ねえ、理玖。
私ね、最近思い返すことがあるんだ。
それは貴方に出会った時のこと。貴方と過ごした日々のこと。
今思い返すと貴方が仮面を被っていたことがよく分かる。本当の貴方はちっともかっこよくない。けれど私は、そんな貴方を目で追ってしまっている。
貴方の笑顔に胸を高鳴らせてる。
これは一体なんだろう。
よく知らない、今までになかった初めての気持ち。
いつかはっきりと分かる日が来るんだろうか。
……分からない。分からないけど、私が貴方のことを特別に思ってるのは間違いない。
そしてもし……良かったら、貴方の特別でいられたらと思う。
……ねえ、理玖。
理玖は私のこと、どう思ってるのかな。
私はずっと、貴方のことを――
「キシャアアアアアアアアア!!」
大口を開け、牙を剥き出しに妖怪が鳴いた。
体長はおよそ六メートル。見上げる程の巨体。瓢箪のような腹部から左右それぞれ四本の鉤状の足を生やし、その様はまさしく蜘蛛のようだ。頭部は皮を剥き出しにした女の顔だった。ぎょろりと白目を向いた瞳が気持ち悪い。
妖怪はその巨躯に見合わぬ速さで、山の斜面を降り、走っていた。八本の足を激しく総動員させ、まるで何かから逃げてるように全速力で進んでいる。実際、妖怪は追われていた。
追跡するのは、後ろの上空、丸々とした影。耳を済ませば少しうるさいやり取りが聞こえる。
「竹千代、もっと速く飛べねえのかよ! このままじゃ見失っちまうぞ!」
「無茶言うなだぞ、もろは! これでも頑張っているんだぞ!」
「本当かよ!? 追ってまだそれほど経ってねえだろ!?」
言い合ってるのは、空にいる二人。
変化して乗り物みたいに大きくなっている化け狸、竹千代と、その上で弓矢を持つ、火鼠の衣を纏った少女、もろはだ。強気そうな目は妖怪を睨みつけていた。
「ったく、しょうがねえなあ!」
もろはは溜息をつくと、弓に新たらしい矢をつがえた。キリキリと限界まで引き、狙いを定める。ありったけの霊力を込めると、
「天空の矢襖!!」
叫ぶと同時、もろはは妖怪へ向けて矢を発射した。
空中で光が弾ける。文字通り幾多にも分裂した矢の豪雨が、妖怪目掛けて降り注ぐ。
「シャアアアアアアアアア!!」
正直なところ、一発一発の威力はそこまで高くなかったが、足止めには充分だった。鬱陶しそうに妖怪は牙を打ち鳴らした。
と、その時だ。
「よくやった、もろは!!」
岩影から、一人の少女が躍り出るように飛び出す。
――せつなだ。手には薙刀、縁の断ち切り。薙刀を振るえば、高く括られた長い黒髪が美しく翻った。
「群れたちの燕!!」
斬撃の軌跡、そこから緑色の尾を描いて、一斉に鳥形の妖力が飛ぶ。そこそこ破壊力を伴った攻撃。
しかし鉤状の足が雑に動き、打ち払われた。効いていない。ならば直接にと、その隙にせつなは接近している。彼女は側面に回ると、薙刀を振り上げ、胴体を切り付けた。僅かに血飛沫が舞ったが、瞬間、合わせるように妖怪が横に飛び退く。
「っ、浅い――!」
手応えが軽かった。せつなは舌打ちする。
とはいえ、苦しんではいるようで、動きは鈍くなった。こうなれば良い的だ。ここぞとばかり、もろはが上空から破魔の矢を打つ。頭部に命中した。
「ギジ!?」
堪らず上がる悲鳴、崩れる体勢。竹千代が「流石だぞ!」と褒め、もろはが胸を張る。
せつなはそれらを無視し、「今だ!!」と叫んだ。
「とわ!!」
「了解!!」
せつなとは反対側、木の後ろから白銀の姿が現れる。銀色の短髪、見目麗しい少女であった。
彼女は愛刀、菊十文字を腰の鞘から抜き放つ。そしてその勢いのまま、流れるように一刀。妖力の乗った一撃が、今度こそ深く深く、妖怪を傷つける。
「……ギ……アアアァ……!!」
ドターン!!
止めになったようだ。とわが菊十文字を鞘に戻すと同時、妖怪が大きな音を立てて倒れ伏す。
念の為、近寄ってせつなが確かめた。確実に死んだことを伝えると、とわは空にいるもろは達へと満面の笑みをむけて、サムズアップをした。
「よっしゃ〜!! これでたんまり〜!!」
もろはが歓声を上げる。竹千代が困ったように「まったく、もろははお金のことばかりだぞ……」と溜息をついていた。
「で、で、いくらだ、獣兵衛さん!」
「ちょっと待ってなよ……」
場所は変わって屍屋。
もろはがうきうきしながら獣兵衛を急かし、それに彼は若干顔を顰めながらも、並べられた妖怪の足計八本を前に、評定をしている。
「おう、このくらいだな」
パチリ、パチリ。
計算が終わり、算盤を弾く手が止まる。
そうして告げられた金額は、もろはの期待通りだったらしい。彼女はうはーと、歓喜した。
「やっぱ借金がないってのは良いな! 何もかも丸儲けだぜ!」
「おい、もろは。分かっているとは思うが、三人で倒したんだから、分け前は三等分だからな」
「……う、あ、当たり前だろ!! だからそんな怖い顔すんなよ、せつなちゃん!!」
せつなにじと……と疑わしい目を向けられ、少し慌てたり、怯えたりするもろは。
独り占めする気が何処かにあったに違いない。
呆れたように竹千代が言った。
「やっぱり……もろははお金のことになると、すぐ調子に乗るんだぞ」
「別に良いじゃねえか! がっぽり稼げるってのはどっちみち良いことだろ」
竹千代の言い方に、もろははムキにでもなったみたいに言い切る。その部分は竹千代も否定できない。何か言いたげな顔はしていたが。
そんな二人のやり取りに、とわが「まあまあ」と宥める。
獣兵衛は妖怪の足を見つめると、惚れ惚れする様に言った。
「しっかし、大したもんだ。こいつァ、多くの賞金稼ぎを手こずらせてきた妖怪だったんだがな……こうもサクッと倒してくるとは恐れ入る。流石は夜叉姫だな」
「そうだろう? どうよ、あたしらの実力!!」
「……まあ、我らにかかればそう難しいことでもないがな」
獣兵衛の褒め言葉がよっぽど嬉しかったのか、もろはが誇るように胸を叩き、せつなが満更でも無さそうにする。とわだって悪い気はしなかった。
獣兵衛はニヤリと笑い、夜叉姫達にそれぞれ、今回の取り分が入った巾着袋を渡す。結構額があるせいか、割とずっしりと重かった。
「今後もよろしく頼むぜ、夜叉姫。お前らはこの屍屋で一番の稼ぎ頭なんだからな」
「へへ、分かってるって」
もろはが巾着袋を懐に仕舞いながら、獣兵衛と同じくニヤリとした顔で返す。何やら悪〜い顔つきと言い方であるが、当然やましいことなど微塵もない。健全な会話である。
それから竹千代を残し、夜叉姫達は屍屋を出た。
もろはとせつな。二人はとわと別の方向を向いて、別れを告げる。
「じゃあなー、とわ」
「うむ。とわ、夕方までには帰るから、母上にそう伝えてくれ」
「分かった。頑張ってね」
とわが見送ると、二人ともこくりと頷き、去っていった。
その様子に、獣兵衛と竹千代は気になったのか外に出てきた。
「何だ? 用事か何かかだぞ?」
「うん。せつなは退治屋、もろはは他の簡単な依頼をしてくるって」
「つまりお前は一人なのか? そういや、お前さんは何処にも所属場所がなかったなあ……」
思い出した様に顎に手を当てる獣兵衛。
「なら丁度いい、少し話があるんだがな。お前さん、もろはのように、ウチと正式に契約して賞金稼ぎにならねえか?」
「え?」
突然の話に驚き、とわは思わず声を漏らす。
竹千代は特に不思議そうな顔はしていない。
「いやな、お前さん、結構長いことウチの依頼を引き受けてくれるだろう?」と獣兵衛は続けた。
「とわ、俺は意外とお前さんのことを買ってるんだ。他の夜叉姫達と違って経験が浅いのに、すぐ他の賞金稼ぎを凌ぐ程、頭角を表しやがった。お前さんの実力なら一人で十分やっていける。そう悪い話じゃないと思うぜ」
確かにそうだった。
もう稼ぐお金の殆どを、この屍屋からの依頼で賄っていると言っていい。賞金稼ぎになればより一層依頼も融通してもらえるし、今より安定した収入源になる。デメリットなんてほぼない様なものだった。
でも――その時脳裏に過ぎったのは、つい数日前のことだった。
その日、退治屋の頭、琥珀に誘われたのだ。
『とわ、このままではなんだし、本当に退治屋に入らないか?』
『え? 私がですか?』
『ああ。ずっと手伝ってくれるし、何より実力も申し分ない。とわが来てくれたら大助かりだ。なあ、せつな』
『はい』
琥珀の横で、せつなが、退治屋の皆が、頷いていた。
彼らはとわを、必要としてくれていたのだ。居場所を与えようとしてくれていた。
しかし、その思いを嬉しいと感じる反面、何やら答えを出せそうにない。つっかえたみたいに、思考の端で、思うことがある。――それで本当に良いのか。これが私の、本当にやりたいことなのか?
『返事はいつでも良い』
黙るとわに、琥珀はそう言って笑ってくれた。せつなだって、そうだ。他の皆も……同じ。だからとわは、どうすれば良いか分からなくなった。断ることも出来ず、さりとて、肯首することも出来ず。
そして今も、間違いなく、あの時と同じような状況で。同様に頭の隅で、内なる自分が囁く――本当に……、本当の本当に、これが私の居場所?
「えと……」
とわは口の中で、言葉をどう紡ぐべきか、舌をまごまごとさせた。
そうして、やっぱり飛び出したのは、謝罪。
「すみません。ちょっと考えさせて下さい」
「別に良いさ、突然の話だからな。ま、返事はいつでも返してくれて良い。待ってるぜ」
獣兵衛は琥珀と似たようなことを言ってくれた。やはり、とわの周りは優しい人だらけだ。
この後やることもなかった。
先程のことを延々と考えても答えは出ない。
とわは時間を潰すために、そして気分転換のために、町へ降りた。
「安いよー、安いよー!!」
「お前、そんなこと言ってさあ、もっと口説いてみろよ、こう情熱的に――」
「まあ、なんて可愛らしい小物!! こっちのと合わせて買いたいわ」
その町は、この地域でもそこそこ大きいところだった。
ガヤガヤと色んなところから声が飛び、若い女から老人、僧や武人に至るまで、実に様々な人々が往来している。道端には行商人が立ち並び、お店の前では従業員が客引きを行っていた。
その賑やかさは、かつて暮らしていた東京の町にも引けを取らない。とわも最初、よく迷ったものだ。しかし今では慣れて、ぶらぶらとしながらも、自分が今何処にいるのか、位置を正確に把握出来ている。
(結構もらったなあ……)
とわは適当に歩きながら、そう思う。
巾着袋の重みは普段貰うのより二倍だった。生活費を差し引いても、りんからある程度好きに使って良いと言われているので、それなりに自由に扱える。
だが困ったことに、とわはそこまで欲がないタイプだった。ぽんと大金を渡されても、どうすれば良いか分からなくなるのだ。
(ここはある程度貯めておく……? いや、それももったい無い気がするし……でもこのままにしておくのもちょっと……あ、なら、こうしよう)
と、しばらく考え、思いつく。
そうだ。普段お世話になってる人達に、何かお礼の品でも買おう。最近感謝を伝える機会ぐっと減ってる気がするし、良いアイディアかもしれない。
そうと決まればと、早速とわはお店を見て回った。
町では様々なものが売られている。
壺や食器、後は紅などの化粧品。
綺麗な櫛や、髪飾りなんかもあった。髪を結ぶための紐もある。
母達に似合いそうだと思い、とわはその前に立ち寄った。
すると初老の男性店主が威勢よく声を上げる。
「いらっしゃい! ご興味がおありかい?」
「はい、妹達に買って帰ろうかと思って。何か良いものありますか?」
とわは母や妹、従姉妹、かごめの容姿をざっと話した。
店主は少し考え、それぞれ良い品を見繕ってくれた。
どれもイメージぴったりだ。勿論、その分お高いが、買って損はないだろう。良いお店に巡り会えて運が良いと、とわは思った。
「お嬢さんや。お嬢さん自身は買っていかないのかい?」
ふと店主から意外そうに話しかけられた。年頃だからだろうか。思わず苦笑する。
「いや、私は良いんです」
とわは首を振った。自分は男勝りで、少しも似合いそうもないから。
しかし、店主は少し残念そうに、そして何処か更に買ってもらおうと下心を感じさせる口調で、
「そんなこと言って、まあ、もったいない。意中の相手が一人や二人、いるだろうに……」
「……!? い、意中って……」
突然のワードに、とわは過敏に反応した。
勿論、頭に浮かんだのは理玖である。
店主はここぞとばかり、うんうんと頷き、
「やっぱり、お嬢さんの年頃だと、憧れの殿方くらい、いるものよな。でも、そんな彼に限って、自分のことをどう思ってるのか分からない。振り向いてもらえなかったらどうしようと悩む日々……なーんてこと、しょっちゅうだろう?」
「……う、そんなことは――」
しかし否定したくとも出来ない。
理玖は時折、とわを特別な目で見てくる気がするが、だからと言って思わせぶりな行動が多くて、不安になる時がたまにあるのだ。
「そこでお嬢さん、特段、可愛い姿を彼に見せるのさ。お嬢さんは別嬪さんで綺麗だからなぁ。きっと可愛いところを見せたら、イチコロさね」
「……本当に?」
「うむ。ほれ、こんなのとか良いんじゃないかい」
そうして見せてくれたのは、赤い花の形をしたちょっと派手な髪飾りだ。とわの目に合わせたのか。透かすとキラキラしている。
「どうだい、どうだい? 絶対似合うこと間違いないよ」
わざとらしい口調のオンパレード。煽てられているというのは分かっている。だがそう言われ、自然と想像してしまう。
可愛いらしい格好をした自分に、それを見た理玖。理玖はとわの手を取り、にこやかな笑みで、こう言うのだ。
『美しいですね、とわ様。よくお似合いですよ』
(そうしたらどんなに――)
「――まあ、理玖さんったら、お上手ですわね」
「いや、そんなことは」
「でも、うふふ」
……ガヤガヤとした中で、話し声が聞こえてきた。
半妖の聴覚が優れてるのもあるが、聞き覚えのある声だったのですぐに分かった。
とわはそちらの方を見る。
理玖が遠くで歩いていた。しかも女の人と二人きり。
女の人は、理玖の顔をチラチラと見ては、はしゃぐように顔を赤らめている。心なしか理玖も楽しそうに見えた。その様まるで、仲の良い恋仲同士――
「…………」
とわは長い間沈黙していた。頭が真っ白になっているのが分かる。手が震えているのが分かる。何かが渦を巻き、弾けて消えた。
「あ、あの、お嬢さん……? なんか物凄い真顔になってるけど……?」
何故か怯えた店主が、とわに話しかける。
が、無論、とわはそれどころではなかった。
モヤモヤとするような、チクチクとするような、ムカムカとするような。とにかく胸の奥がぎゅっとなるような、そんな苦しくて仕方がない、よく分からない感情に襲われていたのだ。
それは生まれてはじめての、よく知らない感覚だった。でも、物凄く嫌な感じだった。
とわは耐えられなくなって、代金だけを払ってせつな達の髪飾りを購入し、踵を返した。
その際、店主に「お嬢さんの分は?」と尋ねられたが、断っておいた。やはり似合わないものは似合わない。
「……理玖の馬鹿」
一刻も早くここから立ち去りたい。とわは人を掻き分け、走りながら、そう吐き捨てる様に呟いた。
◆◇◆◇
麒麟丸と是露の因縁。
あれだけ長い様に感じた戦いも、今となってはすべて終わった。父母達も帰ってきた。
そして理玖も――その麒麟丸と繋がった呪縛から解き放たれ、自由になった。そんな彼は、以前と比べて、少し何かが変わったような気がする。なんだか積極的になったというか。いつもとわを連れ立って、囁いてくるのだ。
『お美しいですね』
『お綺麗ですね』
『もう貴女以外、目に入りやせん。どんな宝石よりも、おいらにとっては、貴女が一番キラキラと輝いて見えます』
などなど。
歯が浮く様な台詞に気障な態度。顔はうっとりするみたいになって、瞳には熱があった。こちらだけを真っ直ぐ見てくる目だった。
せつな曰く「あの男には気をつけろ。奴は確信犯だ」とのことだったが、容貌が整っているのもあって、いちいちドキドキするし、顔が赤くなるのが止まらない。男性に免疫などないとわにとって、理玖は刺激が強過ぎた。第一、何であんなことを言ってくるのか、未だよく分からない部分が多い。困惑と恥ずかしさで、理玖と会うと目が合わせられそうにない。
でも……綺麗だって、可愛いって言ってくれて、ちょっと嬉しかったのだ。
まるで理玖だけの、特別になれたみたいで。
「なのに……なのに、なのに、なのに……」
舞い上がりそうだった心が、一瞬にして砕け散ったのをとわは自覚していた。
あの時感じたモヤモヤは消えない。むしろ思い出すだけで、脳が沸騰しそうな程である。
(どうして理玖、女の人と歩いてたんだろう。あんな楽しそうな顔で……あんな態度で……)
部屋の隅、蹲りながら考える。
あの口説き文句は嘘だったのか。飽きられたのではないか。やっぱり他の人が良いのか。そもそも、理玖と隣に並ぶ資格など、とわにはあっただろうか。
(全然ないかも。今まで酷いことばかりした気がするし)
それにとわは、ガサツで男っぽく、可愛くない。女の子としての魅力なんてこれっぽっちもないのだ。
対して理玖は、とわにはもったいないほどカッコいい。気遣いもスマートだ。……あと、気障な台詞回しも言い慣れてる気がする。とても自分と釣り合うとは思えない。
もしかしたら、理玖は過去、大勢の女性達と付き合っていたのかもしれない。そしてデートをしたり、キスをしたりして……、
「……」
何だか想像するだけでムカっとした。
ちょっと、いや、かなり腹が立つ。
理玖が他の人のものだったなんて、考えたくない。
理玖を奪う奴がいるなら、全員消えれば良いと思う。だって理玖はとわの――
(……って、何考えてんだ、私!? そんな訳じゃないん!)
とわはそこまで考え、ギョッとした。今、かなり恥ずかしいことを思った気がする。
彼女は先程の思考を打ち消そうと、ぶんぶんと首を振った。まさか、まさか、有り得ない、有り得ない。冗談も大概にしとかないとやばいと、心を落ち着かせる。
そして必死に否定して、何だか虚しくなった。
今の自分は、酷く心が醜い気がする。日暮とわは、こんなこと思うような奴だっただろうか。
皆、いなくなれば良いだなんて、最低な考えじゃないか。
(やっぱり凄く嫌な気分だ。本当にこれは何なんだ? こんなの、まるで自分じゃないみたい。私は一体――)
「おい、とわ。何やってんだ?」
「……もろは?」
訳の分からない感情に混乱していると、帰ってきたのだろう。気づけばもろはが話しかけていた。隣を見ればせつな……それとかごめもいる。途中で合流したのかもしれない。入り口の簾、その隙間から覗く空は、すっかり夕暮れだ。
「せっかくだから遊びに来たのだけど、りんちゃんは?」
「父上と出かけてますよ」
「……またか」
ちゅっと呆れたようにもろはが言った。
良い加減慣れたのだろうが、それにしたって逢瀬に連れて行き過ぎではないか、と顔に浮かんでいる。犬夜叉も同じリアクションをするため、親子そっくりだ。
「ところで、何拗ねたような顔してんだよ、とわ」
「え?」
「なーんか不貞腐れるように見えるぞ。何かあったのか?」
自分では気づかなかったが、側から見ればぶすっとした顔をしてるらしい。
せつなやかごめも不思議そうにしている。とわはまずったと思いつつも、何だか心の中を知られるのは嫌な気がして、今更なのに取り繕うように空元気を見せる。
「た、大したことじゃないって。それよりほら、買ってきたんだ、これ」
とわは立ち上がると、懐から小包を取り出し、中のもの――髪飾や櫛などを皆に手渡す。
反応は様々だった。素直に歓声を上げる者。柄ではないと言う者。満更でもない者。でも、皆嬉しがってる。
彼女達の感謝の言葉を聞きながら、とわはほっとしていた。
と、かごめがふと気付いたように言う。
「とわちゃんの分はないの?」
「私のですが? あ……いえ、私は似合わないから」
「えー、もったいない。とわちゃんせっかく可愛いのに。それに理玖さんに見せたらもっと……とわちゃん?」
理玖の名前を聞いただけ怒りが再び燃え上がる。
物凄い形相になったとわを見て、びびったようにもろはが叫ぶ。
「やっぱなんかあったんじゃねえか!」
「何もなかったよ?」
「おいその顔やめろ! ガチで怖いって!」
棒読みで言うと、更に怖気付いてもろはが引いた。
彼女は他の二人の顔を引き寄せ、コソコソと話し合う。
「な、なあ、何があったんだよ、あいつ。完全に目が死んでいやがるぞ!」
「……と思ったら、ちょっと落ち込んで……少しどんよりし始めたな。こんなとわは初めてだ……」
「理玖の旦那と喧嘩でもしたのか? 名前を聞いた途端、これだし」
「でも、そんなまさか。あの理玖さんととわちゃんよ?」
「しかし、理玖は……奴は女たらしです。とわに言い寄るだけじゃ飽き足らず、ふらりと別の女に行く可能性もあります。事実、昔玉乃さんという綺麗な女性の手を自然と取っていたことがあり――」
「って、ああ、とわがっ……!! とわが、がっくりと……!!」
こっそりと会話を聞いていたとわは、地雷を踏まれてますます落ち込んだ。
ちょっと自分でも笑えない程である。呪詛のように呟き続ける。
「どうせ、理玖は他の人が好きだし。私は男っぽいし……ブツブツ」
「と、とわ……」
こりゃよっぽどの事があったに違いない。
三人は確信したのか、目線が一気に同情したものに変わる。もろははぽんと、ぎこちなくとわの肩に手を置き、励ました。
「げ、元気出せよ。男なんて選り取りみどり、星の数ほどいるじゃねえか。すぐ良い人が見つかるって」
「……」
「駄目だ。全然聞いていない」
反応のないとわにもろはが困り果てた。
やはりこんなとわは初めてだと、また三人はコソコソと話し合う。
「どうする? そっとしておくかあ?」
「それと理玖をとっ捕まえる必要があるな。奴を縁の断ち切りで三枚下ろしにしてくれる」
「ちょっと、落ち着いてせつなちゃん! 気持ちは分かるけど、そんなことは駄目よ!」
「気持ちは分かるんだ……」
「だって女の子をここまで傷つけてるんだもの! いくら理玖さんでも許せないわ」
「お袋こそ落ち着け。ちょっと怖い……」
「とにかくまずは事情を聞くところからよ」
そう言って、かごめはとわの前に座った。
既にさっきのように体育座りになっていたとわは、俯いていた顔を僅かに上げる。
かごめは優しい口調で聞いていた。
「とわちゃん、何かあったか聞かせてくれる?」
「……」
最早誤魔化せないか。
とわは理玖のことを正直に、ボソボソと打ち明けた。
「り、理玖が他の女の人と歩いてて、本当に楽しそうにしてて……こう、ぎゅっと胸の奥が苦しくなったんです。……私、こうなるの、初めてで。なんか私、らしくないなって……」
「そっか……」
話を聞いて、寄り添うように、あるいは納得したように、かごめは頷いた。何か察したみたいな顔だ。
それを見るなり、思わずとわは尋ねていた。
「あの、私、どうしちゃったんですか? これが何か知っているなら、教えて下さい」
「そりゃあ、お前……」
もろはとせつなも察しているのか、何か言いたげな雰囲気だ。
二人の代わりに、かごめが答えた。
「多分、それは嫉妬なんじゃないかしら、とわちゃん。とわちゃんは、理玖さんを独り占めにしたいのよ」
「……独り占め?」
呆然としたように呟くとわ。どうもよく言葉を飲み込めないというか……。
「とわちゃん」
柔らかい声で、かごめはとわの名を呼んだ。
「それはね、変な気持ちなんかじゃないのよ。ごく自然の、当たり前の感情なの」
「……そうなんですか?」
「ええ。誰だって好きな人のことを、自分のものにしたいって思う心を持ってる。……あたしにだって覚えがある」
かつてのことを思い返すみたいに、目を細めるかごめ。言葉には不思議と重みがあった。
「だから、否定なんてしなくて良いのよ、とわちゃん。それを含めて、とわちゃんはとわちゃんだもの。それにね、そう思うってことは、とわちゃんは本気で理玖さんを好きになり始めてるって証拠なのよ」
「私が……?」
実感が湧かない。上手くよく分からない。
こんな思いを、感情を、抱くのは初めてなのだ。
「とわちゃん」
さっきと同じように、かごめはとわの名を再度呼ぶ。
「決して無理して、誤魔化したりしないでね……貴女のその心は、本物だから」
あれから数日が経った。
とわは未だ落ち込んだままだった。
表面状は元気に振る舞うものの、理玖を気にしてることがありありと分かる。
理玖と何度か話をしているのは見たが、怒りが収まらないのか、否か。それとも上手く感情が整理出来ないのか。理玖にそっけない態度を取り続け、遂には自分から理玖を無視する様になって、そんな自分に自己嫌悪し、ますますどんよりとなっていた。
せつなともろはは、恐らく女の人と歩いてたのは、誤解ではないか……さっさと本当のことを聞けば良いのに、まどろっこしい、と正直思っていたが、あまりにとわの様子が普段と違い過ぎて、どうすれば良いのか分からなかった。
生憎、二人とも色恋沙汰に縁がなく(せつなは翡翠の恋幕に気づいていないのだ)、かける言葉すら見つからないのである。
そして肝心のかごめはかごめで、とわのことを気にかけつつも、割と見守るように何も言わない。犬夜叉その他諸々も、彼女に丸め込まれた様で、気にする素振りを見せながらも、余計なことすらしないのだった。
そんな訳で、せつなともろはは頭を悩ませ、今日も今日とて、道を歩きながら話し合っていたのだった。
「本当どうするかね〜。とわの奴があんな調子だとこっちも気まずいぜ」
「まさかあそこまであの男に入れ込むとは。あいつも変われば変わるものだな」
「だよな〜。そこんとこどう思うのよ、せつなちゃんは」
すると、あからさまにむすっとしたようになるせつな。
理玖ととわ、ここ最近の二人は、なんだかんだ良い雰囲気だった。
自分で思っている以上にお姉ちゃんが大好きなせつなからすれば、これは只事ではないのである。思い出すだけでも不愉快だと、表情だけでなく、雰囲気からもありありと伝わってきた。
「どうもこうもあるか。とわの目は節穴過ぎる。まったく理玖の奴、とわを口説いておいて、あんなことをしていたとは信じられん! ……やはり、三枚下ろしにしてくれようか」
「……それだけは勘弁してくれやせんかねえ」
「おわ、理玖の旦那!?」
声がした方を見て立ち止まれば、そこに理玖はいた。
道端の切り株に座っている。かなり暗い顔だ。ちょっと生気も抜けてるみたいで怖い。
「……い、一体いつの間に」
「そいつはおいらの台詞ですよ。おいらはずっとここにいたんでさぁ」
「成る程、そこに偶然、我らが通りかかったということか」
せつな達は一瞬で状況を理解した。もろはは恐る恐る、理玖に聞いてみた。
「んで、理玖の旦那はどうして、そんな落ち込んでいるだ?」
「……実はとわ様に、嫌われちまいまして」
そう口にする理玖の目は完全に死んで、澱んでいる。ああ、この感じ覚えがあるな……とせつなともろはは思った。
「こんなことは初めてなのです。ここ数日話しかけやしてもそっけなく、遊びに誘ってもさっさと帰ってしまい……何か怒らせたかと聞いても、余計にとわ様は不機嫌になるばかりでして……。謝ろうにも全然二人きりになれず、もう……もう、本当においらはどうしたら……」
「いや、どうしたらって……それを言いたいのはこちらの台詞だが。私達もこんなお前は初めて見るぞ……」
普段の飄々とした態度は何処にいったのやら。がっくりと頭を下げてる様子は、実に情けない。よっぽどとわの事が来ているらしい。
せつなも、後ついでにもろはも、理玖にとわを取られてちょっと面白くないと思っていたが、流石にここまで落ち込まれると可哀想になってくる。
まあそれはそれとして。
「一体おいらは、とわ様に何をしちまったんでしょうか……。さっきアンタら何か話してましたよね……? 教えて下せえよ……」
「それは旦那の胸の内に聞いてくれ……」
「うむ」
「は……?」
とわを怒らせたのは理玖が十中八九悪い。
何だか釈然としない顔をしていたが、自覚をしない限り、延々と解決しないだろう。
「元気だしなって! その内とわも機嫌を治すさ!」
もろははとわにしたみたいに、ぽんぽんと理玖の肩を叩いた。理玖は胡乱げな眼差しを向ける。
「なんか言い方がからかってる様に聞こえますが?」
「気のせいだって。だってこんな……ぷくく、いやなんでもねえ」
「やっぱアンタ笑ってやがるだろ」
敬語が取れて理玖の目がじと目になった。
もろはは気にしなかった。
それよりも、
「仲直りしたかったら、今、凄く良い作戦を思いついたぜ」
「作戦……?」
「おい、もろは。お前何を企んでいる」
今度はせつなから疑わしい目を向けられたが、やはりもろははどこ吹く風。せつなと違い、割ととわの恋路は応援しているのだ。
(それに二人にゃ悪いけど、何だかんだ面白い展開だしな!)
もろはは、にっしっしっし、と笑い、思いついた作戦を話す。
「要するに二人きりになれないのがいけないんだろ。だったら無理にでもこうすれば良い。あのな――」
いつも通り、今日も今日とて妖怪退治に精を出す夜叉姫一行。
さあ、良い金になる依頼はないかな、と屍屋の店に入った時。そこには見慣れた、しかしちょっとだけ珍しい姿があった。
彼はわざとらしいくらい、明るい声で挨拶する。
「き、奇遇ですね、とわ様。それにせつなさんにもろはさんも。お久しゅうございます」
「り、理玖……!?」
とわはギョッとして叫んだ。
最早気まずいどころではない。
それは理玖も同じようで、一見すると普段通りだが、よく見ると冷や汗を垂らして、曖昧な笑みである。
「……」
とわは何か言おうと思った。
謝ろうかとも思った。
しかし理玖を見ていると、どうしても思い出すのは、彼が女性と歩いていた時のこと。
結果、怒りがむくむくと膨れ上がり、内心やってしまったと思った時には、既にむっとした顔で軽く睨みつけていた。
「――っ、……」
すると、たじろぐ様に理玖がびくりとなった。
そんな理玖に対し、竹千代、獣兵衛が、何故か同情とほんの少し厳しい目線。もろはやせつなは、ちょっと呆れ顔だった。
「何でここにいるの?」
声は思ったより低く出た。
理玖は数秒黙った。その間何やら後ろでもろはが揶揄う様にジェスチャーすると、彼は一瞬片眉をぴくりと上げたものの、覚悟した様に、
「ただ依頼を受けに来ただけですよ」
「依頼?」
「ああ、色々あってだな。俺が頼んだんだ」
と、獣兵衛がとわと理玖の間に入る様、そう言った。
「何でも最近、近くの国境で暴れ回っている妖怪がいるらしく、領主様が大分困り果てているらしくてな。しかも、夜な夜な女性を攫っていると聞く。標的にされているのは、勿論、美人が多いと評判の村だ」
「成る程なあ。でもそんなとこに理玖の旦那がいけきゃあ、モテモテで困っちまうんじゃないのか」
「それはそれで都合が良いだろ。村の連中から話も聞きやすい。特に理玖様は女性の扱いには慣れてるだろうし。なあ?」
「……アンタら少し、言葉に棘がねえかい」
理玖がちょっとムカつくみたいにそう言った。それに対し、もろはが肩をすくめたり、獣兵衛が無視したりする。
が、とわはその隣で、固まっていた。
美人……女性……モテモテ……。
その言葉が頭の中でぐるぐる回っている。胸の奥でバチリ、と火花が散った気がした。
「……理、理玖!」
気づけば、とわは怒鳴るように叫んでいた。
理玖が気まずそうに返した。
「な、なんでしょうか」
「……」
しかしいざとなると無言になってしまう。
そりゃ言いたい事は山程ある。だがあくまで依頼なのだ。そんなやましい目的がある訳ではない。
止める口実がないのだ。
すると隣でもろはが、
「あー、とわ? そんなに気になるなら、理玖と行ってくれば?」
「ええ!? 何言ってのもろは!」
唐突の言葉にびっくりする。何より今日の仕事はどうするのだろう。自分だけ離れる訳には――
「まあ……理玖一人だと不安だろうしな。せっかくだし手伝ってくると良い」
「せつなまで!?」
どういうことだ。理玖と一緒にいると、確実に機嫌が悪くなるのに。更には竹千代が続く。
「ほら、行ってくるんだぞ。ていうか行ってくれた方が面倒くさくな、いやゴホン、助かるんだぞ」
「竹千代、今なんか言いかけたよね!?」
「そらそら、どーたら言ってねえで理玖様と行ってこい。さっさとしねえと、美人だらけの村の女共に取られちまうぞ」
「獣兵衛さんも! 後最後の一言は余計です!」
とわは怒号のツッコミを入れるが、その後も周りは揶揄うように、理玖と依頼に行くよう囃し立てる。
やがてとわは根負けした。
「ああもう。分かった。そこまで言うなら、理玖を手伝うよ!」
「ほ、本当ですか?」
理玖が何処かホッとした顔をしていた。
周りも盛り上がっているし、何だか妙に違和感があるのは気のせいだろうか。
ともかく、
「よろしく、理玖」
「はい!」
こうしてとわは理玖と共に依頼を受けることとなったのだった。