「いやー面白かった。アスナの恥ずかしいフォルダがまた潤ったな」
「消せ! さっさと消して! ほんと、お願いだから!」
「何言ってんだよ。将来の良い話題になるじゃん。いつか『あの頃は若かった』って笑い話になるさ」
「話にしたくないって言ってるの!」
アスナの喚き声を無視し、ジュカインをボールに戻したアスカは慣れた手つきで端末を操作し、データを整理している。
というかちょっと待て。こいつフォルダと言ったのか? つまり今の動画の他にも恥ずかしいものがあるというのか。
「いいじゃん。アスナがそれだけ今から本気で目指しているってわけだし」
幼馴染の言動にアスナが首を傾げる中、アスカがそう軽い調子でつぶやく。
いつもこうだ。
アスカは揶揄う事はあるものの、アスナの『祖父の後を継ぐ』という夢を馬鹿にしたりはしない。むしろ本気で応援している。誰よりも、下手すればアスナ本人よりもずっと。
「……よくないよ」
「ん?」
「結局、ただ目指しているだけじゃ夢物語で終わっちゃう」
いつもならば『ありがとう』と受け流していたことだろう。
だが今のアスナにはその言葉が気にかかった。彼の姿がまぶしく見えた。
彼以外の人間が相手だったならば絶対に口にしなかったであろう弱音が思わずこぼれてしまう。
「何かあったのか?」
「……さっきポケモンニュースで流れてきたの。ジョウト地方、キキョウシティのジムリーダーにハヤト君が就任したって」
「おっ。ハヤトか。懐かしいな、セキエイの予選以来か? 朗報だな。今度祝福のメッセージ送っておこ」
アスナの知らせを受けてアスカがそう笑みを浮かべた。
ハヤトとはかつてアスカやフウロが参加したポケモンリーグで会話を交えたトレーナーだ。年齢が近い彼も父親がジムリーダーであり、アスナは同じジムリーダーの後継者として親近感を抱いていた。
「そうだよね。皆すごいよ」
「アスナ?」
「皆、ハヤト君もフウロちゃんも立派に夢を叶えてる。なのに、私はまだ未熟なままだ」
『アスカだって』という言葉は飲み込み、アスナはたまった暗い感情を打ち明けた。
近しい年代の少年少女が自分よりも早く理想を実現させたという知らせは彼女にとっては良くも悪くも影響を及ぼしていた。
祝福したいという気持ちと同時に耐えようのない焦りがこみあげてくる。
「わたしなんてずっとこの街で鍛えてはいても、全然まだまだだもん。ジムの皆だって私よりずっと強い人ばっかり。それが悔しくて」
そこで言葉を区切ると、アスナは組んだ両腕の中で頭を抱え込む。
フエンシティの中ではアスナも強いトレーナーの部類には入るだろう。
だがジムリーダーやジムトレーナーと比べると話は変わってくる。
将来、このジムを受け継ぐ身としては、何か変わるきっかけが欲しい。皆に追いつきたい。その思いばかりが込み上がるものの、そんな奇跡は起こらず気持ちだけが先走る。
「だったらアスナも旅に出てみるか?」
「……えっ?」
悩むアスナに、アスカはそう淡々と提案する。
「旅って、確かにわたしは旅に出た事はないけど、それで変わる?」
少なくともアスナは今の環境には不満を持ってはいない。
祖父のジムリーダー、幼馴染であるアスカ、長年街に住んでいたことで絆を築いたジムトレーナーと時折トレーニングを行える今の環境は、むしろ人よりも恵まれていると言えるだろう。
そのフエンシティを旅立って、果たして本当に成長できるのか。
アスナは想像できず首を傾げるが、アスカは『もちろん』と言って深く頷く。
「そもそもいろんなトレーナーやポケモンと出会えるしな。その出会いの数だけ変わる、強くなるチャンスはあるだろ。俺だって旅の中で色んな経験を積んできたし、アスナも良い切欠になるはずだ」
「……そっか。なるほどなあ」
実証済みである男の発言には重みがある。
たしかにアスカの交友関係は二つの地方を旅してきたものが大多数だ。
手持ちポケモンの六匹も、旅の途中で仲間になったのが四匹と過半数を占める。
幼馴染の体験は、アスナの背を押すには十分すぎるものだった。
旅の経験がチャンスになり、強さにつながる。
一つの答えを得たら、あとは簡単だ。
――旅に出よう。
皆と同じように、今の自分を変えるためにはこれしかない。
覚悟は固まった。後はただ実行に移すのみである。
「わかった。ありがとう、アスカ。そうするよ。わたしも一度、旅に出ようと思う」
「おっ。良いじゃん」
「うん。とりあえずどこの地方を旅するか決めないと。ホウエン地方は――知ってる場所や人もいるし、もっと遠くの地方で冒険した方が良いかな」
「ならカントー地方とかはどうだ? 俺が一度旅した場所だから俺も勝手が知ってる分何かあったとき助けやすいし、ほのおタイプのジムリーダーもいるぞ。きっと勉強になるはずだ」
「なるほどね。……ん? えっ? ちょっとまって」
「どうした?」
じっと見つめるアスナの反応が理解できずに首を傾げるアスカ。
「助けやすいって、どういう事? まさかアスカもついてくるつもり?」
「もちろん。アスナを一人で旅立たせるなんて危なっかしいし」
「いやでも、これはわたしが決めた事だし、アスカまで一緒に来る必要なんて……」
「じゃあ聞くが、一人で食事はどうする気だ?」
「そ、それは……何か適当なその辺のショップによってインスタントとかでも良いし」
「旅の途中で栄養失調になったらどうする。じゃあ、海を渡る時にほのおタイプしかもっていないお前はどうする?」
「えっと……もう自力で泳いで……」
「途中で力尽きたらポケモンは助けられないぞ。じゃあ、遠い町まで一気に飛びたい時は?」
「いや……いっそ歩いて……」
「うん。よくわかった。お前に一人旅は無理だ」
「ぐふっ!」
アスカの容赦ない指摘がアスナを襲う。
きゅうしょにあたった。こうかはばつぐんだ。
ダメージのあまりその場に倒れ伏すアスナ。
そんな彼女を見てため息をこぼしながら、アスカは優しく彼女の頭の上にぽんっと手を置いた。
「もっと俺を頼れよ。何年の付き合いだと思ってんだ。一緒のお風呂に入って、一緒の布団で寝た仲だろ」
「それはずっと昔の話じゃん!」
そんな何年も昔の話を持ち返して良い雰囲気を醸し出されても。反応に困るアスナだが、しかもまだ彼女が乗り気でない理由が他にもあった。
「大体、ジムの方はどうするの? 一応アスカだってお給料をもらっている身なんだからそう簡単に休めないでしょ?」
一応アスカはジムトレーナーとして働いている身だ。当然ながら雇用契約をし、労働時間も決められている。一方的な事情で長く職を離れるわけにもいかないだろう。
当然の疑問を呈したのだが、なぜかふとアスカの表情が暗くなった。
「……20」
「はっ?」
ふと謎の数字がアスカの口からこぼれる。
当然のことながらアスナにはそれが何を意味しているものなのか検討すらつかなかった。
「今月、俺がジム挑戦者を退けた数だ」
「……ちなみにジムリーダーに挑戦できたトレーナーの数は?」
「0。おかげでジムに苦情が来たらしい。『さすがにおかしいだろ』って。結果、リーダーに『手加減しろ』って怒られてしばらくジムに来なくていいって言われた」
「嘘でしょ……」
今日は月が替わって10日目。つまり一日に二人は挑戦に来ているのに全て撃退されているという事である。
まあ確かにほのおタイプのジムで、ジムトレーナーもほのおタイプのポケモンばかりなのに、様々なタイプのポケモンを擁した実力派トレーナーがリーダー目前に立ちはだかれば当然か。誰もが意表を突かれ、成す術もなく敗れただろう光景が目に浮かぶ。
本来ジムとは挑戦するトレーナーとポケモンの実力を試す場である。なんならジムリーダーに勝てずとも、ジムリーダーが実力を認めてしまえばバッジを与えても構わないと言われているほどだ。
それなのにジムトレーナーが全ての挑戦者を阻み、リーダーに力を見てすらもらえないとなれば、確かに不満が溜まってもおかしくはない。
「まあ、だからこそ丁度いいんだ。初めて旅に出るアスナの傍にいれば、サポートする俺の腕も上がってジムトレーナーとしての心構えとかもわかると思うし」
「そういうものかな……?」
「そうだって。じゃ、荷物の準備とかもあるだろうし、出発は週末とするか。リーダーたちには俺から言っておくよ」
「私についてくるってのはもう決定事項なの!?」
「それじゃ、また明日持ち物とか改めて確認するから。今日はゆっくり寝ろよー」
「ちょっと、早い早い! なんで旅に出るって決めた私よりもそんな身軽なの!? ねえ、アスカ。ちょっとー!」
アスナのツッコミを右から左へと受け流し、あっさりと予定を決めたアスカは部屋を後にした。
幼馴染の姿が見えなくなって、アスナは大きく息を吐いた。
旅に出る、そう決めた後でアスカも一緒となるというハプニングに戸惑いを覚えると同時にどこか安心感を覚えている自分に気づく。
昔から一緒に過ごしているとはいえ、二人だけで遠くに旅立つという経験は一度もなかった。かつてアスカが旅に出た時もアスナは一人旅に向かう彼を見送っただけだったし、再会したころには彼もポケモンも見違える姿、強さになっていた。
自分もそうなりたいという願いと、そんな彼が共にいるという頼もしさが込み上がる。
男女二人旅という本来ならば抵抗感を覚えるはずの事も気にならない。むしろ期待とも言うべき感情を思い浮かべて彼が去った扉へと視線を向けて、
「あっ。動画を誰かに見せたりとかはしないから安心しろよ」
「さっさと消せっ!!!! 今すぐに!!!!」
再び開いた扉からひょこっと首を出すアスカに、アスナは手近の枕を引き寄せ、放り投げた。
枕は今度こそ完全に閉ざされた扉に衝突し、力なく地面に落ちていった。