兄・子世代ifチート能力を駆使して転生人生謳歌します!   作:八重歯

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175 悲劇

 

 

 ハリーは、地面に叩きつけられる感覚だけを遅れて受け取った。

 身体の内側がぐらりと揺れ、胃の底が置き去りになる。次の瞬間、草の匂いと土の冷たさが鼻腔に押し込まれた。

 目の前が滲む。耳の奥で血が鳴っている。世界がまだ回っていて、ここがどこなのかさえ、うまく掴めない。

 

 ハリーは息を吸い込みながら、必死に顔を上げた。

 

 腕の隙間から迷路の生垣が見えた。観客席の輪郭が見えた。

 あの墓場ではない。ホグワーツに帰ってきたのだ。

 

 安堵が胸に浮かびかけた、その瞬間──空気が、おかしいことに気づく。

 

 

 歓声が聞こえない。

 勝者を讃える熱もない。

 あるのは、擦れた叫びと嗚咽だけだった。

 

 

 慟哭、嗚咽、怒鳴り声。誰かが名前を呼び続ける声。嘆くような悲鳴。

 スタンドの上の人々が立ち上がり、こちらへ身を乗り出しているのが見える。顔が歪んでいる。口に手を当てている。抱き合っている。

 

──何かがおかしい。

 

 ハリーはそう思いながら、体を起こそうとした。

 そのとき、胸のあたりに回っていた温かいはずの腕が、するりとほどけた。

 

 ハリーから重さが落ちる。

 隣の体が、芝の上に静かに転がる気配がした。

 

 ハリーは、ゆっくりと首を回す。

 

 目の前に、ノアがいた。

 ハリーは、見上げるノアの瞼が震えないことに違和感を覚える。

 胸を軽く叩く。ぐっと引っ張ると、その動きに合わせてノアの顔がかくり、と人形のように動いた。

 

 ノアは目を閉じたまま、地面に横たわっていた。

 さっきまで、抱きしめられていた。言葉があった。目があった。

 なのに今、ノアは静かすぎる。静かすぎて、まるで──……。

 

 

──嫌な予感がした。

 

 

 ハリーは、腕の中から必死に這い出る。膝が滑り、手のひらが泥で汚れるのも構わない。

 ノアの肩に両手をかけ、揺さぶった。

 

 

「ノア? ど──どうしたの?」

 

 

 ノアの体が揺れる。

 揺れた反動で顔が倒れ、頬に泥のついた髪が張り付いた。ノアの頬は蝋人形のように白く、泥で汚れていた。

 

 

「ノア……ノア!」

 

 

 叫ぶ。叫んでも、足りない。

 喉が裂けそうで、涙が勝手に滲んで、視界がまた歪む。

 動かない。まばたきもしない。頬に触れる──冷たい。

 

 

 そのとき、どこか遠くから、悲痛な声が飛び込んできた。

 

 

「ノアが死んだ!!」

「緑だった! 死の呪文だ!」

「う、動いてない!」

 

 

 その言葉が、刃のように胸へ刺さる。

 

 ハリーは頭を振った。

 違う。違うはずだ。

 さっきまで生きていた。抱きしめてくれた。帰ろうと言った。

 しかし、周囲の空気がその否定を許さない。悲痛が、ノアの死がもう決まった事実として広がっていた。

 

 

「ち、違う──ノア! 目を覚まして!」

 

 

 混乱して叫ぶ。さっき、目を覚ましていた。生きていたはずだ。

 あれは幻覚だったのか。自分が見たかったものを見ただけの、祈りが作った白昼夢だったのか。父さんと母さんのように、ゴーストになって助けてくれたのか。

 

──そうだ、あの魔法は。

 

 ハリーの頭に、緑の閃光が焼けたまま残っている。

 死の呪文。

 世界が許さない呪文。

 

 思考がそこへ辿り着いた途端、背筋が凍った。

 

 

「い、嫌だ……」

 

 

 その呟きは掻き消えた。耳が聾するほどの音が、今、一気に押し寄せてきた。

 足音。叫び声。泣き声。怒鳴り声。名を呼ぶ声。左右から、背後から、頭上から。

 迷路の外の世界が、崩れた堤防のように雪崩れ込んでくる。

 

 

「ハリー! ハリー!」

 

 

 二本の腕が乱暴にハリーの肩を掴み、引き剥がすように揺さぶった。

 ノアの白い顔から目を逸らせなかったハリーは、ゆっくりと顔を上げる。

 

 夜空の瞬きが見えた──アルバス・ダンブルドアが屈んでいる。

 ダンブルドアだけではない。黒い影が幾重にも取り囲み、誰もが顔を歪め、涙を浮かべ、叫び、呻き、ノアの名を呼んでいた。

 ハリーはその輪の中心にいて、まるで自分だけがガラスの檻に閉じ込められたように、音が遠い。

 

 

 誰かが耐えようとして失敗し、顔を覆って膝から崩れた。

 誰かが「嘘だ」と言いながら、呆然と首を振る。

 泣き声が波になって、迷路の壁にぶつかり、跳ね返り、さらに大きくなる。

 

 ハリーはその輪の中で、自分だけが置き去りになっていた。

 ノアは横たわっている。白い。動かない。

 それを、空が、群衆が、先生たちが、すでに“死”として扱っている。

 

 

 生徒たちの間を割るようにして、先生が一人駆け込んできた。

 スプラウトだった。彼女は必死に駆けてきたが、ノアを見た途端、足が止まった。

 

 

「……あ……」

 

 

 声にならない声が漏れる。

 スプラウトは口元を押さえた。押さえた指が震えている。

 一歩、二歩と近づこうとして、膝が折れた。まるで体が、現実を支えきれなくなったように。

 周囲の生徒が「先生……」と呼びかけても、返事がない。ただ、濡れた瞳のままノアから視線が外れない。

 

 別のところでは、マクゴナガルの鋭い声が聞こえた。

 

 

「下がりなさい! そこを空けて!」

 

 

 命令口調のはずなのに、声の端が僅かに震えていた。

 彼女は息を整えようとして、うまくできずにいる。

 頬が強張り、顎がきつく結ばれ、まばたきの回数だけが増えていく。涙を落とすまいとしているのが、痛いほど分かった。

 

 大人が、ノアの死を認めている。

 

 その事実が、ハリーを混乱させ、喉を締めつけた。

 

 

「ノア……」

「ノア様……」

「お願い、起きて……」

 

 

 祈りの言葉が飛び交う。けれどそれは祈りの形をしているだけで、実際には弔いの言葉だった。

 

 ハリーはその中心で、ノアの頭を抱き寄せる。

 隠したかった。見せたくなかった。

 誰にも触れさせたくない。

 自分の腕の中に閉じ込めてしまえば、世界の“確信”から奪い返せる気がした。

 

 ノアの髪が指の間を滑る。泥の冷たさが掌に移る。ハリーはノアを抱きしめたまま唇を震わせた。

 

 

「ダンブルドア先生、あ……あの人が、戻ってきました。戻ったんです、ヴォルデモートが──そ、それで、ノアが……」

 

 

 その先は言葉にならなかった。

 口が開いても、音にならない。喉が焼ける。肺が痛い。

 ダンブルドアは苦痛に満ちた目で、小さく頷く。

 

 

「間に合わなかったか……」

 

 

 彼からこぼれたその呟きは、ハリーにだけ届いたが、その言葉の意味を考える思考は残っていなかった。

 

 周囲の悲痛な叫びと慟哭がさらに強まり、そこへファッジが息を切らせて現れる。

 呆然としたまま、現実を拒むように囁いた。

 

 

「なんたる事だ──ノアが──」

 

 

 ファッジはよろめき、足元が崩れたように膝を折りかける。

 こうして土気色の顔のノアを見るまで、彼の死を現実として受け入れられなかった。

 それほどノアは“光そのもの”で、死と最も離れた場所にいるはずの存在だった。

 

 

 けれど彼らは見せられたのだ。

 ペティグリューが放った緑の光がノアを襲ったのを。

 

 

「ハリー……ああ、なんたることだ……。手を離しなさい。彼の保護者に、なんと説明すれば……」

 

 

 しかし、ハリーは手を離さなかった。

 駄々をこねる子どものように嫌だと首を振り、強くノアの頭を抱きしめる。

 唇が震え、歯が鳴りそうになる。

 ハリーは、ただ同じ名前を頭の中で繰り返していた。

 

 

「ハリー、もう助ける事はできんのじゃ。終わったのじゃよ。……離しなさい」

 

 

 ダンブルドアはハリーの強張った肩を撫でる。

 

 

「ノ、ノアは死んでない……」

 

 

 震える口から言葉が漏れる。

 帰ろうと言った。腕を掴んだ。確かに生きていた。

 

 

「ハリー……」

「だ、だって──さっき、僕に言ったんだ! か、帰ろうって……!」

 

 

 声が掠れる。言えば言うほど、喉が裂ける。

 あの瞬間を、ハリーは確かに掴んだ。ノアは立っていた。目が合った。腕があった。

 それが消えるなんて、許されない。許せない。世界のほうが間違っている。

 

 ダンブルドアの目に悲痛な色が浮かぶ。死を拒む事はできない、死は、不可逆なものだから。

 

 彼はハリーの腕を優しく撫で、ほどこうとした。その指先の温度が、冷たく凍っていたハリーの腕を少しだけ解かしてしまって、抱きしめる力が、わずかに抜けた。

 

 ハリーは、それが怖くてたまらなかった。

 力が抜けたら、ノアが“本当に”離れてしまう気がしたからだ。

 

 ダンブルドアはすぐにハリーを抱き起こす。

 ノアはまた草の上に静かに横たわり、ハリーはよろめきながらそれを見下ろした。

 

 見下ろす、という形が嫌だった。

 ノアを見下ろすなんて、あり得ない。

 でも身体が言うことをきかない。足が震える。視界がにじむ。

 

 

「嫌だ、ノア……起きて……」

 

 

 震える言葉が、砂のように零れた。

 叫びにならない。祈りにもならない。

 ただ、喉の奥から落ちた。

 

 

「ダンブルドア、ハリーを医務室に連れて行かねば! この子は病気だ。それに、ノアの保護者も──ああ、もうそこまできている──説明しなければ……ダンブルドア、私がハリーを医務室に連れて行こう」

「いや、むしろここに──ハリー、ここにじっとしておるのじゃ」

 

 

 ダンブルドアはファッジに急かされ、ハリーから手を離すとノアの保護者の元へ向かう。ノアの死を目撃した生徒達が泣き喚き、悲痛な叫びを上げ続けた。

 立ち尽くしていたハリーはそれを、どこかぼんやりと眺めていた。

 

 

──ノアが死ぬわけがない。

 だってさっきまで起きていた。僕と喋っていた。ここまで連れて帰ってくれたのはノアだ。

 

 

 その確かさだけが、胸の奥でしつこく燃えて、現実と噛み合わない。

 

 

「大丈夫だハリー。わしがついているぞ。さあ……行くのだ……医務室へ……」

 

 

 誰かの声がハリーを促していた。

 肩を抱かれ、無理やり歩かされる。力のこもらない体はされるがままに地面を踏み締めた。

 それでも目だけは、何度も振り返ってしまう。

 草の上の白い顔を、見失ったら終わる気がした。

 

 そして、引きずられる途中で、ハリーははっきりと思った。

 

 違う。

 ダンブルドアなら、絶対に僕をノアから引き離したりしない。

 今、この手は、ダンブルドアの手じゃない。

 

 

「ダンブルドアが、ここを動くなって言った。僕はノアのそばを離れたくない」

 

 

 弱々しく告げたハリーに、男は低い声で「お前には休息が必要だ」と言った。

 何かが決定的におかしい。

 ハリーは抵抗しようとしたが、身体はうまく動かない。泣き疲れたわけでもないのに、力が抜ける。怖さで、身体が凍っている。

 

 男はハリーを半ば引き摺るようにして、怯える群衆の中を進んで行った。

 ハリーの指先は空を掴む。

 ノアのローブの端を、もう一度だけ触れようとして、触れられないまま、夜のざわめきに呑まれていった。

 

 

 

 

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