「鳴ってますよ?」
「……知ってる」
十二月二十五日のクリスマス。
朝っぱらからしつこくチャイムを鳴らすバカがいた。
だが、私は炬燵に入ったまま取り合わない。
なぜこの暖かい炬燵から出て、わざわざ寒い玄関まで行かなければならないのだ。
「どうせ帰りませんよ、あの人。不審者がいるって通報される前に出たほうがいいんじゃないですか?」
「甚爾がいてくれたらよかったんだけどなぁ……」
五条と夏油避けにはぴったりなのだが、朝からパチンコに行って不在である。
しばらく待ってみたものの、チャイムは一向に途切れることなく一定のリズムで鳴り続けていた。
これではおちおち眠れもしない。
「うぅー……」と一つ唸って私はもぞもぞと炬燵から這い出した。
「あ、やっと出てきた」
ドアを開けるとそこにいたのはやはり五条。
事前にアポを取るという発想がこの男にはないのだろうか。
「ちょっと頼みがあってね」
「何が悲しくてクリスマスを白髪包帯目隠し長身黒ずくめの不審者と過ごさなきゃいけないわけ?」
「僕とクリスマス過ごせるなんて激レアだよ? 普通の女の子なら泣いて喚いて喜んで万歳三唱するレベルだよ?」
「面倒事をプレゼントしてくるサンタはお断りって言ってるんだけど」
「そう言わずにさぁ」
電話やメールではなく、こうして直に五条が来るあたり面倒事の中でも相当なものだろう。
しかも、この男はこういう場合は絶対に退かない。
うざったいにもほどがあるくらいに纏わり付いてくるのだ。
「はぁ……さっさと入りなよ。近所の人に見られる前に」
「お邪魔しまーす。恵ー、久しぶりだねー」
「……どうも」
部屋に入った五条は炬燵に直行して断りもなく机の上のミカンに手を伸ばしている。
だが、今更何を言ったところで五条が態度を改めるわけもない。
「恵。ちょっとコーヒー淹れてくれる?」
「はい」
恵にコーヒーを頼んで炬燵に戻る。
不本意だが家に入れてしまった以上、話を聞くしかない。
寝起きの頭を仕事の思考に切り替える。
「今回は何?」
「憂太のこと」
「憂太……ああ、例の特級。交流会では圧勝だったんだって?」
毎年秋に開かれる京都校との交流会。
関わるつもりはなかったから見ていないが、聞いた話では乙骨が一年生ながら数合わせで出たらしい。
そして、あの東堂すら圧倒して東京校が勝利したとか。
「その彼が何?」
「起爆剤がほしいんだよね」
「呪いを解くための?」
「そう。ポテンシャルはある。でも、それを発揮させるためのトリガーがない」
呪術師の成長曲線は緩やかではない。
突然のブレイクスルーによって爆発的な成長を遂げることもある。
だが、そもそも予定では祈本里香の呪いを少しずつ刀に移すことで制御していくはずではなかったか。
一気に解呪しようとして大量に呪いを移しては刀がもたないだろう。
そんなことは百も承知の五条が無理にでも解呪を進めようとするということは──
「上層部が狙ってるってことかな?」
「正解。憂太の秘匿死刑はあくまでも
「消すなら力を使いこなす前に……か。そりゃそうだろうね。私だってそうする」
制御できない特級など脅威でしかない。
その乙骨という少年がどれだけ善良であってもだ。
「で? 何でトリガーの候補に私が出てくるの?」
「あくまでも現時点で考えられる手段の一つだけどさ、君の術式なら憂太の潜在能力を最大限に引き出せるでしょ」
五条が言っているのは催眠による身体能力のリミッター解除のことか。
私が普段は術式反転で使っているものを術式順転で使うことによって他者のリミッターを解除させる。
確かにあれなら文字通りの全力を引き出せるだろう。
強制的に成長を促すことによって乙骨を祈本里香を制御できるだけの実力まで一気に引き上げようという算段。
悪くはない案だ。
しかし──
「あれは反転術式使えないと自壊して使い物にならなくなるよ」
「
「へぇ……?」
呪術に触れて一年も経っていない人間が反転術式を使いこなすとは。
反転術式は呪力を掛け合わせることで肉体を治癒する高等技術。
五条でさえ甚爾との鍛練の中で死の淵に立ってようやく得られたものだというのに。
──特級過呪怨霊に他人を治せる反転術式……何者なんだろうね。
そのあたりが今回の鍵なのかもしれない。
──こうなると彼の背景がわからないのが痛すぎるなぁ。
思考に耽っていると恵がコーヒーを持ってきてくれた。
そのままブラックで飲む私と、大量の砂糖をこれでもかと入れて飲む五条。
よくそんなものが飲めるものだと呆れつつも、コーヒーに入れる砂糖の量は個人の好みだ、何も言うまい。
──さて、どうするか。
コツコツと指で机を叩きながら思案する。
今回の件は金を積まれたから引き受けるというわけにはいかない。
リスクがデカ過ぎる。
「あれ? あんまり乗り気じゃない?」
「正直なところね。私は乙骨憂太が殺されても構わないから」
「何? 君も憂太の死刑に賛成ってわけ?」
「未成年だから殺さない──なんてのは表の話。裏じゃ子供だろうが毎日殺して殺されてるよ」
警戒されにくいため、子供に殺人術を仕込む輩もザラにいる。
五条曰く、若人から青春を取り上げるなんて何人にも許されていない──らしいが、そんなものは通用しないのだ。
「何より乙骨憂太を生かすことにメリットがない」
「あるよ。呪術界を改革するための──」
「
十年以上の付き合いで少々気が緩んだのか。
五条と私の間で随分と認識に差があるらしい。
「ねぇ、坊っちゃん。いくつか確認しておこうか」
私の雰囲気が変わったのを察したのか五条の顔からいつもの軽薄な笑いが消える。
「私達の関係は?」
「……利害の一致」
「そう。私は別に君の味方じゃないし、金を払えば動く便利屋でもない」
ただメリットがあるから互いに利用しているだけ。
呪詛師の情報提供。
厄介な呪物、呪具の保管。
高専上層部の制御。
そういうものの代わりに私達が呪詛師の排除、危険な呪物や呪具の回収、破壊を担っている。
それだけの関係。
高専が何か私にデメリットになることをするなら躊躇なく叩き潰すし、金を渡せば何でもやるほど考えなしではない。
「次。私の目的は?」
「……安全の確保と危険の排除」
「そう。私は呪術界の改革なんてものに興味はない。重要なのは乙骨憂太が私にとって害か否かだ」
資料を読んだだけでもわかった。
乙骨は善人だ。
誰かを傷付けるくらいなら……と自殺を考えてしまうほどに。
優しく、仲間想いで温厚。
厳しい鍛練にも食らい付いていく芯の強さを持つ努力家でもある。
しかし──優しいがゆえに闇に堕ちかけた男がいたのを忘れたのか。
「乙骨憂太と祈本里香が君にとって強力な手札だっていうのはわかるよ。だから、君が乙骨憂太を抱え込むのを止めはしなかった。私が危惧してるのはね──
「っ……」
その言葉に五条は痛いところを突かれたというように顔をしかめた。
一度は助けた。
二度はない。
そこまでしてやるほど私は優しくないのだ。
「……そのときは命懸けで止めるよ」
「足りないね」
五条の言葉を私はすぐさま叩き切った。
止めるだけでは甘過ぎる。
そもそも身近にいた夏油を止められなかった五条がそれを言ったところで意味はない。
「怯えられないように軽薄を演じるのはいいよ。でも、頭の中身まで軽くしちゃダメでしょ」
私の容赦ない言葉に五条の顔は苦々しく歪められていく。
「呪詛師にはさせません。信じてください」では話にならない。
それこそ一番信用ならない言葉なのだから。
視線で「何が望みだ」と尋ねてくる五条の前に私は指を二本立てる。
「もしも乙骨憂太が呪詛師になったら躊躇なく殺すこと。私が殺すときに一切の邪魔をしないこと。その二つを飲むなら一応の協力はするよ。絶対に解呪できるとは言えないけどさ」
『縛り』ではない。
ただの口約束だ。
しかし、それで十分。
「反故にしても僕達ごと叩き潰すだけってことでしょ。相変わらず物騒だね」
「この件に私は関わるつもりはなかったからね。わざわざ関わらせるなら、こっちのわがままも聞いてもらわないと」
「はぁ……オーケー。とりあえず里香の解呪を手伝ってくれるならそれでいい」
五条は小さく肩を竦めてみせた後、机の上のコーヒーに手を伸ばすと、残っていたそれを一気に飲み干した。
よくそんな砂糖まみれの液体を一気飲みできるな、と私が考えている間に五条はサッと立ち上がる。
「じゃ、善は急げだ。早速行こっか」
「は?」
「どうせダラダラしてたじゃん。ほら、立って立って」
天は六眼だの無下限呪術だのをこの男に与える前に常識を与えるべきではなかったのだろうか。
今日は夜に食べるチキンとケーキの受け取りがあったのに。
しかし、請け負ってしまったものは仕方がない。
「結局関わることになりましたけど?」
「やるべきことなら手短に……だ」
恵が渡してくれたコートに袖を通しながら私は祈本里香の解呪について考えていた。
催眠による自身の身体能力のリミッター解除──悪い案ではないが気が進まない。
万が一、乙骨が最大限に力を発揮しても祈本里香を制御できなければ、それはいずれ敵対するかもしれない相手に力をつけさせてしまったことになる。
そして、私の不安はもう一つ。
「今回はやけに渋りましたね。あんな条件まで付けて。それだけ祈本里香は強力なんですか?」
「いや……どっちかと言うと私が警戒してるのは乙骨憂太のほうだよ。書類に書いてあった彼の術式見たでしょ」
「術式? 確か……術式の模倣──」
そこで恵はハッと目を見開いた。
そう。私が今回の件に乗り気でなかった最大のポイントはそれだ。
「そうなると私の価値はガクンと落ちるんだよね」
扱いにくいオリジナルと従順なコピー。
生かすならどっちを生かすか。
つまり、これから私がやろうとしていることは半ば自殺行為に等しい。
恵は何か言おうと口を開きかけたが、言葉が見つからなかったらしく、そのまま口を閉じてしまった。
「そんな顔しなくても出会い頭にいきなり殺したりしないって。とにかく相手を知らないと動けないから、ちょっと見てくるだけ。ただ使い捨てにされる気もないしね」
そこまで話したところで先に外に出ていた五条から「まだー?」と声がかけられる。
「はいはい。ああ、そうだ。チキンとケーキの受け取りよろしく。夜には甚爾も帰ってくるだろうし、三人で食べようか」
「はい」