『冥途返し』と呼ばれる医者である彼の元から上条当麻という患者が退院して数日経った、ベットは既に返却されそこには別の患者が利用している。それなのにいまだ彼はその患者のことが頭から離れないでいる。
それは彼にして上条当麻という少年の傷を治せなかったから、なんていう彼が腕利きの医者であるが故の理由だった。
勿論彼にだって不可能はある、が歳を重ねるにつれ技術が進むにつれ彼の両手が救える人間が増えていくたびに彼の心には救えなかった人間が浮かび上がるのだ。
少年は脳のエピソード記憶が破壊されていた、いわゆる『記憶喪失』だった。精神的なショックにより自分で記憶に蓋をしてしまうような記憶忘却でも高次機能障害と呼ばれる記憶障害でもなく記憶喪失。
上条当麻という少年の脳の記憶は外部からズタズタに破壊されていた。
彼の手をもってしても人間の脳は未だブラックボックス、完全に破壊された記憶を修復すると言うのはこの学園都市の技術をもってしても出来なかった。切断された腕をくっつける事だってして見せる、動けない体を歩けるようにだって。だが、脳は、記憶という部分は複雑な分野なのだ。
「下手に脳の海馬を弄れば今度はエピソード記憶だけじゃなく意味記憶すらも、いや記憶だけじゃない空間把力すらも失う。それらを失ってしまったら彼が今まで通りの生活を送れるわけがない。だから外科的な治療は出来ない、実験の域を出ないようなものは特に」
彼は『彼の』患者リストをまとめたファイルを閉じた。
「だけど、出来ないからといって諦めるような真似は出来ないね?」
彼は広い院長室に積まれた膨大なファイルに囲まれながら誰に聞かせるでもなく呟いた。
いや、それは自らに言い聞かせていたのだ。
彼は懐から携帯を取り出す、院長室に備えられている電話ではなく『冥途返し』自らの携帯を使うのというは珍しい(なぜなら院長室に備えられている電話は繋ごうと思えば学園都市のトップである統括理事会の理事長にすらつながる)ことで身内専用(彼は公私を分ける人間である)なのだ。
「もしもし、いや、久しぶりではないね?私の記憶では君はしょっちゅう会いに来てるがはずだ。
……ちょっと君に見てもらいたい子がいてね?」
電話の主との会話を終えた彼は椅子にぐっと腰かけため息をつく。
願わくば彼とあの子の交差が良きものになることを思って。
そして少年の『心』が覚えている。そんな奇跡を願って。
「医療が負けるなんて悔しいけれど、そんな敗北なら悪くない」