だから私は先頭を譲った。   作:枚端 正元

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3.いつか来るあの時の様に

 一週間ほどたって小西は樫本へサニーとの契約を記した書類を提出していた。慇懃に両手で書類を手渡した。

 

「わかっていたのですか?」

「何がです?」

 

 小西は後ろにある棚にしまってある名簿を見て目を細めた。樫本はコーヒーをすすりながら書類を見て彼の疑問をかわした。

 

「……サニーブライアンとは如何ですか?」

「それなりに。」

「同行しても?」

「構いませんよ。……無理に飲み干さなくても。」

「余計なお世話です。」

 

 露骨に嫌そうな顔をする小西を無視して、代理は半分くらい残っているコーヒーをおあり彼の後に続いた。校門に行くとサニーブライアンが体をフラフラさせながら待っていた。小西に足に悪いからやめろと言われるとすっと立って小西を見た。意外にも素直な彼女に樫本は少し驚いていた。

 

「今日は……」

「少し歩こう。」

「ん。」

「どこへ向かうのですか?」

「URAレース博物館です。」

「なぜです?」

「まぁ、ちょっと。」

 

 そこは東京レース場の敷地内にある。ウマたちのレースの歴史や文化がそこには展示されている。小西が見せようとしたのはそんな難しい事ではなく、エントランスに置かれている展示物だ。一番最初に目に入ってきたそれにサニーは目を奪われた。

 

「ダービー……」

「そうだ。今年のダービーウマ娘、ソニックコンコルドの勝負服一式だ。」

 

 そこにはサインが施された勝負服と靴、さらにその若きトレーナーの経歴や勝利したときの写真などが掲載されていた。ガラスに手を置いてほしい食い入るように見つめていた。その真剣な子供の姿に触るのを止めろとも言えず大人二人はサニーを見守っていた。

 

「ダービーの前、必ず注意されることがある。」

「どんな?」

「靴や勝負服を観客に渡してはならないとね。興奮すると上着や靴を投げ入れるパフォーマンスをする選手もいるが、ダービーやJCではこうやって博物館に寄贈するからな。」

「ん。」

「君もダービーに出るときは気をつけなさい。」

「……うん。」

 

 珍しく少しはにかみながらサニーは答えていた。下を俯いていつか来るかもしれないダービーに思いを馳せていた。言葉ではあまり自分を表現をしないが子供らしい反応に樫本は苦笑をするばかりだった。

 

「他、見に行っていい?」

「あぁ、行ってきなさい。ダービーに関することも沢山展示がある。」

 

 うなずいて一人小走りにサニーは奥の方へ行ってしまった。

 

「彼女、大分慣れていますね。意外でした。」

「一応18年やってますので。」 

「どうですか、出来の方は?」

「右足にソエが出ていまして」

「……なんですって?」

  

 ソエとはウマ娘特有の症状で脛の骨膜炎を指す。ヒトで言えば、シンスプリントといったところだ。まだ骨の柔らかい幼いウマ娘が、ハードトレーニングによって症状が出ることもある。放っておくと屈腱炎などの思い病気に追い込まれてしまう。

 

「一人で異常が出るまで追い込んでいます。目的意識が強いというより、焦りからのオーバーワークだと思います。」

「大丈夫なのですか?」

「幸い軽いものなので、トレーニングができないというわけではありません。走ることを禁止したりすると不満を溜めそうなので、こうして連れだしたのです。しかし、もう少し楽しむことを教えないととは思いますね。」

 

 顔には出さないが生徒への配慮はよく考えられていた。静かだが着実に勝つ方法が彼の頭の中には構築されている事を知れた。樫本は安心もしたが、それと同時にもっとそういうことしゃべれるようになればと、心の内でため息もしていた。

 

「次のレースはいつに?」

「三週間後です。」

「勝てると思いますか?」

「上手くはまればですね。」

 

 そういって小西は展示物を見ながら思いを馳せていた。

 

――――――――――――――――――――

 

ジュニア級メイクデビュー、第3レース東京芝1800m。今日は13人の中で1着が争われる。ほとんどの者が負けて終わる。 ウマ娘のレース、とりわけトウィンクル・シリーズはそもそもデビュー戦に立つだけで超優秀なエリートだ。そこで1勝するだけでも3割まで絞られる。しかし残念ながら1勝程度では存在すら気づかれないうちに消えてしまう。美しく見える世界がその実、地獄のような様相を呈しているのはどこに行っても同じだ。

 デビュー戦だというのに樫本はわざわざ彼らサニーと小西に帯同していった。この判断には「ファースト」の、とりわけリトルココンが小西に対して嫌な顔をしていた。外から見ていればあまりにも干渉しすぎだが、当の樫本は小西とサニーを二人っきりにさせるのはまだ怖かったのである。小西からはあなたは母親じゃないんですからと言われたが、大きい子供みたいな人ですからねと返してやり、黙らせていた。

 

「つけておきなさい。」

「何、これ。」

「鼻孔テープだ。鼻の通りがよくなって、呼吸しやすくなるから。」

 

 突然小西から渡された白いテープをサニーブライアンはじっと見ていた。到着するまで二人にほとんど会話という会話もなく、樫本がやきもきしているところにこれだった。小西としては単純に渡したかっただけだろうが、サニーにしてみればいきなり渡されて困惑していた。だんまりを貫き通すサニーにを見て、樫本は口を出そうか迷っているとサニーはテープをつき返していた。

 

「嫌。」

「は?」

「ダサいから嫌。」

「な……」

 

 あまりにも意外な回答に小西は固まり、後ろで見ていた樫本は噴きだすのをごまかすために咳ばらいをしていた。サニーが小西にここまではっきりと、しかも「ダサい」という娘が父に言う様なはっきりとした物言いに余計に笑いがこみあげていた。樫本も小西の外見はいいのに服のセンスが悪いと思っていたのも相待った。

 

「サニーさん、これはくっ……いいものですから。つけると良いですよ。」

「そう?」

「とりあえず貼ってみては?」

「スースーする。」

「そんなものです。」

 

 小西はなんで代理の言うことは素直に聞くのだと、文句を言いたくなったが抑えていた。樫本から思ったより似合っていると言われ、サニーは鏡を見てじっと自分の顔を見た。大分和やかになったのを引き締めなおすため、短くため息をついて小西はサニーを向き直らせた。

 

「駆け引きとか考えなくていい。前に出なさい。」

「前?」

「最初から最後まで一番前だ。」

「逃げ?」

「ああ。」

 

 サニーは怪訝な顔をして、横目で樫本に助けを求めていた。あまりにも言葉がすくないためさすがに何も伝わっていなかった。樫本に腕を組み睨めつけられもう少し話してやれと言葉なく示され、小西は小さくなりつつ説明をすることにした。

 

「デビュー戦は思ったより緊張する。君も含め、誰もが掛かって作戦通りにならない。」

「ん。」

「しかも直線勝負では君のスピードとパワーじゃまず競り勝てない。」

 

 何も言わないがサニーは耳を引き絞って抗議の意を示した。しかし小西は気にせず続ける。危険があっても正しい事をするのがまた彼の信条だった。

 

「君だったら前に出てる相手をどう思う。」

「掛かってたら前に……でもとりあえず様子見……」

「相手にもそう思わせたら勝ちだ。掛かってると見せかけてハナを叩く。積極的にリスクを負うんだ。」

 

 理解はしたが、納得がいかないと表情に出ていた。一人で考え練習をしてきた彼女にとって、ずっと自分の走り方で先行してきた自分に急に逃げができるとは思えなかったのだ。考え込んだ彼女に今度は違うアプローチで説得をすることにした。

 

「今まで一人で考えて走ってきただろう。それは僕の仕事だ。」

「……ん。」

「原点に立ち返るんだ。走るのが楽しいと感じながらやってみなさい。」

「走るのが、楽しい……」

「そうだ。楽に、気持よく、自分のペース……言い方はそれぞれだろうが、君が思い描くままでいい。」

 

 サニーが思い描いたのは自分の唯一ともいえるあの栗毛の親友だった。彼女との出会いはサニーにとっても強烈だった。勝つために走っていた自分に、走るのは楽しい事なのだと教えてくれた。その背中に追いつきたいと何度思ったことか。そして何度諦めたことか。今こそやるときなのかもしれない。

 

「……分かった。やってみる。」

 

 そういって彼女は小西からもらったテープを鼻につけ直し、ターフへ向かって行った。その姿を見ながら樫本は小西に話しかける。

 

「大丈夫でしょうか?」

「わかりませんよ。勝てるかなんて綱渡りです。ですが、走らせるのは私の仕事です。やれることはやりました。」

「では、見せてもらいしょう。」

 

『ジュニア級メイクデビュー芝の1800m、出走は13人です。枠入りは順調です』

 

「おい、見てみろあれ…」

「すげぇ生のウイニングチケットだ!っていうかBNWそろってる!」

「写真撮っとけ、写真。」

 

 一団が周りが騒がしくなっていた。どうやらBNWがそろっている事に周りがざわついていた。

 

「BNW?なぜ?」

「ああ、あれです。フェローシップ。ウィニングチケットの妹です。」

 

『サニーブライアン…そしてフェローシップもこれから誘導され…おっと誰かに手を振っているのでしょうか?』

 

 ゲートの前で手を振っているフェローシップを横目に、いつもの通りの表情でゲートに入っていこうとした。しかし、どこかいつもと違った。入ろうするたびに屈伸をしたり、アキレス腱を伸ばしたりしてなかなか入らないのだ。ようやく収まったがどうも様子がおかしかった。

 

「……代理、選抜の時もこうでしたか?」

「いえ、すんなりと入っていたのですが……やはり雰囲気でしょうか。普通のデビュー戦よりも歓声ありますからね。」

「追いこみすぎたか……いや、言ってもしょうがないか」

「小西トレーナー。」

「やめましょう。あの子にも不安が移ります。ただ見守りましょう。」

 

 小西は腕を組み、少しだけ服を強く握っていた、

 

――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 サニーはゲートの中で鼻のテープを触りながら緊張を隠していた。この緊張は自分自身でさえも初めての感覚だった。あの時文句を言ったがテープがあってよかったとさえ思っていた。癪ではあるものの、トレーナーからもらったこれのおかげで取り乱すまではなかった。

 トレーナーに言われたことを反芻していた。楽しく走るということがサニーにはやはり腑に落ちなかった。勝たなければ、もし負ければダービーから遠のく。走るということは勝利するための手段であるとずっとそのように考えてきた。楽しんで走る、そんな事できると思えなかったのだ。

 あのサイレンススズカのような走りを自分にできるわけがない。目を瞑っても彼女の幻影が出てくるはずもなかった。

 

「……サニー!」

 

 その瞬間顔を上げた。あの子の、スズカの声が聞こえた気がするからだ。ここからがじゃもう見えないが彼女が来ているのか。すると途端に見えたのだ。いつものあの後ろ姿が、先を行く栗毛の尻尾が。もうテープを触る必要もなくなった。

 

「……分かった。」

 

『さぁ各ウマ娘収まりまして―――スタートしました。』

 

 サニーブライアンは迷いなく飛びだしていった。スタートはばらついたおかげで先行争いには楽につけることができた。その姿を見て樫本は安堵した。

 

『まず内からウラノス、中からサニーブライアンが出ていきます。』

 

「落ち着きは取り戻したようですね。」

「……他が以外に競りかけてきますね。」

 

小西が分析したサニーの評価としてスタートはまずまず、しかし二歩目が遅いので短い距離だとそれが致命傷になる可能性があった。最初に競りかけられるとスピードについていけなくなってしまう。仮に前に出れたとしてもそのままの勢いでいってしまい、直線で競り負けてしまう。状況的にはあまり良いと言えない展開だった。

 

「……」

(あーもう、コイツいつまで競ってくんの?)

(掛かってるのかな?このままじゃ共倒れ……)

 

そうすると競っていた2人のウマ娘が下がり自然とサニーが前に出た。一バ身くらい離して射程圏内の状態であった。第一関門をクリアしたことに、小西も少しだけ組んだ腕を緩めた。

 

『さらにアドリアーノ、この争いにロータリークラブの4頭が固まります。2馬身ほど切れましてゴールドミズキは追走、1バ身差内を回りまして5番のベストマックスです。』

『先頭から後方まで10バ身くらいの圏内、サニーブライアンのペースです。1馬身半のリード2番手にはウラノスがつけまして、内半馬身離れて3番手にはロータリークラブで残り1000mを通過。その後ですが1馬身差アドリアーノ、ゴールドミズキが並んでいます。』

 

「これは……」

「どうされました?」

「徐々にペースを落としています。狙ってですか?」

「ええ、ペース配分についてはかなり仕込んだので。」

「たった一か月でですか?」

「正直、僕も驚いています。」

 

 

 通り過ぎたときに樫本は腕時計のラップを見て感嘆した。最初の1ハロン目から12.3-11.5-12.7-13.0。あきらかにペースをコントロールしている動きだ。ペースのコントロール、いわば体内時計というのはそう簡単に身につくものではない。何度も練習をしてようやくできる地味だがとんでもない技術なのだ。サニーが他とは違う才能がここにもあった。

 

「とにかく1ハロンを15秒で走るを永遠にやらせました。つまらない事をずっと素直にやり続けられるのは、才能ですね。」

「流石です。」

「道を示したにすぎません。今まであの子が思考を止めなかったからこそです。彼女の努力のおかげですよ。」

 

(スズカ……このまま前に行くけど……これでいい。ん、そうだ、少しずつ……ほんの少しだけ)

 

『先頭はサニーブライアン、サニーブライアンが1バ身半のリード。アドリアーノが2番手に上がって600を通過。内で―ウラノスが現在3番手の位置です。』

 

「……まだ射程内ですか、厳しいですね。」

「いえ、良いのです。これで良い」

 

 怪訝な顔をして小西を見る樫本。外から見ていてもわかりはしない。サニーは0,1秒ペースで少しづつスピードを上げていった。何も知らず後続はただ彼女の後ろを追うのみとなっていた。そして、その瞬間は訪れた。

 

『さぁ、先頭サニーブライアン、サニーブライアンが先頭でここでスパート。400を通過し2バ身のリードがあります。』

 

「な!」

「ここで脚使うの!?」

「アホなの!?持つわけないじゃない!」

 

 走っているウマ娘たちに驚かれながらグングンとスピードを上げていった。同時にサニーは自分の走りがいつもと違うことに驚いていた。

 

(体が……軽い……呼吸も……)

 

 我流ではない、無駄なく洗練された走りが彼女のスパートをアシストしていた。樫本と小西はそれを見て勝利を確信した思いで見ていた。

 

「綺麗な走りですね。体全体で走れている。」

「無理に足と腕を振っていたので、上手くいって安心です。」

「それも彼女のおかげですか?。」

「まぁ、そうですね。」

 

 あまり見られない、微笑む樫本に顔を背けて小西はサニーを見続けていた。

 

『2番手争いロータリークラブ外の方からガッツケーティング懸命に追いこんでくる!大外へ持ち出したのはフェローシップ、サクラルーブルさらにその外からメジロビション!そして200を通過。8番のサニーブライアンの逃げ切り体制。4バ身のリード!外からフェローシップが追いこんでくる。これはもう決まったか!?』

 

「っ……はぁっ!これが、楽しいってこと?」 

 

 別に注視はしていなかった。しかし侮ったはずもなかった。気づけばサニーはもはや手の届かぬ場所にいた。最初に前に出てスローに落とし、逃げて差す。レースを完全に支配しきったのだ。この楽しさを知った彼女にもう誰も追いつけなかった。

 

『さぁ先頭サニーブライアン!サニーブライアンが逃げ切ってゴールイン!勝ち時計1,50,4。上りは35,2でまとめてきました。これは楽しみな子がまた出てきました。順位は1位サニーブライアン、2位フェローシップ、3位…』

 

 

「これは、強いですね。」

「この後もこう行ければよいですが、なかなか難しいでしょう。」

 

 小西はあくまでも冷静を装っていたが、その声は明らかに喜色にあふれていた。しょうがない子供を見るように樫本はスタンドを降りていく小西の後についていった。

 サニーは勝利の後すぐに周りを見渡した。そしてスズカのことをすぐ見つけた。

 

「サニー!」

「やっぱりいた。」

「おめでとう。サニー、すごかったね。」

「ん、今日も勝てなかった。」

「え?勝った、よね?」

「こっちの話。」

 

 サニーは真顔のまま言っていたので、ジョークが通用していなかった。そんな中サニーはスズカの顔が暗い事を案じた。

 

「スズカ?」

「……どうして好きに走っちゃダメなんだろね。」

「……」

「私、サニーを見て勝つことの意味を探したの。でもやっぱりわからなかった。」

「勝つことの意味?」

「わからないよ。私サニーみたいになれない……」

 

 耳はたれ、置いていかれたようにうつむく彼女にサニーは戸惑っていた。さっきまで頭の中で楽しそうに走っている彼女がもう見えなかった。

 

「スズカ、どうした。」

「あ……エアグルーヴ、さん。」

「……さんはいいと言っているはずだ。もう行こう。」

「ええ……じゃあサニーまたね。」

 

 そうしてチームメイトであるエアグルーヴに連れられ行ってしまった。彼女の寂しそうな顔に声を掛けることもできず、サニーは見送った。

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