囚われの少女を救ってから惚れられている。しかし相手は十一歳だ 作:松岡夜空
バタン。
扉を閉めた。
天井はなかった。見上げた先は澄み渡る蒼空。つまりここは、屋上だった。
「ここなら邪魔されることはない。誰かに聞かれることもない。多分」
「多分かよ……」
「あたしの多分はほぼ絶対だから」
「いや、ほぼってついてる時点でもう絶対じゃないから」
俺は手摺りまで歩いていき、そこを背にして、座り込んだ。
見上げると、アイリスが正面に立っていた。中々の歩法だと思った。音を全く感じなかった。
アイリスがその場に座り込む。
スカートの裾が、太ももを綺麗に隠していた。
「一応言っておくと、ちゃんとはいているので。残念でした」
太ももの上のスカートをヒラヒラさせながらアイリスが言った。うっすら肌色を透過させた黒い足が、スカートから見え隠れする。
「残念と思ってることを確認してから言ってくれ」
一ミクロンも
「で? あなたたち二人の目的は?」
「語学留学」
間髪いれずに答えた。
「真剣に聞いているんだけど」
「真剣に答えた」
「真剣に、聞いてるんだけど」
「だから真剣に答えたんだってば」
アイリスが頬を膨らましながら、俺を見ている。
調子狂うな、こいつ……。
「要するに、手の内を明かすつもりはないってこと? まあ大体の予測は立ってるけどね」
「正確にいえば、こっちも手の内を明かされていない、というのが正しい。まあこっちも大体の予測は立ってるけどな」
「ふーん」
「もっと詳しく話そうか? つまり、俺とリンには、表向きの理由しか聞かされていないんだよ。ついでにこっちの予測も根幹抜いて話しておくと、多分陽動だろうと考えている。俺とリンを囮にして、あいつらはあいつらで別のことをしようとしている。その可能性が高いんじゃね?」
あえてペラペラと話しているのは、前にも言った、一つの真実を壁にして、もう一つの真実を隠すという手法である。
手の内を七割明かすと安心するものは多い。この手法は意外とプロにも通用する。脳筋のプロは『俺がプロだから白状した』と過信するからだ。
だから七割真実を話すと、残り三割はむしろ見えづらくなる。
『新月布を対象に悟らせるな』
対象という言葉。
そして、何故悟らせてはならないのか。
それらの言葉を聞いた時、あいつのしたいことは大体察しがついた。
――ま、誰でも大体察しがつくことではあるけどな。
「要するに、全然信頼されてないってこと?」
「ま、そうかもな」
「怒らないの?」
「怒るわけがない」
「魔術師だから?」
魔術師は、感情を操る。属性を操っているように見えても、それは属性に感情を憑依させて操っているのである。
故に、魔術師は感情を一定に保つことが是とされている。感情の暴発イコール術の暴発だから。
前回のボーズ頭の敗因もそこにある。とはいえ、素でやっても、というか素でやった方が、確実に俺が勝つが。
俺は魔術は補助的に用いてるだけで、素の殺し合いの方が本来得意だからな。
「いや、単純に俺は決死組じゃないからな」
「嘘つけ」
「お前には盗賊王って名乗ったでしょうが。俺の出身は
「リンちゃんは?」
「あいつは――
「ふーん」
「なんだよ」
「別に」
笑いをかみ殺しながら、アイリスが言った。
何だこいつ……。
何か企んでやがるのか。
「じゃあどうして盗賊王の君が、決死組のリンちゃんといるの?」
「俺は雇われてんだよ」
「リンちゃんに?」
「いや、決死組に」
「へーその可能性もあるとは思っていたけど、あの決死組に。すごいね君」
「まあ正確に言えば組長にかな。多分反対意見は多いんじゃないかね」
「ふーん」
「一つ聞いていいか?」
「なに?」
「さっきからどうして笑ってるんだよ」
「ふふふ。別に。まあ恋心抱いているわけじゃないのは確かかな?」
じゃあ何なんだよ。いや別に期待してたわけじゃないけどさ。
音を立てて、風が吹く。
降ってきた木の葉の一枚を指でつかんで、何となく、クルクルと回した。
「さっきお前も言っていたが」
アイリスが小首を傾げた。
俺は回していた葉を、空へと帰した。
「確かお前には、借りがあったな」
「……」
「俺は借りをそのままにしておくのが嫌いだ。だから一つだけ教えてやるよ。組長、つまり三番隊の組長は、バカじゃない。何せ、この俺が殺すと決めて、殺しそこなった相手だ。
あいつの手順には、最低二手以上の意味があると思ってまず間違いない。
つまり、ただの語学留学、陽動だとは、絶対に思わないことだ」
「ふーん」
意味深な『ふーん』だった。
しかし、俺の
アイリスは、膝の上にアゴ肘ついて、ニヤニヤ笑いながら俺を見ている。
「一個聞いていい?」
「なんだよ」
「組長を殺し損ねたってことは、君と組長さんは、敵同士なの?」
「ま、そうかもな」
「今でも?」
「雇われている間は敵じゃねえよ」
「敵同士じゃないなら、どうしてこんなに手の内を明かすの?」
「だから対価を返すためって言ったろ?」
「組長さんに迷惑かけてもいいの?」
「むしろ死ぬほど迷惑かかれと思っている」
「ふふっ」
両手で口を隠して、アイリスが笑った。
素の笑いなのが、一目でわかる。
それでも綺麗だった。
綺麗に笑う女は、心も綺麗なのではと思っている。
我ながらアホな論理だなとも思っているのだが。
「なるほど。子供なんだね、きみ。だからかな」
「何が?」
アイリスが立ち上がる。
スカートを手で払って、裾を正した。
「最後にもう一つ聞いていいかな?」
「今更だ。一つも五つも変わらねえ。言ってみろ」
「組長さんに迷惑かかれと思っているなら、君は何のためにここに来たの?」
「何のためって、そりゃ――」
リンのため。
最初に頭に浮かんだのは、それだった。
しかしそれは断固として認めたくなかった。
死ぬまで俺のために生きる。それが俺の道だからだ。
「――無論、俺のためだ」
「ふふっ」
「なんだよ」
「嘘が下手だなあと思って」
「それはお前が勝手に決めつけてるだけだ」
「そうかなー」
茶化した声で、アイリスが笑う。
俺は見下されるのが嫌いだった。
イライラしながら、アイリスの背に声をかけた。
「待て」
「なに?」
「俺からも一つ質問だ」
「え、嫌だけど」
「ああ!?」
「あはは。冗談だよ。なに?」
「……今の質問の意図はなんだ?」
「……対価」
「対価?」
「ご飯一つじゃ、足りないかなと思ってね。それじゃ」
手を振って、アイリスがその場を後にした。
言っている意味は、わからなかった。いや、本当はわかっていた。ただ気づきたくなかっただけだ。
舌打ちする。
風が吹き、また木の葉が舞った。
それが止むころ、俺はその場から姿を消していた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「あ、兄様!!」
食堂に戻ってきた俺に、リンが声をかけた。
そんなリンの周りには、人がたむろしている。主に男だった。
「お、お兄様のお戻りか。じゃあねリンちゃん。さっきの話、考えといてよ。お兄様と一緒でも、全然いいからさ」
そう言って、男らがワイワイ言いながら帰っていく。
通り過ぎる時、俺におざなりな挨拶を送ってくるが、それが『嘘』であることは、魔術師の俺にはハッキリとわかる。
「リン。何の話だ」
「いえ、その……今日の帰りに、歓迎会もかねて、ご飯でもどうかと……」
「ふーん」
要するに、楽しみたいということだ。
リンが一般人なら無論止めている。だがリンは三番隊の一員である。力づくで負けることはありえない。というか、十一歳相手にまずそんなことはしないだろう。
普通に考えれば、まあ大丈夫――いや、違うか。
本当は止めたくないだけかもしれない。俺は何かに執着するのが、嫌いだからだ。
死ぬまで自由自在。それが俺なのだ。
「あの、兄様。あたしは……」
「行きたきゃ行っていいぞ」
「え……」
振り返って、リンを見据えた。
リンは、瞳を大きくして、俺のことを見ていた。その後、目を伏せて、寂しそうに視線をそらす。
何だってそんな顔しやがると思う。
ただ本当はわかってもいた。
こいつはわかりやすすぎる。
だからリンが自分にどんな気持ちを抱き、今自分にどんなことをしてほしいのかも、大体わかる。
しかしするつもりはない。
理由は簡単だ。
リンは義妹だ。部下だ。何より十一歳だ。
そして俺は、人の道に外れたことばかりしてきた、二十二の野良犬だ。
ついていくことは簡単だ。止めることも。しかしそんなことをしても、こいつは今まで通り俺の背中を見続けるだけだ。
それが間違っていることは、論じるまでもあるまい。
例えそれが、こいつの真なる気持ちであったとしてもだ。
「何でも経験して、楽しんでこい」
組長のことだから何か裏があるんだろうが、表向きの任務は、語学研修と実地調査。言ってしまえば、一学生に扮することとも言える。
ならばいい機会である。
ここでならこいつは、堅気になれるのだ。
疑似的とはいえ、光の下に返してやれる。
ちゃんとした幸せを、本当の幸せを、今なら味合わせてやれる。
そしてそれは、野良犬の俺では、絶対にできないことだ。
「誰かのためにとか考えるなよ。お前は今が、そしてこれからが、一番楽しめる年なんだからよ」
ガランガラン。ガランガラン。
ベルの音。
休み時間が終わったのだ。
「戻るぞ、リン」
「……はい」
リンの気落ちした声を背中で受ける。
振り返ろうと思った。
だけどやめた。
どうしてやめたのかは、考えようとしなかった。