兄・子世代ifチート能力を駆使して転生人生謳歌します!   作:八重歯

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161 夢のようなダンスパーティ

 

 

 

 時は少し遡る。

 

 ノアが生徒参加型パートナー決めのルールを説明している時、セドリックはハッフルパフの長机の後方で「なるほど」と納得していた。

 ノアは誰よりも美しく、人当たりもいい。ホグワーツ──いや、イギリス魔法界では知らぬ者はいないほどの有名人であるというネームバリューもあり、ノアのパートナーになりたい生徒はかなり多かった。しかし、こんなギリギリになってまでパートナーが決まらなかったのは、ノアが“有名すぎたから”他ならない。

──いや、それだけでは正しくないか。

 

 ノアは誰よりも美しく、愛嬌があったが、意外と交友関係のある者は少ない。もちろん友人が少ないのだから、それ以上の関係──恋人もいなかった。世界一の美青年であるにもかかわらず。

 「かわいい女の子いるかなー」「おっぱいの大きいおねーさんが好き」など言いつつ、それらしい女生徒に手を出すことは一切なかった。ノアほどの美貌ならば、体の関係だけを望む女生徒も多かったのだが、そのような関係の女性──もしくは男性──は、一人もいない。意外と純なのか、それとも立場的な問題なのか。セドリックは口だけで全く行動に移さないノアを見て、いつも不思議に思っていたのである。

 

 だからこそ、ノアはダンスパーティのパートナー決めに苦悩し、ある意味投げやりなまでの態度で決めた。まあ、これが一番当たり障りが無かったのも確かだ。

 

 生徒達の前で堂々たる振る舞いで羽取りゲームの説明をするノアをぼんやりと見ながら、「そういえば、僕も決まってなかった」とセドリックは思い出した。

 決まらずとも困ることはない。クリスマスパーティに参加できれば、ダンスなんてできなくてもいいし──。

 

  

 突然、あたりが「わっ」と湧き立ち、セドリックは驚いて肩を跳ねさせる。いつのまにかゲームが開始されていたらしく、天井付近からふわふわと白い羽が舞い落ちてきた。椅子や机の上に立ち、杖をふるい、必死になりながら羽に手を伸ばす生徒達の熱気に当てられてしまい、セドリックは押し退けられないうちに、と、慌ててその場から立ち上がる。

 

 その時、目の前にすうっ、と羽が滑り降りてきた。

 それに手を伸ばしたのは、おそらくクィディッチで鍛えられた反射のせいだろう。何も、どの羽がいいか、なんて考える事もなく、ただ目の前に「どうぞ」というようにやってきた羽を掴んでしまった。

 

 一瞬、セドリックは息を止めた。

 

 脳内に「まずい」という言葉が浮かび上がる。なぜ“まずい”なのか、彼自身も分からず困惑したまま、自分の手が間違いなく掴む羽を見る。

 

 それは、ふるり、と、ノアが笑うように震えると──金色の光を放った。

 

 

「嘘だ」と呟いたが、その声は彼自身聞こえなかった。周りの生徒が金の羽が出たことに騒ぎ立て、拍手をし恨み節を言うものだから、仕方がないことだろう。

 セドリックの胸に広がる焦燥感はじわじわと鳩尾の奥から顔を覗かせ、そんな思いも知らずにピカピカと明るく──ノアのように──輝く羽を握る手が汗ばんでくる。──まずい、どうしよう。なんだか、とっても、まずい。

 

 

 セドリックは同級生に「やったな! 羨ましい!」と背をバシバシと強めに叩かれ、ようやく生唾と一緒に止まっていた呼吸を飲み込み、は、と小さく息を吐く。そのまま、金の羽から視線を上げれば、羨望や嫉妬の視線を向ける無数の生徒達の奥の奥の、奥に、ノアがいた。

 

 

「──……」

 

 

 ノアは何も言わなかった。

 ただ、大きな目をぱちりと動かし、少しだけ緊張していたのか強張っていた肩をすとんと落とし、小さく息を吐いた。

 

 その表情を見て、セドリックは焦燥感とは別の何かが胸の奥を柔らかくくすぐるのを、間違いなく、感じた。

 

 ノアのその表情の意味を正しく理解できたのは、おそらくセドリック、彼だけだ。もう六年もそばにいるのだ、何も言わなくとも、ノアの心情くらいは読み取ることができた。

 

 

「──金の羽をとったのはセドリック・ディゴリーでした! みなさん盛大な拍手を! 当日の俺のドレス姿、楽しみにしていてくださいねー!」

 

 

 ノアはパッと表情を変え笑うと、全体に向かって声を張り上げる。ノアは軽くお辞儀をし、かろやかな足取りで元の席に──セドリックの元へと向かう。どこからか拍手が起こり、ノアはそれに笑顔で答えながらセドリックのそばに辿り着くと「行こうぜ」といつも通りに言い、セドリックも「うん」といつも通り答えた。

 

 生徒の拍手に送られながら、セドリックとノアは大広間を出た。セドリックは掴んだままの金色の羽を、指先でくるくると回す。

 

 

「まさかセドなんてなぁ」

「本当にね……ま、僕もパートナーいなかったし、ちょうどよかったよ」

「俺も、どうせ踊るなら知り合いが良いって思ってたし、良かった」

 

 

 ノアはへらりと笑う。その笑みはここ数週間頭を悩ませていた問題が解決した喜びで、どこか晴れやかなものだった。

 

 

「すごい偶然だよなぁ」

「そうだね」

 

 

 金色の羽をくるくると回す。

 それはピカピカと光り輝き、薄暗い廊下の中でセドリックとノアの顔を微かに照らしていた。

 

 

──さて、これでセドリックはノアのパートナーになったわけだが。

 

 

 ノアは世界一の魔法使いであるが故に、ノアの心からの強い願いや思いは、かなりの強制力を持つ。それは本人も把握し、利用する事もあれば、あえて発動しないように気を配っているところもある。それゆえの軽薄さ、が確かにノアにはある。

 

 ただ、ノアは長く魔法界で暮らしているとはいえ、その全てを知るわけではない。残念ながら探究心らなく、頭脳も平均を大きく上回ることはないのだから。仕方のない事だ。

 

 だから、ノアは自分の思いや願いが、どの範囲に、どの対象まで効果があるかの検証をした事は無いし、する気もない。

 「どうせダンブルドアとかセブルスとかある程度の人にはお願いの内容によっては効かないんだろうし」という思い込みが、ノアにはあった。

 

 ノアは、ここ数日、スプラウトにパートナーになってもらうという名──いや、迷案が却下されてから、かなり真剣に長時間願い、祈っていた。わりと真剣に。

 

 

“魔法とは、意思や願いを元に、発動される。”

 

 

「ダンスパーティどうしよう」「どうせならかわいい子と踊りたい」「せっかくだし、仲良い奴と踊りたい」「俺だって本当は楽しみたいのにな」──という、漏れたり漏れなかったりした本音が、無意識のうちに魔法に乗っていたら。

 

 自由落下をする羽の中で、ただ一つだけ、最も意味を持つ羽が、明確な願いを持ちその者へと向かっていたとしたら──。

 

 

「ノア、女性になって踊るんなら、女性の方の踊り覚えなきゃいけないんじゃない?」

「げっ。……やば……男性パート覚えたところなのに……」

 

 

 ノアは面倒くさがりだが、自分が“魔法界の宝石のノア・ゾグラフ”である事は重く理解し、他者の完璧なノア・ゾグラフ像を壊す事は無い。

 今後の練習を思い嫌そうに肩を落とすノアを見て、セドリックはくすくすと笑う。

 

 

「女性用の靴を履いて踊るわけだし……今日から練習だね」

「はあ……」

 

 

 肩を落とすノアだが、そのため息に悲壮感は不思議とない。

 

 

 ノアは、意識的に、はたまた無意識のうちに、自分にとって“最も良い形”を願っていた。

 

 

──さて、果たして、これは偶然だったのだろうか?

 

 

 セドリックはノアの肩をぽん、と叩きながら、ポケットの中に大切そうに金の羽を入れる。

 そういえば。とセドリックは口の奥で呟く。ノアが「何か言ったか?」と言うように大きな青灰色の目で見つめてきたが、彼はなんでもないと首を振った。

 ノアは軽く頷くとすぐに前を向き、頭の後ろで手を組みながら「どんなドレスにしようかなー」とどこか楽しげに言った。

 

 セドリックは胸に手を当てる。

 あれ程苦く、ざわざわと、胸を締めていた焦燥感は不思議と消えていた。

 

 

 

***

 

 

 セドリックは目の前の完璧な女体のノアを眩しそうに見つめていた。ノアのこの姿を見たのは初めてではなく、耐性がありなんとか──ハリー達のようにぽーっとすることはなかった。

 ダンスパーティのパートナーと決まってから、二人は空き教室や秘密の部屋で──時々フレッドとジョージにからかわれながら──ダンスの練習をしていた。その時、ノアはもちろん女体だった。そうでなければ、意味がない。初めはあまりに美しいノアの姿に照れたり緊張していたセドリックも、見た目は絶景の美女としても中身はいつも通りのノアであったために、少しずつ慣れてきて途中からはいつも通り接することができていた。

 

 とはいえ、やはり着飾り色気があるこの姿を見て、ごくりと生唾を飲まずにはいられなかったのだが。──それに、同じ香りを纏っていて、なんだか妙な気分にさせられる。まるで、そう、自分の物のような。

 

 

 いつもより頭ひとつ分低いノアの体は柔らかく艶かしい曲線を描き、目はいつもより濡れているように見えた。

 面影にいつものノア・ゾグラフは、たしかにある。いや、昔、女児にしか見えなかった頃のノアが、そのまま女として成長したかのような姿だと言えるだろう。それを意識した途端、セドリックはなにやらまた胸のどこかがサワサワとくすぐられたような気がした。

 

 

 

 マクゴナガルの後で選手達が大広間に入った時、誰もが美しいノアを見て「はあ」と甘いため息をこぼし、羨ましそうにセドリックを見た。どんな姿であっても、性別関係なく魅了してしまう力がノアにはあったのだ。

 自分の腕に柔く捕まるノアの体温を感じつつ、セドリックは大広間の奥、審査員のテーブルへゆっくりと進む。

 ノアは余裕の表情で微笑み、女性らしい仕草で──どこからどう見ても女性にしか見えない振る舞いで手を振っている。

 が、セドリックに捕まる左手はなかなかに力がこもっていた。事前に「この靴、高くないか? 七センチくらい浮いてる……」と──浮いてはいないが──ノアが不安げにしていたのを、セドリックはしっかりと覚えていた。

 ここで周りの空気に当てられ、ノアを引っ張り転倒させてしまってはいけない。ノアは慣れない靴を履いてるし、ちゃんとエスコートしなきゃ。そう考えての、ゆっくりとしたエスコートだった。

 

 

 目の奥に残像と影が残ってしまうほどのカメラのフラッシュの雨が収まりを見せたとき、ようやくノアとセドリックは審査員が待つテーブルへと着いた。もちろん、椅子を引いてノアのエスコートをすることを忘れるセドリックではない。

 

「ありがとう」と、いつもより甘く高い声で囁かれ、セドリックは小さく笑い頷いた。

 

 審査員の席にクラウチの姿はなく、代わりにパーシー・ウィーズリーが出席していたが、その事に対してセドリックもノアも、大きな疑問を抱かなかった。

 

 

 全員が席についたところでクリスマス・ディナーが、はじまる。いつものように大皿に出てきた料理を選んで取るのではなく、今回は一人ずつ用意されたメニューを見て、好きなものを自分の皿に伝えれば料理が出てくる、と工夫されていた。

 ノアはわくわくと表情を綻ばせメニューを見下ろす。クリスマスらしいローストポークや七面鳥、ローストビーフ、スタッフィング、ホットワイン──いつもより豪華なラインナップを見て「ローストビーフ!」と言い、美しく盛り付けられベリーソースがかかったローストビーフを見て嬉しそうに口先を上げた。

 

 

 皆が思い思いにクリスマスディナーを堪能し、デザートまで食べ終えた後、ダンブルドアが柔らかく微笑み立ち上がった。

 

 

「さて、腹が十分膨れた事じゃろう。皆さん、ご起立願いますぞ」

 

 

 その言葉に促され、生徒や教師全員が立ち上がる。ダンブルドアはにっこりと笑みを深め杖を一振りし、大広間にあった机と椅子を全て壁際へと押し退ける。広いスペースができたあと、右手の壁に沿ってステージを立ち上げた。 

 どこからか透明人間が運んでいるようにドラム一式にギター数本、リュート、チェロ、バグパイプがふわふわと現れステージに設置される。

 大広間の扉からこの日のために招待した『妖女シスターズ』が現れ、拍手で迎えられステージへと上がる。彼女達が楽器を手にした時、セドリックがノアの方を向いた。

 

 代表選手は、先に踊らなければならない。

 その時が来たのだと他の選手達も気付き、それぞれが手を取り合いステージへと軽やかに──もしくはぎこちなく──上がる。

 

 

 

 セドリックは穏やかな微笑みを浮かべると、すっと片膝をついた。

 空気がふっと張り詰め、周りの生徒たちが一瞬どよめき、一部の女生徒たちが黄色い悲鳴を上げた。

 ノアは驚きに目を瞬かせ、その姿を見下ろす。

 

 

「僕と踊っていただけますか?」

 

 

 静かな問いだった。

 けれどその一言が、まるで空気の粒を震わせるように響く。

 差し出された手に、ノアはためらいなく自分の手を重ね、唇の端をわずかに上げて柔らかく笑う。

 

 

「喜んで」

 

 

 ゆっくりと立ち上がったセドリックが、ノアの手を取り、腰に軽く腕を添える。

 ステージに上がった二人は一度離れ向かい合い、そっと礼をした。──開始の合図だ。

 

 もう一度手を取り寄り添った二人の足元に、無数の蝋燭の光が淡い金の輪を描く。

 

 ぎゅっと握った手に、ノアの緊張が微かに伝わってきた。ノアは──意外と、人の目を気にするタイプである。こんなところで失敗する事はできない、とその微かに強張った表情に現れていて、セドリックは自分の手を少しだけ強く握り返す。「大丈夫」と伝えるために。

 

 スローで切なく、どこか懐かしい曲に合わせ、セドリックはノアの腕を引きゆっくりと軽やかな一歩を踏み出す。彼の手に導かれ、ノアは足を踏まないようにだけ気をつけながらステップを踏む。

 曲の盛り上がりに合わせ、くるり、と旋回し、足先が床を滑り、二人の影が螺旋を描きノアの髪がふわりと遅れて揺れる。セドリックの手がノアの背を支え自然とリードし、ノアは軽く目を伏せながら体をゆっくりと後ろに傾ける。

 

 ステージの外で見守っていた観客は、その弧を描いた背中を見て、頬を赤く染めた。なんとなく、見てはいけないような──でも、見たくてたまらないような、完璧なディップだった。

 

 

 曲調が変化したタイミングで、観客達もそれぞれのパートナーと共にステージへと上がる。代表選手だけでなくたくさんの生徒が思い思いに踊る中、ノアはそれを横目で確認し、自分への注目が少し減ったと知ると、少しだけ安堵した。

 

 後は曲に合わせて揺れてステップを踏んでいたらいいか、とセドリックを見上げる。セドリックも同じ気持ちだったのか、それからターンや挑戦的なディップは入れず、ただ手を取り寄り添い揺れていた。

 

 

 バグパイプが最後の音を震わせ、一曲目の演奏が終わる。大広間が再び拍手で包まれる中、代表選手達は軽くお辞儀をし、解散する者、もう一度手を取り合う者、さまざまだったが、ノアは優雅にお辞儀をすると、すぐにセドリックの手を引いてステージの外へ向かう。

 

 

「──さ、これで俺の任務は終了だな」

 

 

 そう言いながら、ステージから降りた瞬間、ノアの姿は男性になり、ドレスローブ姿に戻っていた。身長も伸び、あの妖艶な美女が夢であったかのような変わり身に、どこからか残念そうなため息が上がる。

 

 ノアは周りの視線や思想など全く気にせず「休憩しようぜ」と軽くセドリックに言うと、首元のネクタイを緩める。あの場で踊るのは一度だけ、と決めていたノアはこれ以上踊る気は全くなく、セドリックも未練は特になかったため頷きノアの後を追った。

 

 残念がる生徒が多いとはいえ、絶景の美女が世界一の美青年になっただけであり、注目の的である事には変わりない。そもそも、もう踊らないと決めているのはノアであり、知らぬ周りが黙っているわけではないのだ。

 ノアもそれは十分理解していたため、巨大なハグリッドとマクシームの後ろを通り過ぎ、群衆の視線から消えたその一瞬、自分自身とセドリックに目眩まし魔法を掛け、彼に向かって「しーっ」と茶目っけたっぷりのウインクを見せた。

 

 ノアの後を追っていた生徒達はいきなり消えた事に驚き、慌ててきょろきょろと辺りを見回し、残念そうに肩を落としあきらめていった。

 

 

 生徒のほとんどはステージ近くで盛り上がっている。ノアは壁沿いのテーブルの上にあったスパークリングワインの細いグラスを二つ手に取ると、そのまま玄関ホールに抜け出した。

 正面の扉が開かれたままになっているからか、玄関ホールは大広間から続く熱を覚ますのにはちょうどいい。ノアは人気がないことを確認し目眩まし術を解くと、セドリックにグラスを一つ手渡した。何気なく、足は外へと向かう。

 

 

「今日はありがとう、なんとかなってよかった」

 

 

 正面玄関の階段を降りながらノアが苦笑まじりに言いワインを傾けた。「うわ、うま」と漏れ出た感嘆と共に、赤い舌が唇をぺろりと舐める。

 

 

「……足、踏まないようにかなり緊張してたよね」 

「そりゃあ……あの見た目なら完璧な踊れなきゃな」

「変なところ完璧主義というか、気にすると言うか……あの短い練習期間で踊れるのは流石だけど」

「ギリギリだったけどな」

 

 

 ノアは肩をすくめる。

 ギリギリだと言うが、ノアの踊りは誰が見ても美しく、見ていて不安になる箇所は少しもなかった。──まあ、見た目が抜群に良く、それだけでかなり加点され誤魔化されているという点もあるが。

 練習の日々を思い返しながら、二人はバラ園の中へ足を進める。この時期に花は咲かないはずだが、大輪の薔薇がそこかしこで咲き誇り芳醇な香りを放っていた。ところどころランプが浮かび、淡い光を放つ妖精が飛び回り、非現実的な美しい雰囲気を作り出し、不思議と寒さは感じない。

 バラ園の中には石の彫刻が立ち並び、中央には大きな噴水もあるのか、微かな水音が聞こえてきている。散歩道のところどころでベンチが置かれ、甘い雰囲気で囁く男女が寄り添い座っていた。恋人達は自分の世界に入り込んでいるのか、近くを通っても全く気にしている様子はない。

 

 ノアとセドリックは視線を交わし、何も言わず──彼らの邪魔をすることなく──バラ園の奥へと進む。バラ園はくねくねとした散歩道がいくつも延びていて、まるで迷路のような作りになっていた。

 

 先を歩いていたノアは、ふと、曲がり角で足を止めた。

 どうしたんだろうかとその横顔を見つめたセドリックは、ノアの表情に興味が浮かんでいる事に気づく。なんだろう。この先に何があるんだろう──と、曲がり角の先をチラリと覗いた。

 

 

 ベンチに二人の生徒が寄り添っていた。

 その生徒は二人とも美しいドレスを着ていた。

 

 淡いピンク色のドレスと、水色のドレスが広がり、二人は肩を寄せ合い、吐息を吸い込んでしまいそうなほどの距離で顔を寄せ、指を絡ませあっている。その目は、間違いなく普通の友人にはない湿度があり、瞬き一つする間に、彼女達は柔い唇を軽く重ね合い、離れ、今度は深く口付けていた。

 

 湿っぽい息遣いがこちらまで聞こえてきて、セドリックは一歩後ろに下がる。ノアがちらり、と振り返ればセドリックは暗がりの中でもわかるほど頬を赤く染めていた。

 

 ノアはニヤニヤと意地悪く笑うと、「しーっ」と唇に人差し指を当て、そっと指を振る。少女達の間で興味津々と飛び回っていた妖精は何か急用を思い出したかのように向きを変えバラの茂みに飛び込む。後に残ったのは、ものいわぬ淡いランプだけだった。より、いい雰囲気が強まったと言えるだろう。

 

 満足そうに目を細めたノアは、そっとその場を離れる。セドリックもすぐにその後に続き、無言で歩いた。しばらくするとぽっかりと開けた空間に出た。

 セドリックはその空き地の端に置かれたベンチに腰掛け、半分ほど残っていたワインを一気に飲み干した。

 

 

「よくあるキスシーンじゃん」

 

 

 あまりのセドリックの動揺っぷりに、ノアは面白そうにニヤニヤと笑いながら隣に座る。セドリックは「そうだけどさあ」と歯切れの悪い返事をし、指先でグラスを撫でた。

 

 別に他人のキスシーンを初めて見たわけではない。恋人同士の寮生などは談話室の隅の方でいちゃついているのが当たり前であり、何度も見た事も、監督生として注意した事もある。

 

──だが。

 

 

「さっきの二人、その──女の子同士だったから、びっくりして」

「あー……まあ、はじめて見たかもな」

 

 

 ノアはセドリックがなぜこんなにも動揺しているのかを理解し、片足を組みふらふらと動かしながら頷いた。

 ノアが彼と違い動揺していないのは、前世の記憶のせいもあるだろう。そもそもノアは美少女や男の娘のアレコレを大変好ましく思う癖があった。

 

 

「俺、元々マグル界で暮らしてたからわからないんだけど。魔法界では同性愛は忌避されてるもん? マグル界ではまあまあ──かなり、タブーだけど」

「え? あー……微妙なところかな」

 

 

 ノアの突拍子もない言葉に、セドリックは複雑そうな表情をした。

 マグル界では、まだ同性愛の偏見は強い。──むしろ、少し前までは罪とされていたのだ。法律が変わったとはいえ、世代が変わるほど過去の話ではなく、民衆の意識がガラリと変わる事はない。

 魔法界も同じなのだろうか、と思ったが、そういうわけでもなさそうで、ノアは「ふーん?」と鼻を鳴らした。意味を知りたそうなノアの視線に、セドリックは言葉を慎重に選びながら口を開く。

 

 

「えーっと……元々、同性愛への偏見はそこまで強くはない、かな。けれど、一般的ともいえないって感じ」

「ま、俺の周りにも公言してる奴っていないもんな」

「うん。さっきの二人みたいに影で、は居ると思う。肩身が狭いわけではないけど、中には偏見を持つ人もいるだろうし、わざわざ公言しないって感じ。それこそ一生のパートナーにするんだったら別だろうけど……普通の恋人同士もわざわざ公言はしないでしょ?

 感覚的には、亜人と人の恋愛に近いかな。珍しいけど、そこそこ居るしね」

「ああ……なるほど」

 

 

 魔法界では性別どころか、種族が違う相手と恋に落ち子どもをもうける事もある。

 ハグリッドとマクシームは半巨人であり、フラーも祖母がヴィーラだ。他にも探せば先祖に小人や吸血鬼、水中人などの亜人がいる者もいるだろう。亜人との恋愛がどうしても受け入れられない人もいるように、同性愛も同じ事なのだとノアは理解し、納得し頷いた。──だから、俺に本気のラブレターを送ってくる男がちらほらいるわけだな。

 

 

「ノアは、偏見はないんだ?」

 

 

 ぽつり、と何気なくセドリックが聞いた。その目は細いグラスに向けられ、指先は落ち着きなくワイングラスの細いステムを撫でている。

 

 

「無いな」

 

 

 そう、ノアはあっさりと言い切った。

 実際、ノアは同性愛の偏見は全くなかった。今まで同性に告白された時も嫌悪感は全く無い。──よく知らない他人から性的な目で見られると、少々居心地が悪くなるが、モデルという仕事をすると決めた時に、その辺りは『仕方のない事』と腹を括っていた。

 なにせビジュアルで売っていて、写真集の中にはなぜかびしょ濡れで服が張り付いたり、布面積が少なかったり、破れていたり──まあ、つまり、多少乱れた服装だったりする。その写真集の使用方法は観賞用なのか、どうなのかはもう、全て気にしない事にしていた。

 もっとも、仕事だけではなく、前世での知識が関係している部分も多いが、基本的に『他人に迷惑をかけなければどんな恋愛をしてもいいのではないか』と思っているのは確かだ。

 

 

「へえ、そっか……」

「ああ、だから、セドも恋人ができたら……性別がどうであれ、教えろよ?」

 

 

 ノアはそう言って屈託なく微笑む。

 暖かな灯りに照らされたノアのその微笑みを見て、セドリックはなぜか──本当に届かない人なのだろうな、と感じた。ノアの事はよく知っている、六年もそばで過ごしてきた。それでも、踏み込ませない何かがある。どれだけそばに居て心を砕いても、ガラス越しに向き合っているような、そんな漠然とした違和感を抱き続けていた。多分、この人は、あまり興味がないんだろうな。他人にも、──自分自身にも。

 

 セドリックは眉を下げて微笑む。ノアはそんな寂しさを孕んだ微笑みの意味がわからず不思議そうにしたが、すぐに城の方から流れてくるアップテンポの楽しげな曲の方に意識を向け、上機嫌そうにワインを傾ける。

 

 

「あーあ、せっかく男性パートも覚えたのにな」

「踊りに戻る?」

「いや、それはめんどくさい」

 

 

 飲み干したワイングラスをベンチに置いたノアは、そっけなくそう言ったが、次の瞬間には悪戯っ子のようににやりと笑い、パッと立ち上がる。

 くるり、と振り返るとセドリックを見下ろし、役者のように胸に手を当て、片手を差し出した。

 

 

「かっこいいお兄さん、俺と一曲踊ってくれませんか?」

「……え?」

 

 

 その時、雲の切れ間から、白い月がそっと顔を覗かせた。

 光は静かに二人を包み込み、銀の雫のように降り注ぐ。発光する妖精たちの姿もなく、灯りといえば足元をかすかに照らすランプだけだ。

 ノアの輪郭は逆光の中に溶け、表情までは見えない──けれど、不思議なことに、その青灰色の瞳だけは闇の中で鮮やかに光っていた。

 

──悪戯っぽく弧を描く目が期待を込めて僕を見下ろしている。

 

 

 セドリックは悩んだ。

 この手の意味を、今日という日に踊るその意味を、自分だけが戯れに選ばれたというその意味を。

 わずかな時間では答えはでなかった。

 手を取らない事も、「酔っ払ったのかい?」と流す事もできた。それでも視界の端では薔薇の花弁が風に乗り、楽しそうに、誘うようにダンスを踊っていたから──。

 

 

「……僕でよければ、喜んで」

 

 

 気がつけば吐息混じりにそう答え、差し出された手を取っていた。

 ノアの笑みが深くなり、目元が優しく細められたのを見てセドリックは“これが正解だったんだ”と漠然と理解する。──してしまう。

 

 少し前にこうして手を取り踊ったばかりだが、やはり手の大きさも、包み込む温度も先ほどとはどこか違う気がした。ノアは楽しそうに口先で笑い、ぐっと腕を引く。立ち上がったセドリックは、ノアに引かれるまま数歩踏み出した。

 

 

「でも、僕、女性パートあんまりわからないんだけど……」

「ちゃんとリードしてやるよ。──ほら!」

「うわっ!」

 

 

 ノアはしっかりとセドリックの手と腰を支え、くるりと大きく彼を回した。それは社交ダンスというには子どもっぽく、不恰好で、妖しいムードも何もなく、本当にただ遊び戯れているかのような稚拙なターン。

 

 

 しかし、それを見ることができるのは、自分だけなのだと思うと、なぜかまた胸の奥がくすぐったくなった。

 

 

「ははっ!」

 

 

 セドリックはノアの楽しげな表情につられ、つい、声を上げて笑った。

 

 

「ほら、ちゃんと背中そらせよ!」

「え? うわっ! き、きつ──」

「倒れるなよ!? そのままキープ──で、ターン!」

「無理! 無理だって!」

「ははっ! 頑張れ!」

 

 

 二人の楽しげな声がバラ園の中に響く。

 ノアにとっては、たいして大きな意味のない、戯れのダンスだったのだろう。

 しかし、セドリックにとっては、大きな意味を持つものだった。

 

 

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