ギムレット。
別の意味で早すぎると思うよ……。
「美々子ちゃーん」
「凪さん……手の動きが何か怪しい」
「よいではないかー、よいではないかー」
「最悪の酔っぱらいだ……」
吉野家のリビングに順平と凪以外が入るのは久しぶりのことらしい。
そのせいか凪のテンションは酔いも手伝ってかなり高い。
──これが普通の家……か。
菜々子はそれを見ながら思う。
普通の家。
普通の家族。
これが当たり前。
これが日常。
『呪術師殺し』が日向の側と表現するのも納得だった。
明るく笑う彼女を見る度、自分が
「あれ? 凪さん? 寝た?」
「ああ、かけるもの持ってくるよ」
菜々子が色々と考えている間に凪は美々子に抱きついたまま寝てしまったらしい。
美々子の肩口に顔を埋めてスヤスヤと寝息を漏らしている。
凪が酔い潰れるのはいつものことらしく、順平は慣れた様子で凪にかけるものを取りにいった。
「あ、ゴメン。電話だ」
すると、菜々子のスマホに着信。
伊地知からだ。
何かあったのか。
菜々子が出ていった直後、入れ違いで順平がリビングに戻ってくる。
「あれ? あの子は?」
「電話だって」
「ふーん」
凪に持ってきたタオルケットをかけてやりながら順平は横目でチラリと美々子を見た。
──ずっと気になってるんだけど何でこの子はぬいぐるみ持ち歩いてるんだろ……首に縄付いてるし。
河川敷に行く間もすれ違い様こちらを見る人々の視線が気になっていたのだ。
菜々子が前面に出ることが多いため、美々子は影に隠れがちだが、そこそこ大きなぬいぐるみを持つ女子高生というのはどうしたって目を引く。
しかも縄付きで。
どう見ても首吊りを連想させてしまう。
──術式……なのか?
すると、いつの間にか美々子が首を傾げて順平のほうを向いていた。
「…………? 何か聞きたいことある? そんな顔してる」
「あ、えっと……その……君達は呪術師なんだよね?」
「そうだけど……」
「人を……殺したことある?」
言ってから順平はハッと気付く。
今自分は何と言った?
そんなことを聞きたかったわけではないだろうに。
気付けば自然と口から飛び出していたのだ。
だが、不思議なことに取り消そうという気は微塵も起きず、ジッと美々子の目を見つめていた。
そして、美々子もまた順平の目を見つめていた。
その真意を探るように。
見つめ合うこと数秒──
「──ない」
美々子の答えは否定。
しかし、美々子はそのまま続けた。
「……けど、
いつだって『殺す』という選択肢はそこにある。
それを選んでこなかったのは偶々だ。
先日戦った元人間の二人──解剖の結果、死因は身体を無理矢理改造されたことによるショック死だと家入は言っていた。
君が殺したんじゃない、そのあたりを履き違えるな、とも。
「私達は警察じゃない。
「正義が……なくても……」
呪術界にとってメリットがある──それが呪術師の免罪符。
非術師を救うため、というもっともらしい建前はあるが、上層部が求めるのは自分達の利益と安全だけだ。
大体、利益のためなら術師さえも適当な理由をでっち上げて消そうとするヤツらの中に真に非術師のことを考えている者がいるだろうか。
断じて否だ。
非術師が何人死のうと、術師が何人死のうと、呪術界にメリットがあれば上層部は黙認するだろう。
「だからって積極的に殺したいなんて思わないけど。そこの壁はやっぱり大きいよ」
「そっか……」
◆ ◆ ◆
「ナナミンが祓いきれなかった? マジで?」
「全身を粉々にしたそうですが生きている可能性が高いと。戦ったのは特級相当のつぎはぎ顔の人型呪霊。術式は魂に触れ、その形を変える──だそうです」
「魂ぃ……?」
伊地知からの電話をとった菜々子は思わず怪訝な声を出した。
呪い自体スピリチュアルなものとはいえ、魂云々の話は聞いたことがない。
生得領域とは別物らしく、自身の魂を知覚していなければ、その呪霊にダメージは与えられないのだと。
「攻撃してもノーダメージって……チートじゃん」
「ええ。ですから吉野順平の監視中に会敵しても絶対に戦わないこと。全力で逃げに徹してください」
「わかった。美々子にも伝えるよ」
電話を切った直後、文章で改めて伊地知から敵の情報が送られてきた。
言動、戦法──それらから感じる並の呪霊以上の狡猾さ、残忍さ。
──予想以上にヤバいヤツが絡んできてるっぽいなぁ。
七海が祓いきれなかったとなるとかなりの手練れ。
しかし、夏油も五条も出張中。
『呪詛師殺し』も北海道で仕事の真っ最中ときた。
「何もないことを祈るしかない……か」
◆ ◆ ◆
「次どれにしよっかなー。美々子、どんなの見たい?」
「恋愛映画見たい……ハッピーエンドのヤツ」
「いいね。ねぇ、何かオススメある?」
「それなら──って……何で普通に僕の部屋にいるわけ!?」
夕食の後、菜々子と美々子は順平の部屋でまったりと映画鑑賞をしていた。
順平は相当の映画好きらしく、壁には映画のポスターが貼られ、本棚には映画の原作がずらりと並んでいる。
品揃えは名作からマイナーなものまで何でもござれ。
「だってリビングで騒ぐと凪さん起こすかもじゃん?」
「寝かせてあげるべきだと思う」
「帰るって選択肢は……」
「どうせ帰っても美々子と二人だけだし。それならここで映画見てたほうがいいっていうか。どうせ明日も学校サボるんでしょ。いっそオールしない?」
「賛成」
「君達さぁ……はぁ」
どこまでも自由な二人に順平は呆れながらも無理矢理追い出すようなことはしなかった。
──誰かと映画見るなんていつぶりだっけ。
凪は映画にあまり興味はなかったし、せっかくできた友達も順平がイジメられるようになってからは世間話の一つすらしていない。
それまでは同じ映画好きということで好きな映画の話題で盛り上がっていたのに。
「ねぇ、聞いてる?」
「え? ああ、うん。僕のオススメは──」
◆ ◆ ◆
「こんな時間にコンビニに行くことになるとは……補導されなくてよかった」
丑三つ時、映画を見ていたはずの菜々子、美々子、順平の三人は外にいた。
ため息を吐く順平の手にはコンビニの袋がぶら下がっている。
というのも映画を見ている最中にポテチとコーラがないということが発覚し、菜々子の鶴の一声で買いに行くことが決まったのだ。
「お家映画にはポテチとコーラでしょーが。ねぇ、美々子」
「常備してないとか映画好きとしてありえないね、菜々子」
「そこまで言う!?」
「これでオールの準備はバッチリだし、心置きなく続きが見れる──」
そう言いながら玄関の扉を開けた途端、ぞわり、と嫌な気配が菜々子の背を走る。
「────! 美々子!」
「うん……ヤバい」
「え? 何? どうしたの?」
いきなり二人が緊張した表情に変わったことで戸惑う順平をおいて菜々子は家の中に飛び込んでいく。
息が詰まりそうになるほど濃い呪いの気配。
というより濃すぎて気配の源がわからない。
無事でいてくれと願いながら肩からぶつかるような勢いでリビングの扉を開ける。
「凪さん!」
「ん? あ、菜々子ちゃん。まだ帰ってなかったんだ──」
起きていたらしい凪は呑気にこちらに視線を向けるが、その背後には呪霊が迫っていた。
「チッ」
呪力で足を強化し、一歩で呪霊との間合いを詰めると勢いそのままに蹴り飛ばす。
どういうことだ。
なぜ普通の家で呪霊が発生している。
「菜々子!」
一瞬遅れて美々子と順平もリビングに入ってきた。
すぐに事態の異常性を察したらしい美々子は壁に叩きつけられた呪霊をターゲットに設定し、ぬいぐるみの首に巻き付いた縄を引く。
瞬時に空中から出現した縄がギリギリと呪霊の首を締め付けてへし折った。
「はー……危な。何でこんなところに呪霊が湧いてんの? 住宅地のド真ん中でしょ、ここ」
「菜々子! これ……」
「これって……宿儺の指じゃん……」
美々子が床から拾い上げたのは剥き出しの宿儺の指。
これが元凶であることは明白だった。
「母さん!」
なぜこんなものが──と考えようとしたところで順平の声がそれを遮る。
振り向けば起きていたはずの凪が机に突っ伏していた。
宿儺の指は猛毒。
その気配は術師である菜々子達でさえ息苦しくなるくらいなのだ。
呪いに耐性のない凪が当てられてしまうのも無理はない。
色々と考えたいところだが、まずはここから離れるのが先決だ。
菜々子の連絡で伊地知が
回収した指も伊地知の応急の封印によって、これ以上呪霊が寄ることはないとのこと。
「呪いの気配に当てられただけだから多分大丈夫だろうってさ。私は伊地知さんに状況説明してくるから美々子はここにいて」
「うん。わかった」
ベッドに寝かされている凪を順平は悲痛な表情で見つめている。
唯一の肉親がいきなり倒れたのだから無理もないだろう。
それも呪いによって。
「ウチにあったアレって……」
「特級呪物 両面宿儺の指……そこにあるだけで呪いを寄せる最悪の呪物」
「何でそんなものがウチに……」
「誰かが意図的に置いたとしか考えられない」
特級呪物が家の真ん中に落ちているなんてありえない。
誰かが家に放り込んだのだ。
だが、何のために。
間違いなく一連の事件絡みだと考えられるが、
順平一人を始末するのにわざわざ特級呪物を使うだろうか。
しかも、順平は菜々子達とコンビニに行って家にはいなかったというのに。
考えに耽る美々子の隣で順平はふらふらと立ち上がる。
「ゴメン、母さん見ててくれる? ちょっと外の空気吸ってくる」
「え? ちょっ──」
美々子の言葉を最後まで聞く余裕すら今の順平にはなかった。
飛び出すように病室から出た順平。
彼の頭の中には「なぜ?」という思いだけが渦巻いていた。
どうしてこうなった。
普通に暮らしていただけのはずなのに。
なぜ自分にばかり不幸が降りかかる。
イジメの主犯格の伊藤。
彼に媚びへつらう取り巻き達。
イジメられている自分を見て自分の立ち位置を確認する女。
その状況を、構ってやっている、と表現する担任。
遠目から見ているだけの同級生達。
トドメのように今回の件で凪が倒れた。
命に別状はない、直に目を覚ます、高専が調査してくれる──などと言われても問題は既にそこではない。
凪はもう少しで呪霊に襲われて死ぬところだったのだ。
未遂だから何だというのか。
到底許せるわけがない。
そして、覚束ない足取りのまま病院から出たときだった。
「やあ、順平」
「真人さん……」
横から声をかけてきたのは、つぎはぎ顔の特級呪霊──真人。
映画館で高校生達を殺した張本人。
そしてここ数日、順平に呪術のことを教えてくれた人物でもある。
「酷い顔してるね。何かあったのかい?」
「母さんが──」
真人は順平が語るのを黙って聞いていた。
話が終わると真人は順平の肩に優しく手を置く。
辛かったね、と。
「人を呪うことで稼いでいる呪詛師は多い。そういう連中の仕業だろう」
「呪詛師……?」
「悪質な呪術師のことだよ。彼らは金さえ払えば殺しでも誘拐でも何でもやる。心当たりはないかい? 君や母親を恨んでいる人間。もしくは暇と金をもて余した薄暗い人間に」
「あ……」
いた。
真人が今言った条件にソックリ当てはまる人物が。
「犯人に心当たりがあるって顔だね。じゃあ、どうする? ソイツを問い詰めにいく? それとも君と一緒にいた高専の学生に頼る? もしくは──」
──君自身の手で殺す? と真人は何でもないことのようにそう言った。
ハッとして順平は顔を上げる。
真人は以前言っていた。
全ては巡るだけのもの。
腹が減れば食べるように殺したいなら殺せばいい。
生き様に一貫性なんて必要ない。
ならばいいのだろうか。
今まではダメだと思っていた。
今まではできないと思っていた。
今までは、だ。
順平は自分の手に目を落とした。
今は力がある。
真人が開花させてくれた力が。
「俺は順平の全てを肯定するよ」
ダメ押しとばかりに告げられたその言葉が順平の足を踏み出させた。
一線を越えてしまう一歩を。