あなたとは終生のライバルでいたかったけれど、それがかなわないのなら   作:大風22号

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セイウンスカイ、北海道

 天皇賞春から数日が経過すると、結果の余韻を享受する暇などあっという間に消え去っていた。勝者も敗者もこぞってすっかり次を見据え鍛錬を惜しむものは少ないだろう。

 学業のない日、つまるところトレーニングに一日を割ける日ということ。その始まりと言える朝によく晴れた青空を見、日差しを浴び体に活を入れるのはウマ娘もトレーナー(ひと)も同じだった。

 

「練習の予定は昨日伝えたし……」

 

 大きく伸びをして、目覚まし代わりに一つセイウンスカイに連絡を入れようとすると意外にもすでに通知が入っている。あるのはメールと画像。

 見ると、トレーナーは驚嘆の悲鳴を上げざるを得なかった。

 堂々のサボり宣言と、空港などの写真。今日という一日の予定が丸々空白になり、トレーナーは放心し、そしてもう一度ベットに潜りこむ。

 その時に撮ったであろうセイウンスカイと写る空模様は、寮から見上げた景色と同じくよく晴れていた。

 

 

 

 

 

「セイウンスカイ、北海道。」

 

 セイウンスカイが空港近くのホテルから出て結構な時間が経っていて、それなりに歩き回っただけのことはある。見える情景は随分と色を変えていた。

 ぶらりぶらり。自分の気ままさもここまで来るとは大したものだとセイウンスカイは歩きながらに思う。青空の下に草葉が広く遠くまで見えて、やはりセイウンスカイとてウマ娘、鞄一つの荷物を投げ捨てて駆け出したくもなるのも無理はなかった。

 道案内の看板やスマートフォンの地図アプリなども見ず、風が一つ吹けば次はそちらに曲がるを繰り返す。場所も場所であり全くの不都合なく地続きの探検ができていた。

 

(風が背中を押してくれて、壁なんて一つもない穏やかな場所……)

 

 瞳を閉じて音や風を聞くと、喉につっかえた小骨のようなわだかまりなどが消えていくように心が凪いだ。

 けれどやはり時間も経つと、面倒くさがりのセイウンスカイは電車を探すように視線を振りながら散歩をするようにもなる。

 

「どこ……? まだ……?」

 

 ここがどのような場所だったかをセイウンスカイは忘れていなかったが、けれど探しても見つからないというのはいささか苦労になった。

 長いようにさえ感じる間、走ってしまいそうなほど何もない道を進むとやっとの思いで駅舎を見つけセイウンスカイの声も思わず出たが、しかし次は時刻表を一瞥して飛び上がるものだった。

 

 *

 

 電車に揺られ、時折に射す木漏れ日が脳を鈍化させるとセイウンスカイは舟をこぎ始める。人のいない車内はさほど何かを思わせるものではなく、その中では座り心地の良い椅子だけがセイウンスカイに安らぎを与えていた。

 

(寝るなら横になろうかな…………)

 

 山々の付近から離れたと思えばどこまで続くのかわからない田んぼが見えてくる。「どこで降りようか」などと思いながら窓越しに空を見るとどこか具合の悪そうな雲が少し離れに窺えたものだったが、セイウンスカイの目蓋はそこで落ち、体を倒し意識を深く沈めたのだった。

 

 

 

「ん~……?」

「おぉ! 起きたかスカイ! 長いこと気持ちよさそうに寝ってたぞぉ!」

「えぇ?」

 

 驚き体を起こすと、揺れる電車の中で向かいに座る祖父が話している。すべてに対し違和感が残る情景でまさしく夢の中と一目でわかるのだが、やはりおかしなことがあるならば「自身が違和感を持っている」ということだろう。つまりは明晰夢である。

 そうかそうか、わざわざ会いに行こうとしないでいた家族に北海道に帰ってきたからという理由で夢にまで見てしまうのか、などと思っているとだんまりしていることを疑問に思ったのか、祖父は口を開いた。

 

「なんだぁ、まだ寝ぼけてるのか! それ、おじいちゃんが起こしてやろう!」

 

 言うと、頭をがしがしと大きな手が乱雑に往来する。揺れる視界から見えたのは、ほかに人っ子一人いない車内だけだった。心地の良い振動を口で拒みながらに享受していても、セイウンスカイは片隅で思うことがあった。

 

 夢だというのだからすべてに道理がかなっているのもおかしな話だろうが、けれどもせっかくの明晰夢ならば、一切のことに考えを巡らせたいと。セイウンスカイはそういうウマ娘だった。

 いったいなぜこんな夢を見ているのだろうか。単純に電車に乗っているから。何か忘れていることがあるから。などと当てずっぽうなことを考えていても、すべての裏打ちが出来ずにらちが明かない。

 しかしこの夢からなんの情報も得られていないのだから、それも当然かとそう思いなおすとセイウンスカイはこの夢に再び流されることにした。

 

 いい加減して、手が頭から離されると慣れることのできない寂しさがまたも残る。

 

「これから、どこ行こうとしてるんだっけー」

 

 一つでも場面を整理するべく現状を問うと、先方は意外にも奇妙な顔を見せずに返事をした。

 

「ちょっと前に一緒に釣りしたやつがいるだろう? そいつに誘われてさぁ……」

 

 説明する様を見るに、私は事情も聞かずについてきたのかと知る。

 祖父は、ぶらぶらと釣り場所を変えながら過ごすものだから、新しい人との出会いも少なくない。その日はちょうど、人が少なかった場所であり単純に釣果が悪く、そうともなれば隣人との話は自然と弾むものだ。けれどそれだけではなかった。

 彼女とは、まるで往年からの仲のように意気投合し、それは別れ際後ろ髪を引かれる思いになるほどであった。その彼女と、偶然にも町の巷で再会をしては予定の帳尻を合わせたのだと語る。もっともセイウンスカイが知る限りでは、双方が予定などを持ち合わせる人柄ではなさそうなのだが。

 嬉々とした表情を隠さずにそう話す様子に、「珍しいこともあるもんだね~」とセイウンスカイは相槌をうつ。

 昔にそんなことがあっただろうかと振り返ってみても、その全貌がつかめなかった。あったようなないような、知っているようなそうでないような、むしろ聞く前よりも想像の幅が広がってしまい思考に拍車がかかる。

 

 はずだった。

 

(あれ…………)

 

 目蓋が上がる。がたんかたんと揺れる音に明瞭な声。そうか、車掌さんの声で起きたのかと考えながら体を起こすと節々が固まっているようで、セイウンスカイが伸びをするといたるところの骨が小気味の良い響きを出す。

 結局のところ夢の理由へはたどり着くことができなかったわけだが、しかし後味は意外にも悪くなかった。というのも、その後の記憶がさざ波のように、いくつかよみがえってきたからである。

 

「……次で降りよっかなー」

 

 *

 

 いつの間にやら薄雲が張った空からの陽ざしは穏やかで、吹く風も程よい。電車の再び進む音を背にしてセイウンスカイもまた歩き始める。

 

(夢の中のじいちゃん、嬉しそうだったなぁ……)

 

 気になるほどの汗を知り、それらをふき取りながら、セイウンスカイは小刻みに浮かんだ記憶を整理し事の顛末を追想した。

 

 結果から言うと、たった三度の対顔で親友となった二人は、それきり会うことがなくなった。

 楽しく三人で釣りにいそしんでいると初めこそ入れ食いだったものだが(じき)に間が開いて、そして彼女は切り出した。

 

「どうしても、やらなきゃいけないことがあるからさ……もう会えない」

 

 まだいくらも幼かったセイウンスカイが状況も読めず静かに釣り糸を垂らしながら耳を傾けていると、横で二人は話を続けていく。

 

「……は? …………そりゃあ……なんでそんな。あー、釣りの一つもできねえくらいのことなのか?」

 

 祖父は唖然とした様子を隠すことも出来ず、動揺も釣具を通して水面へ伝わった。

 

「……そうさ」

「…………そうか、理由も言わねえってんなら、聞かねえよ」

 

 セイウンスカイが覚えている限りは、二人の会話には多くの間があり、おそらくはよく言葉を選んでいたのだろう。もちろん祖父はショックの部分によるものも大きかった。

 それから少しばかりの問答を終えて、納得がいったらしい。

 彼女はそれから少し、片手で数えるほどの魚を釣るとゆっくりと立ち上がり一言別れを告げ、行ってしまった。

 後ろで結ばれた黄金のような長髪が、よく揺れていた。まるで夜にかがやく天の川の尾のように。その印象をセイウンスカイは強く思い出した。

 

 セイウンスカイは歩き続けながら、浮かぶ疑問について一考する。

 祖父は別れた後もしばらくはそこを離れなかった。黙りこくって傷心を露わにし、けれどどこか上の空の様子で釣具を握る手を見つめていた。

 

(あのじいちゃんがねー……)

 

 普段の様子では考えることのできないようなその表情を、どうして忘れることが出来ようか。

 

「……わかんないなー」

 

 セイウンスカイは道端の小石を蹴飛ばしてぼやいては一度顔をあげ景色を注視する。けれど映るのは、田んぼと田んぼに木々。いい加減退屈にもなってしまうと一つため息をすれば、空気がおいしいという意味を、また昔のように思い出すのだった。

 

 *

 

 駅からだいぶ離れたとも思うが左右には田畑が広がるばかりでセイウンスカイはいよいよ、俯きながら思量にふけっていた。

 

(どーでもいいことばっかり、浮かんでくるなぁ)

 

 浮かんでは消え、三つでも歩けば忘れているようなことばかりが(よぎ)り、そして気が滅入って(しま)[[rb:終 > しま]]いには思うことを止めた。

 どうせ誰もいないのだからと遠慮せず深く大息をつくと同時に、髪に何かが触れる。考えることもない、雨が降りだしたのだ。

 けれどもう一考した時点でセイウンスカイは焦りだした。周りに雨よけになる場所はなく、傘なども持ち合わせていない。

 仕方がなしに、その脚力を使わざるを得ない場面が来たということで雨水の勢いが増していくさなか、セイウンスカイは緩慢に駆け出した。

 

 こんな田舎道なのだから舗装された歩道などはなく、つまりはぬかるんだ土の上を走ることになる。人にとってもウマ娘にとっても足場の悪いところを走るということは大層な用心が必要であり、セイウンスカイも全力をもって走ることはできなかった。

 だというのに、風までも強まり天気はいよいよの大荒れとなって襲う。そればかりに苛立ちを覚えてなお足を動かしていると後ろから、風雨の音も突き破るそれなりの音とともに軽トラックがセイウンスカイの横を過ぎていった。

 

「乗りなぁ!!」

 

 壊れてしまうのではと思うほどの強さでドアが開くと、雑音に邪魔のされない声が耳へ入る。

 セイウンスカイは驚き、ゆっくりと速度を落とし、言葉の意味を反芻し、そして急ぎ乗り込んだ。

 

 *

 

「いやぁーすいません。濡らしちゃって」

 

 運転席には、帽子をかぶった女性がまさしく男勝りといった素振りで座していた。

 

「観光かい? こんななんもないとこに」

 

 一言二言の挨拶の後に、トラックの振動を受けながら問われ、会話が進む。

 

「いやあ、ゆたかなとこですよ。とっても」

「まあ…………しかし、ウマ娘かぁ」

 

 横目に視線が合い、すると頭上の耳にでも目が向けられた。

 

「んん…………あんたセイウンスカイじゃないか!」

「あ、ご存じですかー?」

 

 やはりG1を獲るウマ娘であるから、当然それなりに名も知れている。巷を歩いて声をかけられることも少なからず。けれどセイウンスカイはそれを好印象とも悪印象とも捉えることはなく、いわゆるは辞令として済ませることが多い。

 

「そりゃあ、もう。娘もあんたの大ファンさ!」

 

 ただし、相手が自分のファンだったというのならば、また少し話が違う。

 

「ほほうお目が高い!」

 

 それは相手が自分を見ようとしてくれている、もしくは見ているということであり、そんな人たちの行為や思慮を、無碍にするようなことはせず向き合いたいと思っているからである。

 セイウンスカイは極力の誠意をもって対話を試みたが、問答を少しでもすると、いったいどうしてか。そんなことは些細であり余計なことは考えなくてもいいという結論に達し、やがて始まった雑談は膨れ上がって狭い車内を埋め尽くしていた。

 

 雨は相変わらずに降り続き、屋根をたたく。音はうるさくとも二人の言葉はそうそう途切れることなく、ひたすらに何もない長い平坦な道を進んでいた。

 

 *

 

 ドライブが突然止まる。セイウンスカイは行く先など考えていなかったし、先方もまた、会話以外に思考を大きく割いているようには到底見えなかった。

 

「ありゃこれは。あたしんち……」

 

 どれだけのことを話していたのかは数えていなかったが、とにかく楽しいものだったということを覚えている。

 

「……どうだい、ぬれっぱもわるいだろ?」

 

 旅行に予定などは立てていないこと、今日もできるだけここ(北海道)に残ること、まだ雨天に変化が見えないこと。話題にも上がったそれらを考慮し、ずっと車の中にいるというのも変な話だと思い至りセイウンスカイの返事は軽かった。

 

 

「おじゃましまーす」

 

「タオル持ってくるから、そこで好きにくつろいどいてー」と靴を脱ぐなり奥へ行ってしまった家主を見送り、言われた通りに指の差された部屋のふすまを開けた。

 畳張りに、背の低いテーブルやブラウン管のテレビ。広めの間取りや様子はリビングと(おぼ)しき形容だがどこを見ても古臭い。それがセイウンスカイの印象であった。しかし一局所のみ、タンスの上の、使い古されているであろうファイルと比較的真新しい装いのラジオのみは、むしろこの雰囲気には浮いているようにさえ見えた。

 立ち尽くしていると、後ろからタオルを頭に押し付けながら早く入るように急かし催促する彼女につられて進み、すとんと腰を下ろす。

 

「いやぁ~助かりますよー。えっと……」

「おかあちゃん」

 

 胸を張りながらそういう彼女を見上げ、聞き返すように間抜けた声を返した。

 

「おかぁ……?」

「そう、おかあちゃん」

 

 振り返っても見れば、なぜあれだけ話をしていて、名前を呼ばなかったのだろうかとセイウンスカイは思ったが、しかしそれ以上にその呼び名に疑問を覚える。けれども“おかあちゃん”は、矢継ぎ早に話題を持ってきてそれどころではなくなるのだ。

 

(まあ、なんでもいいけど)

 

「そういえば、その服どうするんだい」

 

 もともと二日で来て帰ってのものだから、手荷物はほとんど無いに等しく、ある着替えは昨日着ていた肌着程度のものになる。

 

「よかったら娘のがあるけど……どう?」

 

 片脇に抱えていた衣類を出されながら問われたものだから、それなりに返答の時間を用意してくれたということで思考を回すと、違う心当たりが。

 

「そういえば、娘さんって?」

 

 思うと、玄関には若い人の好みだろうという靴はなかった。家におかあちゃん以外がいる気配もなく、来客に娘の服を持ってくることなど。それらが頭にあふれるとともに、後先など考えもせずに口が開いた。

 

「んん……? ああ…………そうねー、そこの」

 

 上へ向いた指を追いタンスを見つめる。

 

 セイウンスカイは分かっていなかった。これで、しかし、これがなくてもそのうち、けれど、この問いが、確実にいまの「友達」という立場を捨てるということになると。

 

 

「え…………」

 

 一つ(めく)って持てなかった確信を、二つ捲り、貼られているものが確固とし確実なものにする。いくら幼かったとしても、黒髪に映る白星を見間違えることなぞできないのである。

 

「じゃあ……スぺちゃんの?」

「そう! おかあちゃん!」

 

 こうして二人がやっと理解をし、変わった。セイウンスカイから見れば先に立つ影が、「愛娘から冠を奪い取ったウマ娘を見るもの」として映ったのだ。

 関係とは、互いの認識によって成り、名付けられるもの。二人は、「ひとりのウマ娘の親友」と「ひとりのウマ娘の母」となった。端的に言えば友達など、ありえない。

 セイウンスカイは酷く動揺とも恐怖にも近しい感情を抱いていた。

 

 

 セイウンスカイは過去、勝負ごとに関わる身ならば恨みっこなしだとそう考えていたこともあったが、けれど一度、それは幼き頃の出来事で変化した。

 名などない小さな小さな競争で勝ったのはセイウンスカイだった。したことは今と大して変わりはなく、やはり作戦勝ちである。

 対し、周りのウマ娘もまだ幼気(いたいけ)であり、幼稚であり、それを卑怯な手と信じて疑うことをしなかった。そうして大きな紛糾こそなかったものの、それきりに明らかな拒絶が生まれていた。

 ライバル視や対抗意識などとはまた別の、私恨であったことはセイウンスカイにも理解できている。

 噂のようなそれは尾びれを引き程度に大きくなっていたのだろう。あるとき相手の母に会いそして「あなたのような飄々として真剣味のないウマ娘が勝つなんて」と言外に伝えられると、瞬間のショックはなかなかに強かった。

 

「限られた状況の中でできることをする勝負の中で、けれど関わるものはみな人間であり、私感には恨みつらみに嫉妬心で満ちている。それが如何様にして人前に出るかは、勝負とはまた別」

 

 セイウンスカイは、これを機にそう認識するようになった。

 

 

 

 その経験が、現在の状況を尽く不安に思わせていたのだ。

 セイウンスカイは動くこともできずアルバムの方へ俯いているばかりで、口も開けないでいる。

 

「おどろいたかい?」

「……えぇ~。そりゃあとんでもなく~」

「隠してたわけじゃあ、なかったんだけどねー」

 

 向こうが一つ口を開くたびにセイウンスカイの心臓は飛び出さんとするし、一挙手一投足につれられる布擦れの音もまた委縮を誘った。

 相手の言葉を聞くことがこんなにも怖い。自分へのでたらめな感情をぶつけられるのではないかということもあるが、セイウンスカイにとって大切な親友であるスペシャルウィークの母親がもしそうであったならばと、疑いがまったくもって心に突き刺さっているからだ。

 

「………………なあ、あんたは、スぺのことをどう思ってる? 別に、本人に言うようなことはしないよ」

「大切な、ライバルですよ」

「はは……なんだか言わせてるみたいだな……」

「にゃはは、そんなことありませんよー」

 

 努めて平然と先ほどまでと何ら変わらぬようにものを言いながら、手の往来で頁を数える。

 

「あれ……」

 

 すると、目が留まった。それも、間を開けて後ろから数頁、切り取られた新聞の並ぶ中にスペシャルウィークとは違うウマ娘たちがいて、さらにセイウンスカイ自身がいたからである。

 

「…………」

 

 その様子を見ているであろうおかあちゃんからの言葉は、しばらくはなかった。

 

「……ねえ、アタシ……あんたと話していいのかい……?」

 

 そうして沈黙を重ねて出た言葉に、セイウンスカイは不安の色を受け取れた。

 娘とその敵との間に、どうして水を差すことをするのだろうか。憎むほどに思う相手の母親がどう、なれなれしくするのか。

 おおよそ、不安の言語化はこんなあたりだろうかと目途が付くまで一瞬であった。自分だって、立場は違えど似たようなことを考えこんでいたからである。

 それならば、とセイウンスカイは思った。杞憂に過ぎなかったと言い切れる。そもそもスペシャルウィークの純粋さを、生活の多くを共に過ごしていた母親が育んだのではないかと。

 

 しかし、それまで話していた彼女からは憂心や気づかわしさのかけらも見つけることができず能天気ともとれる接し方をしていたのに、そんな人が自分と同じだったと思うと、セイウンスカイは面白い気持ちを隠すことを忘れてしまった。

 

「……あっははは! 似た者同士ですよ! 私たち!」

 

 吹き出して顔をあげると、戸惑っている表情が見える。

 

「もうやめましょ。変な遠慮するの……あはは、おっかしー!」

 

「私だって、ずっと怖かったのにー!」と足すと、おかあちゃんは間を開いた後に随分と素っ頓狂な声をあげ、二人は笑いが収まらなくなった。

 

 *

 

 まだまだ、二人は話したいことを持っていた。

 ここでのスペシャルウィークの話、あちらでのスペシャルウィークの話。無論、それら以外の話題も出はしたのだが挙げると切りがなくなる。

 とにかく何をするにも、二人の言葉はなかなか消えることがなかった。

 

「もうそろっと帰っちまうのかー……」

「ですね~」

「惜しいよ、まったく」

 

 静かさが、もうじき部屋にしみるだろうかというときに、おかあちゃんは「そうだ!」と気付いたように立ち上がり手を「ついてきな」と振ったもので、言われるがままに立ち上がりその背中を追った。

 

 

「おぉー!」

 

 セイウンスカイがついていくと外の小屋に案内される。いつの間にやら、悪天候は去ったらしい。

 例外なく古めかしい倉庫には釣具やらなにやら、いろいろなものが置いてあった。

 

「釣り、好きだってな。よかったら持ってっていいよ」

「やった~! あーりがたいな~!」

 

 見るとなるほど、よく整備されていてダメなところもなく好い印象ばかりである。

 

「……でも」

「ん? いいのいいの、もう釣りなんてあんましてないからさー」

「………………じゃー、このへんを」

「ん、もってきな」

 

 セイウンスカイが振り返るとおかあちゃんはどこか遠くを見るような目で釣竿を見つめていて、それが心に引っかかった。

 

 *

 

「あ」と後ろポケットに手を当てながらおかあちゃんは声を出し、申し訳なさそうにセイウンスカイを見た。

 

「キー、家ん中だ……先乗っといて」

 

 返事をしながら玄関へ向かうその後ろ姿を見ると、これはまたゆっくりゆっくりと歩いていた。きっと、別れが惜しいのだと。

 それが分かるのも、セイウンスカイが後ろ髪を引かれる思いで、まだ話したいことを抱えながら乗ることもなく軽トラックの脇に佇んでいたからである。

 見つめていると、後ろで結ばれた黄金のような長髪が、よく揺れていた。まるで夜にかがやく天の川の尾のように。

 

「っああぁぁーーっ!!」

 

 電撃のように一瞬、頭に強く強く衝撃が走ると呼応するように声が出る。

 セイウンスカイ自身もその大声に驚いたけれど、先方もまた振り返りこちらを見るもので、セイウンスカイは駆け寄りながら説明をしようとした。

 

「あれです、あれです。うーんと、じいちゃん!」

 

 けれど伝わらない様子でやはり少し、豹変ぶりに引いている。

 

「あの、葦毛の子供! むかし一緒に釣りした!」

「…………ああ! ああぁっ!!」

 

 目や口を開いて、興奮も隠すことなく共有したように「あのときの!」、「ああ」、「そう」とお互いに連呼しあっているので、もし周りが見ればそれはさぞかし奇妙に映ったものだろう。

 

 落ち着いて、冷静を取り戻してトラックに乗っても、けれど興奮が抜けきることはなく二人の声は浮ついた調子のままだった。

 

 *

 

「…………スぺはさあ」

 

 景色が変わり、もうしばらくで空港に着くであろうことが察せられる。セイウンスカイは無言をもって質問を待った。

 

「走るのを、好きでいてくれてるかい?」

 

 考えても見れば、それはそれは珍しいおかあちゃんからの問いである。ずっと不安だったのだろうと、セイウンスカイがその声色や表情から想像するのは容易だった。会えない日々が続いて、勝利を知って、敗北を知って、新聞やラジオでそれ以上のことを知る機会はなかなかないだろう。スペシャルウィークがあまり電話を掛けないようにしていると話していたこともある。

 

「大好きですよ、スぺちゃんは」

 

 セイウンスカイはその真偽を考えるまでもなく答えを返した。セイウンスカイにしてみれば、勝つことを望まない人に、あんなにも多くの才能と実力があるならばそれ以上に憎たらしく、恨めしいことはない。そして間近で見ていればわかる努力、自信、情熱。その裏付けに「好き」がないならば、ほかにどんなものがあり得ようか。

 

「押し付けて走らせてたわけじゃ、ないんでしょ?」

 

 努力とは苦しく、苦しさは誰もが嫌うもの。努力の過程で、目的だったものを嫌いになることは少なくないとセイウンスカイは知っていた。それを憂いていたのだろうと。

 

「スぺちゃん、おかあちゃんとのトレーニング楽しかったって言ってました。だからスぺちゃんは走ることが」

 

 私も、そんなスぺちゃんが。

 

「本当に、大好きですよ」

「………………そっ、かぁーーー」

 

 おかあちゃんは緊張が抜けたように、息を吐きながら安心を得ていた。

 

「スぺちゃんには聞かなかったんですか?」

「……一回だけねー。でも、隠しててもわかる自信なんてないからさー」

「スぺちゃんはあんなに素直なのにー」

 

 ばつが悪そうに頬を掻きながら、「ほんとうに、もっと信じるべきだよなあ」と、長年の憑き物が落ちたようにおかあちゃんはそう言った。

 

 *

 

「いやー、わざわざ。助かりますよー」

「いいのいいの、ぎりぎりまで話してたかったのはアタシだしさ」

「私もですよ」

 

 さて、そろそろ潮時である。一人(親友と|一人《母親)は今日のことを長らく忘れないだろう。セイウンスカイにとって旅行とは言えない一日だったが、けれど、誰にだって渡すつもりはないのだが良い土産を持つことができたと満足していた。おかあちゃんと、「スペシャルウィークには内緒」とどちらから言うでもなく決まっていた。

 

「今度は観光でもさ。でも、あんまトレーナーのこと困らせんなよ?」

「もちろんですよー……また、また来ます」

 

 それから二人は別れて、セイウンスカイは今日初めてスマホを取り出す。

『スぺちゃんの家』

 地図の道をたどり、またあたらしい止り木が出来たと思いながら、そこにピンを刺した。

 

 




添削次第次話更新です
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