頼みがあル。あなたにしかできない頼みダ。
第弐拾陸話
うるさく響く蝉の声。
ジリジリと照りつける日差し。
九月になったというのにまだまだ暑い。
「帰ってきたばっかりだけど……北海道に戻りたくなるね」
北海道から東京に帰ってくるなり、五条から突然の呼び出しを受けて私は高専に来ていた。
「お、来た来た」
立ち並ぶ寺社仏閣の張りぼての間を抜けて更に長い階段を上れば、そこには相変わらず無駄に綺麗な笑顔を浮かべる五条。
その後ろには東京校と京都校の生徒達、両校の学長。
──さてさて……わざわざ
そう思った次の瞬間、五条は後ろにいる生徒達にこちらを示すと──
「はーい、京都の皆さーん。こちらが呪術界の裏社会で恐れられる『最凶』の片割れこと『呪詛師殺し』さんですよー」
などとぶっこんでくれた。
慣れた様子で私に向けて軽く会釈する恵達。
だが、初対面の京都校の生徒達はそうはいかない。
目を見開く
「『呪詛師殺し』……!? どういうことだ……!?」
しかも、チラリと視線を動かした拍子に京都の学長と目が合ってしまった。
楽巌寺嘉伸──京都校の学長であり、呪術界の保守派筆頭。
要するに私に頭を押さえつけられている上層部の一人だ。
仇を見つけたとばかりに睨んでくる楽巌寺。
──まあ、そうなるよね。
目の上のたんこぶが二つも揃ったのだから。
そんな楽巌寺に五条はスタスタと近付いていく。
「楽巌寺学長ー! いやー、よかったよかった! びっくりして死んじゃったらどうしようかと思いましたよー」
「クソガキが……!」
ニヤニヤと笑う五条と対照的に楽巌寺の額には青筋が浮かんでいた。
改革派と保守派という対立する立場。
五条の性格の悪さも相まって二人の仲の悪さは有名なのだ。
──それにしても……。
ぐるりと周りを見渡してみる。
乙骨がいないのは惜しいが、代わりに『
──今年は殊更荒れそうだねぇ……。
◆ ◆ ◆
「チキチキ! 呪霊討伐猛レース!」
指定された区画内に放たれた二級呪霊を先に祓ったチームの勝利。
区画内には三級以下の呪霊も複数放たれており、日没までに決着がつかなかった場合、討伐数の多いチームに軍配が上がる。
それ以外のルール一切なし。
「もちろん妨害行為はありなわけだが、相手を殺したり再起不能のケガを負わせることのないように……!」
勝手なことをした五条をギリギリと締め上げながら夜蛾が説明を終えると、開始時刻の正午まで解散となった。
正午まではそれぞれで最後の詰めのミーティングを行うらしい。
恵達を見送ると私は夜蛾の関節技と説教から解放されて身体を擦っている五条を振り返る。
「で、何で呼んだの?」
「え? 鍛えるだけ鍛えておいて本番は見に来ないとかナシでしょ」
「……本音は?」
「度肝を抜かれた楽巌寺学長が見たかった」
やっぱりそんなところだったか。
そんなくだらないことに私を利用しないでほしいのだが。
「こっちは北海道から帰ってきたばっかりで疲れてるんだけど。不意突かれて背中から刺されたらどうしてくれるのかな?」
「ハハッ、冗談。それで死ぬなら今まで生きてないでしょ」
「私だって死ぬときは死ぬよ」
無下限呪術のような絶対的な防御はないし、反転術式が使えるといっても、それはあくまでも私に意識があることが前提だ。
即死してしまえばどうにもならない。
「まあ、それだけじゃないからさ。ゆっくり話そうよ」
そう言って案内された部屋は観戦用にセッティングされた教室だった。
正面にモニターが数台設置され、壁には呪符が何枚か貼り付けられている。
聞いた話では区画内に放たれた呪霊には呪符が貼られており、祓われるとそれと対になるこちら側の呪符が燃えるのだとか。
事前に記録された呪力により東京校が祓えば赤色。
京都校が祓えば青色に燃えるらしい。
天与呪縛によって呪力が極端に少ない真希がいるため、記録外の消滅も赤色とのこと。
「遅い」
そして、部屋の中央には一人の先客が。
先ほどまで楽巌寺の隣にいた巫女装束に身を包み、顔を横切る大きな傷痕が目を引く女性。
──庵歌姫準一級術師……京都校の引率だったか。
記憶している東京と京都の教員のリストと照らし合わせる。
五条が呼んだらしいが平気で待たせるあたり彼に先輩への敬意というものはないらしい。
へらへらと笑って歌姫の文句を受け流す五条の脇を抜け、私は彼女に一歩近付いた。
「はじめまして」
「……はじめまして」
歌姫の表情にはありありと警戒が浮かんでいる。
どうやら彼女は私を利用しようという派閥の人間ではないらしい。
ここで余計なことを言って更に警戒させる必要もないだろう。
挨拶を交わすと私はすぐに下がり、五条に案内されるまま教室に置かれた椅子に腰を下ろした。
あっさりとした私の態度に歌姫は少し驚いたようだったが、彼女もこれ以上は何もないと察したらしく、五条を挟んで反対側の席に着く。
「話って?」
「…………? 何でキレてんの?」
「別にキレてないけど」
「だよね。僕、何もしてないし」
じろり、と歌姫の視線が五条に向けられるが全く堪えていない。
何もしていない、などとよく言えたものだと思う。
私をここに連れてきた時点で十分何かしたと言えるだろうに。
わざわざ
すると五条は前を向いて一息吐くと、いつもの軽薄な笑みを消した。
「高専に呪詛師……あるいは呪霊と通じてるヤツがいる」
「なっ……!? ありえない! 呪詛師ならまだしも呪霊と?」
「そういうのが最近ゴロゴロ出てきてんだよねー。人語を解し、徒党を組み、計画的に動いてる。本人は呪詛師とだけ通じてるつもりかもしれないけど。聞いてるよね、僕が未登録の特級呪霊二体に襲われたって話」
「うん、少し前に七海君から連絡があったよ」
夜蛾との会食に向かっていた五条を一体の特級呪霊が襲撃した、と。
もちろん特級呪霊一体ごときに五条が負けるわけがない。
相手の特級呪霊は一方的に殴られ蹴られた挙げ句に領域展開まで使ったが、五条の領域展開に呆気なく押し負けて首をもがれたという。
しかし、そこへ更にもう一体の特級呪霊が現れて首を強奪。
追おうとした五条だったが気配を消すのが上手い相手だったらしく追跡は断念した──というのが事の顛末だ。
──相手が『五条悟』という個人の名前まで把握してたあたり
そして、この件の重要な点がもう一つ。
相手は人気のない場所で五条に攻撃を仕掛けてきたらしい。
しかし、五条が人気のない場所に行くのを相手が付け狙っていたのなら、彼がそれに気付かないとは考えにくい。
待ち伏せていたと考えるのが妥当。
なら、相手はその情報をどこで手に入れたのか。
五条が会食に行く日時、場所、そこへ向かうための道筋──そんな情報を知っているのは高専関係者だけだ。
だからこそ五条は内通者の存在を確信した。
「京都側の調査を歌姫に頼みたい」
「……もし私が内通者だったらどうすんの?」
「ないない。歌姫弱いし、そんな度胸もないでしょ」
その途端、歌姫が持っていた湯飲みが五条の顔面めがけて投げつけられる。
しかし、無限に阻まれて五条に届くことはない。
余裕の五条は、ヒスはモテないよ、などと言って更に煽る。
そんなやり取りを見ながら私は五条が彼女をここに呼んだ理由を何となく察していた。
──雑な扱いは信頼の裏返しか。
御三家の一つである五条家の人間。
四人しかいない特級術師の一人。
何百年ぶりに現れた六眼と無下限呪術の抱き合わせ。
更に私と繋がりを持つ数少ない人物。
そんな彼にここまで砕けたやり取りができるのだから大したものだと思う。
──もう少し見ていたいけど……そんなことしてる場合じゃないよね。
ツンツンと五条の肩をつつく。
「その内通者だけど……
「は……?」
「マジで?」
私の言葉に歌姫はポカンと口を開け、五条もこちらを振り返って驚きを露にする。
「本人から連絡があってね。私とはどうあっても敵対したくないんだってさ」
「呪詛師殺しに手を出すな……か。まったく……『呪詛師殺し』様様だね」
「それで? 内通者は誰なの?」
椅子から身を乗り出すようにして尋ねてくる歌姫だが、彼女にとっては辛い事実を告げることになる。
なぜなら内通者は──
「京都校二年生のメカ丸君だよ」
その瞬間、歌姫が目を見開いて立ち上がった。
顔からみるみる血の気が引いていき、唇は震えている。
なぜ。
どうして。
いや、そもそもその話は本当なのか。
嘘ではないのか。
ヨロヨロとした足取りで私のほうに近付こうとする彼女を五条が肩を掴んで止めた。
「彼女はこんな状況で嘘は吐かないよ」
「……動機は? 何でメカ丸はそんなこと……」
「情報を流す代わりに真人──例のツギハギ呪霊の術式で五体満足な身体にしてもらいたかったんだってさ。京都校の皆に会うために」
京都校二年生 メカ丸──本名は与幸吉。
彼は普段表に出てくることはなく、外部とのやり取りはメカ丸と名付けている人型呪骸を通して行っている。
──その理由が重度の天与呪縛……ね。
右腕と膝から下の肉体の欠損。
更に腰から下の感覚麻痺。
肌は月明かりでも焼かれるほど脆く、常に全身の毛穴から針を刺されたような痛みが走るらしい。
そのため本人は隔離された部屋で常に生命維持装置に繋がれているとのこと。
そして、代償として手に入れたのが日本全土を網羅する術式範囲と呪力出力。
ある意味、甚爾や真希とは真逆の天与呪縛である。
だが、メカ丸の能力も二人と同じく望んで得たものではない。
「呪術を差し出し、肉体が戻るのなら喜んでそうするさ」
私に接触してきたとき彼はそう言っていた。
──アイツだったら何て言うかな。
あの馬鹿げた感度の五感と人間離れした身体能力を手放して呪力と術式を得られるのなら。
──今考えても意味ないか。
ふと思い浮かんだ疑問を頭の隅に追いやって私は話を続ける。
今はそれより大事なことがあるのだ。
「傷口に塩塗り込むみたいで悪いんだけどさ。そのメカ丸君曰く、交流会の最中に敵方が高専に襲撃かけてくるらしいよ」
「ちょっとちょっと……さっきから次々爆弾放り込むのやめてくれない?」
さすがの五条も襲撃は想定していなかったらしい。
目隠し越しでもわかるほどのげんなりした視線を向けてきた。
じゃあ聞かない? と尋ねれば、聞くけどさ、と言って五条は椅子に座り直す。
歌姫も未だ動揺は収まらない様子だったが五条に促されて席に戻った。
「目的、手段、戦力は不明。ただし、特級が一体はいると考えていい。それから本人曰く、京都校の人間に手を出さないように『縛り』を結んだって言ってたけど、バカ正直にそんなものを守るとは思えない。敵が徒党を組んでるなら確実に『縛り』を結んでない別の相手が襲撃してくる」
裏ではよくある手口だ。
そもそも『縛り』は自分が自分に課すもの。
他者との『縛り』は反古にした場合のリスクが高い上に、こうやって裏をかかれることが多い。
「他に気付いたことは?」
「坊っちゃんが高専にいることは相手も把握してる。それなのに襲撃してくるってことは何か対策がしてあると思うよ」
「はぁー……マジか」
五条がため息を吐いて天を仰ぐ。
この件に絡んでいるのが普通の呪詛師でないことは確かだ。
知略に長け狡猾。
緻密であり大胆。
ここに五条がいることを知った上で襲撃しようなど、普通なら余程の身の程知らずとしか思えない。
だが、敵は特級呪霊と手を組むというありえないことまでやってのけている。
──坊っちゃんの賞金目当てでこんなことするとは思えない。もっと大きな目的があるはずなんだけどね。
そもそも何のための襲撃なのか。
敵は一度、五条への襲撃をしくじっている。
特級呪霊一体では一方的に弄ばれ、途中で現れた二体目は逃走に徹した。
勝てないことはわかっているはずだ。
──生徒を人質にすればあるいは……と考えたのか。いや、それじゃあまりにも浅はかだね。
相手はそんな手を使うほど甘くはない。
その程度の相手に特級呪霊を纏め上げる手腕があるとは思えない。
それに、なぜこのタイミングで襲撃するのかという疑問も残る。
主犯は誰だ。
動機は何だ。
色々な情報が欠けているため、今の時点では判断がつかない。
「とにかく……すぐにメカ丸の捕縛を……」
「歌姫が生徒想いなのは知ってるけど、それはやめたほうがいい」
「何でよ? わざわざ泳がせておく理由なんて──」
「裏ほどじゃないけど仮にも呪術界なんて薄暗い場所で生きてるなら、もう少し危機感は持ったほうがいいね」
泳がせておくのではない。
泳がせておくしかないのだ。
「私は内通者が一人だけとは言ってないよ」
「……内通者が複数人いるってこと?」
「その可能性を考えろって話。敵方も簡単に情報洩らすほどバカじゃないらしくてね。他に内通者がいるかもしれない状況で下手に動くと、そのことも敵方に伝わる。今は相手の策に乗った上で迎撃──ってのがベストだろうね」
「だよねぇ。今は少しでも情報欲しいし」
「ちょっと五条! アンタまで──」
敵がどう襲撃してくるかわからない。
五条が対策されている可能性も高い。
それなら生徒や
しかし、五条は笑っていつも通りに言った。
「大丈夫。僕達『最強』だから。知ってるでしょ?」
「それは……」
歌姫も五条の強さは嫌というほど知っているのだろう。
優しく生徒に接するだけの人物ではないことも。
特級が最低一体いる──本来なら全体で情報を共有するべき事態。
それを隠して敵の思い通りに襲撃させるなど狂気の沙汰だ。
死人が出てもおかしくない。
そうなった場合の責任が彼に負えるのか。
──いや、最初から負けることを考える性格でもないか。
五条悟襲撃に続いて高専襲撃という非常事態。
並の神経ではパニックになるのがオチだ。
「そっちの見立ては?」
「そうだねぇ……」
こちらの情報がある程度洩れている。
敵の戦力は不明だが最低でも特級が一体。
五条は恐らく対策済み。
倒すことはできなくても足止めの手段が用意されているはず。
普通なら絶望的だ。
しかし──
「凌げなくはないかな」
絶望的な状況──そんなもの私にとっては日常である。
第一、敵対するなら潰すのが『呪詛師殺し』だ。
いつもとは少々勝手が違うが、やることは変わらない。
「恵は特級と相対したところでそう簡単にやられることはない。そっちの東堂君も見た感じ特級とやり合える実力はある。それに東京校のメンバーは一年生が多いけど私達が鍛えてるからね。逃げることくらいはできるよ」
団体戦のルールからして恐らく生徒達は
問題は交流会とは関係ない術師や補助監督である。
五条達以外の高専に所属する術師達で特級とやり合った者はほとんどいないだろう。
そもそも一級呪霊でさえ稀なくらいなのだから。
いきなり特級と会敵すれば逃げるか死ぬかしか選択肢はない。
身を守る術のない補助監督ならまず死ぬ。
こういうとき手数の多い夏油がいてくれたなら楽だったのだが。
「そう言えば『最強』の片割れは?」
「出張中。『最強』の分断も計画のうちだと思う?」
「かもね。坊っちゃんは手数となると不利だから。『蒼』と『赫』の乱発って手もあるけど、周りの被害が大きすぎるよ」
現代呪術師最強と謳われる五条の弱点。
それは『何かを守ることに向いていない』という点だろう。
無下限呪術は強力ゆえに周りを巻き込んでしまう。
特に呪力同士を掛け合わせる『赫』の出力は『蒼』の二倍。
周りが全て敵なら問題ないが、護衛対象や非術師、味方の術師が周りにいる状況では出力を下げたところで撃つのはリスクが高い。
そういう弱点を夏油の呪霊操術ならカバーできるのだが、このタイミングで出張中ときた。
もしも夏油の出張が敵の策略に含まれているなら、任務の配置を指示している上層部にも裏切り者がいるということ。
──根は深そうだねぇ。