遥かな永遠を一緒に   作:鐘餅

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断章
断章 後日談 姉弟の絆


 吉利支丹の教典、聖典。

 そこには俺の知らない世界があった。

 

 神の国。楽園。イエス様。

 正直言って、よく分からないことばかりだったが、その考え方は衝撃的だった。

 

 隣人愛。アガペー。

 

 即ち隣人を自分のように愛すること。

 嫌っている人のために祈ること。

 

 出来るわけがない、と思った。

 俺は自分も他人も憎いのだ。受け入れられないし、心の傷も消えない。しかし、氷河湖は言った。

 

 ――拒絶しても良い。これはあくまでも考え方の一つだ。無理する必要はない。

 

「……」

 

 ――ただ、人を恨んでも良いが、愛を忘れないようにしなさい。本当に大切なものも見失ってしまうから。

 

 ……意味が分からずとも、そう笑った氷河湖の顔が印象的だった。

 

 だから深く考えた。深く、深く。それで最初に思い浮かんだのは家族のこと。俺にとって一番大切な宝物だ。だが、氷河湖の言ってることとは少し違う気がした。

 

 じゃあ、本当に大切なものって何だろう。

 

 悩む内、気がつけば何日も時間が経っていた。その頃、俺はよく雲雀と喋るようになっていた。氷河湖は体力の消耗で殆ど眠っていて、そうなると必然、二人きりになるのだ。

 

 彼女とは色んなことを話した。

 大陸のこと、吉利支丹のこと、氷河湖のこと。

 何でもないかのように、既に互いの言語を混ぜながら俺達は会話をしていた。二人だけの言葉で心を通わせる内、俺は雲雀のことを前よりもはっきりと知っていった。

 

 雲雀は、俺と同じようなものだった。

 誰からも受け入れられず、誰からも認められず。

 両親から愛された記憶もなく、けれど殺された事が悔しくて悔しくて、弱いから強くなろうとして、結局妖怪の群れに行ったけど反抗できず地下牢にぶち込まれた。最後はこんなところまで逃げて来て恥ずかしい。伯父にまで迷惑をかけてやってられない。

 

 雲雀は一度、泣きながらそんなことを言った。俺は彼女が人一傷ついているのだと思った。だが、それならどうして吉利支丹なんて受け入れる。愛なんて分からないだろう?

 

「なあ、どうしてそんな綺麗な考え方が出来るのだ? 俺は心の底から妖怪の人間も許せないぞ」

「私もよ」

 

 聞けば予想外なことに、雲雀は同意した。

 目に獰猛な光が浮かび、思わずゾッとすると、彼女は呪詛のように呟く。

 

「アイツらをすり潰してやりたい。嬲り殺してやりたい。この手で引きいてやりたい。父上達をぺちゃんこにしておいて、よくも、よくも――」

「……」

「でもそうやって憎んで、憎んで、憎んだ果てに何があるのかなって思った。私の両親を殺した奴等も、結局元は父上からすべてを奪われた奴等だし。私はなんだか虚しくなったわ」

 

 そこから雲雀は力が抜け出たようだった。

 

「要は疲れたの、基本的に。足掻いても足掻いても現実は変わらない。何処かで感情を断ち切りたかった。それだけ」

「それだけ……か」

 

 だから自分を変える努力をしようとしたのだろうか。他者を愛することで、自分を憎しみの連鎖から解放しようとして。

 嫌ってる連中と同じにならないために。

 

「……そんなやり方もあるのだな。俺も吉利支丹を信じれば君のように変われるだろうか」

「貴方も人を好きになりたいの?」

「分からない。でも、俺は多分……皆が羨ましいんだ。愛されたり、人から好きになられたり。そんな当たり前の安らぎを俺も欲しかった」

 

 気が付けば俺はそう答えていた。

 こんなに弱みを言えたのはいつぶりだろう。婆やにも姉様にも言えなかった本音。雲雀は不思議だ。初めて会った時もそうだけど、どうしてするりと話せるんだ?

 

「……」

 

 そう疑問に思った時、俺を見てくる雲雀の目と合った。

 綺麗な目。心の底から俺を案じてくれる瞳。

 そこに浮かぶ色は、普通のそれと何かが違った。熱があり、執着があり、でも暖かいのだ。それが何と呼ばれているのか俺は漠然と知っていた。けれど、まさか自分がそんな対象になろうとは思いも寄らなかった。

 

「……き、君は、もしかして俺のことが好き……なのか?」

 

 思わず動揺して聞くと、雲雀は恥ずかしそうに、そして今更なのかと言わんばかりに、目を細めた。

 

「どうして俺なんかを。俺なんて弱くて、何の価値もないのに――」

「助けてくれたから」

「へ?」

「言葉も通じないのに、助けてくれた。それが理由じゃ、駄目?」

「……」

 

 俺は言葉も出なかった。

 なんてことはない。歩み寄った分、優しさが返ってきた。ただそれだけのこと。

 でも……俺は嬉しかったんだ。

 

 自分の運命と、生まれた意味。氷河湖の言っていたことをすべて悟るくらいには。

 

「ハ……ハハハハハハ……ハハハハハ」

 

 俺は笑いながら泣いた。

 今までなんて馬鹿だったんだろう。怖いからって、何もせず、殻に閉じこもってばかりで。一歩を踏み出せば、こんなにも簡単に“愛”は見つけられた。“見失うってのは”、こういうことだったんだ。

 

「あの、大丈夫?」

 

 泣いてる俺を、あたふたと心配してくる雲雀。

 それがおかしくって、俺はまた別の意味で笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから、俺は氷河湖の教えを素直に聞くようになった。

 氷河湖の教えはやっぱり綺麗事だ。

 何処までも甘い理想論。けれど信じてみようとも思った。見えないことも見たいと思った。

 

 俺の在り方はこの時定められた。

 

 しかし一方で氷河湖は長くない。熱に魘され、喘ぎ。酷い苦痛に苛まれている。

 

 俺はそんな姿を見ていられなかった。

 せめて安らかに逝けるように。氷河湖や雲雀と話し合い、意思を聞いた上で彼に毒を飲ませた。

 安楽死だ。

 

 ……その際、本人からは感謝されたっけ。礼として遺体を活用するよう言われた。俺も彼を忘れたくなかったので従った。

 

 そうして、俺は氷河湖の頭蓋を被り、毛皮を纏い、残された雲雀に問いかける。

 

「これで本当に良かったのか?」

「ええ……冬季妖一族の体は丈夫だから。妖力を流せば鎧より硬くなる」

「そうじゃなくて。遺体をこんな風に扱われて良いのか?」

「彼が望んだことよ。氷河湖もきっと喜んでる」

 

 雲雀は素直に微笑んだ。嘘偽りがない綺麗な笑顔。けど――

 

「君はこの先……どう生きていくというのだ」

「一人で頑張る。こう見えて私は強いのよ」

 

 震えた声だった。「それに貴方にこれ以上頼れないわ」

 

「本当はとっくの昔に家族の元に帰りたかったんでしょ? それなのに無理して私達に付き合ってくれた」

「……」

「ごめんね。今までありがとう。でも私はこれでいなくなるわ。これからは――」

「……待って」

 

 去ろうとする雲雀を、俺は咄嗟に呼び止めた。雲雀がびくりと固まる。俺は彼女に歩み寄り、その大きな手に自分の小さな手を重ねた。

 

「行かないでくれ、雲雀。せめて一人で暮らすとしても、たまに顔を出してくれ。俺は君とまだ離れたくないんだ。氷河湖に恩を返せてない」

「でもっ」

「君の気持ちに何も答えを出せないのは嫌だ」

「……っ」

「頼むから一緒にいて。お願いだ。お願い……」

 

 半分泣きつく形だった。

 初めて知った暖かさを無くしたくなくて、彼女を一人になんかしたくなくて。まだそういう気持ちは分からないけど、俺にとって既に雲雀は大切な存在になっていた。

 そしてその気持ちは伝わったのだろう。雲雀は瞳を揺らし、やがて「本当に良いの?」って呟いた。

 

「私は化け物みたいな姿で、何も持ってないのに……」

「それでも、君は弱い俺のことを好きになってくれた。それじゃ駄目かい?」

 

 前に言われたことを今度は返してやると、雲雀はポカンとして……笑った。

 

「そうね。それを言われると弱いわ。なら、一緒にいさせてください、旭。すごく今、寂しいので」

「……ああ。ずっと一緒にいるよ」

 

 ――君を大切にするために、ずっと一緒にいるよ。

 君がありのままの俺を、ちゃんと見てくれたから。

 

 

 

 

 

 

 こうして俺達は、以後も親交を保つこととなった。勿論、俺は家族の元に帰ったが、雲雀は近くまで引越し、定期的に遊びに来てくれた。

 その最初の日はすごく驚いてたっけ。

 なんせボロボロの状態だったから。

 というのも、婆や姉様に怒られ、殴られたりぶっ飛ばされたりしたのだ。でもおかげでめちゃくちゃ痛かったけど、最後はなんだかんだ抱き合って泣いてしまった。あれはあれで元の家族に戻るための通過儀礼みたいなもんだったのだろう。

 

 ……と言うと、雲雀はドン引きするような顔をした。俺もきっと同じ立場ならそうしてる。

 

 閑話休題。

 

 とにかく、俺は以前よりも深く雲雀と触れ合った。家族も雲雀を受け入れてくれた。最初はぎこちなかったものの、一年もすると仲良くなって、婆やの封印に立ち会うくらいには信用された。

 

 気付けば一緒に暮らすようになっていた。隣にいるのは当たり前。雲雀は俺を連れ出し、色んな外の世界を教えてくれる。

 南蛮、舶来品。

 空が綺麗で、海が輝くこと。

 

 同じ半妖だとかは関係ない。雲雀だから心が暖かくなる。少しずつ、少しづつ、俺は愛情や恋慕を知った。

 

 そして、いつの間にか別の感情も芽生え始めた。

 この愛に形があれば良いのに。

 

 別に雲雀を疑ってる訳じゃない。すれ違いもあるけど、雲雀は俺を好きでいてくれる。もう夫婦みたいになってて、それは本人も姉様も認めてることだ。

 

 だから、そうじゃなくて、もっと単純な話。幸せだから、更なる幸福が欲しくなっただけこと。

 

 だってそうだろう? この愛は特別なんだ。二人で繋げたいし、広げたい。育みたいし、抱きしめたい。尚更、母様の宝物を手にしてるとそう思う。俺と姉様を愛せて幸せだったって気持ち、伝わってくるから。

 

 だから――だから俺も、母様と同じように子供を持ちたい考えてしまった。

 何より孤独だった雲雀に、当たり前の安らぎを知って欲しかった。

 きっと彼女が誰よりも俺との間に――でも……俺は不安で仕方なかった。

 

 俺達は結局、半妖なんだ。

 それで必ずしも不幸になる訳じゃないけど、何度も涙を流してきた直接的な原因でもある。もし子供を作ったら、その子も同じ苦しみを味わうだろう。

 それに産んでも産まなくても、幸せなことに変わりはない。今のままでも充分、俺の世界は満たされている。

 

 ……そして雲雀もそう考えているのは同じで。

 俺達はどうすれば良いか、実に百年近くも悩んだ。

 

 そのせいで何度も別れそうにもなるくらい喧嘩もしたし、口を聞けなかったこともあったが、けれど俺達の絆はいつだって色褪せることはなかった。

 氷河湖の教えと吉利支丹、その二つが俺達の心を結びつけていた。

 

 思いも結論も、何年経っても変わらない。

 

 俺達はかつて母様と暮らした場所に住まいを移した。ここからすべてを始めよう。

 

 そう決意して生まれた娘――日和は、ちょっと夜泣きが酷くて大変だったけど、それを上まるほどの愛しさで、俺と雲雀は毎日この子にデレデレになった。

 でもそれ以上に猫可愛がりをしたのは姉様だ。いつもは外に出てるのに、日和が生まれた途端家に居着くようになった。

 しかもご機嫌に酒なんて飲むから大変だ。

 

「いやあ、めでたい、めでたい! この子は美人になるぞ! アッハッハ!!」

 

 なーんて。

 

 姉様としては感極まるものがあるんだろう。

 この人ほど孤独な奴はそうそういない。姉様にとって家族は唯一の居場所だった。それが華やかになったんだから、嬉しいに決まってる。

 

「だからって、ずっと酔ってもらっても困るんだけどなぁ」

 

 すると姉様はああん!? とこちらを睨んだ。

 

「なんだと、お前。お前ふざけんのか、お前。お前、めでたいのに飲まずいられるのか、お前祝いの酒だぞコンチクショ」

「お前お前うっさい。というか日和が生まれてから大分経ってますよ。酒を飲む理由が欲しいだけじゃないんですか?」

「当たり前だろコンチクショ!」

「素直に答えちゃうんだ……」

 

 雲雀は日和を抱いたままずっと呆れ顔だ。姉様は注意されたにも関わらず酒を一気に飲み進め、空の酒瓶が十を超えた辺りで、とうとうしゃっくりを揚げて泣き始めた。

 

「うおおおおん!! それにしても良かったなあ、お前達……うう」

「もう、義姉さん。何回目ですか、それ」

「だってよ、お前達定期的に喧嘩するし、もう心配心配で……とにかく本当に良かったなあ! チクショウ!!」

 

 姉様は酒の入った杯を掲げた。

 

「日和、逞しく大きく育つんだぞ! 叔母さんが手取り足取り色んなこと教えて上げるからな! いずれは酒の飲み方も!」

「……不安な未来しか見えないなあ」

 

 こいつ基本は飲んだくれの役立たずだし。

 

「それに日和だけじゃないんだろ。まだまだ、子供を産むだろう、お前達」

「そう……ですね。出来るだけ欲しいです。そして暖かな家庭を築ければ」

「良いなあ。どんどん賑やかになる。……とても良いことだ」

 

 ヒックとしゃっくりをしつつ、姉様は言った。

 

「お前達だけだよ。お前達だけが私に可能性を見せてくれる。希望そのものだ」

「…… 義姉さん」

「だからこの先も幸せにやれよ! ってことで、飲め飲め!! なあ旭!!」

 

 姉様は強引な理屈で俺に絡んだ。

 雲雀はずっと生暖かい視線で半眼、日和は面白がるようにキャッキャと笑っている。

 そうして、騒ぎはいつまでもいつまでも続いて。普段通り姉様に通り振り回されながら、同時に思った。

 

 ――幸福だなあ。

 

 幸せの絶頂とは、まさにこの事だった。

 

 だが、いつまでも永遠に続くものはなくて。

 この時、崩壊の足音は既に近づいていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ――実のところ、妖怪化の影響か、その後のことはよく覚えていない。ただ間違いなく俺は、操られて錯乱していたのだろう。

 

 姉様が帰った次の日。

 俺は、仕事で家を留守にしていた。

 薬師の仕事だ。

 素性を隠し、普通の人間だけでなく、妖怪や外国の相手とも商売をしていた。そうやって、金銭を稼ぐと共に情報を仕入れていたのだ。そしてその日、近隣の武士が何か怪しい動きをしていることを掴んだ。俺は、嫌な胸騒ぎに従い、その武士が城主を務める城に乗り込んだ。

 

 そこで知ったのだ……邪な奴らが、雲雀と日和を捕まえ、利用しようとしてることに。俺はすぐに家に飛んで帰った。

 

 でも俺は、雲雀と日和が多数の兵士に捕まっているところを見た。

 ……雲雀が弱いわけではなかった。むしろ彼女はとても強かったし、何なら俺よりも……だが兵士とは別に、そこには龍人の妖怪がいた。恐らく人間共と結託していたのだろう。小癪なことに法術を学んだらしく雲雀を縛り付け、俺に動くなと言ってくる。

 

 詰まるところの人質だ。だが、龍人は更なる卑劣な術を放った。

 

 ……俺を操る幻覚――内に眠る欲望を突きつける反射鏡――箱の一族が他者を取り込み、使役する術を、逆に行使されたのだ。

 

 俺は今まで隠してきた自分の闇に取り込まれた。

 

 気がつけば周りに誰もおらず……目の前に立っているのは醜い顔をした俺。

 

 その“俺”は俺に言ってくる。渇望、欲望、執着を撒き散らしながら。

 

『ああ、強くなりたい。強くなりたい。強さが欲しい。強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く強く――』

 

 俺はその様子に絶句して言葉を失うしかなかった。俺はいつの間にか、その願いをとっくに手放したものと思い込んでいたのだ。だが、それは無意識に抑えつけているのに過ぎなかった。

 

 俺はどうにか、掠れる声で反論する。

 

『やめろ……そんなもの、今の俺は求めてない。俺は俺なのだ。今の俺を否定するな……』

『愚かだな』

 

 目の前の俺は冷笑し、一歩近づき、迫った。

 

『頭の片隅では分かっているくせに。何が受け入れてもらえるだ。何が愛だ。雲雀なぞ例外だ。誰が、雲雀以外に真に愛せてもらえた?』

『それは――け、けれど、それで十分ではないか。内に拘らずとも外に目を向けば、見えるものは沢山ある!! 俺は満たされているぞ!!』

『そうだな……だが、それによって、この世界の薄汚なさも鮮明にならなかったか?』

 

 図星だった。

 俺は長き時を生き、知識や知見を得る度、その分多くの欲望や争いごとを見てきた。実感したのは、力の重要性。何かを手にするためには、何かを切り捨て、傷つけねばならない。

 

『結局、この世界は奪う奴と奪われる側しかいないのだ。力を得なければすべてを思い通りに出来ない。でないと失ってしまう。皆、皆……』

『そんなのは……』

『じゃあ、何故母様はいなくなった?』

 

 そう言われて俺の体は硬直した。

 今でもそれは、深く抉るように心の傷として残っている。

 

『惨めだなあ。何も守れず、何も手に出来ず。お前が半妖だったから、母様は壊れて消えた。母様を守れなかった半端なお前は、いる価値があるのか? いっそこれなら……妖怪として生まれれば良かったのだ』

 

 耳を疑った。俺は……母様の暴走を知ってても、尚それを上回る執着で妖力を欲していたのか?

 

『世迷言だ……母様自身、妖怪だったせいで、どんな思いをしたことか』

『うるさい。力はすべてだ。暴走すら抑え込める完璧な妖怪になれば良い話。俺は母様すら上回る大妖怪になるんだよ』

 

 牙を見せて、“俺”は嗤う。

 

『だって同じ思いは二度としたくないじゃないか。家族を失う痛み。迫害される恐怖。あの時の二の舞になってはいけない。今度こそやり直さなければ』

 

 俺はとてもではないが、俺自身を直視できなかった。

 俺自身の葛藤には決着を付けたはずだ。

 だが、心の何処かでは憎悪していた。理不尽な現実、結末をどう変えれば良いか。外の世界に居場所が出来たとしても、家族は俺の中で聖域だった。それを汚し、壊した世界を、俺は愛する一方で許せなかった。

 

 だから、日和が生まれてからは、尚更強迫観念のように思ったのだ。

 

 守らなければならない。この子と雲雀の笑顔を、姉様が希望と言ってくれた未来を。幼い頃壊れてしまった本来の家族の幸せが、ここにはあるんだから――

 

『そう――だから強く、強く強く強く強く強く!! 半妖なんて中途半端な弱さはいらないんだよ!』

 

 その瞬間、俺は飲まれた。

 己の欲望、傷口に。

 

 俺はたった一つのことしか考えられなくなった。何もかも食いたくて、何もかもを自分のものにしたいという、所有欲、独占欲。真っ先に日和と雲雀を手に入れ、箱の中で庇護しなければならないと感じた。

 

 そうして――気がついたら血の海だ。

 

 俺は妖怪化し、日和を食ってしまった。正気を取り戻してももう遅く、目の前に雲雀もいない。……俺の元を去ったのだろう。胃袋の中にある感触がない。その方が良いに決まってる。

 

 ……俺は短刀を取り出した。

 折れている。これは守刀のはずだが、増幅された俺の感情……所有欲、独占欲――そして成長して身に宿した俺の力は、母様が想定していたものより大きかったはずだ。

 その妄執と妖力が膨らんだ結果、俺は自分に負け、短刀は耐えきれずに壊れた。あそこで即座に操られず、自身に反論できていたのは守刀の効力だったのに。迷いに打ち勝てば納め込めていたはずで……だがよりよって飲み込まれたために、俺は俺の聖域をぶち壊した。

 

 もう生きてる意味も、生き続ける理由もない。

 

 口の中では、ただ鉄の味を感じている。もっと欲しいと叫ぶ本能が悍まくて、これじゃあ暴走しているあの時の母様と同じだ。

 

 俺はどうなるのだろう。頭がぐちゃぐちゃで何も考えられない。恐怖と絶望で震える。何日も何日も、折れた短刀で喉を刺そうとし、出来ず、最後には帰ってきた姉様に止められた。

 

「やめてくれ、旭。これ以上、私から大切な物を失わせないでくれ。お前は何も悪くない」

「しかし――」

「お願いだ。私を一人にしないで」

 

 姉様の涙で俺はハッとした。双子の片割れを、これ以上悲しませる訳にはいかなかった。自然と短刀が手から溢れ落ち、俺もまた涙を流す。

 

「……すみません。姉様」

「……私の方こそごめん。何も出来ずに……」

 

 俺と姉様は、互いを慰め合うことしか出来なかった。

 そして、俺は嘆く。

 

「俺はこれからどうすれば良いのでしょうか。娘を失い、妻を失い、人間を殺してしまい、また暴走してしまうかもと思うと頭の中がおかしくなりそうです。俺は何れ母様のようになってしまうのでは? そうだったとしたら、もう俺は何を愛せば良いか分かりません。すべて失った俺に、果たして何かを愛する資格はありますか?」

「……」

 

 すると姉様は苦渋に満ちた顔で黙り――やがて言った。

 

「それでもお前は、世界を、他人を、家族を愛することを諦めちゃ駄目なんだよ。それがお前に出来る唯一の償いで、氷河湖さんへの恩を仇で返さないための唯一の方法だ」

「……何故」

 

 問いかけると、姉は真っ直ぐに言い放った。

 

「悩み、苦しんだお前の歳月が、すべて無駄になってしまうからだ。それは、日和に会うための旅路だったんだろう?」

「そう……ですが……」

「だったら立ち止まるな。足掻け。生き続けろ。勝手に死ぬのは、この若葉が許さない。お前の代わりに、箱の一族が誰かを愛しても大丈夫だって証明してやるよ」

 

 姉様の言葉が胸に沁みてくる。俺はまたしても涙を流すしかなかった。

 

「待っていて欲しい。必ず……必ず、お前が立ち直れるようにしてあげるから」

 

 そうやって、姉様は俺を励ましたのだ。

 今度は自分が支える番だと。

 

 俺は姉様がいつの間にか強くなっていることを知った。

 ずっと守って、ずっと手を引っ張ってあげなければならないと思っていたのに……まさか逆の立場になるなんて。

 やっぱり姉様は“姉様”なのだ。

 

 そんな彼女のお願いに、“弟”である俺は逆らえない。

 

 だから、いつものように帰りを待っていよう。

 ずっとずっと待っている。

 それが俺と姉様の約束――

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