囚われの少女を救ってから惚れられている。しかし相手は十一歳だ 作:松岡夜空
拳。すぐ目の前にあった。
俺は悠々と旋回し、その一撃をかわした。そして、互いに互いの尻尾を追うように回転し、同時に離れる。
例のボーズ頭であった。恐らくこいつだけは、追いかけるではなく、回り込む、という選択を選んだのろう。
少しばかりは、頭が回る男らしい。そうこないとな。
「よく動くな」
「いやーそれほどでも」
「ならこいつはどうだ!! 仲間の分の、お返しだよ!!」
男が手を振り上げる。
距離はあった。足も地についている。投擲か。
男の手が縦に振られた。俺は足の横で指を鳴らす。風のカーテンに遮られ、男が放ったものが足元に落ちる。それは、俺が先にまいたマキビシだった。
俺は口元だけで笑った。
「あぶねえなー。こんなもん顔面に食らったらシャレにならんぜ。喧嘩も想像力を働かせないとな」
頭を指さし、俺は言った。
男の頬から汗がタラリと落ちた。
「仲間の足ブッ刺しといてよく言うな。それにしてもやっぱお前ただものじゃないな? 何者だ? やっぱ例の、決死組ってやつか?」
俺は口端で頬を断ち割りながら、笑った。
「魔術師なら
「一流の魔術師は、死念が思念を食らう魔装の揺らぎから、相手の心まで洞察するというが、実際に読めるのは、喜怒哀楽愛嘘信憎恐の九情までだろ。見鬼で見たところで――」
そこまで言ったところで、男が言葉に詰まる。
何かに気が付いたようで、男は目を見開いていた。
「お前まさか……」
「あ?」
「……お前まさか、あいつを
フェミニストは、女を見鬼で見ることに怒る者が多い。
確かに見鬼で読める感情は、喜怒哀楽愛嘘信憎恐の九情と少ないが、精神世界から見られるということは、本来聖域であるはずの心に土足で踏み込まれるのと同じこと。
相手を大切にしているならば、見た人間を咎めるのは至極当然のことだ。
「さっきも言ったろ? 初手見鬼は魔術師の基本であり挨拶だ。腹が立つなら、お前も俺の心を覗いてくれても構わんぞ。まあ、無理だろうがな」
「何を見た。あいつの何を……」
見鬼で俺を見据えながら、男が言った。
随分と立腹してるようだ。
発言いかんによってはただじゃおかない。
そう面構えが語っている。
俺は笑って、男を見据えた。
「何を見たかって? あいつがドロップアウトしてる心境を語ればいいのか? 上を目指すどころか、魔術師でいることにも疑問を抱いている。そういう魔装だったかな?」
男は今にも飛び出しそうになるほど、目を剥いた。
「もういい。お前は黙れ」
男がポケットから手袋を取り出した。手甲のところに火打ち石が仕込まれており、擦り合わせると火花がでる。
俗に言う発火手甲。
これから何をしようとしているのか、魔術師であれば誰でもわかる。
それでも俺の上がった口端は下がらない。
「黙らせてみろよ。今までもそうしてきたんだろ? あの小娘一人を守るためによ。最後に一ついいこと教えてやる。裏道ばかり歩いている人間は、同じ道で必ずいつか誰かとかち合う。そして、その道を歩くものに、いつか必ず潰される。誰も通らない道だから文句も言えない。ま、一言で言えば――
因果応報ってやつだ」
「黙れつってんだあああああああああああ!!」
双方の手甲を擦り合わせ、火花を起こす。生まれた火花はすぐに爆炎と化し、周囲に焔の手を伸ばす。
属性《エレメント》に魔力を通わし、呪を用いることなく、疑似的な魔術を発動させる、近代魔術の最高峰。
魔力誘導か。
「ふん」
豪ッ!!
炎が廊下を突っ切っていく。足元で炎が幾本もの手を伸ばし、周囲の炎が俺の身体を焼かんと明るく照らす。
俺は指を一本立てた。指先に魔力を込める。その指先を走らせた。いや、
空筆。空間に魔力で呪を描く青魔術。呪、この場合、メッセージを伝える相手は、炎であぶられた教室の中にいる、リン。
「喰らいやがあああああああああああああ、ああ!?」
男が両手で炎を持ち、俺に放とうとした、その時。
男の手の炎が吹き上がった。それは天井にぶつかり這っていき、それがまた床に落ちる。
俺と男をだけを囲む、即席の炎の檻の完成だ。
「な……何だ!! ど、どうなってんだ、これは!!」
周囲を見渡しながら男が言った。
「魔力誘導は」
俺は、足音もなく、近づく。
男はきょろきょろと、周囲を伺うばかりだ。
炎が壁になって、俺のことが見えていないのだろう。
「エレメントに自分の思念を乗せて操る術式。ならば――」
男と肩を並べた。
声でわかったのだろう、男が俺に目を向ける。
「相手より更に強い思念を乗せることができたなら、そちらになびくのが道理」
男が横に手を振るう。
しかしそれより先に、俺の一撃が男の水月に突き刺さった。
「ぐはっ!!」
一歩、二歩と。
腹を抱えながら、男が後退する。
膝をつけて、男が倒れる。それでも完全に倒れ切らないように、片手でどうにか身体を支えた。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ――ぐっ!!」
俺はそんな男の後頭部に足を乗せた。
そして、グリグリとねじり込む。
「いやー実に愉快な踏み台だ。これぞ勝者の特権だな。まあ、いらねえけどな」
炎が揺らめき、俺の黒髪を本来の黄赤の髪に染め上げる。
そんな中、男が俺を見上げた。
その目は怒りで血走っている。
次会ったらただじゃおかない。
そう目が語っている。
愉快だ。
滑稽でもある。
だから俺は笑った。
「悪いな。俺にも退くに退けない事情ってものがあってな。悪いがここは負けてくれや」
「あぁ!? なんだそれ――」
男が言葉を結ぶより先に、その顔が床へと吸い込まれ、叩きつけられた。
「あ、すまん。まだ言いたいことあったのか」
尋ねる。が、返事はなかった。
煙が辺りを覆い始める。炎が撒く白煙じゃない。今や完全に俺に支配権が移っていた炎が、白い煙によって消され始めていたのだ。俺がリンに『消化』と指示したからだ。
炎が鎮火し、白煙が去ると、その場に残されていたのは、白目をむいて倒れ伏す男一人だけだった。
ギャラリーが男を囲むのを、俺は廊下の天井に足の裏をつけながら見ていた。
ふと、ギャラリーの一人が、俺が教室に撒き、ボーズ頭が拾って捨てた、マキビシを手に取った。
「なんだこりゃ?」
眼鏡をカチャリと持ち上げて、思案する女。
俺はそれを見て、口端を持ち上げた。
ふと、何の脈絡もなく、女が天井に目を向ける。
俺はそれの視界に映るよりも早く、その場から姿を消していた。