囚われの少女を救ってから惚れられている。しかし相手は十一歳だ 作:松岡夜空
「ネイファさんとマルコさん。今頃、楽しく話しておられるでしょうか?」
「ん~?」
椅子の前足を持ち上げながら、ヒョウは言った。
二人を家まで送り届けてからも、リンとの関係はギクシャクしたままだった。
「そりゃー無理だろ」
「え!!」
「いや、今はな。こっぴどくやられてたからな。できても朝だろうな。まああいつも考える時間ができるし、丁度いい調整だろうよ」
「そ、そうですか」
ズズズと、作ったコーヒーを口に入れる。
机の上に置いていた時計を見る。
夜の十一時半。
そろそろいいかなと、立ち上がる。
ヒョウは前に言っていた調べものをしたかった。
ズバリ、ファルコ=ルドルフについてだ。
ファルコ=ルドルフの情報なんてものは、放っておけばそのうち目に入る。
そんなことはわかっていた。
わざわざ夜の図書館に忍び込んでまで調べることじゃない。
それでも調べようとしているのは、多分ここから逃げ出したい、というのが、あるのだろうと、他人事のように分析する。
「リン」
「はい」
リンが目を向けてくる。
ヒョウは反射的に目をそらしてしまった。
「俺はちょっと出かけてくっからよ。新月布の使用は解禁すっから、一時間して帰ってこなかったら、戸締りしてそれ被って寝とけ」
「はい……」
リンが目を伏せて、視線を逸らす。
ヒョウはその前を通り過ぎて、玄関まで向かった。
「兄様!!」
「ん?」
振り返る。
リンは今も視線をそらしたままだった。
「今日はその……ありがとう、ございました」
「俺は何もしてないだろ?」
「マルコさんの治療をしていただきました」
「あんなもん、わけねえや」
ヒョウはマルコを病院には送らなかった。
何故ならマルコはヒョウとの騒ぎにより現在停学中。
今回の一件が割れれば退学になる可能性があったからだ。
だから、最低限の治療はヒョウが自ら行った。
薬と伝書のアドレスは渡しておいたし、どうしても隠し通していたいなら、自分が通ってやってもいいと思っていた。
謝りはしないが、悪いことをしたとは、思っている。
「そ、それに、ネイファさんにお声をかけてもくださいました」
「何だそりゃ? そんな大したこと言ってないだろ?」
「女性の笑顔は華だと、おっしゃってくださいました」
「あー、あれねー」
「素晴らしい言葉だと、リンは思いました。リンでは絶対に思いつかなくて、さすが兄様だなと、リンは――」
「そうか。まあお前がそう思ってくれたなら、よかったんだろうな」
一歩足を踏み出す。
「兄様!! あの」
「リン」
リンの言葉をピシャリと遮り、振り返る。
「お前はあの二人を助けたいと思ったから助けた。俺は別にどうでもいいと思ったから助けなかった。それが全てさ。
俺のことを無理に立てる必要なんかない。俺は単に、しけた終わりが嫌いだから、言葉を付け足したまでだよ」
そう言い残して、また足を回した。
だが。
「よくないです!!」
足。
また一歩進ませる。
「だって、だって――」
言葉は右から左に素通りだった。
悪く思うなと思う。
いつまでも付き合ってたら、永遠に終わらない。
「このままだと」
「……」
「このままだと、リンがしけた終わりになっちゃいます!!」
「え?」
思わず足を止めて、振り返っていた。
何か物凄い自分勝手な言い分が聞こえてきたような気がするんですが。
リンは居住まいを正しながら、両手を広げた。
「兄様はおっしゃいました。寝起きにしけた顔を向けられるのはやめた方がいいと。このままだとリンは、明日も明後日も、兄様にしけた顔を向けてしまいます」
「あのさぁ……」
「リンは」
リンが一度目を伏せた。
そして、気丈に見上げてくる。
「リンは、朝起きて、リンのことを見てくれる兄様に、華を渡したいです。一日一日を、目一杯頑張れる華を。世界にたった一つだと思えるような、素敵な華を。兄様にずっとリンのこと、見ていてほしいから。兄様とずっと一緒に歩いていたいから」
目を細めた。
リンといると、時折、見ていられなくなってしまう。
それは、自分にとってリンが、眩しすぎるからなのかもしれない。
リンの手が、膝の上でギュッと握られている。
「でも今更、こんなことを言っても、ダメ? ……なのでしょうか? もう元には……戻れないのですか……?」
涙声でリンが言った。
顔は見れなかった。
仮に――
「リン」
リンが隣にいなければ、マルコは死んでいただろう。
そして自分は思うのだ。
『ああ死んだのか、まあいいか』と。
笑いながらだ。
「今度の休みは、暇か?」
「え……?」
本当は、死への手向けなんかじゃない。
それ以外の感情を知らないだけだ。
そんな自分が嫌いだった。
変わろうと思ったこともある。
しかしやめた。
だってそうだろ?
人が死ねば悲しみ、人道に反することがあれば怒り。
誰かが助かれば喜び、祝いの酒で喜びを分かち合う。
自分にはそんなことできやしないから。
誰かが死ねば笑い――
人道に反することがあっても笑っている。
それが自分だ。
化けることは容易いが、それはもう自分じゃない。
やはり、自分以外の人間が、輪に入っているのに過ぎないのだ。
人が助かった時、戯れに笑って見せるが、本当はどうでもよかった。
敵も味方もいなくなれば、またみんな消えてしまうから。
酒も感謝も何もいらない。
喜び方だって、知らないから。
だが――
「もしも暇なら」
リンの我儘に付き合っていると、よく誰かに感謝される。
そんなもんいらねえなと思いつつ、悪くないなと思うようになった。
手向けの華を向けるのではなく、華が広がる結末。
それが本当に自分の望みなら、そんなもの、とっくの昔に気が付いているんだ。
じゃあ何故、今はそれが悪くないなと思うようになったのか。
それは――
「今度どこか遊びに行くか」
広がる華の先に、喜ぶお前がいる。
だから――
「二人だけで」
そんな景色も悪くないのかもなって、思うようになったのだ。
「はい!!」
リンの、駆け込んでくるような言葉を、背中で耳にする。
ふと思う。
リンは十一歳であったと。
(しかし今更取り返しはきかないか……)
笑って手を振った。
扉を閉め、その扉にもたれかかる。
空に月が昇ってる。
風は冷たい。
不思議と足を動かす気にはならず、ただ黙って月を見上げていた。