天頂に輝く真っ白な太陽。
透き通るほどの青い空に、ぽつぽつと浮かぶ白い雲。
見渡す限りの緑に煌めく、風がそよぐ大高原。
そのいずれもカードゲーマーには似合わないものだなと、
目的地に到着するやいなや、リュートは背負った大荷物を投げ出し、草原の真ん中に倒れ伏した。
太陽が出ているにも関わらず涼しいのは、標高が高いからか、季節も秋口に入ったからか。これが真夏ならば、リュートはとうに死んでいる。汗をさらう涼風が心地よかった。
「いやー、つきましたね! リュート先輩!」
リュートより一回り小柄にも関わらず、リュートと同じぐらいの大荷物を背負った
ショートパンツの下に白いトレッキングタイツ。体温調節をしやすいようにか、ピンク色のジャケットを羽織っている。どこに出しても恥ずかしくない、見事な山ガールである。顔の左半分に浮いた宝石のような汗がまばゆい。
「どうしたんですかー? もうバテちゃったんですかー? 楽しいキャンプはこれからですよー?
ほら、見てください! ここからの景色! 絶景ですよ!」
リュートを覗き込むように見下ろしたと思いきや、崖っぷちに立って空飛ぶように両手を広げる。
「こらこら。はしゃぎすぎると危ないよ……」
ようやく呼吸の整ってきたリュートが、フランに注意しながらゆっくりと体を起こすと――。
その姿がどこにも見当たらなかった。
ついさっきまで彼女が立っていた場所には大きなリュックが放置され、カラカラと小石が崖を転がる音がやけに大きく響いたような気がした。
「……フランっ!?」
リュートが大慌てでそこに駆け寄り、崖から下を覗き込む。
そこにフランの姿があった。虫かヤモリのように、崖にぴったりと張り付いていた。
傍には崖から隆起したでっぱりがあり、その上に野ウサギが小さな体をさらに小さく丸めてプルプルと震えていた。
「リュート先輩、大変です」
崖に張り付いた後輩ほどの非常事態もそうそう無いが、フランは至って真剣な表情で、懇願するようにリュートを見上げた。
「この子、怪我してるみたいなんです。助けてあげましょう」
命の危機にあるのは自分ではなくフランなのだが、リュートは今の状況に至るまでの経緯を、まるで走馬灯のように思い出していた。
「キャンプに行きましょう」
いつもの薄暗い部室で、陰気な調子で陽キャみたいなことを提案してきたのは、部員の
「……で? そこにはどんなオカルト話があるの?」
面倒くさそうに頬杖をつきながら、そうリュートが尋ね返した。
「察しがいいわね。さすが相棒」
察しも何も、自分にとって興味の無いことに対してはとことん出不精な彼女が、キャンプなどという陽キャの象徴みたいな行為をわざわざしに行こうと提案してきたということは、何か裏があるに決まっている。
「見て。このキャンプ場。毎年この季節になると流星群が見られる人気スポットらしいわ」
無造作にテーブルに投げ出されたキャンプ雑誌には、なるほど、藍色の夜空を背景に、無数の光点が煌めく尾を引いて降り注いでいる写真が載っていた。
「わあ、綺麗!」
フランが歓声をあげる。確かに写真でも分かるほどの幻想的な光景だ。
「で、その中に真っ赤な星が混ざっていることがあって、それを見た者にはもれなく不幸が訪れるらしいわ」
キャンプ雑誌の上にバサリと音をたてて置かれた『月刊アトランティス』という怪しげな雑誌の1ページには、他の星よりも2~3倍は大きい流星が白黒の写真で撮られていた。
「白黒だと赤いかどうかわからなくない?」
「もちろんこの写真を撮った人も、不幸に見舞われたらしいわよ」
リュートのツッコミをスルーして、ジュジュが解説を続ける。
「どんな……?」
「初手に必ず超トリガーが来るようになってしまったらしいわ」
「地味な嫌がらせ!!」
「そんなわけで、この凶星を見に行きましょう」
「……僕、そんな呪いにかかるのは遠慮したいんだけど」
「去年もそんなことを言いながら、通り抜けた者は変死を遂げるという、魔の444番トンネルにも行ったけど、ピンピンしてるじゃないの」
「そんなアブナイ橋を渡ってたんですか、おふたりは……」
顔面の左半分から一筋の汗を垂らし、フランが僅かに身を引く。
「くだらないガセネタの正体を暴くのも、カードファイト部の大事な使命よ」
「いや、オカルト研究部の使命だろ!?」
去年、カードファイト同好会が、オカルト研究同好会を取り込んだ時、リュートがうっかり優しさを見せて、たまにジュジュのオカルト研究にも付き合うと約束してしまったがために、また少しずつ乗っ取り返されているような気がする。
「……けど、皆でキャンプに行くと考えれば悪くないか。僕は構わないよ」
というか、恥ずかしくて口には出さないが、このメンバーで出かけるのであれば、どこに行くのだって楽しいだろうなと思う。今度はカードショップ『ニアミント』の皆と一緒に、旅行とかにも行きたいなとも思った。
「そうこなくっちゃ。……ひひっ」
「フランはどうする?」
「はいっ! あたし、キャンプは大好きです! お供させていただきますっ!」
陽キャがここにいた。
「決まりね。せっかくだから、建前はカードファイト部の合宿ということにしておきましょう。これなら費用は部費から捻出できるわ」
「え、いいの? わざわざキャンプ場まで行って、ヴァンガードする意味って……」
「何を言ってるの? それなら野球部だのサッカー部だの運動部が、九州やら沖縄みたいなリゾート地で合宿してる方がよっぽど意味不明よ。球遊びなんて空き地ひとつあればできるでしょうに。彼らはよくて、私達はダメである理由が見つからないわ」
「う、うーん……言われてみれば、そう、なのかな?」
ジュジュの言い分にトゲはあれど、たしかに運動部が優遇されているような気はしないでもない。
「御納得頂けたのなら、キャンプ場を予約しておくわね。レンタルするテントはひとつでいいわよね」
「うん」
ごくごく自然にリュートが頷いたものだから、フランも無言で頷き――
「……へ?」
ふと冷静に考えた後、間抜けな声をあげた。
「ちょ、ちょっと待ってください! それってあたし達がリュート先輩と同じテントで寝泊まりするってことになりますよね!?」
「そうだけど」
「それがどうかしたの?」
普段ならジュジュの常識はずれな言動を
「え、ええとですね! あたしとジュジュ先輩は女の子で! リュート先輩は男の子! 男女が同じ屋根の下どころか、狭いテントの中で一夜を過ごすというのは色々と問題があるというか……!!」
孤立無援の状況で、彼女にしては珍しいしどろもどろになって倫理的な価値観を共有しようとする。
「ああ、言われてみればたしかに。ジュジュが相手だからまったく気にならなかった」
「私もリュートが相手だから、まったく気にならなかったわ」
「444番トンネルの時も、同じ旅館の同じ部屋に泊まったしね」
「あの物件も刺さったわねえ。旅館なんて運営できそうにない、腰の曲がった小さなお婆さんがひとりで回してたし。朝起きたら廃墟になってたし」
「その話はその話で気になりますけど!」
「けど安心して。さすがに着替えは衝立越しにやってたわよ」
「せめて個室で着替えてくださぁい!」
バン! とテーブルを叩いてフランが叫んだ。
「おふたりの仲がいいのは重々承知してますけど、仲がよすぎて、姉弟を通り越して
「じゃあ聞くけど……」
クマで据わった目を、さらにじとりと細め、ジュジュがフランに向き直った。
「リュートに裸を見られたとして、あなたは何か感じるの?」
「どうも感じないですね。これっぽっちも」
「なんでだよ!?」
ジュジュならまだしも、後輩にそう思われるのはさすがに傷ついたのか、リュートが声をあげた。
「犬猫に裸を見られた方が、まだ恥ずかしいすらありますね」
「え? 君達の中で僕って何だと思われてるの?」
「信用されてるのよ」
ジュジュが拳でリュートの胸をドンと叩いた。
「とても納得できました。テントはひとつで構いません」
あっさりこちら側に転んだフランが、晴れ晴れとした表情で言う。
「わかったわ。それで生徒会に申請しておくわね」
「……ん? フランの指摘で少し冷静になったんだけど、生徒会を通さないといけないなら、やっぱりテントひとつはまずくないかな?」
「たしかに。こっちはよくても、生徒会側が何て思うか分からないわね。陳腐な妄想で、私達の関係性にズカズカ踏み込まれたくないし。お金は惜しいけど、ここは無難にテントをふたつレンタルしておきましょうか」
「そうですねぇ」
「まぁ仕方ないわね。夜は私達だけで、リュートの悪口で盛り上がりましょう」
「はいっ!!」
「そこは元気よく同意するところじゃないだろ!?」
――かくして週末、リュートは慣れないキャンプに、カードファイト部の面々と出かけたのであった。
「はい、これでもう大丈夫ですよ」
脚の傷口からピンセットで丁寧に小石を取り除かれ、軽く包帯まで巻かれた野ウサギは、フランの手を離れるやいなやぴょんこぴょんこと草むらへと消えていった。
「強く生きるんですよー」
フランがその草むらに向かって大きく手を振る。
「リュート先輩も、助けてくださってありがとうございました!」
「僕は大したことしていないよ……」
適当な木を見つけて、そこに結び付けたロープをフランに垂らしただけだ。その指示を出したのもフランだったし、何ならロープ無しでも野ウサギを連れて登ってこれそうなぐらいの身軽さだった。
「だからと言って、何度も注意してるけど軽率な行動はやめてよね」
「すみません……。このあたりならロープも多いでしょうし、分のいい賭けだと思ったんですけど……」
「例え勝率9割でも、命をベットしたギャンブルはやめてくれないかな!?」
本当なら登ってきてすぐ注意したかったのだが、小さな命を胸に抱き、それに安心を与えるかのように微笑むフランが、あまりにも慈愛に満ちた聖女じみていて、思わず見惚れてしまっていたことは秘密だ。
「あら何? また危険なことをしていたの?」
そうしている間に、全員が無事に到着したこと(ひとり無事ではなくなるところだったが)をキャンプ場の事務所に伝えに行っていたジュジュが戻ってきた。
彼女はフランの行動に対しては不干渉を貫いている。雨宮ジュジュのスタンスとしては、奇抜な行動はむしろ歓迎したいのだが、可愛がっている後輩が危険を冒すのはさすがの彼女も不安で仕方ないと言ったところか。
「ごめんなさい……」
そんなジュジュの心配もよく分かっているのか、フランが項垂れながら謝罪する。
「まあ、ほどほどにしておきなさい」
ジュジュは手の甲でフランの額をコツンと小突いた。
「それより、早く夕飯を作りはじめましょう」
「え? まだ昼過ぎだよ?」
リュートが空を仰ぐ。まだ太陽は高く、蒼天で照りつけている。
「下界でのクセが抜けていないわね。ここは注文してすぐ料理が出てくる場所じゃないのよ」
「あ、そっか。自炊しないといけないんだね」
「テントも暗くなる前に組み立てておきたいし、やるべきことは山積みよ」
「お夕飯は何を作るんですかぁ?」
「もちろんキャンプと言えばカレーよ」
「わあ! 定番ですね!」
「材料はキャンプ場に用意してもらってるわ。後は作るだけよ」
ジュジュが視線を向ける先には、組み立てればテントになるのであろう布や棒。その隣に大量の食材が入りそうなクーラーボックスがあった。
「はいっ! あたしこう見えて中学生の頃はガールスカウトだったので、そういうのは得意です!」
「こう見えても何もぴったりだと思うけど……」
「じゃあ、まずは手分けしてテントを組み立ててしまいましょう。私とフランで女子用。リュートは男子用を担当ね。はい解散」
ジュジュがパンと手を合わせた瞬間、素早く行動に移る女子ふたりと、そこから一拍遅れて動き出す男子ひとり。
ガールスカウト経験のあるというフランはもちろん、ジュジュも趣味柄野営には慣れているのか、ふたりがかりとは言え、リュートが担当しているものの倍以上はあるテントを瞬く間に完成させてしまった。
リュートはマニュアルとにらめっこしながら、ようやく土台を組み立てたところである。
「ふふーん。仕方がありませんねぇ。あたしが組み立て方を教えて差し上げましょう」
マウントを取るように現れたフランだったが、彼女の教え方は下手だった。
というよりも、口頭で説明しながら、体はテキパキとテントを組み立て続けていたため、リュートが実践する暇が無かったと言うのが正しい。常に行動していなければ気が済まない彼女らしいと言えば彼女らしかった。
こうして出来上がったテントに、ふたりで中に入る。
「へえ。思ったよりも広いんだね」
リュートが素直な感想を述べた。もっと居心地の悪いものと思っていたが、気分的には部屋にいるのと大差ない。なんなら狭くて薄暗い部室より快適ですらある。
「上級者向けの割としっかりとしたテントですね。経験者ふたりで大きい方を先に片付けて、どちらかがリュート先輩のヘルプに入るところまで、ジュジュ先輩は織り込み済みだったんじゃないでしょうか。むしろ土台ができていただけでもすごいですよ!」
「そ、そうかな……」
先輩を立てることも忘れない。よくできた後輩である。
「じゃあ、そろそろジュジュ先輩を手伝いに行きましょう! もうカレーを作り始めちゃってますよ」
促され、共用の自炊場へと向かうと、ジュジュが大鍋を乗せた備え付けのかまどで、火を起こしているところだった。
「あら、早かったわね。米はといでおいたから、そっちでご飯を炊いてもらえるかしら」
「はいっ! まかされました!」
背面にある、3つの飯盒が乗せられた小さなかまどを親指で指し示し、フランが威勢よく返事をする。
「待って! フランって火は大丈夫なの? その……」
うまく言葉にできず、リュートは自身の顔の右半分に手を振れた。
フランの火傷は火事によるものである。ひょっとしたら火が苦手なのではないかと危惧したのだが。
「お気遣いありがとうございます! 一時期はダメでしたが、そのままではお料理もできませんからね。毎日自分で火を起こして、それを30分見つめ、消火するという訓練を繰り返して、無理やり慣らしました!」
トラウマの克服方法が体育会系すぎる。素直に医者にかかってほしかったところである。
「そ、そうなんだ……。でも、気分が悪くなったりしたら、すぐに言ってね」
「はいっ!」
「じゃあ、リュートは野菜を切っておいてちょうだい」
「う、うん……」
リュートは家庭科の授業以外で包丁を握ったことはないのだが、ピーラーも借りられるようだし、さすがに野菜を一口サイズにカットすることくらいはできるだろうと楽観する。
「そんな僕が言うのもなんだけど、ジュジュは料理できるの?」
クーラーボックスから野菜の入った袋を取り出しながら、リュートは尋ねた。これだけは機を見て、絶対に確認しておかなければならないとさえ思っていた。
「材料を鍋に突っ込んで煮込むことくらい、料理ができなくてもできるわよ」
案の定、不安を煽るような返答。
「ジュジュは要領がいいから、ちゃんと料理を作れるのかは心配していないよ。僕が心配してるのは、ちゃんと料理を作るのかってこと……」
――瞬間、火に集中していたジュジュが、ぐるんと全身を捻じるようにして振り向いた。料理しやすいよう後ろで束ねられた癖のある黒髪が、黒猫の尻尾のように不吉に揺れる。その顔には、悪戯の見つかったやんちゃ坊主のような、それでいて反省もせず開き直るクソガキのような表情が浮かんでいた。
「あらなぁに? 私がカレーに惚れ薬でも混ぜて、あなたとフランがいい関係になるのを傍からニヤニヤ眺めていようと考えているとでも思った?」
「そこまでは考えてなかったよ!?」
「安心して。さすがの私も、食べ物では遊ばないわよ」
それを体現するかのように、再び真剣な表情で火へと向かい合う。
「ならいいんだけど。ジュジュがカレーみたいなキャンプでの定番料理を選ぶなんて意外だったから」
「私への正しい理解をありがとう。けど、素人だけじゃ野外で作れる料理なんて、せいぜいカレーかバーベキューくらいのものなのよ」
「ああ、なるほど……」
バーベキューのようなキャンプの典型で、陽キャの象徴みたいなもの、それこそジュジュが嫌がりそうな料理である。……まあ、お互いに日陰者同士、陽キャに対する偏見が混じっているような気もするが。
とりあえず納得したリュートは、少し離れたテーブルにまな板を置いて、野菜に包丁を入れ始めた。
包丁を握ったのはそれこそ中学生ぶりだが、なかなか上手くできたんじゃないかと、まな板の上でバラバラにカットされた野菜を見て自画自賛する。それを意気揚々とジュジュに持って行ったところ。
「……ふぅん。ちょっと形が不揃いだけど、まあいいわ」
微妙な反応と共に、リュート努力の結晶はドバドバと雑に大鍋の中へと放り込まれていった。
「…………」
一抹の虚しさを覚えながら、手持無沙汰になったリュートはフランの様子を確認するため、後ろを振り返る。
薪の燃える焦げ臭い匂いに、米の炊ける香ばしい香りが僅かに混ざっていた。
「フラン。調子はどうかな?」
「はいっ! 大丈夫ですっ!」
片膝をついたまま振り返るフランの顔色は、ずっと火の前にいたにも関わらず真っ白だった。にも関わらず、滝のように汗が流れているのも、暑さのためだけではあるまい。口ではああ言っていたものの、火の恐怖を完全に克服できていないのは明らかだった。
「……本当に大丈夫? 代わろうか?」
「大丈夫ですってば――」
フランが意固地になって言い返そうとした瞬間、火の中の薪がパァンと音を立てて弾け、少女は肩を跳ねさせ、縮こまった。フランの火傷の原因は、柱に使われていた木材が近くで弾けたからだと聞いている。規模は違えど、今の音はそれを連想させたのだろう。
「……ごめん、なさい。嘘、つきました。少し、怖い。です……」
顔の右半分、火傷痕に添えられた小さな手が、哀れなほどに震えている。
「うん、わかった。ここは僕に任せて」
薪で火を起こすのは初めての経験だったが、近くにはジュジュもいるし、火の番くらいなら何とかなるだろうとリュートは考えた。
「……だから、手を握っていてください」
だが、フランから返ってきた言葉は意外なものだった。
「……え? 手?」
「はい……」
火傷痕に添えられていた手が、彷徨うように差し出される。
「こ、こうでいいのかな?」
リュートは言われるがまま、両手でフランの手を包み込んだ。その手の中で、ゆっくりと震えが収まっていく。
「ああ、落ち着いてきました。ありがとうございます」
そう言う彼女の表情は、強がりではなく、本当に顔色もよくなっていた。いつも通りの淵導フランだ。
「リュート先輩はすごいですね。いつもあたしに不思議な力を与えてくれます」
「そんな。僕は大したことはしていないよ……」
自分がしたことは、ただ差し出された手を握り返しただけである。大した労力ではない。本気でそんなことを考えていたリュートは、何の他意もなく言葉を続けた。
「だから、こんなことでいいのなら、僕はいつだってしてあげる」
その言葉を聞いた瞬間、フランの目がまん丸になり、その顔は耳まで真っ赤になった。
「たまにそんなこと言うから、リュート先輩はずるいですよね。いやー、いつも以上に気合が入っちゃうなー」
言いながら、何かをごまかすように、かまどに薪をポイポイと放り込み、彼女の頬のように炎も
「? まあ、元気が出たようで何よりだよ」
首を傾げるリュート。
(……まったく、惚れ薬なんていらないじゃないの)
それを背中で聞いていたジュジュは、呆れたようにため息をつくのであった。
「できあがりよ」
日が沈みかけ、あたりも薄暗くなってきた頃、カレーがようやく出来上がった。
ランタンの淡い光で照らされたテーブルに、ジュジュの手によってカレーが給仕されていく。
「わあ、これは――」
フランが何かを言おうとして口をつぐむ。彼女の性格からして「おいしそうです!」と続けようとしたことは想像には難くないが、彼女にすらそう言わせなかった、お世辞にもおいしそうに見えない、少し焦げた白米に粘性の高い液体がかけられただけの何かがそこにはあった。
「ごめん、ジュジュ。みっつ聞いてもいいかな?」
「どうぞ」
「なんか色が紫色なんだけど?」
「茄子の色素が溶け出したのね。味に影響はないわ」
「なんか腐臭もするんだけど?」
「チーズや納豆だって、臭いほどおいしいでしょう? それと同じよ」
「なんかイモリみたいなのが入ってるんだけど?」
「それはイモリよ」
「イモリなんじゃないか!」
バーンと勢いよくテーブルを叩き、カレー皿が小さく跳ねた。
「わぁ! あたし、イモリって食べたことないので楽しみです!」
フランが歓声をあげる。
「え? そこって喜ぶところなの……?」
「そう言うリュートはイモリを食べたことがあるの? 好き嫌いはよくないわね」
「そうですよぉ! それじゃ冷めないうちに、いただきまーす!」
先の質疑応答で不安は氷解したのか、リュートが止める間もなく、フランは躊躇なくカレーを口に入れた。
「うっ……!」
すぐさま口元を押さえるフラン。言わんこっちゃないと、リュートが慌てて水を差し出す。
「う、う……こ、これは、おいしいーーーーっ!!」
が、次の瞬間、フランは恍惚の表情を浮かべて叫んだ。
「臭みが口の中で旨味に変わって! お野菜の甘味がそれをさらに引き立て! それが鶏肉のさっぱりとした後味のおかげで、飽きずにいくらでも食べられちゃいます! これはクセになりそうですよ!」
まるで漫画に出てくる料理評論家のようなリアクションとコメントをしながら、凄まじい勢いでカレーをかき込んでいく。まさに食べる手が止まらないといった様子だ。
ちなみに彼女が鶏肉だと思っているのはイモリである。
「喜んでくれて何よりだわ。おかわりならいくらでもあるから言ってね」
そう言って、ジュジュもカレーを食べ始めたので、リュートも覚悟を決め、腐臭漂う紫色のそれを恐る恐る口へと運ぶ。
「……えっ!? 本当だ! おいしい! なんで!?」
「なんでとは失礼ねぇ」
「そうですよ! このカレー、本当においしいです! お野菜の形がバラバラなのがちょっと残念ですけど」
「ええ、そうね。野菜以外は満点ねぇ」
「それはごめんね!?」
気が付けば、野菜を切ったリュートが戦犯みたいになっていた。
そんな感じで、3人は冗談?を言いながら笑い合い。味にハマったリュートは2回、フランは5回おかわりをし、鍋の中身は見事にからっぽになった。
「時間は9時前……。流星群まで、まだ少し時間があるわね」
カレーを食べ、洗い物まで終えたジュジュが時計を見ながら言う。
「それまで軽くヴァンガードでもしましょうか」
「待ってましたー!!」
ジュジュの持ってきたデザートのプリンを食べながら、フランがハイテンションで同意し。
「ごめん、僕はパス……」
リュートがテーブルに突っ伏した状態で、弱々しく声をあげた。
「リュート先輩!? どうしちゃったんですか!?」
「私のカレーがおいしくて、食べ過ぎちゃったんでしょう」
さもありなんとジュジュの言う通り、本来のリュートは、彼女と同様に小食で偏食だ。だが一度食べたら止められないジュジュ特製カレーの味に魅せられ、気が付けば3杯も食べてしまっていた。味が濃厚だったためか、胃もたれも激しい。リュートより体も小さく、リュートよりたくさんおかわりもしたフランは何故ピンピンしているのだ。
「じゃあ、まずは私とフランの対戦ね」
「はいっ! よろしくお願いします! 今日のあたしは一味違いますよー」
一応、リュートにも見えるようにその隣で、ふたりはファイトの準備を進めていく。
「それじゃ、はじめましょうか」
「はいっ!」
「「スタンドアップ! ヴァンガード!」」
「《もっと頑張るために メディエール》!」
「《バイオロイドの少年 ロロワ》!」
「……メディエールだって!?」
わずかに身を起こしながら、リュートが驚きの声をあげた。
「はいっ! ジュジュ先輩がクロディーヌ。リュート先輩がタマユラ、ガーンデーヴァに、最近はフェルティローザまで。
おふたりが色んなデッキを使ってるのを見て、あたしもアレスティエル以外のデッキを使ってみたくなったんです!」
「いいじゃない。新しいデッキで私を相手にどこまでやれるか、見せてもらおうじゃない。さあ、フランの先攻よ」
「はいっ! スタンド&ドロー!
ライド! 《薬屋の箱入り娘 メディエール》!
あたしはこれでターンエンドですっ!」
「私のターン。スタンド&ドロー。
《眠りからの目覚め ロロワ》にライドして、ロロワのスキルでプラント・トークンをその後列にスペリオルコールするわ」
ロロワが翠緑に輝く剣を大地に突き立てると、その足元の地面が盛り上がり、そこから黒いスーツを着てサングラスをかけた禿頭の男が現れた。
「ちょっと待てええええええぇぇぇぇぇっ!!!!」
自分の体調も忘れて起き上がったリュートが絶叫した。プラント・トークンの代わりにリアガードサークルに出てきた《overDress Season2 伊勢木マサノリ》というカードを指さしまくしたてる。
「なんなんだよ、そのカードは! ちゃんと公式のトークン使えよ! ていうか誰なんだよ、この人! 世界観ぶっ壊すようなことするなよ!?」
(※この小説は原作と同じ世界線という設定です。たぶん)
「ごめんなさいねぇ。プラント・トークンを忘れてきちゃったから、今日はプロキシを使わせてもらうわ」
ジュジュは悪びれずに言い訳する。
「だから何でプロキシにそれを選んだ!?」
「私のターンはまだ続くわよ。《ホルホル・マッシュルーム》をコール。このカードをソウルに置いて、2体のプラントをスペリオルコール」
地面がさらに割れて、2体目、3体目のマサノリがひょっこりと顔を出し、それぞれが思い思いにベラベラ喋りはじめる。
『へえ、ここが惑星クレイかー』
『なかなか面白そうじゃないの』
『リュートちゃん、そうカッカしなさんなって』
「ぐっ……!」
イメージに宥められ、胃の調子も悪化し、リュートは悔しそうに再び机へと突っ伏した。
「うるさいのはリタイアしたわね。さあ、バトルよ!
プラントのブースト、ロロワでヴァンガードにアタック!」
「……はっ! え、えっと、ノーガードです!」
状況についていけずぼーっとしていたフランが、慌てて我に返り宣言する。
「ドライブチェック……トリガーは無いわ」
『んー、残念』
マサノリうるさい。
「ダメージチェック……あたしもトリガーはありません」
「プラントでブーストしたプラントでアタック」
「ここで2点目を受けるわけには! 《天日の雫 ニノン》でガードです!」
「あら残念。けどいい手札は使わせたわ。私はこれでターンエンド」
「ふふん。それはどうでしょう?
あたしのターン! スタンド&ドロー!
《微笑みを咲かせて メディエール》にライド!
G1メディエールのスキルで、ドロップからニノンをスペリオルコール!」
エルフの少女が疲れた顔をした友人に、不思議な色をした煌めく薬瓶を差し出す。その中身を飲み干した少女はみるみるうちに元気を取り戻し、ステージへと復帰した。
「倒れた仲間も秘伝のお薬で復活させる! あたしのメディエールはそう簡単にはめげませんよ!」
「あら、私とイメージに齟齬があるわね。メディエールは、志半ばで倒れたアイドルを、怪しげな薬でゾンビとして蘇らせ使役していると思ってたんだけど」
「メディエールちゃんはそんなことしませんー!!
スキルにはまだ続きがあります! 山札の上から1枚を公開して、トリガーユニットであればコールしたユニットをレストしなければいけませんが、今回はノーマルユニットです! ユニットをレストする必要はありません!」
「けど、ドライブチェックでノートリガーは確定した……」
「そのためにこの子をスペリオルコールしました! ニノンの登場時スキル発動! 山札の上から1枚を見て、そのカードをソウルに! さらに1枚を確認!」
めくったカードを見て、ニヤリと笑う。
「《クーリング・ハート ユイカ》もコールして、バトルです!」
(……いいぞ。初めてでも、ちゃんとメディエールを扱えてる)
『いいねぇ。初めてにしては、ちゃんとメディエールを扱えてるんじゃない?』
リュートとマサノリの感想が被った。
「メディエールでヴァンガードにアタックです!」
「《深淵誘い》でガード」
「ドライブチェックは
ユイカでブーストしたニノンでアタック!」
「ノーガード」
ジュジュのダメージゾーンに2枚のカードが置かれる。2枚ともトリガーは無い。
「ユイカのスキルでニノンを手札に戻し、ターンエンドですっ! これでまた次のターンには、ニノンの効果が使えます!」
胸を張って誇らしげに宣言するが、もちろんそのくらいでジュジュは揺らがない。
「私のターンね。スタンド&ドロー。
《3000年後の世界で ロロワ》にライド。ロロワのスキルでプラントを退却し、さらにプラントを2体コール」
1体のマサノリが土に還っていったかと思うと、そこからさらに2体のマサノリが現れる。そのうちの1体は何故か《マスク・オブ・ヒュドラグルム》のカードを持ってドヤ顔していた。
「《挽歌の妖精》をコール」
(治トリガーをコール?)
フランが訝しむが、その真意はすぐに知れた。
「このターン、私は《花めく蕾に祝福を》をプレイするわ!」
「!?」
「この効果で、元々のパワー5000のユニットは、パワー+10000される!」
バイオロイドの少年が高く剣を掲げると、太陽を受けて切っ先が輝き、光がマサノリ達へと降り注ぐ。
『小さな生命に、輝ける太陽の祝福を!』
格好いいことを言っているが、残念ながら祝福を受けているのは禿頭のグラサン男だ。
「さあ、バトルよ!
プラントのブースト! ロロワでヴァンガードにアタック!」
「まだG2なのに、25000のヴァンガード……!! ……ノーガードです」
「ドライブチェック……
「うう……やっぱり、そう来ますよね。ダメージチェックのトリガーはありません」
「プラントのブースト! プラントでヴァンガードにアタック!」
「《珠玉の一曲 エドウィージュ》と《サリーアルボイス ヒルベルタ》でガードです!」
「プラントのブースト! 《挽歌の妖精》でヴァンガードにアタック!」
「……ノーガード! ……引トリガー! 1枚引かせて頂きますっ!」
「アタックがヒットしたので、《花めく蕾に祝福を》の効果で、《挽歌の妖精》を手札に戻してターンエンドよ」
「私のターンです! スタンド&ドロー!!
ライド!! 《静穏なる恵風 メディエール》!!」
学園に爽やかな風が吹き、翠の髪を優しく撫でる。
パンダのぬいぐるみを抱いた、まだあどけなさを多分に残したエルフの少女。
舞い散る白い花びらと共に、彼女からハーブにも似た薬草の香りがふわりと漂った。
「G2メディエールのスキル発動! 山札の上から3枚を見て、1枚を山札の上に! 残りをドロップに!
そしてメディエールのスキル発動! 山札の上から1枚を公開! ノーマルユニットだったので、それを手札に加え、ドロップから《親愛なるあなたへ アリーゼ》をスペリオルコール! ★+1! さらにドロップから《才華の歌姫 アストリ》もスペリオルコール!」
エルフの少女が薬瓶から血のように赤い液体を墓場の上にポタリと一滴垂らすと、墓石を押しのけるようにして、地面から次々とゾンビが誕生する。それを見届けた少女のまだ幼い表情に、酷薄な笑みが浮かんだ。
「そっちのイメージで描写しないでくれますかね!?」
律儀に地の文にまでツッコミを入れてから、さらにカードを繰り出す。
「ニノンをコールして、山札の上から1枚見て……それをソウルに!
《笑顔溢れるエッグリレー! ユリアナ》もコールして、ユリアナとアリーゼは
「あら。じゃあ、メディエールと他の子はお友達でもなんでもなかったのね」
「い、いえっ! 友達です! 友達ですよっ! た、ただ、このふたりは、ちょ、ちょっと特別な関係なんです!」
ジュジュの意地悪な指摘を否定することだけに躍起になってしまい、何を想像しているのかフランの顔、その左半分がボッと赤くなる。
「あーもうっ! バトルです!
ユリアナのブースト! アリーゼでヴァンガードにアタック! ユリアナの効果で、友達のアリーゼにパワー+5000しますっ!」
「《挽歌の妖精》でガード」
「アストリのブースト! メディエールでヴァンガードにアタック!」
「ブリッツオーダー《封じられし道》でメディエールの★-1」
「うえっ!? ツ、ツインドライブッ!!
1枚目は★トリガー! ★はメディエールに! パワーはアリーゼに!
2枚目は……トリガーじゃありません!」
「ダメージチェック……引トリガー。1枚引いて、パワーはロロワに」
「バトル終了時、アリーゼはスタンドします!
ユイカのブースト! ニノンでヴァンガードにアタックです!」
「《プラドバラン ラフィロス》でガード」
「ユイカのスキルで、ニノンは手札に!
アリーゼでヴァンガードにアタックです!」
「もう1枚、ラフィロスでガード」
「ううっ……1点しか与えられませんでした。あたしはこれでターンエンドです」
これでダメージは3対3。
「私のターン。スタンド&ドロー。
我が魂を喰らい蘇れ! ライド! 《鉄錨の憤竜》!!」
大地が割れ、その奥底から伸びた巨大な腕がバイオロイドの少年を鷲掴みにして地の底へと引き摺り込んだ。その後を追うようにして、霊体となったジュジュも地割れへと吸い込まれていく。
罅割れた大地をさらに押し広げるようにして現れたのは、腐れし巨体の屍竜。無数の茨がそれに絡みついているが、腐竜はその拘束を力尽くで引き千切ると、天に向かって唾吐くかの如く咆哮した。
『おおー、いいねいいねぇ』
切り株に腰かけたマサノリも、楽しそうに適当な拍手を送る。
「《結束のブレイブシューター》をコール!」
「なんか見ないユニット!」
「そして《花めく蕾に祝福を》とドロップの同名カードを二重魔合成!! 生きとし生けるものすべてに
腐竜が再び吠えると、それを中心に瘴気が巻き起こり、周囲の草花が枯れ果て、生あるものは骨と化していく。
「ひ、ひどいです……」
陰惨たる
『ハッハー! こいつはいい!』
『力が湧いてくるねぇ!』
『俺は今、生きてるぅ!』
何故かマサノリ達はパワーアップした。
「これで元々のパワー5000のユニットに、パワー+20000!!
ひいっひいいいひひひひひひひひっ!! さあ、あなたにも穢れた祝福を!!
バトルよ!!
マサノリのブースト! 憤竜でヴァンガードにアタック!!」
(パワー38000! まだここが、一番パワーが低い!)
瞬時に判断して、手札からカードを切る。
「《スノウスキップ パルヴィ》2枚でガードッ! 2枚貫通ですっ!」
「ツインドライブ!!
1枚目……
「……へ?」
「前列のパワー+10000!
2枚目……あらあらあらあら」
嫌な予感がする。ものすごく。
「
腐竜があぎとを開き、そこから放たれた瘴気のブレスが濁流の如く押し寄せる。
エルフの少女は盾になる成分が配合されている薬瓶の蓋を開け結界を張るが、瘴気はいとも容易くそれを溶かし、少女をも呑み込んだ。
「きゃああああっ!! ……っ、ダメージ、チェック」
全身が腐り溶かされていくようなイメージに、悲鳴をあげながらもカードをめくる。だが、トリガーはめくれない。
「マサノリのブースト! マサノリでヴァンガードにアタック!」
『合計パワーは60000!』
『さあ、俺という人間の在り方を否定して見せてよ!』
「ノーガード……」
「あら、そっちをノーガードでよかったの?」
「……え? ダメージチェック、★トリガー。パワーはメディエールに……」
「マサノリのブースト! ブレイブシューターでヴァンガードへアタック時にスキル発動! ソウルブラスト2して、他のリアガード1枚につきパワー+5000! よってパワー+20000! 合計パワーは80000よ!!」
「そ、そんなに伸びるんですかぁ!?」
これでは、トリガー分を加味しても、前のアタックの方がガード要求値は低かったではないか。
「あらあら。勉強不足ねぇ」
「返す言葉もありません……」
反省しながらも、目の前で勝ち誇る先輩を改めて尊敬する。
何がすごいって、ここまで見えているカードにRR以上のレアリティを持つカードが存在しないのだ。(マサノリを除く)
普通の人なら見向きもしないようなカードでも、拾い上げ、研究し、活躍の場を与える。
どれだけ歪んで見えようと。どれだけ偽悪的な言葉で飾ろうと。そこにあるのは、彼女なりのヴァンガードに対する愛情だった。
「そんなあなただからこそ、あたしはあなたに勝ちたいっ! あたしはまだ諦めません!
ヒルベルタ! ニノン! 《リフレッシュブリーズ アイル》でガード! ヴァンガードがメディエールなので、アイルのガード値+5000! さらにアリーゼでインターセプト! これでメディエールのパワーは58000!」
「まだまだ全然足りないわねぇ!」
「はいっ! 承知の上です!」
フランの手札最後の1枚、そのとっておきを抜き放つ。
「ブリッツオーダー《艱難遮る碧の結界》! さらにパワー+25000! これで合計パワーは83000!」
「!? あらあらあら……」
「ふふーん。プレイングミスはありましたけど、耐え切りましたよ」
「ええ。私はこれでターンエンド」
ジュジュがそう宣言した時。
きらりと光る一筋の輝きが、目の端を通り過ぎた。
はじめは見間違いか、眩暈がしただけかと思ったが、それから幾筋も幾筋も、光条が輝く尾を引いて流れていく。それはまるでダイヤモンドが降り注いでいるかのような流れ星の大群だった。
「うわあ……」
リュートが思わず感嘆の声をあげ、フラン達もそれに気づいた。
「わ! すごい! きれい!」
フランが思わず手のひらを上に向ける。そうして受け止められるものではもちろんないが、そうしたくなるのもわかるくらい、星が近くに見えた。
「流星群が始まったようね」
リュートとフランは割とこれで満足なのだが、ジュジュの目的はこの中に紛れて降ると噂される赤い星だ。流星群にはさして興味も無さそうに、引き続き盤面に目を向けている。
「このファイトはさっさと終わらせてしまいましょう。さあ、早く私にターンを譲りなさい」
「ご安心ください。それより早くこのファイトは終わりますよ。ジュジュ先輩にもうターンは回ってきませんから!」
降り注ぐ星を背に、フランが堂々と宣言した。
「言うじゃない。けど、あなたの手札は0枚。デッキトップを操作できるニノンも失った。それでまだダメージ2の私を倒せると言うのかしら」
「やれます! やってみせます! あたしのメディエールなら!
スタンド&ドロー!
ライドはスキップ! メディエールのスキルを発動します!」
「!?」
ペルソナライドもできなかった今、このターンで勝つためには、この効果でノーマルユニットを引き当て、リアガードの★+1するのは大前提だ。
「……ふふふ。デッキトップを見てからこの効果を使うのが定石なのかも知れませんけど、こっちの方がドキドキしますね」
「ええ、そうね」
「山札の上から1枚を公開!! あたしがめくったカードは……《サドゥンシャワー ルエラ》!! ノーマルユニット!!
ドロップからアリーゼをスペリオルコールして、★+1! そのルエラもコールして、バトルです!
ユリアナのブースト! アリーゼでヴァンガードにアタック! アリーゼの効果でパワー+5000! ユリアナの効果でさらに+5000です!」
「《狂乱の令嬢》でガード。★2とは言え、ペルソナライドもしていなかったらねえ」
「まだですっ! アストリのブースト! メディエールでヴァンガードにアタック!」
「ノーガード」
「ツインドライブ!!
1枚目……★トリガー! ★はメディエール! パワーはアリーゼに!
2枚目……」
その時、一際大きな巨星が夜空を駆けた。
「……
エルフの少女が、小さな手のひらに乗せた、小さな薬瓶を高く掲げると、薬品に含まれた成分が光となって放射され、腐竜の肉体を焼き払う。
「ひっひひひ……ダメージチェック」
引きつった笑みを浮かべながら、ジュジュが山札から2枚のカードをめくるが、トリガーはめくれなかった。これでダメージは4点。
『おおっと、これはまずいんじゃないの?』
自軍の危機にも関わらず、マサノリは他人事のように茶々を入れていたが。
「アリーゼをスタンド! もう1度、アリーゼでヴァンガードにアタックです!」
「《深淵誘い》と《ホルホル・マッシュルーム》でガード……」
これでジュジュの手札も0枚になった。
「パワー1億のルエラでぇ、ヴァンガードにアターック!!」
降り注ぐ星と共に、フランはまっすぐ拳を突き出し宣言し、光芒が彼女の視界を埋め尽くした。
小柄なエルフの少女、メディエールはショッピングを楽しんでいた。親友であるパンダのぬいぐるみももちろん一緒で、彼女の細い腕の中、大切に抱えられている。
アイドル活動こそ順調だが、それに比例するかのように休みが取れなくなってきており、今日はひと月ぶりのオフでもあった。
さて、リリカルモナステリオのアイドル達に人気のショッピングスポットと言えば、1に衣服、2にスイーツ、3に貴金属や宝石類なのだが、彼女が訪れていたのはいずれでもない、リリカルモナステリオの片隅にぽつんと建つ、小さな薬屋さんだった。
薬屋で生まれ育ったメディエールにとって、薬の仕入れや調合は趣味……というよりは日課のようなものであり、していないと落ち着かないのだ。
それに、窓から差し込む薄明かりを浴びて輝く、色とりどりの薬品が入った小瓶は、宝石に負けず劣らず美しいとメディエールは思う。
「ありがとうございましたー」
リリカルモナステリオの薬屋は、さすがに地元の薬屋よりも品揃えは劣るが、地上では絶対に買えない人魚の秘薬が普通に売っているし、五大国家を周遊しているため、世界中の薬品が自然と集まってくる。要するに掘り出し物が多いのだ。今日もいい買い物ができたと、右の小脇にパンダ、左の小脇に大量の薬瓶が入った紙袋を抱え、ほくほく顔で帰路に就こうとしていた、その時だった。
激しく地面が揺れ、アイドルにしては運動神経皆無なメディエールは派手にすっ転んだ。
(う……痛たた)
取り落とした紙袋から零れた薬瓶のうち、そのうちのひとつを手に取り、さっそく擦りむいた膝小僧の手当てに使うことになった。
(地震、でしょうか……?)
考えてみて、すぐ違うことに気付く。ここは空飛ぶクジラの上だ。地震など起こるはずもない。
(じゃあ、なに……?)
その正体はすぐに知れた。彼女の視線の先、クジラの端に巨大な手がかかっていた。何者かがクジラに取りついているのだ。それがゆっくりと上陸し、全貌を現す。
「――っ! きゃあああああああっ!!」
その姿を見たメディエールは悲鳴をあげ、腰を抜かしてぺたんと座り込んだ。
無理もない。それは全身が腐敗した禍々しき容姿の巨竜だった。
その正体は――メディエールは知る由も無いが――鉄錨の憤竜。『怪雨の降霊術師』の異名を持つゾルガという屍術師が、あまり他人には見られたくないモノを守護させるために生み出した、迷惑極まりない不死の竜。帝国が誇る砂塵の銃士に討たれたと記録に残っているが(なおその銃士には、リリカルモナステリオに覗き目的で侵入していた疑惑が立っている)、まだ存在しているということは、文字通り不死なのだろう。
知能は無く、普段は海中に潜み、生命反応が近づいた際、見境なく襲いかかるよう創られているため、空飛ぶリリカルモナステリオに乗り込まれることなどないはずだが、この国家の高度はクジラの気分に左右されている面もある。クジラが比較的低空を飛行をしている時、運悪く墳竜の潜む海域を通過してしまい感知されてしまったか。
この際、理由はどうだっていいだろう。重要なのは、歴戦の賞金稼ぎですら手を焼いた怪物が、何の武器も持たない少女の近くに現れてしまったという事実だ。
メディエールの悲鳴を感知したのか、墳竜は全身から放つ瘴気で草木を枯らし、大木を踏み折りながら、ゆっくりメディエールへと歩み寄る。
「あ……あ……」
メディエールは逃げるどころか、立ち上がることすらできなかった。
非常事態を知らせるサイレンが国中に鳴り響き、真っ赤なランプがあちこちで灯る。爽やかに晴れていた空は、いつしか曇天が渦巻き、激しい雷雨まで振り出した。何気ない休日が、一瞬にして非日常へと堕ちてしまったのを、メディエールは今、全身を以って痛感していた。
(誰か……助けてっ……!)
こんな時、アレスティエルであれば、神聖な力でこの不死者を浄化することができたのだろうが、残念ながら彼女は今、聖域へ出張ライブ中だ。
忍びの里出身の同期であるキョウカや、剣の達人でもある大先輩のクラリッサであれば、この怪物を力尽くで退治することだってできるかも知れないが、彼女たちは今どこにいるのだろうか。少なくとも、自分がその巨大な爪で跡形もなく引き裂かれるか、頭からバリバリ食われるかするまでには間に合わないだろう。
死が具現化されたかのような屍竜が、ついに手を伸ばせばメディエールへと届く位置までたどり着いた。それは爪で引き裂く方を選んだらしい。ゆっくりと巨大な腕が振り上げられ、肉片と海水と雨水の混ざり合った液体がボタボタと落ち、その飛沫が少女の顔を汚した。
死を覚悟したメディエールの脳裏に、走馬灯だろうか、たくさんの思い出が蘇る。そのほとんどが幸福だった記憶で、死の覚悟をさらに鈍らせた。
(やだ……死にたくない……)
「いやあああああっ! 来ないでぇぇぇっ!」
メディエールは手にしていた薬瓶の中身を、咄嗟にぶちまけた。その薬品が墳竜の手にかかった瞬間、それは悲鳴のような咆哮をあげて大きく仰け反った。
(……え?)
少し冷静になった頭で、先ほどぶちまけた薬の主成分を思い返す。
(たしか、聖域の偉い賢者様が精製したという聖水……)
それはたった一滴で傷を癒す奇跡の薬だが、邪な存在にとっては劇薬となるのだ。
(!!)
メディエールの脳裏に、天啓の如く閃きが奔った。
(わたしでも、あれを、倒せる、かも、知れない!)
メディエールは墳竜が苦しみ悶えている隙に、水溜まりの上を這いながら、取り落とした紙袋へと辿り着いた。
(世界樹の朝露、竜の遺灰、人魚の涙……! どれも 聖域の儀式で使われるような神聖なアイテム!)
メディエールは拾い上げた薬瓶を紙袋に詰め込むと、勇気を振り絞って、すっくと立ちあがった。
(わたしがやらなくちゃ。ここでこの怪物を食い止めなくちゃ、わたしだけじゃない。もっと多くの人が、この怪物に殺されてしまう)
決意を新たにすると、親友のパンダを少し離れたところの植え込みにそっと隠した。これから自分がやろうとしていることは、よくて相打ち、最悪犬死にで終わりかねない危険な賭けだ。最後まで傍にいてほしかったのが本音だが、巻き込むわけにはいかない。
(ここで見守っていてね……)
こうしている間にも、墳竜は体勢を立て直し、憤怒に満ちた瞳でメディエールを睨んでいる。薬を浴びた右腕はドロドロに溶けかかって骨が覗き、食いしばった牙の隙間からは唸り声に混じって呪詛が聞こえてきた。
「憎イ憎イ憎イ憎イ憎イ憎イ……」
薬屋の箱入り娘として生まれ、今や新進気鋭のアイドルとして多くのファンや友人に囲まれる恵まれた彼女の半生で、これほどまでの憎悪に晒されたことは、今だかつてあっただろうか。
それでも少女は負けじと、怨嗟と瘴気と腐臭を撒き散らす悪意の塊をきっと睨み返す。
「憎イイイイイイイイイイィィィィィィィィィッ!!!!」
地響きをあげて憤竜がメディエールめがけて飛び掛かった。穢れたあぎとが地獄の門を開き、彼女を呑み込まんと迫る。立ち並んだ不揃いな牙は、見捨てられた墓場を想起させた。
「ええーいっ!」
メディエールはその口腔内めがけて、紙袋を投げ込んだ。それは牙とぶつかり、破け、宝石のように色とりどりな薬瓶が飛び散り、それらもまた次々に割れて砕けて、鈴の音にも似た場違いな音色を響かせる。そして、墳竜の口内で神聖な薬品がどっと溢れ出した。
「オオオオオオオォォォォォォォッ!?」
薬品が穢れた腐肉を内部から浄化し、耳をつんざくような断末魔を響かせ、墳竜の頭部が骨を残して灰となり散っていく。
(やった……!)
メディエールが胸を撫で下ろしたのも束の間、頭部を失った憤竜の巨体がゆっくりとこちらへと倒れ込んできた。滅してなお有り余る憎悪が、彼女だけでも道連れにせんとばかりに。
(……え?)
紙袋を投げつけるのに全身全霊を使い果たしたメディエールは、その場から離れる気力も残っておらず、ぽかんと口を半開きにしたまま、迫り来る死をぼんやりと見上げていた。泥水と汚物で汚れた白い頬を、透明な雫が転がり落ちる。
腐肉の塊が、小さな躰を無慈悲に押し潰した。
――と思われた瞬間、金色の風が吹き、一瞬早くメディエールをさらっていった。
「ヒュー! やるじゃん、メディっち! あんなバケモノをひとりで倒しちゃうなんてさ」
気が付けばメディエールは陽気に口笛を吹く同級生の腕に抱かれていた。
「キョウカ……さん?」
着崩した制服に、金色に染められた髪。その毛先には緩くパーマが当てられ、額から生えた赤く小さい2本の角は、帝国東部のデーモン、「鬼」の証である。
ともすればいい加減な印象を与えかねない外見だが、メディエールと一緒に、彼女の親友もちゃっかり救出してくれているあたり、人の好さが伺えた。
「遅れちゃってごめんね。怖かったよね」
その親友をメディエールの胸に抱かせながら、気遣うようにそんなことまで言ってくる。
「いえ……。助けてくれて、ありがとうございます」
頬に当たる風から、抱えられたまま高速移動しているのは分かるのだが、どんな走り方をしたらそうなるのか、まったく揺れを感じない。キョウカは忍びの里出身という異色のアイドルだが、その妙技の数々はいまだ衰えていないのだ。
彼女はさらに加速し尖塔を駆けあがると、メディエールを抱えたままその先端にピタリと立った。
「ほら、見てみ。もう安心だよ」
憤竜が呼び寄せていたのだろう嵐もいつしか止み、曇天の隙間から差し込む太陽の光が、地面に横たわった腐肉の塊を浄化し、消し去っていく。
夜明けにも似た、悪夢の終わりを実感させる光景だった。
「だからさ。今はゆっくりと休みなー」
友人の優しい声に誘われるかのように、メディエールはゆっくりと目を閉じた。
明日からはいつも通りの日常が送れるように祈りながら。
フランが我に返ると、ファイトの決着がついていた。ジュジュのダメージゾーンに6枚目のカードが置かれている。
「あ、あたしの勝ち、ですよね……?」
「見ての通り。このデッキ、結構自信作だったんだけどね。……ひひっ」
そう言って、ジュジュは乾いた笑みを浮かべた。
「よ……よかったぁ~」
とは言え、楽なファイトでも決して無かった。最後の最後で超トリガーを引いたおかげで押し切れた、薄氷の勝利だ。
それでもメディエールの初陣を勝利で飾ることをできた安堵に、フランは大きなため息をつきながら天を仰いだ。
空はまだ無数の流星で埋め尽くされており――それらを切り裂くようにして赤く輝く巨大な星が彼女の視界を流れていった。
「えっ!? あれって!!」
フランが空を指さす。
「先輩の話していた赤い星? じゃないですか!?」
「なんですって!?」
普段は冷静沈着なジュジュが、らしからぬ素っ頓狂な声をあげて、フランの指さす先に視線を向けた。そうこうしている間に、赤い星はとっくに姿を消してしまっていたが。
「……リュートは見えた?」
「いや……。僕はまだファイトの盤面を見てたから」
「じゃあ見えたのはあたしだけですね! ラッキー!」
「いや、見た人には不幸が訪れるって噂なんだけどね!?」
などとフランにツッコミを入れながら。
如月リュートは考える。
(フランだけが、不幸を呼ぶという星を見た)
もちろん他愛のない噂だ。ジュジュに付き合って、これまでもくだらないガセネタはたくさん見てきた。
だが淵導フランは、強い正義感と、深い慈愛と、そこに後先考えない無謀さを併せ持つ、いつ大きな不幸に見舞われてもおかしくない少女である。
(よからぬ兆候じゃなければいいけど……)
彼女に不幸が降りかかるなら、せめてそれを分かち合えないかとリュートは空を見上げ続けたが、もう凶星が空を流れることはなかった。
いますよね。トークンを他のカードで済ますズボラな人。
今回のファイトはフランVSジュジュです。
アレスティエルの出番はまだまだありそうなので、今回はちょっとお休み。
フランにメディエールを使わせてみました。
いろんなユニットを出したい欲から、ちょこっとキョウカまで。
両者のファンに楽しんで頂けたら幸いです。
この続きについては、10月分はお休みを頂き、11月1日に公開とさせて頂きます。
ただ前回1か月のお休みを頂いた時に、ものすごく落ち着かなかったので、10月1日にショートストーリーを掲載予定です。
そんなわけで、次は10月のショートストーリーでお会いしましょう!
感想等もお待ちしています!