最近、仕事中の彼のことが気にかかる。
別に何かとやかく言うつもりはないけれど、それでも少し眠そうな姿を見せたり伸びをしては疲れた顔をしていたりする姿を見ていると、ちょっと心配になってくる。
いつもはこっちのことばかり気にかけてくれるけど彼はどうなのだろう?
ちゃんと休めてるのだろうか、今もこうしてトレーナー室で少し疲れた顔をして机に向かって作業をしている彼を横目に見てそう思わずにはいられなかった。
「……ねえ、その、大丈夫?」
だからついそんな言葉が口から飛び出して、私はそっと彼に近寄った。
するとその声に気づいたのか、彼は顔を上げてこちらを見るなり笑顔を浮かべると優しい声で話しかけてくる。
「えっと、何がだ?」
「あなたが少し疲れた顔をしているように見えたから。……それだけ」
私がそういうと彼も納得したような表情を浮かべながら苦笑を漏らすと、次は困ったように頬を掻く仕草をしながら口を開く。
「あと2つだけ資料を作ったら今日は終わりだからさ。大丈夫だよ」
「まだ仕事が?……そう、お疲れ様」
「うん、ありがとう」
「ねえ、まだ少しかかるみたいだし……お茶でも淹れたら、飲む?」
彼の様子を見ている限りだともうすぐで仕事が終わると言ってくれたのでそれならと思ってそう言ってみると、彼は目を丸くした後に嬉しそうに微笑みながらゆっくりと首肯してくれた。
「うん、じゃあお言葉に甘えて頼もうかな。お願いするよ」
「……なら少し待ってて」
それを聞くとすぐに立ち上がってお茶を用意してほんの少しだけ体を休めていく。
「はい、どうぞ」
「ああ、ありがとう」
彼は受け取った湯飲みを口に運んで1つ息をついたことを見届けると自分の分を口につける。
気休め程度にしかならないかもしれないけど、少しでもその疲れが安らいでくれたらいいと思う。
「……いつもそんなに忙しいものなの?」
「ん~、まぁそんなことはないけどここ最近はちょっと多いかな」
「……そう」
「こっちのことは気にしないで良いよ。これもアヤベが頑張ってくれたおかげでもあるんだし、むしろ嬉しいくらいだ」
「私のため、ね。……その割には最近随分と疲れ気味みたいだけど」
「このくらい大丈夫だよ。平気さ」
「……」
彼のことだから嘘ではないのだろうけど、それで私のせいじゃないと言われても釈然としないものがある。
ただそれを今追及したところで何か変わる訳でもないから、今はただ何かリラックスでもいいからさせてあげたい。
「……あっだったら」
少しだけ思考を巡らせるとあることを思いついた。
これなら少しは今の彼の気分転換にもなるかもしれない。
「……ねえ」
「何、アヤベ?」
「その、明日は私のトレーニングはなかったはずよね」
「そうだね。休日ってことになってるけどそれがどうかした?」
彼は不思議そうな顔を浮かべるが別にそこまで難しいことでもないことだから落ち着いて深呼吸をして口を開いていく。
これなら私のためでもあるし、それに彼にとってもきっと悪くないはずだと思うから。
「朝練……しようと思ってるの。もしあなたさえ良ければ付き合ってくれないかしら?」
そう言ってみると意外にも彼はきょとんとした表情をしてこちらを見たまま固まっていた。
「なによその顔は……」
予想外に驚かれて思わずジト目で見つめ返すと彼は慌てて手を振った。
なんだかその姿が少し面白く思えたけど表情に出してしまう前に取り繕うように咳払いをする。
「まあいいわ。それよりも答えてくれる?……もちろんあなたの負担になるようなら無理は言わないし、断ったって全然構わないわ」
「断るなんてそれこそまさか! 休みの日も練習っていうのがなんだかキミらしくて良いと思っただけだからさ」
「……ってことは、OKで良いのよね?」
「ああ、もちろん!」
そう言うと今度は彼も微笑んで了承してくれる。
いつも以上に上機嫌で、まるで子供みたいに嬉しそうにしている彼を見てこちらもつられて笑みがこぼれてしまった。
もちろん、この朝練は嘘ではないけれどそれがメインではなくてあくまで口実にすぎない。という事を彼が気付いているかどうかはわからないけど……。
「それなら、明日の朝はお願いね」
「ああ、楽しみにしてるよ」
それでもこうして喜んでくれるなら、悪い気はしなかった。
いつも担当の私のために尽力してくれている彼に、少しくらい返してあげるというのも別に何もおかしいところはないだろう。
「いつごろから始めるつもりでいるんだ?」
「そうね、少しだけ早めに起きて走りたいと思っているから。6時くらいには起きているつもり」
「わかった。なら俺はそれまでに色々と準備しておくとするよ」
「ええ、ありがとう」
それだけ伝えると私は笑って彼もそれに答えるかのように笑顔を向けてくれて、そんな些細なやりとりがなんだか楽しいと感じると同時に少しだけ照れくさい。
「明日を楽しみにしてるよ、アヤベ」
ただその気恥ずかしさを誤魔化すようにそっと視線を外した瞬間、不意打ちのような一言を言われてしまう。
「……そうね、私も……楽しみにしてる」
それは紛れもなく本心であり、同時にどこかで期待していた言葉でもあった。
それを素直に口に出してみるものの、なんだか彼の顔を見るのが照れくさくなってつい顔を逸らしてしまう。
だから私はその頬の熱が引くまで彼と顔を合わすことが出来ずにいて、そろそろ寮に戻らなければいけなくなった頃になってようやくその視線を合わせることが出来た。
「まあ、とにかくそういう事よ。明日は遅れたりしたら私も困るし、その……今日くらいはあなたも早く寝なさい」
「……ははっ! うん、わかったよアヤベ。俺も今日はもうこれで終わりにして休むことにするよ」
「ええ、それが良いわ。そろそろ時間も時間だし私も戻るわね」
その言葉に満足すると私はまだほんのりと温かいお茶を飲み干し、立ち上がって寮へと戻ろうとドアノブに手をかけたとき。
「……アヤベ」
「なに?」
「心配かけちゃってごめんな。それと、ありがとう」
振り返ると彼の穏やかな顔がそこにあった。
そしてまた少しだけ恥ずかしさがぶり返してきそうになるけど我慢する。
ただその代わりに、せめてこれだけは伝えたいと思って彼の方を向き直して口を開いた。
「お礼なんて、いい。私が勝手にしただけなんだから……」
少しだけ顔を見つめ合ったら、お互いに笑い合う。
やっぱり少し恥ずかしいとは思いながらも彼の前ではそれも自然に振る舞えてしまうのがなんだか少しだけ楽しい。
「それじゃあ、また明日」
「ああ、また明日。おやすみアヤベ」
扉を閉める間際に見たのは手を軽く振っている彼が居て、私も同じように小さく手を振り返すと少ししてから部屋に戻った。
自分の部屋のベッドに入るとそのまま横になって天井を見つつもさっきのやり取りを思い出しながら、少しだけ頬が緩んでしまうけど気にせずそのまま布団の中に潜って目を閉じた。
明日のことを考えてドキドキしながらもその胸の内が暖かいのはきっと間違いない。
それに彼もあの顔からして疲れは溜まってるだろうから、今日のことでそれが少しでも和らげばと願いつつゆっくりと意識を沈めていくのだった。
そしてそれから時間は経ち翌朝になり約束の時間通りに私は起きた。
6時には起きるつもりだったので目覚ましをかけていたものの、セットした時刻よりも余裕をもって早い時間に自然と目が覚めていた。
「んんっ……もう朝……」
まだぼんやりとする頭でスマホを見ると、デジタル時計は5時半過ぎを表示している。
いつもより早起きした気分になるけれど特に問題はないだろう。
それよりもさっさと支度をしてトレーニングをしなければいけないと気を取り直し、手早く着替えを済ませて外に出られる準備を整える。
昨晩はしっかりと寝られたのでコンディションは問題なく、体の方も絶好調に近い状態だった。
「……よし」
鏡の前で髪を纏めてから軽く身嗜みを整えてグラウンド場に向かうとまだ日も高く昇っていない早朝のため静かでひんやりとした空気が体を包む。
少しだけ肌寒さを感じながら先に準備運動を始めていけば次第に彼も寒い寒いなんてぼやきながらやって来た。
「おはよう、アヤベ。待たせちゃったか?」
「別に大丈夫よ。私だって少し前に起きてたからそんなには待ってないし、まだ準備運動終えたくらいだもの」
「なら良かった。準備はもう済んでるみたいだし、早速始めていくか!」
「ええ、よろしく頼むわ」
それから先はただいつも通り黙々とこなして、何か気づきがあればその度彼がアドバイスをくれたりもする時間だけが緩やかに過ぎていった。
「……疲れたか?」
「いいえ? この程度ならまだまだ平気よ。むしろもっと厳しめでも良いくらい」
「アヤベらしいね。うん、キミがそう言うのならそうしよう」
「ええ」
それからまた無言でトレーニングに励んでいる内に辺りが明るくなり始めて、空からは太陽が顔を出していた。
気付けば結構な時間が経過をしていたようだが、彼も何も言わずにずっと付き合ってくれるのは正直言ってありがたい。
「よし、もう時間も時間だしこれくらいにしておこうか。お疲れ様、アヤベ」
息を整えながらその言葉を聞けば、後はクールダウンをすればもう終わりとのこと。
「それじゃあ機材とかは俺が片付けておくからアヤベも……」
「……ねえ」
「んっ?」
私が声を掛けると彼は振り返ってこちらに視線をくれる。
その顔はまだこれから何かあるのかと疑問を浮かべており、そんな中でも私は彼にこう切り出した。
「朝練に付き合ってくれてありがとう。ただその……あなたって、まだこの後は時間あるかしら?」
彼の顔を見ながらも言葉を口にするのはやっぱり恥ずかしくてつい俯いてしまいそうになるが、それをぐっと堪えてその目を見つめ続ける。
そうすると私の言葉を察してくれたのかどうかはわからないが、彼の方は首を縦に振ると口を開いた。
「今日は特に予定もないし、時間なら大丈夫だよ」
「それならもう朝食の時間だし、私がよく行くパン屋へ行こうと思ってるのだけど、一緒にどうかしら?」
「それは良いな! 俺も小腹空いてきたところだしキミさえ良いなら喜んで」
「なら決まりね。少し着替えとか色々したいからここで待っててくれるかしら?」
「ああ、わかった」
私が提案すれば彼は嬉々として了承してくれたそのことに内心ホッとし、安堵しつつ私は寮に戻ってシャワーを浴びて汗を流したりした後また戻ってきたのだった。
「待たせてごめんなさい、それじゃあ行きましょうか」
「いや全然大丈夫、気にしないで」
2人で連れ立ってしばらく歩けば目的地であるその店が見えてきて私は足取り軽くそこへ向かう。
中に入るとお店の奥にある厨房の方からは食欲をそそる良い匂いが漂ってくるので否応なしにお腹がすいてくる。
「へぇ、こんなところにパン屋さんがあるなんて知らなかった」
「……キョロキョロしすぎ」
「おっと、ごめんごめん。なんかテンション上がっちゃってさ。つい」
「まあ気持ちは分からなくもないけど」
そんなやり取りをしながら2人して店内を見て回っていくとそこには色とりどりのパンが並んでおり、どれも美味しそうな香りを放っている。
その豊富な種類に目を輝かせながらどれを食べようかと悩み始める彼の姿はどこか微笑ましくて、自然と笑みがこぼれてしまった。
「……あのさ、アヤベのオススメってどれ?」
「私の? う~ん……そうね」
突然そう聞かれて思わず考え込んでしまう。
ここのお店の商品は基本的に全部好きだけれど、特に好きな物といえば……。
「……私ならこれ、かしら」
少し商品を眺めて考えた後、指差したのは小さなクロワッサンを指差した。
「それじゃあ俺もそれを貰おうかな」
「……私と同じもので良いの?」
「うん、これが良いんだ」
「……そう」
彼のその言葉になんだか妙に恥ずかしくなって顔を背けてしまうけれど、そんな私の様子を見てか彼も少し照れくさそうに頬を掻きながら視線を外す。
「ええっと、あの席はどうだアヤベ? 周りに人もいないし落ち着いて食べられると思うんだ」
そう言って彼が示した場所は窓際の少し静かな場所で、外の様子が見える。
私が騒がしいところがあまり好きじゃないのを気遣ってくれたのかも、なんて思ってしまうのは都合のいい解釈だろうか。
ただ、その優しさが嬉しいことには変わらないから、バレないようにこっそり笑みを浮かべて私は彼と共にその場所へ向かった。
「いただきます」
向かい合うように座ったあと、いただきますと手を合わせてから早速買ってきたパンに口をつける姿を眺めてしまう。
「……どう?」
「うん、美味いな! アヤベがオススメっていうのも分かるよ」
「そう、気に入ったなら良かったわ」
感想を聞きたくて尋ねれば笑顔で返してくれてそれがまたなんとも言えず嬉しくてつい表情が緩んでしまう。
「にしても、どこでここ知ったんだ? 俺全然知らなかったんだけど」
「大したことはないわよ。自主練で外を走ってるときに偶然見つけて、ちょっと立ち寄ってみたら美味しかったから。それ以来たまに来てるだけ」
「なら良い場所を教えてもらっちゃったな。俺も今度また食べに行きたくなったし」
「……別にそこまで気にしなくても、あなたも気に入るかもしれないって思っただけだもの」
そんなやりとりが何だかくすぐったくて、誤魔化すようにしてクロワッサンを口にする。
「朝食を一緒にって言われた時はちょっとだけ驚いたけどさ……」
ふとそこで彼は言葉を区切り私の方を見てくるので、私もそれに倣って彼と向き直る。
「良いもんだな、こういうのも」
「……そうね。騒がしいのは嫌いだけど、あなたとこうして静かに過ごせるなら、悪くないかも」
自然とそんな言葉が口をついて出てきて、そしてそれに彼は優しく微笑みかけてくれるから私もつられて微笑み返す。
「……」
それからは暫くの間お互いに無言のまま朝食を取り続けて、時折目が合えばどちらともなくまた笑みを交わし合ったりしながらゆったりとした時間を過ごす。
そのせいかいつもより食事の時間が長くなったような気がして、それでも嫌だとは欠片も感じないのだから不思議だった。
そうしているうちにいつの間にか最後の一切れを食べ終えたらしくて、空っぽになった皿だけが残っていた。
「ごちそうさまでした」
手を合わせながら呟いた彼の声が、何故だかやけに大きく響いて聞こえた気がした。
「ねえ、1つだけ良い?」
「ん、どうかしたアヤベ?」
「……少しはあなたの気分転換になれたかしら」
「……ああ、なるほど」
私の言葉の意味を理解してくれたようで、どこか納得がいったかのように何度か小さく首を縦に振ると今度はしっかりと私の目を見て言った。
「なんか、こっちが心配されちゃったか。そんなに昨日の俺は疲れて見えた?」
その問いに一瞬躊躇ってしまったのは何と答えるべきか迷っていたからだけれど、変に誤魔化しても意味はないと思ったから私は素直に話すことにした。
「そうね。少なくともいつもより元気はなかったように見えたわ」
「……えっと」
「俺なら大丈夫だから、なんて言うつもり?」
図星を突かれたみたいで目を泳がせてから言い淀んでいる様子を見て、私はついため息をついてしまう。
「あなたの考えそうなことくらい想像がつくの。……本当に、もう」
「そっか、じゃあ俺何も言えないな。……ありがとう、アヤベ」
「……どういたしまして」
結局彼らしいといえば彼らしいけれど、そんな答え方に少し呆れてしまいそうになる。
でももしも逆の立場なら私だって人のことはあまり言えなくて、きっとお互い様ということなのだろう。
それがなんだか可笑しくなって、思わずクスリと笑ってしまえばつられるように彼にも笑顔が戻る。
「やっぱり、キミには敵わないな」
「それはお互い様でしょう?」
「そうかもね」
そうして2人で笑い合っていればまるで私たちしかいないんじゃないかと勘違いしてしまうぐらいに周りの音は消えていて、とても心地の良い時間が流れていく。
静かだけれど決して不快ではなく、むしろ店内へ届く暖かな日差しと相まって気持ち良さを感じるほどだった。
こんな時間をもっと過ごしていたかったけれど残念ながらそんな時間は終わりを迎える。
「流石に食べ終わったのにずっといるのはお店にも悪いし、そろそろ帰ろうかアヤベ」
「……ええ、そうしましょう」
名残惜しくはあるけれど仕方がない。
それにまだ学園に行くまで少し余裕があるのだし、それまではゆっくり出来るのだから今はそれで満足することにしよう。
席を立ってトレーを返却口に持っていき、私たちは会計を済ませてから店を後にすると、そのまま特に会話を交わすこともなく2人分の足音だけが響いていく。
いつも通り2人揃って歩いていく小さな歩幅。
けれど今の私にはなぜだかとても、いつもより小さく感じる一歩だったような気がした。
「あのさアヤベ、今日のお礼っていう訳じゃないけど。今度は俺おすすめの場所とか教えたいんだけど、どうかな」
「それなら別に、今日のことなら私が勝手にやってるだけよ。あなたからわざわざお返しされるほどのことはしていないわ」
「それでも俺の自己満ってことで。だからさ……」
そこで言葉を切ってこちらを見つめてくるので何かと思い彼の顔を見上げれば目が合ってしまい、途端に頬が熱を帯び始める。
そのせいできっと、私の顔色は耳や尻尾だけでなく表情からも明らかに真っ赤になってしまっているんだろうと思うと余計に恥ずかしくなってきてどうしようもないのに、なぜだか顔を背けることができないでいた。
その状態がどのくらい続いたのか分からないけれど私の心臓の鼓動がだんだんと強く、速くなってきているのが自分で分かるほどになってからようやく彼がその優しい微笑みを崩さないままゆっくりと言葉を続けていく。
「良かったら今度また、今日みたいに付き合ってくれないか? 俺と一緒に」
……何よそれ。ずるい言い方。
そんなふうに言われたら、断れるわけないじゃない。
それに本当は、心の奥底ではこの誘いが嬉しくて堪らない自分が確かにいることも自覚している。
それは私もきっと彼と、この2人の時間を同じように気に入っているからなんだろうと今の私にははっきりと分かるから。
「……そう、ね。そのときはまた……よろしく」
そうして精一杯素っ気ない態度で返せば彼は少しだけ驚いた顔をした後で、けれどすぐに嬉しさを隠しきれないといった様子で笑う。
そして私はその表情を見てまた心臓が高鳴っていくのを感じながら、それを必死に抑えて冷静さを装うのだった。
するとそんな私の様子がおかしかったのか彼の方からクスクスと笑い出す声を聞いてしまったので、どうせ私のことなんて全てバレているのだろうと半ば諦めつつチラリと横目で見てみれば、やはり彼は楽しげなままどこか愛おしそうに視線をくれた。
「……また次出かける時は、あなたもちゃんと疲れを取っておきなさい。今度はあなたの行きたいところに連れて行ってくれるんでしょう?」
「ああ、もちろん! もう大丈夫だよ!」
「……どうだか、また無理をしないとも限らないでしょう? あなたのことだもの」
「ははっ、そうかもね。でもそれはお互い様だろ?」
「……そうね」
「それにさ、お互いまた無理をしそうになってもちゃんとどっちかが気づくから大丈夫だよ。……今日のアヤベみたいにさ」
そんな自信たっぷりに笑いながら言うものだから、私は何も言い返すことができなくなってしまう。
実際彼の言う通りになってしまう予感がするからこそ尚更。
だってこんなにも私は、彼のことばかり気にしてしまっているから。
なんて思うほどにはお互いにきっと、この距離感が一番心地良いと感じてしまっているのだろうし、これからもそれを変えることはないのだろう。
それが心地良くて、楽しくて、いつまでも続いて欲しいから。
「……なら、約束よ」
「ああ、約束だ」
差しだした小指に、そっと彼の小指が絡められた。
ただそれだけなのに不思議とそれだけで満たされた気持ちになってしまう。
彼の優しさが、彼の温もりが伝わって来るようで。
きっと彼も同じように思っていてくれたらいいなと思いながら私はまたゆっくりと歩き続ける。
さっきまではもうこの時間が終わってしまうのが名残惜しくて小さくなっていったこの歩幅も、今ではむしろ早く進んでしまいたいという想いの方が強くなってしまっていて。
そんな幸せを胸に抱えながら。
私は、今日も彼の隣を歩いていく。