どんな状況でも真っ直ぐ立ち続けられる。
戦うときにも、逃げるときにも役に立つ。
「動き鈍ってんぞ、クソ魔女!」
「なら、さっさと捕まえてみろよ、一年!」
箒に乗って飛ぶ西宮を追っていたのは釘崎。
二人の戦いは存外長引いていた。
というのも様々な要素が重なったせいで互いに攻めきれていないのである。
まず釘崎の芻霊呪法──対象から欠損した一部を使う必要があるのだが、交流会のルール上、相手の腕や足を千切るわけにはいかない。
そのせいで、ひたすら金槌で釘を飛ばすだけの単調な戦い方しかできないのだ。
高速移動が持ち味の西宮ならば直線的な軌道で飛ぶ釘を避けるなど容易いこと。
その点で既に釘崎は西宮に遅れをとっている。
では、優位なはずの西宮がなぜ攻めきれていないのか。
──あの
西宮は苦々しい顔で自分の腕に目を落とした。
触手が掠った左腕がズキズキと痛んで集中を乱す。
あんな巨大な式神が近付いてきたなら普通は気付く。
順平は西宮に近付かせるときは限界まで小さくしてから上空で一気に巨大化させたのだ。
──素人のクセに……!
呪術に触れてたった数日、高専に入ったのは昨日。
そんな相手に一撃食らわされたという事実が西宮を苛つかせる。
順平の術式自体は飛び抜けて強力というほどのものではない。
ランクとしては並のもの。
だが、普通の術師が時間をかけて得る感覚を順平は既にモノにしていた。
先日の真人による術式の開花と調整が素人でしかない順平を短期間で戦える術師のレベルまで押し上げていたのだ。
そして、順平の毒に加えて西宮の集中を削ぐ要素がもう一つ。
狗巻の呪言である。
──呪言は強力だけど対呪霊に特化した術式……呪力で耳から脳を守れば防げるって言われたけど……。
脳の内側を守るなんてことは通常の戦闘ではまず行わない。
守ることはできても守り続けるとなれば存外難しい。
森の中となれば姿も発見しにくく、いつ狗巻が来るかわからないために延々と気を散らされる。
──それに要注意なのはこの子も……。
西宮が箒を大きく振ると巻き起こる呪力の風。
人一人浮いてしまうほどの暴風に加えて、それに混じった砂利や枝が散弾のように釘崎の顔や体に直撃する。
「チッ……!」
それが目眩ましになっている間に西宮は飛び上がると、箒だけを加速させ釘崎の背後へ。
そして、釘崎が箒の気配に気付いて振り返った瞬間に箒が顔面めがけて突進する。
「うっ……!」
背後から高速で迫る箒を受けてしまった釘崎。
しかし──
──派手に吹っ飛ばされてるように見えるけど、攻撃が当たった瞬間、同じ方向に飛んで威力を流してる。それに受け身も慣れた動き。一年生のレベルじゃない。
顔面に攻撃を受けたのにふらつく様子もなく、受け身をとった流れのまま、すぐさま立ち上がっている。
何なのだ、今年の東京校は。
去年までと明らかに雰囲気が違う。
乙骨がいないことを考えてもだ。
──多分、原因はあの人だよね……。
『呪詛師殺し』。
『最凶』の片割れである殺し屋。
敵対した者を容赦なく一切合切葬る裏世界の化物。
そんな彼女が鍛えたなら今年の東京校が異様な強さになっているのも当然か。
半端な攻撃では意味がない。
しかし、下手に出力を上げれば殺しかねない。
「遠くからチマチマと……手が痛むから殴れませんってか? お上品ぶってんじゃねーよ」
「うわ……可愛くない……」
「生憎、アンタに振り撒く愛想なんて持ってないわよ」
「先輩には尻尾振っておいたほうが得だと思うけど。じゃないと呪術界で生きていけないよ」
「あ?」
「呪術師が実力主義だと思ってない?」
「実際そうだろ」
「それは男だけ。女はね、実力があっても可愛くなければなめられる。当然、可愛くても実力がなければなめられる。わかる? 女の呪術師が求められてるのは『実力』じゃないの──『完璧』なの」
女のクセに生意気だ──なんて散々聞かされてきた。
汗だくで鍛練していれば、女らしく化粧でもしていろ、と詰られる。
せっかく磨いた肌に傷がつかないように安全に徹して立ち回れば、これだから女は、とバカにされる。
呪術界に蔓延る凝り固まった女への偏見。
──実力だけじゃ足りない。
それを突き崩すためには『完璧』でなければならない。
そのために必要なものは二つ。
文句を言わせない、あるいはねじ伏せるだけの実力。
隙を見せない立ち振舞い。
そうでなければ男に並び立つことは許されないのだと。
だが、西宮の持論に釘崎は、ふん、と軽く鼻を鳴らしただけだった。
「『完璧』が
そんなものに応える義務がどこにある、と釘崎は呟いた。
釘崎だって着飾って遊びにいくこともあるし、毎日のスキンケアも欠かしていない。
しかし、それを義務だと思ったことはないし、なめられないためにとも思っていない。
ただ自分のために──それだけだ。
呪術師は常に死と隣り合わせの仕事。
複数人で任務に行ったとしても周りが全滅することだってある。
呪霊を前に立っているのが自分だけ──そんなときに他人から求められてきた『完璧』が何の役に立つ。
『可愛さ』なんてものを評価してくれる者はその場にいないのに。
結局、最後に頼りになるのは自分の実力だ。
「だから私にも勝てないのよ」
「っ……!」
西宮は悔しげに顔をしかめながら、それでも言葉を絞り出した。
「どうせ知らないでしょ。女の呪術師がどんな扱いを受けてるかなんて」
「アンタ、ひょっとして禪院家のこと言いたいわけ?」
釘崎の言葉にピクリと西宮が反応する。
どうやら図星らしい。
「知らないほうがおかしいでしょ。こっちには禪院の血筋が三人もいるんだから。そっちにもいたわよね、真希さんの妹。真希さんもロクでもない家って言ってたし、妹のほうも同じこと言ってるのは想像つくわよ」
「そうよ……禪院家では完璧なんて当たり前。相伝の術式を継いでいなければその時点で落伍者。その中でも女はスタートラインにすら立たせてもらえないこともあるの。私達が当然のように享受してる幸せを手に入れるのに真依ちゃん達がどれだけの理不尽と戦ってると──」
「あー、はいはい。テメェがメンドくせぇのはわかったよ!」
西宮の言葉を遮るように釘が放たれる。
「スタートラインにすら
「何ですって?」
「せっかくクソみたいな家のレールから外れられたんだろ。なら、わざわざクズどもと同じ土俵に立ってやる必要がどこにある。何で禪院家にこだわる。私なら自分を曲げてまでそんなところにいたいとは思わないわよ」
禪院家に非ずんば呪術師に非ず。
呪術師に非ずんば人に非ず。
絶対的な呪術師至上主義。
だが、それはあくまでも
世の中全てに適応されるルールではない。
甚爾や真希があの家から出てきたように、出ようと思えば出られるはずなのだ。
なぜ禪院家に縋り付く。
なぜ掃き溜めの中で足を止めている。
「私はアイツみたいに俯いてウジウジしてるヤツが大嫌いなんだよ。真希さんはいつだって背筋伸ばして胸を張ってる。術式がなくても、呪力がなくても、昇級を邪魔されても、ちゃんと自分の足で真っ直ぐ立ってる」
それに比べてテメェらはどうだ? と釘崎は西宮を睨み付けた。
「家が何だ、かわいくなければ何だと……寄り集まってキズの舐め合いしてんじゃないわよ気色悪い。不幸自慢が趣味かテメェらは」
「言わせておけば……! アンタは簡単にリタイアなんかさせない。泣いて謝るまで可愛く叩き直してあげる」
「叩き直してやるのはこっちだっつーの。簡単に自分を曲げる甘ちゃんが」
そう言って釘崎は手を掲げる。
芻霊呪法──
「『簪』!」
辺り一帯の木に打ち込まれた釘に一気に釘崎の呪力が流し込まれる。
するとどうなるか。
一斉に木が半ばからへし折れたのだ。
──当たらない釘を飛ばし続けたのはこのため!?
上から次々と落ちてくる木を避けるために西宮は高度を下げるしかない。
「ふっ!」
待ってましたとばかりに釘崎は木に打ち込んだ釘を足場にして跳躍。
伸ばした手が西宮の箒に届く。
「高度を落としたってそれじゃ届かないでしょ!」
だが、箒に手が届いたから何だというのか。
西宮はすぐさま釘崎を蹴り落とす。
「いーや、届いたわよ!」
──これで十分!
将を射んと欲すればまず馬を射よ。
釘崎の狙いは最初から西宮ではない。
その手にある藁人形に差し込まれていたのは今の一瞬で手に入れた西宮の箒の枝。
──テメェも相当面倒な経験してきたんだろ。だから『完璧』にこだわる。だけど、私は見たんだ。一挙手一投足のミスが死に直結する『完璧』なんて生ぬるい世界で生きてきた人間を。
◆ ◆ ◆
一ヶ月前──
「んー……釘崎ちゃんの課題は戦闘経験の少なさと集中力……他にも色々あるけど、とりあえずその二つかな」
「あ? 私が集中してないって言いたいの?」
「いやいや、集中してないわけじゃない。問題は集中の密度と視野の狭さ。目の前の相手にはよく集中してる。でも、集中しすぎて周りが全く見えてない。向こうは多分
「それは……そうね……」
「正面への集中の密度を保ったまま視野を広げるイメージで──」
『呪詛師殺し』が話しているのを聞きながら、釘崎は思わず感心していた。
一人ひとりの立ち回り方やクセをよく見ている。
アドバイスも適切。
五条の授業より遥かにわかりやすい。
素性を知らないまま教員だと紹介されていれば普通に信じていただろう。
──何かもっと無表情で「寄らば斬る」みたいなオーラ放ってるのかと思ってたけど……。
『呪詛師殺し』といえば何よりもその容赦のなさ。
敵対したことごとくを殲滅し、撃滅し、総滅する。
そんな人物が普通に特訓に付き合っていることが信じられない。
──まあ、伏黒も「見境なく暴れまわったりしない」って言ってたし、実力とか呪詛師を殺しまくってること以外は割りと普通なのかしらね。
しかし、それはとんでもない勘違いだったと釘崎は思い知ることになる。
そのきっかけはある日のこと。
特訓の合間にスポーツドリンクのペットボトルを片手に何気ない話をしていたときだった。
「何で特訓の依頼を受けたのかって?」
ふと思い浮んだ疑問。
五条からの依頼なのだろうが、それにしても懇切丁寧に教えてくれている。
この一ヶ月で以前とは比べ物にならないほどに力が付いた。
そこで思ったのだ。
なぜここまでしてくれるのだろうか、と。
もちろん五条が少ないとは言えない謝礼を払っているだろうが、彼女は金で簡単に動く人間ではなかったはずだ。
釘崎の問いに「ふむ」と彼女は一つ頷いて──
「色々理由はあるけど、一番は
「……へ?」
あまりに自然な表情で放たれた言葉に釘崎は思わず間抜けな声を洩らした。
「そもそも私って呪術規定違反スレスレの立場だし。何か一つきっかけがあれば処刑対象にされるんだよね」
「い……いやいや、あの『呪詛師殺し』と敵対なんてするわけないでしょ。今だってこうやって鍛えてくれて──」
「
そんなものはどうでもいい。
「
立ち向かうのか。
逃げるのか。
それとも呑気に和平の道を探るのか。
「君達がいくら「敵対しない」って言ったところで意味はないんだ。そうだね……例えば人質なんかが手っ取り早い。私を殺さなきゃ他の生徒達の命は保証しない、みたいな」
「それは……」
釘崎は言い淀んだ。
もしも真希達が人質に取られたら。
上層部に逆らうだけの力は釘崎にはない。
『呪詛師殺し』一人の命で複数人の命が助かるなら──と考えてしまうかもしれない。
「まあ、今の実力じゃ挑んできたところで返り討ちにするだけなんだけど。後は単純に金とか家からの命令とかね」
「なら──」
「敵対する相手を成長させてどうするんだって?」
普通ならありえないと考えるだろう。
しかし、まるでメリットがないわけではない。
「この特訓の中で君達は自分の手札をほとんど晒してる。術式、体力、思考、練度、武器、呪力量、そして成長の方向性まで。いざ敵対したときに初見殺しの技がないっていうのは私にとって大きなアドバンテージになる。そして、成長
ゾッと釘崎の背に寒気が走る。
一人ひとりの立ち回り方やクセをよく見ている──それどころではなかった。
割りと普通──なんて思ったのも大間違い。
裏で凶悪巧者な呪詛師と戦ってきた彼女が普通であるはずがない。
「ひょっとして……私がただの善意や親切心で坊っちゃんに協力してるとでも思った?」
楽天家だねぇ、と彼女は笑った。
「油断しちゃダメだよ、釘崎ちゃん。今だって君は私の──殺し屋の間合いにいるんだから」
「──っ!」
釘崎が持っていたペットボトルが手から滑り落ちる。
咄嗟に後ろに下がろうとするが、『呪詛師殺し』が釘崎の手を掴んで引き寄せるほうが早かった。
「死にたくないなら気を抜くな」
◆ ◆ ◆
耳元で囁かれた言葉は釘崎の心に重く響いた。
彼女にとっては禪院家で求められる『完璧』すら優しく思えるだろう。
蔑まれたり殴られるのとはレベルが違う。
裏の世界では、ほんの些細なミスが文字通りの命取り。
ミスをせずとも、そこにいたというだけで巻き込まれて死ぬこともある。
そんな理不尽を踏み潰し、不条理を叩き潰し、ありとあらゆる障害を粉砕した上に立っているのが彼女なのだ。
だからこそ彼女の警戒は常に気を張り巡らせているというレベルを遥かに超えている。
恵と組み手をしていたときも。
釘崎に武器の使い方を教えているときも。
真希やパンダ、棘と休憩の合間に談笑しているときでさえ。
自然に振る舞っているように見えて、そこに一切の緩みはなかった。
たとえ談笑中に後ろから攻撃されても彼女は当然のように対処しただろう。
絶望的な窮地を容易く乗り越える隙のない強さ。
その強さに驚き、震え、惹かれると同時に、釘崎の心の中に湧き上がってきたのはどうしようもない嫌悪感だった。
──化物だとしか思えなかった。
『呪詛師殺し』のある種の完成された強さは圧倒的な孤独だ。
自分以外に信じているものがない。
守るものがないゆえの身軽さ。
愛情や友情、信頼、信用などを切り捨てたからこそ得た強さ。
だが、その果てには恐らく何も残っていない。
──あれが『完璧』も『理不尽』も乗り越えた先の成れの果てって言うなら私はゴメンだ。そんなのは私じゃない。
釘崎は自分が自分であるために命を懸けられる人間だ。
だから──
「──男も女も知ったこっちゃねーんだよ。テメェらだけで勝手にやってろ」
釘崎は思い切り金槌を振りかぶった。
「私は綺麗にオシャレしてる私が大好きだ。強くあろうとする私が大好きだ」
──私は私のやりたいようにやる。
そこがどこでも。
誰に何を言われようと。
昔も今も。
「私は──『釘崎野薔薇』なんだよ!」
釘が藁人形に打ち込まれると同時に西宮の箒はコントロールを失って落下する。
──箒が……!?
西宮の最大の武器である機動力は死んだ。
これで一気に状況は五分。
否、まだ攻撃手段を残している釘崎のほうが優位に立っていた。
──でも、私がトンカチで殴れば下手すりゃ殺しちゃう。
そのため最初はピコピコハンマーあたりで気絶するまでぶん殴ってトドメを刺そうと思っていたのだが。
「いや、それはさすがに手ェ抜き過ぎっしょ。せめて普通に殴る蹴るくらいしないと。気絶するまでに何発必要なの? って話じゃん」
という菜々子のもっともな意見により却下。
──普通に考えればそうよね。何? あのときの私、酔ってたわけ?
地面に落ちた西宮に向かって釘崎は一気に距離を詰める。
──散々遠くから甚振ってくれやがって……この一撃で決めてやる。
釘崎は右足で飛び上がると尻餅を着いた西宮の右膝に左足で着地。
更に、その勢いを止めることなく釘崎の右膝が西宮の側頭部めがけて迫る。
それは、とあるプロレスラーが編み出した変則膝蹴り。
その名を──
「シャ──」
──
こめかみを抉るように蹴り出された釘崎の右膝が西宮の脳を揺らす。
京都校のメンバーも身体を多少は鍛えているが、東京校のメンバーほどは鍛えていない。
加えて順平の毒で左手が使えないために防御もできない。
まともに釘崎の右膝をくらった西宮は一撃で意識を飛ばしてしまった。
──フッ……決まった……!
これが釘崎野薔薇だと見せつける鮮やかな勝利。
この一ヶ月のしごきは無駄ではなかった。
西宮に反撃の気配がないことを確認して釘崎は立ち上がる。
「パンダ先輩大丈夫かな……」
──死にたくないなら気を抜くな──
「────!」
西宮を倒して気が緩みかけた釘崎の目の端に一瞬映ったマズルフラッシュ。
咄嗟に金槌を盾にした瞬間、飛来したゴム弾によって柄が中ほどからへし折れた。
「っ……!」
──ムキになって語ってると思ったら……聞いてたってわけね。
──あんまり釘崎を脅かさないでくださいよ。何か吹き込んだでしょ。
──嘘は言ってないよ? 夜蛾学長の言葉だけどね、窮地にこそ人間の本音は出るらしいんだ。なら、私の言葉は全部本音ってことにはならないかな?
──言葉にせず腹の中に隠し持ってる本音もあるんじゃないですか。
──真っ黒過ぎて出せないだけだよ。
──本音が出る、とは言っても嘘を吐かないこととイコールじゃないでしょ。
──まったく……嫌になるほど鋭くなったねぇ……。