始まるはずだったもの。
そうなるはずだったもの。
「全然来ねぇじゃねぇか……」
結局、夜まで学校で粘ってみたが一向に動きはなく、五条もまだ到着していなかった。
既に生徒は下校し、教員も学校を出ている。
当然、出ていった一人一人を観察してみたが、呪物の気配は全く感じられなかった。
──あの人の読みでも外すことあるのか……。
恵の頭に過るのは呪物の気配を漂わせていたあの男。
やはりあの男を追ったほうがよかったのではないか。
恵がそう考えていたそのとき──
「──っ!?」
押し潰されそうなほど重苦しい呪いの気配が校舎から漂ってきた。
──指の封印が解かれた……!
何が、外すこともあるのか、だ。
大当たりも大当たり。
学校に残っていて正解だった。
校舎のガラス窓を蹴り破って中に入る。
──解かれてすぐだってのに、もうこんなに呪いが集まってんのかよ。
校舎の中は既に呪いに埋め尽くされていた。
ほとんどは雑魚だが数が多い。
それから万が一、呪霊が呪物を取り込めば特級に転じる可能性もある。
探すのにあまり長い時間はかけられない。
──邪魔だ。
「『玉犬』!」
両手で犬の形を作ると、影から二匹の犬が姿を現す。
『玉犬・白』と『玉犬・黒』。
十種影法術──影を媒介に十種の式神を使役できる禪院家相伝の術式の一つ。
飛び出した二匹の玉犬は目の前の呪霊を次々と食らっていく。
──相変わらず気配がめちゃくちゃだ。どこにある?
すると、上の階から何か吹き飛ばされたような轟音が響いた。
──上!
通路を塞ぐ呪霊を祓いながら全速力で階段を駆け上がる。
──呪いが増えてる。近いな。
そして上った階段の先──廊下の突き当たりにひしゃげた扉が転がっていた。
その扉があった教室から二人の男女がただならない様子で這い出してくる。
「さ、佐々木……一体何が……」
「私だってわかんないわよ……!」
「おい!」
「は? え? 誰?」
いきなり現れた恵に二人は驚くが今はそんなことはどうでもいい。
優先するべきは呪物の確保と二人の保護。
見たところ二人とも怪我はない。
しかし、呪物の影響で非術師の目にも呪霊が見えるようになっているため、軽くパニックになっているらしい。
──そりゃそうなるか。
恐らく悪戯半分で指の封印を解いたのだろう。
まさか本物の呪いがかかっているとは思っていなかったわけだ。
「オマエら指はどうした」
「ゆ、指……? もしかしてこれ……? あ、ちょっと!」
女がポケットから取り出した指を引ったくる。
毒々しい色をした指の屍蝋。
間違いなく目的の呪物だ。
「詳しく話してる時間はない。いいから逃げるぞ!」
こうしている間にも恵達の周りには呪霊が雪崩のように押し寄せてきていた。
「きゃあああっ!」
「うわあああっ!?」
「いけ!」
二人に纏わり付こうとする呪霊を玉犬が食いちぎる。
これが両面宿儺の指──呪物となり二十に分割されてなお時を経て呪いを寄せる。
──呪物は確保したが……解放された指を持ったまま迂闊に動けねぇ。
このまま校内にいる呪霊を祓いきるしかない。
見れば二人とも今ので呪いの気配に当てられたのか気絶してしまっている。
動けない人間を二人も抱えながら呪いを祓うのは恵と言えど無理だ。
──式神が使えないのは痛いが……この場にコイツらを長く置いておくのもまずいな。
「二人を連れて逃げろ!」
恵の命令に従って二匹の玉犬がそれぞれ二人を咥えて走っていく。
恵が同時に使える式神は二種類。
もう式神は出せず、ここからは身一つでやるしかない。
自分の影の中に指を落とし、代わりに格納していた刀を引っ張り出す。
取り出したのは刀身が真っ黒に染まった抜き身の柳葉刀。
振った感覚を軽く確かめると恵は迫ってくる呪霊達に向かって走り出した。
素早く、そして逃がした二人のほうへ呪霊が向かわないように次々と斬っていく。
──『万象』で一気に片付けたいが、玉犬がまだ校舎の外に出てねぇ。呪霊に邪魔されてるのか。
低級呪霊相手なら玉犬がやられることはない。
だが、数が多いだけに手間取っているらしい。
しかも恵が指を持っているため、玉犬を助けに向かえば指に引き寄せられた呪霊がついてくることになる。
──ここで粘るしかねぇか……。
呪霊が後何体いるかもわからないが。
ちらりと恵の頭に浮かんだのは、鍛練と称し人間とは思えない動きで自分を散々殴り倒してきた
きっと甚爾ならこんな状況は遊びにもならない。
──いくら鍛えられてるからって
「──っ!?」
すると天井から一際巨大な呪霊が這い出てきた。
──コイツ……昼間の……!
昼間、校内をうろついていた二級の呪い。
その巨体な体がただでさえ狭い通路を塞ぎ、恵の動けるスペースを更に減らしてしまっていた。
──正面に二級呪霊。左右は壁。後ろも呪霊の群れか。突進されたら進むか下がるしかねぇんだが……。
左右には避けられない。
二級呪霊より後ろの呪霊の群れのほうが一体一体の等級は低い──が数に手間取って足を止めれば、すぐに二級呪霊に追い付かれる。
もしも攻撃で恵の意識が途切れ、術式が解ければ玉犬に運ばせている二人が危険だ。
「フー……」
恵は一つ息を吐くと腰を深く落とし、呪霊に対して半身で構えて刀を引き絞る。
刺突でブチ抜けるのが理想だが、最低でも動きを止めて逃げられるだけの時間を稼ぎたい。
──こういうとき何も考えず突っ込める
助走の距離も考えるとチャンスは一度。
そしてカウンターを食らうわけにもいかない。
下半身と腕を呪力で集中的に強化する。
頭の中で描くのは呪霊のド真ん中をブチ抜くイメージ。
全力で中心の一点のみを狙う。
そして、踏み出そうとしたそのときだった。
「──恵、伏せて」
「────!」
背後から聞こえた声に恵は咄嗟に構えを解いて伏せる。
すると声の方向から飛んできた攻撃が呪霊の大群を貫通し、更に正面にいた呪霊も消し飛ばした。
「お待たせー。助けに来たよー」
「……もうちょっと早く来れなかったんですか」
応援を頼んでから二十四時間ちょうどといったところか。
『最強』のプライドにかけて任務は終わらせてきたらしい。
立ち上がって振り向くと、そこには五条が立っていた。
「いやー、それがさー、今回の任務がマジで傑に振れよって感じのヤツでさ。分裂して逃げ回るタイプの呪霊で、しかも場所が美術館だったから賠償云々が面倒だからって大火力は出せないわで、祓うのにめちゃくちゃ時間かかったんだよ。でもギリセーフでしょ」
「ギリギリもいいところですけどね。時間も状況も」
「可愛くないねぇ……まあ、いいや。こんだけ呪霊が集まってたってことは行方不明になってた呪物見つかったの?」
「はい」
影から指を取り出して五条に渡す。
五条は受け取った指をしげしげと眺めていたが、やがて満足そうに頷いた。
「確かに両面宿儺の指だね。被害は?」
「呪いの気配にあてられて気絶したのが二人だけ。玉犬が校舎の外まで運んだので無事ですけどね」
「特級呪物の解放でその程度の被害で済んだなら上々だよ。それじゃ僕は一足先に高専戻ってコレ封印してもらうから。恵は被害者のケアよろしく」
「はい」
その後、校内に残った呪霊を祓いきった恵は、そのまま近くの病院に二人を運び込んだ。
そして『
◆ ◆ ◆
翌日──杉沢病院。
「──で、その箱持っていったヤツはいつ来るんだ」
「もう少ししたら来るはずなんだけど……」
「──佐々木先輩! 井口先輩!」
突然、荒々しく病室のドアが開けられ、転がり込むような勢いで一人の男が入ってきた。
覚えのある茶髪のツーブロック。
学校で恵とすれ違ったあの男だ。
──虎杖悠仁……だったか。
虎杖は恵には目もくれず一目散に佐々木達へ駆け寄ってきた。
「何か学校で倒れたって……大丈夫なんスか」
「聞いてよ、虎杖。信じられないかもしれないけど、私達、マジの化物に襲われたの!」
「化物?」
「虎杖が拾ってきたアレに巻かれてたお札取ったら天井から化物がどんどん出てきて──」
「毒の影響で幻覚見たんだろ。さっきもそう説明したはずだ」
「あんな体験しておいて『全部幻覚でした』なんて信じられるわけないでしょーが!」
捲し立てるように昨日のことを虎杖に語る佐々木。
しかし、これ以上あの現場であったことを話されるのはよくないと判断し、恵は佐々木の言葉を遮るように割り込む。
学校のような場所は噂の広まりも早い。
噂が呪いの火種になることもあるのだ。
急に割り込んできた恵に、ここでやっと虎杖は視線を向けた。
「えーと……誰?」
「伏黒だ。
「箱?」
「これだ。持ってるだろ」
恵はスマホを取り出し、封印状態の指の画像を見せる。
「あー、はいはい。
「本体はな。ソレはこっちで回収した。さっきも言ったが箱は念のためだ」
──あの時、こっちを追ってたら間に合わなかったかもな。
虎杖から箱を受け取って観察する。
箱に触れてわかった。
あのとき感じた気配は箱にこびりついた残穢。
仮にその気配を追って学校から出ていれば戻ってくるまでに二人は死んでいたかもしれない。
「先輩、ゴメン! オレがこんなモン拾ってこなきゃ……」
「いいって虎杖。二人とも大丈夫ってお医者さんは言ってたんだし。ねぇ、井口」
「ああ」
「明日にはオレが呼んだ専門家もくるし、すぐに退院できるだろ。万が一何か異変があったら、さっき渡した番号に連絡してくれ。職員が対応してくれる」
必要なことを伝えると恵は病室を出る。
──また助けられちまった。
被害を最小限に抑えられたのは彼女のおかげだ。
──本当にあの人どんな思考回路してんだよ。
どれだけ鍛えても彼女に追い付ける
場を見る観察眼。
人の考えの本質を見抜く洞察力。
裏の猛者達を相手に散々鍛えられた危機察知能力。
どれも恵では遠く及ばない。
今回も電話で恵が話した情報だけを頼りに、現場にいる恵より冷静な判断をしてみせた。
しかもそれがピッタリ合っていたのだから恐れ入る。
──今のオレじゃ裏に行ったところで三日もすれば路地裏で冷たくなって転がってるんだろうな。
「なあ!」
「ん?」
病院から出ようとしたところで後ろからかけられた声に振り返ると、そこには虎杖が立っていた。
「何だ。まだ何か用か?」
「あー……何か用っつーほどのモンじゃねぇんだけどさ。先輩達が倒れたのって本当にその毒物のせいなんだよな?」
「そう言ってる。他に何がある」
「いや、何かアレ、お札とか貼られててマジっぽかったしさ。もしかして本当に何かの呪いのせいなんじゃないかなーって。先輩は嘘言う人じゃねぇし、化物見たのも実は──」
「何言ってるんだ。
虎杖の言葉を遮るように恵は言う。
そんなオカルトはありえないと。
努めて冷静に答える。
今度こそ疑いを持たないように。
それでも虎杖の目は真っ直ぐに恵を見ている。
本当に二人は大丈夫なのか、と。
──きっとコイツは本物の善人なんだろう。
他人のことを本気で思いやれる人間。
だからこそあの二人のことを心配し、毒のせいだと言い張る恵の説明に疑問を持った。
だが、それならば尚更、虎杖に呪いのことは話せない。
これからもあの二人とともにいさせてやるために。
数秒の間、睨み合うようにしていた恵と虎杖だが、やがて虎杖はフッと表情を緩めた。
「……だよな。悪ィ、変なこと聞いて。先輩達助けてくれてありがとな。それじゃ」
虎杖は踵を返して二人がいる病室に戻っていく。
ああ、とだけ返して恵も病院を後にした。
──そうだ。何も知らなくていい。
呪いは見えないだけですぐ側にある。
昨日まで呪いなんてまるで知らなかったような人間が一歩間違えたせいでこちら側に来てしまうことも十分にありえる。
だが、こちらは地獄だ。
イカれていなければ生きていけない業界。
人死にがザラにあるような環境に好き好んで踏み入る必要はない。
──精々噛み締めろ。普通の幸せってヤツを。
「お、やっと出てきた」
「五条先生」
病院を出たところで五条が柵にもたれかかって待っていた。
指の封印のために先に高専に戻ったはずだが。
何か忘れ物でもしたのだろうか。
それとも追加の任務でも持ってきたか。
恵が近付くと五条は無言のままズイッと手を差し出した。
「……何です?」
「何です? じゃないよ。写真だよ、写真。例のヤツ。削除するからスマホ貸して」
「ああ、あれ嘘です。ああでも言わなきゃアンタ来ないでしょ」
そう言えば、と恵は思い出す。
五条を呼ぶために土下座写真をバラまくと脅したのだった。
しかし、家入からそんなものは受け取っていない。
五条に言った通り見ただけだ。
「そんな……ヒドい……信じてた教え子に弄ばれて裏切られるなんて……」
「呪術師は嘘吐いてなんぼでしょ」
わざとらしく顔を手で覆って泣いたフリをする五条の脇を抜けて恵はスタスタと歩いていく。
「これってアレかな? 反抗期ってヤツ?」
「ふざけたこと言ってないで行きますよ。あの人用に土産買いたいんで」
「あ、それなら僕のオススメあるよー。ちょっと変わった大福なんだけどさ──」