囚われの少女を救ってから惚れられている。しかし相手は十一歳だ 作:松岡夜空
「うわああああああ!」
クズどもが、蜘蛛の子散らすように、駆け出していく。
その様子を、ネイファは呆然としながら見ていた。
(間違いなくただの子供じゃない。この子は一体……っ)
カラン。
鉄棒が蹴り飛ばされる音が聞こえて、足元に目をやった。
そして気づいた。
ペイリの氷の爪が消えてなくなり、それが、鉄棒の端に集まっていること。
(あれは魔力誘導!! 咄嗟に氷の爪を溶かし、水の塊をクッションにして致命傷を避けた!?)
スッと、ペイリが立ち上がる。
手には鉄パイプ。
氷のかぎ爪はとけていて、代わりに鉄パイプの先端を、氷の斧に変えていた。
ペイリがゆっくりと、近づいてくる。
少女は気づいていない。
顔を伏せながら、ゆっくりと自分の元へ近づいてくる。
「……っ。……っ」
声を出そうと思った。
しかし出ない。
少女の背にゆっくりと近づくペイリ。
手には、人を斬殺せしめる、凶器。
ペイリがそれを振りかぶった時――
頭の中で過去の記憶が弾ける。
◇
廊下で自分を押し倒す母。
自分の胸倉をつかむ母の手が、キリキリと音を立てている。
母は、笑いながら、泣いていた。
『魔術の腕だけいっちょ前で、本当何もわかってないのね、あんた。浮気してる? 誰が? このあたしが、そんなことのために、あの人と会っていたと思ってるの?!』
そんな時、家の扉が開いた。
扉を開いたのは、父だった。
『な、なにをしているユイファ!! やめろ、やめないか!!』
扉を開けてすぐが、この騒動だ。
心情察する。
父は慌てて駆けてきた。
『ねえネイファ。全部教えてあげましょうか? こいつが夜遅くに帰ってくる日、どこで何してるのか?』
今更何を言うのかと思った。
この女が、ペイリと浮気していることはわかっている。
現場を目撃したわけじゃない。
あたし達魔術師には、
あたしの実力は、十三歳にして、魔導省官僚である、母の腕を越えていた。
『おいやめろ!! ユイファ!!』
父が慌てる。
どうしたんだろうと思った。
そしてふと、気づいてはならぬことに、気が付いた。
考えてみると、どちらも『悪』という可能性も十分にありうると。
本能がその思考から逃げていた。
母と父。
どちらも悪だなんて最悪すぎる。
だから片方は、きっと善なのであろう、と……。
そして、父の淫行に気が付かなかった理由がもう一つ、ある。
『こいつが毎日どこで、誰と会って、何してやがんのか』
父が魔術師ではない、ただの
人間相手には、
この男が外でどんなマネしてようと、どんな手で自分の頭を撫でようと、絶対にわからない。
鼓動が、一際大きくなった。
恐る恐る父を見た。
心臓が、時でも刻むかのように、胸の中で鳴り続ける。
『だからやめろって!!』
そうだ。
どんな一流の魔術師だって――
『
バリン。
何かが割れる音。
父の手には、砕かれた花瓶。
荒い息をつく父。
父が笑う。
人間特有の『黒い』瞳が、これ以上なく見開かれていた。
『俺はお前を救おうとした……。見てたよな? ネイファ』
助けられなかった。
一瞬だったから?
本当にそれだけか?
嫉妬していた――からじゃないのか?
自分も、ペイリのことが、好きだった。
だからいや、そんなことあるわけない。
そんな理由で、母を見殺しにするなんて、あるわけがないじゃないか、絶対に!!
だが――
それを示せるようなことを、自分は母に対し、今までしてきたのか……。
「あ……うっ……あ……っ」
喉に手を当てる。
声が出ない。嗚咽だけが零れる。言うべきこと、一杯あった。なのに、最後の言葉も、昨日の言葉も、全部思い出したくもない、最低のものばかり。
後悔なんてしてる場合か。早く白魔術でもかけてやれと、天上から声をかけることはできても、過去の自分は微塵も反応しない。
何より多分、もう、どうにも、どうにも――
「大丈夫だ、ネイファ。安心しろ。とりあえず救急隊だ、救急隊呼ぼう。な?」
見上げる。
見上げた父の顔は、ただただ暗闇。
全身から力が抜ける。
父の言葉に、得心したわけではない。
母の言葉に、得心したのだ。
でももう、何も戻らない。
夢だろと思う。
どこかでフッと目が覚めて、起きた時には布団の中で。
その時には、何もかも戻ってるんだろうと。
母と父が消えた家。
自分の部屋で目覚め、立てた膝に、またうずくまる。
声が戻らない。構わなかった。
夢じゃないのも、もういい。諦めた。
だから――
これから自分は、どうしたらいい?
どう生きたら、許されるんだ……。
◇◇
チャラン。
ネイファが手を動かしたことで、鎖が鳴った。
少女が足を止める。
ペイリの振り上げられた氷の斧が、少女の脳天めがけて、振り下ろされた。
その姿が――
あの時の父親と、ダブって見えた。
◇
「いやー本当にすごいですよ、ネイファさんは。うちのペイリもそうですが、先天性魔術師というのは本当に、天才としか言いようがないです。とても五歳とは思えません。うち基準ですでに十。外の基準なら十四、十五ぐらいの能力を、すでに持っていますよ」
ベビージュエルの指導員の言葉に、母が顔を赤くして喜んだ。
それは、
不思議と、母が喜ぶと、自分も嬉しかった。
そんな俗な発想をする自分が子供っぽくて、嫌いだった。
だけど、自分が嬉しいのだから――
もっともっと、お母さんを喜ばせてやるぞって、そう思った。
「ネイファ。今日何食べたい?」
「え?」
「今日はネイファが食べたいもの、何でも作ってあげるから」
「じゃあじゃあ、あたし――」
――過去は変えられない。
当然のことだ。
どれだけ泣こうが後悔しようが、もうあの日常は戻ってこない。
もう何一つ、言葉をかけることも、できやしない。
でももし、あの時に帰ることが許されるなら、たった一言だけでいいから、言わせて下さい。
それは、大好きでも、ありがとうでも、ごめんなさい、でもなくて――
二度と会えなくてもいい。嫌われたままでもいい。
だから――この一言だけ。
◇
「お母さん!! 後ろっ!! 避けてっ!!」
掠れた声で、どうにか叫ぶ。
目はつぶっていた。
こんな声じゃ聞こえるわけがないと、内心、わかっていたのかもしれない。
時が凍り付いたように、何も聞こえない。
そんな時。
カラン、カラカラカラカラ……。
音がした。
何の音かまでは、わからなかった。
「覚悟はある。そう言いましたね」
凛とした、少女の声が聞こえた。
目を開ける。
ペイリの後ろで、子供とは思えぬ強大な魔力が立ち上っているのが見えた。
氷の刃を刈り取られ、柄だけになった鉄棒を持ったペイリが、振り返る。
少女の、リンの手には、抜身の刀が握られていた。
命など容易く吸い取ってしまいそうな刀身が、妖しく光っている。
「死したその先に、大切な方が待っているから、別によいのだと」
少女の冷たい問いかけ。
ペイリは膝を伸ばし、クツクツと笑って応えた。
「バカが。待っていやしないさ。ただ同じ場所に行くだけさ。もう会えやしないんだよ、ユイファさんには!! だから俺は、あの人が遺した、最後の想いを完遂する!! ただそれだけのために生きてんだよ俺はああ!!」
「そうですか」
「そういうお前はどうなんだ? 覚悟はできたか? 他人のために、何もかもを投げ捨てる、覚悟が!!」
少女は答えなかった。
ただ無言で、刀を鞘にしまう。
瞬間。
リンが消えた。
瞬きさえ許さぬ刹那で現れた場所は、ペイリの懐。
「じぃぃぃぃぃっ!!」
ペイリが迎撃する。
その前に――
振り上げたリンの鞘の先端が、ペイリの水月に入った。
ペイリが旋回し、そのまま宙を舞って、地面に叩きつけられる。
「ぐっ、がは!!」
ペイリの水月に鞘を固定したまま、リンが鞘から刀を引き抜く。
そして、抜身の切っ先を、ペイリの鼻先へと突き付けた。
「あたしには、詳しい事情はわかりません。ただ、貴方がその人を本当に愛していたのなら、その人もまた貴方を愛していたはず。
貴方のその姿が、本当に彼女が望む姿なのですか?」
「……」
「そんなこともわからないのならば」
カラン!!
リンが刀を納刀する。
「誰かを好きになる資格も、誰かのためになんて言う資格も、どこにもありはしません!!」
鋭い台詞だった。
心技体。
全てにおいて隙がない。
顔を上げる。
マルコは、傷ついたまま、伏している。
リンは唇を噛んで、その場に立ち尽くしている。
倒れたペイリはピクリとも動かない。
誰のせいでこうなった?
ペイリではない。
自分だ。
全部、自分のせいでこうなったのだ。
思わず笑った。
もちろん、自嘲だった。
そんな時。
「終わったか?」
入口から、声が入ってきた。
肘を壁にもたれかけ、ダラリと立つその男は、眼鏡こそなかったけれど、すぐにわかった。
東尾からの留学生。
リティシア=ヒョウ。