兄・子世代ifチート能力を駆使して転生人生謳歌します!   作:八重歯

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173 緑の光

 

 

 数十分後だった。

 

 生垣の奥から、黒い影が飛び出した。

 ハリーだ。ハリーが息を切らしながらも全速力で、一直線に優勝杯へ向かって走っていた。

 

 ノアはその背を見て、ほんの一拍だけ遅れて透明化の魔法を解いた。空気の中に溶けていた輪郭が戻り、足が芝を踏む音がはっきりと生まれ、ノアはすぐに駆け出した。

 

 足音が増えた瞬間、ハリーが反射的に振り返る。

 その瞳には、驚愕と、それから抑えきれない喜びがいっぺんに溢れていた。自分が先に優勝杯を見つけたという信じられなさ。そして、ノアに“初めて勝った”かもしれないという、幼いほどまっすぐな誇らしさ。

 

 ハリーはすぐに前を向き直り、さらに速度を上げた。

 

 その時だった。

 

 生垣の影が、跳ねた。

 それは優勝杯に近づくハリーに真っ直ぐ飛んでいく。

 

 

「ハリー! 左だ!」

 

 

 ハリーは言葉を理解するより早く、左へ身を翻した。芝を蹴って滑り込み、転がる。直後、彼がいた場所へ巨大な鋏が突き刺さった。土が跳ね、草が抉れ、鋏の先端が地面に深く食い込んで、嫌な音を立てる。

 

 姿を現したのは巨大蜘蛛だった。

 胴は黒く、脚は節くれ立ち、鋏は人間の腕ほどの太さがある。目の多い顔面がぎらつき、ハリーを獲物として捉えていた。

 

 

「ステューピファイ!」

 

 

 ノアはハリーへ駆け寄りながら呪文を放った。赤い光が一直線に走る──だが蜘蛛は信じられないほど素早く身体を沈め、光を掠めさせると、続けざまに腹を震わせた。

 粘着質な糸が弾けるように吐き出される。

 

 

「うわっ!──ッ!」

 

 

 ハリーの足に糸が絡みついた。冷たいようで熱い、気味の悪い粘りがすねにまとわりつき、走ろうとした身体が一瞬で奪われる。バランスを崩し、ハリーは転んだ。ハリーは魔法をいくつか放ったが、蜘蛛は怯むどころか、むしろ怒りを濃くするように鋏を鳴らした。

 

 鋏が、今度は確実にハリーを狙って振り下ろされる。

 

 ハリーは目を閉じかけた。痛みが来る前に、奥歯を噛みしめる。呼吸が喉の奥で固まり、身体が反射で縮む──

 

 しかし、その直前。

 

 

「ボンバーダ!」

 

 

 光が白く塗りつぶし、衝撃が胸に響く。

 蜘蛛が甲高い、不快な悲鳴を上げ、身体を捩ってひっくり返った。八本の脚が空を掻き、鋏がむなしく閉じては開く。焦げる匂いが一気に広がり、鼻の奥を刺す。

 蜘蛛の膨れた腹から煙が薄く立ちのぼり、目に染みて視界が滲む。ハリーは咳き込み、片手で目元を擦った。

 

 

「ハリー、大丈夫か?」

 

 

 その声が近くで落ちる。顔を上げると、ノアが目の前に立っていた。

 

 優勝杯の光を背に受けたその姿は、夜の湿気の中でもやけに鮮明で、髪が風に揺れるたび、金色の粒が散るように光が跳ねていた。

 差し出された手は、いつもの彼の体温を優しく伝え、ハリーの煩く打っていた鼓動を落ち着かせた。

 

 

「ありがとう……」

 

 

 蜘蛛はひっくり返ったまま、脚を内側に折りたたみ、動かなくなっていた。腹のあたりがまだぶすぶすと燻り、薄い煙が上がっている。ハリーはそれを見ながら拳を握る。自分は、気づくのが遅かった。あの声がなければ、鋏は本当に自分を裂いていた。

 

 ハリーの視線が、優勝杯へ吸い寄せられる──栄光の輝きだ。

 

 ハリーは一度だけそれを見てから、視線を逸らし、しっかりノアを見上げる。その顔には確かな決意と悔しさ──なにより正直さが混ざっていた。

 

 

「ノアが、優勝杯を取って」

「え?」

「僕は……ノアが居なきゃ蜘蛛にやられてた。優勝杯を取るのは君だ」

「でも、先に来たのはハリーだろう? 俺は遅かった」

 

 

 ノアはすぐには頷かず、ゆっくり首を振った。振り返って優勝杯を見る。栄光の光は揺れずに、二人を待っている。近づけば触れられる距離だが、二人とも動けない。

 

 

「ううん。ここから一緒に走ったって、ノアのほうが速いでしょ?」

 

 

 ハリーは、なるべく優勝杯を見ないように言った。見てしまったら、手が伸びる。伸ばしたくなる。だから目を外して、ノアだけを見た。早く取って終わらせてほしいと願いながら。

 

 だが、ノアは動かなかった。

 ただ光の中で静かに立ち、ハリーの顔を見ている。金色に照らされる横顔は、読み取ろうとすれば何でも読めそうだったが──意図的に何も見せないようにも見えた。

 

 そしてノアは、ひとつ息を吐くように言った。

 

 

「……なら、一緒に取るか?」

「……一緒に?」

 

 

 ハリーが鸚鵡返しに繰り返すと、ノアは頷いた。

 

 

「二人で一緒に取る。点数差があるから、優勝は俺になるけど」

 

 

 ノアは優勝杯を指差しながら提案し、ハリーは驚いた顔をして優勝杯を見る。

 二人で優勝杯を手にして帰ってくる──優勝はノアだけど、その隣にいるのは自分で、きっとシリウスは褒めてくれるだろう。

 

 そう思ったら、胸の奥が熱くなり、ハリーは小さく頷いていた。

 

 ノアが目を細め、嬉しそうに微笑む。

「さあ、行こう」と促され、ハリーはノアの隣に並びながら優勝杯に近づいた。

 

 優勝杯の輝く取っ手に、それぞれ片手を伸ばす。

 

「じゃあ、三つ数えてだ。いいな?」ノアの言葉にハリーは頷く。

 

 

「いち──に──さん──」

 

 

 ハリーとノアが同時に取っ手を掴む。

 途端に、二人は臍の裏から引っ張られるように感じた。両足が地面を離れ、優勝杯の取っ手から手が離れない。

 風が唸り、頬を髪が打つ。視界が色の渦に塗り替わって、世界が回転し、遠ざかり、近づく。

 

 優勝杯は、二人を連れて行く──。

 

 

 

 

 唐突に、ノアとハリーの足が地面を踏み締めた。

 ノアはバランスを崩すことは無かったが、ハリーはいきなりの移動に崩れ地面に尻をつく。

 

 息を吸った瞬間、違和感が胸に広がる。

 

 さっきまで鼻の奥にまとわりついていた、生垣の青い匂いがない。蜘蛛の焼ける臭いがない。

 代わりに、湿気が重かった。腐葉土と古い石と、雨を吸った草の匂い──それに、どこか鉄のような暗い臭いが混ざっている。

 ハリーはノアに助け起こされながら、ズレた眼鏡を掛け直し当たりを見回した。

 

 

「ここはどこだろう?」

「さあ……どこかの墓場かな」

 

 

 ホグワーツは見えない。

 山の稜線も、灯りも、空気の気配もない。二人が立っているのは暗い墓地だった。雑草が膝に触れるほど伸び、墓石は苔に覆われ、名前も読めないものが多い。誰かが手入れしている様子がない事から、ここは、人の記憶からも置き去りにされた場所なのだろう。

 右手側にイチイの大木があり、その奥に小さな教会の黒い輪郭がある。左手側には丘が聳え、その斜面に古い館が建っているのが見えた。

 

 

「優勝杯がポートキーだったなんてな。そんな説明あったっけ?」

「そんな説明なかったよ……これも課題の続きかな?」

 

 

 あまりに不気味で、ハリーは無意識にノアのローブを掴んだ。ノアはハリーの背を優しくぽん、と手で撫でてその不安を受け入れながら、辺りを見回す。

 

 

「どうだろうな。……ハリー、杖は持っておけよ?」

「うん」

 

 

 ハリーはポケットから杖を引き抜いた。指が汗で滑り、握り直す。ノアもローブを探り、杖を出した──その瞬間、ノアの内ポケットがわずかに動き、何かが羽ばたく音がした。

 

 単眼の魔法生物が、ぱたぱたと不格好に飛び出す。暗闇に浮かぶ丸い瞳が一瞬きらりと光り、それからすぐ、近くの墓石の影へ身を滑り込ませるように隠れた。

 

 その動きを見た時、ハリーは気づいた。

 いや、ここに来た時から感じていた。

 肌の上を這う、湿度を持つ、何かの視線を──。

 

 

「誰か来る」そうハリーは囁く。ノアはハリーを守るように一歩前に出て、手を広げた。

 

 目を凝らすと、墓石の間を縫ってこちらへ向かう影があった。フードを深く被っていて顔は見えない。小柄で、足取りが慎重だ。腕の抱え方が不自然で、何かを胸に抱いている。

 姿がさらに数歩近づいた時、ハリーにはその影が抱えているものが、赤ん坊のように見えた。抱え方が、ひどく緊張していて、それでいて丁寧だからだ。

 あれは、ただの弔い客だろうか?

 

 ハリーは杖を少し下ろし、ノアをチラリと見た。ノアは少し肩をすくめ、同じような訝しげな視線を返す。そして、二人とも近づく影に目を戻した。

 

 その影は、二人からわずか二メートルほど先の、丈長な大理石の墓石の側で止まった。

 

 ハリー、ノア、そしてその小柄な影が──一瞬、互いを見つめ合った。

 

 その瞬間だった。

 

 前触れもなく、稲妻のような痛みがハリーの額を裂いた。傷痕が燃える。いや、燃えるなんて生易しい。頭蓋骨の内側から、釘で抉られるような痛みが突き上げる。今までに感じたことのない苦痛に、視界が白く弾け、音が遠のく。

 

 ハリーは両手で顔を覆い、呻く。杖が指の隙間から滑り落ち、膝が崩れ、濡れた土に叩きつけられる。息ができない。頭が割れる。割れたまま、さらにこじ開けられる。

 

 

「ハリー!」

 

 

 ノアの声が聞こえた。遠い。水の底のように歪む。ノアが支えようとする手の気配だけが、かろうじて現実に繋がっている。

 

 その時、別の声が降ってきた。

 

 

「あいつは殺せ!」

 

 

 ハリーの頭の上で、どこか遠くのほうから聞こえるような甲高い冷たい声がした。その声と共に、もう一つ別の甲高い声が夜の闇を劈いた。

 

 

「アバダ ケダブラ!」

 

 

 緑の閃光が、閉じた瞼の裏を貫いた。

 

 何か重いものが崩れる音がした。すぐ近くで。土が沈み、布が擦れ、身体が倒れる音。嫌なほどはっきりした現実の音。

 

 ハリーの中で、痛みとは別の“冷たい確信”が生まれる。  

 

 目を開けたくない。

 開けたら終わる。

 開けたら、戻れない。

 けれど──確かめなければならない。

 

 心臓が喉の奥までせり上がる。血流が耳の裏で轟く。呼吸が震えて、肺が泣く。

 

 ハリーは、ゆっくりと目を開けた。

 

 

 ノアが、足元に倒れていた。

 

 

 倒れ方が、あまりにも静かだった。苦しむ姿勢でもなく、もがく形でもなく、ただ、眠りに落ちたように横たわっている。

 髪も、ローブも大きく乱れていない。顔は穏やかで、瞼は閉じられ、長い睫毛が頬に影を落としている。血もない。歪みもない。

 生きているときの“余裕”だけが、形のまま残っている。

 ただ、動かない。

 

 

「……ノア?」

 

 

 それは声にならなかった。喉の奥で掠れた空気が鳴っただけだった。

 

 ハリーは震える手を伸ばす。指先がノアの肩に触れた。冷たい。さっきまで確かにそこにあった体温が、薄い布の向こうにも感じられない。

 

 揺する。小さく。強く。もっと強く。

 

 起きて、と言いたいのに、言葉が出ない。喉が焼けるように痛い。唇が震える。出てくるのは、音にならない喘ぎだけだった。

 

 ノアは動かない。

 

 胸の奥が、ぐしゃりと潰れる。

 

 痛みとは違う種類の衝撃が、ハリーの身体の芯を貫いた。理解が追いつかない。理解したくない。けれど目の前の静けさが、残酷なほど、確かだ。

 

 

 

 ノア・ゾグラフは──死んでいた。

 

 

 

 

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