囚われの少女を救ってから惚れられている。しかし相手は十一歳だ 作:松岡夜空
「うひゃあ!!」
リンが飛びのく。
距離を置いて、改めて見つめた。そこにいたのは、首を曲げ、自分に覆い被さるようにして立っていた――
「兄様!!」
嬉しくて、声が跳ねた。
夜のように暗くなっていた気持ちが、パッと晴れていくのを感じる。
こういう時、ああ自分はやっぱりこの人が好きなんだなと思えて、嬉しくなる。
だが――
「あ……」
すぐにその顔は曇天になった。
ヒョウの首。痛々しい手形が付いている。眼鏡も今はかけておらず、制服も着替えている。
服と眼鏡が損壊するほどの、壮烈な戦いがあったことは明らかだ。
リンの視線に気が付いたからか、ヒョウが自分の首を手で押さえる。目を上向け、舌をチロリと出した。
どうやら困っているようだ。
ヒョウは同情や心配されることを、極端に嫌う。
(確かに、あたしのように小さな存在が心配したところで、兄様の力になれないのは間違いない。こんな気持ちはただの、自己満足だ。それでも、好きだから。力及ばずとも、何か、支えになれるようなことは、ないのだろうか――!)
「はにゃ」
声が引っ張られてもとい、頬を引っ張られて、リンが顔を上げる。
そこには、好きな人が、ニコニコ笑顔でリンのことを見ていた。
(ただこの人は、いつだって笑っている人だから油断はできない。何よりほっぺた。触られているし――)
「お前なあああああ。兄様の言うこと聞いてなかったんか!! あの場を動くなって、兄様は言っただろうがよおおお」
「ふえええええ!! いひゃい、いひゃいです、兄様!!」
ヒョウの手を叩くリン。
痛いと言いつつも、口元がニヤけてしまうのを止められない。
ヒョウがリンの手を離す。
リンは『赤くなっているであろう』頬を押さえて、ヒョウを見上げた。
ヒョウの視線は自分を飛び越え、マルコに向いていた。
マルコは今も警務隊の人と言葉の応酬を繰り広げていた。ヒョウはゆっくりと立ち上がって、言い合っているマルコの頭を、手刀で小突いた。
マルコが振り返る。
「で? 再戦はいつにするんだよ」
ヒョウが言った。リンが慌てて駆けて、ヒョウの隣に並ぶ。
何故なら自分はヒョウの義妹にして、副官だから。どのようなことがあろうとも、ヒョウを全力でサポートするのが、今回の自分の仕事なのである。
(もっとも、今回でなくとも、自分はいつだって兄様の味方だと思っているけどっ)
「けっ、いいのかよ。見た感じ、こっぴどくやられたように見えるけど?」
ヒョウの首の痕を見て、マルコが言った。
(むむむ)
リンは自分の眉尻が立つのを感じた。
リンはヒョウ第一主義である。
好きな人の悪口は、どんな相手、どんな理由であっても許せなかった
ヒョウが舌打ちして、首元を隠す。
そんなヒョウを見て、マルコが大笑し、鞄から何やら黒い棒――正確には、棒に黒い布を巻き付けた物?――を取り出し、それをヒョウに投げ渡した。
ヒョウがそれを受け取る。
リンには、それが何かわからなかった。
「一本だけか?」
ヒョウが言った。
それが何かわからないリンからすれば『?』な話であった。
「お前は今日、妹をほったかしにして、どっかで仕事をしていたらしいな」
「だから?」
「お前らの事情はあえて問わん。だけどな、こいつにとってここは異国だろ。妹に寂しい思いさせるんじゃねえよ。俺がその気だったら――」
マルコの言葉を、リンは口元を隠して聞いていた。
脈絡は不明だが、その言葉は誰かにヒョウに言ってほしかった言葉なのだ。
迷惑はかけたくない。しかし、それとこれとは話は別なのだ。
だから嬉しくて、口元を両手で隠した。
リンは嬉しい時や驚いた時、口元を隠す癖があるのだった。
「その時はお前が負けてるよ。なあリン」
「いやまあそうなんだけどさ」
マルコがガリガリと頭をかいている。
リンはクスクスと笑ってから、ヒョウを見上げた。
ヒョウの顔は、ちょっといつもと違っていた。
何だろう? 不思議なものを見るような、訝しげ、ともまた違うような。
しばらくリンのことを見つめた後、ヒョウはプイと、視線を外した。
(何だろう? 何か不満に思わせることを、してしまったのだろうか……)
リンはシュンとして、顔を俯けた。
「つっても」
マルコが続ける。
「お前は言葉で言ってもわからない奴だ。だからこいつは、一本だけなんだよ」
ヒョウは面倒くさそうに頭をかいた。
「アホくさ。で? 再戦は? これを返しに来た時でいいのか?」
「そうだな。もっとも、その時まで俺が
ヒョウが受け取った黒い棒を縦に放って、またつかむ。
「ふん。バカは死ぬまで治らないってやつだな。行くぞ、リン」
ヒョウが踵を返す。
リンも同じく頭を下げた。
急ぎヒョウの後を追おうとして、今一度、振り返った。
「マルコさん!!」
敷地内に入ろうとするマルコに、リンは声をかけた。
「なんだよ?」
「妹さんにとっての一番の行動は、お兄さんがそばにいることだと思います」
「あいつは俺の連絡先も知らねえんだよ。俺がしていることは、ただの自己満足だよ」
「もしかしたら、単にあたし達の邪魔をしたくなかっただけかもしれません」
「……」
「受け売りですが、真実はそれぞれの心の中に、だそうです。だったら、そんな真実だって、十分にあっていいと、あたしは思います」
「……まあ、考えておくよ」
そう言って、マルコは数人の警務隊と一緒に、敷地内へと姿を消した。