遥かな永遠を一緒に   作:鐘餅

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遥かな永遠を一緒に 三話 後編

 待ち合わせ場所は、時代樹の下。

 お互い口を合わせていないのに、気づけば自然とそうなっていた。

 

(う、うわあ。どうしよう)

 

 こっそりと確認したとわは、その姿を目にして焦ってしまう。

 理玖が既にそこにいたのだ。

 大樹に背を預け、何やらにこやかな顔で空を見上げている。

 定刻まで少しあるが、律儀に早く来ていたらしい。

 これでは恥ずかしくて出られない。

 先に待つ計画だったのに。

 

「うぅ……弱ったなあ」

 

 ただでさえ、着物姿を見せた時も緊張していたのだ。

 今はそれ以上に心臓がバクバクだ。

 だが、かごめ達の気持ちもあるし……何より、理玖が待っていて、今更引き返せない。

 とわは固まっていた声帯に、無理やり、号令を出した。

 動けないなら、こちらから声をかけるまでのこと。

 

「り、理玖!」

 

 力んでしまったのか、上擦った大声が出た。

 すぐに、ぱっと理玖の視線がこちらを向く。

 彼は何が嬉しいのか、すぐさま顔を明るくさせ、駆け寄ってきた。

 

「とわ様!! 来てくださったのですね!」

「……!!」

 

 理玖の笑顔が、酷く眩しい。

 自分で呼んだくせに、とわは思わず、すぐ側にある木の影へ身を縮めた。

 当然、理玖は不思議そうだ。

 

「とわ様?」

「あ、ごめん。これはちょっと、訳があってというか……」

「……訳?」

 

 訝しそうにする理玖。何とか返事をしようとするが、限界で固まっていて、もう声すらもとわは出せない。

 その内、理玖の方から不満げな気配がしてきた。

 

「とわ様、ご冗談もほどほどにしてくだせえ。一体おいらに何が──」

 

 木の影を覗き込んだ理玖は、そこで言葉を失った。

 目と目がばっちりと合う。

 逃げ場がない。

 

「とわ様。その……その髪型は?」

 

 やがて、しばらくして、理玖が震える声で聞いてきた。

 それで、とわもなんとか口を開けるようになって、答えを返す。

 

「これは、かごめさんにやってもらって。ど、どうかな?」

 

 問いかけた途端、また理玖は黙ってしまう。

 心なしかさっきよりも視線が爪先から全身にまで向けられていて、とわの頬に熱が集まっていく。

 期待と不安で、胸の内が破裂しそうだった。

 

「……」

 

 そうして理玖は、ここでようやく何かを言おうとした。

 そして、迷うように目を伏せて……やがて発せられたのは、非常にシンプルな一言だった。

 

「……可愛い、ですね。本当に、おいらの言葉で言い表せないほどに、可愛いです」

 

 今までで一番、感情が篭った瞳と声だった。

 まるで、世界で最も美しいものを見た時のような。

 とわはそれに心奪われるよう、はっとなる。

 

(褒められた……)

 

 急激に湧き上がるのは、歓喜と照れと恥ずかしさ。

 もうそれだけで何もかもどうでも良くなるような、ふわふわとした気持ち。

 とわの顔に笑みが浮かんでいく。

 でも、「ありがとう」とお礼を言うだけで精一杯で、そこから先、どうしたらいいか分からなくなる。

 

 ああ、そもそも、この後の予定って、何があったんだっけ。

 何処に行こうって、話してたんだっけ。

 覚えていたはずなのに、思考がぐるぐるで、記憶が飛んでいる。

 

 すると、すっと。

 理玖がとわの前に改めて立って、まるで姫をエスコートとする騎士のように、声をかけてきた。

 でも、その顔には普段見られない照れがある。

 

「……おいらが案内します。行きましょうか、とわ様」

「うん」

 

 それが何だか恥ずかしくもおかしくて、くすっと、とわは笑い声を漏らした。

 理玖も嬉しそうに笑い返し、先導を開始した。

 

 数分で時代樹の森を越える。

 辺りの風景が段々と変わっていく。

 ここまでくると、とわも段々と目的地を思い出してくるものだ。

 

「……そういえば今日は、あの山の方学に行くんだよね?」

「ええ。この季節ですからね。とわ様にぜひ一度見てもらいたいものがあったんです」

 

 理玖は悪戯っぽく微笑んだ。

 こういう時の理玖は少年のように無邪気だと、とわは思う。

 そこがまた、ちょっと可愛いのだ。

 

 そして、あっという間、目的地へ入る入り口に近づく。

 出迎えたのは、ずっと続いていく木々のアーチだ。

 それは鮮やかな紅葉を纏わせ、夕日と合わさって、まるで炎が燃え盛るように煌めている。

 

「わぁ……」

 

 綺麗な光景に、とわはいつもながら溜息を漏らす。

 見せたかったのは、もしかしてこれなのだろうか?

 そう視線で問えば、理玖は愛おしげにゆるりと目を細めつつも、首を振った。

 

「いえ。見せたいものは、もっとこの先。そこにとっておきの場所があるのですよ」

 

 理玖は楽しそうにそう言った。

 とわもワクワクしてくる。

 今からとっても楽しみだ。

 

 二人で紅葉のトンネルを潜っていく。

 はらりと舞い散る赤い葉っぱ。

 黄色い銀杏の実。

 敷き詰められた落ち葉の絨毯。

 この季節特有の匂いがここには満ちている。

 

「もうすっかり秋って感じ。早いねえ」

「そうですね。秋といえば、キノコなど、色んなものが美味しくなってくる季節ですね。獣も取れますし」

「あ、やっぱり理玖も狩りとかするの?」

「たまにですがね。今度とわ様も一緒にやってみますか?」

「ええと、どうしよう。大分そういうのにも慣れてきたけど、まだまだ下手くそだしなぁ。そうだ。だったら釣りとかはどうかな」

「良いですね。この前行った川原に、魚もいますでしょうし。では今度も、そこへ行きましょうか」

「うん!」

 

 歩きながら、とわは理玖と取り止めもない談笑をする。

 でも、迷惑をかけたらいけないし、なんてことないよう振る舞うも、実はまだ髪型のことは照れ臭い。

 理玖の隣にいるだけで、どうにかなってしまいそうだ。

 けれど、離れ難い。

 嬉しいやら、楽しいやら。

 どうしようもなく、あのふわふわした心地が続いてる。

 そのせいで理玖の色んなことが気になって、手が繋げるほど距離が近いことに、今更気がつく。

 普段は全然、意識なんてしたことないのに、いつの間にか、それが自然だと思うようになっていたらしい。

 ここにきて初めてそのことを自覚し、一気に恥ずかしくなった。

 

(う、うわあ。私、何でこんな……。ていうか理玖は!? 理玖はどうなの!?)

 

 内心ワタワタしてるとわと違って、理玖の方はいつも通りだ。

 まさか照れていたくせに、もう意識なんてしてないのか。

 そうだったら悔しい。

 けど、せつな達は、理玖はこっちに気があるのかもしれないと言っていた。

 ならちょっとくらい期待しても――

 

(って、これじゃあまるで、本当に理玖を好きみたいじゃん!)

 

 とわはそこまで考え、自分で自分に突っ込みを入れた。

 完全に、せつな達との会話のせいで何かがおかしくなっている。

 

「とわ様?」

「……え!?」

 

 と、その時だ。

 ふと、理玖に声をかけられ、どきっとなる。

 見れば、不思議そうな理玖の顔。

 どうやら、そのまま考え込んでいたせいで、会話が途切れていたらしい。

 とわは慌てて謝った。

 

「あ、ご、ごめん! 理玖!」

「……さっきからうわの空のようですが、どうかなさいましたか? おいらの話がつまらないとか?」

 

 理玖は少しむっとしたように眉を顰める。

 とわは違うと、ぶんぶんと首を振る。

 だが、それでも怒ったように理玖は態度を変えない。

 

「ですが、おいらのことより、別の何かが気になるようじゃないですか。……一緒にいるのに、おいらのことなんてそれっぽっちなんですね」

「……理玖?」

 

 よくよく見ると、ちょっと残念がっているというか、落ち込んでいるというか、そんな風にしか言い表せない寂しげな色を、少しだけ理玖は顔に浮かべている。

 とわはその反応に、ぽてっと首を傾げた。

 何だろう。少しだけ違和感がある。

 これはもしかして……、

 

「理玖、拗ねてるの?」

「拗ねてなんかいやせんよ」

 

 せつなのように、理玖はぷいとそっぽを向いた。やっぱり何処からどう見ても拗ねている。

 とわはまた、しかしさっきよりも心の底から謝った。

 

「ご、ごめんって! これは別に、理玖のことがどうでも良かったからじゃないから!」

「……そうなんですか?」

 

 目だけが動き、こちらを理玖はじっと見つめた。

 

「じゃあ、何を考えていたんですか? とわ様」

 

 そして、投げかけられた、詰問のような問い。

 とわは瞬間、硬直してしまう。

 だが、理玖の視線は鋭く、逃げようがなかった。

 そのため、とわは長い時間をかけて迷いに迷い、沈黙の果てに、ようやくか細い声を漏らす。

 

「り、理玖の方は、どうなのかなって……」

「……? それはどういった意味で?」

「それはその……こ、こんな近くにいるのに、理玖の方は、なんてことないみたいで、だから――」

 

 私のことなんか、どうも思ってないみたいだ。

 そう言いかけた、次の瞬間だった。

 

「……それ、本当ですか?」

 

 理玖は目を見開いて、驚いたように尋ねた。

 いつの間にか、そっぽを向けていた顔を正面に戻し、ずいっと前のめりになっている。

 その表情は真剣そのもの。

 でも瞳には、正反対の爛々とした期待が篭っていた。

 

「とわ様、おいらのことを、さっきからずっと考えてたんですか? ……本当に、ずっと?」

「え……う、うん」

 

 頷いた途端、理玖はごくりと生唾を飲み込んだ。

 最初は困惑していたものの、次第に険しかった顔を柔らかなものに変えていく。

 遂には、ニヨニヨと口の端を吊り上げた。

 嬉しくて堪らない、といった表情だ。

 しかし、とわが理玖を見ると、途端に彼は目を彷徨わせる。

 心なしか、耳の辺りが真っ赤に染まっているような気がした。

 それが何とも変だ。

 

「? どうしたの? 理玖」

「……すいやせん。これはその……何と言えば、良いのでしょうか」

 

 理玖は照れつつ、人差し指で頬を掻いた。

 恥ずかしがってる割には、ストレートな物言いで答えた。

 

「今日は一段と可愛いらしいとわ様と逢瀬をしていて、それだけでも嬉しかったというのに、こっちだけを見て欲しいという願いが叶ったんです。それで、とても……とても、緊張してしまいやして」

「……へ!?」

 

(それってつまり……それに、お、逢瀬!?)

 

 理玖の発言に、とわは過剰に反応する。

 こんなことを言われるとは思わなかったし、まさか理玖が逢瀬――デートをしているという認識を持っていたことに驚きだった。

 本当に、一体全体、とわをどう思っているのか。

 せつな達との会話を思い出す。

 

『良い加減、気付けということだ。お前、あの男に言い寄られてるんだぞ』

『いや、お前、考えてもみろよ。そもそも好きじゃなかったら普通、あんな会いに来ないって。それに、お前のこといっつも口説いてんじゃねえか。態度も他のやつと全然違うしさ』

 

(え……冗談でしょ、え?)

 

 繰り返えす言葉の数々。

 先刻同様、頭を過ぎる、理玖のこれまでの言動。

 訳が分からない。

 じゃあ、何か。あの目は、好意の現れだとでもいうのか。

 けどそんなことあり得るわけないし、仮に意識してくれたとしても、何で自分に?

 

 思考が回る。

 その本心がますます分からない。こうなったらもう、直接聞こうと意を決する。

 そうして、とわは隣を歩く彼に尋ねようとし――

 

「あ」

 

 その瞬間だった。

 はらりと、理玖の頭上に一枚の紅葉の葉が落ちてきた。

 とわの手が、上に自然と伸びていく。

 でも赤い葉は予想に反して、吹いてきた寒風を受け、くるりと理玖の側を通り過ぎる。

 空を滑った手はそのまま前に突き出されるような形となった。歩いていたこともあって、それに引っ張られるように小石につんのめり、とわの体勢が崩れる。

 

 そして、足を滑らせ――ぽすん。

 咄嗟の判断だろう。

 理玖は慌てて立ち止まり、その固い胸でとわを受け止めた。

 そして、抱き止められた彼女は、状況についていけず、一瞬にして頭が真っ白になった。

 

「……」

 

 大きくて広くて、逞しくて、全然知らない男性の体。

 それに今、近づいているどころか密着している。

 しかも、自分から飛び込んだ、とも取れる先程の行動に、とわはすっかりパニックだ。

 今すぐにでも飛び跳ねたい。

 でもその思い通りに体は動かず、代わりに顔を上げて、理玖を上目遣いで見続ける。

 今度は、理玖も目を逸らせない。

 

 どくん、どくん。

 心臓の音が急速に速くなっていく。

 それは相手も同じのようで、その広い胸の奥から、とわ以上に早い心音が聞こえる。

 これだけ近くにいる以上、半妖の聴覚は誤魔化せない。

 そして、耳の赤さが徐々に、全体へと広がっていく理玖の顔。

 ふとしたとき、いつも向けられているあの目が、ますます……ますます熱量を伴っていて。

 

「……! ……!」

 

 何かを言おうとするも声が出なくて、とわは口をぱくぱくさせる。

 混乱は今や最高潮に達しているが、ざわざわ、きゅうきゅう、体の内側が苦しくて仕方がない。

 

「……す、すみません、とわ様」

 

 ……すると、何分も密着してる中。

 ふいに、理玖が謝ってきた。

 申し訳なさそうに眉が下がっている。とわも釣られるように「ごめんね」と謝ると、ここでようやく理玖が離れた。

 

 それがどこか名残りおしくて、思わずとわは俯いてしまう。

 せめて……せめて、と思うけれど、勇気がないせいで手も繋げない。

 その内、足を進めることを再開しても、何を話しているのかすら、この切ない感情に押し負けて、記憶に留めておくことも出来ずにいる。

 

 そうして何分過ぎただろうか。

 気がつけば紅葉のトンネルを抜けていた。

 日も落ちて、冷たい月が浮かんでいる。

 

「……さあ、着きましたよ、とわ様」

「……」

 

 理玖の声に、とわは眼前の光景に意識を向ける。

 途端、とわは言葉を失う。

 目を奪われるとは、まさにこのことか。

 

 高台の下、何処までも広がり埋め尽くす、ススキの群れ。

 淡く光舞う月光に照らし出され、黄金色の海は光り輝きながら、風にそよぎ、その波を広げていく。

 

 なんて――なんて、美しい。

 まるで映画のワンシーンのように、幻想的で、印象的で。

 

「綺麗……」

 

 今まで感じていた緊張が、全部まるごと吹っ飛んだ。

 とわの目が揺らぎ、ただ、その美しさに感動して震える。

 

「気に入りましたか? とわ様」

 

 理玖が微笑を讃え、隣から聞いてくる。

 もちろん満面の笑みで、とわは明るく答えた。

 

「うん! こんな景色が見られるなんて、すっごく素敵。ありがとう、理玖」

「……」

 

 その微笑みを受けて、理玖は眩しそうに目を細めた。

 

「やっぱり。そのお姿はとても素敵ですが、ちょっとだけ、心臓に悪いですね」

 

 理玖は褒め言葉のような、口説き文句のような、そんな台詞をさらりと言った。

 いつも通りストレートで、とわは照れ笑いするしかない。

 

「そ、そう。そうなんだ。でも……」

 

 そこで、ちらり。

 二人で高台の淵に腰かけながら、とわは理玖の顔を覗く。

 

 こうして見てみると、結構な美形だ。

 中性的で、何処となく色気があるというか。

 ふとした仕草でも……例えばそう、今しているみたいに、長い髪を耳にかけて、首筋が露わになる時なんて、凄く艶かしく思えて……、

 

(……、私なんかより、そっちの方が心臓に悪いよ……)

 

「っ、はくしゅっ!」

 

 と、冷たい風が吹き、とわはくしゃみをした。

 普段より厚手の服を着ていたが、冷えるものは冷えるらしい。

 体を温めようと、縮こまりながら己の体を抱く。

 すると、理玖が心配そうな顔をした。

 

「大丈夫ですか?」

「ああ、うん。大丈夫……これくらいなんてこと……はくしゅっ!」

 

 また風が吹いて、とわは二回目のくしゃみをしてしまった。

 思わず苦笑を浮かべるとわ。

 理玖は心配そうな顔を一層深め、自身の上着を脱ぎ、とわにかける。

 目を見開いていると、彼の優しい眼差しがこちらに向けられた。

 

「どうですかね。これで少しはあったかくなるでしょうか」

「あ……えっと」

 

 とわはぐっと、喉の奥が詰まるのを感じた。

 何だろう。

 凄く凄く、恥ずかしい。上着から理玖の匂いがして落ち着かない。

 それに、

 

「……理玖が冷えちゃう。そんなの駄目だよ」

「別に構いやせんよ」

 

 大丈夫ですから、なんてからから笑う理玖。

 だが、申し訳ない。

 とわは当然のように上着を返そうとする。しかし何度そのことを言っても、理玖は首を振るばかりで受け付けない。

 次第にとわはむっとなってきて、遂には口を尖らせる。

 

「もう……じ、じゃあ、こうするよ」

 

 さっきまでは手も繋げなかったのに、この状況がとわの背中を後押ししのか。

 彼女は一瞬迷ったものの、自分から理玖の元にぴたりと近づき、寄り添った。

 理玖が驚きで目を丸くする。

 

「い、良いんですか? とわ様」

「だって、一人だけあったまるのなんて、やっぱり駄目だもん」

 

 こうすれば、多少は寒くなくなるだろう。

 とわの体温が、ゆっくり理玖の体温と溶け合っていく。

 

「……とわ様」

 

 理玖が瞳を震わせた。

 何を思っているのか、その目の中に、様々な感情が浮かんでいく。

 やがて、彼の手が緩慢に動いた。

 おずおずと肩に回されたそれは、とわを自分の方に、思いっきり引き寄せる。

 びっくりしつつも、とわは抵抗しなかった。

 どころか、自然な流れとして、応えるように軽く体重を預けてしまう。

 そんな自分自身が変だった。

 でも、気恥ずかしさとも違う、妙な安心感が浮かび上がり、すぐにどうでも良くなった。

 理玖の方も、酷くリラックスした表情で、嬉しさを噛み締めるように目を伏せている。

 そうして、二人で見つめる景色は、なんと色鮮やかに見えるのか。

 この穏やかな時間が、凄く凄く、心地良い。

 ずっと、このまま一緒にいたい。

 文字通り、永遠に。

 そう思っていると、ふと、ぽつりと理玖が呟いた。

 

「こんなことって、良いんですかね」

「……?」

 

 疑問に感じたとわは、彼の顔を確認する。

 理玖は泣きそうな、でも何処かうっとりするような表情を浮かべていた。

 それは初めて見る、無防備な理玖の姿だったかもしれない。

 

「おいらですね、今が一番、幸せなんです」

「……うん」

「とわ様と一緒にいて、とわ様と話せて、とわ様と触れ合えて。おまけにこんな……こんな夢にまで見たことをやれて。まさに夢見心地です」

 

 肩に回すその手に少しだけ力を入れて、理玖は思い返すみたいに、伏せていた目を更に閉じる。

 

「それだけじゃありません。とわ様には、本当に沢山のものをもらいました。とわ様のおかげで、知らないものをどんどん知ることが出来て、楽しいんです。とわ様が、おいらの手を引っ張ってくださる」

「……そうなの? でも理玖の方こそ、私に色んなことを教えてくれるよ。私も理玖のおかげで、世界が広がって見えるんだ」

 

 それは偽らざる本心だった。

 実際、理玖がいなければ、こんなにワクワクすることもなかっただろう。

 いつだって、理玖と一緒だから、世界は輝いて見えるのだ。

 

「それは光栄なことですね。身に余るお言葉です」

 

 理玖は文字通り感動するみたいに、くしゃりと笑った。

 そして、しばらくそのままでいると、少しして目を開け、複雑な顔になっていく。

 そこから、堰き止められたダムが解放されるように、言葉が溢れ出ていった。

 

「ですが、とわ様。おいらは怖いです。……こんな幸せ過ぎる今が、怖い」

「……」

「だって、ほら。おいらなんかには無相応でしょう?

 打ち捨てられたごみが、手にしていいものかどうか。

 おまけに、今でも充分だというのに、これ以上の幸せまで欲しくなって、どうしたら良いか分からなくなりやす。そんな自分を、おいらは……」

 

 ぎゅっと、自身を否定するように。

 空いた方の手で胸を抑える理玖。

 こちらにも伝わってくる、圧迫されるような苦しみが声にはあった。

 そして理玖の表情もまた、辛そうに歪められていて。

 今までの境遇からくるその感情を、彼は未だ振り切れていないのだろう。

 だからこそ、幸せになる――その誰もが持つ当たり前の権利を前に、戸惑っている。

 許されてはいけないと、そう思っている。

 

 とわはそれが悲しかった。

 辛い思いなんてして欲しくなかった。

 その苦しみを少しでも分かち合おうと、優しく……優しく言葉をかける。

 

「……大丈夫だよ、理玖。理玖は、ごみじゃない。理玖は理玖だもん」

 

 理玖がはっとするように息を漏らした。とわはその目をじっと見て、思いを伝える。

 

「今まで、辛い思いをしてきたんでしょ。幸せになるのは、無相応でもなんでもない」

「……本当ですか? こんなおいらでも幸せになって良いんですか?」

「むしろ、ならなかったら怒るよ、私。理玖には、もっと笑っていて欲しいしさ」

 

 とわはすべてを受け入れる気持ちで、言った。

 

「もし怖くて不安になったら、私が受け止めるから。だから、理玖。怖がらなくて良いよ。幸せになっても、良いんだよ。それこそ今以上に、もっともっと」

「……とわ様」

 

 理玖はその言葉を聞いて、しばし目を瞬かせ――一筋の涙を溢した。

 それは心が、感情が、彼の内側から溢れ出ているようだった。

 

「ありがとうございます。……本当にありがとうございます」

 

 静かな感謝が告げられる。

 とわはそれに、そっと、微笑みを返す。

 

 ――今宵は、静かな夜だ。

 二人の息遣い、鼓動だけが、互いの体を通して伝わっていく。

 邪魔する者は誰もいない。

 静かな月光が、ただ彼女達を柔らかく、包み込んでいた。

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 月の下を歩く者がいた。

 それは一人の男性であった。

 旅人らしく、笠を被り、大きな荷物を背負っている。

 腰には刀。

 武者修行を行う、若い武士である。

 

 普通であれば、こんな夜道を歩く愚行は犯さないだろう。

 この時間帯、妖怪も出るし、一人のところを見つかれば、余裕で野党、山賊の標的にされる。

 だが、この男はまだ若く、何より腕に覚えがあった。

 今まで生き残ってきたことを、ただの幸運であると理解せず、自分自身の実力であると過剰に信じていた。

 だから怯えもせず、堂々と胸を張って、男は歩いていた。

 そんな彼の前に、唐突に一つの影がふらりと現れる。

 

「……、何奴!?」

 

 男はすぐさま立ち止まり、警戒して刀を抜いた。

 月明かりに刀身が照り返り、その影を映し出す。

 

 女……それも少女と言っていい、若い女だった。

 結い上げた黒髪。

 きらりと丸い玉が光る簪。

 顔立ちは整っていて、美女と言って差し支えないが、眼球が腐り落ちている。

 手が隠れるほど長い袖の着物を着ていて、足がなかった。

 でも女はまるで立っているようにその場に浮いている。

 そして全体的に透けていた。

 男の脳裏に、幽霊、という言葉が過ぎる。

 

「ど……し……」

 

 女が何事かを呟いた。

 顔を覆い隠さん長い前髪の奥から、ぽっかりと闇のような眼窩が覗く。

 何かがおかしい、危険だ。

 一目で本能がそう訴えてきた。

 

 男はその警告に従い、刀を振り上げようとする。

 いつもやってきたように、その物の怪も殺そうとした。

 だが、凍りついたように、動くことが出来なかった。

 男は生きてきた中で一番、恐怖を感じていたのだ。

 それは何故か分からなかった。

 ただ渦巻く妖気の規模は、明らかにそこらの妖を超越していた。

 

「ど……し……て」

 

 また女は呟く。

 男に近づいていく。

 怖気すら吹き飛ばす憎悪。

 漂う腐敗した肉の香り。

 肌を撫で、包みゆく冷気は抱擁のようであり、不思議と熱を帯びていて、ああ、それが本当に本当に気持ち悪くて、吐きそうだ。

 震えすら、生理的拒絶としては表現できていない。

 それほどまでに、この女は――

 

「どうして」

 

 至近距離まで女が来た時。

 それははっきりと形になった。

 もちろん、男が答えられるわけがない。

 そもそも、何を問いかけられているのかすら分からないのだから。

 しかし、それを理解してないかのように。あるいは、構わないと思っているかのように。

 女は続けた。

 どうして、どうして――

 

「どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして――」

 

 耳元で繰り返されること、体感では無限。

 実質には、約一時間。

 どうしてはどうしてになって、どうしてがどうしてになり、どうしてはどうしてそのもので、どうしてがどうして、それがどうしてになる。

 脳がその単語で埋め尽くされ、破壊される。

 

 その頃になると、男は発狂するように声を荒げていた。

 みっともなく失禁し、震え、刀を落とし、それが足に当たって流血しても構わない。

 この化け物を前にすれば、それはほんの些細なことである。

 

「ひぃ、いいいいいいいい!!!!」

 

 遂には立ってすらいられなくなり、男は腰を抜かして崩れ落ちた。

 女は一言、ぽつりと呟く。

 

「どうして」

「……知らない! 知るものか! 勘弁してくれ! 聞きたくない!」

「どうして」

「ひぃ、あああ、うあああ!」

「どうして」

「ぎゃあああ、ああああああああああああ!!!」

 

 男はとうとう、四つんばいになって逃げた。

 追いかけもせず、取り残されるよう、女は一人となった。

 

 しばらく、静かな月を見上げ続ける。

 眼球なき黒い空は何も映し出すことはない。

 そうして、ただただ時間が流れる中。

 ふと、ぱたぱたと足音がした。

 女の元へ駆け寄ってくるのは、まだ十つにも満たぬ男の童である。

 手には、古びた装飾の小箱。

 その顔は、女と瓜二つであった。

 

「お探しいたしました、母様」

 

 童が話しかける。

 女は何も答えない。

 童は悲しそうな顔をした。

 しかし、すぐにぱっと明るく笑顔を輝かせる。

 

「またお離れになられて、駄目ではないですか。ボケ老人ではあるまいに、人間どもに噂されてますよ」

 

 こう、幽霊が出たぞー、なんて。

 大袈裟にリアクションをしてみせる童。

 呆れたようにため息をつき、

 

「それにしても、さっき遠くからちらりと見えたあの男。まさか、お尋ねになられたのですか? あんな奴に、答えられるとは思いませんが……」

 

 女が、黒い眼窩から血涙を流した。

 滔々と溢れるそれを、童は困ったように見続ける。

 

「ああ、そうですね。母様には、誰であれ関係ありませぬものね。こちらが悪うございました」

 

 一つ頭を下げる。

 そして、「ささ、行きましょう!」とふざけたように言って、女の着物の袖を引っ張っり、連れて行く。

 女は不思議と大人しくついてきた。

 だが、その目線は、やっぱり月に固定されたままである。

 童を見ようともせず黙ったままだ。

 そのせいで童は一人、虚しく喋り続けている。

 

「今宵は月が綺麗ですね。こんな見事な月は、なかなかございませんよー!」

「……」

「そうそう。月夜といえばこの前知ったんですけど、月には兎が住んでいるそうですよ! お餅をついているんですって! どんなものか、僕も一つ食べてみたいものです、お餅!」

「……」

「月だけでなく、あのお空の向こうに浮かぶ星々にも、動物が住んでいるんでしょうか? いつか確かめられるといいですね。母様、珍しいもの好きだから、きっと行ったら楽しいに決まってます!」

 

 それは滑稽な一人芝居のようであった。

 意味のないルーチンとも言うべきか。

 童は母といる時、こうしてただ喋りかけては、寂しさを埋めるように笑い声を立てる。

 本当は寂しい思いをしているくせに。

 本当は愛情が欲しいくせに。

 それを認めまいと、孤独から逃げるために、懸命に童は話をし続けるのだ。

 

 だが、残酷な現実を突きつけるよう、女が虚に呟く。

 

「……どうして」

「母様」

 

 こうなるともう、童は息が詰まって暗い顔になるしかない。

 母が何を聞きたがっているのか、童にも分からないからだ。

 深い罪悪感が浮かんで、その度にいつも謝った。

 

「すみません、母様」

「どうして」

 

 責めるような問いが飛んでくる。

 童はまた、「お許しください」と謝罪した。

 

「母様。僕では母様の問いに答えられません。僕は母様のことを何も知らない。母様の意思を正確に読み取ることが出来ないのです」

 

 しかし大まかな意志は伝わってくる。

 それは激しい慚愧と怒り、喪失感によるものだ。

 この女は過去、決定的な何かで壊れてしまった。

 そのことを、童は悲しく思う。

 童は女の苦痛を、肩代わりすることが出来ない。

 

「だから、せめて僕が、必ずや貴女の問いの答えを見つけ出してみせます。そのために、貴女の欲しいもの全部、この箱の中へと収めましょう」

 

 子は、母へと箱を向ける。

 ぼんやりとしている女は、童の決意を無視している。

 それでも、童は言った。

 

「貴女こそが、僕のすべて。僕が、母様の望みを叶えて差し上げます。だって――僕にはそれしか、価値がありませんから」

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