番外編 君はまだ愛を知らない
理玖は是露の下僕、忠実なる部下である。
彼は是露のことだけを考え、是露のためだけに働いている。
だから、その日も、いっそ懸命とも言える程に理玖は動いていた。
虹色真珠を手に入れるための布石。それを齎す緻密な罠。念には念をと準備を整え、すべての計画に抜かりはなし。
理玖はそのことを伝えるため、是露の元へ向かった。やはり定期的にこういうことは隠せない。そうして耳飾りを弾けば、既にそこは人と妖怪、双方から隠された古びた屋敷である。主との待ち合わせ場所であった。
「久しいな」
すぐに中に入れば、室内の奥で是露が静かに待っていた。
相変わらずの仏頂面だ。それでも理玖にとっては見慣れた顔である。
「姐さん」
「理玖よ。計画はどうなっている」
「はい。すべて順調ですよ」
理玖は毎度のように報告を始める。
細かいところまで事前に情報を整理していたので、つづがなく説明は終わった。
すると、すべてを聞いた是露は「お疲れ様」の一言もなく、何かを考える仕草をして黙りこくってしまった。
「……」
こういった時、是露が何を思っているかは大体分かる。恐らく苛ついているか、焦っているか、そのどちらかだろう。
それでも、“もしかしたら”というよく分からない期待がないわけではない。理玖はずっと、是露から欠けた“何か”を求めている。
しかし、彼自身、望みが叶うことはあまりないと理解していた。だって是露は心を失っているから。優しさを失っているから。無感情な目を向けるのも、褒めないのも、仕方がないことだ。
「そうか」
やがて是露は短くそう言った。やはりその後も労いの言葉はなく、続くのは確認の質問だけ。
(ああ……)
そのことに平静さを保ちながら、理玖はどうしようもなく心の穴が開くのを感じていた。びゅうびゅうと冷たい風が吹き抜ける虚無の穴を。
――けれど、それもやっぱり“仕方がないことだった”。そもそも空っぽな自分に何が与えられるというのか。そんなもの諦めるしか他になく――
『理玖』
(……?)
その時何故か、“あの少女”の声を思い出した。どうしてか分からない。分からないが、少しだけ胸がスッと楽になった気がする。だから、そのことがますます変に思えて。
「時に理玖」
「……、何でしょうか、姐さん」
是露の呼びかけに、理玖はハッとして返事をする。
その声音が微妙に変わったのを聞き逃さなかった。嫌な予感がする。
そして、ゆっくりと是露は言った。
「悪いが計画の変更は出来ないのか?」
「……変更?」
「今のままでは手緩いと思うてな。分かるであろう? そろそろあの忌々しき子犬どもの首を刈り取り、地獄の鬼にでも売り渡したいところなのだ」
「……」
「より苦しみを、痛みを味わせよ。鬼も苦悶の顔を表情を好んで買い取るだろう」
「……」
「どうした。何故返事をせぬ。何か不都合でもあるのか?」
厳しい是露の詰問。
理玖は何も言えなかった。確かに不都合はあったが、さっきあの少女を思い出したことが大きい。
訳が分からないが、どうしてかあの少女のことを思うだけで体が固まっているのだ。どうしようもなく思考が悲鳴を上げている。今まではこんなことなかったのに、それ程までに理玖は是露の命令を……。
「理玖」
是露が理玖を追い詰める。理玖は目を逸らしたくなった。だが、こうなると後には引けないのも、また理玖である。
「考えときやす」
そう答えるしかない。
がっがりしたのか、是露はそれ以上興味を失ったとばかり無表情になったが。
……それで理玖は、また心の穴が広がるのを感じていた。
それから、理玖は耳飾りを弾いて元の場所に戻っていた。
裏の山に続く山道、適当な木に背守たれる。
(くそ……)
思わず歯噛みする。気が付けば手が震えていた。言いようのない焦燥感に、まだ、頭の奥で火花が弾けている。動揺している証拠だ。
(忌々しい)
理玖は気に入らないと、主人のように苛立った。
大体、理玖のすべては是露なのに。あんな、たかがどうでもいい半妖に理玖の意思がぶれるなんて、どうにかしている。
でも――
「あれ、理玖?」
心臓がドキリと跳ねた。
予想が外れてほしい。そう思いつつ、しかしやはりそこにいたのは見慣れた白銀の少女。
「久しぶり」
とわは大きな籠を背負って微笑んでいた。
その笑顔があまりに眩しくて、理玖の心臓がさっきとは別の意味で大きく跳ねる。そして何故か胸がちくりと痛んで、居心地が悪くなった。
けれどとわは気づかぬ様子で、するりと距離を詰めてくるのである。
「理玖、こんなところで何してるの?」
「……そう言うとわ様は?」
踏み込んで欲しくなくて、理玖は少々不自然ながら話題を逸らす。
すると、とわは背負ってる籠を見てから、
「村の人の頼みでね、山菜とか、川魚でも取ってこようかなって。奥さんの子供がもうすぐ生まれるみたいで、精のあるものを食わせたいんだって」
「そうですかい。それはまた大変ですね」
「そうでもないよ。私は半妖だからね、これくらいなんてことないよ」
確かにそうだろう。
彼女の身体能力なら山を一日中駆け回れる。地理にも詳しくなってるだろうし、簡単に集められるかもしれない。
だが、中々骨の折れる仕事でもる。そんなことをとわ一人だけやらせるのは何だか放っておけなくて、でも側にいて良いのか一瞬だけ迷って……そして、すぐに順番が逆だろうことに気づいた。“本当の目的は違うくせに手伝いたいなど言い訳”している――けれど、理玖はもう、自然に言ってしまっていた。
「あの、おいらも一緒にやりやしょうか?」
「良いの?」
とわが目をぱちぱちとさせた。何だか驚いてるみたいだ。
理玖も自分の言葉には驚いていた。まさかこんなことを言うだなんて。だから、すぐさま訂正しようとしても、その前にまた感情が先走って続けてしまう。
「人手が多い方が良いですからね。用もなくて退屈でしたし、暇つぶしには良い機会です」
勿論、嘘である。これからのことを考えると、とわに構ってる暇はない。それでも理玖は、側から見れば何処か必死な様子でとわの側にいようとする。とわも何かを感じとったのか、こくりと頷いてくれて。
理玖は喜色に顔を綻ばせ、とわが背負っている籠を代わりに持ってあげた。
そうして、二人は山の中を駆け回った。
珍しい、栄養のあるという山菜。丸々と太った雉。新鮮な川魚。
やはりとわの知識はまだ足りない。理玖が採集のいろはを教え、彼女はそれに従って集めていく。
やがて失敗はありつつも沢山の食材が手に入った。
きっと依頼人の村人も大満足だろう。
「ありがとう理玖。おかげで助かったよ」
いっぱいになった籠をまた背負い、珍しく汗を拭いながら、とわが笑う。
その笑顔がやっぱり眩しくて、理玖も笑った。純粋に嬉しかった。なんてことないハズなのに、物凄く楽しい一時だった。ずっとこの時間が続けば良いのにと思う。
でも、お別れの時は近づいている。すっかり空は暗くなり始めていた。
そのため、ここでさよならだ。これ以上関わったって苦しいだけだし、本来の役目を果たすべく、早急に――
「あ、そうだ!!」
「!?」
唐突にとわが、理玖の手を握った。
動揺で固まる理玖。この時もとわは気づかず、悪戯っぽく笑って、理玖の手を引いて歩き始めた。当然、理玖は戸惑いでいっぱいになり、「とわ様、一体どこに?」と聞く。でもとわは少し焦ってる様子で、内緒だと叫んだ。
「あ、ここ、ここ!!」
少し早足で辿り着いたのは、小高い丘の上だった。
そこから見える景色に、とわが無邪気に言う。
「ほら、見てよ理玖。凄く良く見えない?」
「……」
理玖はとわの言うことに従い、空の彼方に視線を向ける。
瞬間、彼は目を奪われた。言葉すら出てこない。
まるで燃えているような夕日。すべてが朱に染まる世界。何もかもが飲み込まれそうで、少し切なくなるそれは――
「……美しいですね、とても」
「でしょう? 本当に私ここ好きでさ、実はこの前一人の時に見つけてね、せつな達にもまだ見せてないんだ。理玖が初めてなんだよ」
(初めて?)
その言葉に理玖は耳を疑う。
何故ならとわの一番はいつだってせつなで、理玖を優先することはあまりなかったのだ。
そのため、“初めて”を独占できたことが本当に予想外で、何だかとわに自分を認められたのかと思うと、狂いそうな程に感情が乱れた。
「……」
そのせいか、なんだろう。心臓がさっきよりうるさい。
手を繋いだ温もりをやけに意識してしまう。それに、とわの白銀の髪が、夕日色ににキラキラ、キラキラ輝いて。その赤みを増した紅玉のような瞳が細められた時、息を飲んだ。
――本当に、あり得ないくらいに、美しかったから。
この夕日よりも、ずっとずっと。
「綺麗だ」
「ん? 理玖、何か言った?」
どうやらポロっと漏れた声は聞こえていなかったらしい。とわが不思議そうにする。理玖は何でもないと首を振った。追求されると恥ずかしくて死んでしまう。
とわはその様子に何を勘違いしたのか、微笑ましそうにして、
「今日は本当にありがとうね、理玖。いつも助けてもらってるから、これがお礼になるかどうか、分からないけど。今度ちゃんとしたものを贈ろうと思ってる」
(……そんなことしなくったって、充分ですよ)
「良かったらさ、また一緒に見に来ようよ。いつ見ても綺麗だしね」
「……」
とわは何気なく言うけれど、それは理玖にとって、とてもとても難しいことだった。これだけとわに思いを向けてるのに、彼は是露の忠実なる部下であり続けたのだ。けれど、この時ばかりは、いつも心にぽっかり空いた虚無の穴は塞がっていた。
だから、理玖はせめてもの気持ちで笑った。
「ええ、いつか」
そして。しばらくしてとわは帰り、手も離れてしまった。繋いだ暖かさはすぐに消えてしまって、僅かに寂しく思う。それがやはり、忌々しい。こんな気持ちは捨てるべきなのに、忘れられない。どうしても……耳飾りに伸ばしそうになる手を、止めることも出来ないのだ。
(結局おいらは“どっち”……なんだろうな)
大切なもの。譲れないもの。
一つだったそれは今や二つになったみたいだ。確かに何かが代わりつつ己に、理玖はやはり答えを自覚出来ないでいる。どっちつかずの中途半端。
欠けた心の穴を、理玖は何で埋めようとしてるのだろう。
(きっとおいらが欲しいものは――)
理玖は意を決して耳飾りを弾いた。
是露の元へ飛んでいく。十中八九怒られるだろうが、計画そのものを遅らせてもらおう。そうすればとわも、是露も、どちらも選べる。
今はまだこれしかない。これで良い。
この方法しか、理玖には分からないから――
……こうして、夜叉姫の平穏は少し伸びることとなった。
それが良いことかどうかはさておき、是露はただ一人、理玖の変化にいち早く気づいていた。
その時、彼女は珍しく寂しそうに、切なそうにため息を吐いて、
「お前もまた、愛を求めているのか、理玖よ。……犬の一族は本当に罪深いものだな」