兄・子世代ifチート能力を駆使して転生人生謳歌します! 作:八重歯
ノアを中心に、悲痛な泣き声が渦を巻いた。
叫びは一つではない。喉を裂くような悲鳴、嗚咽、泣きながら意味のない言葉を繰り返す声。誰かが倒れ、誰かがそれを跨ぎ、誰かが「見せて」と泣きながら押し合っている。
失神した生徒が担がれていき、誰かは笑い声のような引きつった音を漏らして泣き崩れた。
単眼生物の中継が映していた“あの瞬間”が、まだ観客の目の裏で焼けている。緑の閃光。崩れる影。止まった時間。
ノア・ゾグラフが死んだ。
その事実だけが、競技場の空気を凍らせていた。
人混みを掻き分け、立ち止まる者の肩を押し退け、縋りつく手を振りほどいたセドリックは、ようやく空いた中央へ飛び出した──そして、息を詰めた。
「──ッノア!」
よろめくように駆け寄る、足がもつれる。
膝の痛みも、石が刺さる感触も、どうでもよかった。
ノアの白い頬には泥がつき、睫毛の先に細かい砂が絡んでいる。いつもなら馬鹿みたいに綺麗で、世界のほうが彼を照らすために出来ているような顔が、今はただ静かだ。
ノアへ伸ばす手が、酷く震える。白い頬はまだ柔らかい。それなのに、酷く冷たい。
「ノア? ……う、嘘だ……」
乾いた声が落ちる。周りの泣き叫ぶ声がさらに大きくなる。
──わかっている。僕たちは見た、緑の閃光がノアを打つところを。
誰かが「治して」と叫び、誰かが「ダンブルドアなら」と喚き、誰かが「こんなの嘘だ」と壊れたように繰り返す。
けれどセドリックの耳には、それらが遠い。
目の前にあるのは、重くて、冷たい現実だけだった。
「ノア……嫌だ……ノア──ッ!」
セドリックは叫び、ノアの胸元に縋りつく。涙が溢れて止まらない。視界が滲み、ノアの輪郭がぼやける。
強くローブを掴み、動かない体を抱きしめた──抱きしめれば戻るとでも言うように。戻ってこい、と、握力で引き戻せるとでも思うように。
顔を埋める、強く、掻き抱いて呻く。
ノアの冷たい体を──。
──その時、頬に触れるものを感じた。
泣き声でも、風でもない。周りの絶叫に掻き消されそうなほど小さな震えが、頬に伝わり、一定の音をセドリックに刻む。
セドリックは目を見開きはっと息を止めた。
今、頬に何かを感じた。感じるはずのないものを。自分の震えではない、もの。
そのまま、ノアの胸にじっと耳をつける。意識を集中させる──世界が一瞬、細くなった。
──とくん。
もう一度。
──とくん。
それは、かなり遅いものだったが、紛れもない生命の震えだった。
「ノア? ……ノア!」
セドリックは驚いて身を起こした。
「い──生きてる、まだ生きてる! ノア、聞こえるか!?」
セドリックは勢いよく身を起こし、ノアの肩を掴んで揺らした。乱暴だった。けれど、乱暴にでも確かめたかった。
周囲の群衆は、セドリックが壊れたのだと思ったかもしれない。彼らは皆、見てしまっている。ノアの確かな死を──そう信じるしかない場面を。
「ノア! ──っ早く起きろよ!」
叫びが喉を裂く。しかし──ノアは目を覚さない。
胸は、注視しても見逃してしまうほどごく浅く、ごく弱く動くばかりで、呼吸は途切れがちで、体は鉛のように冷たく重いまま横たわっている。瞼は固く閉じられ、指先も動かない。
動かないノアを、セドリックは抱きしめた。冷たい体を温めようとして──そうすれば戻ってくるのではないかと、そんな幼稚なことを考えて。
希望が生まれたぶんだけ、絶望はさらに深く刺さり、セドリックの喉が鳴る。彼の泣き声が、祈りの声に変わりかけた瞬間、群衆の間を鋭い声が切り裂いた。
「下がれ!」
クィレルだった。
黒いローブの裾が翻り、人を押し退ける腕が容赦なく道を作る。
駆け寄ったクィレルは膝をつき、ノアの顔色を一瞬で見切ると、迷いなく小瓶を取り出した。ガラス瓶の中で、赤黒い液体が重く揺れる。
セドリックは涙で濡れる瞳で縋るようにクィレルを見た。その口が、「先生」と、彼が久しく聞くことのなかった言葉を紡ぐ。
──先生、どうかノアを助けて。
「ノア様。失礼を」
言い終えるより早く、クィレルはノアの顎を支え、唇の隙間に瓶口を滑り込ませる。
指先が頸の脈を一拍だけ確かめ、角度を変えて顎をわずかに引き、喉が開く位置へ迷いなく合わせた。
液体が喉へ流れ込む、飲み込む力すらないのでは、とセドリックが不安になったその時──。
ノアの喉が、ごく小さく上下した。
次いで、胸が、深く持ち上がった。
まるで溺れていた者が水面へ引き上げらるように、呼吸が一気に戻る。空気を貪るような、深い、重い息。群衆の誰かが「あっ」と声を漏らし、それが波紋のように広がっていく。
そして。
ほんの、ほんの僅かに。
ノアの瞼が震えた。
「……ノア……?」
セドリックの祈りのような微かな呼びかけに、ノアの指先がぴくりと動く。瞼がゆっくり持ち上がり、隠されていた灰青色の光が覗いた。焦点はまだ定まらない。けれど、確かに開く。
そして、セドリックを見て、どこか安堵したように息を小さく吐いた。
「……っ、セド……」
掠れた声が、確かに言葉になった瞬間、群衆の空気が一度凍りつき、次の瞬間には爆発した。
「ノアが……生きてる!」
「嘘だろ、ほんとに……!」
「死の呪文を受けて……戻った!」
「奇跡の人だ!」
「ああ──神よ!」
泣き声が歓声に変わり、嗚咽が笑いに混じり、悲鳴が祈りへ転じる。膝をついたまま両手を天へ伸ばす者がいた。胸を押さえて崩れ落ちる者がいた。叫びながら泣き、泣きながら笑い、誰かの名を呼ぶようにノアの名を呼ぶ。熱に浮かされたような歓喜が、競技場を満たしていく。
ノアは焦点の定まらない目でセドリックを見上げていたが、重い腕を動かし彼の頬に手を伸ばす。涙で濡れているセドリックの頬を、何かを確かめるように撫でたノアは、ふっと表情を緩め微かに微笑んだ。
「い──きてる……」
「っ……ああ、生きてるよ!」
頬に添えられたノアの冷たい手を強く握る。
目の奥が熱くなり、涙で視界が歪む。
──ああ、そうだ、“ノアが生きている”。
その時、単眼生物がノアとセドリックの周りを飛んだ。それに気づいたノアが、かすかに笑って軽く手を振った。大丈夫だというように。
空に、その光景が映し出される。
すると歓声はさらに増幅し、歓喜が狂気の縁をなぞるように膨れ上がった。
セドリックはノアが生きていて、心の底から喜んでいた。だが同時に、激しく動揺しているのも確かだった。死の呪文は、反対呪文が存在しない。まさか、ノアは死の呪文すら克服したというのだろうか?
抱き起こした腕の中の重みが、まだ信じられない。
クィレルは息をひそめ、瓶を握りしめたまま、低い声で言う。
「……申し訳ありません。ファッジらに足止めされてしまい……貴方様に余計な苦しみを……許されない過ちです……」
唇を噛み悔いるクィレルに、ノアはセドリックの腕の中で苦しそうに眉を寄せ、額から汗を一筋流しながらも、口元だけはいつもの形を作り、微かに微笑んだ。
「……大、丈夫だから。クィレル……リーマスと、シリウスは?」
荒い呼吸のまま、掠れ声でノアは尋ねる。
クィレルは、ノアの頬に赤みが戻らないことに一瞬だけ動揺し、心配そうに眉を寄せた。だがすぐに表情を取り繕い、硬い声で「手筈通りに」と答える。
「ノア様、医務室に行きましょう」
「いや、それよりも……っ、まだやることが──」
「ノア! なんと、無事じゃったのか!」
ダンブルドアは信じがたい目でノアを見る。先ほどまでは間違いなく死んでいた──そう見えた。いや、死の呪文に貫かれたところを見ていたからこそ、その主観がそう錯覚させたのだろうか。
確かな事は、今、目の前にいるのノアは息をし、目を開けている。──まさか、完成していたのか?
「ああ、ノア! 生きていたのか? まさに奇跡だ、よかった!」
ファッジも混乱しつつもほっと胸を撫で下ろす。
しかしノアの酷い顔色に気づくと、すぐに心配そうにして「医務室に行こう、さあ!」と促した。
ノアは一人で立てないほど疲弊している。それを察したセドリックがしっかりと支え、クィレルも反対側から支える。群衆はまだ近寄ろうとし、泣きながら「触れさせて」と言う者までいる。
クィレルが低く、威嚇するように叫んだ。
「すぐに退け!」
その声でようやく道が割れた。だが割れた道の両側には、まだ“陶酔と狂喜の目”が並んでいる。ノアが歩く。支えられてでも歩く。そのたびに、歓喜が残り火のように追いすがる。
ノアはダンブルドアを振り返った。
「ダンブルドア先生、ハリーが……ムーディに、連れて行かれました」
その一言で、ダンブルドアは全てを察した。老いた皮膚の皺一つ一つに静かな怒りが滲み、それを隠すこともなく、ローブを翻す。
セブルスとマクゴナガルを引き連れ、走り去っていく背中が、夜の気配を切り裂いた。
ノアはそれを見送った後、疲れたように重いため息をこぼす。
──ああ、これでいい。俺の役目はもう、ほとんど終わった。
セドリックはしっかりノアを支えたまま、涙交じりで鼻を啜る。
ノアの顔色は悪い。青白いというよりも、まさに死人を思わす顔色で、唇の色もほとんどなく、頬が冷えた石のようだった。
しかし目はいつも通りの落ち着きを保ち、支えられながらでも自分の足で歩き、息をしている──それだけで、セドリックは胸を詰まらせた。
「よかった。僕、ノアが死んだって……」
「……なんで、そう思った?」
「空に、課題の様子が中継されていたでしょ? ノアとハリーが優勝杯があるところで巨大蜘蛛と戦って──その後、消えたんだ。でも、すぐに映し出された。けど、二人は全く知らない場所にいて……ダンブルドアもファッジも動揺してたし、みんなが混乱してた」
セドリックは思い出すようにゆっくりと説明する。
ノアは静かにそれを聞きながら「それで?」と続きを促す。
競技場を抜け、ホグワーツ城へ続く道を歩きながら、セドリックは続けた。
「墓場だったね。それで──男が──男がノアに死の呪文を放った。音声は届かなかったけど、あの光は死の呪文だった、そうだと思ったんだ。……みんな、泣いて、叫んで……酷かった。
リーマスが、ピーター・ペティグリューだ! って叫んで……また、いろんな混乱が起きて……それで、その男──ペティグリューが何か儀式をしているところで、映像が途切れたんだ」
石段を上り、玄関ホールを横切ったところで、ようやく競技場の混乱の声は遠くになってきた。
ノアは「そうか」とだけ呟くと、また一つ、疲れたようなため息をこぼした。息が喉で細く切れ、軽い咳になりかけるのを飲み込む。
──想像よりも、体が重い。
ノアは何度も瞬きをしたが、滲んだ視界は戻らなかった。
身体が──いや、魂そのものが休息を求めているのだろう。
競技場の背後ではまだざわめきが渦を巻いていたが、遠ざかるほどに音は薄れていった。
言葉のないまま廊下をいくつか曲がり、医務室の扉の前へ辿り着く。
「校医を呼んできます。ノア様をベッドへお願いします」
「うん、わかった」
クィレルはそっとノアのそばから離れると、マダム・ポンフリーを探して医務室の奥へ姿を消した。
セドリックはゆっくりとノアをベッドに座らせる。すぐにノアは後ろ向きに倒れた。
──瞼が重い。閉じたら戻ってこられないような重さだ。呼吸がさらに細くなるのが、自分でも分かる。
セドリックは近くの椅子に座りながら、ノアの疲れが滲む横顔を見る。白い頬、色のない唇、冷えた指先。生きていると分かっているのに、怖いほど“死に近い”顔だった。
「……ノアは生きていた。……だから、あれは死の呪文じゃなかったんだよね?」
「いや……死の呪文だった」
「え? で、でも、それならどうして? まさか、反対呪文を──?」
存在しないはずの反対呪文。
それを生み出したのかとセドリックは唾を飲み込み、言葉を失った。
しかしノアは小さく笑うと「違う」と短く否定した。
「あれは、反対呪文じゃ……ない。ッ……げほっ!」
詰まったような咳をこぼし、ノアは細く長いため息をつく。その吐息と共に体に残っていた力が溶けていったかのように、ノアの体が更にベッドに沈み込む。
疲労の滲むノアの横顔に、セドリックは布団をかけてやり、泥と汗で張り付いた額の髪をそっと払った。
「大丈夫? クィレル、呼んでこようか?」
「……」
ノアは長い息を吐き、小さく首を振る。セドリックは心配そうに眉を下げ、ノアの白い手を握る──その冷たさに、一瞬手が引いたが、すぐに強く握り直した。