囚われの少女を救ってから惚れられている。しかし相手は十一歳だ 作:松岡夜空
「やっと帰ってきたね、ネイファちゃん」
ネイファが振り返る。そこにいたのは、アイクだった。手を後ろに回している。
ネイファは目を細め、そんなアイクを静かに見据えた。
「マルコの奴はいないよ。とある子が足止めしてくれているからね。本当は僕が隙を見て殺してやるつもりだったんだけどね。イレギュラーがあったからさ。流れに従ってみることにした」
「……」
殺す。
そんな単語を聞いてもネイファは欠片も動揺せずに、頭を回した。
(やっぱり、あの時少女が割って入ってきたのは、アイクの差し金か)
ザッ。
アイクが一歩、足を踏み出す。
(殴られている時に、魔力をマルコの身体に憑けていた。隙を見て殺すという言葉から見て、背中に回した手に持っているのは――凶器か)
目に魔力を込めて、すぐに解いた。ネイファは『あの事件』の後から、
自嘲するように、ネイファが笑う。
「状況把握しているね。君は昔っから賢かったからなー。ガキの頃、五歳の子供にもお前は勝てないのかと、よく親に怒鳴られたものだ。課題をクリアするまではと、部屋に閉じ込められたこともあったっけ。あはは。ああ、せっかくだ。僕が今の状況を分かりやすく説明してあげるよ。君と僕の距離は約七メートル。歩けば八歩。駆ければ五歩って感じかな」
一歩、アイクが間を詰める。
「後ろは家だ。しかし鍵がかかっている。確認済みだ。出入口は一つ。ここのみだ。今は夕方。今日は台風で風が強い。まあいずれにせよ、今の君では、この強風が奏でる狂想曲をかき消すこともできやしない。何せ今の君は『声が出ない』のだから」
風。強く吹く。その度に、獣の遠吠えのような音が、響く。
「でもよかったじゃないか。声を失って。僕は今の君を歓迎するよ。何故だと思う? 昔の君は、強すぎたからだ」
アイクがまた一歩足を踏み出す。
「多分かつての君に勝つのはルイセはもちろん、会長でも難しかっただろう。卒業することもなく、役職にさえついていないのは、君の素行が悪すぎたのと、君に卒業する意思がなかったから」
アイクが足を止める。
「かつての君は、誰よりも強く、誰よりも口が悪く、誰よりも綺麗に笑う女の子だった。毒を向ける相手に弱者も強者もなかったが、同時に、笑顔を向ける相手にも、弱者も強者もなかった。誰に対しても分け隔てなく接し、そんな政治も何もない生き方で、学園カーストのトップに、かつての君は立っていた。ふふふ。確かに君はすごかった。しかし今は違う。今の君は、両親を失い、声も失い、クラスも落ちて、狂犬に守ってもらえなければランクも維持できない、ハリボテのB級最優秀魔術師」
風。また強く吹いた。
庭の木から木の葉がハラハラ落ちて、制服のスカートが、風の方向にそよそよと流れる。
「おっと、勘違いしないでくれ、ネイファちゃん。僕は君のことを卑下しているわけじゃない。むしろより可愛くなったと思っている。女の子というものは、ちょっと弱いぐらいで丁度いいんだ。男より強い男なんてもってのほかだよ。許されない。だから君がどれだけ可愛く、魅力的であっても、手は出なかった。上級国民の肩書きも、かつての君のような子の前ではハリボテなんだよな。かつての君なら、そんな肩書きがなくても、渡り歩いていけただろう。この国がどれだけ疲弊していってもね」
「……」
「しかし君はかつての君ではない。断言しよう。宣誓しよう。僕だけは、君を見捨てない。もっともっと、君が弱くなったとしてもだ。ここにはあのマルコはいない。邪魔者はどこにもいない。あの時は狂犬のおかげで、答えを聞きそびれた。だから今一度、君の気持ちを教えてほしい。僕と一緒に歩くつもりはないか、ネイファ。現在も、そして未来も、何もかも暗闇に包まれた今の君にとっては、魅力的な申し出だと思うんだけど」
アイクが遠く離れた距離から、手を出した。
百年の恋であっても冷めてしまいそうな長口上に、ネイファは笑った。
手を出す。
すると、アイクの顔が、咲いたように輝いた。
しかし、その笑顔を散華させるように、ネイファが手を引き、握りしめた。
親指。突き出す。そしてクルリと反転させた。
アイクが目を見開く。
口に出さずともわかるだろう。
このポーズが意味するところを。
イコール死ね。
地獄に落ちろと言い換えても可。
アイクの顔が、怒りで真っ赤に染まる。
望んだ通りの表情を見て、ネイファが口元だけで嘲笑する。
アイクがガリガリと、頭をかく。
血が出そうなほど、強く強く。
「わからないなー。わからない。どうしてなんだろう? 今後、君はどうやって生きていくつもりなんだい? 残った唯一の肉親であるマルコは、あの通りバカだ。噛みつくことしかできやしない。この前なんて、とうとう傷害で捕まりまでしたじゃないか。わかれよ。君はもうあのネイファ=ラングレイじゃないんだ。声を出すことも、呪を唱えることもできない、ただのガラクタなんだよ? 可愛がってあげようって言ってるのにさー、ダメなのかなー」
アイクが後ろに回していた手を、ソッとネイファに公表する。
包丁だった。沈もうとする夕日の光を照り返し、鈍く輝いている。
アイクが包丁を持ち上げる。切っ先。ネイファに向いていた。それでもネイファの表情は、変わらない。
「もっともっともっと弱くなんないと、僕の理想の彼女にはならないのかなああああ!」
突き出される切っ先。狂った叫び声と共に、駆けてくる。
大の男でも叫ぶか腰を抜かすかしてしまうこの状況。
ネイファは静かに、降り注ぐ木の葉を受け止めていた。掌の上の木の葉だけ、風の方向とは別に、舞っている。
ネイファは無表情のまま、手を振り上げた。
死界からエレメントを引き出すには確かに呪が必要だ。それを赤魔術と呼ぶ。しかし、その場に存るエレメントを操るのに、呪は必要ない。自身の魔力で起こす魔術を青魔術と呼ぶ。
そして今この場に存在するエレメントは、風と土とそして水蒸気。
今日は台風ということもあって、風がいい感じに湿っていた。
ザッ!!
アイクが足を止める。
アイクは変態のゴミクズ野郎だが、それでも火のAクラスに所属する魔術師だ。
わかったはずだ。
いちA級魔術師でしかない自分と、声が出ない、元A級最優秀魔術師の自分との格の違いを。
アイクが顔を強張らせて、その様を見上げる。
ネイファの後ろに並ぶ
木の葉は一枚一枚凍り付き、立派な凶器と化している。
これらが全て刺さればどうなるのか?
怯えるアイク。
そんなアイクを見て、ネイファは嗤った
口を開いた。
声は出ていない。
やはり無理かと思う。
ならば仕方ない。
口の動きだけでわかるように、ハッキリ言ってやる。
死ね。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
チッチッチっチッチ……。
時計が音を刻んでいる。
リビングには、犬で遊ぶミーティアと、目を閉じソファーに腰掛けるヒョウ。台所には今日の夕飯を作るスカイプ。
そして。
ヒョウが目を見開く。
ボーン。ボーン。
十八時を教える、時計の音。
それを押しつぶすように――
バリーン!!
窓ガラスが割られる音が響いた。
ヒョウは笑った。
(リン。やっぱりお前の引きは完璧だぜ!!)
ヒョウはポケットから手を引き抜いた。人差し指には黒の輪。掌には黒刃。
混乱の最中、
(さぁて、ショーの幕開けといきますかー)
髪の毛を後ろで縛り、ヒョウは神速で動いた。
◇◇◇◇◇◇◇
「なんだ!?」
台所で料理を作っていたスカイプが、振り返った。
突然
ガシャン!!
窓ガラスが割られる音。
ヒョウは西を手薄にしろと言っていた。
更にあの脅迫状。
(あれは確実に『知っている人間が』作ったものだ。何か、自分とは違う、別のものが動いている、ということなのか……っ)
「きゃああああああああ!!」
「お嬢様!!」
反射的にスカイプは声を上げた。
本心からの心配であった。
憎らしく思っていても、その付き合いは十年にも及んだ。
長い長い、本当に長い付き合いであった。
好きにならない、はずはない。
手探りで明かりを探す。この家には白雷球の他にサブとして、黒砂炎を利用した砂台も設置されている。それを見つけさえすれば、最低限の明かりは――
そんな時、音とともに明かりがついた。音で死界を揺らすことによって風を操り、砂台の黒砂炎をかき混ぜたのである。簡単そうに見えて、S級魔術師にだけできる、高等魔術だ。
戻った視界には、怯えるミーティアと、現場を調べる守衛隊長。ヒョウはいなかった。少なくとも、目の見える範囲には。
割られた窓ガラスから吹き付ける強風が、魔物の叫び声ような音を上げている。
「ふむ。針先の餌に食らいつくと思いきや、食らいつかれたのは竿を持っている人間の方でしたか。何ともまあ、下らないオチがつきましたな」
「これは……一体」
「どうぞ。全ての答えはそこに」
守衛隊長が、持っていた大きめの石を放ってきた。足元に転がったそれを、スカイプは拾った。石には紙が貼りつけられていた。
内容は――
『妹は預かった。無事に帰してほしければ、ウエストエリア、〇〇―××まで来られたし』
「これは……?」
「どうやら彼は彼で厄介事を抱えていたようですな。あの性格ですからな。そこかしこで火種を抱えていてもおかしくはない。いずれにせよ、彼の計画は失敗です。スカイプさん。申し訳ありませんが、ミーティアさんを自室にまで連れて行ってもらってよろしいでしょうか? さすがにここに待機させるのは、危険極まりないのでね」
「は……はい。わかりました」
スカイプが先導して、ミーティアを連れていく。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
守衛隊長は、そんな二人を見送ってから、天井を見上げた。
黒い刃が天井に描かれた陣の上に突き刺さっている。それが魔力の流れを
「ふっ。人をたぶらかし喰らうが狼の心性。祖国の童話でよく聞かされていたものですが、抜け目ない狼とはね。悪い冗談だ」
守衛隊長は静かにつぶやき、笑った。