兄・子世代ifチート能力を駆使して転生人生謳歌します!   作:八重歯

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169 共同研究

 

 

「大丈夫?」

「……これが……大丈夫に……見えるか……?」

「見えないよ。……本当に医務室行かなくていいの?」

 

 

 セドリックの声が、枕の上から降ってくる。

 俺は顔を埋めたまま、喉の奥で唸って返事をした。

 

 頭が割れそうに痛い。いや、割れそうじゃなくて割れてる。これ絶対割れてる。

 頭だけじゃない。全身が重いし、吐き気はずっと喉の手前でスタンバってるし、目を開けたら世界がぐるぐるしてる。しかも極彩色。何だこの悪趣味なフィルター。

 

 試しに体を反転させただけで、脳みそがスプーンでかき混ぜられたみたいな不快感と一緒に吐き気が込み上がってきて、血の気がすっと引いた。

 

 

「う、ぉえ……っ」

「ノア!? や、やっぱり医務室に──」

「いい……寝てたら治る、から……」

 

 

 セドリックの不安そうな「治るかな?」って顔が見える。見えるけど、今それを見るだけで気持ち悪い。

 俺は片手で口を押さえて、もう片方で枕を抱え込みながら、絞り出すみたいに言った。

 

 

「……寝る……」

 

 

 セドリックは何か言いかけて、結局飲み込んだらしい。ベッドの横で、落ち着かない足音だけがした。

 心配されるのはありがたい。でも医務室は無理。歩いたら死ぬ。死なないとしても吐く。俺は今、“歩く”いう概念と決裂している。姿現しなんてしたら多分体バラバラになる。

 

 なんでこうなったかと言うと。

 二時間前。

 

 

 前からセブルスと進めていた“許されざる呪文の反対呪文”の共同研究は、論理の整理と理論の組み立てが、かなり進んでいた。

 

 正確に言うと、俺が「クルーシオなら痛覚遮断魔法でいけそう」と結果を先に出して、セブルスがそれを理屈に落とし込み、文献を引っ張り出しては反証し、また組み直す、という作業を延々と繰り返した結果だ。

 そのせいで研究室には羊皮紙が山のように積み上がり、正直、見ただけで頭が痛くなる量になっている。

 

 俺はと言えば、「なんかいけそう」という感覚以上の説明はできないままだったし、理屈にされた文章を読んでも、ほとんど理解できていなかった。

 それでもセブルスに言わせれば、「試す価値はある段階」には到達したらしい。

 

 

「クルーシオの対抗呪文の検証を開始する」

 

 

 魔法薬学の教室で、セブルスと向かい合う。

 研究室は狭く、しかも魔法と反応すれば危険な薬品や器具が多いという理由で、魔法薬学の教室になった。

 もちろん机や調合台はすべて部屋の端に寄せられ、中央だけが不自然に広く空いていた。

 

 反対呪文、ではなく対抗呪文なのは──魔法を新しく生み出すわけではないからだ。そのあたりのこだわりはないから別にいい。

 

 

「痛覚遮断魔法を試してみますね」

 

 

 自分に痛覚遮断魔法をかける。

 空気が一瞬だけ薄くなったような感覚のあと、体の輪郭が曖昧になった。

 

 試しに腕を軽くつねる。

 触れている感覚も鈍く、痛みも、何も返ってこない。

 

 ……うん。

 これなら、普通にクルーシオも耐えられるはずだ。

 

 

「……先に動物実験をするべきだと思うが」

「大丈夫ですよ。実際に受けてみないと、わからないこともありますし」

 

 

 軽く肩をすくめて、笑ってみせる。

 重い空気は正直しんどいし、ここで躊躇しても始まらない。

 ……クルーシオの苦しみがどんなもんか知っておいた方が、俺も本気で取り掛かれるしな。

 

 

「……これが失敗したら、検証しなおしましょう」

 

 

 両手を軽く広げ、「どうぞ」と合図する。

 セブルスは一瞬だけ何か言いかけるような間を置き、それから杖を構え大きく薙いだ。

 石畳の継ぎ目に黒い光が走り、部屋の空気が一段“重く”なった。遮音と感知避け魔法だろう。

 俺も指を鳴らして、この場所を外から認知できないように魔法を重ねがけする。バレたらやばいしな。

 

 二人の間で視線が絡む、俺が小さく頷けば、セブルスが杖を持つ手に力を込めた。

 

 

「──クルーシオ」

 

 

 赤い光が放たれ、胸に触れた──その瞬間。

 

 思考回路が、焼き切れた。

 

 

「ぐっ───あああっ!!」

 

 

 熱い。

 痛い。

 苦しい。

 

 そんな単語では足りない感覚が、一気に押し寄せてくる。

 体の内側を、無理やり裏返されるような感覚。次の瞬間には、視界が傾き、俺は床に倒れていた。

 

 床にぶつかった衝撃は、まったく分からない。

 そんなものを知覚する余裕はなくて、ただ、この耐え難い苦痛から逃げられない。

 

 呼吸ができない。

 全身を、巨大な何かで押し潰されているみたいだ。頭が割れる。脳の奥を、直接掴まれて捻られている感覚。肺が潰れた。どこからか体液が漏れ出す錯覚。

 奥歯から、バキッ、と嫌な音がした──その瞬間、ふっと圧力が抜けた。

 

 喉が、ヒュッ、と空気を思い出す。

 

 

「ッ、はっ……はっ……ぐ、ぅ……」

 

 

 視界の奥で、白い星が明滅する。

 世界から色が抜け落ち、音だけが歪んで残った。耳鳴りが止まらない。

 

 心臓が、これまで感じたことのない速さで暴れている。頭が割れるほど痛い。

 脳を、有刺鉄線でぐるぐるに巻いて締め上げられているような──いや、実際にそんなことされたことはないけど、多分、きっと、ああいう感じだ。

 

 

「ノア、これを飲め」

 

 

 冷静な声が聞こえた。

 次に気づいた時には、俺はセブルスに抱き起こされていて、無理やり口を開かれていた。

 

 冷たい液体が流し込まれる。

 甘苦い味にむせながらも、反射的に飲み下す。

 すると──少しだけ、壊れていた世界が繋ぎ直された。

 

 セブルスに支えられたまま、床に座り込む。

 頭を押さえると、手が情けないほど震えているのが分かった。

 

 

「セブ……ルス、せんせ。お、俺に──切り裂き魔法、かけて」

「……」

 

 

 セブルスは一瞬だけ眉を寄せ、それ以上は何も言わずに杖を振った。

 ぱっと、俺の手の甲に赤い線が走る。皮膚が裂け、じわじわと血が滲んだ。──でも、痛みは、ない。

 

 

「……痛覚遮断、魔法……効いてますよね。でも……確かに、痛みと……苦しみを、受けました……」

 

 

 むしろ、現在進行形だ。苦痛の余韻がひかない。

 言葉にするだけで、喉の奥からじわじわと嫌な感覚が込み上げてくる。

 さっきの“それ”を思い出したせいで、血の気が引くのがはっきり分かった。

 

 慌てて深呼吸する。吸って、吐いて。乱れた呼吸を必死に整える。

 

 痙攣する指を無理やり動かし、手を振る。

 手の甲の傷はすぐに塞がったが、頭の奥の揺れはまったく収まらない。──ということは。

 

 

「ふーっ……クルーシオは……身体に作用する呪文じゃない。……痛覚遮断は、身体の痛みを遮断する魔法ですから」

 

 

 それでも、あれは通ってきた。

 防げなかった。

 あの苦痛は、脳を直接、内側から搾り上げるような感覚だった。

 体への拷問ではなく、脳……? いや、もっと原始的な苦痛だったような……。

 

 

「……脳が、直接やられた……ように、感じたんですけど」

「違うな」

 

 

 セブルスは即座に否定し、俺の腕を取り、無理やり立たせる。

 床に座り込んだままではまずい、と判断したのだろう。俺も抵抗する気力はなく、そのまま肩を借りて引きずられるように椅子へ向かった。

 どさり、と腰を下ろす。体が鉛みたいに重く、指一本動かすのも億劫だ。

 

 そんな俺を、セブルスは腕を組んだまま、研究対象を見るような目で見下ろしていた。

 

 

「脳は、ただの“入り口”だ」

「……」

「クルーシオは魂に干渉しているのだろう。その結果を、脳が“苦痛”として認識しているにすぎない」

 

 

 ……ああ。

 だから、痛覚遮断が意味をなさなかったのか。

 魂に直接叩き込まれたものなんて防ぎようがない。

 

 

「痛覚遮断魔法では防げないはずですね。……脳じゃなくて……魂、かぁ……」

 

 

 ぽつりと呟く。

 痛覚遮断魔法で防げたら、正直かなり楽だったんだけどな。

 

 まあ──そう簡単にいかないか。

 今まで誰も、許されざる呪文の反対呪文を生み出せなかった理由が、少しだけ分かった気がした。

 

 

「……そういえば。残りの二つの呪文も、魂に関係する魔法だという説もありましたね。えーっと……なんでしたっけ……もらった資料の……三つのなんたらが、どうとか……」

 

 

 口に出したものの、自分でも語尾が曖昧だと分かる。

 クルーシオで揺さぶられた頭はまだぼんやりしていて、思考が霧の中を滑っているみたいだった。

 

 渡された資料は、確かに真面目に読み込んだ。読み込んだ、はずなんだけど──今は文字が頭の中でうまく並ばない。

 

 セブルスは何も言わず、杖を一振りする。

 紅茶の入ったカップと、包み紙にくるまれたチョコレートが空中を滑ってきて、俺の手に押し付けられた。

 

 

「飲め。糖分も摂れ」

「……はいはい」

 

 

 素直に受け取りながらも、内心では助かっていた。喉がからからだし、背中にはじっとり冷や汗が張り付いている。鏡があったら、たぶん顔色はかなり悪い。

 

 セブルスは背後の本の山から一冊を引き抜き、淡々と言った。

 

 

「生き物は、『魂』『命』『身体』──三つの層で成り立っている、という説がある」

「それ、魂と身体の二つ……じゃないんですね?」

 

 

 思わず口に出す。

 正直、今まで深く考えたことはなかった。

 その説を見た時も、なんか宗教とか哲学っぽいな、と思っただけだ。

 

 セブルスはちらりと俺を見下ろし、すぐに黒板へ杖を向けた。

 乾いた音と共に、黒板に『魂』『命』『身体』という三つの言葉が書き出される。

 

 

「なぜ、二つだと思った?」

「え? ……生きてるか、死んでるか、みたいな?」

 

 

 自分で言って、ちょっと雑だな、と思う。

 案の定、セブルスは小馬鹿にするように鼻で笑った。

 

 

「ふん。浅い考えだな。……吸魂鬼のキスを受けた者は、魂を失う。だが、死ぬか?」

「……あ」

 

 

 一瞬、言葉に詰まる。

 そうだ、忘れてた。

 

 

「……死にませんね。魂は無いけど……命は、あるから」

「そうだ」

 

 

 セブルスは黒板の『魂』の文字を、杖先で軽く叩いた。

 

 

「魂は“自我”と“意思”、または“本人を定義する物”だ。奪われれば人は人でなくなるが、生命活動は続く。……もっとも、意思も自我もない抜け殻の状態であり、そのままでは生命活動を維持するのは困難だ」

 

 

 次に、『命』を指した。

 

 

「命は“生きるエネルギー”であり命そのものだ。心臓を動かし、呼吸をさせる力。魂と身体を繋ぐ役割を持つと考えられる。それゆえに、これを失うと魂は器から外れ、死に至る」

 

 

 最後に、『身体』を指した。

 

 

「身体は“器”にすぎん。ある程度修復は可能だが、魂と命を宿し、個を定義するためになくてはならないものだ」

 

 ……なるほど。

 頭の奥がぼんやりしていても、理屈だけはすっと入ってくる。というか、多分今の俺でもわかるようにかなり優しく説明してくれている。

 

 

 吸魂鬼のキスで魂がなくても生きていけるのは、命があるから。だが、魂がないから──“その人”は消える。

 

 ヴォルデモートは身体を失った。だが、魂を分裂していたから魂と命を失うことはなかった。魂と命を宿すために必要な体がないから、うまく魔法を使う事ができないんだろう。

 

 そういえば、ネビルの両親はクルーシオを受け続けて正気を失い心が壊れたと言われているんだっけ。

 

 

「……許されざる呪文は魂と命に干渉する魔法なんですね」

 

 

 独り言みたいに言うと、セブルスは即座に頷いた。

 

 

「ああ。クルーシオは魂を“苦しめる”。インペリオは魂を“欺く”。アバダ・ケダブラは命を“断ち切る”。それが、賢者たちの仮説だ」

「……なるほど、その仮説正しそうですね」

 

 

 チョコレートを一口かじる。

 甘さで少しはっきりした頭は、黒板に書かれた文字の重さを俺に伝えていた。

 

 

「魂を守る魔法、魂の怪我を修復する魔法……そりゃ、誰も成功しないわけですね」

 

 

 肩をすくめる。

 

 なんで、ここまで理屈が揃っていて、それでも誰も辿り着けないのか。

 答えは、案外単純だ。

 

 魂も、命も──人間は直接“触れる”ことができない。

 見えないし、測れないし、壊れたとしても、どこがどう壊れたのか分からない。

──いや、それとも。

 

 

「分からなくなった、の方が正確なのかもしれません」

 

 

 ぽつりと呟く。

 昔、どこかで読んだ。人間は知恵を得すぎたせいで、楽園を追われた──そんな話。

 善悪を知り、世界を理解し、名前をつけ、分解し、説明する代わりに“そのまま感じ取る力”を失った、という解釈もあるらしい。

 

 魂とか、命とか。

 本当はもっと単純で、もっと近くにあるものなのに。人間はそれを概念にして、定義して、理屈で囲い込んでしまった。──だから見えなくなった。

 

 ふと、魔法生物の顔が浮かぶ。

 中には、魂や命の在り処を“見る”ことができるとされる種もいる。

 例えば、麒麟だったり、吸魂鬼だったり。

 彼らは理屈で世界を見ない。

 正しいか、間違っているか、効率的か──そんな基準を持たない。ただ本能のままにそれらを感じ取り、求める。

 

 

「……魂の知覚からですね」

「極めて困難だな」

「ん、まあ。でも不可能じゃないですよ」

 

 

 言いながら、手元の紅茶を一口。

 まだ頭は重いし、視界の端が微妙に揺れているけど、思考だけは妙に冴えてきた。

 

 カップを置き、口元を拭ってから、セブルスを見る。セブルスは怪訝な顔をして器用に片眉を上げた。

 

 

「魂の可視化は魔法省の研究者でも成果は上げられていないが?」

「大丈夫。ただ──吸魂鬼が一体、必要です」

 

 

 一瞬、空気が止まった。

 

 

「……何?」

「俺、吸魂鬼とも話せるんです」

「…………」

 

 

 セブルスが言葉を失ったのが、はっきり分かった。

 俺は気にせず、肩をすくめる。

 

 

「ちょっと魂の“形”を聞いてみましょう。どこから、どう削れるのか。あと、魂の取り出し方、可視化方法とか。吸魂鬼にできるのなら、俺にも“できる”はずです」

「……吸魂鬼は魂を“食う”存在だぞ」

「ええ。だからこそ、ですよ」

 

 

 口角を上げる。

 不敵、というより、単に面白くなってきただけだ。

 

 

「魂を壊す専門家に、魂の構造を聞く。理にかなってません?」

「……理屈の上では、な。だが、吸魂鬼と話せる者など今まで存在しなかった」

 

 

 セブルスはこめかみを押さえ、長いため息を吐いた。

 

 

「吸魂鬼は……ダンブルドアに黙って招き入れるのは困難だ、方法を考える……」

 

 

 この研究も非合法だし、バレたらかなり厄介なものだ。流石のセブルスもすぐに頷くことはなかった。

 

 

「さて。──じゃあ、休憩もしたとこだし、もう一回クルーシオかけてください」

 

 

 紅茶を飲み干し、立ち上がる。

 もう一度あの苦痛を経験すると思うと、胃の奥が重くなるし喉から苦い味が迫り上がってくる。

 セブルスは観察者の鋭い目で俺を見た。

 

 

「現状では防ぐことはできない。それがわかった上で喰らう理由はなんだ?」

「さっきは痛覚遮断魔法かけていましたし、ちょっと本気で効果を観測できませんでした。……俺にはある程度魔力の流れ、みたいなのがわかるんですけど」

 

 

 さっきの“痛覚遮断”は便利な反面、こっちの感覚も薄くする。つまり観測のノイズになる可能性がある。次は遮断を外して、呪いがどこから入って、どの順番で“層”に──魂に触るのか感じたい。

 

 人差し指をピンと立たせ、ゆっくりと振る。指先から白いモヤが出てふわりと漂い、俺の指の動きに合わせるように体の周りを漂った。

 

 

「セブルス先生の魔法が、俺の体──魂にどう反応するのか、全部意識して追ってみようと思います。これは動物にはできないでしょう?

 俺は、多分──いや、きっと、本気を出せば探れます」

 

 

 セブルスは黙り込んだまま俺をじっと見ていたが、俺の目に迷いがない事を読み取るとすっと杖を上げ、低い声で言った。

 

 

「……持続は二秒。それが限度だ。一日に何度もクルーシオを受けると、不可逆的な損傷を受ける可能性がある」

「わかりました」

 

 

 う。杖を向けられると──やっぱ嫌な感じがする。これも、クルーシオで魂が損傷した副作用なのかもしれない。まだ治りきってないのにクルーシオを受けることを、理性は受け止めていても本能が強い拒否感を抱いている。

 

 

「……この検証は、君の主導だ」

 

 

 杖を構えながら、セブルスが静かに言った。

 

 

「結果の責任は、すべて我輩が引き受ける」

「頼もしいですね」

 

 

 軽口を叩いた直後、喉がひくりと鳴った。

 二秒。うん、二秒なら大丈夫。多分。

 集中して、魔力の流れを掴み取らないと。──何回もやりたくないし。

 

 

「準備はいいか」

「はい」

「──クルーシオ」

 

 

 赤い閃光が走る。

 

 それを受ける前に、体が拒絶するように震え──俺は逃げ出さないためにぐっと唇を噛み締めた。

 

 次の瞬間──世界が“反転”した。

 

 痛み、ではない。

 まず、上下がなくなる。内と外の区別が溶ける。

 自分がどこにいるのか、何をされているのか、それを考える“余地”だけが、すり抜けるように消えた。

 

 魂を、指でつままれた感覚。

 ぎし、と嫌な音がした。──実際には、音なんて鳴っていないはずなのに。

 

 

「ぐっ──ッ……!」

 

 

 声が、途中で潰れる。

 苦しいとか、痛いとか、そういう段階じゃない。

 “自分”という形そのものが、削られていく。

 

 逃げ場がない。

 遮断も、距離も、意味をなさない。

 意識だけが無理やり起こされたまま、魂の浅いところを、爪で引っ掻かれている。

 

──だめだ。

 

 そう思った瞬間、ふっと、全部が途切れた。

 

 

 四肢が意に反して硬直し痙攣する。

 床に落ちる感覚が、やけに遅れてやってきて、あ、倒れる。──と思った瞬間、俺の傾いた体はセブルスによって支えられた。

 

 

「はあっ、はあっ……うっ……」

「ノア、薬を」

「ん、んくっ……」

 

 

 薬を飲まされるが、弛んだ唇からいくらかこぼれてしまったようで首元が濡れた。

 体がだるいし、重い。けれど一度目のような強い苦痛はなかった。

 

 ……でも、見えた。

 呪いは“脳”に来たんじゃない。身体の感覚を踏まずに、魂の輪郭を一瞬で掴んで、そこから内側へ滑り込む。魂だけを狙って壊すみたいに。

 いや、それにしても。

 

 

「はぁっ……セブルスせんせ……手加減したでしょ……」

「……この魔法は、研究には向いていない」

 

 

 セブルスはそう言いながらまた俺を椅子に座らせた。

 クルーシオは、本気で相手の苦痛を願わなければ効果が出ない。多分、一度目の俺を見ていたからつい、感情が乗らなかったのだろう。

 

 一度目よりは苦痛はまし、とはいえ、魂の傷が、上書きされたからだろうか。苦痛よりも、体が重いし、気力が、無いというか……。

 魂の怪我、ああ──なんでもいいからとりあえず治したい……。

 

 

「クルーシオは、連続で喰らうと正気を失うのは……魂の修復が追い、つかないから……軽いクルーシオでも、効果は絶大のようです……」

「ノア、気を保て」

 

 

 セブルスがしゃがみ込み、俺の肩を揺する。

 

 

「んっ……せんせ、俺……眠い……」

 

 

 体の熱がごっそりと消えていく感覚。

 あれ、この感覚は──。

 

 と思ったときには、視界が真っ白になり意識が暗転した。

 

 

 

 

 それから一時間ほど経って目を覚ました俺は、セブルスの自室にあるソファに転がされていた。

 天井がやけに近くて、視界の端がじわじわと歪んでいる。……ああ、まだダメだな、これ。

 

 大量の薬を飲まされたらしいが、魂の方にまでダメージが入ったせいか、頭痛はしつこく残ったままだ。

 世界は相変わらず極彩色で、輪郭がやたらと強調されて見える。色がうるさい。音も近い。正直、吐き気一歩手前。

 

 それでも少しだけマシになったタイミングを見計らって、無理やり寮へ戻った。

 セブルスは止めたが、医務室に運ばれるよりは自分のベッドの方がまだマシだと主張したら、最終的に渋々許可が出た。

 

 ふらふらと廊下を歩き、階段を数える余裕もなく、ほぼ記憶が飛び飛びのまま寮に辿り着く。

 ベッドに倒れ込んだところまでは覚えているが、その後は完全にブラックアウトだ。

 

──そして、今に至る。

 

 

 

 

 ふっと、目を開ける。

 

 外はすっかり暗くなっていて、部屋を照らしているのは、テーブルの上に置かれたランプの明かりだけだった。揺れる炎が壁に影を落とし、部屋全体がゆっくり呼吸しているみたいに見える。

 

 体を起こした瞬間、ぐらり、と世界が大きく傾いた。

 

 

「……っと」

 

 

 反射的にベッドに手をつき、深く息を吸う。

 頭を割るような痛みはさっきよりだいぶ引いている。でも、その代わりに全身にまとわりつく倦怠感がひどい。鉛を詰め込まれたみたいに、体が重い。

 

──これ、魔力切れの時と感覚が似てるな。

 

 ぼんやりとそう考えながら、指先を軽く動かす。

 すると、机の引き出しが音もなく開き、中からアンティーク調のジュエリーケースがふわりと浮かび上がって、俺の元へ飛んできた。

 

 ぱかり、と蓋を開く。

 

 中に収められているのは、指先ほどの大きさの赤い石だった。ランプの光を受けて、内側から脈打つように淡く輝いている。

 

 

「……あー、こんなことなら、もう少し作っとくべきだったな」

 

 

 ぼやきつつ、その石を手のひらに取る。

 ぎゅっと強く握った瞬間、指の隙間から赤い光が溢れ出した。

 

 ぬるり、とした感触。

 

 手を開くと、宝石の表面から、とろりとした液体が溢れ落ちていた。色は薄く、ほのかに光を帯びている。

 唇を近づけ、そっとそれを啜る。

 ぬるくて、わずかに甘い。嫌な味じゃない。むしろ、妙に馴染む。

 

 

「……ん」

 

 

 体の中に取り込んだ瞬間、じわじわと温かいものが広がった。空洞だった場所が、内側から満たされていく感覚。

 

 失われていた何かが、ゆっくり修復されていく。

 

 まるで、ぬるめの湯に全身を沈めたみたいな、優しい熱に、俺は思わず小さく息を吐いた。

 

 

「……はぁ」

 

 

 宝石を元のケースに戻し、指を振る。

 ケースは再びふわりと浮かび、何事もなかったように机の引き出しへ収まった。

 

 試しに、手を動かす。うん、問題なし。

 

 さっきまでまとわりついていた倦怠感は、嘘みたいに消えている。

 視界は澄み、思考もはっきりしていた。

 

 

「ってことは……」

 

 

 小さく呟く。

 

 

「魔力と魂って、やっぱりかなり深く繋がってるよな」

 

 

 この液体で倦怠感が消えたということは、魂の消耗がそのまま魔力の枯渇に影響していた、ということになる。

 寿命を伸ばす効果があるのも、魂側に反応しているからか?

 

 でも、生命エネルギーは“命”の領域だって、セブルスは言ってたし……。

 

 

「……ややこし」

 

 

 難しい理論は、正直よく分からない。

 考えれば考えるほど、繋がってるようで、でも噛み合わない。

 

 この辺の整理は、全部セブルスに任せよう。俺の仕事じゃない。

 

 そう結論づけて、思考を切り上げる。

 そのまま、もう一度ベッドに身体を倒した。

 

 天井を見上げながら、ランプの光が滲むのをぼんやり眺める。

 

 

「……今日は、もう無理だな」

 

 

 そう呟いて、目を閉じた。

 

 

***

 

 

 そして、一週間後。

 

 魔法薬学の教室には俺とセブルスしかいない。

 全ての授業が終わった後の時間帯は、いつもより静かで、薬の匂いも控えめだった。

 

 

「セブルス先生。先生は、魔力って、どこに宿ると考えていますか?」

 

 

 唐突な問いにも、セブルスは眉一つ動かさない。

 羊皮紙から視線を上げ、低く答えた。

 

 

「魂に宿る、という考えが一般的だ。その人たる存在。故に魔法使いは魔法を扱えるが、マグルにはそれがない。魂の在り方が異なるからだ」

「俺も、最初はそう思ったんですよね」

 

 

 指先で机を軽く叩きながら続ける。

 

 

「でも、命の方、ってことはないですか? 命って、生命エネルギーですよね。魔力切れの時って、異様に疲れるし……命を消費してるから、疲れる、とか」

「……そもそもだな」

 

 

 セブルスは、ぴたりとこちらを見た。

 

 

「“魔力切れ”という認識自体が、一般的ではない」

「え、そうなんですか?」

 

 

 思わず声が裏返る。

 俺は割と定期的になるけどな、と言いかけて口を閉ざした。

 

 セブルスは当然の事実を述べるように、あっさりと言う。

 

 

「魔力が底をつくほどの魔法を繰り出す状況が、そもそも存在しない」

「あー……なるほど」

 

 

 納得は、した。

 感覚遮断を多重にかけたり、年齢線を無理やり突破したり、回復魔法使ったり、常識外れの魔法を連打したり。

 そりゃ普通の魔法使いは、そんなことしない。

 

 今は戦争中でもない。

 魔力を削り切るほど追い詰められる場面なんて、滅多にないのが普通だ。

 

 

「だが……」

 

 

 セブルスはそこで言葉を切り、ゆっくりと腕を組んだ。

 指先で、とん、とん、と自分の前腕を叩く。規則正しい音が、思考の深さを示しているみたいだった。

 

 視線は確かに俺に向けられている。

 けれどその目は、俺の向こう──もっと遠いところを見ているようでもあった。

 

 

「……魔力と命の関わり、か」

 

 

 低く呟き、ほんのわずかに眉を寄せる。

 

 

「なぜ、そう考えた?」

 

 

 俺は椅子の背もたれに体を預け、軽く肩をすくめた。体に倦怠感などは残ってないけど、夜遅いから普通に眠さや空腹感はあるな。

 

 

「前回、クルーシオを受けた後。強い倦怠感がありましたよね」

「ああ」

「あれは魂が損傷したからだ、って結論でした」

 

 

 セブルスが短く頷くのを確認して、続ける。

 

 

「でも、その感じが……魔力切れの時と、すごく似てたんです」

 

 

 言いながら、少しだけ記憶を辿る。

 立っていられない重さ。頭の奥が鈍く軋む感じ。魔法を使おうとすると、体が拒否する感覚。

 

 

「それで、後で魔力回復アイテムを使ったら、一気に楽になったんです。でも、そのアイテムって……命の水、って呼ばれてるものなので──」

「──待て」

 

 

 ぴしり、と空気が切り裂かれた。

 セブルスの声に、はっきりとした緊張が混じる。その表情が、見る間に変わった。

 

 怪訝。困惑。

 そして──信じ難い、という色。

 

 あ、ちょっと口が滑った。

 

 

「命の水……? まさか……」

「セブルス先生」

 

 

 俺は反射的に手を上げ、小さくバツを作った。深刻になりすぎないように、できるだけ軽い仕草で。

 

 

「そこは、深入りしない方がいいですよ」

 

 

 一瞬、室内が静まり返る。

 セブルスは口を閉ざし、ひくりと口元を歪めた。それから、深く、長い溜め息を一つ。

 

 その息の中に、浮かんだであろう無数の疑問と詮索が、まとめて飲み込まれていくのが分かった。

 

 

「……貴様は、本当に。説明を省くにも、限度がある」

「はは……」

 

 

 呆れと諦観が半分ずつ混ざったような声色を、曖昧に笑って誤魔化した。

 セブルスも本気で聞きたいとは思ってなさそうだ、聞いたらめんどくさいことに巻き込まれる、と思っているのかもしれない。……うん、それは違いない。まあセブルスが思ってる命の水とは少し違うけど。

 

 セブルスは一度鼻を鳴らし、仕切り直すように視線を逸らした。

 再び指先で腕を叩きながら、思案する。

 

 

「おそらく……魔力は魂に宿り、命を燃料として消費し、身体によって制御、行使されるのだ」

 

 

 淡々とした声で、結論を述べる。

 

 

「いずれか一つでも欠ければ、魔法は正常に発現しない」

「へえ……」

 

 

 軽く相槌を打ちながらも、内心では納得していた。今まで感じてきた違和感が、綺麗に一つの形に収まっていく。

 そうか。魂か命、どちらかに魔力が宿っていたとしても、体がなければ魔法は使えない──ヴォルデモートがそうだな。

 

 

「命の水で倦怠感が軽減した理由だが……ノア」

「はい?」

「きみが、無意識のうちに傷ついた魂を修復しようとした可能性はないか?」

「修復……?」

 

 

 思わず、眉を上げる。

 

 魂を、修復。

 言われてみれば──あの時、確かに「どうにかして治したい」と強く思った。

 

 

「……あー……そうかも」

 

 

 ゆっくりと頷く。

 

 

「確かにあの時、体の中の熱がごっそり抜けた感じがしましたし」

「……それが代価か」

「かもしれませんね」

 

 

 だから、あれだけ疲れたのか。

 命を燃やして、魂を治そうとした、と考えれば筋は通る。

 

 

「ちなみに、先生が俺に飲ませた薬は何だったんです?」

「あれはただの栄養薬だ」

 

 

 即答だった。

 ……まあ、だよな。

 あれで魂まで治るなら、クルーシオで苦しむ人は全員救われてるしセブルスは歴史に名を刻んでる。

 

 俺は小さく息を吐き、背もたれに深く体を預けた。

 

──やっぱり、クルーシオは魂を直接狙う呪文だ。

 

 命の水でマシになったのは、俺がクルーシオの後になんとか魂を修復しようとして膨大な魔法を使ったから。

 うーん、この修復魔法が言語化できたら、反対魔法に一気に近づきそうだけど……半分無意識だからなぁ。俺だけがクルーシオ対抗魔法使えても意味ないし。

 

 

「やっぱり、魂の知覚が先ですね」

「ああ、そうだな」

「吸魂鬼お願いします」

「……」

 

 

 簡単に言うな、と唸るようにセブルスはつぶやいた。

 

 

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