しかし、ときにそれ以上の番狂わせを引き起こすものを知っているかい?
ビギナーズラックだよ。
「何があった?」
「ツナマヨ」
「呪霊を狩ってる最中にいきなり現れたぁ?」
棘、美々子と合流した真希と加茂は揃って建物の中を走っていた。
背後からは両目から木を生やした人型呪霊が木の根とともに追ってきている。
──少し前に悟を襲ったヤツだよな……?
東京校の生徒達にも激震を走らせた五条悟襲撃の一件。
顔の紋様、両目の枝、白い布で覆われた左腕──特徴は一致している。
それにビリビリと感じる濃密な呪力の気配。
間違いなく特級だ。
「なら、この帳はあの呪霊と組んでる呪詛師のか」
「しゃけ」
「ちょっ……と待て。真希、君は彼の言っていることがわかるのか……?」
「あ? 普通わかるだろ」
質問した加茂のほうが、何でオマエはわからねぇんだよ? という視線を向けられる。
──私がおかしいのか……? いや、そんなはずは……。
しかし、これでうっすらとだが状況はわかった。
前代未聞の特級呪霊による高専襲撃。
しかも、それに呪詛師まで絡んできている。
「で、わざわざ襲撃してきた目的が環境破壊する人間が気に入らねぇって……なら環境サミットあたりに突撃しろよ」
私はただこの星を守りたいだけだ──あの特級呪霊はそう言った。
森も海も空も──
人間のいない時間を。
「環境問題について議論したいなら政治家か研究者に言えっての」
逃げる四人の背を追いながら特級呪霊──花御は襲撃の流れを思い返す。
──なるべく派手に暴れて真人が動く時間を稼げとのことでしたが。五条悟が帳を破るまでの数十分の間に宿儺の指と数個の呪物を奪取。帳が破られたなら即座に撤退。
花御は基本的に本能のまま動く呪霊の中で少しばかり変わった存在だった。
低級呪霊の多くは本能のままに人間を殺す。
殺人衝動、殺戮欲求、殺害意識。
ただそう生まれたから──理由としてはそんなものだ。
しかし、特級の一部は形を得るまでの千年の間に人語を解し、会話まで成り立つほどの知能を備えていた。
理性的に物事を捉え、自分なりの思想を持つほどに。
花御とて何の考えもなく人間を皆殺しにしようとしているのではない。
全ての人間が地球の害になっているわけではないことももちろん知っている。
だが、人が地球を癒すよりも、人が地球を傷付けるスピードのほうが遥かに速い。
だからこそ最早人間との共存は不可能だと判断を下し、縫い目の彼に協力した。
──死して賢者となりなさい。
花御の前に数個の木の毬が出現。
そこから飛び出した鋭い枝が四人を貫かんと迫る。
「『止まれ』!」
「百斂──」
だが、四人もただ逃げるばかりではない。
棘が花御諸とも枝を止めた隙に加茂が攻撃準備を整える。
「──穿血!」
「がっ……!」
両手の間で圧縮された血液が高速で放出され、花御の表面に僅かではあるが傷を付けた。
溜めが必要な穿血であるが、その分だけ威力と速度は他の技と比べても高い。
「やるじゃねぇか」
「急げ! どうせすぐ治してくる!」
──早めに東堂か伏黒……最低でも三輪と合流したいところだが……。
棘の呪言で止めて加茂と真希で削りながら帳の外を目指す。
しかし、いつこの均衡が崩れるかはわからない。
特に相手が呪言の対処法に気付いてしまえば終わりだ。
そこで電話をしながら走っていた美々子が振り返った。
どうやら連絡がとれたらしい。
「情報追加。この帳、五条先生だけ弾くんだって。それから、こっちに楽巌寺学長、歌姫先生が向かってる。西宮先輩、三輪先輩、メカ丸先輩、禪院先輩、菜々子、野薔薇はリタイアしたから本部にいる」
「ってことはここにいるヤツら以外で残ってるのは恵と東堂とパンダと順平か。恵と東堂は当然だし、パンダもわかるが……順平が残ってんのかよ。素人だろアイツ」
「術式自覚してすぐに菜々子とタイマンやるくらいには度胸あるから」
「そりゃ鍛え甲斐がありそうだ」
交流会が終わったらたっぷり扱いてやらねぇとな、と真希は意地の悪い顔で笑ってみせる。
「それからもう一つ。あの人が動いたって」
「マジか」
「でも、五条先生達と一緒には動いてないみたい」
「あの人の考えは私ら程度じゃ読めやしねぇよ。でもまあ、悪いことにはならねぇだろ」
──しかし、それならこっちのことは私らで何とかしなくちゃならねぇってことか。
四人は最上階まで登りきり、屋根の上に出たところで花御を振り返った。
もうかなり距離を詰められている。
このあたりでもう一度止めておくべきか。
「『止ま──」
しかし、棘が言葉を発そうとした直後に混じるくぐもった音。
違和感を感じた三人が振り返ると、踞った棘がボタボタと口から血を吐いていた。
──先に限界がきたのはこっちか!
呪言は発声した現象を増幅して相手に強制させる強力な術式ではあるが、いくつかの弱点も存在する。
そのうちの一つが実力差と強制力に比例した反動。
相手が格上であるほど効きにくく、強い言霊を使っていない場合でも術者に大きな負担がかかる。
──たった数回の呪言で棘がここまで……。
頼みの綱である棘が倒れたことで全員に動揺が走るが、その隙は致命的だ。
全員が棘に目を向けてしまった一瞬で花御は加茂に向かって肉薄していた。
「っ!」
美々子が咄嗟に花御の首に縄をかけて止めようとする。
しかし、術式を発動させるより早く花御の枝が伸びてぬいぐるみに繋がっている縄を断ち切った。
「嘘……!?」
なぜ術式のタネがバレている。
美々子の術式はこれまで見せていないというのに。
──その術式は真人から聞いていましたからね。
これで棘も美々子も戦闘不能。
真希も加茂に手を伸ばすが、棘が倒れた動揺が尾を引いているのか反応が僅かに遅れた。
──間に合わねぇ……!
ここで加茂を失うのは痛過ぎる。
特級の一撃だ。
ただの拳による一発だけでもまともにくらえば致命傷。
何かないのか。
誰か動けるヤツはいないのか。
誰でもいい。
この状況を何とかできるなら。
「──澱月!」
真希の心の声を聞き届けたように、花御の拳が届く寸前──ゼリー状の何かが加茂の前に現れた。
「え……?」
ダム、という鈍い音。
覚悟していた衝撃は訪れない。
加茂が思わず閉じた目を開くと、そこにいたのは花御の拳を受け止める巨大なクラゲだった。
「間に合った……」
花御の後ろにある屋根から順平が顔を出す。
菜々子を本部に送り届けて戻ってきてみればこれだ。
何とか間に合ったことに安堵しながら順平は花御に目を向けた。
──何だあれ……木……?
順平の脳裏に以前真人と交わした会話が過る。
あれは確か呪霊がどうやって発生するのか教えてもらっていたときのことだ。
「大地を、森を、海を、人々は恐れ続けてきた。それらに向けられた呪力は大きすぎるがゆえに形を得る前に知恵をつけ、今まで息を潜めていたんだ。みんな誇らしいオレの仲間さ」
──もしかして真人さんの……。
「おいおい……順平。オマエ、新人のクセにどれだけいいところ持っていく気だ? ええ?」
新人とは思えないファインプレーに真希が頬を引きつらせる。
これだからビギナーズラックというヤツは恐ろしい。
毒によって西宮の動きを鈍らせたこと。
三輪の背後から忍び寄って隙を作らせたこと。
菜々子へのドーピングと真依への不意討ち。
更に咄嗟の判断で澱月を滑り込ませて加茂を助けた。
モニターを見ていた冥冥が、彼は本当に今まで呪術に触れたことがなかったのか? と考えてしまうほどの活躍ぶりである。
「新手……ですか。おや……アナタは確か真人が興味を持っていた人間ですね」
「────!」
真人の名前が出た途端に「やっぱり……!」と順平の顔が強張った。
それを見て真希も察する。
──真人ってのは順平を唆してた特級だったな。
どうやら呪霊同士で徒党を組んでいるのは間違いない。
しかも、こちらの情報がある程度把握されている。
──だったら……まだ知られてねぇ情報だったらどうだ。
真希は刀身に巻かれていた布を剥ぎ取った。
すると、禍々しい意匠の刀身が現れる。
組屋鞣造の傑作──呪具『竜骨』。
──新人が頑張ってんのに私達が何もできねぇなんてのはダセェよなぁ。
「ハァッ!」
真希は持ち前の瞬発力を生かして一瞬で花御との距離を詰めると花御の首めがけて一閃する。
だが、花御は仮にも特級呪霊。
竜骨と首の間に腕を入れて平然と受け止めてみせた。
「悪くない……ですが──」
「まだ終わりじゃねぇよ!」
天逆鉾の『発動中の術式の強制解除』のように呪具の中には独自の能力が付与されたものがある。
竜骨の能力──それは『刃で受けた衝撃と呪力を蓄積し、峰から放出する』というもの。
──距離をとるなら……
「────!」
峰から一気に衝撃と呪力が放出される。
さっきの加茂との戦い──それに加えて特訓中に貯め込んだ分だ。
いかに特級呪霊と言えど片手で堪えるには無理があったらしい。
屋根から落とされた花御は盛大に落ち葉と土塊を巻き上げて森の中に吹っ飛んでいった。
「やったか!?」
「いや、吹っ飛ばすのが精一杯だった。腕も落ちてねぇ」
そう言うと真希は屋根の上から飛び降りる。
「憲紀! 棘は任せた! 順平は美々子の側から離れるな!」
「君はどうする? まさかとは思うが……」
「決まってんだろ。特級を潰せば、さすがに家の連中も私を無視できなくなる。こんなチャンス逃してたまるか」
一人では無茶だ──加茂がそう言う前に真希の姿は森に消えていた。
「相手は特級だぞ……いくら何でも……」
「大丈夫」
美々子は再びスマホを取り出すと相手に素早く真希と花御の位置を伝える。
「私達の仕事は済んだ。選手交代だよ」
電波が断たれなかったのは本当に僥倖だった。
美々子が見せてきた画面に表示されていたのは恵の名前。
恐らく東堂も一緒にいるだろう。
あの二人なら特級相手だろうと遅れをとることはないはずだ。
ひとまず安心か、と加茂は息を吐く。
──頼んだぞ東堂……強いだけがオマエの取り柄だろう。