遥かな永遠を一緒に   作:鐘餅

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前章
遥かな永遠を一緒に 一話


 麒麟丸、是露との因縁。

 父母達の呪われた運命を解放し、すべては終わりを告げた。

 もう父母達を危険に晒すものは誰もいない。

 

 犬夜叉とかごめは、犬の大将の墓場から戻ってきた。

 是露との縁がなくなって、りんも銀鱗の呪詛から救われた。

 時代樹から出た今は、眠っていたのが嘘のように、元気である。

 ついに訪れた真の平穏。

 彼らはかつての仲間……七宝や弥勒、珊瑚と涙ながら再会し、また娘達とも抱き合って、その無事を喜びあった。

 

 夜叉姫達が父母達と離れ、既に十四年。

 その歳月はあまりに長く、そして重い。

 失われたものは多くある。

 親は子の成長を見れず、子は親の愛情を得ることが出来なかった。

 互いが互いに、初対面も同然。

 血の繋がりこそあれ、親子の思い出や絆は、まったくといって良いほどにない。

 しかし、だからこそ、だろうか。

 親と子達は、本来手に入れられた時間を取り戻すかのように、一緒に生活を始めていた。

 

 

 

 

 村はずれに立つ一軒家。

 とわは、実母のりんとそこで暮らし始めた。

 勿論、双子の妹であるせつなも一緒だ。

 父たる殺生丸は、共にいない。

 相変わらず外にいて、何処かを歩き回っているようだ。

 そのくせ数日に一度、往々に顔を出しては、りんと会話をしたり、逢瀬をしたりする。

 邪見はそんな彼に命じられて、よくりん(そしてついでと思わしき、娘達)への貢ぎ物を、家に届けにきていた。

 

 それは今まで考えられなかった、まったく新しい日常と言って良い。

 未だ慣れないことも多く、とはいえ、戦国時代でとわが普段やることは変わらない。

 日の出と共に起きて、妖怪退治に赴くのだ。

 基本は屍屋の依頼こなすが、時には退治屋を手伝う時もある。

 最近では独特の連携にも慣れてきて、琥珀から「このままうちに入らないか」と言われるぐらいにまではなっていた。

 しかし、もろはからもまた、賞金稼ぎにならないか、などと誘われたりもしている。

 結局どっちとも返事が出来ず、今の状態に落ち着いているのであった。

 

 そんな訳で、とわは現在、何処にも正式な所属場所を持たない。

 忙しそうにしているせつなやもろはと違い、時間に縛られることはなく、だからか、最近では一人で行動することも増えた。

 今日も単独で妖怪退治だ。

 標的は近隣に被害を出していた大蛇。かなりの巨体だったので、手強い相手かと思いきや、それは見掛け倒しだった。

 大蛇は拍子抜けするほど、さくっと一撃で倒れた。

 

 おかげで、後の時間は完全に手持ち無沙汰だ。

 帰路に着くのはてっきり夕方だと思っていたのに、未だ頭上の上では、太陽が燦々と照っている。

 

「うーん、どうしようかな……」

 

 今から家に帰ってもいいが、しかし、やることがない。

 せつなともろはも、遠くへ出掛けていて、合流は難しいだろう。

 ならばかごめの手伝いでもするか?

 否、かごめは今日お祓いで不在だ。

 談笑することも出来ない。

 

 これは困った。

 とわは思い悩み、むむむ、と眉を寄せる。

 こうなったら、ぶらぶら辺りを散歩でもしようか。

 でもそれだけじゃあ寂しいし、やっぱり誰かと一緒がいい。

 例えばそう、理玖とか。

 

(……あれ? 何で私、理玖のことを……)

 

 ふと疑問に感じて、首を傾げてしまう。

 それくらい、ごく自然に理玖のことが頭に思い浮かんでいた。

 そして、理玖のことを意識すると、また話したいと無性に思ってしまうのだ。

 

「うーん、ずっと会っていないからだろうなあ……」

 

 色々と忙しいのもあって、しばらく理玖と顔を合わせる機会がなかった。きっとそのせいで気になったのだろうと、とわは勝手に納得する。

 これも良い機会だ。りおんにも会いたいし、とわは理玖の元に行くことした。

 

 そうと決まれば、話は早い。

 駆け足で走れば、気がつくと、あっという間に一つ森を越えていた。

 その先には、人に見つからないように、ひっそりと一軒の小屋がある。

 麒麟丸がいなくなった後、りおんと理玖は、ここで一緒に暮らしていると聞いていた。

 

「こんにちは」

「あら、とわ様?」

 

 ノックをして中に入れば、驚きと共にりおんが出迎えた。

 

「お久しぶりですね。これまた一体どうなされたのですか?」

「妖怪退治が早く終わったし、たまたま近くだったから、遊びにきたんだ。あの後、どうしてるかなって」

「まあ! それはとても嬉しいです! 私もとわ様とはお話ししたいとずっと思っておりましたから」

 

 喜色を顔いっぱいに浮かべ、りおんは可愛らしく微笑んだ。

 釣られてとわも笑う。

 

 その後とわとりおんは、囲炉裏を囲んで座りながら、しばらく談笑を続けた。

 りおんは、よくあれこれと質問してきた。

 そのせいか、気がつけばとわは、自分のことばかり話していた。

 例えば、りんとはうまくやれているのに、殺生丸のことは未だ分からなくて困っている、だとか。

 この前、せつなともろはと一緒に、大変な妖怪を退治した、とか。

 ついつい熱が入って語り過ぎたが、それでもりおんは楽しそうに相槌を打ってくれた。

 

「時にとわ様。そのお姿は初めて見ますね」

 

 と、ようやく話のネタが尽きた頃。

 ふと思い出したかのように、りおんはとわの姿を眺めた。

 とわもまた、己の格好を確認する。

 

「ああ、そっか。前はずっと制服だったし、りおんが見慣れないのも当然だよね」

 

 すべてが終わった後、とわは現代ではなく、戦国時代に定住することを選んだ。

 そのため、制服が傷んできたこともあり、現在は普段着として着物を着用している。

 動きやすい格好をしてはいるが、不良もいないので、特に男装もしていない。

 一見すると、そこら辺の村娘、というような風体だ。

 

「そのお姿も素敵ですね。今の姿も理玖が見たら驚きますよ」

「理玖が?」

「ええ」

 

 柔らかい表情で頷くりおん。

 確かに目新しくはあるだろう。

 理玖にも、この格好を見せたことがないのだから。

 

(何て言うんだろう……)

 

 少しだけ気恥ずかしくなった。

 なんてことないはずなのに、どことなく気になってしまう。

 

「って……そうだ! 理玖!」

 

 そこで、とわは理玖の名前ではっとする。

 理玖と会う目的を、今の今まですっかり忘れてしまっていた。

 それもこれも、りおんとの会話に夢中になり過ぎたが故だろう。

 

「りおん。今更だけど、理玖は一体何処に?」

 

 入った時、室内にはりおんしかいなかった。

 恐らく留守番か何かをしていたのだろう。

 彼女は裏手の方を向いた。

 

「理玖なら、裏山の方に出かけて行きました。ここのところ悩んでいる風だったので、少し散歩をしてきたら、と進めたんです。ずっと私と居ても、きっと気を使わせてしまいますから……」

 

 麒麟丸、是露が居なくなったのは良いが、今までの経緯を考えると、理玖も色々と思うところがあるのかもしれない。

 そこをりおんは気を使って、彼を一人にしたらしい。

 

「ですが、とわ様、きっと貴女様なら、理玖を励ましてあげられると思います。少々お話して時間が過ぎましたが、今から追いかければ、理玖ときっと会えますよ」

「そうかな? ……でも私が行って迷惑にならない?」

 

 会うつもりできたが、理玖が悩んでいるというのなら、今日のところはそっとしておいた方が良いのではないか。

 りおんの気遣いも無駄にする訳にはいかないと思い、少しとわは遠慮気味になる。

 だが、りおんは首を振って、

 

「そんなことはありませんよ。とわ様と会った方が、理玖もきっと喜びます」

 

 理玖は、とわ様のことが大好きですから。

 そう悪戯っぽくりおんは微笑んだ。

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

「……本当に大丈夫かな」

 

 あの後りおんに送り出され、とわは裏山へと足を運んでいた。

 とはいえ、迷う気持ちがあることに変わりはない。

 もしかしたら、理玖の気を害してしまうかもしれないと、少しだけ心配になってくる。

 だが、理玖の悩みを聞いて、力になってあげたいという気持ちもあった。

 だから、とわは嗅覚を頼りに、理玖の匂いを辿って山の斜面を歩いていく。

 

 そして山の頂上に辿り着けば、そこに理玖はいた。

 木々が開けた場所で、その足元では色取り取りの花が揺れ、美しく咲き乱れている。

 それは一種幻想的な風景ではあったが、しかし理玖はそちらに注目せず、背を向けていた。

 

「理玖」

「……とわ様?」

 

 名を呼ぶと、彼はゆっくりと振り返り、目を見開いた。

 とわは気まずげに、曖昧な笑みを浮かべる。

 

「えーと、久しぶり?」

「はい。お久しゅうございます。……とわ様はどうしてこちらに?」

「遊びにきたんだけど、りおんに今出かけているって聞いてさ、それでこっちに来たんだ」

「そうですか。りおんお嬢様が……」

 

 何か考えるように、理玖はぽつりと呟いた。

 やはり、気を使わせてしまったか。少々バツが悪くて、とわは顔を曇らせる。

 

「もしかして、迷惑だった?」

「いえいえ、とんでもない! また会えて光栄ですよ。おいらもまたとわ様と話したいと思っていやしたから」

 

 理玖は首を振って、明るくにこりと笑った。

 

 そして、こちらにするりと歩み寄ってくる。思わず距離が近くなったことに気恥ずかしくなるが、彼は更に、とわの服装を見て、褒め言葉を言ってくる。

 

「時にとわ様、そのお姿も初めて見ますが、似合っておいでですね。前の白い服とは違った魅力がございやす」

「あ、ありがとう……」

 

 変に思われてなくて、ほっとすると同時、あまりに直球だったから、ドキっとして、とわは少し顔を逸らしてしまった。

 理玖の揶揄うような笑みが見れない。

 誤魔化すように、とわは理玖に尋ねる。

 

「り、理玖は、ここで何してたの?」

「麓の方を、少しばかり見ていました」

 

 その言葉に、とわは眼下の景色を見下ろす。

 生い茂る緑の木々に、点々と見える村々、長閑な田園は何処までも広がって、地平性の遥か彼方、青い海の方までよく見える。

 風も吹いていて、気持ちの良い眺めだ。

 

「わあ、絶景だね」

 

 とわは素直に感嘆の息を漏らす。

 隣で理玖も同意した。

 

「ええ、本当に。……こうしていると、この世界がとても広いことを実感いたしやす」

 

 理玖は目を細め、何処か寂しげな声音で言った。

 

「おいらも長く生きてきましたが、この地のすべてを周ったことはありやせん。そう考えると、何だか自分がちっぽけな存在に思えてきますね」

「……そっか。でも、確かに私も同じ気がしてくるかも。私もこっちにきて、それなりに色んな場所を見てきたつもりだけど……よく考えると、知らないことだらけなんだよね」

 

 少なくとも、とわはあの海の先には行ったことがない。

 どんなところか知識もないし、どんな場所か噂に聞いたこともない。

 この時代でも、現代と変わらず、案外とても狭い範囲でしか世界を理解していないのかもしれない。

 目の前に広がるこの景色のように、何処までも続いているのに。

 そこにはきっと、予想もつかないものが、たくさん、たくさんあるのだろう。

 

「ですが、世界は広い分、迷ってしまいますね。おいらは一体、何処に行けば良いのでしょうか」

 

 とわは、理玖の表情をチラリと覗き見る。

 何とも言えぬ複雑な感情が、彼の顔には浮かんでいた。

 それが、酷く印象的だった。

 まるで、迷子になった幼子のようで。

 

(理玖も……自分の居場所に悩んでるんだな)

 

 すべては終わった。

 理玖の柵もなくなったはずだ。

 りおんの側にはいるだろうが、その気になれば、理玖はきっとどこにでも行けるし、何だって出来る。

 でも、実のところ、それは突然深い霧の中に放り込まれたようなものなのかもしれない。

 しかも理玖の場合、今まで行動原理にしていた是露を失っている。

 本当に、理玖は今何もない状態なのだ。

 そんな中、一体どの道へ進めば良いのか。その手がかりはどれだけあるだろう。

 理玖の心中を考えると、胸が痛んで仕方がない。

 

「理玖はさ、怖くないの?」

「といいますと?」

「なんていうかさ……理玖は今、とても不安そうに見えたんだ」

「……おやおや、これは参りましたね。とわ様には見抜かれてしまいましたか」

 

 理玖は苦笑いを浮かべて、頭を掻いた。

 どうやら図星だったらしい。

 

「……」

 

 そして、彼は何を思ったのか。

 次には、顔を伏せて、じっと黙った。

 とわは長い間、寄り添うように彼の言葉を待った。やがて理玖は、こちらを向いて、恐る恐るといったように聞いてくる。

 

「とわ様は、どうしてこの時代をお選びになられたのですか?」

「それは……」

「とわ様は、遥か未来でお育ちになられたのですよね?

 どんな場所かはご想像できませんが、そこにはとわ様の大切な人や場所が、あったのだろうと思います。

 それにこの時代は、とわ様にとってきっとご不便なことも多いでしょうし、異国も同然ですよね?

 ……怖くはなかったのですか?」

 

 揺れる理玖の瞳が、とわの赤い瞳と合う。

 今度は、とわがしばらく黙る番だった。

 ふいに浮かんだ感情に、胸が少しだけ張り裂けそうになる。

 

「……正直、怖くなかった、と言えば嘘になるかも」

 

 しばらくして、とわは俯きながら、ぽつりと呟いた。

 理玖の息を呑む音が聞こえる。

 

「後悔もたくさんあって、それこそ、もっとちゃんとお別れすれば良かったとか。日暮家の皆と離れたくないとか。……色々あったよ」

 

 現代に残してきたもの。

 草太パパに、萌ママ、妹の芽生。じいちゃんに大ママ。

 いつも見上げてきた御神木。日暮神社。

 少しだけ通った、聖ガブリエル学園。

 不良と喧嘩三昧で、転校を繰り返して、何処か生きづらかったけれど、それでも幸せはあった。

 確かに自分は幸せだった。

 その幸せを手放して尚、戦国時代に来るのは、とても辛くて勇気がいることだった。

 今思えば、ずっと現代にいたかったかもしれない。

 でも……、

 

「でも、本来はこっちの時代が、私の生きる世界で。現代にずっとにいても、やっぱり違和感があったし。……だから、お別れしなきゃいけないのかなって」

「……とわ様」

 

 理玖は悲しそうに眉を下げる。いらぬ心配をかけてしまったらしい。

 とわはそれにはっとして、慌てて顔を上げると、

 

「あ、もちろん、それだけってわけじゃないよ。せつなにもろは……母上に父上に邪見。この世界でも、大切な人達が出来て、一緒に居たいと思ったんだ。それに今のところ、なんとか上手くやれてるしね。この時代に戻ったのは、きっと間違いなんかじゃない」

 

 そこに嘘偽りなんてない。

 とわは理玖にそう、明るく微笑んでみせる。

 理玖は安堵したのか、柔らかくした。

 

「では、とわ様は、少なくとも寂しい思いはされていないんですね」

「皆のおかげだよ。ここまでこの時代に馴染めたのも、全部皆が必要なことを教えてくれたからなんだ。じゃなかったら、今頃とっくに駄目になっていたと思う」

 

 思ったよりも、戦国時代の暮らしは大変だった。

 力仕事はまだ良い。

 半妖だから平気だ。

 でもその他の細かいことは、よく分からなくて失敗を繰り返した。

 その度に周りに助けられて、なんとか少しずつ暮らしの術を身につけることが出来ている。

 感謝してもしたりないくらいだ。

 

「けど、……こんなことを言うのもなんだけど、私この先どうすれば良いか、分からないんだ。この時代で何をやっていくかまでは決めてない」

「……でもとわ様は、妖怪退治をしていらっしゃいますよね?」

「そうだけど……それだって、私が本当にやりたいこととは違う気がする。どう生きていくか、私は何になりたいか、全部曖昧なんだ」

 

 せつなは退治屋。

 もろはは賞金稼ぎ。

 それぞれ、この時代で所属している場所がある。

 でも、とわにはそれがない。

 何だか仲間二人に比べて、宙ぶらりんだ。

 周りは、そこまで焦る必要はないと言ってくれているが…… きっとこのままではいけないのだろう。

 そうでなければ、この時代を選んだ意味が、薄れる気がする。

 それが、とても怖い。

 結局、とわの居場所というのは、何処にあるのだろうか。

 現代にいた時から、ずっとずっと考え続けている。

 

「私、なんのために、ここにいるんだろう……。一体、何処に行けばいいのかな……」

「……」

「って、あはは、これじゃあ、理玖と同じ悩みになっちゃうね」

 

 ふと気がついて、とわは恥ずかしくなって笑う。

 一瞬、きょとんとしたが、理玖もすぐに同じような表情を返した。

 

「そうですね。案外おいらととわ様は、似たもの同士かもしれやせん」

「ふふ、そうかも」

 

 とわと理玖。

 こんなにも立場は違うのに、思いは共通している。

 なんとも面白い話だ。

 

「あ、そうだ。じゃあ、どうせだったら、一緒に考えようよ」

「え?」

 

 驚き、声を漏らす理玖。

 とわは、理玖の目を真っ直ぐ見つめて言った。

 

「この先どうしたいか。きっと一人より、二人の方が見つかるよ」

「……とわ様と、二人で」

「そうだよ。私、理玖となら見つけられる気がするんだ」

 

 理玖は瞬きを繰り返す。

 とわの言葉を飲み込むかのように、とわの表情を刻みつけるかのように。

 徐々に徐々に、理玖の顔が感動に打ち震え、緩やかになっていく。

 

「ありがとうございやす。とわ様はやはり、お優しいお方ですね。とわ様のおかげで、心が楽になりました」

「それなら、良かった。私なんかで良ければ、いつでも話、聞くから」

「ええ」

 

 どうやらよく分からないが、理玖の悩みについて、少し力になれたらしい。

 とわはそのことを嬉しく思った。

 

「それではとわ様。あまり、りおんお嬢様をお待たせしても申し訳ないですし、おいらはそろそろこの辺で山を降りようかと思います。一緒に行きましょう」

 

 理玖は気が晴れたのだろう。

 そのまま後ろを振り返り、帰ろうとする。

 だが、とわは寸前で理玖に静止の言葉をかける。

 

「あ、ちょっと待って」

「どうしたんですかい?」

「せっかくだから、りおんにお土産持っていこうと思って」

 

 そう言うと、とわはその場にしゃがみこんで、いくつか花を摘んだ。

 理玖も興味深そうに隣に座って、とわの手元を見てくる。

 茎の部分をするりとするりと結び、また花を摘んで、編んでいく。

 時間はかからず、あっという間に花冠になった。

 とわは、得意げにそれを見せる。

 

「じゃーん!」

「ほう、器用なものですね」

「小さい頃、せつなとよく一緒に作ってたんだー。りおんに絶対似合うよ」

 

 りおんはとわと違って可愛らしい。

 この花冠を被れば、きっと更に愛らしくなるだろう。

 

「……ふむ。おいらも、一つ作りやしょうかね」

 

 理玖は何かを思いついたようにニヤリと笑って、とわと同じように花を摘んで、編んでいく。

 やがてとわが作ったサイズと同じ花冠が出来上がった。

 

「どうですか? とわ様」

「あ、凄い。綺麗だね」

 

 とわは素直に感心する。

 意外と上手いもので、手慣れていない様子だったのに、完成したものは、とわより出来栄えが良い。

 

「あ、理玖もりおんにあげるの?」

「いえ、こちらは……」

 

 理玖の目が、愛おしげに細められる。

 疑問に思っていると、ふと、ふわり、と。

 優しく頭の上に、花冠が被せられた。

 とわの目が、ゆっくりと見開かれる。

 

「え……」

 

 唐突のことに硬直する。

 一瞬、訳が分からなかった。

 しかし混乱する頭を他所に、理玖は満足げに微笑んでいる。

 

「とわ様に差し上げます。気に入りましたか?」

「あ、え、ちょっと……なんで」

「何故って。またおかしなことを聞きますね。それはとわ様が可愛らしい姫様だからですよ」

「……!」

 

 自然と吐かれた木端ずかしい台詞に、とわの顔が一気に赤くなる。

 心臓がさっきからうるさい。

 口から火が出るくらいに、むず痒くなって仕方がない。

 どうして、理玖はいつもいつも、こんなことばかり言うのだろう。

 

「お綺麗ですね。銀の髪に、花々が映えて、とわ様の美しさを讃えているようです」

「あ、あまり冗談言わないでよ……」

「ふふ、冗談、ですか。おいらは本当のことを言っているんですがね?」

 

 くすくすと理玖は笑った。

 そうして、とわの手を取り、立ち上がる。

 とわも釣られて立ってしまった。

 

「さあ、今度こそ行きましょうか、とわ様」

「う、うん」

 

 理玖に手を引かれ、一緒にとわは下山する。

 その最中、何も喋ることが出来なかった。

 その握られてる温もり。理玖の手は大きくて、逞しくて、硬い。

 異性の差をどうしても感じてしまって、変に緊張してしまう。

 

 そのせいで、それなりに長い道のりだったはずなのに、時間はあっという間に過ぎていく。

 気がつけば、とわ達はりおんがいる小屋にまで辿り着いていた。

 

「あら、理玖。帰ってきたんですね」

 

 気配がしたからだろう。

 ノックをせずとも、りおんは中から出てきた。そしてとわの頭の花冠を見て、まあ、と声を上げる。

 

「とわ様、それはどうしたのですか?」

「裏山の頂上に、花が咲いておりやして。とてもお似合いでしょう?」

「はい、ものすごく!」

 

 りおんにまで褒められて、とわは恥ずかしさで耐えられなくなる。

 誤魔化すように理玖の手を離すと、両手で花冠をりおんに手渡した。

 

「これ、りおんに」

「ありがとうございます、とわ様。綺麗ですね」

 

 りおんは早速花冠を頭に乗せると、「うふふ、お揃いですね」、と笑った。

 まるでその様は妖精のようで、やはり可愛らしい。

 とわよりもよっぽど似合っている気がする。

 そう思っていると、理玖が急に、気障ったらしい言葉を言った。

 

「大丈夫ですよ。とわ様も、りおんお嬢様に負けないくらい素敵ですから」

「……、え……そんなの……私なんか……」

「ご謙遜なさらずとも良いですよ、とわ様。先程から言っている通り、すべて本当のことを言っているんですから」

「あ、も、もうそろそろ帰らないと、お母さんとせつなに怒られちゃう!! とりあえず、私、これで帰るね!」

 

 もう限界だった。

 とわは恥ずかしさのあまり、お礼も言わず、逃げるように背を向けて小走りした。

 すぐ後ろから、理玖が大きな声でとわを呼ぶ。

 

「とわ様!! 今日はありがとうございやした!!」

「……!!」

 

 自然と、とわの足が止まる。とわは振り返ると、自身もまた大声で叫んで手を振った。

 

「ま、また! また明日、来るから! その時一緒に、考えよう! じゃあね!」

 

 そしてとわは、元のように背を向け、今度はゆっくりと歩き出した。

 理玖からもらった、花冠に触れながら。

 本人は気がつくことはなかったが、その顔には、赤くなりながらも、笑みが浮かんでいた。

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 理玖は、りおんと二人並んで、とわの後ろ姿を見送っていた。

 今まで繋いでいた手には、まだ温もりが残っている。

 それが少しだけ、ほんの寂しいと思ってしまうけれど、とわはまた来ると約束してくれた。

 だから、嬉しさと期待の方が大きい。

 

「とわ様、行ってしまわれましたね」

「もう少し長くいてもらいたかったのですが……残念です。これもすべて、理玖のせいですよ、まったく」

 

 りおんは、ぷんぷんと可愛らしく怒る。

 彼女も彼女で、とわを気に入っているのだ。

 理玖は悪いことをしたと思い、笑いながら謝る。

 

「すいやせん、りおんお嬢様」

「以前にも言いましたが、あまり乙女を揶揄うものではありませぬよ」

 

 腰に手を当て、りおんは理玖を叱る。

 しかし小柄な体躯も相まって、あまり怖くはない。

 どうしても、小さい子供が背伸びをしているような印象を与えてしまう。

 だが、りおんはたとえこう見えても、六百年生きているようなものだ。

 次には驚くほど大人びた顔を浮かべ、理玖へと微笑んでいた。

 

「……それしても、すっきりした顔をしてますね、理玖」

「はい。とわ様は、いとも簡単においらをお救いしてくださいやした」

 

 理玖は、とわと話した時のことを思い出す。

 すべてが終わった後、理玖はずっと怖かった。

 いざ自由になった途端、まるで己の骨子がなくなって、ふわふわとただ宙を彷徨っている心地だった。

 当然だ。

 理玖には、もともと何も残されていなかったのだから。

 でも、そんな理玖の恐怖に、とわは寄り添ってくれた。

 そして、一緒に考えようと……そう言ってくれた。

 

 それだけで、どんなに理玖が楽になったか、言うまでもないだろう。

 とわは、まさに理玖にとって光だった。

 きっと、とわとなら、見つかる気がする。

 自分という存在の意味を、理解できる気がするのだ。

 

「とわ様は……本当に太陽のような心の持ち主なのですね」

 

 りおんは感慨深いように呟いた。

 

「一緒に考えようね、と最後に仰っていましたが、一体二人きりでどんなことをお話ししていたのですか?」

「内緒です。いくら、りおんお嬢様でも、お話できやせん」

「あら、それはそれは……」

 

 独占欲でそう言えば、りおんは含み笑いのようなものを浮かべた。

 

「ふふふ、理玖はとわ様のことが大好きなのですね」

「はい、それはもちろんです。とわ様は、粋でお優しい方ですから」

「……それだけですか?」

「え?」

「本当に、それだけですか?」

 

 りおんがこちらをじっと見てくる。

 理玖は何故か、僅かに動揺した。

 

「理玖。理玖はとわ様に対して、もっと思っていることがあるのではないですか? 貴方にとって、とわ様は一体何ですか?」

 

 りおんは再度、質問を重ねる。

 その真剣な顔に、思わず理玖はとわについて考える。

 

 最初、理玖はとわを殺そうと思っていた。

 この時代にはないものを持つ、良い女だ。

 きっと殺し甲斐があると。

 けれど、いつしか守りたいと思うようになっていた。

 それは、彼女が生き物として紛い物の自分を、初めてありのままに認めてくれたからだ。

 孤独な理玖の心を、そっと掬い上げたのがとわだった。

 彼女といると、いつだって安らいで、穏やかな気持ちになれる。

 さっきだって、一緒に考えようね、と笑いかけてくれて。

 

 それだけじゃない。

 とわは可愛い姫様だ。

 短くも美しい銀髪。紅玉のような瞳。いつもころころと変わる表情。感情豊かで、素直な性格。

 少し揶揄えばすぐに慌てるところも可愛いし、明るい笑顔を向けられるだけで、嬉しくなってしまう。

 ずっと……ずっと、とわを見つめていたい。

 

(とわ様……)

 

 脳裏によぎるのは、先ほどのとわ。

 見慣れぬが、よく似合っていた着物姿。

 花冠を乗せて、顔を赤らめる様子とか。

 手を握った時の、柔らかさとか。

 こっちに振り返って、また来ると言っていた時のこととか。

 すべてすべて、甘く胸が締め付けられる。

 この感情を六百年間、理玖は今まで一度だって感じたことはない。

 その名前も知らない。

 だが、こんな風になるのは、とわが初めてだった。

 

「……」

 

 自分がどのようにとわを思っているのか。上手く説明が出来ない。

 何と言って良いのか分からず、理玖は黙ってしまう。

 そんな彼に対し、まるで慈母のような顔で、りおんは声をかけた。

 

「理玖はとわ様のことを話すと、とても目が優しくなりますね」

 

 そして、優しく言う。

 

「理玖。麒麟丸も、伯母上も、もういません。貴方を縛るものは誰もいないのです。良い加減、自分の気持ちに正直になっても良いのでは?」

「ですが本当に、おいら如きが、それで良いんですか? それで、りおんお嬢様を蔑ろにしてしまったら……」

「構いませんよ。私のことより、理玖の幸せこそが重要です。私には……“今”がありませんから」

 

 理玖は息を呑んだ。

 りおんはつまり、こう言っているに違いない。

 自分は死者だから、この先は長くない。

 既に死んでいるから、未来はない。

 彼女はそんな悲しい感情を秘めているのだ。

 にも関わらず、りおんは慈悲の顔を崩さない。

 

「理玖、私は、とわ様と生きる未来もあって良いと思います。その気になれば、きっととわ様と一緒になることも、出来るやもしれません。だから、あまりうかうかしてはいけませんよ」

 

 りおんはそう一つ笑みを溢すと、くるりと小屋の中へと入っていった。

 

「りおんお嬢様……」

 

 その背を、理玖は悲しげに見つめる。

 六百年も結界に閉じ込められていたりおん。

 彼女の思いは、理玖にはあまりに悲痛に感じられた。

 

(とわ様と生きる未来……か)

 

 理玖は、りおんの言った言葉を、無意識に心の中で反芻する。

 りおんはこうも言っていた。

 その気になれば、とわと一緒になれるかもしれない、と。

 ……本当にそうなのだろうか。

 理玖としては、少し疑問に思ってしまうところだ。

 

 けれど幸にして、とわはずっとこちらの時代にいる。

 麒麟丸もいないから、視界に映ったとわを盗み見られることもない。

 時間もありあまるほどあって、とわとゆっくり話す機会は、それこそいくらでも作れる。

 

(そして、とわ様と……共に)

 

 もし、そうなった未来を、理玖は上手く想像できない。

 だが、その響きは素敵に思えた。

 そのことを、悶々と考える。

 小屋に戻って、夕食を終えた後でも。

 寝床に入った時でも。

 

 そしてその日、理玖は夢を見た。

 理玖の隣に、とわがいる夢だ。

 夢の中のとわは、理玖といつも一緒にいる。

 たとえ理玖が一人で出かけても、家の中で待っていて、必ずお帰りと出迎えてくれた。

 まるで夫婦にでもなったように。

 そうして理玖は、とわと手を繋いだり、彼女の髪をいじったりする。

 時にはするりとその頬に触れて、肩を抱き寄せたりもした。

 とわの方も、何も抵抗しない。全部受け入れて、あの愛らしくも美しい、輝くような笑みを、理玖に向けてくるのだ。

 

 それだけで、自分の中の独占欲と、とわを慕う心が、急速に満たされていくのが分かる。

 

 夢を見ていて、理玖は本当に幸せだった。

 堪らなく……理玖は幸せだったのだ。

 

 

 

 

 

 

 朝がきた。

 理玖は目を覚まし、ガバッと起き上がる。

 未だ、意識は朦朧としつつも、昨夜見た夢が、余韻のように残っていた。

 

(おいらは何であんな……)

 

 理玖は頭に手をやる。

 訳が分からず、少々混乱している。

 自分でも、あの夢の理由が分からない。

 でも、胸に残った幸福感は本物で、それが更に理玖を戸惑わせていた。

 これではまるで……、

 

「あ、理玖。起きた?」

 

 と、そこまで考えたところで、聞き覚えのある声にびくりとする。

 急いでそっちの方を見れば、りおんの横で、とわが座っていた。

 

「……とわ様?」

「おはよう、理玖」

 

 何処か恥ずかしげに挨拶するとわ。理玖は慌てて布団から出ると、正座をして向かいあった。

 寝巻き姿で、しかも寝癖までついてみっともないが、なけなしの意地で、背筋だけはしゃんとする。

 

「あの、どうしてこちらに?」

「えと、言ってなかったっけ? 明日またここに来るって」

「確かにそうですが……でもいくら何でも、少し早いのでは?」

 

 自分が起きたばかりということは、今は日が昇った当たりのはず。

 そう思えば、りおんは少し怒った様子で言った。

 

「もう、まだ気がついていないのですか? 理玖は普段よりも寝坊したんですよ」

「え、そうだったんですか!?」

「ええ、とっくに朝食の時間は終わっていますよ」

 

(しまった。おいらとしたことが……)

 

 理玖はバツが悪くなる。

 これもすべて、とわのことを考えて、上手く寝付けなかったせいだ。

 とはいえ、その本人を前に責めることは出来ない。

 すべてこちらの過失だ。

 話を聞けば、二人はもう朝食を済ませていると言うし、色んな手間もかけさせてしまったらしい。

 こんなことは二度とないよう、注意しなければ。

 そう心に固く誓いながら、理玖は頭を下げる。

 

「申し訳ありやせん、りおんお嬢様、とわ様。おいらのせいで……」

「もう、気をつけて下さいよ、理玖」

「はい……本当にすいません」

「まあ、理玖も疲れてたんだろうし、たまにこういうこともあるよ」

 

 とわは笑って、うしろにあったお盆を出してきた。

 上にはお椀が二つ。ご飯と、昨日の残りを雑炊したものだろうか。

 理玖は長い間寝ていたせいか、少し冷めている。

 

「実はりおんと一緒に作ったんだけど、口にあうと良いな」

 

 恥ずかしげに言うとわの言葉に、じっと理玖は朝食を見続ける。

 

(とわ様の手料理……)

 

「いただきやす」

 

 理玖は手を合わせてから、何かに期待するように、お椀と箸を手に取った。

 雑炊を啜る。

 単純な料理で、味も普通だったのに、何だか酷く優しく感じた。

 それにどうしてだが、胸がいっぱいになる。

 そのことに少し違和感を感じながらも、理玖は微笑んだ。

 

「美味しいです! とわ様」

「本当? 良かったー」

 

 とわは、ほっとしたように肩を撫で下ろす。りおんは、うんうん、と頷いて、

 

「とわ様はお料理に慣れていらっしゃいましたね。とわ様のお母上に教わったのですか?」

「うん。それにかごめさんとか、せつなとかが教えてくれて。まだまだ下手な部分はあるけどね……」

「それでも充分ですよ! 本当に……本当に充分です」

「ありがとう。でも、りおんがほとんど作ったようなものだよ。私はただ、少し手伝っただけだから」

 

 少しはにかみながら、とわが照れる。

 そして、ふと思い出したような仕草をして、

 

「あ、そうだ、理玖。りおんには言ったけど、ご飯が終わったら、今日は海の方に行ってみない?」

「海の方……ですか?」

「うん。裏山の頂上から見えたでしょ。私、気になってさ。きっと理玖達と見たら綺麗なんだろうなあって思ったんだ」

 

 とわは、満面の笑みを浮かべる。

 それが、今朝に見た夢の中のとわと重なり、理玖は一瞬だけフリーズする。

 彼女はそのことに気づかず、明るく理玖を誘った。

 

「ね、一緒に行こうよ、理玖」

「……、はい」

 

 理玖は頷き返す。

 心臓の音がやけに煩いのは、気のせいだろうか。

 それなのに、嬉しくて仕方がなくなる。

 その暖かな感情が心地よくて、理玖はバレないように、目を細めた。

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