兄・子世代ifチート能力を駆使して転生人生謳歌します!   作:八重歯

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139 ブラック家

 

 

「ここが──グリモールド・プレイス十二番地!」

 

 

 夜のロンドンの住宅街の中、見上げたその家に、俺は思わず声を上げてしまった。

 窓ガラスはくすんで曇り、扉の黒いペンキはひび割れ剥げ落ち、玄関までの石段は長年踏まれてすり減り、砂埃に覆われている。

 

 ……汚い。いや、まじで汚い。

 

──が、それでも胸が高鳴るのを抑えられなかった。ここはホグワーツに次ぐ“聖地巡礼”みたいなもので、テンション上がるのも仕方ない!

 

 

 両隣の家からはマグルのテレビの音が漏れ聞こえていた。でもシリウス曰く、この家にはマグル避けの魔法がかかっているらしく、十二番地を知覚できる者はいないらしい。番地が飛んでいても、マグル達は「番号の間違いだ」と思い込むだけ──そういう仕組みだとか。

 

 

『……そんなにいい場所じゃないぞ?』

 

 

 感激する俺に、犬のシリウスが呆れ混じりにぼやく。

 

 

『シリウスにとってはな。でも、俺にとっては──ま、いいじゃん』

 

 

 あまり気が進まなさそうなシリウスの体をポンと叩き、砂埃でじゃりじゃりしている石段を上り、扉の前に立つ。扉にはドアノブはあるが鍵穴は無く、訪問客用のドアノッカーは蛇がトグロを巻いた形をしていて──まさに、純血主義の家らしい。

 

 

『特別な魔法かかってる? 無理やり開けていい?』

『……ああ』

 

 

 シリウスが頷くのを確認して、俺は拳で扉を軽く叩いた。その瞬間、扉に張りついていた結界が波紋のように揺らぎ、古びた木の表面が一瞬、水面みたいにゆらめいた。試しにドアノブを押してみると、驚くほどあっさり開いた。

 

 シリウスは耳をぴくりと動かし、少し目を細めただけで何も言わない。俺たちは真っ暗な玄関ホールに足を踏み入れた。

 

 

──俺がシリウスとブラック家に行くとこになった理由は、数時間前に遡る。

 

 

 

 

 

 きっかけは、舞台裏の廊下での何気ない光景だった。

 シリウスが袖をまくり、雑巾を手にして床を磨いていたのだ。魔法使いなら普通は呪文で済ませるような作業なのに、シリウスはまるで罰を受けているかのように、黙々とマグル式で作業していた。

 

 

「……あれ? シリウス、魔法使わないのか?」

 

 

 素直な疑問を口にすると、シリウスは動きを止め、どこか気まずげに眉をひそめた。

 

 

「……杖がないからな」

 

 

 低く告げる声には、少し苦い響きがあった。

 あ。そうか。

 何にも考えてなかったけど、囚人になった時に杖は没収されていただろうし、脱獄する時に杖を手に入れることは難しいだろう。

 思い返せば叫びの屋敷でも、ナイフで脅したり、他人の杖を使っていた。 ──よく考えたらそりゃそうか。

 

 

「杖無しでできないのか?」

 

 

 俺は指を振り、バケツの中の雑巾をふわりと浮かばせ、床を拭くように動かした。シリウスはそれを目で追いながら「普通は、できないな」と苦笑する。

 

 

「そうかなーとは思ってたけど。全く?」

「できない事もない、が、ノアのように完璧に支配することは無理だな。掃除しようと思っても──」

 

 

 シリウスが指を立てて、自動で床を拭いていた雑巾に向ける。雑巾はぶるぶる震えたかと思うと、突然跳ね上がり、びたんと落下した。

 

 

「──思うようには動かせないな」

「なるほど」

 

 

 やっぱ杖無し魔法は普通じゃできないんだな。俺もやってる人見たことないし……俺とダンブルドアくらいか?

 

 

「俺としては、なぜできるのかが不思議なんだが……」

「俺は世界最強の魔法使いだから」

「……きみが言うと説得力がある」

 

 

 シリウスは小さく笑って雑巾を拾った。

 杖がないのはやっぱり不便そうだ。屋敷の中くらいなら俺が杖を貸してもいいけど、夏休みが終われば返してもらわなきゃならないし。

 杖無しで魔法使えるとはいえ、授業中に持ってなかったら面倒な事になりそうだもんなぁ。

 

 

「新しい杖は買いに行かないのか? リーマスかクィレルに頼んでさ」

「買った杖が正しく使えるかどうかわからないからな……」

「ふーん、不便だな」

 

 

 たしかに、杖によっては持ち主以外の言う事を聞かず、使いにくい杖もあるという。

 たまたま買ったのがその杖だったら面倒くさそうではある。

 

 でも──俺が知っている未来のシリウスは、杖を使っていた。ということは、どうにかして自分の杖を取り返したか、新しい杖を購入したって事だと思うんだけどなぁ。

 

 

 そう考えながらシリウスを見ていると、シリウスは少しだけ視線を彷徨わせ、頭をガシガシと掻いた後、言いにくそうに口を開いた。

 

 

「……ブラック家には、代々受け継がれてきた杖がある。亡き父上の部屋に、残されているはずだ。ブラック家で生き残ってるのは俺だけだしな」

 

 

 亡き父上──その言葉はかなり皮肉めいていた。

 そうか、原作には名前しか出てこないシリウスの父は、原作が始まる前には死んでるんだよな。シリウスの母はあの場所に肖像画として残ってはいるが──本人は死んでる。シリウスの弟のレギュラス・ブラックもそうだ。

 

 生きているブラック家の者は、シリウスだけなんだ。

 

 何が原因で亡くなったのかは知らないが、親世代より上の年代の人って結構亡くなってるんだよなぁ。リーマスの両親もそうだし。……ヴォルデモートや死喰い人に殺されたわけでもなさそうだけど。変な疫病でも流行ってたのかな。

 

 

「じゃあ、取りに行くのか?」

「……ああ。本当は使いたくないがな。ブラック家の杖なんか……」

 

 

 シリウスは眉を寄せ、暗い声で吐き捨てる。

 

 

「いつ取りに行くんだ?」

「早いうちには、と思っている」

「なあ、俺も行っていい? 今から行こうぜ!」

 

 

 ブラック家!

 未来の不死鳥の騎士団本部!

 不死鳥の騎士団に入るつもりがないから、ブラック家に行くのは無理かな、なんて思ってたけど、チャンスがあるなら行ってみたい場所だ。

 シリウスとレギュラスが生きていた場所の空気を、実際に感じてみたい! 会えるなら、クリーチャーと会って……分霊箱のロケットの事は……まあ、おいといて。

 

 

 俺の期待に満ちた顔を見て、シリウスは一瞬驚いた表情をしたが──すぐに深いため息をつき、肩を落とした。

 

 

「……あそこは長年手つかずで、人を招けるような場所じゃない」

「気にしないって。それに、杖無しじゃ面倒だろ? 俺がいた方が何かあっても対処できるしさ! な?」

 

 

 身を乗り出し軽い調子で押し切ると、シリウスはしばし黙り込み、やがて観念したように小さく頷いた。

 

 

「……わかった。だが後悔するなよ、ノア」

 

 

 こうして、俺とシリウスはブラック家──グリモールド・プレイス十二番地へ向かうことになったのだ。

 

 

 

***

 

 

「うわっ!──埃とカビが──げほっ!」

『これは酷いな』

 

 

 玄関ホールはどの窓も分厚いカーテンがかかっていて暗く、埃と黴の饐えた悪臭がして酷かった。空気がどんよりと重くて、吸い込むだけで病気になりそうな気がする。

 

 犬の嗅覚は人間以上だからか、シリウスは嫌そうに唸るとすぐに人の姿に戻り、鼻を擦りながら乾いた咳をこぼす。

 俺はすぐ杖を振るって埃や黴を一掃する。爽やかな風が吹き、重く沈殿していた空気はふっと軽くなった。ついでに壁に沿ってあるガスランプにも魔法の火を灯せば、ようやく玄関ホールの全貌が見えてきた。

 

 壁紙は湿気で剥がれかけているし、蜘蛛の巣が払われたシャンデリアは豪華だけど、いくつか腕木が折れてるし水晶もくすんでしまって輝きにかけている。

 壁にある肖像画は斜めを向いていたり、落下していたり。どの肖像画も眠っているように目を閉じている。その隣には剥製の歴代ハウスエルフの首が並んでて……うわ。まじまじと見るとほんとに悪趣味だな。

 

 俺の魔法で空気は澄んだし、綺麗になったけど、全体的にボロい。もし、来年原作通り不死鳥の騎士団本部になるんだったらある程度修繕しておいても損はないかな。

 

 

 とりあえず魔法で壁紙や窓ガラスを修繕し、シャンデリアの欠けを直す。虫食いだらけのビロードのカーテンも蘇り、重たげにタッセルへと収まった。

 

 

「……あ」

 

 

 横でシリウスが小さく声を漏らした瞬間。 カーテンの奥に隠されていた肖像画の老女が目をかっと見開いた。

 髪を振り乱し、血走った瞳をぎらぎらさせ、狂喜に似た叫びをあげる。

 

 

「ああ、シリウス……! お前が、ついに仕えたと聞いたわ! 穢れた裏切り者どもをよく討った! ああ、我が誇り、我が息子よ!」

 

 

 喉を嗄らすほどの歓喜に、壁一面が震えるようだった。

 

 

──あれ?侮辱絶叫だと思ったのに。

 

 

 

 てっきり「血を裏切る者!」とか叫ぶと思ったが、老女はギラついた目でシリウスを賞賛していた。

 

 それを聞いたシリウスはぐっと眉を寄せ奥歯を強く噛んだようだった。一呼吸分おいて、唇に皮肉な笑みを浮かべ、低く応じる。

 

 

「──おや、偉大なる母上。俺のどんな噂をお聞きで?」

 

 

 嘲り混じりの声音に、肖像画の老女は一瞬たじろいだ。それでもなお、必死に笑みを保ち、爪を振り回す。

 

 

「お前が、ポッターを──あの愚かな男を裏切ったと……! ああ、やっぱりお前は私たちを裏切ってなんかいなかった! それこそ、純血の誉れにふさわしい!」

 

 

 ああ、そうか。

 シリウスは、一般的にはヴォルデモートの右腕で、ジェームズ・ポッターを裏切り、ヴォルデモートに売った。その上でマグルを大量に殺害したと思われている。

 シリウスの母も、その事を死ぬ前に知ったはず。その上で、そう思ったまま死んだんだろう。

 だから、こうして狂気が滲む猫撫で声で、シリウスを賞賛しているのか。

 

 

 狂ったような笑みを浮かべる母に、シリウスは冷笑を深め、声を張り上げた。

 

 

「笑わせるな。ジェームズは俺の兄弟同然だ。──俺はあの夜、ジェームズを裏切ってなんかいない」

 

 

 沈黙が落ちた。

 老女の顔から血の気が引き、瞳が信じられないとばかりに揺れる。

 

 

「……な、何を言っているの……?それは、あいつらを欺くための嘘でしょう?」

 

 

 狼狽。

 そして、シリウスの冷ややかな笑みに気づいた瞬間、絶望が濃くなった。

 

 

「俺の思想は変わっちゃいない。純血主義なんざクソ喰らえだ!」

「あ──あああ──」

 

 

 全てを理解した母の目が狂気に満ちた。

 喉の奥から絞り出される叫びは、先ほどの賞賛とはまるで別物だった。

 

 

「あああああっっ!!」

 

 

 絶叫。

 白目を剥き、涎を垂らし、皮膚を引き攣らせて、喉を裂くような金切り声を上げる。その声はシャンデリアを震わせ、他の肖像画たちをも次々と目覚め喚き出す。

 

 黒髪は乱れ、血走った両目がぎょろつき、長い爪で額縁をひっかき回す。──いや、絵だから実際には届かないんだけど、それでも迫力がある。

 

 

「こいつううぅぅ!! なぜお前だけが生き延びた!!」

 

 

 シリウスは舌打ちをこぼし、カーテンに飛びつき閉めようと引っ張るが、母が叫ぶたびにカーテンが狂ったように動き、なかなか閉まらない。

 ブラック家名物をもう少し見たい気持ちもあるけど、流石に耳が痛いし黙らせよう。

 

 指を鳴らせば、喚いていたシリウス母はぴたり、と動きを止めた。ぎょろりと剥いた目と開いた口はそのままに、マグルの肖像画のように停止する。シリウスはその隙にカーテンを閉め、少し弾んだ息を整えた。

 

 まだ煩い他の肖像画達も同じように強制的に黙らせれば、ようやく玄関ホールに静寂が戻る。

 

 

「すまないな、ノア。……あれが俺の母だ」

「賑やかなお母さんだな」

「……これ、外せないか? 燃やして捨てよう」

 

 

 シリウスは苦渋に満ちた表情で言うと、くい、と顎でしまったばかりのカーテンを指した。

 

 

「いやいや……さすがに燃やすのはなぁ」

 

 

 俺は肩をすくめて笑った。流石に可哀想だろう。肖像画燃やしたらまじで呪われそうだし。

 

 

 シリウスは忌々しいものを見る目で舌打ちをこぼしカーテンを睨んだが、それ以上燃やしてほしいと頼むことはなく「行こう」と廊下を顎でしゃくった。

 

 

「ここにいたらまた騒がれる。もううるさいのはごめんだ」

「賛成」

 

 

 シリウスに続いて軋む階段を上がり、近くの扉を開ければ中は広めの客間だった。

 ここも埃が雪のように積もっているから、杖を一振りして清める。

 

 部屋の壁には色褪せてはいるが、金の刺繍糸が微かな輝きと高貴さを保っている重々しい雰囲気を放つタペストリーが掛けられていた。

 

 

 あっ、これってあれだ。ブラック家名物そのニ!──その一はもちろんシリウス母の肖像画だ。

 

 

 思わず俺は「おお」と声を上げ、シリウスは入った瞬間から露骨に顔をしかめていた。

 

 

「これ……家系図か?」

 

 

 わかってはいるが、とぼけて聞くと、シリウスは苦い顔のまま短く頷く。

 

 近寄って見上げると、中世ほどまで遡ることができる広い家系図だということがわかる。一番上には大きな文字で『高貴なる由緒正しきブラック家 ”純血よ永遠なれ”』と書かれていた。

 うーん、ただの家系図じゃなくて巨大な木を模しているのがなんかオシャレだよなぁ。

 ……でもなんで木なんだろ。名前星ばっかだから星図っぽくしてもよかったのに。

 

 なんて考えながらまじまじと見る。

 

 

「シリウスの名前は──消されてるのか?」

「そうだ。……昔はここにあった」

 

 

 シリウスは家系図の一番下の、小さな丸い焼け焦げを指差した。

 

 

「お優しい母上が、俺が家出したあとに抹消してくださってね」

「へえ……よく見ると何人か消されてる人がいるな」

「ああ、ブラック家のお気に召さない奴は抹消される。それが良いことなのは間違いないがな」

 

 

 シリウスはそう言いながら、焼け焦げた跡を指でなぞり、少し寂しそうに笑う。

 その後でふと、自分の焼け焦げの隣にある名前を見て──なんとも複雑そうに目を細めた。

 

 

「レギュラス・ブラック。……シリウスの弟か?」

「ああ。もう死んでる」

 

 

 俺の言葉に答えたシリウスの声は、いっそ清々しいほどにあっさりとしていた。

 ちらり、とシリウスを見上げる。シリウスは俺と目が合うと肩をすくめ「たいしたやつじゃなかった」と呟いた。

 

 

「レギュラスは、俺と比べていい子だったよ。純血主義の両親にとってはな」

 

 

 軽蔑と、憎しみと、多分、少しの寂しさ。

 シリウスは“レギュラス・ブラック”と書かれた文字と死亡年月日をじっと見ていたが何かを振り払うように首を振るとタペストリーに背を向けた。

 

 

「杖を探してくる。ノアはどうする?」

「適当にうろついとく」

「わかった」

 

 

 シリウスはタペストリーを見ることなく客間から出ていった。

 俺もタペストリーを一通り見たあと、静かな廊下に出て、適当な扉をあける。

 

 

 またふわり、と埃が舞った。広い机にたくさんの椅子。多分、ここは食堂か談話室だろう。豪華なマントルピースがある暖炉もあるし、シャンデリアも玄関ホール並に豪華だ。どれも、汚いし壊れてるけど。

 

 

「ん? ……なんだろ」

 

 

 綺麗にしたカーテンの裏から蜂のような羽音が低く響いていて、杖でちょいと裏をめくって見れば、妖精──に似てる大きさだけど、黒い毛にびっしり覆われているよくわからない魔法生物がいた。

 魔法で捕まえていくが、まあまあ数が多い。歯が鋭いし、爪は長いし、魔法界の害獣みたいなものだろう。……なんか、授業で習ったような気もするけど全く思い出せない。

 

 その変な生き物に麻痺呪文をかけて一匹ずつ捕まえて机に並べていると、ある程度片付いた時にガタ、と何かの異音が響いた。

 

 入った扉とは別の扉が開く。

 背を曲げて、顔は皺やしみが目立ち、垂れた皮膚のせいで瞼も重い。この家のようなボロを纏ったかなり年老いているハウスエルフは、見違えるように綺麗になった部屋にぴしりと動きを止め、俺を見た。

 

 

──あ、クリーチャーだ。

 

 

「何者だ。 盗人か? 穢らわしい、この家が誰の家だと思って──」

 

 

 しゃがれ声でぶつぶつと罵りながら、俺に指を突きつけた。

 咄嗟にプロテゴを展開すると、何かが弾かれて火花を散らし、壁を切り裂いた。

 

 

「おー。けっこう強い魔法だな」

 

 

 俺が肩を竦めて笑う間もなく、クリーチャーはさらに指を振る。爆発音、切り裂く音、壁に跳ね返る衝撃──全部俺の前でことごとく弾かれる。

 

 クリーチャーは目を剥き、信じられないという顔で俺を睨みつけた。

 俺は肩を竦めて、あくまで柔らかく言葉を返す。別にクリーチャーと敵対したいわけじゃないしな。

 

 

「そんなんで俺を追い出せると思うか?」

 

 

 軽く言えば、クリーチャーは悔しげに歯を剥き、唸り声を洩らす。その瞬間──。

 

 

「クリーチャー!」

 

 

 扉を開け放つ音と共に鋭い声が響いた。

 振り返れば、シリウスが扉を押し開けて立っていた。怒りを孕んだ瞳、吊り上がった眉。不快なものを睨む目で、手には先ほどまで無かった杖をしっかり握っている。

 

 クリーチャーはその声を聞いた途端、ぎょっと目を見開き、震えるほどに驚愕した。

 じり、と半歩下がったクリーチャーは、ゆっくりとシリウスに頭を下げた。

 

 

「……お戻りでございますか、ご主人様」

 

 

 クリーチャーの声音に、きっと母と同じで勘違いしていると察したシリウスは氷のように冷たい声で吐き捨てた。

 

 

「言っておくが、クリーチャー。俺は今も昔も変わらない」

 

 

 低い声には、激しい嫌悪と決意が滲んでいた。

 

 

「こんな家に帰ってくる気はないし──あのクソババアの肖像画も、燃やしてやる」

 

 

 その言葉に、クリーチャーはぎょろりと目を見開いた。だが反論はできない。

 ゆっくりと瞼を伏せ、視線を外したまま、なおも深く頭を垂れる。

 

 

「……それでも、この家はご主人様の家です」

 

 

 搾り出すような声。だがその直後、低い声で抑えきれない愚痴が滲み出た。

 

 

「やはり……こいつはブラック家に相応しくない。ああ、私めがこいつに頭を下げていると知ったら、奥様はきっと嘆かれる……なぜ、今ごろ帰ってきたんだ……アズカバンで朽ちればいいものの……」

 

 

 唇を震わせ、ぶつぶつと呪詛のように呟き続ける。屈辱に歪んだ表情は、従属と憎悪の板挟みにあるようだ。

 

──かなり愚痴が漏れている。これ、本人は聞こえてないと思ってたんだっけ。

 

 

 クリーチャーの呟きを聞いたシリウスは眉間をぎゅっと寄せ、苛立混じりの重い息を吐いた。

 

 

「行こうノア。杖は見つけたし、こんなところにこれ以上いる意味はない」

 

 

 嫌そうにクリーチャーを見下ろしていたシリウスは、杖を軽く振りながら言った。

 シリウスが「行こう」と短く告げ、背を向けかけた時だった。

 なんとなく気になって、俺は振り返り、クリーチャーに向かって軽く首を傾げた。

 

 

「……なあ、クリーチャー。俺はシリウスの“ご主人様”なんだけどさ。ってことは──お前も俺の言うこと、聞いたりするの?」

 

 

 思いつきで、冗談半分のつもりだった。

 ブラック家に仕えるクリーチャーは、ブラック家当主のご主人様にも従うのか。シリウスは俺の魔法契約で契約したペットだし。

 

 クリーチャーは顔を上げると濁った瞳をぎょっと大きく見開き、俺を凝視する。皺だらけの顔がひきつり、爪のような指先が小さく震えた。

 

 

「……こ、この気配……」

 

 

 掠れた声がもつれ、喉の奥で泡立つ。

 魔法生物ってやっぱ人より魔法に敏感なのかな。どうやら、本能で理解したらしい──シリウスが俺の“ペット”であり、俺が“ブラック家当主の主人”なのだと。

 

 

「……クリーチャーめは──ブラック家に……し──したが──ご主人様の、“ご主人様”……め、命じられるなら……」

 

 

 悔しさに震え、その言葉を言うことがかなり嫌だったのか言葉はつっかえつっかえで、何度も口を閉じようとしていたが、それでも意思に反して本能の部分が折れ──クリーチャーは俺に深く頭を垂れた。

 

 

「えっ、まじで? ……冗談で言ったんだけどな」

 

 

 俺は少し目を丸くし、苦笑を洩らす。遊び半分だったのに、思った以上に効いてしまったことが若干気まずい。俺がマグル生まれだって知ったら、クリーチャー舌噛んで死にそうだな。

 

 

「ノア、やめろ。関わるだけ損だ」

 

 

 シリウスが鋭く言い、低く唸るように俺を制した。母の肖像画を見た時と同じ、苦々しい表情だ。

 

 

「……わかってる。試しただけさ」

 

 

 俺が軽く手を上げると、シリウスはなおも渋い顔をしながら、肩でため息をついた。

 クリーチャーはまだ俯いたまま、唇の端からぶつぶつと漏らす。

 

 

「……奥様がお聞きになれば……私めがこんな奴に頭を下げていると知れば……ああ、なんという屈辱……」

 

 

 聞こえてるんだけどなぁ、と内心でだけ突っ込み、俺は肩を竦めた。

 シリウスはクリーチャーと一緒に居たくないのか──ブラック家で過ごした日々を思い出してしまうからだろう──さっさと部屋から出て玄関へ向かった。

 

 部屋に、俺とクリーチャーだけが残る。

 

 クリーチャーは、まるで汚物でも見るような目で俺をじっとみつめていた。

 俺はクリーチャーに笑いかけ、向こうにいるシリウスに聞こえないように小さな声で告げる。

 

 

「じゃあな、クリーチャー。……何か俺に壊してほしいものがあれば、今度会ったときに持ってこいよ」

「な──」

 

 

 こぼれ落ちそうなほど目を見開き、クリーチャーは狼狽した。俺は気楽に笑ってひらり、と手を振り扉を閉める。

 

 

 シリウスは一刻も早くここから出たいのか、扉の前で俺を待っていた。

 

 

「帰ろう、ノア」

「もういいのか?」

「ああ。俺の家は──舞台裏、だからな」

 

 

 シリウスはふっと笑みをこぼし、犬の姿に変わる。

 俺はその柔らかな毛を撫でながら、重たい扉を押し開けた。

 

 

 外の空気は冷たく澄んでいて、深呼吸するだけで肺が喜んでいる気がする。

 

 住宅街はもう眠りにつき始めていた。遠くの通りから車のタイヤの音が響き、近隣の家からはかすかにテレビのざわめきが漏れてくる。けれど頭上には、街の電灯にかき消されながらも、夏の星々が淡く滲んでいた。

 

 

 西の空に、今にも沈みそうな獅子座の星がある。

 

 あの白く輝く星はレギュラスだろう。

 

 

 ブラック家の“良き息子”。

 ヴォルデモートに仕え、やがて命を賭して裏切った少年。

 十七歳になったばかりの年頃で、ハウスエルフを家族のように愛し、誰よりも早く分霊箱の存在に気づき、死を覚悟で挑んだ。ヴォルデモートを裏切って。

 

 ……すごいやつだったんだろうな。俺と、そう歳が変わらないはずなのに。

 

 

 隣にいる犬の姿のシリウスが、ふと夜空を仰ぐ。シリウスもまた、輝く星に気づいたのかもしれない。

 懐かしい家に戻り、それが呪いのようにシリウスを蝕む場所だとしても──もっと幼い頃には、世界を何も知らない二人が、ただの兄弟として仲がいい時代もあったはず。──色々、思い出したんだろう。

 

 

 俺は何も言わず、その毛並みを撫でる。

 シリウスは尻尾を一度ゆるく振ると、「大丈夫だ」と言うように、俺の足に頭を擦り付けた。

 

 

 

 

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