あなたとは終生のライバルでいたかったけれど、それがかなわないのなら   作:大風22号

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雲隠れする星

雲隠れする星

 

 

 その日は特別暑かった。

 雲一つないかんかん照りにセイウンスカイは参っていたもので、トレーニングなんぞしていられないと踏むとトレセン学園の庭、立ち並ぶ木陰に横になっていた。

 日陰は何とも心地よく寝入ってしまいそうではあったが、どこからか聞こえる、木々を揺らす風のうわさに興味を惹かれる。

 

『スペシャルウィークさんが』『海外遠征に』

 

「ほほーう?」

(スぺちゃんから聞いたことない話……ま、いずれ言ってくれるだろうし。そうだ)

 

 セイウンスカイはただ横になっているのも暇なのだから、どうせなら渦中のウマ娘に会いに行こうとその重い腰を上げた。

 

 グラウンド、体育館、教室や食堂とくると最後のあては部室である。違う部の部屋にのうのうと上がり込むのは褒められたものではないが、そんなものを気にするセイウンスカイではなかった。

 

「スぺちゃーん」

 

 がらり音を立て探し人はようやく見つかり、どうやらレースの研究をしていると知れる。ほかの姿はないものでそろって出払っているらしい。

 スペシャルウィークは目が合うと不思議そうな顔をしたが、すぐに「セイちゃんもどう?」と。願ったりかなったりであるから、返事をしてそこら辺から椅子を引っ張って並んだ。

 

 中団で抑えていたウマ娘が大外に回るとそのまま追い上げゴールインする。スペシャルウィークは止めも戻しもせず、そのまま次のレースは再生された。展開は似通っていたもので、最後に先頭にいたウマ娘も同じだったため対策でも考えながら見ているのだろうかと推察できる。

 

「何考えながら見てる?」

 

 観戦と言えど、観客ではいられない。それは自身らが挑戦者の身であり、一つでも多くの情報や予見を得なければならないからである。その延長線で、主に「どんな観点で見るか」は、イコールで「何を考えながらレースをするか」になりやすい。

 普通ならば問うても、はぐらかされるか渋い顔をされるがスペシャルウィークの考えているようなしぐさから、そうではないようだ。

 

「………………見惚れてるかなぁ」

「へえ」

(たしかに、いいレース。実力もある。けど、「見惚れてる」かあ)

「……ふーん」

 

 息を吐き出すまま背もたれに体重をかけると、気付かないでいた山積みのDVDの塊が目に入る。

 

「え?」

 

 整えることを忘れられた幾束の教材のような、そんな光景などいままでに見たこともなく、セイウンスカイはざっとその数を見積もることさえままならなかった。レースを見ることをすっかりやめて瞬きを数度繰り返す。よく見るとディスクにはマジックで名前が書かれていて同じ名前のものも多い。まるで対象の、どれほど小さくても端から端まで全レースの記録を集めていると言われても不思議ではないほどだ。

 驚いていても仕方がないので、有馬記念にて自身を打ち負かしたライバル、おそらくは次のスペシャルウィークの障壁になるであろう存在を探す。が、なかなか発見は至難だった。

 

「グラスちゃんのはー?」

「うーんと……そこにあるよ」

 

 指された山の横に目をやると、たしかに「グラスちゃん」と書かれた3、4枚を確認できる。普段であれば何ら不思議はないのだが、如何せん他と比べるとその枚数は少ないと言えた。

 

「……これだけ?」

「いまはね。ちょっとみたいのが多すぎて……」

 

 二つ、強烈な違和感を覚える。スペシャルウィークの次の目標、宝塚記念ではグラスワンダーと対決を果たすはずであり、そもそも今現在で他に何を見ようというのか。

 

「次の、宝塚記念」

「うん。グラスちゃんと戦う」

「ならなんで」

「ちゃんと見るよ、もちろん。大切なライバルだもん」

「……なら、まー、いーけどー」

 

 そして、その顔。いままでセイウンスカイが見たことのない、気の抜けた、や空っぽなといった形容の似合う哀愁纏う表情。

 緊張、あるいは気まずさが覚えても話している最中にだって動画は進み続けていたし、スペシャルウィークは一度も目をそらすことがなかった。

 らしくない、と思っていると先方は一つため息をはいて、口を開ける。ゲートの開く音が聞こえた。

 

「………………この子、引退したんだ。このレースで」

「え? じゃあ……」

 

 研究ですらないってこと? 単純に自分が見たかったから……もしかしてこの量を?

 

「う……うっ…………なんで、なんでぇっ!? うっ、うぅぁ……」

「えぇちょっとスぺちゃん!? どーしたの!?」

 

 やっとモニターから目を離したかと思うと、スペシャルウィークは俯き、突然手を顔へ押し付け嗚咽を漏らし始めた。セイウンスカイは驚いたものの、体を丸め泣いている姿を見ると駆け寄って覆うように緩く抱きつき理由を問う。けれど、返ってくるのは引きつった呼吸と鼻啜りとから洩れる痛ましい悲鳴であって、それ以上の意味を持つことはなかった。

 セイウンスカイが背中をさすり、「大丈夫」とわけのわからぬまま聞かせてやっていると、次第に少しずつおとなしくなっていく。

 

「セイちゃんは、言わないで……」

 

 話せるまで落ち着いたようでセイウンスカイが安心していると、すぐに顔をあげたスペシャルウィークと目が合った。

 

「セイちゃんは…………もう走らないなんて、言わないでっ!!」

 

 その表情は悲痛なもので、泣きはらして赤くなった瞳から大粒の涙がまだあふれている。紛糾するとまた顔を下げすがるように手が行きどころを探り始め、やがてセイウンスカイを力なくつかんだ。

「お願いだからぁ……」と懇願されても、セイウンスカイはいまだ状況を察することもできず、戸惑っているばかり。

 

「ス、スぺちゃん……でも、しょうがないよ……何か理由があったんだって」

 

 彼女がターフの上から去ったことがそんなにも悲しいのだろうと仮定して、どうにか慰めようとセイウンスカイは試みる。

 言葉を掛けようとした瞬間、先ほどとは違うウマ娘が先頭でゴールインしたと伝える声どもが聞こえてきた。

 

 *

 

 セイウンスカイが、彼女の知らない表情を見てから少しが経った。セイウンスカイは暇になるたび、考え事をするたび、そしてスペシャルウィークを目に入れるたびに、あの日を思い出してそればかりを気にしてしまうようになった。

 過去に一度だって、あんなにも苦しそうな顔も、その原因もきざしさえも見たことがない。今もクラスメイトと話すスペシャルウィークは元気そのものであるように思えるし、その姿と先の姿を重ねることは難しく、もしかするとあの出来事は何かの間違いで、セイウンスカイの悪夢のような何かではないかと考えたこともあったが、どうにも本当のことらしい。

 

(なにを言ったんだっけ……)

 

 その日はもちろんトレーナーにさぼりのことを叱られたし、翌日にも行ってみるとスペシャルウィークの影はなかったが、やはり大量のDVDは整えられていたもののたしかに存在していたからだ。

 

(たしか、スぺちゃんのことを否定しないような内容を…………でも)

 

 あの後に、二人はどうやって別れたのか。どうにもそこの記憶があいまいで、浮かぶ疑問の一つだった。泣いてしまったスペシャルウィークに対しなにも、ただの挨拶だけだったわけではあるまい。

 

(途中で……私はありえないと思った。絵空事の、夢だけで通じる理屈だ、って)

 

「またねー」と声が遠のいていく。セイウンスカイはやっと、荷物をしまうためにかばんを開けた。

 

(…………もしかしたら私は、肝心なところをつかみ損ねちゃった……?)

 

「セイちゃん! 帰ろ!」

 

ほら、だってこんなにも、何もなかったかのようにけろっとしているのだ。

 

 

それから数日を過ぎて。スペシャルウィークは、宝塚記念にて敗北した。

 

勝者は、グラスワンダー。

 

 *

 

 セイちゃんに届くには、もう出なきゃ。あの子が出る前に、仕掛けなきゃ。あの子がいたら、行くしかない。あの子がいるからまだ温存? ううん。

 今だ、と思って私は残り600メートルより少し早くにスパートをかけた。

 “みんな”の末脚も怖いけど、セイちゃんに追いつけるかも心配だから。

 ターフを蹴り上げて加速した。感覚と意識だけがもっと前に前に進もうとして、それに一生懸命追いつこうと体を風に押し付けて腕をいっぱいに振って走る。

 脚色はまだ衰えないけれど、体力は限界が見えた。でも、セイちゃんにはもう少しで追いつけそうなの……!

 

(もう少し、あと少し……並ぶよ! セイちゃん! ………………あれ?)

 

 なにかの違和感を肌が覚える時間はとても少なかった。横からグラスちゃんが、風を巻き上げてものすごいスピードで私を追い越していく。

 しまった、と浮かんでもこれ以上は早くならなくて、ただ、ただその離れていく後ろ姿を目に焼き付けるしかない。

 

(すごい……! すごいすごい! グラスちゃん、きれいで、かっこよくて眩しい!)

 

  *

 

 ギャラリーの声は長く続いて、スペシャルウィークがグラスワンダーに駆け寄ったときもそれは途絶えなかった。

 グラスワンダーはゆっくりと振り向くと、咎めるような、あるいは睨めつけるような表情を向ける。汗の色は濃く、定まらない呼吸は興奮した獣を思わせるがスペシャルウィークはそんなことなど知らぬように話しかけた。

 

「いい、レースだったね! グラスちゃん!」

「…………いい、レース?」

 

 対し横を向いていた体を正し、堂々真正面を見せつける。少しでも大きく見せられるように、舐められないように、あわよくば委縮でも誘えるように。けれどそれも無碍にされるものだからグラスワンダーは大きく息を吸った。

 

「何を……追って、いたんですか?」

 

 スパートの位置が、とても前に思えました。足すと、唸るようにして出の悪い容器のように名前をこぼしていく。

 

「セイちゃんには、早く出ないといけないから、キングちゃんもいたからうかうかできないし、あの子もいるから、ほかにも」

「今日、私以外にも初めて一緒に走る子が」

「うん、その子もグラスちゃんも、とってもかっこよかった! だからまた」

 

 もう、これ以上材料はいらないとグラスワンダーは目を閉じた。情状酌量の余地はないと踏んだのだ。

 

「スぺちゃん……今のあなたを、外へは行かせられない」

 

 言葉を区切り、え、と放つその呆け面へグラスワンダーは再度眼差しを向ける。

 

「きっと、海外遠征はなくなるでしょう……けれど、良かった。華の開く前で」

 

 ひとりごとのようにつぶやかれた言葉をスペシャルウィークは理解できず、その意味を、いつぞやの日常のように聞こうと足を一つ前へ出すと同時。逸らされることのなかった瞳はより鋭くなり、声ははっきりとしていた。

 

「レースなんていりません。今のあなたを越えるのに」

 

 いくらスペシャルウィークと言えどおおまかなグラスワンダーの姿勢は読み取れた。その否定を、その拒絶を、その距離を。

 

「言葉だけで……十分です」

 

 まるで鈍器で殴られたかのような衝撃がスペシャルウィークを襲う。勝負の価値がないと、競う意味がないと言われたのだ。

 

「スぺちゃん次は……良い勝負ができることを」

 

 告げると、グラスワンダーは振り向き、地下バ場へ足を進める。それから一度も振り向きはしなかった。

 

 *

 

「人生別離足る」

 

 狭きに反射し、いくらも大きく言葉が耳に入る。振り向きも、俯きもしないでいたグラスワンダーは目先に人物を映した。

 

「おめでとう、グラスワンダー」

 

 トレーナーに返事をして、けれど前に進む足は止めなかった。今はいち早く、ここを去りたかったからだ。

 

「勧酒、か。そこだけなのは理由でも?」

「はい…………けじめです。花開かずとも嵐は来ます。如何様にでも別れはあります。たとえ醜くとも」

 

 地上から聞こえる喧騒を背に、並んで歩きながら続ける。

 

「スペシャルウィークのことか」

「……ええ、ですが、切り替えます。きちんと。私はまだ挑まなければなりませんから。ええ、ええ! 次だって、圧勝の結果をお渡しします!」

「……そうか」

 

 怒りをとれる表情と情熱を消さない方がいいとトレーナーは分かった。まだ、眉間にしわを寄せて作るその目の前にスペシャルウィークがいることは明白だったが、それもいずれ越えてくれると。

 

 けれど、とにかく簡単ではないのだ。別れがすべてだとしても、何かを捨てるということは。そう思うと、トレーナーの胸はちり、と痛んだ。

 

 

 




添削次第次話更新します
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