あなたとは終生のライバルでいたかったけれど、それがかなわないのなら 作:大風22号
捲土重来。
セイウンスカイに、向かい風が吹いていた。携帯の地図を少し眺めて、そしてまた進むを繰り返して普段は来ない場所に立つたった一つの
気が付いたとき、セイウンスカイは「まさか」と大変落胆したものだ。まさか、お互い連絡手段のことをすっかり忘れてしまうとは、と。
二度目のお世話となったホテルを出てから結構な距離を歩いたものでセイウンスカイは早々飽きていた。いつぞやのように、軽トラックが後ろから飛び出てきてくれれば早いものだがそんなうまい話はないし、空はいっそ異様なまでに雲一つない快晴の広がりを見せていた。
「暑いったらないな~……」
汗は、まったを知らぬと言わんばかりにあふれては、またあふれるを繰り返す。
それでもセイウンスカイがもう一度北海道の土を踏むことになったのは、理由があったのだ。前回のようなただの気晴らしというわけではなく、明確な意図が。それを思うとセイウンスカイの歩みは、また少し違ったものになっている。
グラスワンダーに敗北を喫してからあるいはそれより前から、いずれにせよスペシャルウィークの調子は低迷の一途をたどっていた。海外遠征は白紙に。併走だろうが模擬レースだろうが、常に誰かの後塵を拝してそれ以上に行かない。初めは精神的なものだけだったのかもしれないが、肉体は精神に容易に影響される。次第に筋肉や体つきも悪化していった。
見兼ねたセイウンスカイ含む同期らはどうしたものかと画策を重ねたが成果は見えず、やはり好転もない。
そうしてならば、とセイウンスカイが飛行機に乗るに至る。言ってしまえば他人のスランプで、普通それだけで遠い実家にまで転がり込みものを頼むことは気が引けるかもしれないが、セイウンスカイは特段あることにおいて入れ込みすぎる質であった。
(くっそぉ、どれだけ歩けばいいんだ。タクシー……いや、高すぎる)
腹立たしさから、道の端にあった小石を蹴飛ばして大きなため息をこぼす。
すると、どうか。僥倖というか運命的というか。えてして幸運とは望んでいるとき実際に起きるのだ。だからそれらの言葉が存在する。
「…………うそ」
来るではないか、前から軽トラックが。
柄にもなくセイウンスカイはヒッチハイクのように腕を振って存在を見せびらかすと、横まで来てから“おかあちゃん”は顔を出してきた。
「うっそお! 旅行かい!?」
「乗りな」と言われ、まってましたと口にも出して意気揚々に乗り込む。
「どこ行く気だい」
「実は~、あのスペシャルウィークさんが育った場所に行きたいなぁって」
「そりゃあいい、ちょうど行くとこさ」
ドアの閉められた車内は蒸していて思わず声もこぼれて、横を見れば同じように汗を滴らせていた。
「それにしても、なんで」
空いたウィンドウから入る風さえ生暖かく、うるさいセミの営みも鬱陶しくセイウンスカイらにまとわりついていた。
「ちょっと聞きたいことがあったのと~、最近スぺちゃんの調子が悪くって」
「ふーん…………」
おかあちゃんは意味ありげに相槌をうってから、多分、分かってんだろうけどと口を開く。
「あんた、スぺのライバルなのかい?」
その言葉には「誰かがこけたら手を差し伸べるなんて、そんな甘いこと言ってられるのか」と、しっかり込められていた。それを察せられないほどセイウンスカイも自身の行いに自覚がなかったわけではないし、そもそもそうではないのだ。
対抗心を燃やし切磋琢磨を繰り返す存在。正々堂々と全力を出し、お互いがお互いを越えることを目標にしている関係性をライバルと呼ぶのだ。しかしセイウンスカイは、とうに「スペシャルウィークに勝ちたい」とは考えてなどいない。
つまりは。
「……違いますよ」
もうライバルではない。
「友だちです」
ドライバーはわき目に触れることなく「そうか」とこぼし、セイウンスカイは珍しくその声色から何を思っているかを読み取れなかった。
*
「ちょっとそっち行ってくれよ」
「暑いんで詰めないでくださいよー」
「家主はアタシだ」
「私は客です。なんでエアコンないんですか」
二人は家に着くなり扇風機に引っ張りだこになり、風鈴の音の風情やらなど知らぬようだった。
「あーえっと、それで……スぺがどうしたら元気になるか、だっけ」
おかあちゃんは、車内での会話を引きずることはせず、そして否定の色も見せなかった。セイウンスカイはライバル云々について話すつもりもなかったのだが、相手がおかあちゃんならば大丈夫だろうと思えたし、実際面倒な方便や正義感の根性論を垂れ流されることはなく大変助かっていた。
「そうなんですよー、ご飯誘ったりカラオケとか遊びに行ってみたりしてもダメ、理由聞こうにもよくわからなくてもう、お手上げです」
「よくわからないって?」
「……勝負の価値、競う意味はなんなのかって」
「はあ……そんなの、価値は自分が決めりゃあいいし、競うのは勝敗つけたいからじゃないのかね」
悩む様子も一つなくあるいは呆れたように言うもので、セイウンスカイもそれに同意する。
「……それでだめでした」
セミの鳴き声を一々気にはせずとも空気に床に部屋に染みわたるそれは、けだるさを加速させた。
縁側から望める外の景色には陽炎が高く見え、山は緑に空は青と、混ざり合うことなく広がって行くだけである。
太陽は高く、煌々と照らしつけ依然としていた。
おかあちゃんは静寂の伴わない沈黙を破って気が付いたようなそぶりを見せた。
「ああ、いや、そうか。なんで走るかってことか」
「日本一になりたいから?」
「そ。私たちが押し付けた願いを、あの子は鵜呑みにした」
おかあちゃんはテーブルのグラスを持ち上げぐい、と煽って、それから以前にも見たアルバムを引っ張ってきた。
「“なんで走るのか”。あの子が見つけた答えはない。“これ”って答えることが、多分まだできない」
おかあちゃんはアルバムを丁寧にゆっくりと開いて、幼いスペシャルウィークを指で撫でる。
「あの子のこと、どれくらい知ってる?」
セイウンスカイは結構知ってるつもりですよ、と置いて知っていることは大抵話した。
スペシャルウィークが二人の母親を持っていることやトレセン学園に来るまでの生活、日本一という夢のこと。
スペシャルウィークはなにも無口な性格ではなかったからに、過ごした時間とその人物についての情報は比例していると言っても語弊は少ないだろう。二人の間柄であれば、スペシャルウィークのこととなればセイウンスカイが自負するところであるのは当然とも言える。
「じゃあ早いな」
おかあちゃんは僅かばかり底に残っていた麦茶をもう一度煽って飲み干して、昔話をするといった具合で思い出すように顔を少し沈めた。
「いい加減慣れたと思ってたんだが……昔のあの子は、何かを捨てるのが苦手で、そんでもって今が人一倍大好きだった」
真剣に話をするのだといやでも知れて、雑念を払うためにセイウンスカイものどを潤して咀嚼の用意をする。
「あの子はどんなちっぽけなことにだってすぐに共感して「好き」ってのを見つける天才だった。それだからか、そのぶん引きずった。近くの花が一本しおれたときに、空に星が一つ見えないときに、あの子はすっごいへこんだ」
開いたアルバムに刺さる写真を見る眼は半開きで、しっかりとそこに残るスペシャルウィークを見ている。
「けれど」とそのあとの想像ができた。スペシャルウィークの夢は、日本一のウマ娘。努力を惜しんではいけない、妥協を簡単に許してはいけない。落ち込んでいる暇は。
「それでもあの子を走らせて、あの子も走った。嬉しいのは、あの子が走ることも好きだってことさ」
おかあちゃんが顔をあげて「そうだろう?」と聞くように口角を上げセイウンスカイを見て、それにセイウンスカイは照れるように笑みを返した。
「ダービーの後に電話して、そんときにもう大丈夫だと思い込んでたんだ……けど、まだ駄目だったかー…………」
勝負の世界は、失うものが多すぎる。
自身の積み上げてきた自信や誇りは悪魔の一吹きで消し飛び、それだけではない、去っていくライバルと期待に過ぎていく時間。枚挙にいとまはない。
セイウンスカイは「意外だ」と思わずにはいられなかった。というのも、スペシャルウィークは皐月賞の後、夕日もまだ落ち切っていないその日のうちに
しかし事実はそうでないとしたら。
「じゃあ、スぺちゃんは……」
寂しさややるせなさ、それらが口からあふれるのを必死に抑えて、腹の奥にしまい込んでただ気にしないように走っていただけ。
「気付けなかった……だとしたら、それでやせ我慢してて……お腹いっぱいになっちまって、いよいよ動けなくなっちまったと」
与えられた、“何故走るのか”という原点さえ見失うほどに。
「…………でも、どうすれば」
それらを取り除けるか。
「……わからないね。どうしようもないかもしれない。下手すりゃ走るのをやめるなんて思いかねない」
額に不快感とともに髪の毛がまとまってくっつく。重力に引かれ汗が顎へ伝いそして落ちると、畳に染みを作った。
「今は案外、ほおっておくのが一番なのかもしれない」
おかあちゃんは肩で顔の汗を拭ってそう言うがセイウンスカイにはそうは思えず、やはり共感や慰めが必要不可欠であると頭をひねらせる。
「……なにかする気かい?」
別段、そう言うおかあちゃんの表情は動かなかったが、セイウンスカイにはどうにも蛇に睨まれているような気がしてならなかった。緊張ゆえに「まあ」と短く返事をすると、おかあちゃんは優しくセイウンスカイの頭へ手を伸ばし、置く。
「焦ったって都合よくはなんないよ。変化を生むのは行動だ。だから慎重に」
先ほどの言葉が「余計なことはするな」という牽制の意味に感じられていたのは、セイウンスカイが、自身がとるべき行動に疑問を感じていたからに他ならなかった。
遠慮がちに小さく手が動かされ、頭も揺れ髪も不規則に跳ねる。
初めからおかあちゃんは、セイウンスカイを否定しているわけではなかった。
「そうだ、釣りにでも行こうじゃないか。それで考えよう」
おかあちゃんはおもむろに立ち上がり、「でも、善は急げ、だ」とセイウンスカイの肩を二度たたいて催促する。セイウンスカイの頭はすでに、解決方法についての試案を始めていた。セミの音も遠ざかるほどの集中と没頭をもって。
*
セイウンスカイは防波堤のコンクリートの感覚が嫌いではなかった。かといって特段好きなわけではないが海辺の砂や川辺の土では感じられない足への衝撃がたしかにあるから、セイウンスカイにとってそれらとは代えがたい確立した需要となっていたのだ。
大きな入道雲を除けば海と空は遠くでは区別がつかないほどに澄んでいて、分かるのは眼前にあるものだけは少なくとも海であるということくらい。周りにはちらほらと人も見えた。
セイウンスカイは頭を抱えている。移動の最中も口数がほとんどないほど考え込んでいたけれど解決のための糸口はやはりつかめなかった。
「なにか浮かんだかい?」
「……いえ」
風は穏やかなれど温く不快に吹いて、離れからセミの鳴き声が絶え間なく聞こえている。
セイウンスカイは簡単に返して防波堤の端に座るおかあちゃんに近づいた。
「釣らないのかい?」
「……いーえ、そういうわけじゃないんですけど」
おかあちゃんは着くなり早々と準備を始めてすでに釣り糸を垂らして揺れる海面を見つめていた。
「けど?」
「あんまり、ノリ気じゃなくて」
「へえ、意外」
セイウンスカイは着いてからそれについて考えて、少し前の天気や風向き、温度などで今日はなかなか釣れる環境でないことを知っている。
「まー今はせいぜいちょっとだろうしね…………ああもしかして、釣らない釣りはしない感じ?」
「そうですねえ、あんまり」
セイウンスカイは今まで釣果の望めない釣りをしたことがなかった。それは固定概念的なもので、釣りと言えば釣れることこそがよいと思っているからである。竹竿を使って大物を釣り上げれば祖父も喜び、自身もうれしかった。様々な工夫を凝らしたり、困難であったり、どれだけ待ちわびようと、その目的は釣果を上げることだった。釣りをしながら何か片手間で別のものをこなすと言うことは本当に少ない。
餌に獲物がかかればそれに集中するしかなくなる。本当に大変良い作戦を思いついたところで竿が引かれて、肝心な作戦についてすっからかんになった経験でそれきりしなくなったのだ。
そういえばこの前のことだってそうだった、とセイウンスカイは思い出す。釣りをしながらスペシャルウィークから不調の訳でも聞こうとしたときのことだ。
『勝負の価値、競う意味……それってなんだろう…………』
ぽつりとつぶやき立ち去ろうとするスペシャルウィークにさらに言及しようとした矢先、魚から手を引かれてあやふやに終わってしまったこともある。
「でも、します。聞きたいことを思い出しました」
セイウンスカイはおかあちゃんの横へ腰かけると、釣具を慣れた手つきで水面へ落とす。おかあちゃんは聞きたいことについて首を傾げ言葉を待った。
「私のじいちゃんと会わなくなったのは、やっぱり……」
前回の電車での夢をふと思い出し、その記憶はいくつかの疑問もともに連れてきたのだ。
幼いころに出会った女性がスペシャルウィークの母親だったならば行動の大抵は理由が想像ができていて、その答え合わせを求めて問う。
「あー……うん。多分思ってる通りだよ。スぺのトレーニングに力を入れたかったからさ」
「…………でも、なんで訳を言わなかったんですか?」
「私のわがままだったからね、スぺを話に出したくなかったんだ。スぺを日本一のウマ娘にさせるのは私の夢だったから」
おかあちゃんは俯きがちに遠くの水平線を三白眼で見つめていた。薄手の生地に背中の汗が吸われていく感覚が不愉快に残り、セイウンスカイは横にあるペットボトルから水をあおる。そして、ふと思い至った。
全力を注ぎたいものがあって会わなくなったというのは分かる。けれど、いま、おかあちゃんはこうしてセイウンスカイと暇をつぶしていた。
「……なんでいまは、じいちゃんと遊ばないんですか」
「…………あー、あ……いやあ、うん」
セイウンスカイが口を開くと、おかあちゃんは不自然に落ち着きをなくして顔をそらす。頬へは汗が、水面へは釣具を通して動揺が伝わっていた。
「まさか」とセイウンスカイは思ったが、けれどこの人は度が過ぎるほどにそういう雑というか忘れっぽい所があると、短い時間でも知っている。
「まさか、わかんないんですか? 番号」
おかあちゃんは全身を大きく震わせて「まさか!」と声を出した。セイウンスカイはどこかで見たような反応だとデジャヴを覚えて、けれどそれがスペシャルウィークだったと理解すると面白くて仕方がなく思わずとも口から笑みがあふれる。
片手をおかあちゃんに差し出して「貸してください」と。おかあちゃんはいかにも渋々といった恥ずかしそうな様子で携帯を渡した。
(ガラケー……)
「……どーぞ。いつでもかけてください。いつでも暇です」
セイウンスカイは電話帳に祖父とセイウンスカイの二つを登録して、ついでにと履歴にも目を通す。「スぺ」は一昨日のところにあり、発信はこちらからであった。
お互いが黙って、波打ちやセミの鳴き声、スズメやカモメ、細かく言えばセイウンスカイが名前も知らない鳥の鳴き声が熱さに交じり伝わる。
おかあちゃんは気まずそうに首元を掻いて視線を漂わせていた。
「もしかして、会うのが気まずいんですか」
「……まあね。もう会わないつもりでもあったんだ。自分から縁切っといていまさら、ねえ」
セイウンスカイにとっておかあちゃんの気持ちもわからなくはない。短かった友好の時間や自分が知らないこと、過ぎた時間で変わった自分と相手、会う必要性の無さと遠慮。天秤につるされた「会う」を押す力は尽く脆弱で、一方「会わない」は多く大きかった。
「むしろ、もう会う必要なんてないんだよ。お互い」
おかあちゃんは遠くを睨めつけるように瞼を下げて、けれどどこか上の空の様子で釣具を握る手を見つめている。
セイウンスカイは痛いほどに共感を覚え、立場がそうだったのならば同じことを思いそして「しない」のだろうとさえ思った。
「そういうもんさ。まさしく、さよならだけが」
「してください」
「え」
けれどそれを見すみす肯定することはできなかった。妙に達観した様子で話すことが許せなかった。怖気づいていることはよくわかったが、何よりセイウンスカイはいまその立場に置かれているわけではないし、悪く言えば他人事だったからこそ言える。
セイウンスカイはスペシャルウィークとずっと離ればなれにはなりたくないのだ。意地でも。
「いつでもいいんです。遅くってもいいですから」
「はは…………うん。するよ、するさ」
釣果はいまだ変わらず、けれどセイウンスカイの気持ちは悪くなかった。
(予想どおり全く釣れないなあ。けど、もう仕舞いにしたっていいや)
「そういえば、もういっこ」
その時だった。まさしく水を差すように、勢いよくセイウンスカイの竿は弧を描いてしなった。
二人して「おお!」と声を上げて、セイウンスカイはいつものように手繰って見せようとするが興奮により落ち着きは薄い。それに呼応して海面に影を見せる獲物も暴れまわる。なかばやけくそで思いっきり力を込め竿を引くと、セイウンスカイにとってはなかなか恰好のつかない一番乗りの釣果を上げた。
「よっしゃあおかあちゃん! タモ、タモ!」
「はいはい、はいよ!」
「ナイス! ああおかあちゃんの竿引いてる!」
「おうおうほんとじゃないか、よしスカイ頼むよう!」
自分の釣竿を立てかけタモを構えて出番を待っていたおかあちゃんは急いで針抜きをこなすと、今度はタモをパスして釣具を握る。
いったいなぜなのだろうか。それから釣果はうなぎ上りの勢いとなったのだ。餌をくくって入れればすぐに獲物と変わる。不思議で、全く不思議で。二人は大いに興奮して釣ることで頭がいっぱいになってしまった。
いくつかを釣り上げて、それからセイウンスカイの竿が一際大きく曲線を描く。初めこそ目を丸くしたが、セイウンスカイは素早くそれに対抗した。まるで鉄球でもつるされているのかとも思ったが、けれどお互いの力は拮抗しあいそのまま長期戦へともつれ込む。
「おおっきい!」
「がんばれスカイ! 引っ張れひっぱれ!」
「ううおーっ!」
海岸にいるにしては重すぎる引きはセイウンスカイに大きく抵抗していたが、体力勝負で言えばセイウンスカイが一枚上手だったようだ。海面に体の一端を見たおかあちゃんは腕を激しく振っている。弱まった足掻きに獲物の命運もここで尽きたとセイウンスカイは確信した。
しかし。
「あ!!」
「ああ!」
セイウンスカイはまるで雷にでも打たれたかのように動かなくなった。それにより好機を見出した大魚は器用にも狩人の手中から逃げおおせる。おかあちゃんは落胆の声を上げたが、それでもセイウンスカイは動かない。
「……思い出した」
「…………何を」
「………………うん、いいかも。妙案だ!」
「……そうかい!」
軽くなった釣竿を持ち上げてセイウンスカイは嬉々としていた。
*
陽が沈もうと傾いているころに、二人は車内で暑さを共有している。大漁となった魚たちは御近所さんたちにおかあちゃんが電話をしては届けるを繰り返して処理し、残りは二人で料理、食事という運びとなった。予期せぬ昼食に腹を膨らませた二人はそれからまた以前のように雑談を広げて、現在に至る。
「アタシは悪くない作戦だと思うね」
「そうですか?」
「うん。ただ、別のプランとかはあったりするのかい?」
「目標が決まったんで、計画はいくらでも練れると思います」
「そっか」
安心した、といったおかあちゃんの表情はまるで娘でも見るかのような顔で、セイウンスカイはどこか嬉しかった。
長い道を過ぎてそろそろ目的地も近く、すれ違う人や自動車は数えることはよほどの集中でなければかなわない。青信号になり再び動き出すとともにセイウンスカイは何でもないことに気が付いた。
(そういえば、緑は“青”か。じゃああの景色は、区別のつかない青一面だったのかもしれない)
黙って空を見ているとおかあちゃんは話し出す。
「アタシに、出来ることってないかい」
「……逃げないように言ってください」
言葉に不安の色も見せずに問われたことにセイウンスカイは一考して答え、おかあちゃんは「うん」と何もないように返した。
セミや雑踏の声がこだまし、けれど二人の間には沈黙が流れていた。
けれど。
「スカイは、なんで走るんだ?」
セイウンスカイは、その質問に大きな衝撃を覚えた。「豆鉄砲に打たれたように」といった様子で、セイウンスカイは脳を激しく揺さぶられた後のような放心を感じている。そのことにセイウンスカイ自身驚いていたが口からはなんとなくするりと言葉が滑っていた。
「え、あ……あー………………惰性ですよ」
「いや、違う」と、セイウンスカイの頭の中ではすぐに反論が飛んできたがそれ以上の発展はなく、それきり会話も変わるのだった。体の中に重い何かが入り込んだような、喉と首の間に取れることのない痰が絡んだような、そんな不快感だけを残して。
添削次第次話更新します