今日は良い天気だ。
何処までも広がる綺麗な青空。
太陽の日は暖かくポカポカしており、眠気を誘ってくるくらい気持ち良い。
何処となく村人達も機嫌良くしていて、とわを見つけると、手を振ったり、楽しく世間話をしてくる。
とわの方も笑顔を返した。
楓の村人は本当に気の良い人達ばかりだった。
とわがかごめ達の関係者だから、皆、優しいのかもしれない。
しかし、理由がなんであれ、自分という余所者を受け入れてくれたことに、感謝の念を抱かずにはいられない。
とわは彼らが好きだった。
だから話していると、やっぱり夢の中で次々と死んでいったのを思い出して、悲しくなって……更に村の空き地に近づくと、急にずらりと並んだお墓の光景がフラッシュバックし、気持ち悪くなった。
これでも最初は耐えようとしていたのだ。
ちゃんと自宅にいて、昨日残った分の仕事をしようと思っていた。
けれど、りんの顔を見ていると、夢で見た光景がいつまでも頭を駆け巡り、それどころではなかった。
すべてを忘れたくて、とわは逃げるように家を出た。
そして、村を少し歩いただけで、もう感情が溢れて止まらなくなってきている。
「……っ」
遂に、とわは村からも飛び出した。
止め処なく走っていく。
目的地なんて何処にもない。
ただ、知り合いから離れたくて仕方がない。
(嘘だ……嘘だ……絶対に嘘だ)
必死になってあの夢を否定する。
あんなもの、認めてたまるものか。
そもそも、半妖がなんだ。化け物がなんだ。
この世界はとわの生きる世界だ。
ずっとずっと……今の日常が続いていくに決まっている。
そうじゃなきゃ――
『でもそれこそ嘘じゃないの?』
心の内側で、ふと声が囁いた。
それは普段目を逸らしている、見たくもない自分の影だ。
びくりと、とわは立ち止まった。
不安に満ちたように、声は続ける。
『永遠なんてものあるわけない。日暮家の皆とだってずっと一緒にはいられなかったし、いつか皆死んじゃうのは自然なことでしょ。それをいくら否定しても、どうにもならないよ』
(違う……)
とわは被りを振った。
黙るよう自身の影に命じる。
しかし、止まらない。
『皆の反応見たよね。せつなももろはも、邪見も。私が知らないって分かった途端に余所余所しくなった。半妖の寿命が長いってことは本当なんだ、きっと』
(違う……!)
『私、この先どうなるんだろう。その内、成長でも止まっちゃうの? それで何十年もそのままで……今住んでる村にも絶対居られなくなるし、夢の中と同じように、私の行き場、本当は実のところ何処にもないんじゃ……』
(違う……!!)
『なんか怖いな。私、どうすれば――』
「良い加減にしてよ……!!」
とわは怒鳴り声を上げた。
そのあまりの大声に鳥が驚き、羽ばたきの音を立てて飛び立っていく。
いつの間にか呼吸は荒くなっていた。
それを深呼吸で正し、黙りこくる。
気分はかなり悪かった。
言いようもない不安と孤独に、全身が震えている。
きっと顔も酷いことになっているだろう。
こんな状況でもし、知り合いにでも会ったら……なんて考えて、とわはふと、横手の方を見た。
すると、ちょうどその時。
「とわ様!?」
「え、りおん!?」
びっくりして飛び上がる。
慌てたように、遠くからりおんが、パタパタとこちらに駆けてきたのだ。
しかも真っ青で、心配そうな顔をしている。
(も、もしかしてさっきの声を聞かれたんじゃ……)
何でここにいるんだ、という疑問の前に、気まずさが勝って居心地が悪くなる。
焦って顔を隠そうとしても、もう遅かった。
りおんはすぐに側に来て、表情を伺ってくる。
「とても顔色が悪いですよ!? 何があったのですか!?」
「いや、これは……」
とわはどうして良いか分からず、あたふたとする。
そして、誤魔化すように、
「そ、それより、理玖はどうしたの? 一人で大丈夫?」
「理玖には今、人払いを頼んでいます。妖怪もこの付近にはいないですし、平気ですよ」
「そっか。なら良かった」
「……」
「……」
何故か気まずい沈黙が流れる。
とわは気恥ずかしくなって、目を逸らした。
それに、りおんは何かを察したらしい。
考えるような素振りをした後に、何故か泥だらけとなっているその両手をぱちんと合わせ、明るく聞いてきた。
「とわ様。今日は暇ですか? せっかくですし、この先に見せたいものがあるんですが……」
「え? それなら……うん。この後は大丈夫だけど」
可愛いらしく強請られたら、断りづらい。
とわは力なく頷く。
りおんは気遣うよう、この先へと先導した。
「ここは……」
大人しく着いていくと、そこに広がっていたのは荒れた大地だった。
山火事でもあったのだろうか。
草は薄らとしか生えておらず、木々は葉も表皮も失い、ただ黒く焦げ、その殆どは倒れている。
しかし、その一角。
新しく植えられたのであろう。
まだ新芽と呼ぶに相応しい若い木の芽が、等間隔にぽつりぽつりと存在している。
「もしかして、アレってりおんがやったの?」
「ええ。まだあそこまでしかありませんが、最近始めたんですよ」
泥だらけの手を見せ、綺麗にりおんは微笑んだ。
「理玖ととわ様を見て、私も考えたんです。今、ここにいる意味は何だろうって」
「それで植林を?」
「はい」
りおんは若木の側まで歩んだ。
しゃがみ、愛おしそうにその目を細める。
「今は若木だけど、いつか大きくなって森となり、生命が育まれる。そこに私の生きた証が宿るんです。きっと何百年先にも届きます」
「何百年先にも……」
「今のうちにしか出来ないんです。私はもうきっと、長くここにはいられない」
強い感情を秘めた声だった。
それにハッとなるのと同時、とわの脳裏にお墓が過ぎる。
気づいた時には、思わず叫んでいた。
「そんなことないよ! りおんはずっとここにいて良いんだよ!? まだまだこれからじゃないか!」
「……ありがとうございます。ですが、そういう訳にはいかないのです」
りおんは感謝を告げながらも、悲しみを湛えて瞳を伏せていた。
とわは黙るしかない。
りおんから、何か覚悟のようなものが滲み出ている。
「とわ様。私は死人です。本当はここにいてはいけない存在です」
静かに童女は語りかける。
若木の葉の縁をそっとなぞり、慈しむようにしながら。
「きっと長く居過ぎては良くないことになる。それに父上が涅槃で待っています。父上を一人にしておくわけには参りません」
「……りおん」
最終決戦の時、何の因果かりおんは生き残ってしまった。
ただ、父の麒麟丸だけがあの世に行ってしまった。
りおんはその事をずっと気にしていたのか。
とわは何だか切ない気持ちに襲われた。
「ごめん、りおん。りおんだって辛いのに……気を使わせたよね?」
「そんなことはないですよ。とわ様だって、何かあったのでしょう?」
「……そうだね」
とわはりおんの元まで来て、隣に座った。
そして、しばらく沈黙して、今朝の夢の事を話し始める。
何でそんな気分になったのかは分からない。
ただ、この優しい少女に……りおんに聞いてもらいたくなった。
「そうだったのですか……」
一頻り話終わった後、りおんはまるで自分のことのように、悲痛な表情となった。
「それは……お辛かったでしょう」
「うん……」
とわは項垂れるように頷く。
ポロポロ、言葉が止まらない。
「きっとそんなの、嘘なんじゃないかって思って。でもあり得るかもしれないとも思って。凄く怖いし、どうすれば良いか分かんなくなってさ。……水面さんが言ってたことも気になるんだ」
「それって……」
「人間の姿をしている分、残酷なんじゃないかって水面さんは言ってた」
その意味が、未だにとわはよく分かっていない。
それを言った水面の真意も。
一体彼女はあの言葉に何を込めたのか。
ただの戯言と一蹴することは出来ない。
アレには何か、重大な何かがある筈なのだ。
「とはいえ、今から水面さんを探して聞くことって出来るのかな、うーん……」
「おやおや、とわ様!! 今さっき水面と仰いましたか? また随分と懐かしい名前ですな!」
「ん? って!」
頬に痒みが走り、ぱちんと、とわは反射的にそこを叩く。
すると、小さな豆粒みたいな妖怪が潰され、ひらひらと地に落ちた。
が、すぐにむくむくと復活する。
「冥加じいちゃん!?」
言わずもがな、それはノミ妖怪の冥加だった。
もろはの側にもおらず、こんなところで珍しい。
「がみょん、がみょーん! たまたまこちらに通りかかりましてな! お久しゅうございます、とわ様!」
ぴょんぴょんと飛び跳ね、小さなノミ妖怪は挨拶した。
そして、りおんの方を見て、
「そちらの方は一体? 見かけない方に御座いますな」
「麒麟丸の娘のりおんと申します。お噂は予々聞いております、冥加様」
りおんは丁寧に頭を下げる。冥加は再びぴょーんと跳ねて、驚きを表現した。
「なんと。貴女様がそうでございましたか! 此度は大変で御座いましたな」
「はい。ですが、とわ様達のお陰で無事に……本当になんとお礼を言ったら良いのか分かりません」
りおんは文字通り、感謝を込めた瞳でとわを見つめた。
とわはそれが恥ずかしくて、「もう、そんな大したことしてないよ」と照れる。
「それで、冥加じいちゃん。さっき言ってたことなんだけどさ、懐かしい名前ってことは、もしかしてその水面さんとは知り合いなの?」
「はい。ちょっとした顔馴染みです。とわ様こそ彼女に会ったのですか?」
「うん」
「な、ななな、なんと! それは何とも驚きですじゃ」
冥加は驚愕したように目を見開いた。
とわとりおんは顔を見合わせる。
何かおかしなことでもあるのだろうか。
「どういうことなの? 冥加じいちゃん」
「……そうですな。それについては、まずは水面殿のことを順を追って説明しなければなりません」
冥加はそう言うと、顎に手をやり、思い出すように遠い眼差しをする。
「かつて、この国に箱の大妖怪がいたのはとわ様もご存知の通り。彼女は珍しいものは何でも……それが人間だろうが、妖怪だろうが、とにかくその箱の中に集めておりましてな。水面殿はそうして蒐集された妖怪の一匹でして、まあ何があったか分かりませんが、箱の大妖怪に忠誠を誓っておられました。そして大妖怪の方も、水面殿を部下として扱っておられた」
「じゃあ、お父さんと邪見のような間柄だったの?」
「関係性だけ見ればそうですな。しかし実際としては、むしろ姉妹のような、親友のような……そんな気やすい仲だったようです。いつも、とても仲良くしておられた。きっと互いが唯一無二の存在だったんでしょうなぁ」
冥加は微笑ましげに言った。
と、ここで意外そうにしていたのがりおんだ。
「そうだったのですか。そんな方が箱の大妖怪にはいらっしゃったのですね。前に会った時からは想像がつきませんでした」
「え、ってことは、りおんも箱の大妖怪と顔馴染みだったの?」
「はい」
驚いて聞けば、りおんはこくりと肯首した。
まあ、そう言っても、詳しくは知らないらしく、
「私も一度しかお会いしてないんですよ。
アレは六百年も前のこと。ある日、父上はとある妖怪と激闘を繰り広げ、これに勝利し、勝ち誇られておりました。そんな時に、彼女は唐突に現れたのです」
りおんは何故か、そこから妙に珍しく微妙な顔となった。
「どうやら、その妖怪の持つ宝を蒐集しに来ていたようです。そして、妖怪の亡骸を丸ごと箱の中に収めてしまいました。
当然、事情を知らない父上は箱の大妖怪を警戒しました。しかし当の本人は私達に興味がなかったのか……そのまま、地面に寝転がって眠り始めたんです」
「え、眠ってって……」
いくらなんでも、警戒心が無さ過ぎるどころか、自由過ぎやしないか。
そんな思いが顔に出ていたのか、冥加もまた微妙な顔をしながら言った。
「かなり変わった方でございましたからな。良く言えば天衣無縫、悪く言えば常識がなく天然で、気まぐれというか……」
「はい。父上がその後、話しかけて起こしても、彼女はズレた返答ばかりしていて。あそこまで父が呆れ果てていたのは、後にも先にもあの時だけでしたね」
二人揃って、人物評はあんまりだった。
ここまで言わせるとは、箱の大妖怪はかなり癖のある人物だったらしい。
とわは何だか、予想と全然違うな、と思った。
てっきり大妖怪と言うから、父のように泰然としたイメージを抱いていたのだが。
一応、冥加がフォローするように説明する。
「まあ、無理もなかったようですがな。恐らく何らかの間違いにより自我を得て生まれたために、本能の方が強く、普通の情緒などが育たなかったと聞きます。事実、本人曰く、嬉しいも悲しいも分からないと言っていました。更には自分の事など鑑みない性格で、名も持たない、常に服もボロボロ、怪我をしても治さないなど、何処か欠陥だらけでございましたな」
(……つまり、存在自体がバグみたいなものだったってことなの?)
理玖が前にも言っていた。
箱の大妖怪は、もともとその本質が無機物であると。
だからこそ、彼女は愛も何も知らず、ただただ本能のみに従うだけの人形だったのだろうか。
それってどうにも……、
「なんか悲しいね……」
「ですな。とても放ってはおけない、と水面殿もよく仰いました」
とわがぽつりと呟くと、冥加は懐かしそうに目を細める。
「水面殿も、壮絶な人生を歩んでおられたようでしたからな。何か思うところがあったんでしょう。水面殿は、それはもう甲斐甲斐しく尽くし、箱の大妖怪に色んなことを教えたようです。そして、名もなかった彼女に四方よもと名付けた」
「四方……」
「由来は彼女の持つ箱でしょうな」
冥加はその箱の成り立ちを話す。
曰く、今から千年も昔、大陸で造られたそれは、元はただの高価な箱だったという。
しかし、持ち主が死に、妖怪から妖怪へ、人から人へと渡るうちに、長い間各地を転々とすることとなった。
それこそ西の国々から、中東、小さな島々まで。
遂にはこの東の果てへと辿り着いた時、その頃にはもう沢山の欲望に晒され呪具と化しており、その機能は変質、汚染されていた。
こうして万物を収める箱は完成した。
そして世界を巡ったことから、いつの間にかそれは諸方の箱と呼ばれるようになり、また様々な人の手に渡って百年使われ、大妖が生まれたのだ。
「四方殿はその出自からか、日本の津々浦々を歩き回っておられた。そして、その側にはいつも一匹の翡翠の龍がいて、四方殿に世界の素晴らしさを説いた。四方殿はいつしか徐々に感情を持つようになり、最終的にはそれもう、まともになられておりましたよ」
「そうなのですか?」
「はい。見間違える程に。水面殿と四方殿が出会ったのはここ三百年の話ですので、りおん様が知らぬのも無理はないでしょうな」
冥加はふむと考え込むように頷に手をやり、そう言った。
「そうして、何も知らなかった人形は、最終的に人間に恋をし、愛を知ったのです。
その男の名は時読。しがない平凡な農民で、特徴もないくせに、それなりに美男子でした。ですが、病弱じゃった。恋仲となり、四方殿のお腹に子が出来た時にはもう、命の火は消えそうになっておりました」
「……そんな」
悲しい話だった。
今まで何も知らず、一から成長してやっと愛まで手に入れたのに、それが呆気なく離れてしまうだなんて。
どれだけ大妖怪は苦しかっただろうか。
会った事もない彼女を思うと胸が痛む。
「四方殿は酷く葛藤なさいました。
どうして失われる命を愛してしまったのか。どうして短い命に恋をしてしまったのか。
生まれてくる子も半妖です。その力はあまりに弱く、自分より早く死んでしまうかもしれない。
家族の安全を守るなら、いっそ箱の中に閉じ込めて時を止め、永遠にすべきだと……そう思ったこともあったそうです。しかし、それでも、束縛しては相手を不幸にするだけだと四方殿は悟った。そして男を看取り、双子の子を産んで育てていきました。
その頃からですな。彼女が奪った宝を返していったのは」
「そっか……そうだったのか」
ここに来てようやく、とわは四方の考えが分かった。
きっとそれは贖罪というか、あるがままの方が美しいと思っての行動なのだ。
彼女は無理やり押し付けることを嫌った。
だから、彼女は蒐集したものを元に戻した。
「ですが、四方殿のそれは、本能に反する行為。徐々にその反動で、あらゆる物を箱に入れたいという欲求が強まり、精神を乱されていった。自我が崩壊していったのです」
とわとりおんは息を呑んだ。
悲し過ぎる結末に、とわは否定したくなって冥加に聞く。
「それってどうにか出来なかったの?」
「残念ながら。四方殿も水面殿も必死になっておられましたが、すべて無駄に終わりました」
しかし、冥加は首を降る。
やはり彼とて同情してしまうらしく、沈んだ表情となった。
「このままでは子供達どころか、あちこちに被害が及ぶ。そう思った四方殿は、自身を封じることにしました。そして、子共達のためにと水面殿を養育係として残し、あちこちに土下座をしてまで金銭を蓄え、武器を……犬夜叉様の鉄砕牙と同じような守りの刃を用意し、眠りにつきました」
「……そうですか。強い人だったのですね、四方様は」
「うん……」
とわはりおんの言葉に同意する。
苦しいはずだろうに、最後の最後まで、四方は自分じゃなくて子供を選んだ。
正しく立派な母親だろう。
その覚悟はどれ程のものか。
敬服せずにはいられない。
「水面殿は、四方殿の思いを尊重なさっておった。
故に悲しみこそすれ、子らを育て上げる決意をなさったのです。
しかし、一人で眠る四方殿を不憫に思ったのでしょう。
子供達を独り立ちさせた後、四方殿の側で共に封印される道を選びました。以来ずっと眠り続けている筈です。
つまり、とわ様が水面殿と会ったこと自体、有り得ぬこと。何か異常なことがあったに違いありませぬ」
「異常なこと……」
とわは冥加の話を聞いて納得すると同時、童のことを思い出す。
そして、童の母のことも。まさかあれらのことが、その“異常なこと”であるとしたら。
(……どうなんだろう)
疑問に思うと止まらない。
とわは詳しく、水面と会った時のことを話す。
冥加はそれを聞いて、ますます驚いて、口を開けていた。
「ううむ、何もかも受け止めきれぬ話ですな。そもそも、まずもって水面殿らしくない。彼女は愛情深く、ましてや童など放っておく筈がないのですが……」
「確かにそうかもしれませんね。四方様の子もちゃんと育てたと言いますし、その男の子もきっと、四方様に関わりがある子な訳で……面倒を見ない理由は一つもないですよね」
冥加に続き、りおんがおかしな点を指摘する。
更に訳が分からなくなってきた。
と、ここで冥加が神妙な顔になり、
「不可解なことばかりですが、話を聞いて一つ、絶対に言えることがありますな」
「それって何?」
「童の母についてです。恐らく童の母は、四方殿ご本人ではない」
とわが聞けば、冥加はやけに自信を持って断言する。
「時読殿が死んで六年後に四方殿は眠りについた。子も出産している以上、時系列はあわんのです」
「なら一体、あの子の母親は誰だって言うの?」
りおんと二人、揃って首を捻る。
四方と縁のある誰かだとは思うが、しかしそんな人がいるのだろうか。
……そう考えていると、冥加がふと、ぎょっとしたように青ざめた。
「もしや……」
「冥加じいちゃん、何か気づいたの?」
「いえ……確証が持てんので、何とも言えません。とにかく、この件はこちらで調べておきます。何やら嫌な予感がしますのでな」
冥加は冷や汗を浮かべながらそう呟く。
知り合いである以上、彼も何が起こったか、気になって仕方がないのだろう。
「とはいえ、水面殿の仰った言葉には、何か深い意味があるのではないでしょうか。あの方が考えも無しに物を言うはずがない。他にも何か仰っておりませんでしたか?」
「確か……自分と向き合えって。逃げちゃいけないって。でも、難しく考える必要はなくて、自分の気持ちに正直でいなさい……って言ってた」
心に残っていたのか、それはするりと出てきた。
冥加は思うところがあったのか、何処か切なそうな表情を浮かべる。
「それは水面殿がよく、四方殿の子供達に言い聞かせてた言葉ですな。もしかしたら水面殿は、とわ様とその子供達とを重ね合わせたのやもしれません」
「……」
とわは水面のことを思う。
彼女は何も出来なかったと言っていた。
やっぱり、主のことを助けたかったに違いない。
一緒に眠ることを決意した辺り、本当に四方が大切な存在だったのだ。
その忘れ形見とも呼べる子供達を、水面はどんな心境で育てたのだろう。
強く強く、未来にその思いを託さんとしていたのか……。
「半妖は人間と妖怪、どちらでもありません。そのため、何処にも行けず、差別されることも多い。だからこそ、四方殿も水面殿も、己を愛し、誇りを持つようにと子供達に教えていました。半妖として生まれた意味を、考えて欲しかったんですな」
「生まれた意味……」
ぽつりと呟く。
そういえば、考えたことがなかったかもしれない。
どうして自分は、半妖として生まれたのか。
どうして自分を、父母達は生んだのか。
なんとなく受け止めて、受け入れていたけれど……思えば、人間と妖怪が寄り添っているというのは、とても奇妙な話だ。
何故なら本来、この二つの種族は相容れない。
人間は妖怪を恐れ、妖怪は人間を喰らう。
そこに種族の差がある以上、どうやって心を通わせるというのか。
偏見の目や、寿命の差という大きな問題もある。
一緒にいること自体が、大きな不幸を呼び寄せることだってあるだろう。
しかし、父母達は愛を育んだ。
どんな困難が待ち受けていたとしても……だ。
(それって凄いことだよね……なんでなんだろう)
とわは、後で聞いてみたいと思った。
何も知らない父母達のこと、これまでに連なる軌跡を、今のとわは知る必要がある。
「とわ様。私は半妖であることも、長い寿命を持つことも、そこまで忌避することではないと思います」
それまで黙っていたりおんが、ふと口を開いた。
とわは彼女の顔を見つめる。
「確かに冥加様の仰った通り、半妖は中途半端な存在かもしれません。ですが、どちらでもないということは、どちらにも行ける、ということではないでしょうか。
そして、長い寿命があるということは、その分時間があるということでもあるんです。とわ様はどんな場所にでも行くことが出来る。何度だって、居場所を作ることが出来ますよ」
そう言って笑うりおんの笑顔は、とてもとても、泣きたくなるくらい暖かなものだった。
とわは目を見開いた。
悲観してばかりで、そんな風に考えたことなど、今まで一度もなかった。
視点を変えれば、そうとも言えるのか。
(そっか……私は普通よりも、自由に生きていけるんだ)
半妖としての力。
長い時間。
それらを持つとわは、きっと何にも縛られない。
だから、普通では出来ないことでも、きっととことん追求していけるし、今理玖としているように色んなものを多く見られる。
悲しい別れもたくさんあるだろうけど、でもより多くの人と出会えるかもしれない。
そして、未来が決まっていない以上、その先には沢山の希望が溢れていて――
『大切なのは、変なものに囚われないで、自分の気持ちに正直でいることねぇ』
何故かここで、水面の言葉が頭を過ぎる。
とわは自分の心を覗いてみた。
深く深く。
すると、簡単に望みが見えてくる。
それは、初めからはっきりとしているものだった。
「……」
とわは微笑みを浮かべた。
まだ怖い。まだ不安がある。
けれど、胸の内がぽかぽかと暖かな愛で満たされ、頭の奥がはっきりしている。
だが、果たして可能だと言えるのか。
思わず、冥加に詰め寄るように聞く。
「冥加じいちゃん。私、どのくらい生きられるのかな?」
「それは……はっきりしたことは何とも言えませんな」
冥加は困った様に、深く悩むかのような表情をした。
だが、はっきりと言った。
「しかし、殺生丸様の尊い血が流れている以上、きっと数十年どころか、数百年は生きられるでしょうな。犬夜叉様も二百年は生きておられますし」
「……そうなんだ。だったら、五百年先にも手が届くかも」
「……!! もしや、とわ様……」
りおんが驚き、手を口の辺りに持ってくる。
とわは頷いた。
きっとこれが、今のとわのやりたいこと。
「私、やっぱり日暮家の皆と会いたいんだ。会って、今までのこと全部伝えたい。だから頑張って、令和の時代まで生きるよ」
「……とわ様」
りおんと冥加は、しばし黙った。
そのとわの決意に、呆気に取られたようでもあった。
やがて、冥加が言う。
「五百年ですか。それは我ら妖怪であっても長い時間ですぞ。それまで、とわ様はその思いを貫き通せますか?」
「分かんない。……でもさ、凄くしっくり来たんだ」
五百年、生きられる保証がないと分かっていても。
たとえ、そこに至る道程が辛くても。
可能性があるなら、それに賭けたい。
だって、一度会いたいと思ってしまったからには止められないから。
絶対に、生きて生きて生き抜いて、笑って再会する。
それまでとわは死なない。
「まあ、相変わらずどう生きていこうかなんて、まだ分かんないけどね」
「今はそれで良いと思います。その答えだけで充分ですよ」
「はい。なかなか難しいご決断をなさったこと、ご立派ですぞ、とわ様」
りおんも冥加も、とわの思いを尊重するように、そう言ってくれた。とわは照れながら礼を言う。
「ありがと。りおん、冥加じいちゃん」
三人で笑い合う。
まだまだ落ち込んでいるはずなのに、少し勇気が漲ってくる気がした。
「とわ様!?」
「あ、理玖!!」
と、鈴を鳴らすような音が響く。
背後に振り返ると、そこには瞬間移動でようやく帰ってきたらしい理玖がいる。
かなり長い間いなかったので、りおんは怒ったように腰に手を当てた。
「遅かったですね、理玖。待ちくたびれましたよ」
「……ああ、すいやせん。少し色々とありましてね」
理玖は、惚けたように頭に手をやった。
何だかわざとらしい。
それに少し変な臭いがする気もするし、何かあったのだろうか。
そう疑問に思っていると、彼はこちらに近づいて、とわの手を取った。
「とわ様、来てらしたんですね。お会いできて嬉しいです」
「……う、うん」
満面の笑みを向けられただけで、とわの心臓はどうしようもなく跳ね上がる。
それでも彼に会えてウキウキしているのだから、本当に困ったものだ。
顔が赤くなるのを誤魔化すように、とわも微笑み返す。
「私も会えて嬉しいよ、理玖」
「とわ様……」
理玖が瞳を震わす。
そのまま何も言えず、互いに見つめ合ったまま沈黙が降りて――
「とわ!!」
「おい、何イチャイチャしてやがるんだ、理玖!」
その時である。
後ろから騒がしい声がした。
そちらの方を見ると、リュックを背負ったもろはと、いつもの様に薙刀を持ったせつなが、猛ダッシュで走ってきている。
そして、キキー!! とブレーキを掛けて側に止まると、二人して不満たっぷりな様子で、ギャーと声を荒げる。
「ずるいぞ! お前ばっかりとわを独占しやがって!」
「これ以上の狼藉、見過ごせん! 一刻も早くとわから離れろ!」
「……」
理玖は言われた通りとわから手を離すも、実に白けた様子でせつな達を見ていた。
ムードをぶち壊されて、怒っている様にも見える。
対して、とわはオロオロとしていた。
「え!? 二人とも、どうしてここにいるの!?」
「どうしても何もないぜ!! お前が心配で、臭いを追ってここまできたんだよ!」
もろはがむっとした様に怒鳴る。
その口ぶりですべてを察したとわは、妹を見た。
「すまん。母上が、伝えない訳にはいかないと仰ってな」
「ううん。こっちこそ心配かけてごめん。二人とも」
申し訳なくてとわはしゅんとなる。
すると、もろはからぽんと軽く背中を叩かれた。
「気にすんなよ。あたし達仲間だろ」
「そうだ。こういう時は遠慮なく甘えろ」
「……うん」
二人の暖かな言葉に、とわははにかんだ。
それから、せつなともろはは、りおんに軽く挨拶する(理玖にはまったく何も言わなかった)。
ついでに冥加が「がみょーん、がみょーん」と自己主張し、この場にいる偶然に、せつな達を驚かせた。
「ところで、もろは。その荷物は?」
そして、全員が落ち着き、倒れた倒木に腰掛けた頃。
とわはふと、気になっていたことを聞く。
もろはは、ふふーんと胸を張り、
「お前、現代のことで寂しがってるみたいだったからな。お前んちに預けてた奴を色々と持ってきてやったんだよ」
彼女はどさりとリュックを下ろし、中を見せた。
入っていたのは、大量のカップ麺やお菓子といった、日持ちする食品。
まだほんの僅かに残っていた余り物を掻き集めてきたらしい。
ついでにお湯を沸かずポットなんかも入っている。
「ずっとこのままにしておく訳にもいかんからな。ちょうど人数もいるし、全部食べてしまえ、とわ」
「良いの?」
「ああ、はしたないが、貪り食っても良いんだぞ」
せつなは珍しく、そんな冗談を言ってみせた。
とわはリュックの中をじっと見る。
そして、おずおずとお菓子の内、ポッキーを手にすると、袋を破り、一つ取り出して食べた。
「……」
甘い。
懐かしい味がする。
現代の……今は離れてしまった故郷の味。
それに伴い思い出すのは、やっぱり日暮家の皆で。
「うう……」
じわりと、目に涙が溜まっていく。
次第にそれは滂沱となり、悲しみに堪えきれず、やがて赤ん坊のように大きな声をあげて、とわは泣いた。
「とわ様!?」
事情を知らない理玖はギョッする。
慌てて宥めようと言葉をかけてくれ、それが何だか嬉しくもあり、申し訳なくもあり、色々と情緒が乱れ、とわは更に泣いた。
そうして、理玖に慰められる中、せつなが許してくれた様に、次々とお菓子やカップ麺を貪り食っていく。
完全にやけ食いだった。
酷かった顔も更に涙でぐちゃぐちゃだったし、みっともなかっただろう。
でも、皆は何も言わなかった。
とわは食べながら、思いの丈を一気に話した。
日暮家のこと、半妖のこと、寿命のこと。
色んなものへの不安。
さっき決めた決意。
釣られる様に。せつなともろはも、腹を割ってすべてを話す。
すまない、理玖には嫉妬していたんだ。
置いていかれたようで、とわに向かい合うことが怖かったんだ。
どうか許してくれ。何もとわのことを分かってやれなかった。
そして、私達も寿命のことは恐ろしい。何せ、家族と離れ離れになるのだからな。
そうそう。それにあたしなんかはさ、一人、四半妖だ。
その内、二人とも違いが出てくる。
あたしも皆と一緒が良い。
ああ、畜生。なんか辛いな、こういうのって……。
言葉を溢す内に、妹と従姉妹は、二人共とわと同じように涙を流した。
とわは後悔した。
とわの方だって、二人のことを蔑ろにして、自分一人だけの問題だと思い込んで、抱え込んでいたから。
「ごめん」
謝って、とわはせつなともろはを抱きしめた。
二人とも、とわを抱きしめ返した。
そして一頻りして離れると、今度は理玖とりおんにも、同じことをする。
彼らも大事な友達で、仲間だからだ。
その暖かさは心地良い。
とわは一人じゃないことを悟った。
そして、どんな不幸だろうとも、きっと皆と乗り越えていけると……そう思ったのだった。