遥かな永遠を一緒に   作:鐘餅

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ようやく投稿出来ました。殺生丸様ってめっちゃ動かしづらいね…。


遥かな永遠を一緒に 八話 中編

 黎明。

 藍の空を侵食するよう、夕の紅が山の稜線の縁から立ち上り、儚いグラデーションの層が生まれる。

 星々は眠るように灯りを消した。

 代わりに登る朝日は世界を照らし出し、キラキラと光を舞わせる。

 それはまるで、国宝級の絵画のような、美しい光景だった。

 

 その中を、一つの影がある。

 月光の糸を集めんが如き銀の長髪。

 顔に浮かぶはこの世あらざる玲瓏な美貌。

 そして肩に巻いた長い毛皮と一体化した尾を風に流し、今この妖怪は――殺生丸は空を飛んでいる。

 

 その行き先は、一体何処であるのか。

 それは尾に捕まる従僕、邪見であっても分からぬことだ。

 何せ、この主人は孤高。

 何者にも縛られない絶対の強者なのだ。

 故に好きに生き、好きに放浪する。

 いかに邪見がその意思を読み取ることに長けようとも、容易く予測できるものではない。

 

「あのぅ、殺生丸様」

 

 ふと邪見は、殺生丸へと声をかけた。

 殺生丸の鋭い目が僅かに動く。それから数秒して、低い声で問いが短く紡がれる。

 

「何だ」

「ええとですね……ひじょーに言いにくいことなのですが、とわのこと、よろしいので?」

「……」

 

 邪見が聞くと、返ってきたのは無言であったた。

 彼とて、何も知らない訳ではない。

 ずっと邪見はとわのことを報告してきた。

 だが、殺生丸の反応はというと、微妙というか、なんというか、相変わらずの無表情で、何のリアクションも起こさない。

 勿論、それが子に対する関心のなさの現れでないことを、邪見は知っている。

 いつだってこの主人は、家族のことを考えているのだから。

 ただ、邪見がそのことを言葉にして欲しいだけなのである。

 というのも、邪見は誰よりも、何よりも。

 殺生丸以上にずっととわのことを気にしていたのであった。

 

「とわの奴、あの男ことと言い、なーんか色々と悩んでるみたいですよ。それに、どうやら寿命のことを何も知らなかったみたいでして……はい。この前など、魘されていたらしく、もうわしはどうして良いか分からないのです、殺生丸様。本当にもう……」

 

 邪見はそう言って、暗い面持ちになる。まるで孫第一のお爺ちゃんの様に、心配で心配で堪らないといった感じだった。

 そんな従僕に対し、殺生丸は気のせいか何処かうんざりした様に柳眉を寄せ、

 

「邪見」

「は、はい! 何でございましょう!」

「とわのことは、放っておけ」

「で、ですが――」

「……まだ、時は来ていない」

「えと、時が来ていない……とは?」

「……」

 

 邪見が尋ねるも、また殺生丸はそれきり黙ってしまった。

 いつもの事ながら、よく分からないお人だと、邪見は嘆息したくなる。

 そして、殺生丸の背中をじっと見つめながら、先程の言葉について考える。

 

(殺生丸様は、とわがまだまだ悩み足りないと仰りたいのか? 答えを出すには、まだ必要な痛みを伴っていないと? 或いは、殺生丸様ご自身も、とわをどう導けば良いか苦心しておられるのか?)

 

 そうだとすれば。

 今、殺生丸はとわと向かい合おうとしているのだろうか。

 あのどうしようもなくお人好しで、優しくて、そして、りんに似たあの少女と。

 

 ……思えば、お互いに父子と認識してるものの、とわと殺生丸の距離は遠いものだ。

 なにせ十四年、離れ離れだっただけでなく、時代までも隔たりがあった。

 そういう意味で言えば、せつなの方がまだ繋がりは強く、対応がしやすい。

 とわの場合、ほぼ異世界から迷い込んだも同然だ。

 その迷いも試練も、およそ考えつくものを遥かに超えて異質であり、そのために、とわのことを殺生丸は考えあぐねていた部分があったのではと思う。

 

 事実、りんを交え、殺生丸は何度かそのことでかごめと話すことがあった。

 かごめはその度に言っていた。

 やはり、戦国時代と現代ではギャップがある。

 辛いことも悲しいことも沢山ある。しかし戦国時代を選んだことに、自分は後悔していない。そこに愛する人……犬夜叉ともろはがいるのだから。

 きっと、とわも後悔なんてしてないだろう。この戦国時代はとわを受け入れてくれる。

 だから、父親として自分らしく、ただあの子を信じて話せば良いんじゃない、とかごめは最後に笑っていた。

 癪だがその時、邪見はかごめの強さを認めた。

 四魂の玉を巡る戦いを生き延びた彼女は、やはり伊達ではない。

 

 それから、殺生丸は何を思ったのだろう。

 とわが理玖と逢瀬をする時、妖怪退治に行く時、野原を駆け回る時。

 ふとその姿を見ると、氷の様に動かぬ表情の下、隠れてしまう確かな愛情と優しさ、厳しさを視線に込め、じっと見守っていた。勿論、誰にも何も言わず。りんは気づいていただろうが、あえて黙っている様だった。

 きっと、とわの苦しみも悲しみも、殺生丸は見抜いている。見抜いた上で、殺生丸は娘に対し――

 

(……!? なんじゃ、この妖気は!?)

 

 その時だった。

 ふと膨大な妖気が、世界を圧迫せんばかりに広がる。

 それだけでもう体が押し潰されそうで、邪見は唐突なこともあって戦慄する。

 すぐに小心者らしく、縋る様に主の名を呼んだ。

 

「せ、殺生丸様!」

「……」

 

 その声に応じてか否か。

 殺生丸はその場にふわりと静止した。

 

 遥か天高い空を見上げれば、異変が生じている。

 夜明けの雲間、何かヒビのようなものが走っているのだ。

 しかもさっきから、どん、どん、と内側から体当たりされてるみたいに何か衝撃の音がしていて、その度に罅割れは徐々に大きくなっていった。

 そして、十秒もしない内に、やがてガラスが割れるかの如く打ち破られ“ヒビ”は巨大な“穴”となった。

 そこからどばり。現れたるは、千を超える魑魅魍魎。

 龍に小鬼、一つ目小僧に般若、古今東西ありとあらゆる妖怪供が、空を埋め尽くす。

 

「ひえええええ!!」

 

 ビビって叫ぶ邪見。

 反対に冷静な殺生丸は顔を顰め――差している刀の内、一本を抜き放った。

 スラリとした美しい刀身、破壊の刀、爆砕牙だ。

 殺生丸はそれを軽く振るった。

 すると万雷にも似た渦巻く剣圧が迸る。

 黎明の空を焼く妖力は破壊の爪痕となって、一斉にこちらに向かってくる魑魅魍魎に伝播、一つ残らず、片っ端から木っ端微塵の塵芥へと変えていく。

 そして後には何も残らない。

 僅か一秒足らずの出来事であった。

 

「さ、流石でございますっ! 殺生丸様っ!」

 

 一撃の元、千の妖怪を瞬殺して見せた殺生丸に、先程とは一転、今度は調子に乗った邪見がはしゃぐ。

 だがしかし、殺生丸は刀を納めようとはしなかった。どころか「まだだ」と呟く。

 それに邪見がはて、と空にある穴を見つめると……確かにまだ異変は終わっていないようだった。

 

「あギ……ギジ……あギキキキキキキキキキキキキキああああああああぁ……」

 

 とわがその場にいれば、まるで黒板に爪を立てたようなと例えるであろう、歪で醜い鳴き声が響き渡った。

 穴は巨大にも関わらず、“それ”自体が更に大きいのだろう。

 引っかかっているらしく、無理やり出ようと踠いている。

 そのため、影のような触手を使って穴の淵を叩き壊し、罅割れをこじ開けるみたいに広げていた。

 そして、ズル……ズル……ズル……。

 時間をかけて、“それ”はやっと穴から出てきた。

 

 邪見はその全体を見て目を見開いた。

 一言で言えば、“それは”キメラだった。

 頭部は双頭の狼である。

 目は白濁して青い。

 口の端から涎を垂らし、歪な乱杭歯を覗かせて笑っている。

 そして、上半身は獅子、下半身は牛、尾は黒い蛇であり、第三の頭がある。

 背には鷲の翼が生え、周囲には影の触手が百も展開されていた。

 きっと妖力が見える形で凝縮されたものである。

 

「な、なんじゃ、ありゃあ……」

 

 今までの人生の中、数々の妖怪を見てきた邪見でさえ、それは異形に映った。

 しかもこの大きさである。

 色々適当なことを言って、今すぐにでも逃げ出したい気分になった。

 だが、最悪なことにここは空の上。

 逃げ場がなく、邪見は主の尾にただしがみついて震えるしかない。

 と、そんな中。

 ふと殺生丸がぽつりと呟いた。

 

「箱の大妖怪か」

「は、箱の大妖怪……? アレが?」

 

 噂では知っている。万物を納める箱を持つ妖怪だと。

 だが、どこからどう見ても、あの姿に箱の要素は皆無だ。

 邪見は首を傾げた。

 が、ふとそこで思い出し、ハッとなる。

 

「いや、そういえば聞いたことがありますっ! 奴は何でも、蒐集した妖怪を情報として取り込み、すべて再現出来るとか……」

「そうだ。あの姿が奴の本性だが、同時に本当の姿ではない。ただ本体の箱の周りに肉の衣を纏っているだけだ。それを分離させれば、別の妖怪として自立する」

「な……つまり、さっきのあの妖怪どもは……」

 

 そう言った途端――触手が蠢き出す。

 その先端から肉の塊が木の実みたいに発生し、切り離されると、小鬼や龍、一つ目小僧に般若が生み出され、あっという間に先ほど同様、妖怪の軍団が結成された。

 

「……っ!」

 

 息を飲む邪見。

 前へと動き出す殺生丸。

 千の妖怪は、またも一斉に雪崩のように落ちながら踊りかかる。

 しかし、爆砕牙が横薙ぎに振るわれた。

 大いなる力が吹き荒れる。

 怪物の群勢は、王者に通り道を開けるように、または初めから存在しなかったかのように、次々と散りになっては消えていく。

 そのまま殺生丸は邪見の恐怖心など完全に無視し、悠々と箱の大妖怪に近づき、切り掛かった。

 が、寸前で影の触手に阻まれる。

 狼の双頭の口が、くぱりと開いた。

 その喉の奥、そこから発生した力が口腔から溢れ出て、バチバチと音を立てた。

 

「ひっ――」

 

 ビビった邪見は思わず叫びそうになった。

 ぎゅっと目を瞑った瞬間、しかし、上昇する感覚。

 恐る恐る目を開けると、殺生丸が箱の大妖怪から距離を取っていった。

 刹那、ワンテンポ遅れて狼の双頭の口から、目を焼かんばかりの白い光芒が発射される。

 ちょうどその先にあった大きな山は、破滅の光を浴びた瞬間、穴が開くどころか一瞬で丸ごと蒸発した。

 

「……」

 

 あまりの威力の高さに、ぽかんと邪見は口を開けた。

 言葉すらも出て来なかった。

 臓腑に染み渡る恐怖心がより一層、ずしんと重くなり、逃げたしたい気持ちは最高潮に達した。

 すると――

 

『な、なんじゃ、今のはっ!? やばいではないか!! 絶対わしここにいたら死んでしまうって……』

『理不尽じゃ。何故わしがこんな目に』

『ていうか何故箱の大妖怪がこんな場所にいる。封印されたのではないのか』

『さっきから何が起こっている……。もー訳がわからんっ! 逃げたいっ! 帰りたいっ! 殺生丸様っ! 頼むからお離れ下されっ! 危険でございますぞっ!』

『……って言っても、どーせ無駄なんだろうなあ。逃げようとしないからなあ。どうしてこの方はいつもいつもこうなのか。本当、そういうとこやだっ!』

 

 空に響き渡る複数の不満の声。

 それは紛れもなく、邪見の本心そのものであった。しかし彼は一言も発していない。向けられた殺生丸の厳しい目に、慌てて首を振る。

 

「ち、違いますっ! 殺生丸様っ! これはわしのものではありませんっ!!」

『ああ、逃げたい……』

「……」

「だから断じて違いますって!」

 

 邪見が必死に否定するも、殺生丸の眼差しは更に鋭くなるばかり。

 どうしてこんなことにと、思わざる得なかった。

 そもそもさっきのは一体――

 

『とわ』

 

 その時、低い声が聞こえる。

 殺生丸は僅かに切長の目を釣り上げた。

 無機質な声はもう一度耳朶に届いた。

 

『とわ』

 

 それは殺生丸のものだった。

 だが当然、“殺生丸自身”は邪見同様、何も喋っておらず……また聞こえて来る声も殺生丸では有り得ないくらい、感情的に娘の名前を繰り返す。

 

『とわ、とわ、とわ、とわ、とわ――せつな、せつな、せつな、せつな、せつな、せつな。りん、りん、りん、りん……りん!! ギキキキキキキキキキキキキキキキキアハハハハハハハハハハハハハ!!』

 

 そして最後の方になると、あの黒板を爪で引っ掻いたような、不快なノイズに変化していた。

 見れば双頭の狼の口が開かれ、ニヤニヤとしている。

 白濁した青い瞳は馬鹿にするように三日月になっていた。

 邪見はすべてを察した。

 

(彼奴、もしや殺生丸様やわしの思考を読んでおるのか!?)

 

「ギヘエ!」

 

 途端、グリンと双頭の狼の顔が邪見に向けられた。

 小妖怪は短く息を漏らして縮こまる。

 歌うように、耳障りな声は告げる。

 

「正解、正解、おっと違うよ、不正解! そうよ、そう!! 見えるの、聞こえるの、感じるの! 貴方達の叫びが、私に反響してくるのォ!!」

「……!!」

「ああ、恐怖、嘆き、急り、不安、お前ら貴様ら貴方達の負の感情、なんて甘美な味なのか! もっと味わいたい欲しい、もっと、もっと、もっと、もっと!!」

 

 高らかに叫ぶ大妖怪。

 百の触手が、死を求める亡者の如く音速を超える速度で一気に動く。

 そしてその合間を縫う様、巨大な鷲の翼からは無数の鎌鼬。

 双頭の狼の口からは、白い光芒が発射される。

 息を吐く間もない飽和攻撃だ。

 過剰すぎる力を前に、毎度しつこいくらいやはり怖がる邪見。

 そして動じない殺生丸。

「やはり逃げましょうよ!」という従僕の声を無視し、あろうことか、彼を無言で掴んで投げ捨てた。

 

「うええええええ!!」

 

 邪見は悲鳴を上げながら落ちていく。

 殺生丸はそれを見届けることもなく、爆砕牙を構えて大妖怪の攻撃をすべて粉砕、切り裂き、あるいは優美な空中飛行で回避して、冷静に対処していく。

 その鮮やかな手並み、流石は戦国最強と言われるだけあるか。

 箱の大妖怪は、はしゃぐ様に彼を讃えた。

 

「すごいすごい、速くて見えないよ、殺生丸様! あの犬の大将の息子だけあるね! 素晴らしい!!」

 

 賛辞の言葉に、殺生丸は何も返さなかった。

 代わりに剣圧の妖気を叩きつける。

 

「おっと危ない!」

 

 それを箱の大妖怪は難なく交わした。

 見た目に寄らず桁違いのスピード。

 大木の葉に落ち、奇跡的に助かった邪見は頭を摩りながら、目を見張っていた。

 

「ギキキキキキキキキキキキキキキキキ!! そんなの通用するわけないじゃない!!」

 

 箱の大妖怪は小馬鹿にする様な笑い声を溢す。

 殺生丸はその短気さ故か、すぐに箱の大妖怪に再び接近、爆砕牙を振り落ろした。

 が、触手で弾かれる。

 そしてお返しと言わんばかり、隙を着く様に獅子の爪が強襲し、それを防ぐと今度は尾の蛇が噛み付いてくる。

 しかもこの蛇の口、時折何か白い液体を吐き出すのだ。

 正体は酸だ。

 殺生丸がかわし、偶然邪見の隣に落ちてきた白い液体は、地面に砲弾の如くぶち当たった瞬間、轟音。

 その落下スピードのせいもあるだろうが、辺り一体の草どころか地中深くを抉る様に、五十メートルの穴が出来るほど土をドロドロに溶かした。

 当然、そこらには似た様なものが沢山あり、現在進行形で量産され続けている。

 

(ひいいいいいい!!)

 

 周りがそんな有様だから、邪見は最早声も上げられない。

 変わりに心の中で絶叫し、大木の上で怯えている。

 殺生丸とて、あの酸を浴びれば只では済まないだろう。

 気が気ではなかった。

 せめてもの意地で、戦闘を見守り続ける。

 

 その戦局はまさに拮抗。

 攻勢が即座に一分未満で互いに入れ替わり、ぶつかり合った妖気は雷雲を呼んで、いつしか黎明の空は鼠色の雲に覆われ始める。

 風は騒ついて吹き荒れた。

 まさに嵐の前兆だ。

 強大な妖怪同士、その力は天候さえも捻じ曲げてしまう。

 

「……ちっ」

 

 殺生丸は厄介そうに顔を顰めた。

 恐るべきは箱の大妖怪の手数の多さ。

 接近戦も遠距離戦もこなせ、おまけにスピードもそこそこにあるという時点で厄介なのに、状況に応じてその身を様々な妖怪に変化させ、対応してくる。

 そのため力の上では勝るとも、攻めきれない。

 

「ほら、ほら、ほらほらほらほらほら!」

 

 それを分かっているのだろう。

 嘲笑う様に、あるいは遊ぶ様に、箱の大妖怪は殺生丸に攻撃を仕掛ける。

 現在の姿は翡翠の龍、水面と呼ばれる大妖怪の僕の姿だ。

 口からは酸ではなく灼熱の火球を吐き続けている。

 

 殺生丸は躱すことに徹していた。

 相変わらずの優美な空中飛行。

 炎など擦りもせず未だ無傷のままだ。

 箱の大妖怪は次第に痺れを切らし、不快そうに息を吐く。

 そして、遂に我慢の限界か。

 その巨体をくねらせ、稲妻を纏いながら顎門を開けると、触手を蠢かせながら襲いかかった。

 

 殺生丸はそれを金色の瞳で睨みつけ、

 

「効かぬわ」

 

 爆砕牙の横薙ぎで一蹴。

 ここに来て初めてまともな一撃が入った。

 その威力はやはり恐ろしい程に極悪極まりない。

 箱の大妖怪の体が、一瞬にして黒焦げになる有様だった。

 当然、その痛みは尋常じゃないらしく、彼女は慟哭にも似た叫び声を上げた。

 

「よし!」

 

 ようやく決着が着いた。

 邪見は殺生丸の勝利を確信し、安堵のあまり、ガッツポーズをとった。

 しかし――

 

「まったく、まったく、酷いなあ!」

 

 途端、ぎゅるぎゅるっと、箱の大妖怪の姿が変わった。

 顔にあるのは白濁した青い目のみ。

 それ以外は白い光で構成された、人間の女のシルエットだ。

 同時に傷が逆再生の様に戻っていく。

 彼女は回復力の高い妖怪に変身することで、難を逃れたのだ。

 邪見が酷く落胆したのは言うまでもない。

 

「残念、残念、私もそんなの効かないよ!」

 

 白濁した青い目に愉悦を滲ませ、女は笑った。

 勝ち誇る様に両手を広げる。

 

「私の姿は無限だ! どんな妖怪にでも変われる限り、私はやられない!! まあそれでも私、か弱い乙女なんですけど!? もっと丁重に扱ってよね!? お前、血の気が多すぎてムカつくよ、本当に!! フフギヒヒ!」

「……貴様、なんのつもりだ?」

「はい?」

 

 すると、そこで初めて、殺生丸が何かを見抜いた様に、ふと、箱の大妖怪に話しかけた。

 彼女は当然、殺生丸の態度の変化に、不思議そうに首を傾げている。

 再度、殺生丸は問いかけた。

 

「貴様はさっきから何かを怒っているだろう。この殺生丸の、何がそこまで気に入らない?」

 

 瞬間、箱の大妖怪は止まった。

 邪見が大木の葉に隠れてハラハラする中、しばらく黙り、やがて哄笑を発する。

 

「ギヘヘヘヘ、キキキキキキキキキキキキキキキキ!! そんなの決まってる! すべてだ! すべて!! 私はお前のその人間や半妖に対する接し方や考え方が気に入らない! 私には分かるんだよ! お前の愚かしい過去、負の部分が全部!!」

 

 箱の大妖怪は一転、怒りを露わに、憎々しげに吠えた。

 

「お前はかつて未熟だったな! 父親の刀に執着するあまり、まず腹違いの弟の半妖を疎んで苦しめ! 人間を虫ケラと蔑み、邪魔者は殺した! そして、愛も何も知らず、ただただ慈悲の心も知らない無知な奴だった! それがどうだ! 今は違うな、殺生丸!!」

「……!」

「お前はりんという少女と出会い、愛を知った! 半妖の弟の強さを知って認めた! お前は刀の執着を断ち切り自立した! お前は立派に成長したんだ!」

 

 そこまで言い切り、箱の大妖怪は言葉を閉じた。

 そして静かに語りかける様に言う。

 

「だがそれなら分かるだろ、殺生丸。今なら理解出来るだろう、殺生丸。今の自分の愚かしさと矛盾に」

「矛盾だと?」

 

 殺生丸は眉を顰めた。

 邪見も、この狂える大妖怪が何を言おうとしているのか、分からなかった。

 しかし、彼女は“その一点”においてだけは、非常に理知的な喋り方をするのだった。

 

「そうさ。お前は悲しい程に愚かで矛盾してるよ。だって、さっき言った様にお前は知ってる筈だ。半妖の境遇、人間の弱さ、妻との寿命の差。自分で弟を苦しめたくらいだ。過酷な運命に、何故わざと我が子を突き落とす真似をした? 妻だって、“恋”や“愛”という理由で選んでない。お前はりんを女として“愛”してない」

「……」

「それでもりんを妻とし、わざわざ犬の大将の様に半妖の子を成したのは、自分の大切な者との間に、積み重ねた時間の証でも作りたかったのか? でも、妻も子も守りきれず、せつなに至っては一度死なせた。弟家族も巻き込んで、おかげで彼らの人生は滅茶苦茶だ。丸く治まったから良いものを、恨まれても何も文句は言えない。そしてその様で、今はとわの心配か。……ふざけるなよ? お前なんかが娘を導けるものなのか?」

 

 箱の大妖怪は殺生丸の愚かさを詳らかにしていく。

 殺生丸はそれに対して何も返さなかった。

 が、しかし、主人よりここで我慢ならないのが邪見だ。

 ずっと側で主人の苦悩を見ていた彼は、恐れを忘れて怒りを剥き出しにする。

 

「そっちこそさっきからふざけるでない! 部外者の貴様が何を偉そうに言っとるんじゃ!! 殺生丸様がどれだけ苦しんでおられたことか……貴様の様な痴れ者が語れることではないわ!」

「あっ、そう。けど、今言ったことは事実でしょ」

「何じゃと!! 貴様、それ以上殺生丸様を馬鹿にすると――」

「邪見」

「は、はい!!」

「うるさい」

 

 殺生丸に黙る様に言われ、邪見は慌てて口を噤んだ。

 しかし納得できるわけがなく、彼は遠く空に浮かぶ主人を見つめ続ける。

 

(ど、どういうつもりじゃ。殺生丸様は何を考えて……)

 

 まさかこの突如現れた箱の大妖怪の言葉を甘んじて受け入れるつもりなのか。

 しかし、どうして。

 邪見はますます心配になって仕方がない。

 

「お前は父親としてどうしたいんだ」

 

 箱の大妖怪は静かに、威圧感すら込めた声で尋ねた。

 

「お前はとわを娘として認め、信頼しているな? だがその一方で、失うことへの恐れがお前の中にはまだある。他の家族についても同様だ。それでいて、お前は娘の行く末について不安も持っている。ハハッ、お前の不安は正しいよ。半妖は弱い。いつか絶対に、半妖という立場がその子を殺す」

「違うな。半妖は劣ってなどいない。とわはお前が思っているほど柔ではない」

「それは過信なのでは? その子が本当に強くなれる保障なんて何処にもない。例えばもしその優しさを誰かにつけ込まれて殺されたらどうするの」

「それはとわがそこまでだったということだ。状況にもよるが、その時は奴自身が悪い」

「お前は我が子の死を恐れてるのに、その弱さを許容してあげないの?」

「強くなければ何も成せはしない」

「お前は弱いこと、それ自体がまるで悪の様に語るな」

 

 箱の大妖怪は、その白濁した青い目を細めた。

 

「果たして、弱いことは悪なのか? 弱い部分がなければ、人は他者を理解出来ないぞ? そうでなければ、どうして人は手を取り合おうとするんだ?」

「……まさかお前は、この私にも弱い部分があると言いたいのか?」

「然り。お前は弱い。弱かった。しかし、だからこそ今、娘の気持ちを分かってあげようとしている。殺生丸、その弱さはお前の美徳だよ。弱さは時としてこの世で最も尊い物だ」

 

 大妖怪は朗々と語った。

 殺生丸はその金の瞳で、彼女を静かに見ていた。

 何かを感じる様に、ずっと。

 

「だがな、美しい物はいつだって儚いんだ。この残酷な世界は、それを許してくれないんだよ。そのとわという子の優しさは脆すぎる。殺生丸、もう一度言うが、お前なんかが、その優しすぎる娘を導けるのか?」

 

 大妖怪は問いかける。

 殺生丸は無言を貫いた。

 更に、箱の大妖怪は重ねて言う。

 

「お前は犬の大将のように、偉大な父上にはなれない。娘を守りきれなかった前科がある。お前の覚悟は甘かった」

「……」

「そこまで別れを恐るなら、いっそのこと自分で殺してみてはどうだ? ギヒヒ、それならばこれ以上、何も失わずに済むじゃないか! せつなも、りんも! 家族一緒、皆お前と共にいることになる! すべてと一つになれ、殺生丸!」

 

(な……!)

 

 有り得ざる提案。

 邪見も……そして殺生丸すらも僅かに目を見開いた。

 しかし狂言は止まることなく、女は笑い、泣き、絶叫する。

 

「愛する物は箱の中に閉じ込めよ! 愛は――愛は永遠に! 汚れるなら守らなきゃ!! 儚く消えるならば、消える前に永遠にしなければ! 怖い物全部排除して大事に守って一緒に遊んであげて、ああ、可愛い服も買ってあげなきゃ、これ以上我慢させない、ありのままのあの子が否定されないよう、素敵で理想が叶う世界へ。すべてを無駄にしたくないだろ? 何、子は自分の手で創り出した生命だ。私達大元がそれらをどうこうしたところでバチは当たるまい、子もそれを望んでいるに決まってる、私はもう何も奪わせはしない、この狂った世界を壊し、他の優しさで握り続す! 私は――」

「……哀れな」

「ギヒ?」

 

 ふと、そこで箱の大妖怪は声を漏らす。

 邪見は遥か遠くの主を仰ぎ見た。

 すると、長年の直感だろうか。

 何処か愁傷の念があるような……勿論、無表情であることに変わりはないが、何か思うところがあるような……そんな顔を、殺生丸がしているような気がした。

 

「かつての貴様はそうでなかったはずだ。噂通り、根本的な部分が壊れてしまっているらしいな」

「私が?」

 

 箱の大妖怪はきょとんとして聞き返した。

 

「何故だ。私は何処も壊れてなどいない。すべてを奪い尽くす。ただその私の使命に従って、何が悪いという」

「……貴様には確か、半妖の子供がいたな。貴様はそれを守ろうと必死になっていたと聞くが?」

「それが何か?」

「今度はこちらから問おう。箱の大妖怪。それは何故だ?」

 

 箱の大妖怪は答えなかった。

 それどころか、まるで戸惑うように身を震わす。

 

「貴様は弱いことを、まるで善のように語ったな。その弱さを――優しさを、かつての貴様は強さの裏返しだと思っていたのではないか? だからこそ、貴様は我が子の優しさを信じ、守ろうと動いた」

「……」

「しかし、何故今になってそれを否定する? そんなにも我が子が信じられなくなったのか?」

「お前には分からないことだ!」

 

 咆哮が響いた。

 それは大きな悲しみを持つが故の、怒りだった。

 

「私は見たんだ! 四肢を無くし、目玉を無くし、笑顔を無くした、無残な娘の死体を!! そうなったのは、娘が半妖だからだと教えられた!! それでどうやって強さを信じろと!? 私の生きた意味はなかった! 私の夫の思いは踏み躙られた! 私達の愛は……愛は何も成せなかったんだ!」

「――決めつけるな」

 

 しかし、叫びを前に、殺生丸は大妖怪を真っ直ぐ見据え、言った。

 

「結果だけを見てどうなる。貴様の思いは理解できるが……しかし、どうして、最後の最後まで、娘が誇り高く大切な物を守りきって死んだと考えられない。それ程までに愛情深い貴様の娘だ。半妖などという出自に負けず、立派に生きていたのではないのか?」

「……そんなのっ!」

「他人がどう言おうが、それは重要ではない。貴様の娘がどう生きたか、自ずと痕跡は刻まれている。それを貴様は信じればいいだけの話だ。娘のすべてを否定するな」

 

 そこまで言い、殺生丸は更に言い放った。

 

「私はどんなことがあろうとも、娘を信じ続ける。貴様の様に、それを放棄したりなどしないわ」

 

(殺生丸様……)

 

 その愛情、娘への信頼。それがどれだけ深いものか、その短い言葉の中にすべてがあった。

 邪見は、ああ、と思う。

 どんなに愚かだろうと、どんなにこの方は間違いなく、立派な父親なのだと。

 こんな状況であるにも関わらず、胸が熱くなるのを抑えられない。

 

 一方で箱の大妖怪は酷く動揺していた。

 反論しようと必死に言葉を紡ぐ。

 

「ギ……ギチチ、キキキキ!! 馬鹿なことを言うな、妖怪! 私が娘を否定しているだと? そんなことが有りえるものか! 私のすべては私の子供達だぞ!?」

「そのためになら、我が子から何もかもを奪い尽くすというのか?」

「何が悪い! だって全部、欲しいんだもの! その尊厳すら、踏み躙っても構わないに決まってる!」

「支離滅裂だな。最早貴様は悪霊の類だ。その救いは死のみだろう」

 

 殺生丸は低い声に慈悲を混じらせた。

 その力を昂らせると、青い妖力が全身から立ち上り、光輝か、はたまたオーラの様に滲み出て、帯電する。

 女もそれを見て、黒板に爪を引っ掻く様な狂音を響かると、最初の時の様に触手から無数の肉の芽を生み出す。

 ぶつかり合う妖気の規模はますます膨らみ、世界を皺ばませる。

 呼応する様、遂に灰色の雲からは豪雨が降り始め、おどろおどろしい落雷が走る。

 

 そして、轟音とその光が弾けた瞬間――

 

「ギキキキキキキキキキキキキキキキキ!! 喰らい尽くせ!!」

 

 肉の芽から産み落とされるは、千をも超える万の妖怪の群勢。

 一国どころか日の本を一瞬にして制圧せしめる、圧倒的な力を持つ悪夢の大群。

 それが、ただこの殺生丸を殺さんがために、大海の大波の如く、一斉に向かう。

 

 邪見はいつもの様に、ただ殺生丸を信じていた。

 殺生丸は妖気を爆砕牙へと収束させる。

 

「蒼龍波」

 

 刀が振るわれると同時、万雷の妖力が――蒼い巨大な龍が放たれる。

 龍は触れるものすべてを飲み込んだ。

 その前に、数など最早関係ない。

 万の群勢は一秒……否、それよりも短い時間で焼き付くされた。

 

 女の白濁した青い目が見開かれる。触手で防御しようとするが間に合わない。

 そのまま青い龍に貫かれた。再生するスピードも追いつかず、今度こそ全身を焼き尽くされる。

 

「あれは……!!」

 

 そして後に残った物は、何なのか。

 宙に浮かぶ、小さな金細工を使った豪奢な小箱。

 直感する。

 間違いなく箱の大妖怪の本体だ。

 殺生丸はすぐさま破壊しにかかった。

 

 しかしその済んで。

 突如箱を中心に空間が歪み、その姿が掻き消えた。

 破壊の痕跡のみが辺りには広がり、その中で豪風の音が響く。

 邪見はそれを改めて戦慄と共に見続け、だが、ぽかんとして思わず呟いてしまう。

 

「に、逃げた……?」

「……いや、どうだろうな」

 

 その呟きに返事が一つ。

 気がつけば、爆砕牙を腰に差し戻した殺生丸が、ふわりと降りてきていた。

 邪見は感激のあまり泣きながら大木から飛び降り、豪雨に打たれながらも殺生丸に近づく。

 

「せ、殺生丸様! ご無事ですか!!」

「私を誰だと思っている」

「ははあ、確かに!」

 

 邪見は平伏した。

 心底からホッとしていた。

 そうして余裕が出てくると、愚痴というのも出てくるもので、邪見は軽い口調で言った。

 

「さっきは大変でございましたなぁ。いきなり襲い掛かられてどうしたもんかと思った次第で、本当、命が二つあっても死んでしまうから、早く倒してくれないかなとか、逃げたくて仕方がなかったのですが、しかし、殺生丸様はあの愚か者めを撃退せしめた。いや、お見事です」

「邪見」

「はい……あ、違います、別に不満があるって訳では、ぐえ!?」

 

 邪見は殺生丸に蹴り飛ばされた。

 そのまま、ポーンと遠くまで飛んでいく。

 そして、どしゃ、と水溜りに頭から突っ込んで泥だらけになって、邪見は慌てて飛び上がり、

 

「ん? 何じゃこれは?」

 

 ふと、ある物を発見する。

 それは玉の飾りがついたシンプルなデザインの簪だった。

 正直安物で、ゴミと言っても良い。

 邪見は一旦手にとったものの、捨てようとした。

 しかしそこで、殺生丸が止める。

 

「邪見、それは取っておけ」

「は、はい! かしこまりました!」

 

 訳が分からなかったが、主人の言うことならばと、邪見は頷いた。

 殺生丸はそれを見遣ると、次に遠くの茂みをじっと見つめ……呟く。

 

「出てこないのか。貴様だろう、あの箱の大妖怪を私にけしかけたのは」

 

 しかし、返事は何も返ってこなかった。

 代わりに、がさりと物音がしただけ。

 殺生丸は銀の髪を風に靡かせ、興味を失ったように歩き出した。

 

「ま、待ってください、殺生丸ー!」

 

 その後を慌てて邪見が追いかけていく。

 殺生丸は何処へ行くのか。

 やはり検討もつかず。

 にも関わらず殺生丸の足取りはこの時も迷いがなかった。

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