怨嗟の声が聞こえてくる。
踏み躙られた思いの数々。生贄に出された巫女達の叫び。
皆、嘆いていた。
どうして、どうして。誰一人として、村への貢献は望んでいなかった。
生贄の方法は残酷だ。
何日も絶食され、最後はまるで即身仏かのように箱納められて土に埋められる。
遺体はそのままで墓もない。
夜那は母の死に顔を見ていなかった。
でも、別れる前、母は謝ってきた。
ごめんね、一人にして。巫女として産んでしまって、白子として産んでしまって。
そんな言葉はいらなかった。ただここから逃げようって言いたかった。
けれど村の掟は絶対。いくら村が狭くても、そこで生きる村民にとって掟は世界の法則と同義で、逆らえる訳もなく、声も上げられないのが夜那は悲しかった。
そして、他にもたくさん、そんな巫女達がいることに気がついて。
どんなに辛かっただろう。どんなに寂しかっただろう。
分かってあげられるのは自分だけ。
死んでしまったから、彼女達はやり返すことも、訴えることも出来ない。
そう、だから、だから――やるせなくても、押し潰されそうでも、きっとこの怒りは、自分の、母の、巫女達の命を冒涜されたことへの怒りで。
命の重みを忘れた者達が、どうしても許せなかった。
夜那はそれだけのために、死のうと決めた。
……しかし、あの妖怪の子供は言ってきた。
「僕は貴女を肯定します。否定も妨げもしません。ですが、逃げる事だって出来るんじゃないですか? 復讐は貧乏くじと同じです」
なんせ、何十人もの巫女の想いを背負うのだから。
「それでも貴女はやるというのですか? 怖くはないんですか?」
どうやら妖怪の子供は、言葉とは裏腹に本心の方では心配しているようだった。何だか滑稽で、憐れみの同情さえ抱いてしまう。
「優しいんだね」
「……優しくなんてありません」
「残酷過ぎるよ」
「……それは言い訳出来ません」
「自己満足で偽善者」
正直な気持ちを言えば、妖怪の子供は気まずそうに黙った。
中途半端な気遣いがイライラした。
だが、どうしてだか泣きたくもある。
「本当に貴方は、私のために動いてくれるんだね?」
確認すると、妖怪の子供は頷いてくれた。
「失われた命は、二度と痛みを叫べないから……僕は貴女の復讐を否定しませんよ」
もう一度、妖怪の子供はそう繰り返した。
「ですが、やっぱりこんなの、怖くて、辛くて、悲しいものじゃないですか……それに、あの半妖の男は放置しておけません」
夜那は“半妖”という言葉でびくりとなった。
夜那にとって、彼はとても大切な存在だからだ。
たとえ、妖怪の子供から事情を聞いていたとしても。
だが――復讐において一番障害となるのも半妖なのだ。邪魔をされる前に殺すしかないし、個人的な恨みもある。何よりここで逃して、箱の大妖怪に殺されたら?
箱の大妖怪は見境がないという。
そんな目に遭うくらいなら、いっそ綺麗なまま――
(おじさんを私の手で……)
「……」
「僕だって情ぐらいはありますよ」
妖怪の子供は苦しむような声で言った。
確かに、誰が好き好んで伯父を殺したいのだろうか。
「でももう、後がないんです。貴女も本当は、彼を許せないんでしょう?」
「――うん」
勝手に期待をさせて、許せない。
「……その許せないのと、大事だって気持ち。どっちを取れますか?」
「私は――」
「人を殺すのが怖いなら、全部僕に任せておけば良いんです」
そっちの方が、言い訳をしていられるだろう。
すべて妖怪が悪いんだ。自分は何も悪くない。
だけど……、
(私はこの怒りを抱いた時点で、もう普通じゃいられないんだろうな……)
巫女の皆が、同胞の皆が、元凶である半妖も、村人も、全員殺せと叫んでいるから。
既に退路は断たれているも同然で。
ああ、どうして今更、寂しいだの、普通に生きたかっただの、思うんだろう。
「……おじさん、ねえ……おじさん」
私を一人にしないで。ずっと一緒にいて。
それが出来ないなら、どうして助けるのは当たり前だなんて言ったの?
「――私には復讐しかないから、それに縋って逃げるしかないの。それ以外見たくない」
「……夜那さん」
妖怪の子共は、少女の気持ちを察してしまったようだった。
余計なことを考えてしまうと、最早心が壊れかねないくらい彼女は追い詰められているのだ。
「分かりました。貴女がそう望むなら」
だからこそ、とても悲しそうに、そしてとても辛そうに、妖怪の子供は頷くのであった。
「…………?」
理玖達が見守る中、何者でもない少女は、起きた直後、瞳をパチリパチリと瞬かせた。最初はぼんやりとしていたのか、ここは何処だろう、という顔をしばらくする。
しかし、次に旭と目が合うと、ガバッと起きて後退りを始めた。
「わた、私……!」
『落ち着け。責めたりなんかしないから』
「で、でも!」
『良いから。落ち着きなさい』
「……」
その言葉で夜那は黙った。
理玖が静かに彼女に話しかける。
「今の現状は分かるか? 夜那」
「え、えと……貴方達に復讐を止められて、それで――」
そこで、違和感に気付いたのだろう。
長くなった白い髪を触り、伸びきった爪を見落ろし、最後に呆然とするよう、ぺたりと裂けた口元に手を添える。やがて自分のやったことを段々と思い出したらしく、夜那は現実を受け入れたくないように震えた。
何かを求めるように旭を見るが、それでも彼は首を振ってしまう。しかし夜那は縋り付いた。
「お、おじさん!! 私、まだ人間なんでしょ……? 元のままで……違わない!?」
『……』
だが、その返答として旭が変わりに差し出したのは、いつの間にか手に持っていた小さな手鏡だった。
夜那はそれをおずおずと受け取り――そして覗き込んだ途端、絶叫。鏡を置き、気分が悪くなったためか顔を蒼白させ、耐えきれなくなったせいで、すぐ側にあった壺に胃液を吐き出す。
「えほっ、ゴホッ……ゲホッ! ……こんなこと……こんなこと……」
だが顔を上げると、途端、突き刺さるのは全員の視線である。
「ひッ……!」
夜那は短く悲鳴を漏らした。頭を抱えて縮こまってしまう。流石に心配したとわが近づこうとするが、夜那は叫んだ。
「見ないでっ!」
「――ッ!」
その声があまりにも痛々しくて、とわがびくりと止まった。
今、夜那は恐怖しているのだ。
変わり果てた自分に。その姿を見られている事実に。
それはかつて、旭も味わっただろうものだ。旭を殺そうとした代償に、夜那は彼と同じ立場となったのだ。
(とは言え元が白子の分、二重にキツイだろうけどな……)
――と、直後である。
旭の箱が、ガタガタ!! と音を立てた。
何事かと思うと、旭は箱の一つ目を細めて答える。
『あの子共が起きたらしいな。滅茶苦茶暴れ回って錯乱している』
その言葉で、夜那は目を見開いた。
「あの子、おじさんの中にいるの?」
『ああ』
「やめ……やめてあげて」
どうしてだが夜那は懇願しているようだった。
「その子、ずっと狭い独房の中で生きてきて……お婆ちゃんからも、主人からも、生まれてから今まで、死ぬくらい拷問を受け続けてきたって……だから――」
「残念だが、そのようなことは許されない」
だが、高僧がはっきりと否定した。
「私の弟子達を含め、大勢の者が傷付けられたのだぞ。中にはお前のような幼子、赤子、妊婦に老人までいた。むしろ殺されないだけマシというものだ」
「――ッ」
夜那は息を飲んだ。
赤い瞳が揺れている。今更のように罪を自覚しているのか。
何も言えず、ただ堪えるように歯を食い縛って、夜那は静かに泣いた。可哀想だったが、庇う者は誰もいなかった。
だが、そこで、再度箱がガタガタと揺れ動く。中で暴れられているらしく、旭は慌てたように、
『ちょっと、落ち着け。落ち着けってば!』
しかし大人しくはならなかったらしい。今度は『うるさい! そんな大きな声を出すな!』と、彼は叫ぶ。
『分かった、分かった! 言いたいことは伝えてやるから、それで良いな!? で、お前のことは何と呼べば良い? ……え、名前がない? じゃあ“夕凪”とか“夕”で良いや。どうせ使わん偽名だし』
適当に名付けられ、またもや箱がガタガタ動き始めるが、旭は人間体の方の手で無理やり抑え込んで言った。
「という訳で、夕凪――夕から伝言だ、夜那。――泣かないでください。全部自分が悪いから、自分のせいにして下さい、だそうだ」
「……馬鹿」
夜那は何かあったのか、しばらく目を伏せた。
「違う。違うよ。全部、私の意思だ。私が現実に負けて逃げたんだ」
――そう呟いて、涙でぐちゃぐちゃの顔をくしゃりとさせて、
「私は巫女達の思いとは別に、遊び感覚で人を殺してたんだ……命の重みを知っているくせに……ざまあみろ、ざまあみろって」
その結果がこの姿なのだ。
受け入れるように、自虐的に彼女は笑っている。
「なのに、おかしいの。復讐して良かって心の底から思ってる」
だけど、表情は苦痛に満ち溢れていて。
「……ごめん。おじさん。ごめんね。私、おじさんを独り占めしたかったの。一人で死にたくなかった」
それは醜い独占欲の吐露だった。
旭を殺そうとした理由は、きっと恨みでも、八つ当たりでもなく、ただただ、寂しいという、それだけの自分勝手な我儘だったのだ。
「……」
理玖の胸が、ずきりと傷んだ。
孤独だった過去から、自分もとわに執着している。
……一人になりたくない。
箱の大妖怪の言葉を無視出来ぬ、とても大きな大きな感情だ。だからこそ、夜那の気持ちが分かってしまう。どうしても彼女は割り切れず、結果として復讐と寂しさがごちゃ混ぜになったのだろう。
(だけど……とわ様はきっと見捨てないんだろうな)
事実、とわは拒絶されたにも関わらず、夜那をまっすぐ見ていた。
夜那は繰り返し謝っている。
「ごめんなさい、ごめんなさい……生きてる価値なんて私にはない……おじさんの側にいる資格なんてないんだ……」
「――そんなことないよ」
その時、とわが再度近づき、優しく夜那を抱きしめた。
夜那が驚いたようにとわを見る。
「お、お姉さん?」
「生きてて良いんだよ。旭さんとずっと一緒にいて良い。旭さんも、皆も、それを望んでる」
「で、でも……私、どうしたら良いか……見た目もこんなに風になってしまったし……」
「けど、夜那ちゃんは今、生きたいって思ってるんでしょ。それで十分なんだよ。罪は罪だけど……だからと言って、願いを否定して良い訳じゃないんだから」
むしろ、罪を冒した分、生きねばならないのだ。
夜那は贖罪をしなけれならない。
『それに、言っただろう? この先のことを一緒に考えようって。決して一人になんてさせないし、寂しい思いもさせない。約束する』
「本当に……?」
『ああ』
それに合わせ、周りの皆も、口々に言った。
「生きるんだぞ、夜那」
「お母さんの分まで幸せになるんだ」
「まだ小さいのに死ぬなんて勿体無い」
「それこそ死んだら巫女達の思いが無駄になるであろう。お前は同胞の思いを、背もって生きていくんだ」
最後のせつなの言葉で、夜那は呟く。
「背負って生きていく……私、生きて良いんだ……」
そうやって一生懸命生きて、生きて、生き抜いて――そうすることが夜那に許されているならば。その重みを、価値を、尊重してくれる人々がいるならば。
夜那は前を向くことが出来るのだ。
きっとこの時、夜那は初めて世界から存在を認められた。
「今まで辛かったね。頑張ったね、夜那ちゃん」
「ううう……うああああああああん!!」
夜那は再び泣いた。今度は大きな声を上げての大号泣。
まるでそれは産声のようで。
……もう、これで大丈夫だろう。そんな確信があった。
だとすると、残る問題は、
「なあ、旭」
話しかけると、ギョロリと箱の一つ目が理玖を向いた。
『夕のことだな?』
無言で頷く。
夕もまた、理玖にとっては放って置けない存在だ。
だが、それに待ったをかけたのはせつなである。
「おい、理玖。その妖怪の子供と話してどうするつもりだ? 話して、それから何をさせる?」
「分かりやせん。けれど、あいつを見捨てて良い理由がねえと思うんですよ」
たとえ、村人を大量に殺したとしても。
助かっているのなら、夜那同様、罪を償わせるべきだし、前を向けさせるべきである。
「それに聞き出さねえと色々と不味いです。主人とは誰なのか、どうしてこの村を襲わせたのか。そいつらがまた他の村に被害を出すとは限りやせん」
「それもそうだな」
理玖の言っていることは正論だった。
夕から話を聞いていただろう夜那も、しばらく話せそうにない。
どっちみち、夕本人に喋らせないといけないのだ。
「でも簡単に話してくれるか何だぞ?」
『難しいだろうな。黙りを決め込んでいる。だが意識を夕自体に繋げることは可能だ。夢珊瑚の妖力を宿す者限定だが』
「なら、おいらしか出来ないってことか」
『それは――』
そこで何故か、旭はとわをチラリと見た。
『……まあ、ここは貴方の方が適任だろうな。箱に触れるだけで良い。後は念じるだけだ』
旭は理玖に箱を向けた。
理玖は旭の元により、その箱に触れる。
生暖かく、それでいて脈を打っている感触。
正直気持ち悪かったが、彼は意識を集中させた。
瞬間――パチリという違和感共に、映像が脳裏に流れ込んでくる。そこは白く靄のかかった世界。これが箱の中の空間なのだろう。
その中心には小さな檻があった。閉じ込められているのは、ゆらゆら揺れる、影のような子供のシルエット。
それでも自傷した後が分かった。かなり痛々しい姿だ。
(……こいつが夕――?)
すると、子供のシルエットがこちらを睨んだ気がした。右目が怒りのせいか、淡くうっすら、青く輝いて見える。
『何なんですか、アンタ』
そして聞こえてくるのは、旭と同じようにくぐもった幼い声。どうやら意識すれば、向こうから理玖だけに話しかけれるらしい。理玖は驚きつつも答えた。
「さっきおいら達が話してた通りだよ。少し喋りたいと思ってな。お前のことが気になってたんだ」
『……ふん』
夕は気に入らないとばかり、鼻を鳴らした。
『僕なんかに構ってどうするんですか。僕より夜那さんを気にして下さいよ』
「何故だ?」
『……だって僕より、夜那さんの方が価値があるでしょ。あの人は巻き込まれた立場で、だから……』
ゴニョゴニョと言う物言い。
内容から自己肯定感の低さとお人好しな一面が垣間見える。
理玖は思う。こいつは根っからの悪党ではないのだと。ただ主人の言うことに従い、それを実行しただけなのだ。
それに遭遇した時、夕は理玖に尋ねた。
本物に手を伸ばして、虚しいと思わないの?
その言葉が出た時点で、何か願望が透けて見える気がする。逆に言えば、それは自らが偽物だと言っているようなものだから。それなら理玖に向ける感情も理解出来る。
「……お前……もしかして誰かから認められたいのか? でも“本物”じゃないから、そんな資格がないとでも思って――」
『……』
瞬間、夕は目を見開いて固まっていた。
図星だったらしい。さっきから思っていたが反応が分かりや過ぎる。
『……偽物、本物……か』
と、そこで今まで黙っていた旭が呟きを漏らす。当然、彼はこれまでの会話を聞いているだろう。だからこそ言うべきだと思ったのか、旭は夕に対して指摘する。
『お前のこと、ずっと観察していたが……どうもお前には肉体がないみたいなんだよな。妙に素の妖力も薄いし、まさかとは思うが、死人か何かなのか?』
「!?」
全員がその事実に驚く。
あり得ない……と思うが、しかしりおんのような存在が理玖の近くにいる訳で。他にいないとも言い切れないし、夜那に取り憑いたり、村長に取り憑いていたのも、魂だけの存在だったから出来たのだろう。何より、やはり夕の顔にはっきりと出ているのだ。滑稽な程に口をパクパクさせている。
『ち、違……僕は……』
「そういう意味での偽物か。……それは気にしてもしょうがないな」
『あ、貴方に何が分かるって言うんですか!』
理玖が同情的な声を出すと、夕は反発するように叫んだ。
『僕のことを知りもしないくせに! 自分が欲しいものなんて見たくもないですよ!! 僕は誰にも認められなくて良い! 無価値だから、何にもなくて良いんです!』
それはまるで、自分に無理やり言い聞かせているように聞こえた。
ずっとずっと、そうやって夕は今まで逃げ続けてきたのだろう。
そうしなければ耐えることが出来なかったに違いない。
「だが、今更逃げ続けても良いことはないぜ。それが正解じゃない」
『っ、それでも、何処かに必ず道が……』
「ある訳ない。もう逃げ場は何処にもないんだよ」
既に袋小路に来ている。
罪も、己の心も、目を背けることは許れない。
『じゃあ、どうしろって言うんですか……。向き合えと? 自分の惨めったらしい境遇に』
「お前の生まれは知らないが……でもどっちみち立ち向かうしかないんだろうよ。そうしなきゃ先に進めない」
結局、変わりたいと思わなければ変われないのだ。
理玖だってそう。とわを守りたいと思ったから、是露に立ち向かえた。是露を止めたいと思ったから、彼女を殺すことが出来た。その未来の果てが今である。
望む結果を手にするためには、必ず自らが動かねばならない。たとえその道の先が、暗闇であったとしても。
「まあ、怖い気持ちは分かるよ。不安だろ? 押し潰されそうなんだろう? お前はきっと、ずっと一人だった。でも空っぽだったとしても、後から幾らでも好きに詰め込こめるんだ。好きなものを見て、好きなものを食べて。友人も、知り合いも、それこそ沢山作れば良い。勿論、本当に欲しいものは手に入らないかもしれないけど……無駄になることなんて、ある訳ないから。お前はちゃんとここにいるよ。死人でも、偽物でも、塵芥でも、当たり前のように未来を見て良いんだ」
(そうでしょう? りおんお嬢様)
貴女もこの子と同じ、死人だけど。先がないなんて言いつつ、前を向いている。そうだ。貴女が示した通り、どんな存在でも前を向いて良いんだ。
『俺もお前と約束しよう。一緒に色んなことを考え、一緒に未来を見ていこう。絶対見捨てない。お前のこと、夜那と共に守っていくよ』
『……。……さっきから好き勝手ですね、貴方方は。本当、偉そうです』
夕は俯いてしまっていた。
表情は分からなかったが、何故か少しだけ、力が抜けたような気がしたのだった。