7月11日――
その日の、トールズ士官学院第Ⅱ分校の夕食のメニューは……《カレー》である。
「君たち、この幸運に女神に感謝するんだな」
トールズ本校生徒のフリッツは第Ⅱの生徒たちに向かって自慢するように言い放つ。
「何と言ってもキーア君の料理が食べられるのだからな」
「何でお前が得意げなんだよ?」
アッシュはうざいとフリッツに突っ込みを入れる。
「そういうあんた達こそリィンに感謝することね……
そのカレーの食材も、今出てるパンとかいろいろ、全部リィンがもらってきた物なんだから」
ユウナは負けじと言い返す。
事の発端はセドリック皇子たちの帰還報告の通信。
本来ならいつものように食堂で各々の好きな時間で食事を摂るはずだったが、交流会の時のようにグラウンドでの野営が決まった。
何事かと思いながら、機材の準備をして待てば、現れたのは両手に様々なものを抱えたリィンとアルティナの姿だった。
帝都でリィンはこれまでの働きを市民から讃えられて様々なものを貢がれた。
花束に、食材、消耗品など、二人の手で抱えきれない貢物は導力車に詰め込まれて、第Ⅱ分校に運び込まれた。
「まさかリィンが帝都でそこまで人気があったなんてな」
「まるで何かに塞ぎ込まれていた感情が一気に爆発した感じだったよ」
しみじみと唸るユウナにクルトはその時の事を思い出して肩を竦める。
「途中で切り上げたけど、時間があれば話を聞きつけた帝都中の人が集まって来ていたかもしれないな」
「は、流石帝都を守った《英雄》様ってか」
「僻むなよアッシュ。ちゃんと第Ⅱ分校のみんなにも、って言っていた人もいたんだから」
不貞腐れるアッシュをクルトが宥める。
言外に自分たちの働きをちゃんと見てくれている人たちもちゃんといた事を伝える。
「…………ちっ……」
アッシュは舌打ちをして人の輪から離れていく。
「随分と荒れていますね」
そんなアッシュの背をエイダはそう評価する。
「ああ……ラクウェルでの《アスモダイン》との戦闘に思うところがあるんだろう」
ラクウェルはアッシュの故郷なだけに、《アスモダイン》の破壊活動に一番動じていたのはアッシュだった。
機甲兵の戦闘は機体の性能差が大きく影響する。
だからアッシュの《ヘクトル》が《アスモダイン》に手も足も出なかったのは決して恥ではない。
少なくてもクルトを始めとした、第Ⅱはそう思っているが、アッシュ本人はあの終わり方にまだ納得できていないようだった。
「まあ、彼もキーア君のカレーを食べれば悩みも吹き飛ぶだろう」
「はは、そんなアッシュは想像もできないが……
それにしてもキーアのカレーか……懐かしいな」
フリッツの自慢にクルトは特務支援課でいた時の事を懐かしむ。
未成年のクルトは特務支援課の中でも雑用を中心に手伝い、それこそキーアと一緒に料理を何度も作っていた。
「キーアちゃんのカレーがおいしいのは認めるけど、第Ⅱのカレーと言えばミュゼの《熟成シュリンプカレー》もなかなかのものよ」
フリッツの自慢にユウナが対抗心から言い返す。
「ふ、ならば本校と分校。どちらのカレーが上かはっきりとさせようじゃないか」
「望むところよ」
「二人とも、そんなに目くじらを立てる事じゃないだろ……ん?」
「シュリンプカレー…………」
燃える二人をクルトは宥め、エイダは考え込んでいた。
「どうかしたかい?」
「いえ……今、ユウナさんがミュゼさんが《シュリンプカレー》を作っていると言いましたが……
シュリンプ……エビが差し入れの材料にあったでしょうか? いえそもそも――」
「エイダ、それ以上はいけない」
*
「リィン、アルティナ、ご飯できるよ……」
キーアはグラウンドの片隅にいる二人を呼びに来る。
「キーアさん……」
「アルティナ……リィンは……ずっとあんな感じなの?」
本日の食料調達の功労者は調理の役に立たないと判断されてグラウンドの隅に追いやられたリィンの格好は戻って来た時と変わっていなかった。
両手で抱えるほど大きな花束に、帝国で密かに人気な《はぐはぐオズボーン》シリーズが手足に装着されている。
他にも頭には帽子。首には花の首飾り。
リィンの空いているスペースに無数のアタッチメントが装着されていて、まるで観光旅行の帰りにも見える。
そしてそれはアルティナも同じだったが、彼女は既に一連の装備を解除していた。
「はい……ずっと帝都から帰って来てから放心状態が続いています」
何と声を掛けて良いか分からず、そもそも今のリィンが何を考えているのか分からないアルティナはリィンを遠巻きにすることしかできなかった。
「うん……今のリィンの気持ちはちょっと分かるかな」
キーアの苦笑交じりの呟きにアルティナは正体が分からないモヤモヤした気持ちが湧いてくる。
「貴女にリィンの何が分かると言うのですか?」
「ア、アルティナ?」
「……いえ、何でもありません」
詰め寄りかけた足を止めて、アルティナは目を伏せる。
「そうですね……今のリィンに必要なのは貴女なのかもしれません」
働きに対して労われ、感謝される事はアルティナでも知っている事。
そんなアルティナでも知っている事を、リィンは知らず過剰な感謝を形として受け取って混乱している。
「ん……?」
そんなアルティナにキーアは首を傾げて、その手を取る。
「キーアさん?」
「アルティナも一緒に行こう?」
尻込みするアルティナの手を引いてキーアはリィンへと近づく。
「リィン」
「…………キーアか」
緩慢な動きでリィンは声に反応して振り返る。
「もうすぐご飯ができるよ……リィンが貰ってきた物なんだからリィンも食べないとダメだよ」
「ああ……でも第Ⅱのみんなでって言われていたし、あんな量の食材を俺一人でなんて無理だから……」
キーアの言葉にリィンは茫然としたまま応える。
そのまま十数秒の沈黙の間が空いて、リィンはキーアに尋ねた。
「キーアはクロスベルの人達に感謝されたのか?」
「…………うん……今のリィンみたいに直接褒めてもらったわけじゃないけど、クロスベルのみんなの感謝は感じ取れてたよ」
リィンの質問にキーアはその時の事を思い出して頷く。
「列車砲を迎撃した時、ガレリア要塞を消滅させた時、帝国軍や共和国軍を追い払った時もみんな《アイオーン》を通じてキーアに感謝してくれていた」
「キーアさん?」
普段と違う感情の宿らない淡々としたキーアの言葉にアルティナは耳を疑う。
「でもクロスベルの人達がしてくれた感謝は“女神様”にするようなものだったよ……
リィンがした事はキーアがした事よりずっと立派だよ」
「……俺はこんな見返りが欲しくて戦ったわけじゃない……
帝都を守ったのは成り行きみたいなものだし、俺が本当に守ったのはエリゼ姉さんだ」
「じゃあ帝都にエリゼがいなかったら、もうリィンは帝都を守らない?」
「…………」
キーアの問いにリィンは熟考してから口を開く。
「帝国人なんて、みんな卑怯者だ……
建前を使って人を利用する事しか考えていない……
人として正しい事をしたはずのテオ父さんを批難した人間がいた……
父さんからもらった“シュバルツァー”をそれだけで貶す人間もいた……
勝手な理想を押し付けて、勝手に失望していた人間もいた……」
「うん……うん……」
リィンの言葉にキーアは相槌を打って聞き役に徹する。
それはリィンが心の奥底に溜め込んでいた
「それに帝国人は変態ばかりだった」
「うん……?」
リィンの言葉にキーアは首を傾げる。
帝国人にリィンが言うような心当たりがないキーアは誰の事だろうと疑問符を浮かべる。
「こんなものをもらったって……俺は……」
抱えた花束に視線を落としてリィンは眉を顰める。
キーアは気を取り直して尋ねる。
「リィンは帝国人が嫌い?」
「それは…………」
キーアの指摘にリィンは口ごもる。
そんなリィンにキーアは胸の内を明かす。
「キーアも帝国人が嫌いだった……
ロイドやみんな、クロスベルをいじめる帝国が嫌いだった」
そう言いながらキーアはポケットから古びたペンダントを取り出す。
「これをくれたのも……帝国がクロスベルを懐柔するための手段なんだって、騙されちゃいけないって見ないようにしていた」
「キーア……」
「リィンが疑う気持ちは良く分かるよ……
でも疑って決めつけて、それでリィンにキーアと同じ間違いをしてほしくはないよ」
「…………だからって……俺はこんな“善意”にどう応えれば良いかなんて、俺は知らない」
「うん……実はキーアも同じことで悩んでるんだよね」
リィンの戸惑いにキーアが同意する。
「キーアも?」
「うん、実はね……アルティナがオズボーンのおじさんとお話した日にキーア達も呼ばれていたんだけど」
そう前置きをしてキーアは困ったように笑う。
「ガレリア要塞での働きとこの前の帝都での戦いで、帝国の軍人さんや帝都の人達がキーアの減刑を望む署名が集まって……
キーアの監視体制の緩和とトールズ士官学院卒業後の自由が内定されたの」
「それは……おめでとう、で良いのかな?」
「ありがとう……でもキーアはそもそも“あの人”の代わりに戦っただけで、その感謝や恩赦を本当に受け取って良いのかな?」
「二人とも、それは考え過ぎなのではないでしょうか?」
帝国人の温情に疑心暗鬼になる二人にアルティナは口を挟む。
「アルティナ……でも……」
「だけどね、アルティナ……」
感情を持て余す二人は同じような顔をしてアルティナを見る。
その二人の同じような目に、やはりアルティナは胸の奥から込み上げてくるものを感じて――
「話は聞かせてもらった」
不意にリュートの音色がその場に響く。
「……セドリック殿下?」
アルティナは振り返り、リュートを抱えて近づいてくる皇子にジト目を向ける。
しかしセドリックはアルティナからの冷たい視線など気にも留めずに会話に入って来る。
「二人とも、帝国の人達との付き合い方に悩んでいるようだね……ならばやることは一つっ!」
「何か考えがあるんですか?」
「……ダメだよリィン。こういう時のセドリックは――」
聞き返したリィンをキーアが止めようとするが、遅かった。
「コンサートをしましょう!」
「…………コンサート?」
「機甲兵レースだけでは観客を飽きさせてしまうかもしれないからね……
リィン君とキーア君には是非、レース会場を盛り上げるために――」
「謹んで遠慮させていただきます」
「うん、キーアもそこまでする勇気はないかな」
最後まで言わせず、リィンとキーアはセドリックの提案を却下する。
「そう言わないでください……
もうちゃんとレースが運営できるか不安で、レースが受けなかったら、失敗したらどうしようかと……」
「まあ……コースアウトした時の対策とか考えていないようでしたからね」
「うぐ……」
リィンの呟きにセドリックは痛いところを突かれたと胸を押さえる。
二人の脳裏には最終コーナーでもつれ合うようにクラッシュして湖に落ちた三機の機甲兵たちの事が思い浮かぶ。
「だからリィン君、キーア君、次善策として――」
「ですから無理です。そもそもあと一週間もないのにコンサートなんてできるわけないです」
「うん、セドリックの頼みでも無理だよ」
縋りついて来そうなセドリックから二人は距離を取る。
「落ち着いてくださいセドリック殿下」
不安を募らせるセドリックを宥めて現れたのはミュゼだった。
「セドリック殿下の御不安はごもっともですが、それをリィンさんたちに肩代わりしてもらうのは求め過ぎでしょう」
ミュゼはセドリックを窘めて続ける。
「コンサートにしても帝国人とリィンさん達との距離を縮めるためには急ぎ過ぎです。ここはやはり――」
「何か考えがあるのミュゼ?」
「ダメですキーアさん、こういう時のミュゼさんは――」
聞き返すキーアをアルティナが止めるが、遅かった。
「握手会をしましょう」
「握手会?」
ミュゼの言葉の意味が分からず、リィンは首を傾げる。
「カルバードのモータースポーツにはレースクイーンというものがあるのはセドリック殿下も御存じのはずです」
「それはもちろん把握しているよ。まさかミュゼ、君は……」
「ええ、その通りですセドリック殿下」
「さて、二人とも行こうか」
盛り上がる二人にリィンは踵を返してキーアとアルティナを促す。
「御二人の悩みは今すぐに答えを出す必要はないと思います」
「そうだな……そうかもしれない」
「ありがとう、アルティナ」
三人はそう言葉を交わして、その場を後に――
「待ってください。今のは冗談です」
ミュゼはリィンの肩を掴んで止めた。
「いや、ミュゼがアンゼリカさんみたいにああいうのが好きなのは個人の自由だと思う……
だけど、またリン・シュバルツァーをやらされるのは御免被りたいな」
「ち、違います……とにかく話を聞いてください。きっとこれならリィンさんも納得していただけるはずです!」
必死なミュゼの訴えにリィンはため息を吐いて、振り返る。
アンゼリカと同類にされる危機感からか、それとも名誉挽回のチャンスに必死なのか、ともかくミュゼは話を聞いてくれることに胸を撫で下ろした。
「リィンさん、屋台というものに興味はありませんか?」
*
「ふんふ~ん♪」
鼻歌交じりにサンディがボールに混ぜた素材をかき混ぜる。
「フレディさん、いろいろ持ってきました」
ティータが校舎の調理室から持ってきたものをフレディに渡す。
「うん、それじゃあ始めようか」
ティータが来るまでの間に導力コンロから大鍋は退かされ、フレディは手際よくティータから受け取ったものを並べていく。
「何を始めようと言うんだ?」
夕食の配膳が終わったところで新たに始まった作業にクルトが首を傾げる。
「私たち茶道部と料理研究会は合同であの日から、ある料理について今日まで研究を繰り返してきました」
厳かにミュゼが語り出し、アッシュが顔をしかめる。
「何か語り出したぞ」
「まあ、聞いてあげましょう」
うざい、めんどくさいと表情で訴えるアッシュをユウナが宥めてミュゼの語りに耳を傾ける。
その間にもフレディは、二枚一対の凹凸がついた鉄板を組み合わせて、導力コンロの火口に置いて加熱を始める。
「皆さんの記憶にまだ新しい“ユミル饅頭”……あれは茶道に必要なものだと」
「……そうなのかカイリ?」
「えっと……東方の飲み物の抹茶に合うお菓子の研究はしたけど……」
「ミュゼが大袈裟に言っているけど、そこまで熱心な研究はしていないわ」
リィンの言葉に茶道部のカイリとマヤは苦笑交じりに答える。
そうしている内に鉄板が十分に加熱され、フレディは油を塗ってサンディが作った生地を型に流し込む。
「ユミル饅頭ですか……
たしかユミルで復興の際に東方から取り寄せた食材を栽培して名産にしようとしているお菓子でしたね」
しかし作業の工程にアルティナは首を傾げる。
「蒸し器というもので調理されていたと思いますが、焼いているようですが?」
「その通りです。アルティナさん」
アルティナの呟きにミュゼは頷く。
「これは饅頭ではなく、帝国のパンケーキを型で焼き、そこに餡を挟んだ焼き菓子になります」
ミュゼの言葉通り、フレディは焼かれて固まった生地の片方に黒い餡をのせて、二枚の鉄板を閉じる。
「東方では魚の型で作られている焼き菓子ですが、ティータさんが型を作成していただきました」
「さあ、焼けたぞ! オルディーネ焼きだ!」
フレディが鉄板を開いて皿に置いた“それ”を差し出した。
「オルディーネ……何でここでオルディーネ?」
フレディの言葉に生徒たちは首を捻りながら、それを覗き込むとそこには確かに《オルディーネ》があった。
ただし彼の頭部をデフォルメされた形で。
甘く香ばしい食欲をそそる匂いを漂わせた《蒼》ではなく茶色の焼き菓子として《オルディーネ》の頭がそこにはあった。
「ちなみに“ティルフィング焼き”もできます」
自信満々にティータが胸を張って補足する。
「料理研究部はこんな事をしていたのか……それにしても……」
差し出された“オルディーネ焼き”にリィンは反応に困る。
「これを屋台で売るのが、ミュゼの帝都民との交流だって言うのか?」
「はい、アストレイア女学院でも夏至祭やチャリティーイベントに簡単な焼き菓子を作って振舞ったりしますので、それを参考にさせて頂きました……
どうでしょうか?
これならリィンさんにもできる、帝都市民との交流だと思います」
「……いや、俺は……」
笑顔で勧めるミュゼにリィンは言い淀む。
「何かあったのか?」
「そうですね……簡単にまとめると」
クルトの問いにアルティナはこれまでの事を整理する。
「今回の帝国人からの感謝に戸惑い、何か返すべきではないのかとリィンは悩んでいるんです」
「悩んでるって……」
「真面目だな……いやリィンらしいか?」
「まあ、あれだけいろいろ貰ったわけだからな。それもまだ検閲が済んでないものは後から憲兵隊が送ってくれるんだって?」
リィンの悩みにスタークは苦笑する。
「それ言ったら俺達だってリィンのおこぼれをもらっているようなものなんだけどな」
シドニーの指摘に生徒たちは黙り込む。
今の食事も、四月の“捨て石”からの第Ⅱ分校の待遇の改善も、生徒たちは誰のおかげなのか分かっていると同時に、対する自分たちの活躍はほとんどない事は自覚している。
だからこそ、リィンがやりたいと言うなら生徒たちは協力するのも吝かではないと考える。
「良いんじゃねえか? 俺達も帝都の人達に何か返さないとって思ってたところだだからさ」
パブロが真っ先にその案に同調する。
「いや、そういうわけにはいかないだろ」
しかし当のリィンは難色を示した。
「何でだよリィン?」
「パブロ……
俺達は夏至祭では機甲兵レースに参加するとは言え、特別実習中になるんだぞ?
俺はレースには参加しないって言っても、今まで通りの地域貢献作業もあるだろうし、ミハイル教官がこんなことを認めるわけがない……
それに屋台をやるって言うなら、準備にはいろいろ必要だ……
とてもじゃないが、そんな事をしている暇はない」
リィンは頭の中に週末までのスケジュールを考えて答える。
ハミルトン博士のサポートに、機甲兵用の導力魔法に、《ゾア・ギルスティン》の慣熟もまだ終わっていない。
とてもじゃないが屋台をやる準備の時間はリィンにはない。
「だけどリィンってレース中は何してるんだ?」
「え……?」
レオノーラの指摘にリィンは虚を突かれる。
「何をって……《ゾア・ギルスティン》でレールハイロゥを造って……そこで待機……になるんじゃないか?」
「そうだね。基本的に当日、リィン君には《ゾア・ギルスティン》に傍にいてもらうことになるだろうね」
リィンの呟きをセドリックが肯定する。
「…………それは一日中か?」
「別に問題はないんじゃないか? 待機任務なんてそんなものだし、今日みたいな事があるなら《ゾア・ギルスティン》の中にいた方がレースの邪魔をしないで済むだろう」
「…………」
自分たちがレースをする一方で、リィンが待機という事実に生徒たちは顔をしかめる。
「セドリック殿下、もしかして……」
クルトは小声でリィンに聞こえないようにセドリックに話し掛ける。
「ああ、《ハーキュリーズ》が帝都に潜伏している今リィン君に警邏作業をさせるわけにはいけないからね……
リィン君と《ゾア・ギルスティン》にコース造りを押し付けたのは実習中の行動をこちらで制限する意味もあるんだ」
クルトの想像通りだとセドリックもまた小声で応じる。
「つまりリィンはレース中は暇だと」
「待機任務になるから暇とかは関係ないんじゃないか?」
「そこのところはどう考えているのミュゼ?」
ヴァレリーがそう尋ねると、ミュゼは熟考する姿勢を見せて答える。
「そうですね……ミハイル教官の説得、食材の調達、調理器具の選定、場所選び……
今日中にリィンさんに決めて頂いて、皆さんの協力が得られるという前提ならば、レース当日に間に合わせる事は可能です」
「なら、考えるまでもない……
俺の個人的な悩みに皆の貴重な時間を割く必要はない。皆はレースに集中するべきだ。分校長からも勝てって発破を掛けられただろ?」
「それはそうかもしれないが……」
滅多に見せないリィンの隙に生徒たちは悩む。
自分たちがイベントを楽しんでいる間に、その裏でリィンは裏方に徹している事に後ろめたさを感じてしまう。
しかし無理強いさせてまでする事でもなければ、そもそもいきなり屋台をやるという提案も呑み込み切れていない。
リィンの説得の材料もなければ、生徒たちも絶対にやらなければいけないという使命感もない。
「とりあえず、皆の分も焼いたから食べてみないかい?」
しかしフレディはマイペースに大量の“オルディーネ”と“ティルフィング”を焼いて提案した。
「料理研究会の新作か……」
「果たして今回は当たりか、それとも外れか……」
「こ、今回は茶道部が関わってるから大丈夫でしょう……きっと……」
生徒たちは恐る恐ると言った様子でフレディから焼き菓子を受け取り、まじまじと首だけの“オルディーネ”と“ティルフィング”を観察する。
「匂い良し……材料は小麦粉と餡子……だけみたいだな……」
「不意打ちで妙な食材を食べさせられることはなさそうね」
「…………ん、おいしい」
フレディから焼き菓子を受け取った生徒たちは緊張しながらも、誰かが最初に食べた感想に安堵しながら食べ始める。
「ほら、リィン君とアルティナ君も……ってあれ?」
「どうかしましたか?」
フレディが首を傾げた事にアルティナは聞き返す。
「おかしいな……まずは生徒たちの分の数を焼いたんだけど、一個足りない……」
「Ⅰ組の生徒の分か、シャーリィの分を入れ忘れたんじゃないか?」
「そんな数え間違いをしたつもりはないんだけどなあ……」
リィンは周囲を見回しながら答える。
分校の生徒たちだけでも二十人以上、それに加えて今は本校Ⅰ組もいるのだから勘違いからくる数え間違いだろうと考えて視線を巡らせて――
「もぐもぐ……ん……」
黙々と小さな口で“ティルフィング”を食べている見知らぬ銀色の女の子がいた。
「……アルティナ?」
「はい? 何でしょうか?」
傍らのアルティナがリィンの呟きに振り返る。
「いや……そこに……アルティナによく似た女の子が……」
「え……?」
「おや?」
リィンの指摘にアルティナとフレディが振り返ると、確かにアルティナによく似た女の子が“ティルフィング”を頬張っていた。
いつの間にか生徒たちの輪の中に紛れ込んでいた銀色の女の子は生徒たちの視線が集中しているにも構わず焼き菓子を食べ続けていた。
「えっと……」
「アルティナの妹?」
「このふてぶてしさはまさしくチビ兎だな」
「失敬な」
Ⅶ組の勝手な感想にアルティナは眉を顰め、女の子に声を掛ける。
「貴女は何者ですか? ここはトールズ士官学院第Ⅱ分校です。部外者の立ち入りは基本的に禁止されています」
「ん……」
ごくんと銀の女の子は最後の一欠けらを食べ終えてアルティナに向き直る。
並び立つと二人の相違点が改めて良く分かった。
まず目立つ特徴的な長い銀色の髪は同じ。
特に何もしていないアルティナに対して、女の子の方はリボンでまとめているくらいの差。
そして大きな違いは背の高さ。
第Ⅱの中で小柄なアルティナよりも更に小さい、九歳前後くらいの背格好。
並ぶと別人だと分かるが、同時に姉妹と感じるくらいに二人は良く似ていた。
「………………え……?」
ティータは思わず目を擦り、女の子を凝視して――
「あれ? 何でここにいるのさ?」
シャーリィが気安い言葉を女の子に掛けながら近づいてきた。
「…………シャーリィ。君の知り合いか? つまりこの子は《OZ》なのか」
「そう言うこと……ああ、この子がリィンとアルティナに会いたいって言っていた子なんだけど……」
どう説明しようか悩むシャーリィに対して、アルティナは険しい顔で女の子を睨むように見据える。
「そうですか……貴女が結社側の《OZ》ですか……」
シオンやイソラとは違う、見て分かる自分の後継機。
それが意味する事は――
「そ……この子が“超帝国人”の武器って事だよ」
アルティナの思考を読み取るようにシャーリィはそう言った。
「やはり……」
超帝国人である“聖女”の《銀》の武器になるために用意された《OZ》なのだとアルティナは納得する。
しかし、当の本人はシリアスな空気など気にもせず、リィンに話し掛ける。
「…………今のがユミル饅頭? ユミルの故郷の味?」
銀の女の子は淡々とした口調で場違いな質問をする。
「いや、ユミル饅頭じゃない……参考にしたからユミル焼き……いやこの場合は“騎神焼き”になるかな?」
「ん…………」
フレディが答えると銀の女の子は無表情に、残念そうに頷いた。
「……君……は……」
その仕草に、その口調に、リィンは女の子の感情が読み取れてしまい、動揺する。
“リィン・シュバルツァー”の記憶の中にある“あの子”を連想させる。
「君は……まさか……」
「これをリィンが夏至祭で作るの?」
「え……?」
リィンの動揺を意に介さず、女の子はジッとリィンを見上げて尋ねる。
期待するような、ねだるような、何かを訴えるような眼差しにリィンの記憶が懐かしさを感じてしまう。
「ユミル饅頭を食わずして死ぬなかれ……じゃあこれは食べたら生き返る?」
「いや、そんな効果はないと思うけど……」
「そう……」
肩を落とす女の子にリィンは覚悟を決めて尋ねる。
「……君の……君の名前を聞いてもいいか?」
「まだない」
「え……?」
返って来た即答にリィンは目を丸くする。
「わたしは《Ozα》。それ以外の呼び名はまだない。だからあなたが決めて」
《Ozα》と仮初の名前を名乗った女の子はアルティナに向かって、新しい名前を求めた。
「え……?」
そう突然降られたアルティナは目を丸くして女の子を見返す。
「わ、わたしが貴女の名前を決める……?」
「ん……」
こくりと頷く女の子にアルティナは戸惑う。
名付けなどした経験もなければ、名前を決めるための感性に自信すらない。
「と、突然そんなことを言われても……それに貴女は……」
現にアルティナは求められても頭は真っ白になり、求められるような名前は一つも浮かんでこない。
「それじゃあ考えておいて」
そう言って女の子は踵を返す。
「それじゃあ、またねおかあさん……
それからユミル焼き、楽しみにしてるから」
最後にリィンを一瞥して《Ozα》は徒歩で校門の方へと歩いて行った。
「はあ……仕方ないなあ……ちょっとあの子、送ってくるから」
「え……ええ、そうですね。あんな幼げな子を今から一人で帰すのはいくら《結社》の人間でも心配になるから。よろしく頼むよシャーリィ」
シャーリィの提案にセドリックは内心の動揺を抑えながら頷く。
「幼げね……そんな可愛げなのある子じゃないんだけどね」
シャーリィは苦笑をしながら、《Ozα》に追いつくように歩き出した。
「…………何だったんだ?」
「……よく分かりません」
リィンとアルティナは《Ozα》という存在に戸惑い、混乱する。
「あ、あのアルティナちゃん?」
「はい……?」
アルティナが振り返れば、他の生徒たちも間を丸くして言葉を失い、その中からルイゼが驚愕に大きく目を見開きながらアルティナに尋ねた。
「今の女の子……アルティナちゃんの事を“おかあさん”と呼んでいませんでしたか?」
「…………」
ルイゼの指摘にアルティナは首を傾げて、彼女の最後の言葉を振り返る。
『それじゃあ、またねおかあさん……
それから騎神焼き、楽しみにしてるから』
「…………あ……」
確かに言われていた事を思い出し、アルティナは何故彼女が自分をそう呼称したのか考えようとして――
「アルティナちゃんがおかあさんっ!? やっぱりこの前の夜にリィンさんと不埒な事をしたんですね!?」
赤面したタチアナの声がグラウンドに響き渡る。
その言葉が場を更に混沌を作る。
「あの子がアルティナの娘……? 妹のイソラちゃんに続いて、今度は娘っ!?」
「って事はおとうさんはやっぱりリィンなのか!?」
「いやいや、あの子がアルティナの子供と考えるのは無理があるだろ」
ざわざわと騒めく生徒たちにはクルトの指摘など届いていなかった。
「アルティナちゃんが……おかあさん?」
「アルティナちゃんはアルティナちゃんであの子もアルティナちゃんかもしれなくて……あれ?」
《OZα》を追い駆けようとしていたアネラスとティータは混乱に陥り頭を抱える。
「よしっ! 今日は女子会よ!」
「これは面白くなってきましたね」
ユウナの提案にミュゼが真っ先に同調する。
「あ、あのユウナさん、ミュゼさん、皆さん!?」
アルティナは両腕を二人に抱えるようにして連行されていく。
「ならこっちはこっちで男子会でもするか?」
シドニーがリィンの右腕を抑える。
「はは、前々から一度リィンとはじっくりと話をしたいと思ってたから良い機会だな」
パブロがリィンの左腕を抑える。
「お、おい!?」
「ククク! これは面白くなりそうだな」
狼狽えるリィンにアッシュはほくそ笑む。
連行されるアルティナと同様に、誰もリィンに助け舟を出す者はいなかった。