囚われの少女を救ってから惚れられている。しかし相手は十一歳だ 作:松岡夜空
国立ヴァルハラ図書館。
リンは勉強のためのノートを広げ、ヒョウは集めてきた資料をテーブルの上に並べていた。
並んでいる資料は、主に北翼の歴史本、世界史の本も並んでいる。
「兄様」
「ん?」
手を止めて、リンが尋ねた。
ヒョウが顔を向ける。
「兄様が調べたかったこととは、それなのですか?」
「ん? いや? 全然?」
「ええええ!?」
ヒョウのまさかの答えに、リンがビックリした声を上げる。
周囲の人間に剣呑な目を向けられ、リンが両手で口元を隠した。
ヒョウは笑って、唇の前に指先を立てる。
「はわわ……」
「図書館では静かにな、リン」
「はい。申し訳ありません、兄様」
シュンとした顔でリンが言うので、ヒョウはカラカラと笑った。
「まあこれも調べたいことの一つではあるけどな」
「そうなのですか?」
「ああ」
『何だよヒョウ。お前は本当に歴史に疎いな。この女は』
夢の中のリンを見て、『何かある』と思った時、突拍子もなく流れてきた、元相棒の台詞。
あの時からずっと思っていた。
恐らく自分は、過去のどこかで、リンの何かに触れている。
それでも、今はまだ、これに取り組む段階ではない、とヒョウは思っていた。
今は目先の任務、つまりファルコ=ルドルフである。だから今回の調べもの、というのも、実はファルコ=ルドルフについて調べようと思っていた。
図書館には過去の新聞が貯蔵されている。ファルコ=ルドルフほどの有名人なら、一度や二度、新聞に記事を載せられたことがあるはずだ。
今回はそれを調べに来たわけなのだが、急遽予定を変更して、北翼の歴史について調べることにしている。
何故予定を変更したのかというと――
「気づいてるか? リン」
「え?」
「見られてるってことにだよ」
「え……」
「ご名答」
リンの後ろから、声。
目を向けるまでもなく誰かわかったが、一応目を向けた。
蒼い髪に青い瞳。デニムのミニスカに白い服。白い帽子。
ヒョウとリンを監視するために学園に侵入していた、内閣守衛隊。
通称ガーディアンウィザード。
アイリス=クーパ。
「ア、アイリスさん」
「やっ、どうもー」
帽子を取って、アイリスが言った。
リンは、目を見開いて、アイリスのことを見据えた後、シュンとした顔で目を伏せた。
アイリスは、そんなリンを見てクスリと笑い、リンの隣に腰掛けた。
「よくわかったな。というかその髪はなんだよ。染めたのか?」
「うん。変装のためにカツラ買おうかなと思ったけど、面倒だから染めちゃった」
「ええ……。一ミリも共感できねえ話でビックリしたわ。というよくわかったな。俺たちがここに来るって」
「うん。リンちゃんが教えてくれた」
「え」
リンに目を向ける。
リンは逃げるように目を伏せた。
「いやその、聞かれたので、思わず」
「前日だろ? どうやって」
「伝書に決まってんじゃん」
「ええ……」
心底呆れた声が出る。
仮にも敵に、こっちの情報流すとは。
お人よしにもほどがある。
「あ、もしかして、怒ってる?」
荷物を机の上に置きながら、アイリスが言った。
「何が?」
「二人きりの時間邪魔しちゃったから」
「バカバカしい話だが、それで消えてくれるなら、そういうことでも構わんぞ」
「ふーん。ねえねえリンちゃん」
「はい」
「こいつ結構むかつくね。そう思わない?」
ヒョウを指差すアイリスの頬は、風船のように膨らんでいた。
「え!! あ、いえ、あたしは、その……」
リンが何と答えたらいいのかわからないとばかりに、目を伏せる。
(そこは普通に否定しとけよな―アホらしい)
思いながら、ヒョウは外に目を向けた。
外には火鳥と同化した『元』太陽、神陽玉が燦燦と瞬いている。青々とした木々が、図書館の中庭に木漏れ日と影を落としていた。
そんなさわやかな中庭のベンチで、座っている女が一人。
今日はツインテールではなく、髪をまっすぐ下ろしているが、あの紫頭は忘れない。
あいつはBクラスのクラスリーダー、ネイファだ。
(何だよ今日は揃い踏みだな)
椅子の前足を持ち上げながら、ヒョウは思った。
(ということは、あのハゲもどこかにいるな)
このヒョウの読みはズバリであった。
ヒョウらが二階で勉強していた時、マルコらは三階にいた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「はあ」
ヒョウがいる図書館の二階でアイリスと合流していたころ、三階でマルコは、ぶっといため息をついていた。
一緒に勉強でもどうかと誘った妹のネイファは、マルコがちょっと煙草休憩を挟んだ間に、勉強道具だけを残して、どこかへと消えていた。(ちなみに十六歳の喫煙は法律違反)
かれこれ三十分になる。
トイレにしては長すぎた。
早くも口が寂しくなってきて、ろくすっぽ使っていない鉛筆を、口にくわえた。
何気なく、外を見た。
人がベンチに座っているのが見えた。
「あ」
思わず声が出た。
座っていたのは、なんとネイファだったからだ。
ここの図書館の一階はカフェになっていて、ネイファはそこのコーヒーを飲みながら、青々とした木々を眺めている。
ネイファは、声を失った。
ネイファの目の前で、父親が、母親を撲殺したからだ。
理由を聞いたが、父はネイファを守るためにやったの、一点張りだった。
その時自分は、黒魔術で錬生したドラゴンで夜な夜なダウンヒルしていて、現場にはいなかった。
ネイファに残されたのは、バカな自分だけ。
と言いたいが、実はそんなことはなかった。
ネイファは、兄である自分の連絡先さえ知らない。
自分の場合は、残されたというより、残ってしまったという言い方が、正しかろう。
ネイファは普段ツインテールにしているが、好きな人と会う時、髪をまっすぐに下ろす癖があった。
そうつまり、ネイファは恋をしていた。
そしてそのネイファの好きな人が、ここヴァルハラ図書館にいた。
ボーっとネイファのことを眺めていると、おばあちゃんが一人、ネイファの元にやってきた。
どうやら道に迷っているらしい。
ネイファは立ち上がって説明しようとしたが、ネイファの声は、先述したように、出ない。
助けに行かなければ。
マルコは立ち上がった。
ネイファは、身振り手振りで、頑張って説明している。
不思議とマルコは動けず、その様を眺めてしまっていた。
ネイファがベンチの上に置いたコーヒーから、静静と湯気が上っている。
しばらくして、おばあちゃんが嬉しそうな顔で、頭を下げる。
ネイファは――
小首を傾げて、笑った。
差し込む木漏れ日よりも、ずっとずっと、光輝く笑顔に、マルコには思えた。
今一度ベンチに座り、冷めてしまったであろうコーヒーを、また口に含む。
目を伏せて、拳を握る。
どうしてこんないい子が、こんな目に合わなければならないのか。
何か手はないのか。
本当に、どうしようもないのか。
考えてみても、やはり答えは出ない。
せめてこれから、真っ当な方法でと思ってここに来た。
しかしそれで罪が許されるはずもない。
ネイファを堕とそうとする者を、真っ向勝負とはいえ襲ってきた。
初めこそ頭を下げ、金を払ってきた。
だが、地面に頭を擦りつけ、頼み込んでいる時、仲間の一人が、自分の頭を踏みつける男に殴りかかった。
勘違いしないでほしい。
仲間のために、戦ったんじゃない。
いい加減我慢ならなくなったから、その場にいた奴ら、全員一人で殴り倒した。
殴った仲間も殴りつけて、その足で警務隊に出頭した。
青少年保護プログラムの一、禿頭刑を受けて戻ってくると、ネイファはAクラスから、Bクラスへと、落ちていた。
その時、自分の中の、何かが切れた……。
大人に諭されてやめようとは思っていなかった。
やめろやめろと言われると、意地になってしまうのだった。
しかし――
『ここであたしと出会ったのも
十一歳の子供にまで諭され始めたら、いよいよ終わりだ。
そしてその言葉には、確かに理があった。
だがそれでも、いつか報いを受ける時はくるだろう。
きっとそれは、そう遠くないうちだろうなとも、思っている。
笑った。
酔ったわけじゃない。
ただの、自虐だった。
せめて、自分が消えるまでに、ネイファの声だけでも取り戻したい。
そう思いながら、ネイファを見下ろした。
そして。
バン!!
窓ガラスに顔を叩きつけるようにして、外を見下ろした。
先におばあちゃんを満足させ、春の季節を楽しんでいたネイファが、今度は悪漢二人に絡まれていた。
一人はモヒカン。
もう一人は舌にピアスをつけていた。
そして二人とも、揃いの月のネックレスをしている。
(どっかのチーマーか!!)
マルコも暴竜族をしていたころ、ドラゴンのネックレスを証としてつけていた。マルコに至っては、二の腕から手の甲にかけて、ドラゴンのタトゥーまでしている。
ネイファは美人だ。
髪を下ろしたネイファは特に美人だ。
だから、男ら二人はだらしなく顔を歪ませていた。
そんな男らに、ネイファがグッと親指を立てる。
男ら二人の顔が、歓喜に震えたが、甘い。
ネイファはバカな兄の影響かはたまた同族嫌悪か、どちらかと言えば真面目な男に恋をする女なのだった。
ニコニコ笑っていたネイファであったが、次の瞬間、ネイファはその親指で、自分の首を掻っ切った。
(あちゃー)
マルコが目を覆って上を向く。
しかしその唇は持ち上がっていた。
それでこそ、マルコが知るネイファだから。
そうこうしている間に、ネイファはその親指を下にする。
イコール死ね。地獄に落ちろと言い換えても、可。
男ら二人の顔にヒビが入る。当たり前である。
更に一人の男は、拳さえ振り上げ――
「あの野郎!!」
思わず大声を上げていた。
確かに、ネイファは強い。
前にアイクを返り討ちにしたように、声が出ていない状態で、多分自分より強いのだ。
あんな悪漢、ネイファなら秒殺だろう。
実際『かかってこい』とばかりに、両手を前に出し、魔力を練り上げている。
このことからわかるように、実はネイファの心は大分安定を取り戻していた。
あれから半年。いつまでも、眠ったままでいるネイファじゃないのだ。
しかしそれでも、男が女に拳を上げる。
許せることではなかった。
周囲の注目を集める中、マルコが駆けだす。
そんなマルコを――
同じ階にいた、ジョニーとロナウドが、静かに見据えていた。