遥かな永遠を一緒に   作:鐘餅

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遥かな永遠を一緒に 七話 前編

 何故か今になって、思い出すことがある。

 

 あれは二百年前。

 犬の大将が死に、是露が妖力を捨ててしばらく経った頃のこと。

 

 その日、理玖は鉄甲船の甲板から海を見ていた。

 特に理由なんてものはない。

 ただ、是露も、麒麟丸も、そして四凶も、皆理玖のことを嫌っていたから、彼がこうしてぼんやりと一人でいるのは珍しくなかった。

 その自我の薄い心は、虚である。

 よく晴れていて、とても海が綺麗だったが、何も感動しない。

 寂しいとも思わない。

 それがどれだけ空しいことなのか……その頃の理玖には、まだ分からなかった。

 

「……何だ?」

 

 理玖は無表情で首を傾げた。

 ふと見上げた空に、何かぽつんと小さなシルエットがあったのだ。

 それはぐんぐんとこちらに近づいてきているようで、徐々にその影は大きくなっていった。

 そして数分後。

 いつの間にか目の前、見上げるほどの巨体が姿を顕す。

 翡翠の鱗、金の瞳。

 この世のものとは思えぬ、美しい龍だった。

 

「ねえ、アンタから聞いた話で、こんな奴いたっけぇ? 何か覚えてない?」

「うーん、どうだったかな。昔とかその辺、記憶曖昧なんだよね」

 

 龍が誰かに声をかけると、何処からか返事が返ってくる。

 見れば、その頭の上。

 ちょこんと、一人の小柄な女性が座っている。

 外見年齢は十五才前後。

 玉の飾りがついたシンプルなデザインの簪で濡羽色の長髪を纏め、袖の長い、ダボダボの着物を着ている。

 首にはこの国では珍しい、十字架のロザリオ。

 顔立ちは美しくやや童顔。

 すっと筆で描いたような形の良い眉に、青空を閉じ込めたかのような、くりくりっとした無邪気な青色の目。

 華奢な体躯も合わさり、まるで少女の理想像がそのまま具現化したかの如き可憐さだった。

 しかも、それでいて何処か気品さも同居しているのだから、圧倒的な存在感がある。

 

 理玖は思わず、すべてを忘れて見惚れてしまっていた。

 網膜に、彼女の姿が焼き付けられる。

 

「あれ、何か私のことで気になることでもあるの?」

 

 と、やがて、その視線に気づいたのだろう。

 女が話しかけてくる。

 理玖は素直に答えた。

 

「とても綺麗な顔だと思った。今まで見た妖怪の中で一番美人だ」

 

 すると、女はぽけっと口を開けた。

 数秒してから照れつつも、ふんすと鼻息を漏らし、大きく胸を張る。

 

「そうでしょう、そうでしょう。もっと言って、それ」

「……」

 

 美貌が台無しになる程崩れた、だらしないニヤニヤ顔だった。

 理玖は無表情をそのままに、その目をさっきまでのとは別のものに少し変えた。

 それを見るや否や、「褒めてオーラ」を出していた女は、大袈裟に驚く。

 

「ってぇ、何でいかにも、『あ、やっぱなんか違うわぁ』ってな顔してるの!? 酷くない!?」

「まあ、中身がこれだからねぇ。残念過ぎて馬鹿に思えたんでしょうよ」

「ちょっと!?」

 

 フォローもせずに毒舌を吐いた龍に、女はががん!! とまた大袈裟にリアクションを取る。

 そして、子供っぽく頬を膨らませると、抗議の意味で、テチテチとその頭を叩いた。

 が、龍は気にせず、理玖に声をかける。

 

「ねえ、貴方。とりあえずここに住む麒麟丸や是露のとこに案内してくれなぁい?」

「何か用なのか?」

「ちょっとした野暮用よぉ。ね、四方」

「ん?」

 

 話しかけられ、その四方と呼ばれた女はきょとんとした。どうやら叩くのに夢中になっていたようで、話を聞いていなかったらしい。

 アホみたいな顔をした後、うんうんと縦に首を振った。

 

「そうそう。そうなの。その通りだよ」

 

 酷く棒読みであった。

 テキトーに返事を返したのがバレバレだ。

 そんな四方に龍は溜息をし、慣れた様子で「じゃ、下ろすわよぉ」と船の手摺りへと、頭をぐっと下げて近づける。

 女は短く礼を言ってから飛び降りようとし……足滑らせて失敗。盛大にずっこけた。

 

「いっだ!?」

「……大丈夫か?」

「っ、ヘーキヘーキ!!」

 

 心配すると、女はすぐに立ち上がり明るく笑った。

 しかし平気と言いつつ、実際は涙目になっているし、打ち付けた額は赤くなっている。

 思わず理玖が手を伸ばそうとすると、そこで龍に止められた。

 

「別にこれくらいどうってことないわよぉ。自業自得なんだから放っておきなさい。それに馬鹿だから傷のこともすぐ忘れるだろうしねぇ」

「……もう、水面はいちいち私を貶さないと気が済まないのっ?」

 

 ぷんすか、そんな擬音が着きそうな控えめな怒り顔で、四方は腰に手を当てる。

 龍は喉の奥を震わせるように、かかかかかっ、と笑った。

 

「あらあら、あたしは事実を言ってるだけよぉ?」

「まったく、酷いんだから。後でたっぷりお話があるから覚悟しててよね」

「はいはい」

 

 軽口を交わし、龍は何処か楽しそうにゆっくりと目を閉じた。

 次の瞬間、その姿が一瞬にして消える。

 代わりのように、いつの間にか四方の手には小さな物があった。

 金細工をふんだんに使った、豪奢な意匠が施された箱だ。

 膨大な妖力が渦巻き、側にいるだけで怖気すらしてくる。

 けれど、理玖は好奇心に駆られ、その箱を覗き込んだ。

 

「それは何だ? 今まで見たことのないものだ」

「緒方の箱。私が私である所以だよ」

 

 理玖の問いに、四方はただ一言そう答え、箱を自身の胸に押し当てた。

 するとずぶずぶと、まるで飲み込むかのように手が吸い込まれていく。

 次に四方が腕を引き抜くと、もうそこに箱はなかった。

 彼女はさっきの事象を説明することなく、表情も変えずに、先に案内するようにお願いする。

 

「さ、東国の大妖怪達に会わせて。何処にいるか知っているんでしょ?」

「でも、姐さん、今機嫌が悪い。それでも良いのか?」

「うん。どうせ嫌われてるみたいだしね。機嫌が良かろうが悪かろうが関係ないよー」

 

 四方ははっきりと言い切った。

 それがあまりになんてことないよう聞こえたから、理玖は一瞬驚きつつも、言われた通り四方を船内へと連れていった。

 

「麒麟丸様、姐さん。来客だ」

 

 目的の部屋に着くと、そこには既に己の主人達がいた。

 彼らは既に気づいていたのか。

 室内に入った途端、じっと四方を見つめた。

 

「隋分と騒がしいと思ったら、やはり貴女だったか。久しいな。一体何用だ、箱の大妖怪よ」

 

 そう問いかけたのは、玉座の如き椅子に座り、仮面を被った大妖怪、麒麟丸。

 姉の是露はその側に佇み、厳しく目を細める。

 

「ふん、どうせまた、下らないことであろう。いつもお前は碌なことしかしない」

「ええー、ひっどいこと言うなあ、是露ちゃん。相変わらず気難しいんだから」

 

 対して、あろうことか是露に“ちゃん付け”し、気安い口調で話す四方。

 ぴく、と是露の眉が動いたのは言うまでもない。

 

「そりゃ昔はやんちゃしてたけどさ。今はそんなことしてないって。ちゃーんと大人しくしてるよ、私?」

「よく言うわ。そちらの噂は聞いている。何でもとある大妖怪を山ごと一つ、消しとばしたそうではないか」

「あー、確かにそんなことあったかも。けど、私の水面を馬鹿にしたんだから、しょうがなくね?」

 

 四方はその時のことを思い出したのか、苦虫を噛み潰したかのように一瞬、顔を歪めた。

 それから、長い袖を口元に持ってきて、くすりと笑う。

 

「そっちこそ色々と話は聞いてるよ。特に是露ちゃんのことはね。貴女、妖力を全て捨てたんですってね」

「箱。もしかしてその事を冷やかしにきたのか?」

 

 是露の声に鋭さが乗る。

 四方は静かに首を振った。

 

「いいえ、そんな下らないことでここには来ない。あと、私は箱じゃない。四方というちゃんとした名前があるの。そこのところを忘れないで欲しいな」

 

 四方は胸に手を当て、強く強く言った。

 是露が黙る。

 麒麟丸はそのやり取りを静観していたが、しばらくして謝った。

 

「そうだな。姉に代わり非礼を詫びよう、四方殿」

「別に気にしてないよ。私を以前のようにただの“お人形”だと思って馬鹿にする輩は多いから」

 

 四方のその声音は実に平坦であった。

 気にしてないと言いつつ、その目の中には不快の二文字が浮かんでいる。

 麒麟丸は仮面の奥で、緑色の瞳を細めた。

 

「それでだ、四方殿。わざわざこちらに遊びに来るほど、我らはそこまで親しくはないだろう。改めて聞くが何用なのか?」

 

 単刀直入、泰然とした態度で麒麟丸は問う。

 四方は少しだけ……寂しそうに微笑んでから、

 

「質問をしに来たの」

「質問?」

「どうして貴方達は、何かを捨てようとするくらい、誰かを愛することが出来るの?」

 

 狂おしい程切なそうに。

 そして泣きそうなくらい、顔をくしゃりと歪めて。

 四方は真剣に、そう聞いた。

 

「……」

 

 だが、唐突過ぎて、その質問の意味が分からない。

 理玖は何を言っているんだ、と思った。

 麒麟丸と是露でさえ、ぽかんとしているようだった。

 

「どういう意味だ? 何を言っている、四方殿」

「ええとね。非常に言いにくいんだけど、私、人間の男を好きになったかもしれないの」

 

 聞かれ、四方は赤く染めた頬を人差し指で掻きながら答えた。

 と、同時に、是露の顔色が明らかに変わった。

 その心の隙間を着くよう、四方が囁く。

 

「是露ちゃん。もしかして犬の大将の事でも思い出したの?」

「……今すぐその口を閉じよ、箱。殺されたいのか?」

「はあ? 妖力を捨てた是露ちゃんに何が出来るっていうの? あんまそうデカイ口を叩ける身分じゃないでしょ、貴女」

 

 底冷えするような恐ろしい是露の怒り。

 それを真正面から浴びても尚、四方は飄々とした態度を崩さず、小馬鹿にしたように首を傾げる。

 こうなると胃が痛くなってくるのは麒麟丸で、彼は物凄く困ったように、

 

「あまり姉上を刺激するな、四方殿。姉上は今は、難しい時期にあられるのだ」

「そうは言ってもね、麒麟丸君。まだ私の質問に答えてもらってないじゃない。良心は痛むけど、断るよ」

 

 四方はあくまで自分本位であるのか、首を振り、そうして話を続ける。

 

「私が知りたいのは、さっきも言った通り、恋や愛についてだよ」

「……恋や愛か」

「私ね、今まで一番大切なのものは、自分の役割……箱の妖怪としての欲求や本能だって思ってたから、それだけが全てなんだって信じてた。

 でも、ある時、あの人を見た途端に、全部ひっくり返るくらい凄いドキドキして、凄い胸があったかくなったの。

 人間なんて皆、羽虫のはずなのに……」

 

 気がつけば四方は俯いていた。

 ぎゅっと両手を胸の前で握りしめ、そして問いかける。

 

「それでも、どんな宝物より失いたくないと、どうして思ってしまったのかな。この気持ちが何なのか、貴方達は何か知らない?」

「……」

 

 しかし、二人は無言を返した。

 麒麟丸は興味がないかのように、微動だにせず。

 是露もさっきから仏頂面を隠そうともしない。

 

 ただ一人、蚊帳の外にいる理玖だけが、四方の事をずっと見て、首を傾げた。

 純粋に疑問だったのだ。

 何故そのようなことでいちいち悩むのかと。

 しかし、何か胸にくるものだけはあって、それがなんとも不可解であった。

 

「そんなことのために、お前はわざわざここまで来たというのか?」

 

 やがて、是露は呆れたように、侮蔑の籠った眼差しを四方へ向けた。

 四方もまた気に入らない様子で、

 

「……下らない事みたいに言わないで。私は元々感情には疎いから何も知らないの。これはそんな私にとって存在意義に関わる、重要な事なんだよ」

「だとしても、何故我々なのだ? 聞く対象を間違っているようにも思えるが」

 

 そう尋ねるのは麒麟丸だ。

 四方はしばし、目を彷徨わせ、気まずそうに答えた。

 

「本当はね、人を愛した犬の大将に聞きたかった。けど、犬の大将は死んだ。だから、犬の大将と関わりがあり、尚且つ愛故に苦しむを抱いているだろう貴方達を訪ねたの」

「……、我々が苦しみを抱いている……だと?」

「そうだよ。是露ちゃんは言わずもがな。麒麟丸君。貴方だって、死んだ娘さんの魂を縛り付けてるそうじゃない。娘さんが亡くなったその悲しみから解放されず、今も嘆いているんじゃないの?」

 

 どうしてか、知るはずもないりおんのことを、四方は堂々と口にする。

 それはわざと煽っているのか、それとも天然なのか。

 驚愕と共に、麒麟丸は是露と同様、怒りを沸き上がらせているようだった。

 静かながら、怒気を含ませた口調で、

 

「姉上ではなく、この麒麟丸まで侮辱するつもりなのか、貴女は」

「おお怖い。そんなつもりはないってば」

 

 びびる様子もなく、揶揄うように肩をすくめ、そう軽く言う四方。

 是露の眉間の皺が、更に深くなる。

 これ以上は耐えられなかったのか、遂に彼女は理玖に命じた。

 

「やはり下らん。理玖、その者をこの場から下がらせろ」

「でも姐さん、本当に良いのか? まだこの妖怪の質問に答えて――」

「聞こえなかったのか、下がらせろ」

 

 再度、有無を言わさず強い口調で是露は命じた。

 麒麟丸すら、それに気圧されたかのように口を閉じていた。

 理玖は仕方がないと思った。

 是露の言うことは、絶対だった。

 

「分かった。行こう、箱の大妖怪」

「……お邪魔しましたー」

 

 まだ戯けているのか、四方は軽く礼を言って頭を下げると、理玖と一緒に部屋を出ていった。

 しばらく外まで先導する。

 甲板に出ると、四方は伸びをしてから溜息をついた。

 

「残念なのか?」

 

 そう聞けば、四方は麒麟丸にしたみたいに、理玖にも肩をすくめて、

 

「まあねー。ま、そこまで期待はしてなかったけど」

「そうなのか?」

「そうよぉ。それなのに、もしかしたらって考えてわざわざ来るんだから、よっぽど四方は物好きよねぇ」

「水面」

 

 その時だった。

 むっと上から大きな影が差し込み、低い女の声が響く。

 頭上を見上げれば、あの大きな翡翠の龍が宙に浮いていて、金色の瞳を細めていた。

 

「こんなところにいても時間の無駄になるだけ。帰るわよぉ、四方」

「うん」

 

 龍が甲板に着くほど頭を下げれば、女はそこによじ登り、その角をぐっと握りしめた。

 鰐に似た顔が持ち上げられる。

 数秒後、翡翠の巨体は更に浮上し、いつしか豆粒サイズになっていた。

 

「また会いましょう! それじゃあね!」

 

 元気で良く通る声だけを置き去りに、空の彼方へと龍達は去っていった。

 

 それからしばらく、本当に音沙汰もなかった。

 麒麟丸と是露は、決して四方のことを口にすることはなかった。

 理玖も彼女達のことを忘れた。

 でも、その一年後。

 再び四方はやってきた。

 

「やっほー、来たよ! 是露ちゃんに会わせて!」

「分かった」

 

 理玖は鬱陶しく思いつつも素直に頷き、一年前と同じように四方を是露の元へ案内した。

 勿論、是露は四方の姿を見ると、酷く顔を顰め、

 

「下らん、出ていくが良い」

 

 と追い返した。

 四方はそれに従い、すごすごと帰っていく。

 そしてまた一年してからやって来て、追い返されてを繰り返す。

 一体何が目的なのか、理玖には分からなかった。

 けれど、帰りを見送る関係で、四方からは一方的に話かけられた。

 

 名前はなあに?

 出身地は?

 どうして麒麟丸や是露に仕えているの?

 

 いちいち理玖のことを……特に好んでいるものを聞きたがるので、面倒臭いったら、ありゃしなかった。

 それでも、理玖はまだ自我が薄く従順であったので、ぽんぽんと何の警戒もなく、一つ一つの質問に答えた。

 

「そっかあ。大変だねえ」

 

 四方は理玖の境遇を聞くと、少し同情するような表情になった。

 不思議と馬鹿にされた感じはしなかった。

 笑わないのか、と問えば、ころころと花のような笑顔で、四方は言った。

 

「なーんか、私と似ててねえ。別にどうも思わないのです。むしろ仲間意識が芽生えて仕方がないのですよ、私」

「……そうなのか」

 

 理玖はこの女に、妙なものを感じた。

 それは好奇心、あるいは戸惑いと呼ぶべきか――とにかく、色んな感情がこの時、生まれた気がする。

 だから、理玖は頼んだ。

 今度はアンタの好きなものについて、聞かせてくれないか、と。

 すると、

 

「しょうがないにゃあ。貴方のことばかり聞いてもしょうがないし、うん、良いよ」

 

 四方は快く頷き、自身の最近の出来事を話していく。

 最初の一年目は、主に恋仲となった男のことについてだった。

 やれ、あの人の前だと調子が狂うだの、揶揄ってくるだの、殆どが愚痴ばっかり。

 本当に惚れたのかと疑いたくなるほどボロクソに言っていた。

 しかしその横顔には笑顔が浮かんでいた。

 本当に幸せそうな。

 でも何処か辛そうにも見えた。

 

 思えばこの頃、その男は既に病気になっていたのだろう。

 二年目になると話の中に登場しなくなった。

 代わりに、彼の双子の子供達のことを話すようになった。

 名前は若葉と旭。

 いつでも前を向いて、希望を繋いで欲しい。

 そんな意味があるのだという。

 

 四方は案外、子煩悩だった。

 大変だと言いつつ、可愛い、可愛いと繰り返し、時には自分で描いた子供の写生を見せてくれたりなど、その成長の喜びを饒舌に語る。

 

 はいはいが出来るようになった。

 お乳を卒業した。

 立ち上がった。

 かあしゃまと呼んでくれるようになった。

 身長が伸びた。

 抱っこがキツくなってきた。

 おねしょを卒業した。

 最初はそっくりだったのに、今ではすっかり個性が出るようになった。

 若葉は女の子らしく大人しいが、気難しく頑固で、我儘だ。

 旭は男の子らしくやんちゃですぐ何処か行きたがる。

 二人は毎日喧嘩していて、大抵はくだらない事。お菓子を取ったとか、そういったことをよく言い合う。

 それでも、いつもすぐ仲直りして一緒に遊ぶし、この前なんてお花を積んできてくれて、とても優しい子達なの。

 趣味趣向も似ている。

 お気に入りの玩具は揃って小さな箱で、やっぱり自分の血が流れていると嬉しく感じる。

 だから、彼らのための手製の箱を贈った。きっと妖力を安定させるためにも今後必要だろう。

 それから、それから――

 

 いつだってその口振りからは、愛情が感じられた。

 四方は子供達を愛していた。

 きっと彼らのためなら何でも出来るのだと、そう理玖に思わせるくらいだった。

 けれど相変わらず、何年経っても四方は、愛が分からず苦しんでいた。

 

「多くの宝を手にしても、中身がなかった私は空っぽだった。これまで抱いてきた感情も、本当は全部嘘っぱちなんじゃないかって……時々、自信がなくなるよ」

 

 だからか、別れ際。

 最後の方になると、決まって彼女はそんなことを口にした。

 でも、理玖は何も言えなかった。

 言えようはずもなかった。

 四方は理玖に対して、優しく微笑むだけだった。

 

「……」

 

 そして、六年目。

 その年の四方は、いつもと少し様子が違っていた。

 とてもとても悲しそうに黙っていて……ぽつりと、是露に聞いた質問を理玖にする。

 

「ねえ、愛って何? 恋って何? ……貴方、分かる?」

「……」

 

 それに、理玖はやっぱり何も答えられなかった。

 そもそも自分に聞くなと思った。

 コールタールみたいな、どろりとしたもやもやが生まれる。

 

「突然だけどさ、今まで私のお話聞いてくれてありがとうね。私、貴方と話せて楽しかったよ」

 

 すると、唐突に、まるで一生のお別れのように、彼女は感謝を伝えてきた。

 

「ぶっちゃけ麒麟丸や是露のこと嫌いだけどさ、貴方のことは案外、嫌いじゃなかったよ。一方的だけど、友達のように思ってる」

「……、それはおいらと貴女が似ているからか?」

「そうだね。でも、貴方は純粋に良い奴だから」

 

 ……良い奴?

 首を捻り、心の中で反芻する。

 意味が分からないと強く思った。

 四方の思考回路はおかしい。

 と。

 そう思っていれば、四方は意味深な目線をこちらに向け、また唐突に、

 

「絶対、幸せになってね」

「……幸せに?」

「麒麟丸達の分まで、幸せになって欲しいの」

 

 いつになく真剣に、四方は言った。

 視線は海の方を向いている。

 

「麒麟丸も是露も……姉弟揃って、あいつらは亡霊だ。何処にも行けず縛られている」

「? どういうことだ?」

「寂しいってことだよ。彼らは妄執に取り憑かれ、愛の呪いに振り回され、同じ厄災を振り撒いている。その様はとっても醜くて……私は、ああはなりたくないなぁ」

 

 問い返すと、四方はよく分からない表現で答えた。

 彼女は周りくどい言い方が好きだった。

 

「でも、貴方はまだ真っ白で、可能性が無限大でしょ。無理して麒麟丸達に染まる必要ないんだよ。だからこの先、何があっても自分らしく、自由でいてね」

「……」

 

 理玖はその発言に、目を瞬かせた。

 自分らしくとか、自由とか。

 そんなの考えたこと一度もなくて、何をどう反応したら良いか分からず、全部曖昧に思えた。

 けれども、今はそれで良いとばかりに、四方は頷くのだった。

 

「ああ、いつに間にか話し込んじゃったなあ」

 

 そうして、気が付けば。

 あっという間に時間は過ぎていて、日は既に落ち始めていた。

 綺麗だったけど、まるで血が滲むような赤い空だった。

 

「もう行くのか」

 

 別に寂しくなかったけど、変な予感がしたから、理玖はそう聞いた。

 四方は安心させるように、穏やかな口調で、

 

「私は大丈夫だよ。このたくさんの思い出があれば、きっと安らかに眠れる。あとは、子供達が希望を繋いでくれるよ」

「……希望」

「私はね、大好きな人達、皆幸せになって欲しいの」

 

 四方は理玖の両手をそっと包んだ。

 ぞっとする程冷たかった。

 

「色んなものを見て、色んなものを感じて、時には苦しいかもしれないけど、最後には笑って、良い人生だったなあって言って欲しい。そのためだったら何でもする。たとえ私自身を犠牲にしても、私はあの子達の未来を……大好きな皆の未来を守りたい」

 

 不安。恐怖。

 それらをすべて我慢するみたいに、四方は無理矢理、下手くそな笑い顔を浮かべた。

 

「だから私は、皆に迷惑をかけないように私を殺すんだよ。私は、理玖君のこと含めた皆を愛してるよ」

「……」

「じゃあね。理玖君。元気でね」

 

 四方はぱっと手を離すと、それだけを言い残し、いつものように夕焼けの彼方に消えていった。

 それきり、彼女は来なくなった。

 箱の大妖怪の噂もぱったりと途絶える。

 是露は愚かだと笑った。

 人間を愛した報いであると。

 理玖は疑問に思いつつも、是露の言う通りかもしれないと思った。

 そして――やがて、このことは記憶の片隅に追いやられ、いつしか忘れ去られた。

 

 でも、今は違う。

 愛や恋のことを考えて、時折、思い出す。

 あの時、四方は何を考えたのだろう。

 本当に四方は幸せだったのか。

 理玖にはそうは見えなかった。

 きっと彼女は最後まで、自分の感情が何なのか理解出来なかったに違いない。

 そして、それはある意味では――

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