知っている人だから……この子は俺の知らない帝国人で……」

 

「知らない帝国人じゃありません。リアンヌちゃんです」

 

 もう一度名前を教えられてリィンは改めてリアンヌちゃんと向き合う。

 

「えっと……その……」

 

 リィンは恐る恐る差し出された花束に手を伸ばして――受け取った。

 

「ありがとう、リィンさま」

 

「様はやめてくれないかな」

 

 改めて言われた御礼にリィンは戸惑いながら、その言葉を返す。

 

「ど……どういたしまして……」

 

 何とか絞り出した言葉にリアンヌちゃんは嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。

 

「むふー」

 

「っ……」

 

 打算も策謀も、内心に秘めた敵意もない笑顔にリィンは胸の奥から込み上げてくる何かに今度は困惑した。

 

「あのね、リィンさま」

 

「な、何かな? リアンヌちゃん」

 

 続くリアンヌちゃんの言葉にリィンは思わず身構える。

 やはり何かあるのかと警戒するリィンにリアンヌちゃんは気付かずに続ける。

 

「白いおにいさんが言ってたの! 世界は《ラブあんどピース》なんだって」

 

「白いお兄さん……んんっ?」

 

 どこかで聞いたことがあるような言葉と容姿にリィンは別の意味で困惑する。

 

「リィンさま、ラブあんどピースをありがとう」

 

「…………俺は……」

 

 真っ直ぐな瞳にリィンは目を逸らしたくなる。

 意図して帝都を守ったわけではないから、独断専行で突き進んだ成り行きだから、どれだけ英雄的な行動をしても軍人的には懲罰行為であり、褒められたものではない。

 リィン自身も褒められたいから戦ったわけではない。

 しかしそれでもリアンヌちゃんの言葉に感じる充足感は、今日までの学院生活では経験した事のない初めての体験だった。

 

「ラブ&ピースって……あの変な男のあれか?」

 

「お前も知っているのか?」

 

「そう言えばあの人の名前ってなんだったけ?」

 

「えっと……《ラブ&ピース》の…………あれ?」

 

 リアンヌちゃんの言葉に民衆たちは“その言葉”を繰り返し、ざわめき出す。

 

 そして――

 

「あ……あのっ!」

 

 立ち尽くすリィンを見守っていた群衆の中から意を決した声が上がった。

 何事から振り返れば、群衆を掻き分けて出てきたのは白いコック姿の男性だった。

 

「オレ、そこの店でパン屋をやっているんだけど! あの日、カイエン公から助けてくれてありがとうございますリィン様!」

 

 男は勢いに任せたままリィンに感謝を告げ、持っていた大きな包みをリィンに押し付けるように渡す。

 

「これうちで焼いたパンです! 第Ⅱ分校のみんなで食べてください」

 

「え……あの……」

 

 見返りも、返礼もなく、一方的に感謝を告げて去って行った男にリィンは花束とパンの袋を抱えて呆然と立ち尽くす事しかできなかった。

 そしてそれが切っ掛けになった。

 

「リィン様、私は五月にクロスベルへ旅行に行っていたんです――ありがとうございます」

 

「僕は――ありがとう」

 

「――ありがとう――」

 

 セドリック達がしていたように、いつの間にかリィンの前には長蛇の列ができて、御礼を言われる。

 

「あの……リィンは――」

 

「お嬢ちゃんも、一緒に戦ってくれていた第Ⅱの生徒なんだってな。本当に俺達の家族を守ってくれて、ありがとうな」

 

「え……あの……?」

 

 助け舟を出そうとしたアルティナも巻き込まれた。

 アルティナもまた、多くの人達に無垢な感謝をされてリィンと同じように戸惑い、立ち尽くす。

 礼を言い、捧げるように差し出された貢物は瞬く間にリィンとアルティナの両手に溢れていく。

 更には《零の騎神》に手を合わせて拝む者までいる。

 

「…………何だこれは?」

 

 レールハイロゥを一周して戻って来たクルトはリィン達に群がる民衆を見下ろして首を捻った。

 

 

 

 

「はは、僕はどうやらまた同じ過ちを繰り返しそうになっていたのかもしれないな」

 

 帝都市民たちがリィンへ感謝を告げる光景にオリヴァルトは自分の至らなさを痛感せずにはいられなかった。

 リィンの《帝国人》への不信感。

 打算と効率ばかりを優先して、リィンへの負担を押し付けてばかりの政策。

 

「まずは感謝をする……ちゃんと言葉にしないといけない事だったのにね」

 

 いち早く貴族を纏める事が、後の被害を増やさない最善の手段だとリィンに負担を強いてしまった事を改めて公開する。

 

「しかし、これを狙ってセドリックはわざと今の帝都にリィン君を連れて来たのかな?」

 

 今、地下ではリィンが急遽帝都に来た事で浮足立つだろう《ハーキュリーズ》の摘発が行われているはず。

 それに合わせてリィンが帝都でどれだけの人気を誇っているのか、彼に教える事もセドリックが考えた筋書きだったと言うならオリヴァルトは脱帽するしかない。

 

「そこのところ、どう思うかなオズボーン宰相? ……宰相?」

 

 反応が薄いオズボーンにオリヴァルトは首を傾げる。

 呼ばれたオズボーンもまた、目の前の光景に目を奪われ、そして呆れていた。

 

「《至宝》が……《黒》が暴走するわけだ……」

 

 オズボーンは小さく呟く。

 今のリィンは《至宝》の化身とも言える存在。

 そんな彼が明らかに感謝されることに慣れていない。どころか初めて敬われていることに戸惑いすら感じている。

 

「《至宝》は結局、道具として感謝もされず、奇蹟を当然のように求め続けられていたとなれば……

 ロゼ……アルベリヒ……お前たちは……いや、私が言って良い事ではないか……」

 

 オズボーンは二年前に、この光景を利用して“彼”をクロスベルに送り込んだ。

 そんな自分が他者を責める資格はないと戒めて、おもむろにオリヴァルトに提案をする。

 

「オリヴァルト殿下、一つ余興をしませんかね?」

 

「おや、君がそんな事を言うとは珍しいね」

 

「ふふ、どうやら私もこの空気に絆されてしまったようです」

 

 そういう建前としてオズボーンは続ける。

 

「夏至祭のレースは学生たちのもの。ですから、オリヴァルト殿下、今ここで私と勝負をしましょう」

 

「ほう……それは今ここで僕とオズボーン宰相が機甲兵レースをするという事かな?」

 

「私たちの友好を帝都市民に見せるには良い機会でしょう。それにセドリック殿下の催しにも花を添えられるかと」

 

「面白そうだね……しかし勝負と言うからには何か賭けるのかい?」

 

「ええ、オリヴァルト殿下……

 貴方が勝てば貴方が以前から提案していた《起動者》達を集めた晩餐会……

 私が責任を持って、全ての起動者たちを集めて見せましょう」

 

「おやおや、それは実に魅力的な提案だ」

 

 オズボーンが提示した勝利の商品にオリヴァルトは笑う。

 

「オリヴァルト殿下、それに宰相閣下、あまりお戯れは……」

 

 しかしミュラーが苦言の口を挟み――

 

「ですが、私が勝った暁には……そうですね……

 夏至祭の間、オリヴァルト殿下はオリビエ・レンハイムを禁止して頂きます」

 

「…………」

 

 黙り込むミュラー。

 そしてオリヴァルトは提示された敗北の代償に恐れおののく。

 

「な、何だって!? それはあまりにもひどくはないかな!?」

 

「夏至祭当日はリベールからはもちろん、カルバード共和国からも国賓を招くことになっております……

 まあ、そのような大事な日に、ましてやセドリック殿下の初めての興行事業に、オリヴァルト殿下が何をするとは思えませんが」

 

「ウン……ソウダネ……」

 

 オリヴァルトはオズボーンから目を逸らして首肯する。

 夏至祭当日にオリビエにならなければ、実質リスクなしでオズボーンに起動者たちの晩餐会を用意させることができる。

 まだまだ帝国の至宝に情報不足なオリヴァルトにとっては、その場を作りこれからの未来を見定めるには絶好の機会を逃したくはない。

 

「いや……でもボクが勝てば……

 しかし万が一にも負けたら……ミュ、ミュラー。ボクはどうすれば良いんだろう?」

 

「っ……それを聞くか……」

 

 オリヴァルトの言葉にミュラーは顔をしかめる。

 気まぐれのような勝負は良いとしても、ミュラーとしてはどちらにも勝ってほしいという悪辣な条件だった。

 《至宝》に関する当事者たちの会合の価値。

 夏至祭でオリビエが禁止される事の価値。

 どちらもミュラーにとっては魅力的な提案だった。

 

「ふむ……ミュラー少佐。どうかね君も一緒に参加してみるというのは?」

 

「オズボーン宰相?」

 

 新たな提案にミュラーは訝しむ。

 

「君が勝てば、今の条件を両取というのも良いのではないかな?

 それに二機で走るよりも、三機で走った方がセドリック殿下のためにも良いデータを提供できるでしょう」

 

「待ちたまえ、オズボーン宰相! それはボクとミュラーの間にある絆を引き裂く愚劣な行為ではないか!」

 

「オリヴァルト殿下、頼む黙ってくれ」

 

 注目はされていないが、公共の場で不穏な事を叫ぶオリヴァルトにミュラーは頭を押さえる。

 自分たち、三人を熱心な目で見る淑女たちが遠くにいるのをミュラーは全力で気にしないようにして、ため息を吐く。

 

「セドリック皇子の興行に協力するのは吝かではありません……

 ですが、まずは皇子の許可と《ハーキュリーズ》の摘発の状況次第です」

 

「うむ、それについては君に従おう」

 

「では、俺がセドリック殿下に今の話を持ち込ませて頂きます」

 

 ミュラーは踵を返してセドリック、そしてクルトがいる場へと歩を進める。

 

「さて……」

 

 オズボーンはその背を見送って、視線を移す。

 

「………………」

 

 多くの人に囲まれて、感謝を告げられるリィンとアルティナの姿にオズボーンは目を細める。

 《眷族》たちが与える事のなかった感謝。

 “モノ”としてではなく“ヒト”として彼らはこのやり取りに何を感じているのか興味は尽きない。

 

「せめて彼らの行く末にに女神の……いや、あの子の加護があることを……」

 

 オズボーンは女神ではない存在に祈りを捧げ、そして虚空に向かって尋ねる。

 

「お前の目にはこの光景はどう映っているのだ“リィン・イシュメルガ”」

 

「…………」

 

 いつの間にか、彼はオズボーンの横に立っていた。

 ミュラーを追うオリヴァルトも、自分たちを囲む帝都民たちも、誰も“黒騎士”の存在に意識を向ける者はいない。

 

「…………くだらない」

 

 ただ一言、リィン・イシュメルガはその光景に背を向けた。

 歩き出すと共にその姿は燐光を纏って、消える。

 

「…………ふ……」

 

 オズボーンはその彼が消えた残光に、意味深な笑みを浮かべるのだった。

 

 

 








 リアンヌちゃん
 聖アストレイア女学院初等部に通う女の子
 別に高貴な血筋があるわけでも武の天才でもない至って普通の子供
 ただ親が《槍の聖女》のファンなだけ

 聖アストレイア女学院でリィンへの御礼がしたいという事で、直接会って花束を渡すという大役をくじ引きで勝ち取った
 造花の花束は女学院総出の一品
 高等部生が材料費を出し合い、中等部生は花を包むレースやリボンを刺繍して造り、初等部生が造花を作る。
 造花を勧めたのはエリゼであり、一人ひとりの気持ちや作業を実感させやすいから


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