あなたとは終生のライバルでいたかったけれど、それがかなわないのなら   作:大風22号

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ヴァルハラを目指す少女

ヴァルハラを目指す少女。

 

 

 

 セイウンスカイが翌日にスペシャルウィークの様子を見に行くと、それがオーバーワークであるというのは明白だった。

 正しく言えば、あのハードトレーニングの後に追加で練習を重ねることがである。

 いくらなんでもこれは見ていられないと、スペシャルウィークが練習を終えるのと同時にそちらへ歩いたセイウンスカイだが、行くと首をかしげることとなった。

 

 スペシャルウィークの姿が忽然と消えていた。

 初めは遠くから眺めていたもので細かいしぐさなどは全く見える場所でなく、しかしそこに行くまでの時間も僅かで目を離した時間もまた同じ。

 神隠しに遭ったと言っても過言ではないほど、不可解は多く鮮明にはならない。

 

(離れてくのを一回も見ないことあるかな……)

「ねえー、スぺちゃんは?」

「スぺ先輩なら、もう寮に帰りましたよ」

「なんか急いでたみたいっすよー」

「へ~?」

 

「最近ちょっと入れすぎだよなあ」と話していたチームメイトたちに聞けば特に違和感はなく、その時のセイウンスカイは偶然入れ違いであったと信じて疑わなかった。

 傾いた夕日は暖かく影を濃く広く伸ばしてゆき、輪郭は揺れてはっきりとしなくなる。

 セイウンスカイは自身も帰路へ着こうとするとどこか視線を感じて振り返った。その方向の離れに人影が見えたような気がしたが、けれどそれが誰かをセイウンスカイは気にも留めなかった。

 

 

(……まーた無茶してるよ。終わるまで待ってられないな)

 

 翌日まじめにトレーニングに出たことをトレーナーに驚かれたセイウンスカイは腹を立てていて、少々短絡的になっていた。チームで寮へ移動している途中で遠巻きにスペシャルウィークを見ると、並んでいた人だかりの中から抜け出してすぐにそちらへ駆け寄る。

 

(……? 目、合った? いや、遠いよ。まさかね)

 

 またすれ違ってしまってはたまらないと思いセイウンスカイは小走りであった。

 

 その数秒後に自身が練習の後であることを忘れたように本気で走ることを全く知らずに。

 

「え! なんで!?」

 

 先ほどまで仮組で作られた楕円を回っていたはずであるが、突然まるで逆方向へと一直線で走っていたったからだ。セイウンスカイから逃げ出すように。

 

 先方はチームメイトから声を掛けられているように見えて、セイウンスカイには周りからの視線が少なからず刺さる。

 風や視線を押し切って体を突き動かし、汗を流す。青春の縮図ともとれるかもしれないが、結末は例えば悲劇であった。

 セイウンスカイはスペシャルウィークを掴んで止めることかなわず、見失ってしまった。

 

「はあ~…………はぁ、なんでよ~……?」

 

 その次を言えば、セイウンスカイはスペシャルウィークの姿を見るにまでも至れなかった。まるで夕日に陰る入道雲と影を同じにして、海へ沈んでいったのだとセイウンスカイが錯覚するほどに、橙の色は酷く熱かった。

 

 

 三日を通じてセイウンスカイは自身がスペシャルウィークから避けられているという現状をよく理解した。

 しかしまた数日を要すると、その認識もまだ甘かったのだと更新する。

 一体何故か、セイウンスカイが見つけるより先にスペシャルウィークはそれを察知して隠れてしまう。

 セイウンスカイは次第に焦り、混乱していくもので、あまりの手ごたえのない試みに雲をつかもうとしているようだとさえ考えていた。

 

 

 あと数日で夏合宿が終わるという頃にセイウンスカイが旅館のロビーにてどうにもこうにも頭を抱えていると、ふとおかあちゃんが言っていたことを思い出した。

 

『スぺはさあ、目がいいというか勘がいいというか。とにかくこっちより先に見つけて、それで逃げるんだよ』

 

「まあこんくらいのガキんちょになるころには注射の時くらいだったんだけどねそんなの」と確か笑っていたが、それでセイウンスカイは現在頭痛の手前になるほどに悩まされている。

 このまま夜が明ければまた眩しい日差しの中へほっぽり出されて走ることを指示されるのだと思うと、それもまたセイウンスカイの気分を沈ませた。

 

「はあぁ~」

「…………」

 

 汲んできた水をよけながら机の上に突っ伏してため息をすると廊下から誰かの気配があって、セイウンスカイは誰だと怪しむことはしなかったが、それがゆっくりと引き返していくのを知ると、確信を得た。

 

「………………スぺちゃん?」

「いえ違います!」

 

 走りだした足音に声をかけるべきではなかったとすぐにでも後悔はしたが、それでも足は言うことを聞いて動き出す。

 逃げる先方を急いで追いかけていけばその後ろ姿は予想どおりであった。

 

「待ってスぺちゃんとにかく待って!」

「いいえ! スペシャルウィークじゃありま……せんっ!!」

 

 スペシャルウィークは追われたことでパニックになっていたようで、逃げだす方向を全く誤った。ほかの生徒も泊まる部屋ではなく、客の行く用のない物置へと走って入り込むとそのドアを強く閉じる。そこに逃げ道はなかった。

 

「ふう、ふーー……わかった、開けないよ。スぺちゃん。開けないから」

「ほんとう?」

「ほんと」

 

 息を整えながらセイウンスカイは頭をドアへ押し付け目を閉じると、中から物音は聞こえずスペシャルウィークも落ち着いたのだと知れた。

 一度体を起こして、扉の木目を指でつついてから体を翻し背を任せる。背骨にわずか伝わった振動は、スペシャルウィークも同じように体重をかけたということをセイウンスカイに伝える。

 

「なんで、逃げるの?」

「……こわくって」

「……怒ってないよ? 何が怖いの」

「怒ってないの?」

「うん」

「怒鳴ったのに?」

「……? うん」

 

 怒鳴ったことと怒っていることにどうもセイウンスカイは相関が見えず、それについて一度考えてしまうが数秒して理解できた。スペシャルウィークは誰かに怒りをぶつけるといったことが経験として全くなかったのであると。

 

「……ねえ、怒鳴ったら、怒られると思ったの? それで嫌われるかもって?」

「………………う、ん」

 

 良くも悪くも事実として、セイウンスカイの常識は都会でたった二年ばかり過ごしただけの優しい田舎娘には通用しなかった。

 わからないから怖かった、わからないから逃げ出した。

 それがセイウンスカイにとって可愛らしくて面白かったのは言うまでもない。

 

「そっかあ。ねえスぺちゃん、私がスぺちゃんを嫌いになることなんてないよ。ずっと友だち。ずっとね」

「……うん」

 

 その少しでも紅潮した表情が見れないのが悔しかったが、このひたすらに近い手を伸ばせば届く距離でもそれを遮る扉がもっと大事な意味を持っているからに恨めなかった。

 セイウンスカイがずっと聞きたかったことがある。もしその返事が予想と違うものならば、おかあちゃんに顔向けできないことが。

 それを話すには、こういう壁が必要なのだ。面と向かっては恥ずかしくってならない。

 

「スぺちゃん、走るのは好き?」

「うん、好きだよ。ずっと」

「……でも、走るのが怖い?」

「…………うん。どうしてわかったの?」

「この前のレースでね、ずっと怖そうにしてたから」

 

 セイウンスカイはとにかく大いに安心した後に、また大切なことを問うた。理由を言ってから黙っているとスペシャルウィークは訳を聞かれているのだと理解して、ゆっくりと、静かに話し始める。それでもセイウンスカイの耳には声も届き、また人気のない廊下はしんとしていた。

 

「……みんなと走れて、とっても嬉しかったの。昔は鳥さんとかお犬さんとかけっこしてただけだったから、みんなの走りはとってもきれいでかっこよくて、苦しくなるくらいきらきらしてて…………ずっと、みんなと、ずっとずっと何度だって走ってたいのに……いなくなる子がいて、走れなくなる子がいて」

 

 扉がすすり泣いて音は震える。それがセイウンスカイには痛ましく耳を閉じたくもなったけれど、しかと内からの扉へ対する独白を聞いた。

 

「レースのみんなのきらめきが目に焼き付いて、わすれられなくて、わすれたくなくて、何度も何度もレースを見て想像して…………でも、みんながレースのたんびに私だけを置いて変わっていくの……だから、どうしたらいいか、わかんなくて…………」

 

 呼吸の声がセイウンスカイにまで届く。

 春に己を散らしたスペシャルウィークは、本当に建前のもう一つ後ろで考え抱えていたものがあったのかとセイウンスカイは驚きつつも衝撃はなく受け入れた。

 

 話が終わるとセイウンスカイはその変化がレースによるものでないとすぐに浮かんだ。

 レースを過ぎずとも如何様にも人はすべては移ろい、なりを変えてふるまう。

 スペシャルウィークだってそれをよく理解しているはずだった。けれど多くの「わからない」の中でそれさえも混濁し、恐怖の矛先は自身へ強い凄みをぶつける「レース」へと向いた。

 

 それがセイウンスカイの推察である。

 思い至ると、セイウンスカイまでも涙を目じりに抱えてしまった。

 スペシャルウィークがいくらレースから逃避したとして、それは根本から恐怖に対するなんの解決にもなっていないからである。

 どれだけ受け入れがたくとも、信じがたくとも、やはりは変化は絶対なのだ。

 

(なんで、スぺちゃんがそんなに苦しまなくちゃいけないんだ……)

 

「でもそれはたぶん、レースを過ぎなくても、そうだと思うよ」と、それはセイウンスカイの口の中で言葉がひろがるだけに止まって、だれの耳にも伝わることがなかった。

 それを言ってしまえば、ただでさえ一つを酷く憂い恐れて崩れている最中であるのに、対象までもが無造作に選択肢を増しそのすべてに委縮し追いやられてしまうからだ。

 正直なところ、セイウンスカイはかける言葉を丸々なくしている。

 けれど心中で安心させたいと強く思っていると、自身がどういう立場かを思い出した。

 

「私はライバルだよ。セイウンスカイはスペシャルウィークのライバル! それは一生変わらないよ」

「…………え?」

 

 その聞いていられない嗚咽を、少しでも止められたことをセイウンスカイは誇りたくてしょうがなかった。

 微笑んだ声色をかすかに聞くと、自分の言葉がそこまでとどいてくれるのかと、胸が抑えられるような切なさは愛おしさによく似ている。

 二人が細かく笑声を出したものだから、いままでの冷たいだけだった廊下の雰囲気も和らいで穏やかとなった。冗談だって言えるほどに。

 

「ほんと?」

「ほんとー。まあいまは、スぺちゃんにはなにしたって敵わないけど。だから」

 

「今は俯いでないでひたすらに前を向いてほしいんだ」と続くはずだったけれども、スペシャルウィークの冗句が珍しくて止まってしまった。

 

「そういうこと言うと、また逃げちゃうよ?」

 

 *

 

「なんでそれで本気で逃げんの!?」

 

 セイウンスカイにはその台詞がまったくの冗談と取れていたのだが、翌日その話をするとスペシャルウィークは一目散に逃げだした。

 それからの夏合宿の間では相対することかなわず、セイウンスカイの骨が粉々に折られ砕かれそれでも釣果はゼロだった。

 

 しかし夏合宿が終わると、生徒でありクラスメイトでもある二人はもちろん教室で会うこととなるのだが、スペシャルウィークはセイウンスカイと会話をしない。

 セイウンスカイが席を立つとスペシャルウィークも席を立ち、座れば座った。昼になればそそくさと食堂へ行き、放課後になればすぐに教室を出る。

 一度目を離すと姿を消し、追いかければ逃げた。

 

「わかった……はあ、う……わかったから、とりあえず、うん。夏のことはいったんもう言わないから…………昼は、一緒に食べよう?」

「ふう、ふー………………うん」

 

 見世物にまでなってしまった、放課後のチャイムで始まるレースは音を上げたセイウンスカイによって終了された。

 教室でもろくにしゃべらない、共同作業も最低限の応答、朝もぎりぎりまで席につかないスペシャルウィーク。ほかにもセイウンスカイに堪えたものは多かった。

 

 そうして九月を終わらせ、十月初めのカフェテリアでセイウンスカイはキングヘイローと席を並べていた。彼女はスペシャルウィークを心配しながらも、直接的な手助けには全く関与しようとしない人物。原因不明の不調に手が出せなかったこともあるが、そもそも彼女もスペシャルウィークと、[[rb:道 > 距離]]は違えどライバルでありそれはレースのみで白と黒をつけるという価値観であったからだ。

 スペシャルウィークに過度に肩入れするセイウンスカイをもってすべて肯定してはいない。

 そういう信念もあるのだから、一概に「レースを過ぎれば変化が訪れる」というのも否定できなかった。

 

「私の推理が正しければ、スぺちゃんはからかうってことを知らない。本気なんだもん逃げるの」

「……もういいんじゃない? あなたとあれだけ走ってたらスペシャルウィークさんも鍛えられてるわよ」

「なーに言ってんのさ。あれは逃げだから無理! 前に一回「先輩みたいに~」とか言ってたけど、似合わないよ」

「似合わないって……」

「肉体にもの言わせて走ってるだけだよ、スぺちゃんの集中は長くない。追うのが最適解」

 

「脚質も違うんだし」と食事を運ぶと「あなたが言うと説得力ないわね」と返される。

 セイウンスカイが「おにごっご」を辞めさせたかったのには理由として一つ大きなものがあった。最近スペシャルウィークの体つきは以前と比べおかしくなっていたのだ。

 

「あれじゃレースにもでれりゃしない」

「そう」

 

 スペシャルウィークの低迷はクラスの雰囲気を迷わせもしている。宝塚記念を過ぎてからグラスワンダーは会話こそすれど、以前のようにおしとやかに笑うことがめっきり減った。

 現在昼食を共にしていても、キングヘイローはセイウンスカイに腹を立て、大ごとになりかねない口喧嘩も経験したのだ。

 

 いまでこそ表向きは平和でも、一つ捲れば勝負事についてで穏やかとはなかなか。

 

 セイウンスカイだって同じである。スペシャルウィークは中途半端に元気を取り戻し、壁を作った。取り繕われていてもスランプの原因へと接近して取り除くことは拒まれ時間だけが過ぎていく。

 いよいよ秋が始まり戦線は激化する。悠長にしている時間など全くなかった。

 

 もう眼前に、京都大賞典は迫っている。

 

 *

 

 もっと、みんなのレースを見たかった。夏合宿はなまらハードで疲れてそんな暇なかったし、学園に帰ってからもセイちゃんがあんなこと言うから聞きたくなくて逃げてて時間がなくって。

 

 みんなの走りがかすんでいくような気がして、私はかぶりを振って別のことを考えた。

 グラスちゃんかな、あの子かな、それともキングちゃんかな。

 なんのトラブルもなければ、そろそろ毎日王冠の決着がついてるはず。

 かく言う私もそろそろ出走する。ゲートに普通に入って構えると、またいつもみたいに風が吹いた。

 予感が肌に触れて悪寒がずうっと上にまで詰めてくる。また、なにかが変わる。よくない方向に一つ結果が進んでいって、私はまた。

 

 がこんと開く。

 

 私はおいて行かれないように駆け出した。最初は埋もれないように先行して、そのあと“みんな”を見て。

 

(セイちゃんに離させないように…………あ……)

 

 セイちゃんが前にいない。

 そうだったセイちゃんは私の後ろにいる。

 

 じゃあ私の前には誰が?

 

「ふー……ふう……ふぅっ…………!?」

 

 危なかった。私の前には二人がいたのに、それを見ないで走っていくところだった。

 走ってる最中だから多分でしかないけど、今はローペース。出すぎちゃってみんなを見失うところだった。

 

 どうしよう。

 

 私、今までどうやって走ってたんだっけ。

 何を見て、私は。

 

 前には逃げが二人ポジションを守ってペースを保ってる。無理はしてない。後ろにはツルちゃんとオペラオーさんがいて、私もしかしてマークされてる!?

 少し後ろにブライトさんがいて、さらに後ろに続いてく。

 みんなに気を張って走り続ける。なんでか体が重くって、思うより動かない。

 前から五人くらいは場所を変えないでキープしてるみたいで均衡状態のまま第三コーナーを過ぎる。

 でもこれからバ群が縮まって、それで詰まったら良くないからいつでも出れるように横に並んだ。

 

 すぐに最終コーナーに。

 みんなの気迫が肌を弾くみたいに伝わって、それに応えるみたいに体が──。

 

 動かなかった。わからなかった。

 これからどうすればいいんだろう。どう走ればいいんだろう。さっきまでは動いてたのに、突然頭が真っ白に塗りつぶされて、なんにも見えなくなった。

 足に力が入らない、腕を強く振れない。

 何もかもが変わっていく、私をほったらかしにして。

 私を横から抜き去っていく強風にあおられて、しっかりと立っていられない。

 どうすれば、なにをすれば。みんなの流れ星みたいな走りに届くんだろう。

 

 あっ、そうだスパートしないと──。

 

『ツルマルツヨシー! ツルマルツヨシです!』

 

(……………………)

 

 すごいなあ、みんな。

 

 

 




添削次第次話更新します
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