その男、小西直弘は上司でもあり理事長代理である樫本理子に促され応接用の椅子に腰かけた。今年で18年目となるベテランのトレーナーである彼だが年齢相応の威厳のようなものは感じられなかった。
「では次の話ですが、あなたについてもらいたい子がいます。」
小西は中央のトレーナーライセンスを持っていたが、今トレセン学園では受け持ちの担当がいない。なぜなら自分からウマ娘をスカウトしないからだ。樫本としては指導能力は人一倍あると評価していることから、ローカルのウマ娘やチームの帯同、そして今回のような仕事を振っていた。彼が担当したウマ娘や「ファースト」の面々からも良い評判があった。しかし今年に入ってからトレーナーを辞めると言い出していたのだった。
「何度も言いますがもうトレーナーを降りようと考えているのです。」
「そう言わずにこれを見てください。」
「いやですから……」
樫本は有無を言わさず用意していた資料を押し付けた。そこには仏頂面のウマ娘の顔写真があった。小西は嫌そうな顔をしながらも押し付けられた資料に目を通した。資料を見る姿勢はどこか野暮ったいが、その目つきはベテランらしい鋭いものになっていた。
「悪くはなさそうですね。」
「そうですか。」
「まぁ走りを見な」
「勿論、用意があります。」
そういってタブレットを差し出された。それは選抜レースの試合だった。どうやら資料のウマ娘が走っているらしかった。タブレットと樫本の顔を二度程見比べて、あきらめを吐いてからそれを受け取った。椅子に深く座りなおし動画を見ていた。
「予想通りですね。」
「というと?」
「良くもなく、悪くもありません。」
「それは……良い評価として受け取っていいのですか?」
「まぁ、1勝2勝はするかもしれません。それでよしとするくらいですね。もっといく可能性もあるでしょう。良い指導者がつけばですが。」
「では、早速会っていただきます。」
「会いません。」
「もういらっしゃるので。」
「はい?」
そういって小西が呆けていると、扉を叩く音が聞こえた。サニーが来たのだった。とかく小西という男は仕事をまず断る傾向にあった。とにかく目の前に連れてきてしまえば話は早いのだ。
「失礼、します。」
「サニーブライアンさん。待っていましたよ。こちらがこの前紹介した小西直弘トレーナーです。小西トレーナー、こちらがサニーブライアンさんですよ。」
サニーは樫本に促されて彼の対面の席に着いた。サニーは表情はあまり動かなかったが、緊張しているのか耳を少しだけパタパタと動かしていた。小西は何を話していいのかわからず、首をさすって誤魔化しいた。それはサニーも同じで小西の寡黙な態度に彼を見れず、助け求めているのか読めない表情で樫本に目をやっていた。しかし樫本もまたコミュニケーション能力については得意とは言えなかった。よって体感で数十年過ぎたと錯覚できるような気まずい空間が出来上がってしまった。そしてようやく樫本が耐えきれなくなったのだった。
「ふー……サニーさん。小西トレーナーは今年で18年目のベテランでして、とても経験のある方なんですよ。」
「重賞は一度も勝ったことがないのですが……。」
「あるでしょう。アラブ大賞典、忘れたのですか。」
「もう消滅したレースです。とったとはいえないですよ。」
「それに新人賞も取ったことがありまして。」
「その年9勝しかしてないのですが……」
「あの少ない出走数なら大したものでしょう。あぁ、ジャパンカップでローカルの子を好走させたこともあったじゃないですか。」
「それ代理がトレーナーになる前の話ですよ。よくご存じですね。」
「ダービーに出場したこともありましたよねっ。」
最後の方はやけだったが、小西のほうが折れて何も言わなくなってしまった。静かな言い争いに耳をくるくると回して2人の顔を見比べていたサニーは、ダービーという言葉には反応した。その反応を見逃してなかった樫本は今度はサニーの話に切り替えることにした。
「貴方も見たと思いますが、サニーブライアンさんは良い走りをしています。結果は不本意なものとなってしましたが、きっと素晴らしい結果残しますよ。」
「……まだ足りない。」
「素晴らしい向上心です。目標はあるのですか?」
「ダービーを獲る。」
「……良い目標ですね。きっと叶いますよ。」
これだけストレートに目標を言えるのは今時珍しいだろう。サニーのこのさっぱりした態度には樫本も顔が綻んだ。小西といえば話は聞いているが、遠い場所を見るような懐かしむ様にサニーの話を聞いていた。今度はサニーが小西に対して口火を切った。
「ダービーは、その……どんな感じ、ですか。」
小西は彼女から話しかけられるとは思ってもみなかった。その姿を見て樫本は安堵し、小西は急に話しを振られたので椅子に座りなおし姿勢を正した。
「そうだな……独特、としか言いようがない。」
「どく、とく?」
「ああ、立ってみなくてはわからないよ。自分では冷静でいたつもりだったが、足が震えていてね。雰囲気に飲み込まれないようにするのに精いっぱいだった。」
「どうやったらダービーに行け、ますか?」
「それは僕が聞きたいね。」
「……そう」
「あそこに立てるだけでエリートだ。しかも速い娘が行くとは限らない。運もかなり絡んでくる。もし君が世代最強と今から噂されていたとしても下手なことは言えない。」
「……」
「必要なものがあるとすれば……意地、じゃないだろうか?」
「意地……」
「ああ、それを君はもう手に入れているだろう。……ダービー、獲るんだろう?」
「……ん。」
小西の言葉を聞いて少しだけサニーの顔が綻んだ。無理やりな会合だったが何とか丸く収まりそうだった。安心した樫本は早速、すでに用意してある書類を2人の前に差し出そうとしていた。
「君が良い指導者に恵まれることを願っているよ。」
「いや、小西トレーナー?何を言っているのですが?」
ため息をついてサニーに手を向けながら、樫本の方を向いてあきれたように話しかけた。
「代理……聞いたでしょう。彼女の決意は本物だ。僕では役者不足です。」
「ダービーを経験をしているようなトレーナーがですか?」
「この子の情熱についていける人をつけるべきですよ。彼女が可哀そうだ。」
「それはあなただって……」
「昔の話です。それでは、失礼します。」
「待ってください。ちょっと、小西さん!」
立ち上がって、サニーの方に向き直った。彼女といえば特に驚いた様子もなく、小西の方を見ていた。
「悪かったね、サニーブライアンさん。」
「別に。」
「そうか。」
「もうやらないの?」
「そうだね。」
「どうして?」
小西はため息をついてポケットに手を入れて、ふと窓の外を見た。外に沢山のウマ娘たちとトレーナー達がいた。背にしている二人に感情のやり場をさがしている素振りを悟られないように、少しだけ目をつむって息をのんだ。
「18年もやっているとね、年も重なってか体力だけじゃなく情熱も薄れてくる。加えて家族がいると夢を追うばかりじゃいられなくなるんだ。……下の娘にね『私なんかよりおウマさんの方が大事なんでしょ』って言われたんだ。それでまぁ、余計に……」
小西はうつむく二人を見て、分かっていたものの後悔していた。正直を言えば誰かに言って吐きだしたいという気持ちがなかったわけではない。しかし、年下のしかもそのうち一方は上の娘と同じくらいの少女だ。哀れな男はばつが悪そうに二人から顔そむけた。
「……すみません。だから、もうやれない。それじゃあ……」
そうして逃げるようにみっともなく部屋を後にしたのだった。
------------------------------------------------------
「ただいま。」
新潟への出張から結構家を空けていた。家族に会うのは実に三週間ぶりくらいだ。長い事家を空けていると帰ってくるだけ心が温かくなる気がしていた。玄関に入るや否や次女のチサが走って出迎えてくれた。
「パパー!見て見て!おウマさんだよ!」
「うん。いいね。」
「ね、すごいでしょ。ねっ!」
「ほらパパの事おうちに入れてあげて。」
「う、うん。」
どうやって作ったのウマ娘のしっぽを腰につけていた。母親似の笑顔で精いっぱい父を出迎えた。その健気な娘の行動に戸惑いながらも小西は喜んでいた。向こうから妻のカズサが尻尾だけのウマ娘の頭をなでてリビングに行かせたのだった。小西としては久しぶりの娘のとの触れ合いを楽しみたかったが、なにせ出ていく前に次女とはひと悶着あったからだ。
「ナオ、チサね、あなたに言ったこと気にしてるのよ。許してあげて。あなたが帰ってくるの聞いて作ってたの。」
「許すも何も悪いのは僕だよ。その、食事をもらおうかな」
ラップがしてある夕飯をカズサは温めてなおしにキッチンへと向かった。待っている間テレビを見ていると、彼の対面に次女のチサが座ってきた。社交的で明るい彼女は、小西と目が合うとニコっと笑った。小西はその姿を可愛いと思う反面、申し訳なくも思っていた。娘たちにどんなふうに接したらいいのかわからず、父親らしいこと一つもできていないと後悔していたからだ。
「パパ。」
「ん?」
「その、この前の……」
チサには珍しく言いにくそうにおずおずと小西の態度伺っていた。鈍感な彼も何を言いたいのかすぐ分かった。ぎこちなくも微笑んでもうわかっていると伝えた。
「なぁ、パパな、トレーナー辞めるんだ。」
「え?そうなの?」
「うん。今度の休みな、どこか遊びに行かないか?」
「ホント!?行きたい!」
「うん。約束だ。」
「やったぁ!」
喜ぶ娘が父の隣にきて飛びついてきた。そんな彼女を立ち上がって受け止めてた。こんな父でも変わらず慕ってくれる、彼女に何とか報いたかった。時間ができれば長女にも何かしてやりたい。今はダメだが時間がきっと何とかしてくれる。そんな風に思いながらチサの頭をなでていた。
「ナオ……。それでいいの?」
「何が?」
「だって……」
「心配しなくていい。中央のライセンスは使える。仕事はすぐ見つかるさ。」
「そういうことじゃなくて。」
「明日は早いから、無理に起きなくていいよ。」
「……ほら、チサももう寝なさい。明日学校でしょ。」
「はーい。」
トテトテと走っていく娘を見ながら,さっと食事をたいらげてすぐに風呂に入った。地方とは違いホテルではなく、家でしかも久しぶりに家族に会えた。いつもよりも安心できる空気なのにどうにも寝付けなかった。カズサの言葉やあのウマ娘、サニーブライアンのことがどうにも引っかかっていた。目を閉じれば余計に思いを巡らしてしまっていた。
突然携帯が震えた。何事かと思えばもう起きる時間になっていた。まったく寝た気がしなかったが仕方なしに布団から体を起こした。知らぬうちに隣に寝ていた妻を起こさないように静かにした。いつものように準備をして出ていこうとしたときに、思わぬ相手と出会った。長女のモエと玄関で鉢合わせたのだ。お互いに驚いてはいたが、特に声を上げることはない。すぐに敵を見るような眼で少女は毒づいた。
「……何?」
「いや……」
「邪魔。どけよ。」
いきなり先制パンチを食らってしまい小西は後ずさるが、どんな形にせよ久しぶりにコミュニケーションが図れたのだ。反抗期真っ盛りな彼女は父に似て言葉数が少なかった。見るとスポーツウェアを着て、ランニングシューズを履いていた。今から走るような格好だった。
「あぁ……その、早いんだな。」
「あんたに関係ないじゃん。」
「……走るのか?」
「ふん……何?今更?」
残念ながらそれは火に油を注ぐ行為だった。小西は実の娘が陸上の部活に入っている事を知らなかったのだ。
「あ、いや……」
「気の向いたときだけ興味持つなよ。迷惑だから。」
固まった情けない父親を見てばつが悪そうに舌打ちをした。彼女は憤然と玄関を出て走り出してしまった。小西はまた失敗してしまったと、気落ちしたままトレセンに出勤することとなった。昇りはじめた日を背にして体を丸めてバイクを走らせた。
まだ9月だったがバイクに乗ると風が刺す様な寒さを肌に感じさせていた。朝のトレーニングが始まる前に彼の日課を済ませなければならない。コースの確認作業はウマ娘が走り出す前にやらなければならないのだ。小西は自分で走ったり芝の水分量を測ったりと、現場で感覚を覚えることこそ教える側に立てると自負していた。そうこうしているとまた珍客に出会ってしまった。今度は率直に言って会いたくない相手であった。
「君は……」
「ん。」
「あれ、えっと……サニー?」
日に照らされたこげ茶の髪が、彼女をサニーブライアンと教えていた。隣には今話題のウマ娘、サイレンススカもいた。
「まだ校門も空いていないだろう?どっから入ったんだ?」
「サニー、ま、まずいよ。」
「スズカ、大丈夫。知ってる人。」
「あ……この前のトレーナーさん?」
「ん……先戻ってて。私が話す。」
「そんな……サニーを置いてけないよ。」
「大丈夫。」
サニーはスズカの手をしっかりと握って諭した。小西に見られるのが恥ずかしそうに、一瞬彼の方に目をやった。頬を染めながらもスズカもぎゅっと握り返した。後でねとサニーに挨拶をしてから、小西にも小さく会釈をしてそそくさと離れていった。小西はサニーを一瞥したが、すぐに興味なさそうにしゃがみこんで芝を触っていた。
「……何してるの?」
「ん?ああ、ターフを見ているのさ。」
「なんで?」
「重要だからな。」
「そう。」
小西はそう話を切り上げて、ターフを踏みしめていると視線を感じた。ものも言わずサニーが小西の事をじっと見ていた。最初は気に留めなかったが、黙ったままずっとこっちを見ているのでいい加減辛抱できなくなった。
「そう見られていると仕事しにくいのだが。」
サニーはそう言われると耳だけ彼に向けて顔をそむけた。見ていないというアピールがあからさますぎてつい鼻で笑ってしまった。その反応を見逃さなかったのか、またこっちを見てきた。少しムッとした顔を見ると、朝の長女とのやり取りを思い出していたたまれなくなった。
「こにし?さんは家族とは会えた?」
「まぁ。あと小西であってるぞ。」
「そう。」
「……何か話すことが?」
「ん。」
「どうぞ。」
小西がどうぞと手を向けると、今度は耳も顔もこちら側に向けて話し始めた。
「私も家族と喧嘩した。」
「……穏やかじゃないな。」
「お母さんと叔母さんは私をトレセンに行かせたくなかった。」
「ま、考え方は人それぞれだからな。」
「それで私、家から逃げた。」
「…金や手続きはどうした?連絡とかは?」
「おじいちゃんにやってもらった。」
「それで何も言わず出ていったのか?信じられん……」
サニーは近くにあったベンチを見つけそこに座った。隣を叩いて小西にも座るように促した。
「叔母さんがトレセンで走ってた。」
「レースに出ていたのか。」
「ん、ダービー出た。」
この子のとんでもない経歴を聞いて小西は驚愕した。両親や親戚がトレセンに出ているのは別に珍しくもない。しかしその中でも重賞に出れるだけですごいというのに、その中でも最高峰ともいえるダービーに出場していたのはとんでもない経歴だ。
「叔母さん、ダービーで2着だった。」
「2着……。」
「わたし叔母さんみたいになりたいって思った。でもダメだって。どんなに頑張っても上には上がいるから。何も残らないって。」
それは小西は心当たりがあった。どんな実績を残しても、すぐに自分よりとんでもない実績をかぶせられてしまう感覚。ダービー準優勝という偉業も、ダービーウマ娘の前にすれば誰も振り返ることなどないのだ。
「でもレースの事聞くと叔母さん嬉しそうだった。」
「そうか……どんな話なんだ?」
そうすると耳をピンと張ってサニー自身も嬉しそうに語り始めた。
「叔母さん、ダービーに出れたの運だったって。それで24人中22番人気で絶対勝てっこないって。記念出走だって皆に言われた。でもその時のトレーナーさんが言ってたことがその、すごい。」
「……そうか」
「人気なんてなくてもダービーは取れる。ダービーを取って一番人気なんていらなかった、1着だけ欲しいと思ってたと言ってやれって……」
嬉しそうに語るサニーを小西はどこか遠くを見るような眼で彼女の話を聞いていた。
「それがあったから頑張ってこれたって言ってた。でも本当に欲しいものは手に入らなかった。漫画みたいに上手くなんていかないからやめとけって……。だから私、ダービーをとりたいの。叔母さんの代わりにあの言葉を言って、獲った時の話を叔母さんがしてくれたみたいに……小西さん?」
小西はターフを見て思いにふけっていた。うつむいたその表情は横からだけじゃ伺えなかった。肘を腿にのせて体を丸めて、諭すようにサニーに問いかけた。
「その年にダービーに出場できる確率を聞いたことがあるかい?」
「ない。」
「適当でいい。」
「……1パーセントくらい。」
「年によって変わるが約0.002%だ。」
「……」
「出場するだけでそれはもう奇跡だ。漫画と比べるのもおこがましい。しかも常にケガと隣り合わせの世界、下手をすれば一生歩けなくもなる。……それでも、君はダービーを目指すのか?」
かぶりを振って彼女は立ち上がった。もう昇り切った日を背にしてはっきりと話した。見えないが炎が確実に身を焦がしていた。
「うん、獲るんだ。」
真っすぐとまるであの頃の誰かの眼をした少女がそこにいた。もの静がだがその炎は確実に男に燃え移ろうとしていた。自分が背負うと決めたはずだったあらゆるものと一緒に。
「明日、15時だな。」
トレーナーは立ち上がってもう上がり切った日を見ていた。今もう二人とも同じ光を浴びていた。
「ここに来なさい。」