変わらぬ日々が続いていた。
りおんの世話をして、妖怪を退治して、とわと逢瀬をする。最近、せつなともろはも遊びに来るようになった。勿論、目的はりおんだ。相変わらず理玖を見る二人の目は厳しい。
特にせつななんかは、妙な真似をしたら殺す……と無言の圧力を感じる。気のせいか、その手に持つ薙刀の輝きも以前より鋭い。
事実、「この頃せつな、気合い入ってるのか、武器の手入れを頻繁にやってるんだ。仕事熱心だよね」……なんて、とわは言っていた。その無垢な笑顔が可愛らしい反面、内心密かに震え上がったのは言うまでもない。
そのため、せつなの前ではとわに手を出せず、理玖はかなり忌々しく思っていたのだった。
とはいえ。
とわとの時間が減ったかというと、そんな訳ではない。
前にも言った通り、せつなともろはの目的はりおん。
逆に嫉妬したくなるくらい仲良くしていて、時折この三人で出かけることもあり、理玖ととわが置いていかれることも多々あった。
それにせつな達は、なんだかんだ理玖のことを認めてくれているらしい。
仲を引き裂こうとか、邪魔しようとか、そういった雰囲気は見受けられない。若干、不満たらたらなオーラはあるが……そこはまあ、ご愛嬌というものだろう。
それなりに話すし、場合によっては共闘もする。彼女達との関係も悪くない。
理玖は毎日、何だかんだ、楽しい生活を送っていた。
その一方で、りおんについての悩みは、未だ解決できていなかった。いくら考えても、どうすればいいのか答えが見えなかった。
更には、若葉と思しき女との邂逅。何故か聞こえてきた“声”。あれらが一体なんだったのか、気になってしょうがなかった。
普通なら、誰かに相談しなければならないと思うところだろう。
しかし理玖は、誰にもこのことを言えなかった。とわにも、りおんにも、他の人にも。
理由はいくつかあった。
でもどれもが、はっきりと分っている訳ではなかった。恐らく色んな感情が混ざって、ぐちゃぐちゃだったせいだろう。
思い出すのは、決まって“声”が言ったことだった。
――『愛されるものは、儚く散ってしまう。散ってしまうなら、閉じ込めないと。失われる前に』
――『半妖に未来はない。半妖に希望はない。半妖に幸福などない。半妖は生まれてきてはいけない命なのだ』
――『……少女の幸せに、お前は必ずしも必要ではない』
――『お前の代わりはいくらでもいる』
―― 『お前は所詮、少女がどう言おうが、中身が空っぽなお人形なのだ。お前は少女に相応しくない』
理玖は一人の時、必ず頭を抱えて悩んだ。“声”は止まらなかった。当たり前だ。それは自分の内側から零れ落ちた、本音なんだから。
無視も、誤魔化しも、出来るはずがない。目を逸らすことは許されてない。ただ理玖に出来ることは、否定しようとすることだけ。
黙れ、黙れ、黙れ――黙ってくれ。
おいらはこのままで良い。とわは幸せになって良いと言ってくれた。こんな自分でもとわは好きになってくれた。だったら、自分はとわの側にいたい。おいらは彼女を愛する権利がある。
いいや、いいや、違うな、馬鹿め。
思い上がるな、お前の素性を思い出せ。
お前は麒麟丸の角、彼女の敵。お前は散々、とわを苦しめた。殺そうとした。それなのに、そんな今更、虫の良い話があるのかよ。彼女の言葉を、都合良く解釈してるじゃない。そもそも、お前のことを受け入れてくれたのは、単純にとわが優しいだけだ。つまり、とわは誰に対しても、ああなんだ。ほら、お前は特別でもなんでもない。お前はいてもいなくてもどうでも良い。
汚れは消え去れ、今すぐに。お前はとわの元にいるべきじゃない。とわを殺そうとしたお前は、どうせまたとわを苦しめるしかない。
(――でも)
けれど……でもと、そこで思ってしまう。
でも、嫌なんだ、と。
だって、やっぱりそんなこと出来ない。
とわのことが物凄く愛おしい。
一緒に笑って、全部、独り占めにしたい。
特別でないなら、ちゃんと振り向いてもらえるよう、努力するから。一番にとわのことを考えて、一番にとわを大切にする。彼女の幸せのために。
それに……万が一特別になれなくたって、とわの未来を側で見守るくらいなら、別に良いだろう?
そのくらい、そのくらいなら――
(……だけど)
しかしまたしても、渦を巻く否定の思考。
こんな自分じゃ、やっぱりとわを傷つけることになると思ってしまう。そんなの受け入れられない。こんな……こんな独占欲、恐怖の押し付け――自分勝手だ。嫌になる。
それだけじゃない。とわの未来を信じたいのに、思い浮かんでしまうのは、いつだって最悪のケースなのだ。
それは半妖という出自が、とわを殺す未来――
その度に、いっそのこと……なんて、考えてしまう。
もう訳が分からない。頭がパンクしそうだ。
理玖はずっと――ずっと終わらない苦しみに、溺れ続けていた。
ところで。
実は言うと、女の“声”が齎した変化は、何も悩みだけではなかった。
何故か理玖は、あれ以来夢を見るようになったのだ。
それはもう忘れ去ってしまっただろう、遠い昔の記憶だった。
その中で理玖は、四方と相対していた。
恐らく、彼女を送っていた最中だったのだろう。
乗っていたのは小さな艀船。漕がずとも海上の上をゆっくりと進んでいて、辺りは不気味なほど静かだった。
当然、波はない。風が止んでいる。空は淡い夕焼けだ。後から聞いた話によると、この現象は夕凪、というのだという。海風から陸風に変わる時間、名前の通り、一時風がなくなるのだ。
「……」
四方はその光景を前に、黙って複雑な顔をしていた。
やはり、その表情の意味はよく分からない。
よく分からないから、考えても意味がなかった。
……と、理玖はふとそこで、聞いてみたのだった。
以前から気になっていた、大妖怪の矛盾とも言うべき疑問を。
――貴女は何故、“子供を愛している”というのに、恋や愛が分からないのか?
すると、四方はこう答えた。
感情は理解できる。だが、感情の動き方が予測できず、分からないのだと。やはり、自我が元々なかったが故に、心の揺らぎそのものにも疎かったのだろう。
一体何のために。何があってそんな感情が発生したのか、気になって仕方がないのだと、四方は自嘲した。
彼女は語る。
なんでも生物は、二重の螺旋、情報の鎖が連なって出来ているらしい。それは親から子、子から孫に伝わり、生物はこの伝達を存在意義とする。自身の証を残すために、生物は生きているのだ。そして恋や性欲はそのための手段であり、母性愛というのも、子を守るために存在している。
だが自分は――箱の大妖怪は、生物ではない。そして、ありとあらゆるものを保存できる。たとえ失われても復元、再現が可能だ。
それは、所有欲の権化としては当たり前の機能だった。理想の世界を作り、消失の概念を否定するのが、箱の大妖怪の役割なのだから。
「つまりはね――愛や恋なんて感情、私には不要なものなのよ」
四方はおかしそうに肩をすくめた。
「私は私の情報を永遠に保持し続ける。生命の鎖を他に伝える必要性がまるでない」
「……だから、今の状態は間違いだとでも言いたいのか?」
「そうとも言う。そもそもこの自我こそ、箱の大妖怪としてはいらないものだからね。私はもう道具としては壊れてる。だからこそ、私は理由が知りたい」
――どうして、私は未来を願ってしまうのか。私が私でいる意味は?
「いつか答えを見つけるまで、足掻き続けるの」
四方はそう言って、少し微笑んだ。
理玖は目を瞬いた。
その青い瞳は、何処までも何処までも澄んでいて、まるで光刺す深海だった。
「貴方もどうして、自我なんてあるだろうね。分身とは言え、ただの角だったのに。……ああ、馬鹿にして言ってる訳ではないよ。純粋に、その意味を考えてただけ。貴方の可能性に、思いを馳せただけなの」
「……」
「貴方の未来は、きっと想像以上に面白いと私は思うな。もしかしたら運命的なことがあるかも。例えば、大変な人を好きになったりとか」
「……おいらが?」
呟かれた言葉に聞き返す。
そんなのあり得るわけない。
その時の理玖は、心の底からそう思った。
しかし、四方はその考えを否定する。
「人生というのは、時に予想外でずぞ? 何が起こるか分からないのが運命なのよ」
「運命……」
「いつだって物語は、唐突に始まるのです」
必ずしも、めでたし、めでたしで終わるほど、甘くはないけどね。
四方は優しく笑った。
そうして理玖の手に、ぽとりと何か、珊瑚の枝のようなものを落とす。それは触れた瞬間、まるで雪が溶けるみたいに、ふわりと消えてしまった。
思わず変な顔をすると、まるで悪戯が成功したみたいに、四方は口元に人差し指を立てているのだった。
「さあ、貴方にとって恋とは、愛とはなんなのでしょう。それを見つけられるかな?」
――何度も見せつけられた夢は、泡沫みたいにパチリと消えてしまった。
理玖の意識は浮上していく。
鳥の鳴き声。静かに草木を揺らす風の音。
それらに混じって、優しい、優しい歌声が聞こえた。
曲は知らない。聞いたこともない不思議な子守唄。でも穏やかで、心がぽかぽかしてくる。
それに、さらりさらり、何か柔らかい手が髪に触れていて、すごく気持ち良い。
このままずっとこうしていたい。こんなに心地いい微睡は、生まれて初めてだ。
けど、相手は理玖が起きてしまったことに気づいたらしい。
歌を止めてしまう。
ちょっと残念に思っていると、代わりに彼女は、名前を呼んでくれた。
「理玖」
「……とわ様?」
目をぱちりと開けば、目の前には愛おしい白銀の少女の姿があった。
理玖の頬に手を添え、真正面に座る形で、こちらの表情をじっと覗き込んでいる。
距離が近い。
その柔らかさ、暖かさも伝わってきて、ふわりと香る甘さに、思わずごくりと喉を鳴らす。不幸なことに逃げ場はなかった。理玖は背を大樹に預けて寝ていたので、下がれなかったのだ。
少女の方も、理玖と視線が合うと、ちょっとだけ顔を赤くさせた。
理玖としては全然良いのに、今更気まずくなったのか、少し謝ってから手を引っ込めてしまう。そのまましばらく黙ってしまい、長く無言の時間が流れる。
それでも、やがてとわは、本当に嬉しそうに、ふわりと微笑んでいた。
「おはよう、理玖」
(……!)
否応なく理玖の心臓が飛び跳ねる。
いつもながらとわの笑顔は可憐だ。しかもこんなに近くで見ると、普段よりもっと可愛く、魅力的に見えしまう。
「え、ええ。……おはようございます、とわ様」
恥ずかしさを無視し、理玖はなんとか平静を装ってそう返す。
幸い、内心の動揺が伝わってないらしく、とわは訝しがることもなかった。
「おいらは、いつの間に寝ていたんですか?」
「そんなに長くないよ。一時間ぐらい」
「……すみません、ご迷惑おかけしやしたね」
「そんなことないよ。……理玖の寝顔、結構可愛かったし」
「え?」
最後の方、何かゴニョゴニョと言ったので、理玖は首を傾げた。
すると、とわはぶんぶんと首を振り、慌てたみたいに「何でもないよ!」と声を上げた。
そして、誤魔化すように、
「ま、まあ、眠くなっちゃうのは仕方ないよね。今日はあったかくて気持ち良かったし、普段の疲れもあっただろうし」
とわは理玖の隣まで移動し、ぴたりと寄り添った。
そういえば、寝る前はこんな感じだったな、と思い出す。
今日は月の終わりで、初めが忙しかったこともあり、二人とも大分暇だった。りおんがせつなともろはと一緒に出かけたこともあり、天気も良いから、のんびりと“ぴくにっく”をしたり、日向ぼっこをしたりしていたのだ。
……ちょっと長くいすぎて、もう空は少し、赤くなってきているけど。
「……」
まだ意識がぼんやりする中、理玖は顔を上げた。
紅の夕焼け。こんなに晴れて綺麗なのは、いつ振りだろう。遠くでは、再びピロロロ……と、鳥が鳴いていた。
とても穏やかな時間だった。
とわと二人、同じ時を共有し、同じものを見ている。それだけで理玖の心は酷く安らぎ、また眠気が来てしまいそうだった。そうして、再びうとうとし始めたタイミングで、とわが話しかけてきた。
「……理玖」
見れば彼女は、思い返すみたいに目を細めてる。
理玖も同じように目を細めた。この表情をしてるとわは好きだった。
「……結構私達ってさ、こうして一緒にいる時間、長いよね」
「はい、もう随分と……」
「これから先も、ずっとずっと、こんな風でいれたら良いよね」
「ええ」
理玖は頷く。
幸せで、ふわふわして、何もかもが輝いているような。
ああ――もっと、もっと、貴女といたい。
「それだけじゃなくて、皆といる時間も楽しいよね」
「……そうですね。りおんお嬢様は言わずもがな。せつなさんともろはさん、案外、面白いです」
「でしょう。……それとね、母上と父上も、良い人達だよ。犬夜叉さん、かごめさんだって。楓お婆ちゃんとか、色んな人達もそう。今度紹介しようか?」
「良いんですか?」
「勝手かもしれないけど、皆と仲良くなってくれたらなって思うんだ」
だって私、理玖が大好きだから。もっと理玖のことを、皆に知って欲しい。
心の底から、とわはそう言ってくれた。
「……」
理玖の体に、きゅぅと、何度も感じた感覚が走る。
とてもとても、耐えられそうにない。むず痒くって、嬉しくて、理玖の口の端がニヤケそうになっている。こんな単純なことで、どうしても心は舞い上がってしまうのだ。
そんな様子に、とわは微笑ましそうにして、
「……ありがとね。色々と」
と、何故か急に、礼を言われた。
「どうしたんですかい、突然」
理玖は不思議に思って聞いた。
とわは人差し指で頬を掻き、迷うように言葉を紡ぐ。
「えーとね、改めてお礼言わなきゃないなって思って。うまく言えないんだけど、理玖はいつも助けてくれるし、話もしてくれてるし。……その、なんというか、理玖といると、いつも楽しいんだ。すごくドキドキして……」
「……」
「だからね、今の私があるのって、理玖のおかげなんだと思う。それで私――」
そこから先、とわの口から続きが出てこなかった。
少しはにかむみたいな口元。伏せられても分かる、何か暖かく、強い感情を宿した瞳。それを見ていると、どうしてだが先ほどの感覚とは別の理由で、理玖の胸が詰まる。……ちょっとだけ勘違いして、期待してしまうというか、りおんの言葉を思い出すというか。
――『それに、とわ様の方も貴方の思いに薄々勘づいて、ずっとずっと待っておられますよ。とわ様も貴方と同じなんです』
(い、いや、まだ……まだそうと決まった訳ではない。そうと決まった訳では……)
頬が熱くなってくるのを感じ、理玖は頭の隅から邪念を追い出す。
このままではまともにとわの顔を見れそうにない。それに、側にいていいかどうか、自信もなくなってきていたから。……まともに確認する勇気なんて、あるはずもなかった。
「おいらの方こそ……です。おいらもとわ様のおかげで、毎日とても楽しいです」
「うん、ありがとう」
理玖がしどろもどろになりながら答えると、とわは柔らかくそう返事を返してくれた。
「でも、最近私、理玖に甘えてばかりだよね。何だかいつも、お世話になってる気がする」
「そうですかい?」
理玖はきょとんとなる。
確かにとわの言う通り、彼女の用事を手伝ってあげたり、悩みを聞いてあげたりしてる機会が増えている気がするが……でも、だからといって別に迷惑ではない。むしろ望んでやっていることだ。とわの役に立つことは、密かな充実感を理玖に齎してくれる。
けれど、とわは罪悪感を感じているらしい。
やはり優しい方だな、と思った。
「とわ様が気になさることではありやせんよ」
理玖は気遣うような口調で言った。
「こっちは好きでやっているのです。構わず、今後もどーんと頼って下さい」
「そうは言うけど……」
しかし、素直に思っていることを言っても、とわはちょっと渋い顔。
納得してない様子で言い返す。
「けど、親しい仲にも礼儀ありって言うじゃん。やっぱり、そう甘えてばかりだと、理玖に迷惑だよ。今度はこっちの番。今度は私が理玖の力にならせて」
それから一呼吸置いて、唐突に意を決して表情になると、
「ところで理玖ってさ、ここ最近、何か悩んでない?」
「へ?」
隠してるはずの心の内を読まれて、理玖は素っ頓狂な声を上げた。
どうして……何故バレてしまったのだろう。ただの偶然? いや、まさか本当に……。
理玖はぐるぐると考えた。とわの視線が痛い。
耐えきれなくって、とりあえず悪あがきのように、彼は笑いながら誤魔化した。
「いや、そのようなことはありませんよ。おいらは何も悩んなどおりやせん」
「……嘘つき」
とわの一言がぐさりと刺さる。
理玖はショックで、う……っと、呻き声みたいな心の声を上げた。正直言って、鳩尾を直接殴られるより苦しい。
「バレバレなんだって。最近難しい顔してるし、誤魔化せないよ、理玖」
「……っ」
「ていうか、何でそんなこと言うの。私達、約束したじゃん」
「約束?」
「ほら、一緒に居場所について考えようって」
真っ直ぐな瞳で、そんなことを言われる。
理玖は息を飲んだ。こんなにもすっと心に響くのは、きっととわが真剣だからだ。
「私、最近夢を見たんだ」
「夢……ですか?」
「よく覚えてないんだけどね、私はそこで、一人ぼっちでいる誰かと、何か話してた気がする。とてもとても不思議な夢だった。……その人に凄く助けられたような……それなのにモヤモヤするような、変な感じ。……後から思うに、私はその人を助けられなかったんじゃないのかな。多分、彼女は自分のことなんか、全然――」
「……」
「理玖。理玖も少し、その人と同じだよね。一人で何でも抱え込んじゃう。自分じゃなくて、私やりおんや、大切な人を優先する――“あの時したように”」
とわの目つきが、ちょっと鋭くなった。付け加えて、やけに主張する“あの時”という単語。
……もしかして麒麟丸との戦いでの、あれやこれやの無茶を怒っているんじゃないだろうか。
何処か居心地が悪くなり目を逸らすと、「もうあんなことしないでよね」と言われた。……やはり、いつの間にか心を読まれるようになっている。
「けど、それってなんか嫌なんだ。これも何でだか分かんないけど、自分を犠牲にするの、良くないっていうかさ……。私も私を大切にするから、理玖も理玖を大切にして欲しい」
「……」
とわの言葉は、まるで魔法みたいに暖かい。
泣いてしまいたくなるほどだった。
……どうしてこの人は、こんなにも自分のことを思ってくれるんだろうと、理玖は思った。
ただの角で、分身で、生命として紛い物の自分を――とわは否定もせず、ありのままに認めようとしてくれる。
(何で……)
「大切だから、心配なんだよ」
彼女はその疑問に答えるように言った。
ハッとする理玖に微笑み、彼の手に自身の手を重ねる。
「私は不安なんだ。私は理玖が一人ぼっちになるのが怖い」
「……そんなことは。別においらは、一人なんかじゃありやせんよ。りおんお嬢様がいます」
「でも、そのりおんがいなくなったら、理玖はどうするの?」
目を見開く。
何故その話を知っているのかと、理玖は視線だけで問いつめる。
とわは静かに答えていた。
「りおんから聞いたんだ」
「りおんお嬢様から……?」
「りおん、寂しそうに笑って、理玖のこと心配してたよ」
理玖は、りおんのことを思い浮かべた。
可憐で儚い少女。ずっと長い間、閉じ込められていた少女。奪われていた自由と尊厳をやっと取り戻し、それなのに最後の時を迎えつつある彼女は、とわと同じく優しくて、理玖のことばかり気にしてる。そしてとわの前でも、やはり理玖のことを思っていてくれたらしい。
(……、本当にこれで良いのか)
ふと、そう思ってしまう。
何だか、すごく申し訳ないような。
いっそ、理玖のことなんて忘れて、もっと自分勝手になれば良いのに。幸せになって、貪欲に生きて、りおん自身のために……いや、違う。理玖のために、消えないで欲しい。
(……結局、おいらは怖いんだな。昔からの縁がなくなるのは。そして罪悪感があるから、自分が楽になりたくて、それでりおんお嬢様の幸せを――)
「……」
理玖は恥ずかしさのあまり、黙ってしまった。
それはまったく、醜いエゴでしかなかった。
だが、晒したくない部分でも、とわは認めるように理玖から目を逸らしはしなかった。
そして、「理玖」と名前を呼んで、確認する。
「理玖って、六百年も生きてきたんだよね?」
「ええ……」
「それってどんな感覚なの?」
「どんなと言われましても……」
よく考えたことがない。
すべては当たり前のことで、長い時を生きるのは、理玖にとって何でもないことだった。
でも、とわには違うように思えるらしい。
「家族と会えるまでずっと生きるって決めたけど、流石に五百年は、長くて気が遠くなりそうだよ。それと同じくらい生きたって、正直、全然想像がつかない。……そしてこれから先も、理玖はきっと、何百年も生きていくんだよね?」
「……まあ、恐らくは」
「つまり、りおんがいなくなったら、理玖はそれだけ長く苦しむってことになるじゃん――ずっと一人でさ」
「それは……」
言い返すことが出来なかった。
それが理玖の、恐怖の根源だからだ。
「でも私はそんなの、許せない。りおんがいなくなった後でも、理玖には沢山笑っていて欲しい。それがりおんの一番の望みでもあるし、だから……ほらさ。私も長く生きる分、理玖が寂しくたって、ずっとこの後も――」
「へ――」
その言葉に、理玖の思考が止まる。
それって、それってつまりは――
「え、あ……いや、その――」
「あ……ご、ごめん! これは別に、そういう意味ってことじゃないよ!」
とわは自分の言った内容に気づき、照れたように慌てて否定する。
理玖も「ですよね!」と同意した。
……本当は言ってて、ちょっと虚しくなったのだが。
だが、それもお門違い、というやつなのだろう。だって、こっちが勝手に期待して、落ち込んでるだけだし。
(だから、そんなのは――)
――そんなのは、とわに悪いから面に出さないようにしないと。
理玖は意識的に、なるだけ、なんでもないように表情を装った。
いつもしているすまし顔だ。これで心を読まれることは、もうないだろう。とわにも迷惑なんて――
(……あれ?)
理玖は違和感に気づき、きょとんとなった。
なんだか、とわが少し、不満そうというか。
頬をちょっとだけ膨らませ、まるで拗ねた子供みたいな表情をしているのだ。
「と、とわ様? どうなされたので?」
理玖はすぐに、何か不味いことでもあったのかと、恐る恐る尋ねた。
だが、とわは無言のまま、察してよと言わんばりにじっと見てくる。
理玖は少し慌てた。
当然、その脳内は困惑の二文字で埋められており、考えれば考える程、平静を装っていた顔も崩れ去る。そして、何とか機嫌を直そうと、頑張って言葉を紡ごうとして――クスクスと笑い声がした。
いつの間にか、とわの不満顔が、笑顔に変わっているのだ。
それを見て、理玖もほっとすると同時、口元を緩ませた。
「……もう、そこまで笑うことないじゃないですか。さては、からかったので?」
「そうじゃないけど。でも何だか嬉しくてさ」
とわは自分でも言ったみたいに、何故か酷く上機嫌だった。
それがちょっと不思議だったが、まあ、笑顔だったら何でもいいか、と考え直した。この顔が見れただけで充分だ。
そう思い、理玖はそっと、穏やかな笑みを浮かべた。すると、瞬間、とわは眩しいものでも見つめるように――愛おしいものでも見つめるように、瞳に熱を灯す。
「やっぱり、そっちの顔の方が好きだよ、理玖」
「……、とわ様?」
「さっき言ったみたいに、沢山理玖には笑っていて欲しいな」
そう言ってから、とわは理玖の手を包む両手を、軽くぎゅっとした。それは暖かな――本当に暖かな温もり。「ね、理玖。悩んでるのって、きっとりおんのことでしょ?」
「頼りないかもしれないけど、私に話してよ。私、理玖の力になりたい。そして、この先もずっと、ずっと一緒に――」
「……」
理玖の喉の奥が、ぐっと鳴った。
見つめてくる紅の瞳は真っ直ぐで、とても逸らせそうにない。
本当に……本当に嬉しくて胸がいっぱいになる言葉だった。
しかし、だからこそ、理玖は激しく迷ってしまう。
別に、幸せになることを恐れてる訳じゃない。まだコンオプレックスは消えてないけど、とわのおかげで、理玖は理玖なんだと思える。自分のことを大切にしても良いのではと、少しぐらいは思える。
ただ、あの“声”のせいで、気づいてしまったのだ。その理玖の追い求める幸せとは、鳥籠に入れて、束縛したいという欲そのものなのだと。
きっとそれは、風みたいに自由なとわを殺すだろう。
愛するとわを、自らの手で消してしまうということだ。
そんなこと、認められる訳がない。とわの笑顔がなくなるくらいなら、理玖はどうなったって良い。この気持ちを押し付けるわけにはいかない。
(それに“声”の言う通り、正直言ってとわ様は、おいらがいなくても前を向けるじゃないか。家族に会うため、長い時を生きるという目標を、おいらの相談なしに、自分で見付け出されたのだから。つまり、おいらが出来ることなんてのは――)
――何もない。
そんな自分が、とわの横にいる意味とは一体?
「……」
その結論は、とても出せそうになかった。
理玖は何も答えられない。
とわが不思議そうな顔をする。
「理玖?」
「……何でもありやせんよ」
理玖はニコリと笑いながら言った。
自分のことを最低な男だと感じた。誤魔化しちゃいけないのに、誤魔化してる。とわの思いを踏み躙ってる。
(そのおいらに、貴女を幸せにする権利は、あるのでしょうか)
――貴女が受け入れてくれるならと、傲慢にも自分のことばかり考えていたおいらに。
「……さあ、じき夜です。帰りやしょう」
理玖は立ち上がり、とわの手を優しく離した。
とわは納得のいかない様子だったが、理玖の言うことも事実のため、「うん」と頷き、続いて立つ。そして何かを言おうとして――
「……!!」
ピクリ。
突如として目を瞬かせる。
「とわ様?」理玖はびっくりして話しかける。すると、とわは神妙な面持ちのまま、言った。
「血と、妖怪の臭いがする」