囚われの少女を救ってから惚れられている。しかし相手は十一歳だ 作:松岡夜空
「足元に気を付けて下さい、お嬢様」
先頭を歩き、スカイプが言った。うるさいほどに窓が揺れている。多分台風の影響だろう。
手に持った明かりは、黒砂炎を皿に乗せたもの。砂台から少し拝借した。
『今後猫娘の身に何かあったら俺は真っ先にお前を死界に落とす。犯人でないなら何事もないことを祈れ。犯人なら思いとどまれ。以上だ』
ヒョウの言葉。スカイプは恐怖のあまり、トイレで吐いた。その時、怯えも一緒に流した。皮肉にも、留まるとは逆の決意を、スカイプは抱いたのだった。
死界に落ちるのは構わなかった。生きていることに、未練はなかったからだ。本当に恐れているのは、何事もなさぬまま、死ぬこと。
「お嬢様」
「なに?」
「精神鑑定プログラム、というものを、ご存じでしょうか?」
振り返って、スカイプが尋ねた。
「ううん。知らない?」
ミーティアが答えた。魔力量十位、
スカイプはニコリと笑ってから、また歩みを再開する。
「精神鑑定プログラムとは、高魔力魔術師と、先天性魔術師、そして一部の精神疾患の方に作られた法律でしてね。例えば私のような先天性魔術師、お嬢様のような高魔力魔術師には、
例えば、赤子を抱いた主婦を見る。その刹那、自分の目に赤子を殴りつけている自分が映る。それが
「んもーっ!! 失礼だなー。ボクはそんなの聴いたことないよー」
「ははは。そうですね。確かに、そうかもしれません」
女の魔術師は、
それが魔術界のマナーである。
「話を戻しますが、高魔力、先天性魔術師は、死幻、死聴がある。薬はあっても、精神を病むものも多い。そういった魔術師に対し、酌量の余地を与えようというのが、精神鑑定プログラムの本質です」
「へー」
「昔、このようなことがありました」
スカイプは一拍間を置いた。
言ってしまえば戻れない。
そう思ったからかもしれない。
「ある男が女性に恋をした」
それは自分の娘の話だった。
「男は、女性が欲しいとねだるものを、ただただ貢いだ。男はそれが、愛の形であると、思っていたようです。女は年頃でありました。男は利用したもの勝ちだと、そう思っていたようです」
止めることは、いつでもできた。いや実際止めた。それでも娘は引かなかった。
年頃だった。一人娘であり、妻は早くに亡くしていなかった。男手一つで育ててみたが、やはり自分の育て方が悪かったのだろう、ある時期から悪い人間と付き合い始めた。貢がせるというのも、その延長だったと思われる。
「やがて、女に手紙が送られました。文面はこうです。そろそろお金がなくなりそうなので、いただきにまいろうと思います」
いつかこうなるのではと思っていた。
それでも止めなかった。
一人娘に嫌われるのが怖くて、止めれなかったのだ。
あまりにバカバカしい理由で、誰にも吐露できない。
だから一人酒を傾けた。
心の奥底に、澱のようなものがたまっていくのを、感じながら。
「女はその手紙にいたく恐怖を感じ、即警務隊に連絡しました。男は警務隊に厳重注意され、解放。その後、女を刺しました。男は殺人罪で捕まりましたが、その一年後不起訴、つまり釈放が決定しました。何故なら男は、先天性魔術師であったからです」
ミーティアは、無言だった。
ただ足音は、聞こえていた。
振り返った時、いっそいなければいいと、思った。
「当時この事件は大層話題になりました。多くの新聞社が記事にした。女性に同情したというよりも、脱魔推進派にとって、美味しいネタだと思ったからでしょう。世論もまた、その男を飛び越えて、魔術師と、魔術師を優遇するような法に向かって、口撃した。解放された男がその後、娘と付き合っていた男らも皆殺しにし、その後、自殺したことも大きかったのでしょう。結局男の解放は、更なる犠牲者を出しただけだった。そんな中、グリーンポストに勤める一人の男、すなわちあなたの御父上が、とある記事を書いた」
足を止める。
ミーティアの足も、止まっていた。
「非常に痛ましい事件であり、どちらが悪いと論じるのは今更である。しかし
思わず、笑っていた。
世間様がこの事件を評するならきっとこういうだろう。
登場人物が全員クズだと。
全く持ってその通りだと、自分でさえ思っている。
だが――
クズはまだ、残っている。
明かりを、床に落とす。カチャンという音をぶち殺すように、スカイプはミーティアの首を絞め上げ、壁に叩きつけていた。
床に落ちた黒砂炎が、砂だけを燃やし続け、微かな明かりを灯している。
「以前にも言ったと思いますが、私も先天性魔術師でしてね。せいぜい利用させてもらうとしますよ。精神鑑定プログラムを」
「く、あっ、……あ」
首。メキメキと音を立てている。
重ねて、ミーティアの喘ぎ声が聞こえてくる。
しかしそれ以上に聞こえてくる。殺せ。滅ぼせ。
割れそうだった頭の痛みが、手の先から抜けていく。
代わりに入り込んでくるのは、怒りと殺意。止められない。止める気もない。
ただ、知りたいだけだ。全てを失っても。人の道に反しても。
あの時のあれが、仕方なかったというのなら、ならば――
「その時そのペンで、あの時と同じことが言えたなら、私も認めよう!! あの事件に確かに悪はいなかった!! 仕方なかったのだと!! それができるから、あの言葉はついて出たのでしょうが!!」
ミーティアのぽっかりと空いた口。ふと、笑った。
「かもな」
スカイプが目を見開く。首をつかんだ両手。逆につかまれた。
風。巻き起こる。
周囲の壁がビシビシとひび割れた。鉱石は風と同じで魔力に反発するからだ。故に、ミーティアの眼鏡もまたひび割れる。
まるで、被っていた仮面を、破砕するかのように。
(こいつ!! いやバカな!! それはありえない!!)
あいつの瞳はアヤメ色。すなわち八位。ミーティアの瞳は
魔力容量は産まれつき決まっていて、努力でどうこうすることはできないはず。神合薬を用いて魔力容量を下げることはできても、上げることは――
いや、まさか!!
「瞳の色が変わるほど魔力を練り上げていただと!? そんなバカな!! ありえない!! 瞳の色が二つも変わるほどの
闇。包まれる。
恐怖なく。
走馬灯なく。
愛した者の影もない。
これが死かと、思うことすらなく。
スカイプは、全てが夢幻であったかのように、その場に倒れた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「皮下注射と薬品で姿と声を変えていたのだろうが、相手が悪かったな。俺はな――」
足元の黒砂炎を踏み潰し鎮火しながら、声を発した。
その者が発するのは、確かにミーティアの声。
その者の容姿は、確かにミーティアの姿。
だがよく見ると、やや背が高く、所々、荒い。
ミーティアを一人で放置していた三十分で、急ごしらえで作ったものだから、仕方ないと言えば仕方ない。
ミーティアの姿をした何者かが、手を顔にかける。そしてそれを、下に引き抜く。
ミーティアの顔が、桃色のカツラごと、破れる。眼鏡、耳、髪、顔と、丸ごと引きちぎって、その下から現れたのは――
今でこそ黒髪だが、間違いなく、
「一度聞いた声を、老若男女問わず、完全にコピーすることができるんだ。俺がコピーできない声は、生身じゃない、お前みたいな声だけだ。
盗賊王に、一切の変装術は通用しない!」
自分の割れたミーティアの眼鏡、カツラなど、変装用具をその辺にポイ捨てし、ポケットに入れていた自分の眼鏡ケースを手に取った。中を見る。同じく割れていた。
「やれやれ。最後の一個だったってのによ……」
割れた眼鏡もその辺に放った。首に手を当てる。やや痛みが走った。鏡がないので見えないが、多分クビに痣がついているだろう。
それでもヒョウは、やはり、笑った。
「まあこんなもんか?」
スカイプを気絶させることはいつでもできた。
それでもしなかったのは、スカイプは多分
薬品も皮下注射もミーティアが大人になるまで待つことも、尋常ならざる行為だ。何故そんなことができたのか。
恨みからではない。
ミーティアを殺そうとしているその時だけ、
「人の
返事がないスカイプの背中に、脅迫状を詰めた封筒を放った。この手順は重要だった。元々このためにやってきたと言っても過言ではない。まあ高い代償ではあったが。
(気持ちを吐露し、欲望を解放させたところで、結局は元の木阿弥の可能性も、十二分にある)
だが――
「でもま、こっちもブランクあっからよ。半分ぐらいは、
踵を返す。
本来ヒョウは、誰かに同情することは嫌いな男だ。
しかし――
誰かに同情しない、わけではない。