兄・子世代ifチート能力を駆使して転生人生謳歌します!   作:八重歯

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120 セオドールとパーキンソン

 

 図書館でようやく目当ての本を借りたセオドール・ノットは、冷たい石畳を踏みながらスリザリン寮へと向かっていた。

 今、彼の関心を占めているのは時渡の魔法。姿現しの応用によって、座標だけでなく時間さえも越えられるのでは──そう考えていた。

 たしか魔法省の神秘部という場所で、そんな魔法実験を繰り返していると噂で聞いた事がある。

 今はこの理論を誰に言っても「馬鹿馬鹿しい。夢物語だ」と言われるだけだが、いずれは証明してみたい。

 魔法省の中でも秘匿性の高い神秘部、卒業した後、そこでより高度な知識を得れば、きっと不可能ではないはずだ──そうノットは考え、早くから勉学に励んでいた。

 

 

(そういえばこの本、いつ行っても貸出中だったんだよな。こんなマニアックで専門的な本、誰が借りていたんだろう。)

 

 

 黒の革表紙に細くくねくねとした金字で書かれている『時間遷移魔術における概念と法則』という文字を見下ろし、指先でなぞりながら歩く。ふと、視線の端に何かがかすめノットは視線を外した。

 

 それはどこにでもありそうな羽ペンだった。よくある落とし物だろう。ひょい、と掴みくるりと回す。ノットはわざわざ落とし物を職員室に届けるなんて優しい気持ちは持ち合わせていない。ただ、なんとなく拾っただけだ。高価なものじゃないし、捨てよう。

 

 そう思い指先から離れかけた時──。

 

 

「──あ、それ」

 

 

 微かな声がした。柔らかく響き、耳にスッと馴染む、優しく低い声。すり抜けかけた羽ペンを慌てて握りしめ、ノットは顔を上げる。

 

 少し先にいたのはノア・ゾグラフだった。

 

 どき、と心臓が高鳴ったのを感じる。息が詰まり、緊張から肩が上がる。

 

 ノットは今までノアと話した事がなかった。接点もない。──友人のドラコ・マルフォイは、彼と仲がいいらしいが、紹介して欲しい、だなんて浅ましいことを言えなかった。

 

 ただ、他の大多数と同じく、陰からこっそり見て吐息をこぼすだけだった。──今までは。

 

 ノアはほっと表情を緩め、軽い駆け足で歩み寄る。ごくり、とノットの喉が鳴った。

 白い頬は少し赤く染まっていて、眉は下がっている。目が合った。それだけで、全身が熱くなった。

 

 

「それ、俺のなんだ。──拾ってくれてありがとう」

「ぁ、──ぃ、いえ」

 

 

 ノットは自分の声が緊張から裏返っている事に気づいていたが、それを繕う事もできず、あわあわとしたまま羽ペンを差し出す。いつもなら見て見ぬふりをしていた落とし物。拾ってよかった!──後数秒遅れていたら捨てるところだった! ああ、なんで運がいいんだろう!

 

 

 嬉しそうにノアが微笑む。「本当にありがとう」そう弾む声で言われ、ノットは自身の心も嫌になるほど弾んでいる事に気づいた。 

 指先が震える。こんなに近距離で、あの、ノア・ゾグラフと喋っているだなんて──。

 

 ノアは、そのままノットの手を両手で包む。

 

 

「──っ!?」

 

 

 暖かい手に、びくんと肩を震わせたノットは顔を真っ赤に染めて硬直し腕に抱えていた本をばさばさと落とした。

 

 

(ノア・ゾグラフが。あの、ノアが僕に触れた!)

 

 

 ノアは驚いてしゃがみ込み、「大丈夫?」と少し笑いを含む声で聞く。ノットは裏返る声で「大丈夫です!」といいながら、慌てて散らばった本を集めた。

 

 

「あ。この本」

「え?」

 

 

 ノアが視線を止めたのは、ノットが今借りたばかりの『時間遷移魔術における概念と法則』だった。

 ノアの伏せられていた長い睫毛が震え、上がる。青灰色の目に映る自身の顔が、見たこともない表情をしているのをノットは見ながら、ノアの表情が花のように綻び微笑んだのを見た。

 

 

「こんな難しいの読むんだ?」

「は、はい。その、時間とかの、魔法に関係がある本を集めていて」

「俺、この前まで借りてたんだ。結構面白かったぜ?」

 

 

 内緒話をするように囁かれる。ノアは頬にかかる髪を耳にかけ、悪戯っぽく笑った。

 

 そうか、今まで借りていたのはノア・ゾグラフだったんだ! 確かにノアは優秀な生徒だと聞く。どんな難しい魔法も一度で成功させ、守護霊魔法をも使い、魔法薬もスネイプのお墨付きだとか。

 

 

「俺、時渡の魔法を調べててさ。……ほら、姿現し魔法では、座標を移動するだろ?それを応用して、座標を場所じゃなくて時間に定めれば──未来は難しくても、過去になら行けるんじゃないかと思って」

 

 

 それは、ノットが考えていた事と全く同じだった。

 思っても見なかった共通点と、今まで誰に言っても賛同を得なかった話を、ノアが話している。

 それだけでノットは胸が苦しくなるほど高鳴り、目の奥が熱くなる。話したい、もっとこの話を聞いて欲しい──。その思いで、ノットはノアに手を伸ばした。

 

 

「あ──ごめん」

 

 

 しかし、その手はノアの袖を掴む事なく止まる。ノアは申し訳なさそうに──悲しそうに──眉を下げ、口元を手で押さえながら少し身を引いた。

 

 

「え?──ど、どうし──」

「んー……俺と話すの、嫌じゃない?」

 

 

 彼は膝をぎゅっと抱え、その上にそっと頬を預けた。伏せがちなまなざしを、ゆっくりとこちらへ持ち上げる。膝の陰から覗くその目は、どこか甘えるようで──けれど言葉にはできない何かを訴えているようだった。その視線に触れた瞬間、ノットの呼吸が止まった。

 

 

(う──美しい。きっと、ヴィーラもこの眼差しには敵わない。)

 

 

「そ、そんな事、ありません!」

「本当に?……俺、その……あー」

 

 

 言い淀むノアは一度目を伏せ、何かを堪えるような表情をした。そのまま、あのいつもの溌剌とした表情からは考えられないほど、弱々しく庇護欲をそそられる表情を見せた。

 

 

「……マグル生まれ、だけど……」

 

 

 マグル生まれ。

 穢れた血。

 

 ノットは父がそう何度も言っていたことを思い出した。「魔法族ではない、あいつらは浅ましく下賎で、魔法界を堕落させていく存在だ」──そう、あの老いた父はそう言っていた。──目の前のノアが、悲しそうな目をしている。瞼が、震え、て──。

 

 

「──か、関係ありませんっ!ノアさんは別です!」

 

 

 気がつけばそう言っていた。

 それは、虚構ではなかった。

 ノアがマグル生まれであることは有名だ、そんな彼がホグワーツの中で誰より目立ち、今やイギリス魔法界の顔のような存在になっている──それを、驚くほど自然と受け入れられた。

 自分の親は、ノアが表紙の雑誌や菓子のパッケージを見るたびに少し眉を寄せる。だがそれだけで苦言することは無かった。

 

 だから、ノアだけは別なのだ。 

 彼だけが、マグル生まれの中で特別だ。奇跡的な人で、誰よりも美しくて、強くて、輝いているから。

 

 ノットはノアに嫌われたく無い一心でそう言った。そうすれば、ノアはまた花のような笑顔を見せてくれると思ったから。

 だが、ノアは少し悲しそうに笑った。

 それを見てノットの必死な顔が引き攣った。

 

 

(なんで、そんな悲しそうな顔? それをさせているのは、誰だ? まさか、僕か?)

 

 

 

「俺だけ別、かぁ……」

「──ッ」

 

 

 ノアは独り言のように呟く。

 ノットは何か言わなければならない。この人をこんなに悲しませるだなんて、そんな事あってはならない。そう思ったが喉は奥が閉まったように、意味をなさない喘ぎを生み出すだけだった。

 

 

「……なんで、俺だけ別なんだ?」

「あっ、あ、え……」

「ごめん、なんでも無い。──はい、これ。……羽ペン、ありがとうな」

 

 

 誤魔化すように笑い、ノアは散らばった本を集めるとノットに押し付け、羽ペンをカバンの中に入れながら立ち上がる。

 

 

「じゃあな。──セオドール」

「──あ、あっ、」

 

 

 セオドール。

 僕の名前だ。僕の名前を、あのノアが知っていた? 視界に収まることは無いと思っていた。声をかけられるだけで、奇跡だと。

 

 でも、そんな人が! 手に届かないはずの人が、僕の名前を知っていた!

 

 

 体が歓喜に震えている。薄暗い回廊のはずなのに、目の前に黄金の光が差したような。脳内に鐘の音が鳴り響いたような。

 

 ノットは真っ赤な顔で胸元を強く掴み、込み上げてくる感情を必死に押し留めた。

 

 

──数日後。

 

 

 ノットは一人、図書館にいるノアを見つけた。専門書が並ぶ場所で、周りには人がいない。

 

 

「あのっ──」

 

 

 高鳴る胸を押さえ、震える声でノットはノアに話しかける。本に手を伸ばしていたノアは手を止め、ふわりと嬉しそうに笑った。

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

 パンジー・パーキンソンは中庭にいた。まだ寒い季節だからか、他には誰もいない。それはパーキンソンにとって都合が良かった。だからこそ、ここを選んだと言えるだろう。

 

 鞄の中からいそいそと封筒を取り出す。朝、フクロウ便で届いたばかりのもので、早く中身を見たくてたまらなかった。

 パーキンソンはその封筒を丁寧に両手で持つと、胸に押し当て目を閉じ すう、はあ。と一度深呼吸をした。

 そして、ついに微かに震える指先でそっと封を開ける。中には数枚の写真が入っており、それを見た瞬間、胸がキュンと苦しくなり、パーキンソンは無意識に小さく呻き背を丸めた。

 

 

(うっ──美しいっ! ああ、モデルになりたてのノアさん。本当天使様みたい……!)

 

 

 それはノアがまだ少女によく間違えられていた時代の写真だった。丸みを帯びた頬に、絹のように流れる髪。大きな目は笑みの形で弧を描き、白い肌の中、リップを塗った赤い唇と頬だけが色付いている。

 

 

 パーキンソンが初めてノア・ゾグラフを見たのは九歳の時で、それは新聞の記事だった。パーキンソンは新聞に興味はあまりなかった。ただなんとなく居間で親が見ていたのを眺めていた時──目に、飛び込んできた。

 

 

「天使様……」パーキンソンの小さな唇から、無意識のうちに言葉が漏れた。間違いなく、一目惚れだった。彼女はすぐに新聞を読む父に駆け寄り、父の驚きなど目にくれず新聞を奪い、何時間もその写真に釘付けになった。──今でも、その写真は密かに手帳の中に挟んである。皺が寄らないように魔法をかけて。

 

 

 パーキンソンは、こんな美しい人を見た事がなかった。初めは、人形か精巧な絵画だと思った。寓話の挿絵に出てきている女神様。もしくは天使様。──しかし、その人は、生きて存在していた。

 

 しかも将来行くだろうホグワーツに通うと知り、パーキンソンは踊り出したくなるほど喜んだと同時に、どうかノア・ゾグラフ様がスリザリンに入りますように。と願った。心の底から、真剣に。

 

 しかし、彼はハッフルパフに選ばれた。──しかも、孤児で、親は、マグルだ。彼は、マグル生まれだった。

 

 

 愕然とした。

 パーキンソン家は純血主義であり、マグル生まれの醜悪さ、下劣さ、愚かさを両親から教え込まれ、彼女自身もそれを受け入れマグル生まれを下等な者と見ていた。

 下等な存在。私の視界に入るなんておこがましい。穢れた分際で、よくも生きていられるものだ。──そう、思っていた。──思っていたのだ。

 

 

 パーキンソンは、何度も集めたノアの写真を捨てようとした。──捨てよう、破ろう。こんなの集めているのが知られたら、父様と母様に折檻されてしまう。二人はひどく怒り幻滅するだろう。

 

 そう思ったが、震える指は写真を捨てることも、破る事もできなかった。

 

 

(こんな美しい人が、愛らしい人が、マグル生まれ? 醜悪な存在で、汚い血が流れているの? 穢れているの?──本当に?)

 

 

 幼いパーキンソンは、その答えを出す事ができず。机の引き出しの中、誰も見ない日記の間に写真を挟み、こっそりノアを敬愛していた。

 

 

 そうしている間に、ノアがモデルになり、一躍有名になった。──有名になりすぎた。

 ノアは、イギリス魔法界で知らぬ者はいない、そんな存在になった。

 彼の笑顔に誰もが魅了され、彼の選択が若者のトレンドになる。

 彼がコラボした商品は飛ぶように売れ、彼の名を耳にしない日はない。

 

 パーキンソンは見た。

 母親が、こっそりノアの表紙の雑誌を買っているのを。

 

 あの、マグル生まれを毛嫌いし、同じ空気にいるのも嫌だと言っていた母親が、だ。

 

 

 その瞬間、パーキンソンは理解した。

 ノア・ゾグラフは、特別なのだ。彼の方だけが特別で、許されている。マグル生まれでも、それが霞んでしまうほどの美貌と、魅力。そして、その存在を肌で感じれば──途方もない魔力に、惹かれてやまない。

 

 むしろ、惹かれる事は当然で、惹かれないものがおかしいのでは?

 

 

 そう考えてから、パーキンソンはノアを敬愛する事に自分なりに理由をつけ、もう止める事はしなかった。──賢いパーキンソンは、違和感に気づいていたが、それを深く考えることはしなかった。

 

 

 こっそりファンクラブに入り、お小遣いでプレミアがついている写真を買い集める日々。

 懐は寒くなるが、写真の中のノアは何よりも美しく、甘く自分を見つめていて、なんだか──全て、どうでもよくなるのだ。

 

 

 ほう、と甘い吐息をこぼす。

 

 

 その時、ぶわ、と木々が大きくしなるほどの突風が吹き、写真が彼女の手から離れた。

 

 

「ああっ!」

 

 

 悲痛な叫びを上げ慌てて手を伸ばす。当然だ、この写真は何十ガリオンもした。いや、金額じゃない。ノア様の写真を濡れた地面の上になんて落とせるわけがない!! 

 

 必死に手を伸ばすが、写真はそれを嘲笑うようにひらひらとパーキンソンの手からすり抜ける。「待って!」パーキンソンは叫び、慌てて後を追った。アクシオ? だめ、杖を取る時間なんて──。

 

 

 悪戯な風に乗りひらひらと踊る写真は、角を曲がる。パーキンソンも慌ててそれを追い──突如、胸と顔に強い衝撃を受け息を詰めた。

 

 

「っ!?」

「おっと。──大丈夫?」

 

 

 反動でバランスを崩した腰を支えられた。

 低い声、私の手よりも大きな手、ふわり、と甘い良い匂い。日の光を浴びて、銀色に輝く美しい髪。

 

 

 パーキンソンは、視界いっぱいに広がるノアの顔を見て。「あ、死」と思った。

 

 

 何故かわからない。死んだ。その言葉が脳内を占めた。

 

  

(は? 何、美しい。ノア様? 嘘でしょ。死ぬ。だめ、だめだめだめ私の吐いた息を吸わないで!)

 

 

 ノアは真っ赤な顔で硬直したパーキンソンをそっと離すと、「大丈夫?」と囁いた。

 

 パーキンソンはノアをぼーっと眺めたまま数秒停止していた。ひらひらと目の前にノアの白くしなやかな手が振られ、ようやく止まっていた息をひゅっと吸い込み。数歩後ずさった。

 

 顔面にぶわっと汗が吹き出るのがわかる。心臓が爆発しそう! いや、もしかして爆発してる? 口から出てるんじゃない? だって、喉の方までドキドキうるさくて、何も話せない!

 

 

──でも。こんなチャンスはない。

 

 

 ノア様と、話してみたかった。何度も夢に見た。何度も願っていた!──でも、できなかった。ドラコが心の底から羨ましかった! でも、輪に入れて、なんて、とても言えなかった。

 

 だって私はノアに見られるような、見そめられるような人じゃない。

 私が誇れるのはこの血。純血は私の誇り。だけど、ノア様にそれは、とても言えない。だってノア様にはご両親もいなくて、マグル生まれで。

 だから、あの明るい輪の中に入れてなんて。この美しい青灰色の目が、私を映す事なんてないと思っていた。

 

 それなのに、今、目の前にはノア様がいて、私を見ている。

 

 何か話題を探さないと。こんなチャンス無い! もうノア様と話せないかもしれない!

 

 パーキンソンは必死に話題を探そうとしつつ──ふと、ノアの手に握られているものに気づいた。

 

 

「そ、それ──」

「あ、これ。もしかして君のだった?」

 

 

 ノアは笑いながら写真を振る。

 それはまさしく、風に飛ばされてしまったノアのプレミア写真だった。

 パーキンソンは、今なら顔に集まる熱で大鍋が沸かせる。と思った。

 

 震える唇で、なんとか「はい」と言い、手汗が滲む手のひらをローブで拭いながら手を差し出す。ノアは笑ったまま、パーキンソンに写真を渡した。

 

 

「俺の写真。集めてんの?」

「は、はい。そのっ──初めて見た時、から、そのっ大好──あ、ファン! ファンで!」

 

 

 しどろもどろになりながら、パーキンソンは精一杯に愛を伝えようとした。だがいつもグリフィンドール生を皮肉ったり揶揄う時は滑らかに動く口が、今日は全くもってポンコツだ。

 

 

「ありがとう。──ん?」

 

 

 ノアは小さく首を傾げる。パーキンソンは何か変な事があるだろうか、と汗を飛ばしながら髪を必死に撫でつけた。

 

 ノアは、何気なく身を乗り出した。

 

 

 ノア様の、睫毛、本当に長い。

 肌も、くすみひとつないし、唇の皺まで見え──え?

 

 

 ノアの顔が不意に近づく。吐息を感じるほどに。

 パーキンソンは「ひゅっ、」と息を呑んだ。

 

 

 頬のすぐ横に、吐息が落ちた。

 ノア様の鼻先が私の髪をかすめ、そっと探るように──彼の方は、匂いを嗅いだ。

 

 

「──もしかして、俺の香水、つけてくれてる?」

 

 

 低い声が耳元で囁かれる。

 ぞわり、と全身の産毛が逆立った。

 

 心臓が『ドッ』と低く強く鳴り、止まった。 

 

 

 

──と思ったが、パーキンソンの心臓はなんとか鼓動を再開した。ノアの言葉を聞き漏らすことなど万死に値すると、本能が叫んだのかもしれない。

 

 パーキンソンは瞬きもせずノアが嬉しそうに、首を傾げて、なんとも色気のある微笑みを浮かべたのを見ていた。

 

 

(こうすい。こうすい。なんだっけそれ。え? いま、ノア様が、私の匂いを嗅い──だ──)

 

 

 パーキンソンは優秀な生徒の一人だ。確かに、ノアが売り出した香水をつけている。なんなら、ノアが着ていた服も持っているし、化粧品だって、あの赤い口紅も、ノアが関係している化粧品や服は大体買っている。

 しばらく現実逃避をしていたが、じわじわと事実を脳が受け入れ、パーキンソンの体から汗が吹き出し、震えた。

 

 

「あっ、あっ? え? わ、私。にお、い」

「……ん?」

 

 

 挙動不審なパーキンソンは、まさに壊れたオルゴールのようであり、ノアは不思議そうに「どうしたんだろう」と目を丸くさせ──そして、「あ」と小さく呟いた。

 

 

「ごめん。無礼だったよな」

「ぶれい。……無礼!? い、いえ、そんな!」

 

 

 パーキンソンは必死に首と手を振った。 

 

 ノア様にそんな困った顔はさせたくなかった。いつも太陽のように笑うノア様。世界の中心のようで、明るくて、元気なノア様。そんなノア様がこんな表情を見せるなんて、そんなのおかしい!

 

 

「だって──ほら、俺ってスリザリンで嫌われてる、だろ?」

「え。……えええっ!? そ、そんなこと、ありえないですよ!」

 

 

 パーキンソンは憤慨した。

 

 誰だそんな最低なデマを流したやつは! グリフィンドールか?レイブンクローか?ハッフルパフか? ノア様をスリザリンに近づけないために? だから、ノア様は今まであまりスリザリン生と話さなかったのか?

 

 

(憎い。許さない。呪ってやる!)

 

 

「本当に?」

「本当です! だって、スリザリンでもノア様のファンクラブに入ってる子多いです! 多いというか、むしろ殆ど入ってると思います!」

 

 

 もし、スリザリンに対して嫌な感情があるのなら、必ず訂正しなければならない。勘違いも甚だしい! スリザリンの談話室で、ノアの悪口を言っている人なんて、見た事がない!

 

 

 ノアは彼女の勢いに驚いたように目を見開いていたが、ふっと嬉しそうに表情を緩めた。

 

 どこか子どもっぽい、無垢な笑顔に、パーキンソンの胸が再び高鳴る。

 

 

「……そっか。俺、マグル生まれだから……君たちに嫌われてるって、歓迎されてないって思ってた。……だから今まであまり話せなくて」

 

 

 その言葉に、パーキンソンは頭を殴られたような衝撃を感じた。

 

 

 あのノア様が。そんな事を思っていたなんて。

 堂々としていて、いつも笑顔で、何よりも輝かしい自信に満ちていて。

 そんなノア様が、こんな、迷子の子どものような顔で、私を見て──私だけをみて──そんな事をずっと考えていたなんて。──悩んでいたなんて!

 

 

「ノア様は特別です!」

 

 

 パーキンソンは笑顔で力強く断言する。

 そうだ、ノア様は別だ。

 マグル生まれだろうが、ノア様だけが下賎ではなく、穢れた血ではない。マグル生まれでも魔法界の象徴で、むしろ高貴な純血一族と同じくらい高貴な方で、ノア様はスリザリン生に受け入れられて、母様も記事をこっそりスクラップしていて──ノア様、だけが……?

 

 

(──本当に、ノア様だけが特別なの?)

 

 

 ノアは目を伏せた。

 長い睫毛が震え、形のいい唇がきゅっと結ばれる。辛い気持ちに押しつぶされるのを、堪えているように。

 

 

「……他の人も、俺と同じ生まれなのにな」

「……ぁ、」

 

 

 パーキンソンはなにも言えなくなっていた。

 

 ノア様が笑っていない、悲しんでいる。どうして? 貴方だけが特別の何が悲しいの? だって、そうでしょう。ノア様は、マグル生まれ。

──特別な、マグル生まれ……でも、マグル生まれは、下等な、穢れた……存在、で。

 

 

 ノアの目の端には宝石の粉のように輝く涙が浮かんでいた。

 それは流れなかったが、パーキンソンの心臓と脳を破壊するには十分だった。

 

 

「ごめん。変な事言った。──これからも俺のファンでいてくれると嬉しいよ。パンジー」

 

 

 ノアは今まで見せていた表情を取り繕うと、眉を下げながらも、なんとか笑う。

 パーキンソンは、手を振って去っていくノアの背中を呆然と見つめることしかできなかった。

 

 

(あ、名前──)

 

 

 ふわり、とノアの甘い匂いが最後に残る。

 

 

 

──数日後。

 

 

 パンジーはノアが一人でフクロウ小屋に入ったその後を追った。

 

 

「ノ、ノア様──その、私は……」

 

 

 パーキンソンはそっとノアに声をかける。

 羽が舞うフクロウ小屋で、窓の外を見ていたノアはふっと視線を向けて、少しだけ驚き狼狽し──それでも、話しかけられて嬉しい、と言うように微笑んだ。

 

 

(ああ──……)

 

 

 パーキンソンは、それでいいと思った。

 ノアが笑っている。──これが、正解だと。

 

 

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