…生きた心地がしない。
どうすればいいのだろうか。
ダービーまで二週間を切っている。勝利者インタビューで空に突き上げた人差し指。だれもがサクラスターオー先輩が三冠を取る宣言をした、と思っている。そんなウマ娘が、入学したばかりのひよっことトレーニングをして、故障。最悪の展開が頭によぎる。もし、スターオー先輩が引退しないといけなくなったら…。もし、ウマ娘として生きることができなくなったら…。
なぜだか周りから切り離されている感覚がある。周りは騒がしいはずなのに、何も聞こえないような感覚がある。ぅ…。
「きみ、ブラックエメラルドさん、だよ、ね。」
肩で息をしている男性が声をかけてくる。スターオー先輩のトレーナーさん、だ。
「あ、はい…。」
あやまらなきゃいけない。ごめんなさいっていわなきゃ。
わたしが、わたしが…。
「ありがとう…本当に…。ありがとう…。」
スターオー先輩のトレーナーさんは涙を流しながら私の手を握ってきます。
「僕はお医者さんのところに行かないといけないから…。今度お礼させてくれ。それじゃ、もう帰って大丈夫だと思うよ…。」
そういってスターオー先輩のトレーナーさんは受付のほうへ歩いていきます。…なんで感謝するんでしょうか。わたしが…わたしが…。
「ブラックエメラルドさん、サクラスターオーさんがお呼びです。」
「ひ…ひゃい。」
看護師さんに連れられ、無機質な廊下を歩きます。怒られるかもしれません…。最悪のシチュエーションが頭から離れてくれません、
ぴたりと閉ざされていた病室のドアを開けると、夕暮れの空を呆然と眺めているスターオー先輩がベッドに腰かけていました。スターオー先輩は私に気が付いたのか体をこちらに向けました。
「エメラルドちゃん、心配かけてごめんね。」
「うわぁぁ゛ん。すたーさん゛ぅ~…」
エメラルドちゃんは私を見るなり私の胸の中に飛び込んできました。小刻みに震える年相応の肩に少し申し訳なさを感じます。
朝、少しの違和感でトレーニングをやめて病院へ行っていたら。
かわいい後輩だからってお手伝いを頼まなければ。
ちょっとした見栄でいつもよりペースを速めたりしなければ。
こんなことには…なってなかったの、かも。
トレーナーには悪いことをしたと思う。最初の担当ウマ娘が皐月賞を勝ってダービー前に故障。トレーナーは厳しいメニューを渡していたらしい。世間に何と言われるのだろう…。
私が守らなきゃな。 この小さな体も、慕ってくれている後輩も、今頃大変な顔をしているであろうトレーナーも、もちろん ――私も。
「ずぴ゛…。ひぐ…。」
「エメラルドちゃん、落ち着いた?」
「ひゃい…。ごめんなさい…。わたしが…。」
「大丈夫。エメラルドちゃん。わたしはここにいるよ。どこにもいかないから…。」
「はい…。あの、トレーナーさん…大丈夫ですか…?」
「ん、あの人…今日はきっとめんどくさいから、ショック受けてて面会拒否、ってことにしておいた。私のそばにはエメラルドちゃんがいてくれてるしね。」
「ぅ…。わたしで…いいんですか…?」
「もちろんだよ。エメラルドちゃん。…ちょっとだけ、話を聞いてもらってもいい…?」
「はい、私が聞けることならなんでも…。」
「私の皐月賞の時の人差し指、覚えてる?」
「はい!とってもかっこよくて…!」
「あれね、実は三冠宣言じゃないんだ。」
「え…?そうなんですか…?」
「うん、弥生賞の後に、お世話になってたスクールの先生が亡くなっちゃってね…。ほら、ウマ娘の雑誌に活躍したウマ娘のスクールを紹介する記事があるじゃない?」
「そうですね…。何回か読んだことあります。」
「その先生が、昔一回だけその雑誌に載ったことがあるんだって。それで、卒業の日に『もう一回その雑誌に乗りたいな』って言ってたんだよね。」
「でも…その先生は…。」
「卒業してから連絡とってなかった私も悪いんだけどね…。だから、あの人差し指は天国にいる先生への『勝ったぞー』っていう印。」
「ぜーったい届いてますよ!ぜーったい!」
「ふふ。そうだといいな。それでね、私の足なんだけど…。」
「…はい。」
「そんな暗い顔しないで。全治四か月、だって。菊花賞に出れるかは…半々。」
「っ…。それって、ダービーは…。」
「無理…だね。そんな顔しないで?大丈夫。また走れるから。」
「…はい。」
「ごめんね、こんな暗い話。ね、エメラルドちゃん。今日は一緒にいてほしいな…。」
「でも…門限…。」
「大丈夫。私から連絡しておくよ。きっとたづなさんも悪いようにはしないはず。」
「わかりました…。じゃあ…いっしょに、います。」
「じゃ、おいで。やっぱりなんだかさみしくて…。」
靴を脱いでベッドに上がると、スターオー先輩が私を抱きしめました。その方は肩が震えていて、なんだかいつも見ている大きな背中とはかけ離れているようなきがしました。
「ごめんねエメラルドちゃん…。ちょっと…ちょっとだけ…。」
そう言ってスターオー先輩は私の胸で泣き始めました。その小さな背中がなぜだかとてもいとおしく感じ抱きしめます。
「…ねちゃった…。おやすみなさい、すたーちゃん…。」
はぅ…言っちゃった…。ふわぁ…。私も眠くなってきちゃった、