あなたとは終生のライバルでいたかったけれど、それがかなわないのなら 作:大風22号
Runner's high star.
天皇賞は存外にも早くやってきた。
けど、ここに来るまでには少しのことが勿論あった。
帰ってきたばっかしのエルやキングにグラスちゃん、スぺちゃんと私。何を話していたか忘れたけど、みんなが一斉に笑ったことがあった。
数日でスぺちゃんは体つきを丸々変えてきて、それはもうダービーのときのスぺちゃんを彷彿とするくらいに。
それで、模擬レースでこれでもかってくらいにぶっちぎった。誰を追っていたか、それはたぶん、モンジューでありエルなんだと思う。
だから、今回でスぺちゃんは全員に
「ゲート入ってくださーい」
あ、忘れてた。私も今回でやられる。
だからなんだよ。狭いゲートにはただでさえ入りたくないのに、これが
いままでスぺちゃんがそうだったのに、今度は私がおびえてる。心情的なライバルと、現実的なライバルには結構な差があった。
「あのぉー」
らしくないよセイウンスカイ。大事な復活劇になるんだから邪魔しちゃ良くないよ。
私はスぺちゃんの横顔を恋するみたいにながめ……あー、スぺちゃんぼーっとしてるねー。いいよー。集中したらダメだよー。
「すいませーん」
「ヤダ怖いんだキミにはわからない」
「ええっ」
粘るよ、粘るんだ。怖いから。今はもうスぺちゃん安心だから。私が弱さをぜーんぶ見せても許される。心配されない。
「はやく入りなさいよ」
野次が飛ばされてきたけど、分かってないねキング。今回でみんなこてんぱんだ。四番人気にみんな捲くられる。
「スカイー!」ってたぶん叫んだんだろうな。トレーナーが遠くでなんか言ってる。ちょっと面白いな。
狭いより晴れてるほうがいい。一人よりみんなといるほうがいい。焦るより興奮するより凪いでいるほうがいい。
つくづく、レースには向いてないんだ。
(…………スぺちゃん。怖いよ)
もう一回見たら、スぺちゃんと目が合っちゃって一秒くらいそのまんまだったから、私は呆気を取られた。
「目とじてくださーい」
「……はーい」
驚いたことに、目を閉じるとスぺちゃんがいた。周りは桜が舞っていてスぺちゃんは片手に大っきな瓶を持っている。
(まってスぺちゃんじゃないんだから幻覚なんて……それに今秋だし。名誉ある天皇賞“秋”なんだけど)
そしたら
(あー……ちがうか)
私は、スぺちゃんから
はあー。しょうがないなぁ。
「どうぞなみなみ注いでおくれ。花に嵐の例えもあるや。さよならだけが」
私は目を開けて。ゲートに入った。
みんな順調に入るからつまんないけど、まあいいや。
ゲートが開いた。始まった宴はもう戻らなくて、私たちは持ち寄った盃をぶつけあって乾杯した。
*
三日を過ぎて。セイウンスカイは病室のかどで窓の外をゆっくりと眺めていた。
天皇賞秋の後、セイウンスカイは倒れた。診断こそ人にとってはいわゆる肉離れのような軽いけがであり、重症ではなかった。
とはいっても再発、悪化を考えるならばと休養をするに至る。もう二週間ほどでの退院が決まっていたがレースとは当分の間、縁のない状態だろう。
「思い出すなあ。忘れられないや」
ハイペースから始まったレースは、残り三ハロンからスペシャルウィークがすべてを切って終わった。
逆襲のランだとか、復讐劇だとかと呼ばれ、それからスペシャルウィークを日本総大将だと讃える声も多い。
セイウンスカイが直線で外から上がっていくと、さらに外からスペシャルウィークが最大の火力でもって昇って行った。
眺めていたイチョウが風に揺られ落ちていく。あけっぱなたれた窓へ上体をよこしていたセイウンスカイの鼻にひらひらと蝶々が付いた。
それもすぐに飛んで行く。セイウンスカイが口を開けて笑ったからだ。
セイウンスカイはレースを思い出すたびに、たしかに笑う。
「私はそのスぺちゃんにちょっとでも並んでやったんだ。すこしでも、前を譲らなかったんだ」
それが嬉しさであって誇りであって、その一つでセイウンスカイは満足をも覚えそうになる。
けれどまだ追想を辞めないのは、それからもまた思い出の一つだからだ。
セイウンスカイは前を進み距離を広げるスペシャルウィークの背中から一度も目を離すことなく走り続けた。
ゴール板を駆け抜けた後、少なくとも二人は泥酔でもしているかのように恍惚としている。セイウンスカイは言外に「してやったね」と笑うと、口の中に残っていた臭みを知った。スペシャルウィークが蹴り上げたターフをいつと知らず噛んでいたのだ。
なんと苦いものだったか。
けれど星を見ながら呑むそれの味が、どうしても美しく幸せなもので仕方がなかったからに、セイウンスカイはしばらく忘れることができない。
「さよならだけが人生だ」
セイウンスカイはまた口からそう溢した。
病院へ来てから何回目と数えることも難しいほどに、無意識にセイウンスカイは何度もつぶやいて、その頻度は時間を追って増す。
それには理由もあった。
「セイちゃん!」「スカイ!」と、毎日決まって来訪者が叫ぶのだ。祖父に関してはともかく、スペシャルウィークもそうであるのをセイウンスカイは良しとできない。中二週でジャパンカップがある。トレーニングに専念してもらいたい想いから、嬉しくとも煙たかった。
「引退……絶交かなあ。もう私居なくてもやってけるって信じてるから、下手に重荷になるより。でもなんだかんだ勝ってくれるんだろうけど。いやあしかし、うーんスぺちゃんだからなあ」
木々の上に小鳥がひょいと乗っかって鳴いていた。セイウンスカイはじきに飛び立っていくのだろうと思ってそれを眺める。時間を守って騒音はやってきて、それを今日も注意しなければならないと思うと、セイウンスカイの頭は痛んだ。
背後でドアが開いたとわかっても、うるさくなかったからに先生がやってきたのと信じ込んだ。
振り向いて立っているのが祖父だとはその時全く考えてもいなかった。
「ようスカイ。立ってるんなら足も普通そうだな」
「えっ? じいちゃん?」
「意外か。今日はスぺちゃんがいないからね。お見舞いを持ってきたんだ」
その手には手紙が握られていて、なんとなくスペシャルウィークの不在について察する。あれはおかあちゃんの手紙だ、と。
何分でも何回でも二人は会話をめったに止めず、結局手紙の封を開いたのはセイウンスカイが一人きりになってからだった。
セイウンスカイは、開いてそれを読んでしまったことを大きく後悔する。
セイウンスカイには頭が痛むほど、おかあちゃんの文通の技術で「逃げるな」という旨の文章がつらつらと並べられていた。
最初のほうには──『スぺがスカイをものすごく心配して一回でも離れなくなるのを、スカイは良く思ってないのも分かる。それで、体が悪けりゃ心も揺れるってのもある。だからって簡単な結論には飛びついてほしくない。スカイがスぺを遠ざけるようなことをするならそれは、アタシは許さない』と。
「……………………やられた」
なにも、「逃げないように言ってください」というのは、自分にではないのだとセイウンスカイは頭を抱えた。
「逃げるなってたって、なんにもぅ……………………ぉ、いやあ?」
悪くない頭がある。培った経験がある。間近に優秀な先生が二人いる。時間も気力も申し分なかった。
「いいね。私はなんて恵まれてるんだろう。みんなたまげるだろうなー」
*
十二月の二十九日。学園のカフェテリアはいつもにも増して込み合っていた。
これから年越しの休暇を設けるため、今年最後の学食をいただこうと一様にこぞってお代わりを堪能するウマ娘でたくさんなのだ。しかし学園は生徒に満足のいく食事を提供することが責務であり、売り切れつまり腹を空かせる生徒がいるというのは仕事が満足でないということ。
いわばこれは学園側とウマ娘側の兵糧戦争である。
大層なことを言っても、普段と変わらぬ食事で済ませるものも当然いる。しかしそうでない食いしん坊たちを、厨房の兵はこう呼んだ。
──大将、と。
セイウンスカイは昼食を取りに来たのと同時に探し人がいた。めずらしくすべてのあてを外した後にカフェテリアにて、人だかりを見つける。
(……いた)
そちらへ歩いていくと、人混みの中から不思議とスムーズにグラスワンダーが姿を現した。先方はこちらの方へ歩いている。
「あら。セイちゃんも、ご挨拶に?」
「そ。そんな感じ」
「…………負けるつもりは、毛頭ございません」
「そう。勝手に気持ちよさそうに言っちゃって。他なんて目にないね?」
「いえ、そうでもありませんよ。きっと」
絶対に嘘だ、とセイウンスカイは思ったけれど、過ぎていくのを止めようとはしなかった。向かいながら群衆から言葉をいくらか拾う。
「うーん! おかわりおねがいしまーっす!」「うそぉまだ行くの?」「食糧庫が落ちたって!」「うぅ、胸やけが……」「あれ全部お皿? 壁じゃない」「あそこにいるのは誰!?」
「総大将だ」
ウマ娘で作られた円陣の最遠端にセイウンスカイはたどり着くと中心人物の名を呼んだ。
喧騒の中に言葉がかき消され、届かなくとも無理はないが、けれど反応を示す。
「あれっ。セイちゃん?」
一斉にそこまでの道が開けて、皆は呼ばれたほうへ目を向け眺めるものでセイウンスカイはどこか面白くなっていた。
「やっぱり。どうしたの?」
「スぺちゃん」
セイウンスカイはだから微笑んでその道をゆっくりと歩いてスペシャルウィークの前へ立った。
(なんだが、プロポーズでもしてるみたいじゃないか。照れるなあ)
頬が赤らんでいまいか心配してから、熱い頭をどうにか気にしないようにしてセイウンスカイは芝居めいた口調で、けれどたどたどしく話始める。
「あー…………スペシャルウィークのライバル、セイウンスカイ。このたびトレーナーライセンスに挑戦します……きっと、一回じゃ無理だけど、何べんだってぶつかって手にしてみせる」
スペシャルウィークは箸を止め静かに聞いていたが、野次ウマは黙っちゃいなかった。散々に声をかけ口笛を甲高く鳴らし拍手を起こす。
セイウンスカイはいよいよ堪らなくなり「うるさいっ」と一蹴し、しんと落ち着かせてから続けた。
「だからさ。受かったら今度はスぺちゃん、一番近いところで、キミを偵察させてくれる?」
周りまでもが息を飲んで返事を待つから本当に恥ずかしいったらなかったが、一々からかわれる口調で話しているのはセイウンスカイのほうだった。
カウンターの向こうでは「今だいまだ」と忙しなく調理をしている様子が見れる。
スペシャルウィークは口の中で咀嚼していたものを飲み下すと、二つ返事を返した。
「もちろん! それに、セイちゃんならできるって信じてるよ!」
「はぁっ……はあ~、ありがとう。よわったな」
「こんなので緊張するなんて」と言い終わる前に、そこはもう宴のように騒ぎ出すから今度は誰の耳にも届かない。
「乾杯だ!」「宴だ!」「祭りだぁ!!」なんて口々に言うからここの面子はノリがいい。セイウンスカイは呆れるすんでのところまで行って、もう一つ言いたいことがあるのを思い出した。もみくちゃにされながら伝えなければならない。
うるさいから、叫ぶしかないのだ。
「スぺちゃん! まだ! ドリームトロフィーには、いかないで! トゥインクル・シリーズを去らないで!」
「うん!」
「じゃあ、
「おかわりおねがいしまーーーすっ!!」
<了>
最終話です。ここまでの閲覧ありがとうございました