囚われの少女を救ってから惚れられている。しかし相手は十一歳だ 作:松岡夜空
「伝言を頼まれました。手薄なのは、西側だそうです」
マルコが目を見開き、こめかみに青筋を浮かべた。
しかしすぐに、笑って怒りを消した。
「ふん。とことん舐めてくれるぜ、お前の兄貴はよ」
部屋に入ってきたマルコが、リンの正面に腰掛け、鞄から伝書を取り出した。
ペン先にインクをつけ、伝書にサラサラとペンを走らせる。
「兄様が言いたいことが、お分かりになられたのですか?」
「ああ、わかったよ」
「差し支えなければその……教えていただいても、よろしいでしょうか?」
目を伏せながら、リンは尋ねた。
(情けない……。副官としてここに来ているのに、部外者の人にもわかる言葉の裏が読み取れないなんて……)
「あいつは、俺に、というか、俺の仲間に、自分を襲撃させたいんだよ」
「えぇ!? そ、そのようなことは……!!」
「西が手薄ってのは多分そういうことだろ。ミーティアの家の西側が手薄なんだ。そこを襲えってことさ。俺はこう見えてもドラゴン族のヘッドだったからな。そういう仲間も多い。ま、今はほとんど残ってねえけどな」
「あの、失礼ですが、どうしてそのように思われたのでしょうか? 西が手薄という一言だけでは、その解には絶対に至らないと思います。今一度、考え直された方がよろしいのではないでしょうか? 間違っていた場合、その、皆さんに迷惑がかかってしまいます」
「いや、合ってるよ。絶対に」
「何故そう言い切れるのですか?」
「それは――俺が、極悪人だからよ」
マルコが親指で自分を指して言った。
その言葉を聞いて、リンが両手で口元を隠す。
リンは嬉しい時によくこうする癖があるが、単純にビックリした時でも勿論こうする。
そして今回はあまり嬉しくない驚きだったので、その後、リンはシュンと俯いた。
「ふっ。悲しませちまったか? まあ俺は優しさあふれるムーブばかりするから、勘違いさせちまうのも無理はねえ。あっはっは」
「いえ、その、はい……」
自分のことを極悪人と称する。
それはリンが聞いた、ヒョウの初めての言葉である。
(他の誰からも聞きたくなかったな……)
マルコの大笑は、今も響いている。
何がそんなにおかしいのだろう。
思いながら、リンはマルコを見据えた。
(はっ!!)
そんな自分の眉尻が持ち上がっていることに気が付いて、リンは頭を振った。
(今あたしちょっと怒っていた?)
落ち着こう。このようなことは、これから何度でも起きる。
その度にこのような感情になっていてはキリがない。
(早く兄様に会いたいな……。というか、本当にマルコさんの考えは当たっているのだろうか。一度確認した方が――)
伝書に目を向ける。
マルコは未だ大笑していた。
その時。
ガタンガタン。
マルコの伝書が激しく揺れた。
マルコが伝書を開くその前に、バタンと扉が開かれた。
「兄貴!! 大変っすよ!! 伝書、見ましたか!?」
「いや、今から見るところだけど? どうしたんだよ、クシム」
「今ソボオから連絡が来たんすけど、ネイファ姉さんが、家の前で――!!」
言葉が締めくくられる、その前に、マルコは立ち上がっていた。
リンは静かに、そんなマルコを見据えていた。
頭が追いつかず、それしかできなかったからだ。
『ネイファはな、最強なんだよ』
先の言葉をかなぐり捨てて、駆けるマルコ。
本当に最強なら、駆け付ける必要なんて、ないはずなのに。
『報いを受ける? あいつがその気になれば、報いなんて簡単に払えるよ』
「どけクシム!!」
「え、あ、はい」
バンとクシムを押しのけて、マルコが部屋から駆け出していく。
一人部屋に取り残されたリン。
予想外すぎて、目をパチパチとさせていた。
『お前はそこにいろ。片付いたら迎えにいく。絶対にそこにいろよ』
ヒョウの言葉。
リンにとって、ヒョウの言葉は絶対だった。
だが――
『だが今は、弱ってる。殻に閉じこもって、自問自答してるんだ。本当にこのままでいいのか。この道を歩み続けて、本当にいいのかってな』
『俺はな、許せねえんだよ。あんなことがあったのに、ネイファを落そうとしているあいつらが』
『だったらな!! 俺が相手になってやるって言ってんだ!!』
『つまり、次に何かをしでかし、退学になってしまえば俺は、晴れて人生の終わりってわけだ。ははは』
(今、マルコさんを動かすのは、まずい)
いつの間にか下ろしていた目蓋、開いた。
立ち上がり、鞄を背負う。出ようとしたその前に、一度立ち止まって、テーブルの上に置かれたコップに目をやった。
自分のために出されたものだった。
しかしそこにはなみなみと水が入ったまま。
リンはそれを手に取り、腰に手を当て、一気飲みした。
そしてそれをテーブルの上に戻す。
「クシムさん、お水ありがとうございました!!」
「え? あ……はい」
戸惑うクシムを押しのけ、マルコと同じように部屋から飛び出る。
カランカラン。
鈴の音が響く。
店を出て、手摺りに手をかけた。
マルコ。真っ暗な路地裏を駆けていた。
(やっぱり!! 遅い!!)
リンは手摺りに足を駆け、跳躍した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
マルコは全速力で路地裏をかけていた。
ネイファならどんな災厄でも払いのけられることは、知っていた。
心の奥底で、それを見越して事件を起こしていたことも、知っている。
それでもいざ起きると、駆けずにはいられなかった。
矛盾であることはわかっている。
心の天秤にいつも、期待と不安が乗っている。
ネイファならと思いつつ、もしかしたら――
ネイファも、お母さんやお父さんみたいに消えてしまうんじゃないかって、そんな不安を、いつまでも拭い去ることができないのだ。
「どこですか?」
「はぁはぁ、あぁ!? って、ええ!?」
振り返った先で、リンは駆けていた。
ただし、足と同等の隙間しかない、塀の上をだ。
しかも、平地を走る、自分の最高速と同等の速度で。
足の長さから考えても、これは通常ありえない。
魔術を使わなければ――
(これは烈脚法!! 向かい風を殺して駆ける青魔術。平原で用いても足を滑らせる青魔術だってのに、その不安定な足場で楽々とこなすなんて……こいつ)
驚愕するマルコ。
リンは無表情で、息さえ切らすことなく、口を開いた。
「マルコさんはこれ以上何かをするべきではありません。加えて言えばあたしの方が速いです。先行します。住所を教えてください。この街の地図は頭に入っていますから」
「だ、誰が、ぜぇぜぇ、お、お前なん――うお!!」
無駄に口を割らないマルコ。リンは塀から飛び降り、マルコの足を躊躇なく払った。転げそうになるマルコを、リンが抱き抱え、跳躍した。
飛脚法。風は魔力に反発する。故に、足の裏に魔力を集め、跳躍する青魔術である。
あの体育お化けのミーティアでさえ、せいぜい五メートル。ネイファで六メートルと少しと言ったところだろう。
リンの飛脚法は、まあまあなガタイの自分を背負っているということもあって、四メートル弱しか飛んでいない。だが、これは競技ではなかった。
リンは家の塀を蹴り飛ばし、反対側の家も蹴り飛ばし、ミーティアより、あのネイファより、遥かに高い跳躍を見せていた。
見上げた先に、三日月が上っていた。
それを背に、無表情のリンが口を開く。
「了解しました。では、このまま参りましょう。多分それでも、あたしの方が早いと思いますから。ですから、場所を、あたしに」
感情を消し、淡々と事実を語るリン。
先まで口元を両手で隠し『申し訳ありません申し訳ありません』を連呼していた時とはえらい違いだ。
しかしそれが、自分のための変貌だということも、よくわかる。
だからマルコは、腹立つこともなく、悔しく思うこともなく、笑ってしまった。
「――お前は、あの兄貴の妹なのかそうじゃないのか、よくわからねえ奴だぜ……」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
夕日が沈むころ、ネイファは家に帰ってきた。特にどこで何かをしていた、というわけではなかった。ただ、旧市街と新市街の間を通る河のほとりで、ボーっとしてきただけだった。
「やっと帰ってきたね、ネイファちゃん」
ネイファが振り返る。そこにいたのは、アイクだった。手を後ろに回している。
「……」
ネイファは目を細め、そんなアイクを静かに見据えた。