『呪詛師殺し』に手を出すな 外伝   作:Midoriさん

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メリークリスマス!


第肆拾弐話

頭がひどくぼんやりとしている。

まるで夢の中にいるように感覚が曖昧だ。

 

──何があったんだっけ……?

 

乙骨はゆっくりと目を開く。

 

「え?」

 

目の前に広がっていた光景に乙骨は言葉を失った。

そこにあったのは乙骨が生まれ育った仙台の町。

昔からよく見ていた景色だ。

乙骨を驚かせたのはそれだけではない。

 

「里香ちゃん?」

 

背後から聞こえた子供の高い声。

その声に乙骨は慌てて振り返る。

だってその声は──

 

──僕だ……。

 

幼い頃の乙骨がそこに立っていた。

そこでハッと気付く。

周りがやけに騒がしい。

「おい! 救急車はまだかよ!」だの「バカ、よく見ろ! 助かるわけねーだろ!」だの、大人達の叫び声が行き交っている。

 

──ああ、ここは……。

 

あのときだ。

乙骨の人生が百八十度変わったあの日。

呆然と立ち竦む自分がいて。

周りには大人達が集まってきていて。

目の前にはいつも渡っている横断歩道があって。

その先には──。

顔を上げかけて乙骨は咄嗟に顔を逸らした。

だってその先にあるのは変わり果てた里香の姿があるはずだから。

 

「何だよ……何なんだよこれ!」

 

何で今更こんなものを見せられているのだ。

これは乙骨が最も見たくなかった景色。

忘れようとした……忘れようとしても忘れられなかった景色だ。

それがまるで見せつけられるように目の前に広がっている。

何なのだこれは。

 

「落ち着きなよ」

 

すると突然、乙骨の世界に声が響いた。

 

「『呪詛師殺し』……さん……?」

 

先ほどまで戦っていた『呪詛師殺し』の声だ。

なぜ彼女の声が聞こえるのか。

いや、そもそもここはどこで、なぜこんなことになっているのか。

彼女が何かしたのか。

聞きたいことが山ほどあって、うまく言葉にならない。

 

「そこは君の意識の底だ」

 

それを察したのか『呪詛師殺し』は先んじてそう言った。

意識の底。

意識の深層。

深層心理。

 

「まあ、何で君がそんなところにいるのかってことは今は置いておこうか。乙骨君、そこからは君が心の奥に押し込めているものが見えているはずだけど、何が見える?」

 

「何って……」

 

乙骨は一瞬、躊躇うように息を飲んだ。

 

「昔の……里香ちゃんが亡くなったときの景色が見えます」

 

「ふーん……やっぱりそこが君の原点か。里香ちゃんはどうなってる?」

 

「里香ちゃんは……」

 

そう聞かれて乙骨は恐る恐る顔を上げる。

そして、やはり変わらず昔と同じ光景がそこにはあった。

ひしゃげた車。

道路に長く尾を引く赤黒い血。

その先にあるピクリとも動かない里香の身体。

 

「頭が……潰れてます」

 

死んでます──と乙骨は言った。

絶命している。

どう見ても助かる余地はない。

 

「昔の君はそれを見てどうした?」

 

「どうしたって……何もできませんでした。立ち尽くしてただけで……」

 

「んー……じゃあ、質問を変えようか。昔の君はそれを見てどう思った?」

 

「え……?」

 

「こうまではっきり覚えているくらいだからね。何も感じていなかったわけじゃないでしょ」

 

「僕……は……」

 

──あのとき……僕は何を思ったんだっけ。

 

もう一度、倒れた里香に目を向ける。

頭の中が真っ白になるほどの緊張。

自分の心音がドクドクとうるさく響いていた。

大人達が何か言っているのなんて聞こえないくらいに。

幼い乙骨はジッと里香を見つめていた。

そして、「里香ちゃん」と呼びかけたのだ。

いつもと同じように。

そうすれば里香が答えてくれるような気がして。

もしかしたら、また憂太の名前を呼んでくれるような気がして。

だって、「約束だよ」と里香は言った。

六年前の乙骨の誕生日に里香は母親の形見である婚約指輪を渡し、「里香と憂太は……大人になったら結婚するの」と無邪気に指切りを交わしたのだ。

これからもこの幸せな時間を続けていこうと。

ずっと。

二人一緒に。

里香の事故が起こったのはその直後だった。

 

「──信じたくなかった」

 

里香が死んだなんて。

里香がいなくなったなんて。

何かの間違いだと。

 

「そうだ……僕はあのとき、里香ちゃんの死を拒んだ」

 

動かなくなった里香の身体を見つめながら乙骨は思ったのだ。

「死んじゃダメだ」と。

何とかしなければ。

このままでは里香が遠くに行ってしまう。

ずっと一緒にいるという約束を守れなくなってしまう。

だから、乙骨は全身全霊で願った。

里香が離れてしまわないように。

里香が逝ってしまわないように。

そして、その願いは叶ってしまった。

里香が怨霊に転化するという形で。

 

「強い思いが呪いとなって祈本里香を繋ぎ止めたんだね」

 

『縛り』は失うもの、制限するものが大きいほど得るものも大きくなる。

最愛の人の魂を抑留することで乙骨は無条件の術式模倣と底なしの呪力を得ていたのだ。

 

「これで確信できたよ。全て逆だった。祈本里香が君を呪ったんじゃない。君が祈本里香を呪ったんだ」

 

「僕が……里香ちゃんを……」

 

いつだったか五条に話したことがあった。

もしかしたら僕が里香ちゃんを呪ったのかもしれません、と。

そのときはあくまでも可能性の一つでしかなかったが、それが正解だった。

里香の魂を引き留めていたのは乙骨自身。

里香は最初から乙骨を苦しめるつもりなんてなかったのだ。

 

『憂太』

 

後ろからかけられた声に振り向けば少し離れたところに里香がいた。

異形の姿がボロボロと崩れていく。

その中から現れる美しく整った顔立ち。

夏物のワンピース。

乙骨がよく知っている十一歳の頃の里香だ。

 

「里香ちゃんが……元の姿に……」

 

「元々、今回の呪いは意識の問題だからね。きちんと自覚してしまえば呪いの結び目を解くことはそう難しくないんだよ」

 

現実の高専の医務室でも人間の姿の里香が顕現していた。

 

──二人の間にパイプができていたのは僥倖だったな。

 

乙骨と里香──二人は指輪を通して繋がっている。

おかげで随分と記憶の再現がスムーズだ。

過去の出来事を鮮明に思い起こさせる催眠。

二人は今、指輪の繋がりを通じて同じ景色を見ている。

乙骨が里香の死を拒み、無意識に『縛り』を結んだその瞬間を。

 

──愛の力……なんて言葉はよく聞くけどね。

 

里香に執着していたのは乙骨だったが、里香の乙骨に対する思いも相当強いものだったのだろう。

六年間、ずっと里香は乙骨を守り続けていた。

乙骨の幸せを願って愛を捧げていた。

 

「呪いをかけられた側の里香ちゃんが(ペナルティ)を望んでいないなら、これで解呪は完了。二人とも自由の身だ」

 

しかし、それを乙骨は素直に喜べなかった。

気付いてしまったから。

だって里香を呪っていたのが乙骨ということは──

 

「全部、僕のせいじゃないか」

 

里香をあんな姿にしたのも。

同級生達を傷付けたのも。

呪われた青春。

人を避けざるを得なかった生活。

秘匿死刑。

全ての始まりは自分だった。

 

「……全部っ……全部僕が……」

 

ボロボロと涙を流して泣きじゃくる乙骨に里香が歩み寄る。

そして、里香は優しく乙骨を抱きしめた。

 

『憂太、ありがとう』

 

乙骨が涙に濡れた顔を上げる。

なぜ「ありがとう」なんて言ってくれるのか。

乙骨が願わなければ里香は六年前に成仏できていただろうに。

あんな姿にならずに済んだのに。

しかし、里香はそんなふうに他人のことを思える優しい乙骨のことが誰よりも好きだった。

 

『時間もくれて。ずっと側においてくれて。里香はこの六年が生きてるときより幸せだったよ』

 

あのとき引き留めてくれたから。

六年も一緒にいられた。

本当に片時も離れず側にいられた。

そして、何より生きている間には伝えられなかった言葉を伝えられる。

 

『憂太、大好きだよ』

 

ずっと言いたかった言葉。

何ならプロポーズのような言葉を先に伝えてしまっていたけれど。

その言葉に乙骨は涙を拭って答えた。

 

「僕も……大好きだよ、里香ちゃん」

 

できることなら全てをあげたかった。

未来も。

心も。

ずっと一緒にいたかった。

だから、せめてこれくらいはいいだろう。

憂太は里香の頬に手を添える。

そして、ありったけの愛を込めた口づけを。

 

「──愛してる」

 

幸せが、喜びが胸に満ち満ちていく。

ずっとこうしていたい。

そう思えるほどの幸せな時間。

しかし、すぐに終わりがやってきた。

里香の身体が雪が溶けるように消えていく。

 

『……バイバイ。元気でね。あんまり早くこっちに来ちゃダメだよ?』

 

またね──その言葉を最後に里香は光の粒となって乙骨の世界から消えた。

それは現実世界でも。

段々と里香の身体が透けていく。

 

「…………。……ん?」

 

すると、唇を離した里香が二人の邪魔をしないように静かに見守っていた『呪詛師殺し』にチラリと目を向ける。

その視線は少々不満げなもので。

そして──

 

『べぇっ』

 

と里香は舌を出した。

その仕草に思わず苦笑いを浮かべる『呪詛師殺し』。

里香を出させるために乙骨を散々痛めつけたことで嫌われてしまったらしい。

しかし、文句なら五条に言ってほしい。

解呪なんてものは専門外もいいところなのだ。

そのまま里香が消えるのを見送ってから『呪詛師殺し』は乙骨を呼び戻す。

 

「乙骨君、戻っておいで」

 

「……う……っ」

 

乙骨が目を開けると、そこは見慣れた高専の医務室。

さっきまで目の前にあった光景はどこにもない。

 

「おかえり」

 

横を向けば、『呪詛師殺し』がパイプ椅子に腰かけていた。

 

「お別れはできたみたいだね」

 

「はい」

 

すっきりとした顔で乙骨は頷く。

六年──随分長い時間をかけてしまったけれど。

里香は正しく逝けたのではないだろうか。

ずっと近くにいてくれた禍々しい気配が消えている。

あれだけ恐ろしいと思っていたものがなくなったことが今は少しだけ寂しかった。

 

「さて──」

 

すると、『呪詛師殺し』がゆっくりと立ち上がる。

 

「感動のお別れの直後で悪いんだけどね。報酬代わりに君に二つほど『縛り』を結んでもらいたいんだ」

 

「『縛り』……?」

 

乙骨はキョトンとして首を傾げた。

授業の中で『縛り』については聞いている。

呪術における重要な因子の一つ。

自分に制限をかけることで能力を底上げしたり、他者との誓約に使われたりするものだと。

 

「一つ、私との鍛練で得た情報を忘れること。二つ、今後、私に対して模倣の術式を使わないこと」

 

「え? そんなことでいいんですか?」

 

「むしろ私にとってはこれが一番大事なんだよ。というか、このままじゃ私、殺されるし」

 

「ええっ!? な、何で……」

 

いきなり物騒な言葉が出てきて乙骨は狼狽する。

 

「私って過去にやった諸々が原因で色々なところから命狙われてるからさ。乙骨君を通じて術式の情報が伝わるとマズいんだよね」

 

「そ、そうなんですか……」

 

正直なところ、乙骨は『呪詛師殺し』の術式が何なのかはよくわかっていない。

恐らくはあの夢みたいなものが関係しているのだろう──というくらいのもの。

しかし、些細なきっかけが命取りになるのは裏ではよくあること。

僅かな可能性すら潰すために『呪詛師殺し』はこうして『縛り』を持ちかけたのだ。

そして乙骨も、恩人を死なせるわけにはいかない、と即座にその『縛り』を了承した。

 

「ん、オッケー。まだ少し頭がボーッとしてるだろうけど、時間が経てば治るから」

 

「は、はい。あの……ありがとうございました」

 

「どういたしまして。それじゃお大事に」

 

元々、彼女の目的はそれだけだったのだろう。

『縛り』を結んだ後はあっさりしたもので、さっさと荷物をまとめて彼女は医務室を後にした。

 

「すごい人だったなぁ……」

 

呆然としながら乙骨は自らの左手に視線を落とす。

その薬指にある銀の指輪。

里香が確かにこの世にいた証。

 

「あんまり早くこっちに来ちゃダメだよ……か」

 

里香の最期の言葉を繰り返す。

 

「生きるよ、里香ちゃん」

 

生きて、足掻いて、命尽きるその日まで。

たくさんの思い出を積み重ねて。

いつか彼女と同じ空の向こうに行ったときに話して聞かせられるように。

 

「フーッ……」

 

建物の外に出た『呪詛師殺し』は「やれやれ」と言いたげに盛大に真っ白な息を吐く。

慣れないことはするものではない。

まさかあんな赤面ものの純愛ラブストーリーを目の前で見せられるとは思っていなかった。

 

「青春だねぇ……ん?」

 

気配を感じて視線を遣ると闇の中からヌルリと五条が現れる。

 

「やぁ、お疲れ。解呪達成だね」

 

「こんなことは今回限りにしてよ。こっちの専門は殺しなんだからさ」

 

「はぁ……やだねー、物騒で。高専に来てくれれば、こういう若人の成長に立ち会えた感動を味わえるのになー」

 

「興味ない」

 

「それは残念」

 

慣れたやり取り。

大して残念そうな素振りを見せるでもなく、正門まで送るよ、と五条は歩き出した。

 

「今更だけど、憂太が里香を呪ったかもって仮説を聞いたときに面白いと思ってさ、憂太の家系を調べたんだ」

 

「何か出てきた?」

 

「うん。あの子、菅原道真の子孫だった。超遠縁だけど僕の親戚になる」

 

「なるほどねぇ……思いの強さだけじゃなくて本人にも十分呪術師の素質があったってわけか」

 

菅原道真と言えば平将門、崇徳天皇と並ぶ日本三大怨霊の一人。

呪術界では有名な超大物呪術師である。

その血筋となれば特級過呪怨霊への転化も納得だ。

今回はかなり特殊なケースだろうが。

 

「あ、そうだ。君に一つ言おうと思ってたんだ」

 

すると、高専の正門まで来たところで思い出したように『呪詛師殺し』が振り返った。

 

「君さぁ……最初から私を巻き込むつもりだったでしょ」

 

乙骨の使っていたあの刀。

何百年前の名のある古刀ならいざ知らず、あんな安物の刀では里香ほどの巨大な呪いを抑え込むことはできない。

最初からチマチマと呪いを移して解呪する気など五条にはなかったのだ。

 

「あんまり舐めたマネしてるとそのうち手痛いしっぺ返しくらう羽目になるよ」

 

「だって可哀想じゃない。高専での四年間を丸々解呪のためだけに使うなんて」

 

だが、『呪詛師殺し』の睨みに臆することもなく、五条はそう言ってみせる。

 

「若人から青春を取り上げるなんて許されてないんだよ、何人たりともね」




渋谷事変は来年のアニメ二期を見て解像度を上げてから書こうと思います。
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