今朝、とわが何かに酷く魘され、様子がおかしくなった。
家に訪ねてきたせつなとりんの口からそう伝えられた時、もろはは心中、穏やかではいられなかった。
なにせ、とわは大切な仲間だ。
そんな彼女が苦しんだとあれば、動揺せざる得ないし、ここ最近、彼女がとても悩んでいるのをずっと見ていた。
そのため、胸がいっぱいになるのだ。
どうして、とわの変化に気づけなかったのか、と。
(くそ……あたしがしっかりしてれば)
もろはは歯噛みする。
目の前にいるせつなも同様……いや、より悔しそうにしていた。
妹である分、もろはは以上に辛いのだろう。
「それで、とわは今はどうしているんだ」
「とわちゃん、やっぱりまだ大丈夫じゃないの?」
知らせを聞き、犬夜叉とかごめも、かなり心配そうにしていた。
りんは顔を俯かせると、神妙な顔で事情を話してくれる。
「大分、落ち着いてたんですけど、まだ混乱していたみたいで、朝餉も取らずに家を出てしまいました。その際、皆には黙っておいてくれと言われたのですが……どうしても、伝えなきゃいけないと思って。それで、犬夜叉様達のところに来たんです」
「そうか……」
思った以上にとわは落ち込んでいるらしい。
犬夜叉一家は更に顔を曇らせる。
特にかごめは申し訳なさそうにしていた。
というのも、とわと同じ国の出として、その立場を本質的に理解できるのもかごめだけなのだ。
その痛みが分かるだけに、深くとわに共感し、自分を責めているに違いない。
「とわちゃん、ずっとずっとこの一年間、悩んでたものね。あたしがもっと、あの子に寄り添ってあげてれば良かったんだけど……」
「そんな事はありません、かごめ様」
そのかごめに対し、りんもまた申し訳なさそうに首を振った。
「かごめ様は、とわのことをいつも思ってくれてます。その思いは、とわの支えになっていた筈です」
「りんの言う通りだ。むしろ良くやってた方だろ。あんま責任感じる必要はねえよ、かごめ」
「……うん。ありがとう、りんちゃん、犬夜叉」
暖かな二人の言葉に、かごめは表情を少しだけ柔らかなものに変えた。
すると、犬夜叉は少々照れたように鼻を鳴らす。
「でも心配ね。とわちゃん、まさかこんな事になるなんて」
「はい……」
自分を責めているのは、もろはやせつな、かごめだけではないようだった。
犬夜叉とりんもだ。
その表情は誰もが罪悪感に支配されていた。
そして次第に、どんよりと場が暗い雰囲気に包まれる。
……と、その中で、りんがふと、意を結したように真剣な眼差しになった。
それを疑問に思っていると、彼女は犬夜叉一家を見て、尋ねた。
「あの、最近、とわにおかしいところはありませんでしたか?」
「おかしいところ?」
もろはが聞き返すと、りんはこくりと頷いた。
「あたしの知らないところで、何かに悩んでたかもしれないから……犬夜叉様達なら、もしかしたら分かるんじゃないかって」
「そうね……」
犬夜叉とかごめは、思い出すような仕草をする。
だが、そこまで心当たりはないらしい。
「相変わらず、あの男との関係で悩んでいたっぽいけどよ。少なくとも、変なところは何もなかったように見えたぜ」
「あたしも同じ。いつものとわちゃんだった。ねえ、貴女達はどう? とわちゃん、何かあった?」
かごめに聞かれ、もろはとせつなもまた、犬夜叉達と同じように考える。
そして思い出したのが二つ。
その一つが、水面と名乗った謎の龍に関する話である。
詳しくは知らないが、とわ曰く、“あどばいす”……助言を彼女から貰ったらしい。
それは何処か引っかかる内容だったようで、ずっとずっと、彼女は水面の言葉を気にしていた。
それが悪夢と何か繋がっているかもしれない。
しかし、とわと水面が会ってある程度日数が経っているし、そうとは限らないのも、また事実。
そして、そのことよりも、直近で大きくとわが動揺していた出来事がある。
それが、思い出したことの二つ目――
「……もしかして、アレのせいなのか?」
「アレ?」
もろはの呟きに、せつな以外の全員が首を傾げる。
もろはは、しばらくどう言ったら良いかと迷い、腕を組んだ。
その内、代わりのようにせつなが説明していた。
「昨日のことです。叔父上の話になって、私は叔父上が数十年前から生きていることを言いました。すると、とわは不思議そうにこう答えました。犬夜叉さんの見た目は若いでしょ。おかしくないか、と」
「……つまり、何が言いてえんだよ。せつな」
犬夜叉の声が厳しくなる。
せつなは瞳を揺らして答えた。
「とわは、どうやら知らないようだったのです。人間と妖怪、その寿命の差について」
「……!」
その瞬間、誰もが息を飲んだ。
それはこの場にいる全員にとって、周知の事実。
当たり前の常識とでも言うべきものだった。
しかし、
「そっか。とわちゃんは現代にいたから……知らないのも無理はないんだわ」
かごめがハッとしたように呟く。
……そうなのだ。
とわは妖怪のいない世界で育った。
もろはやせつなと違い、彼女は自分が半妖だと分からなかった程に、妖怪についての常識が欠けている。
その分、より強い衝撃を受けたことだろう。
あの時は誤魔化したが、とわが後で無意識に気づいて、取り乱した可能性は高い。
(それで受け止めきれなかったのか? とわにとって、寿命のことってどれだけ……)
もろはは自分なりにとわの立場を想像してみる。
今までとわは、人間の中で、人間として過ごしてきた。
であるなら、当然、やはりその自認は普通の半妖のものとちょっと違うだろう。
その見た目も合間って、どれだけ変な力があろうとも、自分のことを根本では人間のそれと同じように思い込む。
だが、それがまさか……周りと違う時を生きる事になるなど、どれだけの恐怖か。
もろははとわのことを思うと、また胸がいっぱいになった。
思わず感情を吐露する。
「畜生、やっぱ、こんなの辛いだけだろ。とわは知らない方が良かったよな……」
「ううん。それは違うよ」
だが、意外な人物に否定された。
全員の視線が彼女にいく。
その顔は、先程までとまったく違い、文字通り凛とした意志があった。
「だってこれは、逃れられない事実だもん。遅かれ早かれ、いつか話そうとは思っていたし、今、向き合う時が来たってだけの話だよ。だから、その点についての同情は不要だよ、もろはちゃん」
「りんさん……」
りんの言葉は珍しく厳しかった。
それはまるで、あえて険しい道を行かせるかのような……けれど、正しく子の成長を願う母の気持ちに違いなかった。
もろは正直、声を失っていた。
普段明るいりんが、このように芯の強さを見せるとは思っていなかったし、そのギャップもあって、何処となく気迫を感じてしまっていたのだ。
せつなも驚きのあまり、目を見開いている。
「……りんの言う通りだな」
犬夜叉は頷いた。
そして、かごめが少し悲しそうに沈黙する隣で、娘と姪の名を呼ぶ。
「もろは、せつな。お前らにとっても、これは無関係じゃねえぜ」
びくり、ともろはとせつなは反応した。
心の何処か、他人事でいた自分に、父の声がぐさりと刺さる。
こうなればもう、今まで何も考えなかったくせに、どうしても想像してしまう。
己の行く末、せっかく会えた家族との別れ……居場所を失うということを。
それはもろはにとって最悪な未来に思えた。
気がつけば生唾を飲み込み、父に縋るように言う。
「あのさ、親父、それ以上はやめてくれよ。もう良いだろ、こんな話……」
「駄目だ」
しかし、もろはの拒絶を、犬夜叉は逆に睨みつけて突っぱねる。
目を逸らすんじゃないと、その表情がありありと語っていた。
何故か、先程のりんと似たものを感じる。
「この際はっきり言ってやる。りんとかごめは、どうやったって、お前らより先に死ぬ。お前らを置いて、あの世に行っちまうんだ」
「……」
もろはの視界に、りんとかごめの複雑そうな表情が目に入った。
やはり、置いていかれる方も、置いていく方も。
等しく辛い話なのだ。
それぞれの胸中の中に、大きな大きな葛藤があることだろう。
それを否定することなく、むしろ肯定した上で、犬夜叉はこう続けた。
「だか、忘れんなよ。お前らには俺がいるし、殺生丸もいる。それに、今この瞬間、共に過ごした時間は嘘じゃねえんだ。りんもかごめも、ずっとお前らの心の中に生き続ける。何より、従姉妹同士で、手を取りあえる。……ずっと一人だった俺とは訳が違え」
「親父……」
「これも良い機会だろ。お前ら、怖がってねえで、とわと向き合ってやれよ」
ぶっきらぼうだが、背を推すように父は言った。
もろはつい、大声を出す。
「な……別に向き合ってない訳じゃ!」
「そんなことねえだろ。じゃあ何でお前は、あの時せつなの言葉を否定しなかったんだよ」
「……それは」
あの時とは、せつなと一緒にとわの逢瀬を盗み見た時のことを言っているのだろう。
もろはは俯きながら、当時のことを思い返す。
確かに、その時もろはは思った。
せつな同様、とわが遠くに行くのは嫌だと。
それは嫉妬というよりは焦りだった。
今のもろはにとって一番大切なものは、家族と過ごす時間だ。
特にとわとせつな、彼女達といると、もろはは自分らしくあれた。
それは誰かが欠けてもいけない。
三人でいつも一緒にいるからこそ、もろはもろはの居場所を感じられたし、その関係性がずっと当たり前のように続くのだと思っていた。
でも、とわが理玖の元へ行くようになると、途端に寂しくなった。
裏切られたような気持ちになり、内心、深く取り乱したのだ。
しかし不満を言えば、それはそれでとわに嫌われる。
そっちの方がもっと怖い。
だから、本当の自分でぶつかることを、もろはは恐れた。
そして、遠慮する内、とわから一歩距離を取るようになっていて。
……そこまで気づき、もろははようやく悟る。
とわから逃げ、それを良しとしていた己の弱さを。
(とわ……)
もろはは何だか、とわに申し訳ない気持ちになっていた。
一体、自分勝手なのはどっちか。
とわはただ、自分の悩みに真正面から向き合っていただけだ。
もろはを見捨てた訳じゃないし、いつだって変わらず仲良くしてくれた。
それを一方的に……、
(これじゃあ、いけないよな……)
ぐっと拳を握り、彼女は顔を上げる。
もう心は決まっていた。
「あの、親父、お袋」
「もろは、とわちゃんのところに行きたいのね」
最後まで言い切る前に、いても立ってもいられないもろはの心を読み取ったかのように、かごめが先回りして言った。
もろはは驚きつつも、無言で肯首し、せつなの顔を見る。
何かを決めたかのような瞳だ。
どうやら彼女も、自分と同じ気持ちらしい。
「大丈夫。前も言ったけど、とわちゃんは二人のことすっごく大切に思っているんだから」
「……ありがと、お袋」
朗らかに笑う母に、もろは礼を言って立ち上がった。
「せつな、行こうぜ」
「ああ」
せつなも、もろはの隣に立ち、短く返事を返した。
そして、父母達に一言挨拶を言う。
もろは達は家を出て、そのまま駆け出していくのだった。
娘達が出て行った後。
残された父母達は静かに会話をしていた。
「あの、すみません。犬夜叉様」
「別にこんくらい大したことねえよ」
りんが頭を下げれば、犬夜叉は気にしないように言った。
それから、かごめが礼を言う。
「犬夜叉、ありがとね」
「何だよ、急に」
「だって……」
言わんとすることは、この場にいる全員が分かっている。
かごめは、あえてキツい役を買って出てくれた犬夜叉に、罪悪感と感謝を抱いているのだ。
「いちいちお前も、そんな細かいこと気にすんなよ」
「うん……」
犬夜叉がそう言うも、まだかごめは沈んだ表情のままだった。
しかし、胸の内に秘めていた思いを瞳に宿し、ふと聞いた。
「ねえ、犬夜叉。犬夜叉もやっぱり怖い?」
すると、犬夜叉は複雑な顔となった。
それはまるで、言わなければいけないのか、と聞いているみたいでもあり、または、よく分からないと戸惑っているようにも見えた。
しかし、かごめに不誠意であるのは、彼自身嫌ならしく、しばらくしてからぽつりと答えた。
「俺には、もろはがいる。だから心配すんなよ」
「犬夜叉……」
「俺も昔のように一人じゃねえんだ。ちゃんとその先も見届けてやるよ」
ぶっきらぼうだが優しい声で、犬夜叉ははっきりと断言した。
そして、次にはむっとした顔を作り、
「ていうか、さっきあいつらにも言ったじゃねえか。あの答えじゃ嫌なのか? かごめ」
「ううん。そんなことない」
かごめは穏やかな微笑みを浮かべ、首を振る。
「ああ言ってくれて嬉しかったの。犬夜叉、あたし達のこと本当に大切に思ってくれてたんだなって」
「……当たり前だろ」
犬夜叉は当然とばかりにそう言い、腕を組み、遠くを見つめるような眼差しをする。
彼とて、今まで何も考えなかったわけじゃないのだ。
人間が簡単に死んでしまうことを、もう犬夜叉はとっくに知っている。
その身を持って、長い時を生きている。
今まで、それは大した問題じゃなかった。
妖怪にも人間にも、仲間なんていなかったから。
しかし、やがて友人が出来、妻が出来、子が出来た時。
何れ来る未来のことが、頭を過るようになった。
正直言って、怖かった。
この幸せな日々は、孤独だった犬夜叉にとってかけがえのないもので、だからこそ失うことは嫌だったし、ずっと続いて欲しいと思った。
でも、世界は残酷だ。
永遠なんて物はない。
それが分かっているからこそ、犬夜叉は悲嘆に暮れる事なく、ずっと考え続けた。
その結果が、娘に贈った言葉である。
彼は気付いて欲しかったのだ。
寄り添った時間は、掛け替えのない宝物だということを。
確かにいつか、かごめもりんも、儚く死んでしまうだろう。
だが、忘れない限り、いつも一緒だ。
記憶の中で、彼女達はいつだって残された者の力となって見守ってくれる。
そして、彼女達の希望は、次の世代へと継承され、また連綿と続く後の者へ受け継がれていく。
それが分かれば……きっと娘達は大丈夫だと犬夜叉は思った。
とはいえ、彼自身、割り切れぬことも多い。
まだまだ複雑なのだ。
一方でかごめも、夫と同じような胸中を抱えていた。
かごめは霊力を持つ巫女とはいえ、普通の人間だ。
老は免れず、娘と夫の長い生を見届けることは、絶対に出来ない。
ならば自分は何を残し、何を伝えていくか。
彼らのために、どうすれば良いのか。
彼女はそのことをずっとずっと悩み続けている。
そして、りんも。
大切に時を重ねながら、皆と別れるその時の意味を、探り続けている。
きっと、殺生丸だってそうだ。
彼は何も言わないけれど、ああ見えて色々思っていると邪見は言っていた。
「……」
なんとなく気まずい雰囲気が流れる。
はっきりした答えなんて、誰だってあってないようなものだ。
皆、その問題に向き合っている最中である。
しかし、そんな中でも、犬夜叉達は自分達の生きた証を求めた。
種族も、立場も、その柵さえも越えた絆を、子供という形で残した。
たとえその子が、苦労すると分かっていても、だ。
その彼女達が、今、居場所や生きる意味について考え始めている。
エゴを持って作った手前、先達として導くのが自分達の役目だと、彼らは何も言わずとも、皆がそう思っていた。
やがてその内、りんが目を伏せ、口を開いた。
「もう随分と前ですけど……あたし子供の頃、とわと同じで、ふとした時に気付いたんです。邪見様と殺生丸様、二人と一緒に長くは生きられないんだって」
「……そうなのか。それでお前はどう思ったんだ?」
「生きるんだって思いました。でも、そんなの無理だって、何処か分かっててもいて。とても悲しかったのを覚えています。
それでその時、色々あったんですけど、それでもあたしは殺生丸様と一緒に行くことを選んだんです」
りんはそう言いながら、当時のことを思い出す。
あの時、僧には言われた言葉は、胸に突き刺さっている。
物の怪と人では、共に生きる世界が違う。
人がついていく相手ではない、と。
確かにその道は険しく、厳しかった。
その後のりんの人生は順風満帆とは言い難い。
冥界で二度目の死を経験し、時代樹で十四年も眠り続け、娘達を育てることが出来なかった。
けれど後悔はない。
「それはきっと寿命とか、人間とか、妖怪とか。結局のところ、そんなことの前に、この大好きって気持ちは誤魔化せないからなんです。一緒にいたいから、一緒にいてもいいんだって、思うんです。犬夜叉様達も、そうですよね?」
「……ええ」
犬夜叉達は、柔らかい顔で肯定した。
りんは続ける。
「りんはあの子達にも、そうであって欲しい。人間だろうと妖怪だろうと、ただ別れを恐れて悲しむんじゃなくて、大好きだって思った人達と一緒にいて欲しいんです」
「……あいつらなら大丈夫だろ」
りんの気持ちを聞いて、犬夜叉が確信を持ったように、そう言った。
「あいつらを信じようぜ。なんたって、俺らの娘達なんだから」
「はい……」
りんは目を細め、嬉しそうに微笑んだ。
父母達は、そうして夜叉姫への信頼を胸に秘め、密かに願いを託すのだった。